うたわれるもの 琥珀の軌跡   作:ななみ

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四章
泥濘


 時は夜明け前。皇城下層、置かれた発光石の灯りは、通り過ぎる影によって激しく明滅している。

 トゥスクル皇城内は慌ただしい。普段以上にピリピリとした緊張と怒声が満ち、騒がしい足音が途絶える気配はない。

 仄かに薄暗い廊下、ひしめきあう足跡の上をコゥーハは通過していく。胸当てを付け直し歩く彼女の後方、三人の部下がそれぞれの面持ちで続く。

「ワッカ。すみませんが」

 ここ数日に起こった出来事を確認したい。言ってきた上官に、ふむ、とワッカは訝しむように首を傾げるも、至って真面目に回答を始める。

「三日程前。丁度、オンカミヤムカイの使節団が祖国へ御帰国されてから三日後、シケリペチムの使者が来たことはご存知ですか」

「ええ。一方的な降伏勧告だったと」

 ワッカは頷き、言葉を続ける。

 ハクオロは刃向かう意思はないことを伝え、使者を一旦返した。しかし昨日、南西部の國境近辺にあるウパッコの関がシケリペチム軍の侵攻により陥落。数は約六千、明日にもシシハル、キヌハンの両藩への侵攻が予測されている。

 思ったより侵攻が早い、呟くコゥーハの瞳に影が落ちる。

「まるで――」

 ハクオロがそういう判断をする事を、予想していたかのように。コゥーハは口にしかけるが、考え過ぎだと心中で嘲笑する。手甲を直し、ぐっと走る痛みで眠気を吹き飛ばながら、別の部下の名を呼ぶ。

「パララ」

 返事がない相手に、コゥーハの茶色い耳が上がる。

「パララ?」

「あ、ああ……すまん。それで、なんですかい?」

 注意を促すも、曖昧な頷きにコゥーハの眉が大きく顰められる。初めての戦で緊張しているのか、不安なのか……憶測を巡らせるが、ずっと俯いたままの相手をそれ以上責めることはせず、本来の目的へと目を向けさせようとする。

「総大将の指示は?」

 え? と呆けるパララに、聖上のことですよ、とコゥーハは付け加えた。理解したのだろう、あ、ああ、と肩を震わせ、パララは姿勢を正す。

「キヌハン、シシハルの軍勢を撤退させ、後方のホゥホロ城に集結させるように、と」

 城はそのまま放棄。『蜘蛛の子を散らすように、いかにも相手に恐れをなし、命惜しさに逃げ出したような感じ』に撤退し、三日間ホゥホロ城を死守させよと命を出した。と説明したところで、パララは舌打ちした。

「ったく分からねえ。何でみすみす城を渡すかね」

「……」

 しかも陣をそのままって、パララの語気が強くなる。

「あいつら確実に城を使いやがる」

「使うでしょう、ね。使わぬ短所が見当たりませんから。そのような状態でホゥホロ城を死守とは――もしや」

 口に手を当て、コゥーハは質問する。

「ホゥホロ城の指揮は誰がされるのですか? オボロ侍大将ですか?」

「いや。オボロ侍大将と、ドリィ・グラァ弓衆(ペリエライ)両隊長は、聖上から特別任務があるとかで、現在は皇城にて待機中」

 緩んだ口を隠し、コゥーハはすっと顎を引く。

「では。ベナウィ侍大将ですね?」

 パララは目を丸くしつつも、肯定した。

 ベナウィは各衆の一部を引き連れて今しがた出発。クロウもベナウィと共に防衛の任に当たる。他の隊は主に城の警護、コゥーハの隊も同様だが、コゥーハの指示を待てと指示された、とパララは要約する。

 合流せよ、ではないのか。コゥーハは目を落とし、渡された書簡に目を通し始める。概ねパララが述べた事しか書かれていないベナウィの文章に違和感を覚え、墨色の瞳を小さくする。

「それだけ、ですか?」

「え? ああ、それだけだ。そういやクロウ副長も、同じことをベナウィ隊長に確認していたなあ。副長も、聖上から直接命を受けたはずなんだか」

 ベナウィ達は本当にそれ以外の事を知らされていないようだった。パララの返答の側で、強い力が掛けられた木々が軋む。

「――……」

 踏み込んだ足が竦み、乾燥した泥が音を立てる。握られた木簡は折れていないが、湿った躯体を大きくしならせている。幾重もの思考はコゥーハの全身を巡り、彼女の感情を高まらせていく。純粋なる疑問、全体へ広がる焦燥、他者への憤り――冷静であれ、とコゥーハは諭す。眉を顰め、軽く唇を噛む上官に、三者は三様の態度を示す。一人は哀愁のある瞳を青い布の下へ隠し、一人は不服そうに長い髪を結い直す。そして、おどおどとしている彼……沈黙していたススは、震える手を上げる。

「あ、あの……二つ位、気になることがあるのですが~」

 ススが質問とは珍しい、微笑むコゥーハは至って落ち着いた態度で振る舞う。躰を硬直させている相手に深呼吸させ、話しやすい雰囲気を広げていく。コゥーハの配慮に気付いたのか、ススもそっと肩の力を抜き、ゆっくりと口を開いた。

「お城を相手にあげるなんて、何でなんでしょうか? 使ってくださいって言っているようなものですよね? コゥーハ隊長のお考えを聞きたいです」

「使って欲しんでしょうね。総大将は」

 良く分からない、額当てに付いた布を揺らすススに、コゥーハは問いを投げた。

「ススなら。無傷の城をどのように使いますか」

 熟考した後、ススは両手を合わせる。

「遠いところから来ていますし、拠点にできたらいいですね。お城は大きいですから、倉庫にしちゃって。武器とか、食糧を運んで――」

 食糧、という部分にワッカが眉を顰めた。彼に頷き、コゥーハは歩き始める。

「総大将は、城に運び込まれるであろう敵の補給を絶つおつもりなのでしょう。ホゥホロ城は陽動。キヌハン城を陽動として使用しない理由は、城の構造と周辺の地理を考えると、三日も持たないと判断は適切かと。また、ホゥホロ城は天然の要害。籠城するには適した造りです」

 問題は――首を振るワッカに、そう、とコゥーハは頭を巡らせる。

「如何ようにして絶つのか、自分めの頭では想像し難い。兵を大きく動かすわけでもなく。しかし、聖上が三日と定めた、となれば期限内に決着を付ける筈」

 おそらく城に細工を仕掛けるのだろうが……その答えが、自分を呼んだ事と関係しているのか。言いかけ、コゥーハは口を噤む。舌に乗った溜飲を辛うじて抑え込み、ススにもう一つの質問は何かと訊ねた。

「その……皇城に人が多く残っている気がするんですけど……こんな時に、良いのでしょうか」

「成程」

 同様にパララも指摘したため、コゥーハはくっと眉を動かす。

「このような事態だからこそ、皇城の守りを固めるのは当然でしょう」

 それと、とコゥーハは彼女に反論の隙を与えず畳みかける。

「ベナウィ侍大将も納得し、聖上の最終的な決定であるのでしょう? ならば、問題ありません。貴方達はそれに従いなさい」

 だがよ――パララの叫びに近い声に、コゥーハは目を閉じた。書簡に綴られた概要から逸らすように。

(……確かに。幾ら防衛戦にアレが強いといえど、この兵力差で三日は)

 乾いた唇が震えた事をコゥーハは自覚する。振り払うかの如く首を強く動かし、固い外套を直す。

「少なくとも、それは一兵士である貴方方の仕事ではありません」

 己に言い聞かせるように、コゥーハは大きく口を動かす。

「それを聖上に申し上げるのは、自分めの仕事です」

 再び歩みを止めた場所、丁字路の分岐からコゥーハは二方を見つめる。等間隔に置かれた発光石の光は、綺麗な線対称を描き出していた。光も、影も、窓から漏れる星明りさえ……震えた口元を抑えた手で、コゥーハは剣の柄を掴む。

 あっしたちは――指示を仰ぐ部下に、コゥーハは命令する。

「現在と同じく待機。自分の指示を待って下さい。しかしすぐに出陣することになると思いますから、準備は抜かりなく。自身のウマ(ウォプタル)の様子も含めて入念に行うこと。時間があれば仮眠をとってください」

 コゥーハも休むべきでは、と心配するワッカに、道中で仮眠は取りましたから、とコゥーハは人差し指で頬を突き、微笑する。

「自分めの装備やウマ(ウォプタル)については、気を遣う必要はありません。以上の事は、他の隊へも伝えて下さい。各担当は、先日の演習通りに」

 三様の表情を浮かべつつも、了解、と部下達は頷いた。上官の一振りで各々の歩みで来た道を戻っていく。

 さて……。墨色の目を瞑り、重い瞼を持ち上げたコゥーハの瞳は、一瞬金色に輝く。

「戻れぬ道か」

 "黒い光"が埃に交る光景に息を吹きかけながら、コゥーハは影に顔を埋める。呟いた言葉は共に沈み、若草色の外套の下へと隠れる。否定するかの如く、すっと翻したコゥーハの墨色の目は、踏みしめる足と同じ強さで前を見据えた。

 

 

 

 

 

 禁裏へ続く廊下に見張りはいない。異常に静かで冷たい景色が、無慈悲な足音を一層引き立てる。人払いされている事を認識し、だからこそ、側を通過しようとした男に鋭い視線をコゥーハは向ける。

「おや? 何故ここに、義叔父(おじ)上がいらっしゃるのですか?」

 懐から取り出した小刀を首に突きつけられても、チキナロは微動だにしない。赤い血が滴っているというのに怒りもせず、細い目で普段通りの微笑みでコゥーハへと視線だけを向ける。

 ハクオロ(オゥ)に依頼された品を届けた帰りである。説明したチキナロに、コゥーハの手が震える。

「聖上に何を届けに来たのですか?」

「推測は大いに結構ですが。何も申し上げることはございません。お客様の信用に関わりますなれば」

 相変わらず。とコゥーハは得物をしまい、相手に頭を下げる。断る相手へ強引に傷薬を手渡し、改めて非礼を詫びた。

 しかし解せない、とコゥーハは心中で吐き捨てる。此処は正門からも裏門も遠くなる道。まるで――

「それで。自分めに用がおありでしょうか」

「……」

 首へ巻く包帯をきゅっと締め、チキナロは細い目をすっと開く。

「コゥーハ。――いえ」

 貴女は。大きく開かれた瞳が、言い直した相手の言葉が、コゥーハの関心を更に煽る。

 廊下に抜けた風は既に無く、埃臭い空気が床を覆っている。落ちた墨色の髪はゆっくりと落ちていくが、手の平に走る汗は全く動かない。

 ぞくり、とコゥーハの背筋が粟立つ。心を穿つ双眸は吸い込まれてしまいそうな程に深く、底を窺うことが出来ない。真正面から見上げも見下げもしない男は正しく彼なのであるが……商人とは違う、義叔父とも異なる、距離。他人行儀であり、しかし空いた穴の先を見ているかの如く虚無感が、鋭利な刃物よりも鋭く感じる。"番人"を利用しにやって来た者達に通ずる、否、それよりも恐ろしさを含む気迫は、コゥーハが踏みしめている泥の音に混じり消えゆく。

「今後とも、あの方にお仕えするおつもりですか?」

「……?」

 は? 思わず口にしてしまい、コゥーハは咳払いで誤魔化す。尚も表情を崩さない相手に、異なことを仰いますね、と呆れを隠さず肩を上下させる。

「まさか、これから戦に赴くであろう自分の事を気遣って頂けるのですか?」

 まさか。以前、茶屋で話した事――現在の立場を全て棄て、自分と一緒に来ないかと言い出すのではなかろうか。コゥーハは目を泳がせるが、静かに首を振る。確かに、自分は断ったはずだと記憶を探り、はっきりとは伝えていなかったと視線を落とす。しかしながら、再度問い正してきたにはあまりにも婉曲が過ぎると同時に思う。

 沈黙を続ける相手にますます奇妙さを感じ、ああ、とコゥーハは更にとぼけてみせた。

「念のために申しておきますが。決して隊長にお仕えしている訳ではありませんよ。自分はハクオ――」

 突如襲われた吐き気に、コゥーハは柱を叩く。滴る黒は罅にめり込み、擦れた服は強く背中を引っ掻き回す。ぐらりと揺れた頭は視界を曇らせ、瞼の裏側が深い影を映し出す。

 暗く、長く、とぐろを巻き、首を、頭を、心の臓を拘束する。呼吸が止まる、思考が静止する、脈打つ音が感じられない――身体を束縛する楔は身体中に深く刺さり、伸びる二つの鎖は前方へと向かっている。その一方、彼女の一歩先の所で、強い音がソレを切断するかの如く打ち込まれる。

(――っ)

 ふっと我に返ったコゥーハの全身は、酷く汗ばんでいた。が、幸いにも口に血の味はほとんどなく、頭のふらつきもそれ程激しくはない。柱に垂れる血の垂れ具合からして数拍も経っていないことに胸を撫で下ろし、失礼、とコゥーハは体勢を立て直す。

「とにかく。自分は、聖上にお仕えしているのですよ。此処を離れることはありません」

 仕込み杖の刃を見ていたチキナロは納刀し、目を閉じた。付いた杖から生じた砂を噛む音は、茶色の耳を揺らす。

「左様で、御座いますか」

 チキナロは目を細め、実はコゥーハが別件で頼んでいた品に関して話があったのだ、とニッコリと笑う。

「ご依頼の書物は、兵舎のお部屋に運ばせますので。それをお伝えに参りましたのです、ハイ」

「おや。義叔父上が持って来て頂くものと思っていましたが」

 商品を仕入れるべく、近々ここから離れるつもりのため、都合上何かと忙しく。このような時期と場所でお伝えするのは、とは思ったが……商人の謝罪に、できれば早くと言ったのは自分だからむしろありがたい、とコゥーハは微笑する。

(少々、早すぎる気も致しますが。これから西方へ行くとするとなれば、別段不自然ではありませんか)

 受け取った木簡の紐を解きながら、コゥーハは頷く。薬草に関する基礎知識が書かれた本の一覧に目を通し、何ですか、その目は? と口を尖らせ、見つめてくる相手に向って怪訝な意を伝える。

「自分は記憶力には自信が御座いますが。古い記憶も、更新しなければ錆びつくものです」

 それに、基本に立ち返る事は重要なことだとコゥーハは目を伏せる。

「初心を忘れず、知を求めることを止めず、常に探究者であれ。さすれば、新しきモノが生まれ続けるこの世(ツァタリル)、杯が渇くことはない」

 己に言い聞かせるかのように呟いていたアトゥイの言葉を思い出し、コゥーハは復唱していた。おかしな御仁だった……文字通り吐き捨てた、らしいといえばらしい義叔父の言葉に同意し、苦笑を引っ込めた。

「義叔父上」

 杖を突く音が遠ざかる廊下、数歩先を行く背中にコゥーハは声を掛ける。若草色の外套は微風で持ち上がり、しかしすぐに端は落下した。周囲が放つ重い空気に、同調するかのように。

「あまり怪しい動きをされると。調べますよ」

 チキナロの羽織が、ゆらりと翻る。一介の商人が見せた横顔、それはひどく薄く、冷たく、挑戦的な――否。

「これは御親切に。御忠告、感謝致します、ハイ」

 上から見下ろす笑み。コゥーハの足は無意識に半歩後退る。御随意に。そう言ったような自信を秘めた視線が、コゥーハの背筋に冷たいモノを走らせた。

 (わたくし)からも一つ。義叔父として、でしょうか、と歯切れの悪い表現とは対照的に、チキナロは優しい微笑で息をつく。

「嘘は、もう少し上手くつきなさい」

 返す言葉が無かった。息を呑み、情けない笑い声を噛みしめながらコゥーハは天井を仰ぐ。思わず上下させた肩の側で、さながら降参したかの如く両手を振った。

「全く……。義叔父上には、勝てる気がしません」

 誰もいない廊下をしばし見つめた後。冷気が這う廊下を、コゥーハは再び歩み始めた。




謝罪:
更新が遅れてしまい、お待ち頂いた方に申し訳ありません。
お読み頂きましてありがとうございます。

一部描写をカットおよび修正致しました。申し訳ありません(2015/12/15)
地名が間違っておりましたので修正致しました。本当に申し訳ありません。(2017/1/29)
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