うたわれるもの 琥珀の軌跡   作:ななみ

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二章
訊問


 ケナシコウルペ國、滅亡す。その一報は大陸東部の周辺諸國を始め、戦火の如く大陸中へと広がった。しかし一部の商人達にしてみれば、さほどの衝撃は受けていない。散財、汚職、増祖、焼き討ちの数々。彼の國と多少の関係を持っていた者達から見れば、滅ぶは必定。見切りをつけていた者は少なくない。

 現在彼らが求める情報は、大きく三つ。旧ケナシコウルペ領土の上に建った新しき國、トゥスクルの動向と、頂点に立つ(オゥルォ)の人柄。そして周辺諸國の反応。國の政策、指針、(オゥルォ)の性格や好みによっては、客になるか否かがはっきりと分かれる。故に、大陸を渡り歩く同業者の間では、ひっきりなしに意見交換が行われている。新たな客となりうるかどうかを見定めるために。

 人身売買以外なら何でも取り扱う男としても、商品選びに余念がない。一覧をまとめた巻物に目を通し、不必要と思われる物に墨を入れていく。

(とは申しましても。(オゥルォ)との初対面があれでは……ですな)

 男は以前、トゥスクルの(オゥルォ)となった男に会ったことがあった。客の依頼で、当時は叛軍の長であった彼に探りを入れた時である。一言で言えば、人の好い面白い御仁。男はそう結論づけた。しかしその面白さと相手の親切から、ついつい()()してしまったため、相手にひどく警戒されているのではないか、と男は(オゥルォ)への謁見を先延ばしにしている。とはいえ、これ以上の保留は、自身の仕事に影響を及ぼし兼ねないと、こめかみを抑える。

 戦況から解る(オゥルォ)の非凡さは、見る者がみれば明らかで、戦慄さえ覚える。戦などしたことのない者達がみせた、一國の軍がみせるような武器の扱い。急速な兵力増加を見せたというのに、烏合の衆となることなく叛軍内を纏め上げた統率力。何より、この短期間で一國の(オゥルォ)を討つという結果から見えてくる、戦略及び戦術を立てる才覚。彼がその気になれば、全土統一などという事は近い将来やってくるかもしれない、と男は予想している。

 同じものを汲み取ったのだろう。トゥスクル國樹立から一月も経たぬ内に、『調停者』――オンカミヤムカイからの使節団がトゥスクルへ派遣された、という情報を男は耳にしていた。

 シケリペチム、ノセシェチカに並び、三大強國の一つと称される新興國クンネカムンを除く、全ての國に根付くウィツァルネミテア信仰。ウィツァルネミテアという名は、ウィツァルネミテア信仰の教えそのものを指すこともある。

 かつてヒトの祖先を創った『大いなる父』、オンヴィタイカヤン。その支配から解放したといわれる『解放者』、ウィツァルネミテア。その『解放者』を大神(オンカミ)と崇め、教えを信奉することが、ウィツァルネミテア信仰である。ウィツァルネミテア信仰が根付く國々において、生から死までの――誕生(アックン)元服(コポロ)婚姻(ハシェク)葬儀(ハハラ)といった一連の儀式は、ウィツァルネミテアの名の下で行われる。故に、ほとんどの人間は生まれながらにしてウィツァルネミテア信徒とも言える。

 そのウィツァルネミテア信仰の総本山である、オンカミヤリュー族が統べる國、オンカミヤムカイは自らを『調停者』と名乗り、他國間の争いを仲介、終結させることを自らの役目とし、必要とあれば他國に介入する。また争いを阻止すべく各國に國師(ヨモル)を派遣し、各國の動向を監視している。旧ケナシコウルペ國には、(オゥルォ)が彼の國の介入を拒否していたためにオンカミヤムカイの社が建つことはなく、國師(ヨモル)も招くこともなかった。今回の使節団派遣は、國師(ヨモル)を置く意図もオンカミヤムカイ側にあると思われる。

(しかし……派遣の速さは異常に、速い。これは過去の歴史においても類をみませんです、ハイ)

 それほど警戒されている御仁。それがトゥスクル(オゥ)

 とはいえ。そんな(オゥルォ)にひとたび気に入られれば、儲ける機は湯水の如く入ってくるであろう。これは男だけではなく、同業者はみな口を揃える。

 (オゥルォ)の行う政策の結果は、すでに現れ始めている。商、農、工、いずれの分野においても、ケナシコウルペ國に匹敵かそれ以上の成長が見られ、止まるところを知らない。今後も成長が見込まれることであろうと、どの商人からも同じ意見が返ってくる。そんな政策を打ち出す(オゥルォ)と直に取引できるものとなれば、儲ける種を幾らでも拾える状態と思っても良い。

 ふむ。と男は首をひねり、長い茶色の耳を掻いた。

 (オゥルォ)に近づくために善と思われる道は、ある。

 部屋に入ってきた若い男に、男は薄く笑う。自身の振り方を決める鍵となる人物に。

(いやはや……ハクオロ(オゥ)の慧眼……いえ、懐の深さには。若干の呆れと共にひどく感心致しますです、ハイ)

 緩んだ口元をくっと正した相手を一瞥し、若い男は口を開く。

「待たせましたね、チキナロ」

 いえ、と男は手にある木簡を横に置き、細い目を一層細めて笑う。

「ベナウィ殿には、毎度御贔屓いただき――」

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

 

 トゥスクルの皇城にある縦に広い部屋。陽の光が四方から差し込む高い天井、中央を縦断する紫の敷物、一段上がった場所の一番奥に玉座があるこの部屋は、朝は朝議をする場、昼間の一部時間帯は、謁見の間として使用されている。

 しかしその日の午後は違う目的で使用されていた。

「……未だ終わらないのか」

 トゥスクルの(オゥルォ)、ハクオロは、玉座の肘当てにもたれつつ、現在行っている政務を始めてから十度目になる欠伸をする。落とした視線の先、手元には簡素な文机が置かれ、墨汁が入った硯、筆、複数の木簡が紐で連なる書簡を巻いた束が盆の上に複数置かれている。(オゥルォ)の右側にも同様の机が置かれ、一人の文官が緊張した面もちで書簡に記録を書き連ねていた。ちらちらと――此方ではないのだろうな、とハクオロは推察している――視線を向けてくる彼女を一瞥し、左側に控える者へと視線を移す。

 はい、と臣下である若い男が、ハクオロの左で冷たく言い放ち、机に新たな木簡を広げた。

 男の肩当てが擦れる音を遮るように、ハクオロは右手にある鉄扇を膝に乗せる。

「今更だが……一応訊いておく。これ、も。急務なんだな?」

「はい」

「本当に?」

「はい。急ぎ行って頂きたい御政務の一つです」

「本当に。自分、が。しないといけない事なのか?」

 肯定しようとする相手の声を掻き消すように、ハクオロは苦々しく曲げた口元から言葉を吐く。

「罪人の処遇など、お前が適当にやってくれれば()い。特に、今日会っている者達……牢に入れられていた者達は、濡れ衣だったり、罪とはとても言い難いおかしな理由で入れられていた者達ばかりだろう」

「それでは民が納得しません。聖上の仰る通り、罪のない者達が投獄されていた例も存在しますが、先の戦の折りに悪事を働いた者も数多く存在し、投獄されています。罪人を裁く機関が機能していない以上、特に重い罪を犯したとされる罪人を正しく裁ける人物は――」

 あー、わかったわかった、とハクオロは投げやりの口調で臣下の言葉を遮った。

 男は立ち上がり、腰にある刀へ手を乗せた。カチリという音が、双方の重い肩へと圧し掛かる。 

「本来であれば、私も」

「ベナウィ」

 鉄扇の発した鋭く澄んだ音がハクオロの左手から離れ、男の言葉をきった。

 小さく低い、(オゥルォ)の窘める声に、男は――ベナウィは視線を下げた。磨き抜かれた茶色の床は鏡のように彼の姿を映すが、前髪に隠れた彼の黒い瞳を映すことはない。

 数拍した後に顔を上げ、(オゥルォ)に軽く会釈するベナウィの顔は、ハクオロの知る普段通りの……処理すべき木簡や問題を山のように押し付けてくる、実に真面目で無愛想な顔であった。

「御安心ください。本日は、あと一人です」

「今日は、か……。つまり、明日もやらせるということか」

 はい。とベナウィはハクオロの左後方に控えるように立ち、両手を二回打ち鳴らした。

 玉座から見て左側の入口前で屈強な兵士が(オゥルォ)に頭を下げ、つかつかと部屋へ入る。その後ろ、兵士に背中を押されつつ入ってきたのは、後手に縛られた罪人。更にその後方から、しずしずと一人の女性が付き添うように部屋へと入り、ハクオロに頭を下げてから罪人の隣に座る。

 鉄扇を左腰の(トゥパイ)に差し、ハクオロは仮面の奥底にある黒い目を丸くした。

「エルルゥ?」

 名前を呼ばれ、女性は顔を上げて微笑む。

 背はベナウィの肩とほぼ同じ。少女というには幼さがなく、大人の女性というにはあどけなさが目立つ顔立ちである。丸くて大きな黒い瞳は美しい輝きを常に放ち、真っ直ぐな視線でいかなる人物も捉える事をハクオロは知っている。先端は薄茶色、身体に近い部分は白色の毛深い両耳と尻尾は少しの緊張でもよく動き、後ろで一つ括りにしている艶やかな黒の長髪や、袖や裾に紅色の模様がある白色の服、腰を巻いている紺色の(トゥパイ)を揺らす。左の横髪の一部は前に降ろし、純白の輪を髪飾りとして付けている。

「まだ調子が良くないんですが……どうしても、って。付き添いなら良いですかって」

 一瞬。エルルゥの視線がハクオロの左と、エルルゥの隣へ移った。視線を追った後、少しの間を置き。そうか、とハクオロは微笑した。

「すまなかったな」

「い、いえ。これも薬師(くすし)の仕事ですし……」

 やや紅く染めた顔を少し俯かせ、エルルゥは静かに尻尾を振った。

 それで、とハクオロは背を正し、罪人を見据える。

「彼は」

「彼女、の名はコゥーハと申します」

 ベナウィの一言と眉を上げたエルルゥに、すまない、とハクオロは声を詰まらせた。口元以外を覆う灰みがかった白い仮面の奥にある目を細め、正座した罪人をじっと見る。

 顔は全く見えない。理由は単純で、相手が下を向いたまま、黒い短髪で俯く顔を隠しているためである。長く毛深い茶色の両耳は同色の尻尾と共に垂れており、首元には獣の爪で付けられたような、三本の傷跡がある。身体はかなりの細身だが、武人として必要な部分にはしっかりと筋肉が付いており、引き締まった身体であることが包帯で巻かれた状態でもはっきりと分かる。

「……。彼女?」

「…………」

 やや怒りの含んだエルルゥの視線とベナウィの咳払いに、ハクオロの背筋がぴんと伸びる。いや、と軽く否定を示すハクオロをじっと見据えた後、ベナウィは静かに目を閉じた。

「見ればすぐにお判りになるかと」

 ベナウィの言葉に、そのだな、とハクオロは困惑を隠さずに問う。

「……躰つきとか、オボロに近くないか?」

「全く違います」

 むぅ。とハクオロは再び罪人――コゥーハの胸元へと目をやる。ひどい怪我をしていたのか、服の隙間から見える部分は包帯で包まれているが、胸元は女性特有の微かな膨らみが。

「……あるか?」

 納得しがたい本心が、胸一点をじっと見つめるハクオロの口からぽろっと零れた。その正面で、表情を赤くし己の胸に手を当てたエルルゥの拳が震え始める。

「いや……女、か?」

 こめかみを掻くハクオロに、ベナウィは事も無げに一つの提案をする。

「お疑いであれば、脱がせますが」

「い゛っ?!」

 木簡を広げていた女官の手が強ばり、罪人の側に控える兵士が紅くなった顔を抑えた。同時に、ちりちりとした殺気が広い部屋全体を支配する。その標的は間違いなく、ハクオロへと向いている。

「ハクオロ、さん……?」

 殺気が放出される場所から、エルルゥの、お腹から絞り出すような声が聞こえてきた。先程とは全く異なる笑みをみせるエルルゥの顔は、ハクオロは元より、幾千にも及ぶ戦場をくぐり抜けてきたであろうベナウィの足をも、半歩後退させる。

「ち、違う! それはベ――」

「まさか。女の人に見えないからって、コゥーハさんの服を脱がそうだなんて」

「いや、そんなことはしない、させない。絶対、させません!」

「本当ですか?」

 立ち上がったエルルゥに両手を上げ、絶対に脱がせないことをハクオロは再三誓う。彼女……コゥーハに対する一連の感想を謝罪しつつ、うっすら汗ばむ顔で笑顔を作り、エルルゥの怒りを何とか鎮めた。

 脱がされそうになったというのに、うわの空か。と心中で思いつつ。腕を組みながら、ハクオロはコゥーハへ目をやる。

 彼女に対する様々な憶測を巡らせる内に、頭の中で一つの疑問が浮かぶ。

 ちょっと待て、と。

「……何故。(わたし)が怒られなければならない?」

 咎められるべきは、ベナウィではなかろうか。

 左側へと目をやると、思うところがあるのか、相手は視線を逸らした。失言でした。と、エルルゥには聞こえない声で呟くベナウィに、ハクオロはわざとらしく咳払いする。

「じょ、冗談はいかんぞ。ベナウィ」

「はい。聖上にしては、笑えない冗談かと。今後はこういった場での冗談を、どうかお控えください」

「っぐ」

 自身の無実を晴らそうとした行動はさらりとすり替えられ、ハクオロは怯んだ。そして再び火の手が上がり、部屋は熱気に包まれる。

「ハクオロさん!!」

「いっ、いや、だから誤解――」

(だから、何故。私が睨まれなければならない!?)

 辛うじてエルルゥを再び座らせ、ハクオロはほっと一息を入れた。すかさず、話題を元に戻すべくベナウィに目を向ける。

「でっ。何だ? かれ――いや彼女の」

「罪状は。食糧――正確には、酒の横領と貴金属の窃盗。(いくさ)場からの脱走とウォプタルの強奪、その際に兵士への暴行」

「……そんな程度なら――」

「それと。味方兵士の大量虐殺です」

 一同がはっと息を呑み、周囲は打って変わって静寂に包まれる。兵士の握る槍の軋みだけが、冷たい風を部屋中へ運んでいく。

 重い沈黙を破るように、エルルゥは振り絞ったような声を上げた。

「そ、そんなこと。コゥーハさんにできるわけありません! 何かの間違いで――」

 事実ですよ、と返答したのは、書簡を見返すベナウィであった。

「彼女の凶行を目撃している者は何人もいますし、先程まで行っていた聴取で、彼女自身が認めています」

 淡々と。冷たささえ覚える平坦な声で、目を上げることなく答えるベナウィの回答に、エルルゥは目を閉じた。首を大きく横に振り、なおも信じられないと言わんばかりに瞳を潤ませ、ハクオロをじっと見据える。

「きっと。きっと理由があったんですよ!」

 話してください、とエルルゥはコゥーハの身体を揺するが、コゥーハは微動だにしない。ぐらぐらと揺れる様は、心の、魂のない人形のように、澄んだ黒い瞳に映る。

(話す気は、無いか)

 ぐっと口を結んだままの相手から目を離し、ハクオロはゆっくり足を組み直した。身体を震わし俯く女官に一瞥し、視線を左へ向ける。

「どの位だ」

「確認できた限りでは、三十。詳しい数は現在確認中ですが……」

 集落全体が焼け落ちてしまったために正確な人数は把握できないでしょう、とベナウィは付け加えた。

「場所は?」

「チェンマ、という集落です」

「チェンマというと。先の戦で、叛軍に加わっていないにも関わらず、軍に焼き討ちされた集落の一つだったか」

「はい。焼き討ちにより、村長(むらおさ)と彼の母親である元村長(むらおさ)を含めた、民の九割五分が死亡。生存者はいないと報告されていましたが、後の調査で二十人前後の生存者が確認されております。尚、実際に焼き打ちを行った者達の話では、コゥーハが村の者に手をかけた、ということはないとのことです」

 肯定するベナウィの隣で、ハクオロは顎に手を当てる。 

「焼き討ちを実行した者達だけを殺した。そういう認識で良いのか?」

 やや間があり。御推察の通りかと、というベナウィの返答があった。

 ベナウィの報告から、彼女の動機については察しがつく。しかし妙だ。とハクオロは口端を下げる。

 何故。コゥーハを殺さなかったのか。殺さずに牢へ閉じ込め、おそらくだが、拷問を行っていたのだろうか。当時の叛軍の間者あるいは協力者と間違われ、叛軍のことについて吐くよう強制されていたか。あるいは……女として()()()()いたのか。

(情報が少ない、か)

「彼女に関する詳しい情報を」

 それが、と、平静を取り戻した女官が困惑した表情で頭を下げた。

「彼女が兵士になる以前の詳細については、一切不明です」

 木簡を開く手がぎこちないものの、先程と変わらぬ調子で続ける女官に、ハクオロはほっと息を吐きつつ続きを待つ。

「彼女のものも。種族を除き、性別を含めまして、新規に入隊する際に提出された履歴全てが捏造されておりました。名前の方面から現在調査中ですが、コゥーハという名は大陸中で男女共に多くみられる名前ですので、難航しております。名前も偽っている可能性もありますし、更に時を要するかと」

「……ふむ」

 さっきも思ったのだが とハクオロはベナウィへと視線をやる。

「捏造などということが可能なのか?」

「当時であれば、多少の財があれば可能かと」

 しかし。と疑問が頭をもたげ、ハクオロは言葉を切った。 

 旧ケナシコウルペ――現トゥスクル軍の諜報部隊は、決して実力がないわけではない。むしろ想像以上の働きをしている。少なくとも、トゥスクル國建國から日も浅いこの短期間、かつ人員も割けない状況だというのに、これまで裁いてきた者達全て()()()情報を上げてきている。つい先日まで敵対していた組織だったと思うと、寒気がこみ上げてくる位である。しかし彼らをもってしても、彼女の……コゥーハのものだけは、未だに掴めないという。

 誰かが意図的かつ巧妙に、彼女の情報を隠している可能性がある。そしてそれは、彼女が牢に入れられていたことに関係しているかもしれない。彼女自身が隠したのか、あるいは別の者――組織が行っているのか。

「聖上」

 これを、と、懐から別の木簡を差し出したベナウィに、ハクオロは手を伸ばす。

「……これは」

「彼女が入隊する以前の履歴です」

 コゥーハに反応があったことを、ハクオロは見逃さなかった。一瞬上がった目線から飛んだ殺気が、ハクオロの左隣へ飛ばされたことも。

 変化に気づいた兵士がコゥーハの頭を押さえつけるのを見届け、ベナウィは何事もなかったかのように説明する。

「手間取りましたが。つい先程、裏が取れました」

 しばし相手を見つめ。

「読み上げてくれ」

 普段通り過ぎるくらいに無愛想なベナウィに視線を残しつつ、ハクオロは書簡を右方へ渡した。

 木簡を広げた女官が「少し、くせのある字ですね」と苦笑した。

 

 コゥーハは、大陸西部にあった現在は亡き小國の出身である。生後すぐに國の滅亡にあい、戦火で両親を亡くす。その後、彼の小國の國師(ヨモル)であったアトゥイというオンカミヤリュー族の男に引き取られる。アトゥイは國師(ヨモル)の職を辞した後、幼いコゥーハを抱えつつ大陸中を渡り歩き、数十年前に旧ケナシコウルペ國――現トゥスクル國内にあるチェンマに滞在。その数ヶ月後、アトゥイは当時のチェンマの村長(むらおさ)の妹であるカナァンと婚姻。以後コゥーハも数年間チェンマの地で暮らしていた。亡くなった村長(むらおさ)のムィルは、カナァンがアトゥイと婚姻する前に死別した夫の子供であり、コゥーハの義弟にあたる。

 

 読み上げられる内容を要約しつつ、ハクオロはなおも首を捻る。

 必要最小限の内容に疑問があるわけではない。

(たったこれだけの情報を、何故入手するのに時間が掛った?)

 そして先程の疑問は、浮いたままである。

(ただ、一つ。読み上げられた情報から言える事は)

 無言でコゥーハを見据えるハクオロに、ベナウィは口を開く。

國師(ヨモル)については、以前説明させて頂いた通りですが。ご理解しておいでですか」

「あ、ああ――」

 ハクオロに配慮したと思われるベナウィの一言に、ハクオロは息を呑んだ。

 ハクオロは記憶喪失者である。先の戦――ケナシコウルペが滅ぶきっかけとなった内戦をハクオロ達が起こす以前に発生した巨大な地震の直後、瀕死の状態でエルルゥの故郷であるヤマユラの集落に担ぎ込まれるが、それ以前の記憶――自身の名前、出身地、親の名前、担ぎ込まれた際に負っていた大怪我の原因といったものから、幼い頃に誰もが聞かされる神話や大神(オンカミ)の名といったことまで、記憶を失っていた。記憶の喪失からある程度の月日が経っているものの、ハクオロ自身の中で何かを思い出す兆しさえなく現在まで至っている。故に、(オゥルォ)として知っておかなければならない事に加え、()()()()()()()書物にさえ書かれていないことを含めた知識を、必要になったその都度ベナウィまたはエルルゥが説明を行っていた。

(ええと? 確かオンカミヤムカイの使節団が来た際に説明してもらった限りでは――)

 オンカミヤムカイから派遣され、ウィツァルネミテア信仰を広める司祭のような存在。同時に、周辺諸國との仲を取り持ち、時には仲裁役として立ち、國同士の諍いを防ぐあるいは治める役割を持つ。

 その認識を確認し、ハクオロは己の白い手を見つめる。

「……故郷だった。ということか」

 記憶を失っていた、だからこそ。よそ者である自分を受け入れてくれた、ヤマユラは故郷であり。行くあての無い自分に名前と居場所を与え、家族と言ってくれたエルルゥの祖母――トゥスクルは、かけがえのない存在だった。

 ある日、トゥスクルは亡くなった。殺された、と言った方が正しいかもしれない。賊を追ってやって来た藩主達の横暴を叱責するトゥスクル。彼女の物言いに兵士が斬りかかろうとするが、彼女を庇うために兵士へ石を投げたトゥスクルの孫娘へと切っ先が向いた。その凶刃から、身を挺してトゥスクルは孫を庇った。

 自分の家の床で。孫達をハクオロに託し、家族の目の前でトゥスクルは息を引き取った。安らかな顔で逝かれた事がよりハクオロの心を抉り、影よりも深いものを心の奥深くに落とした。

 何もできなかった。

 トゥスクルを守る事も、傷をなおし助ける事もできず、恩義も返せぬまま、彼女が逝く事を見守るしかできなかった。

 村長(むらおさ)であった彼女の死をヤマユラの集落の誰もが悲しみ、悼み――心の奥底で、彼女が死ぬ原因となったモノへと怒りを向けた。トゥスクルに全てを託されたハクオロに決断を迫る彼らもまた、ハクオロと同じ気持ちだった。

 復讐――

 駄目だ、とハクオロは浮かんだ言葉を書き消した。藩主の館を襲撃する――叛乱を起こすこと、蜂起することすなわち、國への宣戦布告を意味する。國が斃れるか全員が殺されるか、いずれかの結果が出るまで戦い続ける道へ踏み出し、以前の様な穏やかで平和な生活には戻れなくなる。トゥスクルの孫達を預かった身として、新しい村長(むらおさ)として集落の皆のためにも、ソレはしてはならないことであり。何よりトゥスクルが誰よりも望まないであろうことはすぐに理解できた。

 だが。深淵から立ち上がる感情は止まることなく。ハクオロに投げ掛けられた一言が、理性を吹き飛ばした。

『若様を……若様を助けてください』

 集落の者ではないが、トゥスクルに恩のある一人の若い男が、藩主の屋敷に向かったことは承知していた。ハクオロは彼を止めたが、制止を振り切って彼は行き――理性が勝っていたその時、ハクオロは追いかけなかった。

 また、見殺しにするのか。

 奥歯を噛みしめたハクオロを、若い男を慕う者の一言が揺さぶり。何も喋らず、ただただ何かを待つように見つめる集落の者達の視線がハクオロの心を掬った。

 あの時。「勝手なことを」と口では言ってはいたが、心はもう決まっていたのかもしれない。

 そして、ハクオロは決断し。結果、ハクオロは玉座(ここ)にいる。

(いなければならない、か)

 私怨に駆られ、エルルゥ達やヤマユラの皆を巻きこみ、彼らの感情と周囲の状況を利用して、自分は復讐を遂げ。他の集落に火の粉を落とし、一國を滅ぼした責任――ある男に言われた『民を先導した責任』を、取らなければならない。戦に巻き込まれた者達への罪悪感、自身が責任を取らなかった際の國の行く末……國の頂点である(オゥルォ)の玉座を争って豪族達が争うか、はたまた内戦で弱り切ったこの國を侵略しようと他國が侵攻するか、いずれにしろ(ここ)は再び戦火に包まれるであろう、という想定が罪の意識に拍車をかけ、自分に覚悟を決めさせた。

(それに……「勝手に逃げる気か」か)

 自國の(オゥルォ)をその手で送り、國と共に滅ぶことで職務を全うしようとした侍大将へ向かって、「お前には最後まで見届ける責任がある」とハクオロは言った。努力はどうであれ、結果的に國の腐敗の一端を担っていた彼に「生き恥を晒せ」と。悔いは――木簡の山に溺れる生活が続いているせいか微量にあるかもしれないが――無いし、撤回する気も無い。文武に長け、民の事を誰よりも想う若い彼は新しい國を担う人材として必要不可欠であると幾度の戦況から推察、打算していたし、実際に侍大将として新たに登用した彼は優秀である。

 視線が左方へ流れる。

 しかし、彼を生かした事は本当に良かったのだろうか。ふと、思う時がある。無論"()()()()()人間など一人もいないが。自分の言葉は、彼をこの世(ツァタリル)に繋ぎとめたが、同時に地獄(ディネボクシリ)へ突き落としたのではないのだろうか、と。

 彼を生かし、現在の任を与えた瞬間から、彼の歩く道は絞られたといっていい。過去の罪という名の業火に焼かれ続けるという一本道に。

 至極真面目で仕事熱心な彼のことである。この國が滅びるその時まで――おそらく命尽きるまで『生き恥を晒す』だろう。好きな事に目もくれず、やりたい事など忘れ、ただただ國のため民のために、残された民から憎悪や罵声を浴び続けながら身を裂かれつつ、より良い國へするためにと職務をこなす。真面目だからこそ途中で放棄する事もあり得ないだろうし、己が罪の重さから気を楽にするという事も無いだろう。日に日に高くなる木簡の山がそれを証明している。

(……あまり思い詰められてもな)

 罪を背負って生きていく事と、幸せを掴むことは全くの別物である、とハクオロは思っている。どんな罪人でも、一生背負っていく覚悟があるのであれば、幸せになる権利がある。少なくとも、自分が(オゥルォ)である以上、全ての民が幸せに暮らして欲しいと願っているし、そのための努力は惜しまない。

 彼もまた、トゥスクルの民である。

 故に、彼にも幸せになって欲しいし、そのための協力も求められればできうる限りするつもりである。

 だが。彼は――ベナウィは。自身が幸せを掴むことを放棄しているように、ハクオロの目には映る。今日まで休むことなく仕事に明け暮れ、口にする言葉は常に仕事について。エルルゥ達が心配する時に見せる微笑は哀愁を帯び、心配ないという言葉は表面的である。

 あの時、此の場所で、役目を終えた侍大将が一瞬だけ見せた、心の底から笑った顔は、もう二度と見る事はないのではと。

(……いや)

 心配が杞憂なのか否かは、本人しか分からないだろうし、結果が出るまで今少し歳月が必要であろう。そして彼が答えを出すのを見届ける責任が、自分にはある。

 無論それは、彼だけではない。今日会ってきた者達、そして――

 ハクオロは視線を正面へ戻した。

「コゥーハの行った罪状については、全て不問に処す」

 コゥーハの手を握っていたエルルゥが納得と感謝の混じる笑顔を浮かべ、目を瞑ったベナウィが、賛否と憮然の混じるため息を吐いた。

「…………」

 二人の吐息に交じった呻き声を聞きとり、ハクオロはその主へとゆっくり歩み寄る。 

「不満そうだな」

 はい。と、小さな――しかし、しっかりとした口調で罪人は答える。

 聖上? と戸惑う兵士に向かって「問題ない」意の視線をハクオロは送った。左腰にある鉄扇をコゥーハの首筋に当て、語りかける口調で小さく問う。

「どういったものなら納得する」

「極刑を」

 消えそうな、しかし、はっきりとした口調が、ハクオロの右手をすり抜ける。

(オゥルォ)自身がお思いになる、一番重い罪を」

「……」

 極刑とは。現在の法で定義するところの、死刑。彼女はそれを望んでいるというのか。

(いや。少し違うか)

 彼女は付け加えた。(オゥルォ)自身が思う、一番重い罪を、と。妙に引っ掛かる物言いだ、とハクオロはやや呆れた笑みを浮かべる。

「何でこうも。この國には、死にたがりが多いんだか……」

 殊更声を大きくし、ハクオロは鉄扇を強く握りしめた。

「少しでも罪の意識があるのであれば。生きて、償うべきだ」

 発した言葉は宙を廻り、ハクオロの身体に反射する。

「己が罪から逃げず、向きあい、償いながら生きること。それが極刑だ」

 それに、とハクオロは鉄扇を降ろし、コゥーハの頭をそっと撫でた。

「御二人も。コゥーハに生きて欲しいと思っているんじゃないか」

「…………」

 震えるコゥーハの身体の上でハクオロは笑う。エルルゥが微笑み、コゥーハが息を吐き、床に水滴が落ちた。

 そして。

「ふふ……」

 自嘲的な、憑き物が落ちたような安らかな声が、滴と共にコゥーハの口から漏れ出る。声は波打ち、広い部屋の隅まで満たされた。

 やっと笑ったか、とハクオロは口を緩めた。

「それに。ひょっとしたら、他にもコゥーハに生きていて欲しい奴がいるのかもしれない」

 尚も笑いながら、コゥーハは口を開く。

「さて。そんな物好きがいるとは思いませんが」

「エルルゥ、とか、な」

 笑う二人の隣で拗ねたように「物好きって……」と口を尖らせるものの、否定しないエルルゥの声に交じり。廊下を歩く衛兵の足音に掻き消されてしまう程の小さな、安堵のようなため息が、部屋の隅で落ちた。

 鉄扇を腰に戻し、さて、とハクオロは笑う。

「そろそろ顔を上げてくれないか。さっき男と間違えてしまったのは、その顔を見ていないからだと思うしな。とはいえ、自分は仮面をつけているから、素顔を見せることはできないのだが」

「存じております」

「……何?」

 ええと、と慌てた様子で「コゥーハさんをずっと診ていたのは私で」と話し始めるエルルゥに、あぁ、とハクオロは納得した。

 コゥーハと兵士の間に入ったエルルゥに顔を拭かれた後、コゥーハはゆっくりと顔を上げる。

 二人の視線が交差した、刹那。

 薄い墨のようなコゥーハの双眸が、金色に変化する。

(なっ――)

 数拍という短い時間。しかしハクオロには長い時間が経過したように感じられた。

 相手の瞳孔が開き、視点は定まることなく空中を激しく移動する。下睫毛に溜まった水が、拭われたはずの頬に複数の跡を作り、一部が振動する半開きの口へと流れた。震える身体を縮こませ、じりじりと距離をとる姿勢。

 先の戦で殺めてきた者達を彷彿させる表情――コゥーハは、ひどく怯えていた。からかう口調で言葉を並べた、先程の様子はどこにもない。

 やがて、金色の瞳は黒に戻り――

「コゥーハさん!」

 エルルゥの両腕の中へ、意識を失ったコゥーハは倒れた。




謝罪と補足:
・にじファン投稿時のものから一部描写をカットしました。申し訳ありません。
・2013/5/17 に、用語の間違いを修正しました。申し訳ありません。
・原作キャラの容姿につきましては、基本PSP版となっておりますが。チキナロの容姿のみアニメ版となっております。
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