うたわれるもの 琥珀の軌跡   作:ななみ

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秘所

 白い仮面を見て目の色が変わったベナウィを横目に、コゥーハは歴史書が収められた棚を漁る。

 ハクオロ本人の意向もあり、彼の過去について軍で密かに調べているものの、早くも暗礁に乗り上げている。エルルゥとアルルゥを始めとする聞き取り調査から始まり、知りうる事実の整理、行方不明者名簿の洗い出し……つまるところ当時の近隣諸國で発生した戦の状況や落ち武者達の経路の推測、等々――一通りの事は全て行ったが、ハクオロが知りうる以上の事は何一つ発見できていない。他國に潜入調査を行っている隊の隊長自ら出向いてハクオロに土下座をするほどに、全くもって進展が見られない深刻さである。当の本人は落ち込むことなく「気長にやってくれれば良いさ」と笑っているが、結果を出すことが出来ない現実にベナウィが憔悴していることは、事情を知る者であれば誰が見ても明らかである。

(ハクオロ様が(オゥルォ)でなければ、チキナロ義叔父上に依頼するのも一考なのですが)

 むしろチキナロは何か知っているのではないか、とコゥーハは一瞬考える。東に限らず西方諸國にも商いの手を伸ばす彼であれば、奇妙な仮面を被った男の噂の一つや二つ知っていても不思議ではない。が、ならば何故それを売りに来ないのか、という疑問にぶち当たり、思考を停止させた。

「しかし」

 アトゥイは一体何を調べていたのか。読み終わった木簡を置きつつ、コゥーハは新たな木簡を手に取る。

 所蔵されている木簡の内容は、大きく分けて四つ。医学関連の研究論文――とはいえ、エルルゥの知識と照らし合わせると参考になりそうな資料は数える程しかないか、とコゥーハは溜め息を吐く――に、術法の応用技術が空の棚に一点、コゥーハの推測通り"シトゥンペの民"についての資料と考察、そして白い仮面が収められていた棚にある資料の内容……現在ベナウィが手をつけている歴史書。

「それも『先の大戦』についての資料ですか。とはいえ」

 何て量だ。ベナウィが積み上げている木簡の山々に驚くと同時に、トゥスクルの皇城書庫はおろか、大陸中を探しても見つかるかどうか分からない詳細な記述――ベナウィ曰く、特に西方諸國に関係する物が多く、東方諸國に関連する物は非常に少ない。非常に不自然であると眉を顰めるコゥーハを一瞥し、ベナウィは新たな書簡に目を通しつつ一つの推測を立てた。

「彼の謀反の後、新たに即位した(オゥルォ)が前皇族関連の書物を破棄した事が関係しているのではないでしょうか。その後、前皇族の功績が削られた歴史書が新たに編纂されましたが、此処に収められている内容と矛盾する点が幾つか存在するため、アトゥイ殿はそれらに疑問を持たれたのではないでしょうか」

「……複雑ですね。確かに、日記と思われる木簡にある、辛辣な(オゥルォ)への批判を読むと。仲が悪いわけではない、という言葉は非常なまでに適切だったのかもしれません」

 そう、仲が悪くなかったように見えた、とコゥーハは振り返る。しかしアトゥイに國師(ヨモル)の経験がある点を踏まえると、己が家族のために厚い仮面を被っていたのでは、というベナウィの意見は容易く想像できた。その顔を家族に見せる事が決して褒められた訳ではないものの、彼の知らない一面が目の前に落ちていく様はコゥーハの胸をじわじわ締め付けていく。

「……」

 進捗は、と問われ、コゥーハは息を呑んだ。

「ひとまずは」

 そちらから整理致しましょう。と、翳む視界をくっと閉じ、コゥーハは懐から筆記具と小さな木簡を取り出した。

 

 

 

 

 

 

 大戦の勃発と終戦時期の正確な時期は不明であるが、オンカミヤムカイの暦に照らし合わせると約六十年から七十年の間に始まったと推測される。当初は大陸中央にあった二國間の争いだったものが、オンカミヤムカイの介入も虚しく次第に同盟國を巻き込んだ物へと発展、一応の終戦となる直前には大陸を東西に二分する物と成り果てていた。

 一呼吸置くように、コゥーハは一旦筆を休める。

「最初は、東方諸國……貴方のお祖父(じい)様が属していた勢力が優勢だったようですが」

 内部で裏切りがあったようです。淡々と吐き捨て、ベナウィはコゥーハの言葉を接いだ。出てきた内容が内容だけに無理もないが、今日は本当に()()()ない、と感情の起伏が激さに心配を抱くも、相手の続きを静かに聞くべく態勢を取る。

「アトゥイ殿は。"シトゥンペの民"が関わっていたと睨んでおいでだったようで」

「はっきり仰って下さい。貴方の祖父様を裏切った当事者が"シトゥンペの民"であったと。そして彼が――」

 コゥーハ。と制したベナウィにコゥーハは微笑む。己もヒトのことも言えぬが、と嘲笑を隠し、声を荒げながらも躊躇いなく言い放つ。

「――カナァン様の御父上にあたる人物だった可能性が高いと」

「資料の信憑性は」

「お優しいのですね……お気遣いは、そうですね、カナァン様とアトゥイ様の代理として受け取っておきます」

 その優しさを他の女性へと向けて欲しいものだ、とコゥーハは俯く。

「おそらく養父上も、その可能性に賭けていたのでしょう。ですが、貴方が先程から御覧になっていた書簡は相手國との密約であり、自分の隣にあるそれは、インカラ(オゥ)の父君との密書。内容は割愛致しますとして、押された判を照合して頂ければ、自ずと判ると思います」

「……」

「ただ。これで、この部屋への立ち入りを禁止した事と、カナァン様の一族とインカラ(オゥ)の一族の不思議な関係に、ある程度の納得がいくかとは。尤も、かの内乱の折の、チロン様の言動と意図はお蔵入りとなりそうですが」

 星明りに濡れる読み終えた書簡の山々を見渡し、コゥーハは小さくため息をついた。

 幼い頃に集落跡を見た事で興味が沸き、コゥーハ自身"シトゥンペの民"について表面的な部分を学んだ事がある。その過程で知り得た知識が、周辺集落とは異なるチェンマ独特の風習に酷似した物が多い点に気づくまでに幾許も掛からなかった。事実、此処に揃う詳細な情報のほとんどの慣習がチェンマでは行われていると、未だ薄い煙が残る窓の外を見つめる。

「彼の供養もそうです。それに、女性の成人時、儀式に使用される……成人たる証として、シトゥンペの鈴の一つを渡す儀式。"シトゥンペの民"の由来たる風習が、当たり前のように行われている。先程、集落跡で言いかけた、不思議な事です」

 私は貰っていないのですが。とコゥーハは笑う。が、ベナウィの真剣な眼差しに気圧され表情を引っ込めた。

「"シトゥンペの民"であるという断定は不可能です。しかしながら、周囲から浮いているのは事実。少なくともトゥスクル國に根付く習慣ではありません。成人女性に贈られる物は、髪留めといった輪っか状の物ですから。とはいえ、エルルゥ様の髪飾りのような大きい物は滅多に御座いませんが」

 浮かんだ疑問をカナァンやアペエに訊ねてみようかと考えた事もあったが、アトゥイが強く制していた事をコゥーハは思い出す。チェンマの風習については禁句なのだ、という言葉も嘘だったのかもしれない、と心中で笑いながらも、制止を振り切ってでも訊いておくべきだったのかも、と、後悔と寂しさで僅かに表情を歪ませる。

 話が逸れました、と謝罪し、コゥーハは筆を立てる。

「して。此方の資料で補足する点ですが」

 特には、とコゥーハは筆を置き、新たな木簡へと交換する。

「"シトゥンペの民"と例の仮面との関連性は見当たらないと思われます。先程、少しだけ御説明致しました内容通り。独自の慣習や風習が事細かに書かれているだけの物であり、関係すると思しき記述はありませんでした」

「件の事を抜きにして。他に気になる点は」

 強いて言うなら、とコゥーハは仰々しく肩を下げる。

「信仰する大神(オンカミ)が、違うという事に少し興味を惹かれた程度です。『解放者(ウィツァルネミテア)』でも『大いなる父(オンヴィタイカヤン)』でもなさそうですから。もしかすると、信仰に対する違いから起こった戦で滅ぼされてしまった一族なのかもしれませんね」

 曰く、『大いなる父』はヒトという肉体の檻を生み出し、『解放者』は我々ヒトという魂を檻へ閉じ込めた上で殺伐した此の地へ放った存在である、と。曰く、我々ヒトが此の地に生まれ出ることは悲しく、同時に苦しい時の始まりを告げるものである。が、曰く、死ぬことで魂は解放され、"常世(コトゥアハムル)"という本来いるべきヒトの住処へと行くことが叶う。

 曰く、魂は檻に入れられた際に歪な形となってしまった。故に、完全な魂しか行くことのできない"常世(コトゥアハムル)"へ行くには、苦しい此の地で正しい形へと戻す必要がある、と。曰く、その方法の一つとして善行を積み、自ら定めた掟を守るべし――その手助けや、降りかかる辛い出来事を緩和する、ヒトを導く存在として"常世(コトゥアハムル)"からの使者を、一人の(カムナギ)へと降霊させ、彼女を頂点として皆と共に日々を乗り切っていくべし。

 という内容だと思います、とコゥーハは鼻で笑う。

「危険な、というよりは、笑いを誘う香りがしますよ。特に降霊後の(カムナギ)は未来予知ができるという――ああ、その(カムナギ)は誰しもなれるわけではないようですよ。尻尾が幾つかに分かれている非常に稀有な女性しか……失礼ですね。何ゆえに私めの尻尾へと目をお向けになるのか」

 口調が鋭くなってしまったことを自覚したコゥーハの喉元を、嫌な空気が通過する。

 己の尻尾が幾つかに分かれている事は、コゥーハ自身解っている。だがベナウィにその事を話しただろうか、と記憶を辿るも……否、話してはいないはずだ、と結論に至った。途端、不安と焦燥……複雑な感情が一気に流れ落ちる。勢い止まらぬそれを小さな手でおさえつつ、ぎこちない言動で相手の謝罪を受けた。

 尻尾の件は、"見える"事に比べれば大して秘密ではない。コゥーハは思っているものの、周囲に言った後にあまり良い思い出がないために、聞かれなければ答えない……皆と少しだけ違う点は、得てして忌避や嫌悪に繋がっていく。"アレ"について話す際は、結果も呑みこむと心に刻んだが、尻尾については未だ準備ができているとは言い難い。

(嫌われたくない、ということなのでしょうか。随分とまあ、都合の良い話ですね)

 今更であろう。この上ない嗤いを静かに落とした。再び筆を手に取り、話題を『先の大戦』へと戻す。

「ともあれ。東方勢力は内部で綻びが生じ、ひいては貴方の一族が衰退していく原因の一つとなり、相手側――西方諸國の陣営を勢いづかせる要因の一つとなった。そして、東方の勢力を纏め上げていた……通称"白の(オゥルォ)"の死亡により、事実上の敗北、というべきなのでしょうか」

 厳密には、東の陣営は敗北していないような印象をコゥーハは受けた。西方諸國に領土の半数近くは奪われたものの、各國の領地の大部分を変わらず有し続け、現在もなお治めている。無論、積み上げられた資料から理由は幾つも考えられた。終戦後まもなくして、西方諸國の先導者たる……通称"黒の(オゥルォ)"の失踪による内部分裂、戦後も続いた東方諸國の同盟ひいては強い繋がりが相手を悉く退けていった点、『先の大戦』の渦中で亡くなった先代賢大僧正(オルヤンクル)の跡を継いだ現賢大僧正(オルヤンクル)、ワーベ(オゥ)の類稀なる手腕により各地に散らばった火種が消えていった点、等々。ベナウィに締め括られコゥーハは頷くも、最も気になる疑問が宙に浮いている事に歯がゆさを感じる。

 ハクオロの顔にある物と酷似した白い仮面。東方陣営に関係する棚の奥に収められていたソレは、コゥーハ達が読んできたどの文献にも関係する記述は存在しなかった。だが険しい表情のコゥーハとは違い、進捗はあったと、無理に視線を逸らすようにベナウィは最後の書簡に目を通し始める。

「きっちりと整理されたこの部屋から察するに。アトゥイ殿は関連性の無いと思われる物を同じ棚へ収める御方ではないのでしょう。ならば、この仮面も大陸の東方に関する物と見るべきでしょう。それが分かっただけでも成果があったと――……」

 発光石の光に照らされた、青みがかった黒い瞳が大きく揺れる。同時に、ベナウィの手から木簡が滑り落ちた。

 乾いた音を立てて撥ねる木簡を拾い上げるも、動揺を隠すつもりのない相手の横顔にコゥーハはくっと眉を上げる。断りを入れた後、無反応なベナウィの隣でさっと内容に目を通し、同様に大きく目を見開く。

 日記の類と同じ場所に収められていた木簡。間違いなくアトゥイの筆跡で書かれた文章の題は、こう書かれていた。

 東西の、二人の(オゥルォ)について。『先の大戦』において、二大勢力の実質的な指導者たる二人――だというのに、名前が記されていない二人の(オゥ)についての詳細が纏められていた。その一人、"白の(オゥルォ)"と呼ばれる彼の記述から、コゥーハは目を離せずにいる。

 齢は二十後半、青の服を纏い、手に鉄扇を持ち、奇妙な白い仮面を被った男。その男、類稀なる知識で國を豊かにし、時には恐ろしい戦術で相手國を滅ぼし、稀に戦場へ出てきては鉄扇を振るう。男は滅多にヒト前へと姿を現さなかったが、彼の言動は周囲に畏怖の念を抱かせ、次第に彼を中心に一大勢力が出来上がっていく。

 まるで、とコゥーハは思わず言葉を漏らした。

「ハクオロ様ですね」

 記されている事は決して、全てがハクオロに当てはまっているわけではない。少なくともコゥーハの知るハクオロは、ヒト前にしょっちゅう現れては臣下や民との交流を行い、時には彼らと酒や茶を酌み交わし、稀に侍大将の怒りから自分を隠してくれと懇願する御仁である。だが、目を捉えて離さない文章は、すべてを集約しているとさえ思わせる、奇妙な感覚だとコゥーハは唇を指でなぞる。溜飲が下がったかの如く……これら凡てがハクオロであり、自分の知らないモノ総てが埋められたかのような、胸の空く思い。何一つ解決していないというのに、これ以上の調査は必要ないのではなかろうか、と無茶苦茶な思考を表にしかける。刹那、頭に走った激痛と強烈な吐き気にコゥーハは躰を丸めた。

 右手に広がる黒い血を咄嗟に隠したコゥーハを睨み、ベナウィは乱れた机を整理しつつ相手の言葉を否定する。

「まさかとは思いますが。聖上が、ここに書かれている"白の(オゥルォ)"だと?」

「そ、それは」

「その推測はあまりにも無理があると、貴女にも判るでしょう。仮に該当の人物が御存命だとした場合、トゥスクル様以上の年齢になります。しかし聖上の御体は二十代、多く見積もっても三十代としかお見受けできません」

「…………」

「"白の(オゥルォ)"の子孫か、彼に纏わる一族を調査する事が妥当かと思いますが」

 ベナウィの論は正しい。少なくとも、自分は間違っている。

 だが、しかし、そんな逆接がせり上がってきては、声にならずに消えていく。

 視界が揺らぐ、胸が疼く、喉が灼かれるような痛み。炎の如く鮮烈な赤色が一面に広がり、抉られた傷口を庇うように心臓を抑えながら、嗚咽を拾うことなく右足を踏み出す。すかさず動かした左足は、何処を向いているのか分からない。苦しい息を何度吸い込んだのか分からない。ただ、この走るモノの先に()()がある、すぐ側まできている確信がある、と……血まみれの手を伸ばした彼女の瞳が金色に変化する。

 警告であるという、直感。手を伸ばした先、もう少しで届くかもしれぬ先には間違いなく"黒い光"が鎮座していた。溢れる"ソレ"はヒトひとり分を隠すには十二分だが、奥にある形見えぬ()()を隠し通すには不十分である。憧憬ではない、尊敬でも崇拝でもなく、思慕とは異とする……覇気とは違う畏れが、如何なる方法を用いてもこの世から排除できない恐怖が、コゥーハの全身を縛る。永らえる人形の指先は主を待つかの如くぴくりとも動かず、生ける死人は呼吸をすることなどとうの昔に忘れている。自由のきかぬ躰なれば、いっそのこそ、意識が飛べば良いものの――不意に思ったコゥーハの脳裏に、一つの光景と既視感が走る。

 トゥスクルの皇城で、ハクオロと初めて顔を合わせたあの日――

 刹那。肩を叩かれた手の重みと、強く名を呼ぶベナウィの声に、コゥーハの意識が引き戻された。

 その場から自分が全く動いていない様にコゥーハは目を揺らす。その隣でベナウィは手を戻し、どこか疲れた様子でため息をついた。

「今日はここまでにしましょう」

 仮眠を取るべきだ、とベナウィは発光石の乗った皿をコゥーハの近くまで寄せる。手と手が触れてしまったことで少量の水がこぼれた事を謝罪し、隠すように素早く手を遠ざけた。その温かさが過ぎる手をコゥーハは強引に引き戻し、反動で立ち上がる。

「左様ですね。自分も少々疲れましたし。"白の(オゥルォ)"については聖上に御報告した後、仰った方向で調査を切り替えるとしまして……"黒の(オゥルォ)"については、"シトゥンペの民"の記述にある(カムナギ)に幾つか似た特徴を持つ女性であることからして、関連性を一応調べるという方向で」

 水出しですが、お茶をいれましょう。提案に頷いた相手にコゥーハは軽く眉を上げる。懐から取り出した薬をお茶と混ぜ、そっとベナウィへと渡した。やや赤い顔でそれを飲む相手に更に眉を顰め、汗でみっともなくなっている表情を、発光石の光と水面を利用して直していく。

「苦いでしょう」

「確かに。私も、少々疲れているようですね。一杯のお茶がこうも苦く感じるとは」

「ええ。そうでしょうとも。何事も無理はいけません」

「……。また、何か」

「御安心下さい。睡眠薬では御座いません、ただの風邪薬です。尤も、副作用で眠くなることも御座いますが」

「…………不覚でした」

 簡素な折り畳み式の寝台へとベナウィを押しやり、コゥーハは椅子に再び座る。案の定、寝るものかと言わんばかりに寝台の端に座る相手を微笑し、やや怖い目を見つめる。

「何か仰いたいようですが。貴方が寝る間までであれば、お付き合いしますよ」

「この部屋は。本当に十年程前から誰も立ち入っていないのでしょうか」

「と、仰いますと?」

 月光に晒されている空の棚へと目を移し、ああ、とコゥーハは頷く。たった一点だけ収められていた木簡を広げ、そっと目を凝らす。

「知り合いが入って書物を持ち出したようですよ。かなり高い確率で」

「何を」

「勿論、禁忌を」

 躊躇いはなかった。流暢に話すコゥーハの心に引っ掛かるものが無いわけではなかったが、此の部屋に足を踏み入れている以上、隠す必要もないだろう、と片隅で笑う。

「術法の基本構造を明確にした文献です。『術法を誰もが使えるものにできれば』アトゥイ様が時々仰っていた言葉です。研究されていたとしても不思議ではありませんし、彼もそれをよくよく理解していた。ご丁寧にも同じ術法を入口に掛け直しているあたり、封印(リィ・ヤーク)についてのものなのでしょう」

 受け取った木簡に目を通すベナウィの顔に、明らかな緊張が走る。複雑怪奇な難文に戸惑う様子とは異なる、ひりひりとした視線と警戒が滲む咳払い――喉を突き、先の言葉を切って掛かる相手をコゥーハは一瞥し、強気のまま押し通る。

「……左様です。誰しも術法が使えるようになれば、オンカミヤリューは専売特許を失ってしまう。また、骨組みが分かれば術法の対策も見えてくるかもしれない。つまるところ、オンカミヤムカイの威厳と脅威が失われる事態になり兼ねない」

 無論、他の要因も鑑みると可能性ははかり兼ねる。だが零であるとも言いきれぬ、というのがコゥーハの個人的な意見である。実際、術法の修行方法や研究に関してはオンカミヤムカイの戒律や統制は厳しい。誰しも身につけられるという術法ではあるものの、その修行方法さえ金を積んでも満足には手に入らない現状である。それに関して、知り合いは強い疑問と懸念を示していたものだ、とコゥーハは思い返す。

 白い短髪に、白い両翼、まげることのない背中の先、ほんのりと赤みを帯びた黒い瞳は妙な自信と好奇心をちらつかせる――本当に何処へ行ったのだろうか、とコゥーハは小さく息を吐いた。

「知りたいことは全て知っておきたい、たとえ教えに背いてでも。好奇心の前では、オンカミヤムカイの禁書を無断で持ち出す程度の軽い事を平然とやってのける。彼はそんなヒトですから――振り返ってみると、彼が此処へやって来ること自体は、全くもって不思議ではありませんでしたね」

「……」

「おや。それ程までに気になりますか? 男の嫉妬ほど醜いものは御座いませんというのに」

 適当に軽口を叩いたつもりが、存外食いついてきたのか――眠さを断ち切るように前のめりに姿勢を変えた相手に、コゥーハは悪い汗が垂れたことを感じる。薬を多めにしておくべきだったか、と反省しつつ、話す流れになりつつあることもまた、同時に感じていた。

「尤も――……いえ、違いますね。結局。彼は」

 中途半端に傾けた木筒に目を落とし、艶やかに光る唇をコゥーハはおもむろにはなした。

「彼が……ディーが最後にさがしていたモノを、私は全く知りませんでしたから」

 くっと上げた木筒が眩く光り、同時に色濃い影がコゥーハのそれと混ざった。

 

 

 

 

 

◆◇




用語が間違っておりましたので修正しました。申し訳ありません。2024/12/21
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