よく見る夢だ、とコゥーハは思う。女性に抱かれ、激昂した男から逃げる夢。顔も見えず、殺意だけが満ちる空間で、ただただ身体が灼かれていく。熱く、あつく、ひたすらに赤い水面を駆けていく。
やがて、青みがかった黒色の髪の男が刀を振りかぶり――瞬間、男の片耳が露わになる。
(――っ!)
※※
隊長! という声に、コゥーハは寝台から飛び起きる。じんわりと汗が滲む片手をぎゅっと握り、もう片方の手で目を覆う。傍らにある窓からは、呻る風と共に激しい雨が打ち付けられている。
(あの茶と黒交じる耳は――)
隊長? と問いかけた声音には、明らかな疑問が含まれているものの、落ち着いた様子で上官を促す。
「ベナウィ侍大将が」
「ああ。すみません、パララ。いま行きます」
そういうコゥーハの声は弱く。その小さな身体と共に、外で響く雷雨の中へと吸い込まれていった。
※※
改めて、任務の確認を。そう言ったベナウィの口調は重々しい。それを感じ取ってか、その場に居た一同――クロウ、コゥーハ、ノヤハル他、
一筋の光が窓から漏れ出てから、数拍後。耳を劈くような音が、全員が見据える地図の上に落ちた。地図はトゥスクル皇城から北側、海岸沿いの詳細が書かれている。
「シロトゥクの海岸に船が一隻。座礁しているとの報告があり、藩主からの救援要請が届いています」
こりゃまた。指定地点に丸を付けるベナウィの側で思わず口走ったクロウに、ノヤハルが疑問の声を上げるものの「何でもない」と笑って流す。その隣で深刻そうに眉を顰めているコゥーハに、クロウは首を傾げる。
「姐さん?」
薄い表情を一切変えることなく、コゥーハは首を振る。
「いえ。続けて下さい」
続けようとしたベナウィだったが、ノヤハルの一つの疑問がそれを遮る。
「恐れながら。この悪天候です。今から我々がシロトゥクへ向かっても一刻以上は掛かります。……そんな我々に出来る事といえば」
ノヤハルの言いたい事を理解しているのだろう、皆がみな、重苦しい沈黙を降ろす。激しい雨が嘲笑う中、無論それでも最善を尽くすつもりです、と向き直ったノヤハルに頷き、ベナウィは補足する。
「正確には。船の調査および乗組員の救助、現生存者一名の
どういう事だ。と数人が目を合わせる中で、ベナウィは続ける。
「また。この任務に関しては、聖上の命により極秘扱いとなります。他言無用ですので、決して口外する事のなきよう」
雷が明滅する中。なおも動揺する一同に、クロウは微笑って続ける。
「ま。行けば判るってもんでしょうよ」
副長。と、沈黙を貫いていたコゥーハが、ようやく口を開く。その様子に、焦りも驚きもなく、淡々と問うた。
「藩主と面識が?」
まあ、一回だけな、とクロウは返す。
「そういう姐さんこそ、もしかして知り合いで?」
「……。シロトゥクには、一時期滞在していたことが御座います。その折に」
一時期ねぇ。青白い顔で襟を正すコゥーハから視線を外し、クロウはベナウィに向き直る。
「大将」
「コゥーハはどうあれ連れていきます。斥候要員と、治療が可能な者は必要ですから。それに――」
「?」
「何でもありません。全員、準備は怠りなく」
それと。とベナウィは改めて姿勢を正す。
「聖上が。別件でクロウに用があるとの事です」
「俺に……ですかい?」
「聖上は現在、書斎にいらっしゃるかと」
我々は先行するので、後から追いつくように。ベナウィの一言によって、一同は一時散会となった。
「どう。ってのは、例の藩主の事ですかね?」
そう言い淀むクロウの表情は少し狼狽している。
クロウが件の藩主と出会ったのは、数年前ベナウィが侍大将に就任した際の挨拶回りの折、ただの一回である。多少面倒臭い性格のようではあるが、ベナウィの侍大将就任自体に関しては歓迎している風に見受けられた。トゥスクル樹立後、様々な形で召喚に応じるようにハクオロが直接の接触を試みるも、一辺倒の理由により拒否。遣いの者を送れば何かと都合を付けては追い返す始末。そんな藩主ではあるが、民達の評判は十年前からかなり良く、治世は何処の藩よりもしっかりしている。ケナシコウルペ國時代はその治世と兵力から、ハクオロ達の叛乱の折どこよりも早く中立の立場を示し、インカラ――ベナウィの干渉すら一切を突っぱねる強者である。そんなシロトゥクを治める藩主が今回、ハクオロに支援要請をしてきたという事実。
ちょいとした厄介な事に違いない。心中でそう思いながら、そういや、とクロウは話題を逸らす。
「コゥーハの姐さんも知り合いみたいな様子でしたが」
「それなら既に調べてある。が、直感だが、コゥーハはベナウィ同様藩主に
「総大将。それは」
間を置いたハクオロからは何の感情も読み取れない。ただただ平淡な言葉は、発光石によって照らされた水面と、降りしきる雨嵐の中へと吸い込まれていく。
「ベナウィが、インカラから追われた皇族の
クロウは一瞬躊躇うも、周囲に気を配りながら小声で肯定する。
「まあ、事がことだけに、噂程度にですけど」
「なら。件の藩主が、その一族に代々仕えている家系で、十年ほど前、丁度身寄りを亡くしたベナウィを
それは初耳だ。とクロウは目を丸くする。というのも、ベナウィが過去について話をすることがほとんどないためである。無論、ベナウィ自身の性格や事情だけに表立って話すことはしないであろうと理解していようとも――クロウが知っているベナウィは、十数年前に道場で知り合った腕の立つベナウィと、十年弱前に軍の分隊長まで上り詰めた彼の配下になった以降の彼。知り合う以前はもちろん、道場が焼け落ちてから再会するまでの数年の空白をクロウは知らない。敢えて挙げるのであれば――
十年前。ハクオロは神妙な面持ちで言葉を置く。仮面の奥、黒い瞳が発光石の光で揺らめく。
「シロトゥクが他國に侵攻されたことは知っているな」
そりゃあ、まあ。ハクオロが一つの折本を取り出す向かいで、クロウは小さく溜息を吐く。
通称――シロトゥクの役。
「
初陣か。ハクオロは淡々と戦記を広げて、クロウに意見を求める。
「それらを仕掛けたであろう黒幕はさておき。当時は一時でさえ退けられるかどうかも怪しい位、非常に旗色が悪かったが。当時の藩主に
以降。当時の
「だが。國からの援軍無き劣勢だったとはいえ、
敵國は旧國境を越え、藩主のある屋敷まで侵攻。当時の藩主は早々に戦死もしくは不可解な死を遂げる。抵抗した者は女子供構わず斬られ、それが隣國が侵攻する程に敵國が疲弊するまで続いた――大雑把な事実しか書いていないが、あまりに凄惨な記録からクロウは目を逸らし、苦い顔を俯かせる。
「数年前の、藩主と大将の話し方から察するに、雇った――軍師、と言えばいいんスかね、そいつに采配させた結果が
「それなら――いや、違うな。こうなること
大した食わせ物だ。ぶつぶつと呟くハクオロをよそに、クロウは私見を述べる。
「大将が最初から出張っていれば被害はもっと最小限に済んだかもしれないって思わなくもないですが。ま、最終的な決断をした現藩主ってのは、それなりの。なんといいますか、変わり者だと思いやす」
「……一つ気がかりなのは。その軍師が未だにいるかどうかだが」
ああ。それは無い、とクロウは微笑する。
「なんでも一回限りの契約だったって過去に大将が言ってやしたから」
といいますか――クロウは迷うが、有り得ないことだと思いつつも、ソレを口にする。
「よもや藩主が今から反旗を翻すとでも?」
「……」
クロウの問いに肯定も否定もせず、ハクオロは考え過ぎた、と薄く笑う。
「とりあえず。藩主の一件は、今回もベナウィに何とかしてもらうとして――」
二点三点、確認事項を訊ねられた後、クロウは部屋を後にした。未だに雨風止まぬ空を眺めながらも、その足を止めることはない。ふっと光った稲妻が、クロウの紫がかった黒い瞳を灯す。
ハクオロは調べさせたと言った。つまるところ、藩主とベナウィの関係の結果を踏まえてベナウィに藩主の一件を任せるという。無論ベナウィが、クロウが一瞬
それよりも。ハクオロが言った一言がクロウの心中で反芻される。
(やっぱ……コゥーハの姐さんって、何者なんスかね)
荒ぶる海、激しく打ち付ける波々、視界が霞む天候。眼前に広がる
到着したシロトゥクの海岸は凄惨さを極めていた。座礁した船が一隻、そこから陸に向かう道中には、武装した男達の骸が転がっていた。ある者は腹部が原型を留めない程に潰され、ある者は胴体以外のものが存在しない。ある者は恐怖で顔が歪み、またある者はそれすら判らない有様である。
血の匂いが雨と波に溶け込む中。微かに金色が差した墨色の瞳を大きくし、コゥーハが一歩踏み出す。蒼白な部下を見兼ね、クロウはそっと彼女を支える。
「……コゥーハの姐さん」
何でもありません。とコゥーハは手を振り払い、無表情のまま転がっている遺体に触れる。
「喉笛を確実に潰されていますね。少なくとも、此処に横たわる二十人強は息をしていないか、とは」
この暗闇で人数まで判るのか。心中で吐き捨てたクロウの心情を知ってか知らずか「大体ですよ」とコゥーハは笑って見せる。実際。既に救出活動を行っていると思われる藩の者達は側の遺体に目もくれず、壊れた船の内部を中心に行き来しており、中からヒトらしきモノを担架で運び出している。そのどれにも布が掛けられている。
「彼らと共に救出活動を開始致します。副長は隊長と共に――」
ああ、それなんだが。クロウは神妙な面持ちでベナウィの意を伝える。
「大将が、姐さんは連れてくるように言われていてな」
「――……」
無表情の彼女の顔に、一瞬焦りが滲む。だが、平常の顔つきに戻し、コゥーハは小さく息を吐く。
「隊長命令であれば仕方ありません」
各自に仕事を割り振っていたベナウィと合流し、クロウ達は藩主の屋敷の入口に立つ。最初こそ顔を顰めた門番だが、ベナウィ達の姿を見るや――まるでそれが判っていたかのように――すんなりと門を開く。三人が一歩入った直後。少年とも少女とも、大人とも子供ともとれる者が一人出迎えた。
「あ。クロさまだ~!」
開口一番、そう叫んで詰め寄ってきた相手に、ええと? とクロウは狼狽える。ベナウィへとそれとなく目配せをするが、その視界を遮るように相手がぴょんぴょん跳ねる。
「クロさまつめた~い。モコのこと憶えていないなんてぇ。あ、でもこの分だと、コナのことも忘れていそうだなぁ」
何とかして思い出そうと思考を巡らすクロウの周りを相手――モコはぐるぐると回る。やがてクロウの視線の先にある彼に目を留め、黒くて大きな瞳を丸くさせた。
「あ。ベナウィ様いたんだ~」
「数年振りですね。モコ。案内をお願いできますか」
それほど感情のこもっていない挨拶に応える訳でもなく、相手――モコは灰色の耳と長い尻尾をぴょんと振り上げる。
「うん。いいよ~。ベナウィ様が来たら案内するようにチセ様から頼まれているし」
そう言って、人の気配の全く無い廊下を指し、モコは歩き出す。歩いてしばらくの後、休めることなく歩いていたモコの足がコゥーハの隣でふっと止まる。
「あれ~。今日はお師さまも一緒なんて~……だから
お師さま? 呟くクロウをよそに、「ここだよ~」と叫んだモコが、とある広い部屋の扉を開け放つ。
謁見の間と思われる間の中心には、見目麗しい妙齢の女性が胡坐を掻いていた。先端が白い灰色の両耳と、耳と同じ色合いの尻尾を持つ彼女だが、ベナウィ達を見ても一向に態度を返ることはない。癖のない美しい黒の長髪は左首筋付近で無造作に留めており、周囲を見渡したと同時に、不機嫌そうに揺れた。そんな彼女の心情を知ってか知らずか、モコの明るい声が通る。
「チセ様~。ベナウィ様が来たよ!」
ご苦労様。労う主の――シロトゥクを治める藩主、チセの声は優しい。
「ただ、こういう場では藩主様、もしくはお館様と言いなさい」
「え~やだやだ~チセ様はチセ様だもん~」
困った風に眉を動かした彼女に甘えるように、モコはチセの肩をぐらぐら揺らそうとする。
「ねえねえチセ様。クロさまったら酷いんだよ~? モコとコナのこと憶えてないんだよ~? あ~んなに遊んでくれたのにぃ」
そうか。と、大きな傷のある右の掌をひらひらさせながら相槌を打つチセの隣で、彼女を支えるようにしていた者の――モコと瓜二つな容姿のコナが涙ぐむ。
「酷い……クロさまあんなにコナと遊んでくれたのに……」
「あ、や」
一同に矛先を向けられ、クロウはますます焦りの色を強くする。何度も必死に記憶を辿った先――数年前、ベナウィに同行して訪問した折、部屋の片隅で啜り泣いていた幼いコナとそれを宥めていたモコに思わず声を掛けた事を思い出す。
「ああ。あん時の――って数年で結構でかくなったなあ」
モコとコナの表情がぱあっと明るくなり、各々はクロウに駆け寄る。相手の両腕にしがみつき、離れようとしない二人はより一層力を込める。
「ねえチセ様~。クロさまと遊んで良い~?」
「遊んで良い?」
いや、と、先程とは対照的にチセは否定した。いい子だから。お前達は此処で大人しくしていなさい。と、自身の膝上を叩くチセに、えぇ~つまんな~い~。と駄々をこねるモコ。対照的に、他言無用? と首を傾げたコナに、コナは賢いな、とチセが頷く。そんなチセに対して、ベナウィは声を上げる。
「別に隠す必要もないでしょう。チセ。此方としては、むしろこの事が広く知られた方が良いまでありますので」
こっちは短所しか見当たらんのだが。とチセはベナウィとコゥーハを睨む。
「お主と"番人"がやってきたと知れば。動揺が走るのは目に見えてるのでな」
("番人"?)
チセの視線が一瞬コゥーハの方へと向けられた事をクロウは見逃さなかった。変わらず表情を消しているコゥーハに対して、くっと眉を上げたクロウからチセは目を逸らし、煙管盆へ手を伸ばす。
「……その様子だと。副長殿に未だ話していないとみえる」
自身の指に嵌められた指輪から上がる火をじっとみつめ、何から話すべきか、とチセは逡巡するも、ひたすら無言を貫くベナウィを一瞥し、おもむろに口を開いた。
「端的に話せば。そこなるコゥーハはな。人から見ればちょっとした"奇跡"を起こせると有名でな。十年ほど昔に、知恵を拝借した経緯があるのだよ」
十年前――……呟くクロウに、そう、とチセは紫煙片手に眉を上げる。
「戦の"予知"とかな」
"予知"。聞き慣れぬ単語にクロウが視線をずらす後方で、苛立ちを隠さぬ様子でコゥーハは静かに声を上げる。
「大まかの事は"予知"ではありませんよ。正確には、ただの統計学です」
「それらを片手間に教えたモコとコナならともかく。知らぬ者からしたら奇跡しかありえぬ。兄上達をも殺された、あの絶望的な状況を前にしてはな」
だが。透き通ったチセの声が若干曇る。
「"奇跡"を起こすには、あまりにも――……あまりにも犠牲が伴ってな」
"番人"にしてみれば
「……」
なに。重い沈黙を斬るように、チセは大袈裟に灰を落とす。
「"番人"がトゥスクルについているのであれば。弓を引くこと自体愚かな事というものよ。お主、先日の一件もあるのだろうが、あえて釘を刺すために連れてきたのだろう。人の悪い」
「貴女が
野暮な事をきく、とチセはベナウィを睨む。
「確かに、
「……」
「そうさな。仮にご子息あるいはご息女が生きておられたとしても。この状況下であれば――ハクオロ
「…………。そこまで理解しているのでしたら」
何故、か。チセは微笑しながら居住まいを正す。香が漂うやや白い空間が、たった一言で張り詰めた空気へと変化する。
「ベナウィ様」
自身の手に汗が滲んだ事をクロウは理解する。クロウだけではない、眉を寄せてやや足をずらしたコゥーハや、チセの両脇に佇んでいた二人の様子も一変する。気配を消すようにすっと座り直し、おもむろに頭を軽く下げる。ぐっと詰めた雰囲気の中で、チセは静かに切り出した。
「数年前に申し上げた件。皆、とは現在は遺憾ながらいきませぬが、少なくとも私の中では生きております故」
「――……」
「貴方さえその気であれば、何時でも」
やはり、そういうことでしたか。柄に手を添えて睨んでいるコゥーハを窘め、ベナウィは一瞬浮き足だったクロウを見据え、相手へと視線を落とす。
「私の意思は変わりませんよ、チセ。理由はどうあれ――数年前も。
私は。居住まいを正すように、ベナウィは少し足を浮かせ、座り直した。その表情は前髪に隠れて何人も伺い知ることが出来ない。
「私は。貴方の求める器には足りえない。決して」
白い霧が立ち込める中、ベナウィは、明確に否定した。
不意に。立ち上がり、声を上げようとしたクロウの腕がコゥーハによって強く引っ張られる。
「クロウ副長」
彼女の唇からは少量の出血が見られる。
近いようで遠い、小さな背中。此処にいるクロウだけが知らぬ背中がそこに見えた。
何かを感じ取ったのか。ベナウィは一瞬部下二人と目を合わせるが、何事もないかのように目を伏せる。
「――今の発言は、聞かなかった事にしましょう。次はありませんよ」
それに。とベナウィは顔をあげ、彼らしからぬ……やはりクロウの知らない、やや品が欠けた苦い微笑みを噛み殺す。
「仮にいま事を起こして。勝算があると思っているのですか」
それを言われては何も言えんな。と、チセは吹き出した。ふっと緊張が解けたかのような空気の部屋で、置いた煙管へ手を伸ばす。
「"番人"さえその気なら、無いわけではない。が、戦記を見る限り、彼の御仁はコゥーハと同じく我々の範疇の
ただ。チセは煙を吹き出し、煙管をそっと振ってみせる。不規則に揺れる紫煙は、やがて上方で綺麗に散りゆく。
「お主を生かした、ハクオロという御仁に興味が沸いた。ただ、それだけさね」
「そういえば。貴女は昔からそういう悪癖がありましたね」
再び煙管に手を掛けたチセに、溜息を吐くベナウィ。二人の会話から一旦視線を逸らし、クロウはコゥーハに話しかける。
「……コゥーハの姐さん」
何でしょう。応えた様子は、間違いなく普段から見るコゥーハのそれである。その事に一種の安堵を憶えつつ、クロウはそっと耳打ちをする。
「大将とここの藩主ってどんな関係なんすか」
「むしろ副長の方がご存じではと思うのですが」
「う゛っ。それは――」
よもや数年前はモコ達の相手に終始していたため、ハクオロと交わした会話以上の事が判らないとも言えず。返答に詰まったクロウに驚く風でもなく、コゥーハは静かに語り始める。
「ベナウィ様が、インカラ
噂程度に、だけどな。とクロウが返すと、なら話が早い、とコゥーハは続ける。
「チセ殿の一族は、その
窘めるようなベナウィの声の後方で、尤も、とコゥーハの声が低くなる。
「……それも、件の戦も、当時の
まさか。さすがに考え過ぎでは。肩を竦めたクロウに対して、勿論、推測に過ぎないと述べた上で、コゥーハは静かに首を振る。
「それ位の事を平気でやってのける御仁だったのですよ。当時の
しかし、と言葉を閉ざしたコゥーハの向かいで、本題に入ろう、とチセは切り出した。
「なに。情報封鎖をしているのは、単に"番人"の周知をされたくないだからだけではない」
コナ。とチセは呼び、相手へ一つの書簡を手渡す。船の調査結果だ、とだけ言ったチセを一瞥し、ベナウィは落ち着いた様子で受け取った書簡へ目を通す。
「……――。成程、彼の船は、ナ・トゥンクの奴隷船でしたか」
ナ・トゥンク? 首を傾げるクロウに対して、コゥーハは小声で説明する。
「トゥスクルから南方に位置する小國ですね。人身売買で國益を得ている事で有名な國です」
この事が相手に知られれば、ナ・トゥンク側から何かしらの干渉が予想される。黒い噂に事欠かない國――そうなっては面倒だろ? とチセは続ける。
「後は。生存者一名が。容姿からして
現在は力尽きたのか眠っているが――閉口したチセの意を汲むかのように、ベナウィは書簡を静かになぞる。
「絶滅したとされるギリヤギナ族、ですか」
その一言に身体を大きく揺らしたコゥーハを横目に、憶測も交じるが、とチセは黒い髪を大きくなぞる。
「船の周辺で転がっていた、船の乗組員だと思われる者達。アレを殺ったのはその彼女だという目撃情報がある」
仮に彼女の行動であったならば、一定の気持ちは理解できるがね。とチセは灰を落とす。かん、と乾いた音が響く中、成程、とベナウィは書簡を胸にしまった。
「貴女の思惑は理解しました。その彼女の処遇も含め此方に――全てを聖上に丸投げしたい。そう捉えても構いませんね」
構わない。とチセはきっぱりと言い切った。
「事は一國が絡む案件。これ以上後ろめたい事を増やして彼の御仁の不興を買いたくはないのでな」
数点の確認事項をやり取りする二人から視線を外し、クロウはコゥーハへ再び質問をする。
「姐さん」
何でしょう? その――クロウは一瞬言葉を詰まらせる。しかし、はっきりと続きを口にする。
「"番人"ってのは」
「――。こればかりは複雑なかつ長くなる事情ですので、いずれまた」
婉曲に躱される。しかし――ですが、一つだけ言える事は、と、コゥーハは自身の剣を佩き直す。
「十年前。ベナウィ様に悪い意味で戦の凄惨さを教えてしまった一因は、私にもあるのでしょうね」
「――……」
さて。会話が終わった事を確認し、コゥーハは自身の頬を叩きながら上官へ指示を仰ぐ。
「自分めは、まずはその生存者の容態を診るところからでしょうか――副長?」
飛んでいた意識を戻し。クロウは上司へと視線を向ける。その表情は普段通りの――冷静で地に足がついた指示を飛ばすベナウィの大きな背中があった。
一部描写の修正をいたしました。申し訳ございません。
2025/2/22