うたわれるもの 琥珀の軌跡   作:ななみ

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両義

 以前に来た時と同じく、目の前にある階段は広い幅を有している。目的地の真下に辿りつき、そう思いながらコゥーハは深呼吸した。襟を正し、欠伸をしかけた自身の頬を叩き、白い光が降りてくる場所を見上げる。

「総大将」

『コゥーハか』

 失礼します、と頭を下げ、コゥーハは足を伸ばす。が、掛けた片方の足は頑なに廊下と密着したまま動こうとしない。

 禁裏とは、誰もが自由に出入りしても良い場所ではない。故に、ハクオロはコゥーハをそれだけ信頼している証とも取れる。しかし同時に、何故自分が此処へ呼ばれたのだろうか。これまでのやり取りから、単なる疑問と不用心ではないかという諫言が、複雑に入り組んだ心からこぼれ落ちる。同僚数人に確認を取り、自身も腹に据えたはずだというのに、今更というべき感情が、足枷の如く付いて離れない。

(……)

『どうした?』

 返答もせず、足音もしない階段に、ハクオロの声が響く。しばしの後、動きのない階下に息が響き、わかった、と呟き部下へと命令する。

『入れ』

 はっと現実に引き戻され、コゥーハは慌てて了解の意を取った。重い足を引き摺りながらも、努めて足早に階を上る。

 最上段で礼を取るコゥーハに、外を見ていたハクオロが微笑んだ。

「全く。お前も固いな」

 むっとしてしまった表情を隠すコゥーハに、何も見ていないとばかりの態度でハクオロは周囲を見渡す。

 コゥーハの正面に文机と小さな発光石、側に筆記具や常備薬を入れる棚、階段隣から奥に寝台。照明を除けば、それ以外の装飾品はほとんどない。エルルゥが以前言っていた通り、貴重な物が無いのか、簡素な部屋――平時ではないとはいえ、自身を飾らない(オゥルォ)らしい、とコゥーハは評した。

 窓の欄干に掛けていた手を離し、ハクオロはコゥーハの左側に立つ。

「すまなかったな。突然呼び戻したりして」

「いいえ」

 相手を促した先。机の前に座りながら、ハクオロは地図上に鉄扇の端を置く。

「戦況は解っていると思うが。一応確認する」

 

 

 

 

 

 コゥーハが聞いた通りの内容を、相手の問いに答えながらハクオロは具体的に説明していく。シシハル、キヌハン両藩の兵力の引き上げおよび城の放棄、後方のホゥホロ城に集結させ、ベナウィが率いる兵に三日間死守させる――一部の人間にしか明かしていないが、ホゥホロ城は陽動だという事を、ハクオロははっきりと断言した。その間に、放棄した城に運ばれるであろう物資を叩くとも。眉を顰めるコゥーハに対しても目の色一つ変えず、ハクオロは淡々と続けていく。

「城に仕掛けをする。仕掛けを行う任務は、オボロとドリィ、グラァに任せる事は、ベナウィにも伝えてある。城への侵入および逃走経路については私なりに考えてみたが、後でコゥーハの意見を聞きたい」

「……」

 奇妙な言い方だ。とコゥーハは口に手を当てる。だが、話が残りの兵の編成へと移ったために、思考を中断せざるを得なくなる。

 皇城や皇都に兵力をある程度置いてるのは、國内で燻る反勢力や他國への警戒であるとした上で、ハクオロは南部に展開している兵力について話題を切り替える。

「これはコゥーハも気になっているだろうから、今伝えておくが」

 隣國と停戦を結ぶ予定である彼の國へ探りを入れていた兵士の遺体が、ようやく発見された。彼の側から見つかったという太刀の鍔だと差し出され、コゥーハは唇を噛む。トゥスクルの物ではない、他國の物である紋様が施されたそれに、顰められた眉がますます皺を作る。

(……シケリペチム)

 彼の死が侵攻に関わっていたのか、これを残した者の意図は、亡くなった彼への疑い――推測は尽きないが、現状、精査する時間は無い。とハクオロは腕を組む。

「南部の兵力は、少なくともこの件では割けない。三日で間に合わないのもあるが、この状況、仮に動かした時の収穫と最悪の事態を想定した場合、どちらが良いかなんてのは、コゥーハには一目瞭然だろう」

「ですが」

 コゥーハは口を強く押さえる。感情的に荒げた口調に心中で己を責め、相手へ謝罪する。一方、鉄扇を持つ手の向こう側で、小さく吹き出したハクオロは微笑を引っ込めた。

 いや。すまない……目を瞬かせているコゥーハに、予想通りの反応過ぎて困った、とハクオロは鉄扇を僅かに広げて顔を覆う。

「構わん。言ってみろ」

 パチン、という音が部屋に爆ぜる。表情が消えたコゥーハの正面、星明りできらめく浅黒い染みを手元に手繰り寄せながら、ハクオロは睨むようにすっと顎を引いた。

「時間なら少しだけある、問題ない。それとも」

 命令するべきか。揶揄を含む一言に、コゥーハの身体が動いた。墨と紙の匂いが揺れ動く上、幾つもの印が並ぶ地図を見据える心中では、無数の情報と数が飛び交い始めていく。

 幾拍過ぎたのか、分からない。だが、コゥーハは唾を飲み、努めて冷静に言葉を置いた。

「ホゥホロ城へ充てる兵力が、少な過ぎるのでは、と。……いえ」

 無言で目を細めるハクオロから目を逸らし、コゥーハは言い直す。

 國内の叛乱を危惧して、との事だが。先日の賊の鎮圧を鑑みても、警護に兵力を割き過ぎである。それよりも、この件で重要になる陽動に多く兵を投入することで、相手に陽動であると悟られないよう仕向ける必要もあるのではないか。

 今なら何とか間に合うか……ハクオロは独りごちるが、微笑みながらコゥーハの目を覗き込む。

「ベナウィが心配か?」

「っ――」

 頬が引き攣るのをコゥーハは自覚しつつも、ハクオロの問いには婉曲的に是で答えた。

「些か。戦記を拝見する限り、アレが防衛線に長けているのは明らかでは御座います、ですが、今回はあまりにも兵力差があるかと。城の周辺の地理を考慮しても、三日持つかどうか。仮に早く瓦解し、策が失敗すれば」

(私は)

 喉に引っ掛かり、コゥーハは言葉を切った。

 何を恐れているのか。何を焦っているのか。ハクオロの前で、感情に突き動かされ、留める物さえ零れ落ちていく、感覚――無意識に擦っていた指輪から手を離し、コゥーハは吹きゆく風で短髪を揺らす。

「……失言でした。どうかお許し下さい」

 言えと言ったのは此方だから、気にすることはない。穏やかな声とは対照的に、コゥーハの頭は深々と下がる。墨色の髪が床にいつまでも垂れている様に溜め息を吐き、さながら独り言のような小さい声をハクオロは漏らす。

「話すべきか、悩んだが」

 下りた髪の内側、墨色の目が小さくなる上で、抑揚の無い声が押しあがる。

「実は。あらかた指示を出した後、派兵の具体的な人数について詰めたんだが」

 あいつは――くっと口を固くし、ハクオロは静かに語り始める。

「ベナウィが。あの人数で三日間護ってみせると言ってきたんだ」

 

 

 

 

 

◆◇

 

 

 

 

 

 豪語ともいうべきベナウィの宣言に、その場にいた一同に緊張が走ったのは語るまでもない。ハクオロが思わず息を呑んで、数拍。数人の小さなざわめきと話声を切欠に、張りつめた糸は動揺という名の音を奏で始める。

(両藩とベナウィの関係は悪くない、が、別段良いという訳でもなかったはず。クロウや信頼する精鋭を連れて行くことは違いないだろうが、あまりに)

 少な過ぎる。オボロの意とハクオロの心中が重なる。決して自分だけではないはずである――視線の先、茶を持ってきたエルルゥは勿論のこと、ベナウィの腹心であるクロウでさえ、視線が泳いでいた。

(……)

 考え込むように口元へ手を当てたクロウから目を離し、ハクオロは冷ややか目をベナウィに向ける。

「ホゥホロ城は重要な拠点だ。落ちたら最後……お前の驕りで國が滅んだとあっては、民にどう申し開きするつもりだ」

「……」

 巫山戯ているのか、と今にもベナウィに噛みつきそうなオボロを制しながら、ハクオロはベナウィが差し出してきた書簡に目を通し始める。防衛の基本方針や、割り当てられる兵数、演習内容の報告書――一見すると、相手の提案に納得しかける中身だが、見る者が見れば突っ込みどころの多い全体に、ハクオロの口がきっと結ばれる。各所へ指示を出していた際に認めていた急ごしらえの物であることは理解しているが、普段のベナウィとは思えぬ稚拙さが鼻につく。

「エルルゥ」

 書簡の内容を踏まえた上で、他所への警備に兵を割いてはどうかと提案してくるベナウィの話を半分聞きつつ、ハクオロは小声でエルルゥに訊ねる。

 ベナウィの風邪は完治している事を確認し、そうか、とハクオロはエルルゥに礼を述べる。改めて周囲を見渡し、賛否の声に耳を傾け――問題はないだろうと提案を推す面子を確認した。

 緩んだ口を隠すことなく、ハクオロは鉄扇を握った。

「成程」

 自分と同じ顔をしているクロウへ目を移し、ハクオロは意見を求めた。多少の不安が垣間見れるが、落ち着いた様子でクロウは頭を下げる。

「自分は、総大将の命に従うまでです」

(さて)

 何処までが本当なのか。思わず苦笑がこぼれそうになった口で咳払いをし、私から見れば、少な過ぎるとは思うが、とハクオロは書簡の上で鉄扇を仰ぐ。

「そこまで言うのであれば。良いだろう。こっちとしても、後々のためにも助かるしな」

 だが――

 ハクオロは鉄扇を閉じ、天高く上げたそれを、一気に振り下ろす。

 机の木簡が、真っ二つに割れた。想像以上に響いた音に合わせるように、ハクオロは大きく息を吸う。

「できませんでした。とは言わせんぞ」

 奥底から突き上がった、低音。静かではあるが、あからさまな苛立ち。普段のハクオロからは見られないこともあり、部屋は一瞬にして凍りついた。怯えるエルルゥにはそれとなく微笑み配慮しつつも、相手のただ一点――散らばった木片に目を落としたまま、顔色一つ変えないベナウィを見据える。

「御心に感謝致します」

 おもむろに、ベナウィは顔を上げる。その折、端正な口が一瞬動いたようにハクオロは見えた。

 

 

 

 

 

◇◆

 

 

 

 

 

「あの後。オボロを落ち着かせるのが大変でな」

 さて。居住まいを正しながら、からかうような調子でハクオロはコゥーハに質問する。

「それでもお前は、ベナウィの事が心配と思うか」

「ですから――」

 息を吐き、付きあわされる羽目になったクロウや同僚達が心配だとコゥーハは肩を落とす。

「隊長の提案に同意していた面々と申しますのは」

 ハクオロが挙げる名前に、ふむ、とコゥーハは耳と尻尾を上げる。

(やはり。アレが侍大将に留まらせている事を良く思っていない方々、ですか)

 宜しいのですかとコゥーハは姿勢を正した。そんな相手を一瞥し、言い方が悪かったか、と不快感をちらつかせながらハクオロは地図を見下げる。

「既に決めた事だ。曲げるつもりはない。改めて目を通したが、クロウがいるなら、無理ではなかろう」

 かなり賭けに近いところではあるが。一個人的な見解を付け加えてみせたハクオロに、コゥーハも同様に返した。

「訂正致します。御二人をお信じになるのであれば。増援など必要ないのでは、と」

 自分も伺い方が悪かった、とコゥーハはくっと眉を動かす。

「アレは決して、出来ないことは申し上げません」

「何が言いたい」

 隊長の御意思はさておき。前置きし、コゥーハは真剣な面持ちで続ける。

「現在の、この状況を回避すれば。聖上はある一定の評価を、ベナウィ様に行わなければならない。違いますか」

 その実は陽動とはいえ、シケリペチムの侵攻を食い止める重要な任である。地の利があるものの、こちらの十倍近くの兵力を一気に引きつけ、最低でも膠着状態を維持することは並大抵ではない。故に、少数の兵でなおかつ犠牲が少ない状態で全うすれば、ハクオロを始め周囲はベナウィの実力と忠義を一定水準認めざるを得なくなる。ベナウィの発言力が増すとまでは断定しないが、現在の地位は揺るがなくなるだろうと推測できる。

「それがどうした」

 にべもなくハクオロは復唱する。愚問だな、影の中で南の空を見上げる(オゥルォ)の笑みは、歓笑か、嘲笑か、苦笑なのか……コゥーハには判断がつかない。ただ、振り返った時に合った横顔は寂しげな微笑を、しかし芯の強い視線がコゥーハの心を強く惹いた。

「第一。彼の任を押し付けた時点で、私の意は決まっている」

「――……」

 失望させないでくれ。落胆を口にし、ハクオロは机上の物を片付け始める。

「まあ。ベナウィからしてみれば。他の側近達に配慮して、特別扱いしないでくれと言ってきたんだろう。別にそんなつもりは無いが、各所からの不満が募っているのは自分も承知しているからな。これを機に多少緩和させて、次の法を通させやすくする意図もあるのかもしれん」

 さて。という言葉の先を呑みこみ、コゥーハは視線を逸らす。

「私には、後の事はお任せしますと、遺書のようにみえなくも御座いません」

「さっきと言っている事が違うではないか」

 左様ですね、と耳を下げるコゥーハに、お前の評価は下げる必要がありそうだ、とハクオロは腰に持って行く鉄扇を握る手を強くする。

「安心しろ。城が落ちた場合の手は、既に二手三手打ってある」

 尤も、コゥーハに教えるつもりは現在のところはない。鉄扇から手を離し、机の下から持ってきた大きな盆を机に乗せるハクオロの瞳に感情は無い。無機質な白い仮面も相まって、抑揚の無い平淡な声がコゥーハの身体に寒気を走らせる。先程の表情は微塵も存在しない。あらゆる感情を削げ落したかのような白い唇が、地図へ走らせる黒い視線が、妙な安心と確かな畏怖が、真綿で首を絞めるかのように留まり、離れない。

 無意識に広がっていた三つの尻尾を片手で束ねながら、コゥーハは布が掛けられている盆を見据える。姿勢を正したハクオロに、本題に入る事も理解する。

「今回。コゥーハを呼び戻した理由だが」

「城に運ばれるであろう物資を叩く方法……いいえ」

 白い布へ手を伸ばしたハクオロの手を、コゥーハはじっと睨み続ける。新月に近い故か、指輪をしていても判る、空中に漂う"アレ"を。

「城を一気に落とす細工の絡繰りについて、ですか」

「参った、な」

 これが、答えだ。ハクオロの声と共に、はらり、と白い布が舞った。

 盆の上には、十数種類の鉱物や薬草、数種類の液体が並んでいた。いずれも薬師(くすし)なら一度は見たことのある物ばかり。薬の材料が並んでいる、ただそれだけの光景。しかし――

(……――)

 それらの組み合わせと分量がコゥーハの記憶を呼び覚まし、純粋な恐怖を駆り立てる。

 耳を劈くような轟音と、皇城の天井まで達する火柱。松明の何百倍、オンカミヤリュー族が放つ術法も比較にならない大きさと強さを兼ね備え、全てを焼き尽くす様を眺めながら、師は弟子達に説明した。

 上唇が震える。息が詰まる。こめかみに生じた汗を自覚し、青い顔で沈黙し続けるコゥーハに、ハクオロは静かに問う。

「コゥーハは。コレの結果を知っているのか?」

 やや間を置き、低く、コゥーハは肯定した。

「禁忌と呼ばれる混ぜ合わせは一通り。師から教わりました。一部では御座いますが、実際に混ぜ合わせた結果も拝見しております」

「……エルルゥは、禁忌の結果を知らないと言っていたな」

「おそらくは。トゥスクル様とアトゥイ様の考え方が違ったのかと」

 毒は毒であり、薬である。全てを知った上で、使うかどうか考え、己で全て責任を持つこと――アトゥイは、危険な発明品と認めた物の製法を口外することはしなかったが、根幹となる原理は、全て弟子達に教えていた。弟弟子であるディーに言わせれば「覚えた事をひけらかしたい子供の心情と同じ」とのことだが、切羽詰まったかの如く細部まで詳しく語るアトゥイに、コゥーハは異なる印象を持つ。

「無知ほど、罪なことはない。なんてことを公言しそうな御仁でしたから」

(しかし)

 固まる頬を伝った一筋の汗は、低い位置から机に落下して消失する。コゥーハの頭の中は、沸いた違和感で飽和しており、心配するハクオロの声が響かない。

 目の前にある禁忌が、先日コゥーハがベナウィと共に整理したアトゥイの部屋にあったモノの一つと同じである事が、奇妙な事に引っ掛かって離れない。

(アトゥイ様の研究が流失している……?)

 ふっと思うも、その答えは適切ではない、とコゥーハは否定する。結果はさておき、混ぜ合わせ自体は他者にも知られている、現にトゥスクルやエルルゥは知っていたし、おそらく宮中にいる薬師(くすし)も同様だろう。ならば、手に走る汗と冷たい感覚は何だというのか。瞳孔が開いている部下の正面で、ハクオロは畳んだ白い布を盆の隣に置いた。

「コゥーハを此処に呼んだのは。この組み合わせと分量で間違いないかどうかを確認してもらうためだ」

 布を掛け直された盆から目を離さず、コゥーハは一つ質問する。

「エルルゥ様には、禁忌(これ)の結果をお教えしたのですか?」

「……いや」

 ややいら立ちを含む否定に、失言でした、とコゥーハは謝罪する。

(エルルゥ様には知って欲しくないということですか。……しかし)

 ハクオロの気遣いが、瞳を曇らせたコゥーハの心を痒くする。

「コゥーハ?」

 申し訳ありません。とコゥーハは小さく首を振った。

(自分が口を出すことでは御座いませんか)

 再び布に手を掛けようとした相手を無言で制し、コゥーハは小さな声で回答する。

「種類、配合、共に。間違い御座いません」

 淡々と答えた部下に、そうか、とハクオロは頷く。白い仮面が月明かりに照らされ、一層白くなる。反するように、背中から黒い影が部屋の床に伸び、一層黒くなる。

 一瞬。その背中が、何時も追いかけていた白い背中と重なる。常に先を行く、指先一つも届かぬ壁が。

 冷たい風が二人の髪を揺らす中。強い既視感は、全身の震えを止めた。いつしか頭を上げていた彼女に、ハクオロは笑った。

「……私が怖いか。コゥーハ」

 見透したかのような黒い瞳と視線が交差し、滅多に揺れない尻尾が床を撥ねた。

 戦術的には悪くない。むしろ被害が最小限で済むため、良策だと判断する。透かされることのなかった感情を押し込め、コゥーハは寂しさを抱きつつ指輪を擦る。

「ええ。怖いです。コレを戦へ転用しようと考えるなど――おじ様のようだと」

「お、おじ」

 その一言に、先程とは打って変わりハクオロは視線を逸らした。口元に手を当てるコゥーハの前でしばし沈黙し、おずおずと口を開く。

「なあ、コゥーハ」

「はい」

「……いや。何でもない」

 意図が分からないと眉を動かすコゥーハだったが、何も言うなと言わんばかりの視線を向け、身体を萎縮させているハクオロに、ああ、とコゥーハは補足した。

「失礼を。アトゥイ様の事です」

「あ、ああ。そうか、そうだな」

 良かった。大きなため息と共に、確かにそう言ったハクオロにコゥーハは大きく首を傾げる。過敏に反応しすぎた、と呟く相手に訊ねてみたくなるが、改めて何でもないと慌てるハクオロを追及することはしなかった。代わりに盆へ目を伸ばし、ゆっくりと切り出す。

「総大将。一つお願いがございます」

 何だ? と問われたコゥーハの視線と声が落ちる。

「コレを製作する任を、どうか自分にお与え下さい」

 恭しく頭を垂れる臣下に、ハクオロの口元が下がった。

「危険な作業だ。万が一にも――」

 ぐっと顔を上げたコゥーハの眉間に皺が寄る。

「その言葉。そっくりそのまま総大将にお返し致します。まさかとは思いますが? 万が一にも失敗すれば命を落とし兼ねない、危険な作業を自らおやりになろうと考えているのですか? 一國の主たる方が?」

「いや、だが」

 そもそも、と。コゥーハはハクオロに弁解の暇も与えない。

「総大将はあまりにも御自身の御命を軽く捉え過ぎです。それが民の信頼を集める理由の一つともいえますが。しかしながら、いくらアルルゥ様がお可愛いからといって欄干から身を乗り出し手を振り、危うく落ちそうになったり。いくら隊長の持ってくる書類から逃げたいからといって塀をよじ登り、危うく落ちそうになったり――」

「いや。あの抜け道を教えてくれたのはコゥーハだったはずだが」

 むむっ。とコゥーハは息を詰まらせ、誤魔化すように咳払いをした。

「と。続きは隊長にお任せすることに致しまして」

「あのな……」

 待て、と声を上げる(オゥルォ)に従う事なく、コゥーハは立ち上がる。盆の中で器が微かにぶつかり合うが、指の一関節さえも布の位置をずらすことなく、盆を器用に持ち上げた。

「待ちません。お許しにならないのであれば、斬り捨てて頂いて構いません。戦が終わった後、いかなる処罰を受ける覚悟もございます。それに、一つ申し上げ忘れておりましたが――」

 墨色の深淵で、金色の光が刹那に過る。

 天候を鑑みると、城ごと()()焼き払うのであれば、少々量が心許ない。息を呑んだ相手を見ることなく、コゥーハは背中を向ける。自分の部屋であれば材料も揃っているし、誰も居ない。部屋にある材料も盆にある物と同種、宮中の物でありチキナロが持ってきた物であると言ったところで、ハクオロは折れた。

「解った」

 しかし時間に余裕はない。できるだけ早く頼む。命じたハクオロに、御意に、とコゥーハは頭を垂れた。

「一つ。伺っても宜しいでしょうか」

 面のように黒く固い顔で、階段の端でコゥーハの足が止まる。見下げる先、入口で頭をもたげたモノが再び膨らみ、心中に押し止めておくことが出来ずに弾けた。

「私を。本当に信用してよろしいのですか?」

「……全く」

 いい加減にしてもらいたいものだ。一喝した言葉とは反対に、彼の口調は水面に投じた小石の如く静かに広がった。水面を滑る波紋が激しく打ち、持ち上げられた発光石の灯りが消えた。薄雲が作り出す暗闇の中、ことり、と机から音が響き、ハクオロはコゥーハの隣に立っていた。

 彼は誰時。コゥーハの肩を軽く叩いた彼は、穏やかな微笑みを浮かべた横顔を見せた。

「やはり。お前への期待を下げる必要がありそうだ」

 コゥーハから盆を強引に引き戻し、ハクオロは音を立てて階下へと降りていく。コゥーハが()()()()()回答に、コゥーハは呆けてしまった。靡く短髪が示す先、晴れた空から差し込む光を浴びるように、部屋の入口で彼は振り返る。

「何をしている。行くぞ」

 何処へ、という愚問に、ハクオロは答えず踏み出す。方角は明るい廊下、コゥーハが来た道へと姿を消した。

 慌てて最後の階を降りたコゥーハの動きが止まる。しばし考えるようにハクオロの背を見据え、廊下の窓に浮く夜明けを見上げる。

「……」

 ハクオロは記憶喪失者なのだという。過去の記憶や自身の名前、赤子の頃から聞かされる神話、大神(オンカミ)についてまでも記憶も失っていた。しかし、どんな学者も思いつかなかった、痩せた土地を豊かにする方法や、薬師(くすし)でもないのに――以前エルルゥから聞いた話によると、薬師(くすし)ならば誰もが知っている毒草に触れようとしたとのことだった――禁忌の混ぜ合わせについての知識を持ち合わせていた。

(彼は……何者なのでしょうね)

 思わず、コゥーハはそっと彼に手を伸ばす。足を走らせる中、心の奥底にあるモノが燻る。

 ハクオロと初めて目を合わせた瞬間に見えた"アレ"。その記憶を、コゥーハは瞬時に蓋をした。

 一つだけ言える事は。先の戦から見えていた黄色の光の源泉が、"アレ"であった事。この地の悪しき根を掘り出し、全てではないが払拭するモノ――ベナウィが出来なかった事をさらりとやってのけ、彼の理想を絵に描いたような政策を掲げる御仁。ヒトとしてではなく、(オゥルォ)として非の打ちどころが無い彼を、誰もが慕うのは当然ではある。コゥーハとて、嫌いではない、むしろ好感を持っている。彼であれば、この地を……いつしか大陸を良い意味で平定するのではないかと、期待さえ抱く。だが、周りの()()()()()()()()()()評価が心の一片を蝕み、ハクオロという人物をますます追及したい衝動が、コゥーハの口を饒舌にしている。

(懐疑が過ぎますか、しかし)

 再び探求したい好奇心がふつふつと湧き上がり、コゥーハの心を再び蒸らす。神の悪戯か、今宵は新月に近い。背を向けている相手は気づいていない、今なら、刹那であれば、確認することで彼の過去に辿り着くかもしれない――

 振り向いたハクオロと目が合う。押し上げられた瞼の奥、底が見えぬ黒い瞳に見つめられ、コゥーハの手が宙を切る。

 不意に、関わりの無い第三者の意見を聞きたくなる。コゥーハの脳裏に、ディーの顔が浮かぶ。彼なら、何と答えるのかと。

「いや」

 沸騰する釜に蓋をし、コゥーハは目を瞑った。月明かりが少ない夜は、どうも思考が狂いやすい。冷たい風をゆっくり取り込みつつ、コゥーハは雑念を追い出していく。

「御意に」

 名を問われ、コゥーハは苦く嗤う。己を律するように、コゥーハはハクオロの後に続いた。

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