リビングで待つこと10分。先ほどの出来事で変に汗をかいてしまったので、士道はスーツの上着を脱いでしまっていた。
そして、今度はきちんとした服装で出てきた折紙が、紅茶を用意して彼の前に現れる。
「どうぞ」
「ありがとう。いただくよ」
テーブルの上に置かれたティーカップから、いい香りが漂ってくる。早速一口いただいたところ、程よい渋味が口の中に広がった。
「おいしいな、これ」
「気に入ってもらえてよかった」
そう言って、折紙も自分のティーカップに口をつける。
「あなたの話を聞く前に、謝らなければならないことがある」
「謝る?」
カップをソーサーの上に静かに置くと、折紙は少しだけうつむいて口を開いた。
「先日の一件、精霊を狙撃したのは私」
もちろんそれは、十香が撃たれたあの時のことを言っているのだろう。
「あれが原因で精霊が暴走し、結果的にあなたを危険な目に遭わせてしまった。ごめんなさい」
「……いや、もう終わったことだ。鳶一も、それが仕事だったんだろう?」
仮に謝るとしても、それは士道に対してではなく、撃たれた十香に対して行われるべきだ。
「ありがとう」
ぺこりと頭を下げる折紙。心なしか、ほっとしているようだった。
「さて、じゃあ今度は俺が話す番だな」
彼女が顔を上げるのを待って、士道はその言葉を口にする。自身が緊張しているのを自覚しつつ、向かい合う少女を見据えた。
「それで、図々しいお願いなんだが……今から俺が言うことは、秘密にしていてほしいんだ」
「………」
「約束してもらえるかしてもらえないかで、話せる範囲がかなり変わってくる」
士道の知っていることを折紙に伝えるのは、当然ながら大きなリスクを伴う。彼女は対精霊部隊・ASTの隊員であり、そこから情報が漏れるおそれがあるからだ。
今日折紙と会うことを、士道は琴里に話していない。そもそも彼女は、士道が折紙に話を聞かせる約束をしたことすら把握していないのだ。
そんな妹に迷惑をかけるような真似は、彼としてもしたくない。だからこそ、折紙には口を堅く閉じてもらう必要があるのだが……
「わかった。誰に何を言われようと、秘密にすることを約束する」
「ほ、本当か」
「本当」
「そうか。サンキューな」
当然、折紙の言葉が嘘で、ASTにすべてを話してしまう可能性もある。しかし彼女の強い意思を感じさせる瞳を見て、信じられると士道は判断した。
そもそも、教師が教え子を信用できなくてどうする、という問題でもある。
「まず、俺がどういう立場の人間かについてだが」
それから、士道は様々なことを話して聞かせた。
自分が精霊を守ろうとする組織の一員であること。とんでもない治癒能力を備えていること。キスによって精霊の霊力を封じることができるということ。
そして。
「俺は、鳶一に戦ってほしくない。精霊相手に命がけで挑んで、傷ついてほしくないんだ」
彼の行動の原点となった感情を、ついに折紙本人に伝えた。
「先生として、大事な教え子を危険な目に遭わせたくない」
「………」
一通りすべてを語り終え、士道は渇いたのどを紅茶で潤す。
そんな彼を、折紙は変わらず無表情で見つめていた。
「ひとつ聞きたい。精霊の力を封じて、あなたの体に異常は見受けられないの」
「ああ、大丈夫だ。検査の結果も問題ないって」
「そう」
「ひょっとして、心配してくれてるのか?」
硬い空気を変えようと、おどけて軽い調子で尋ねてみたところ。
「当たり前」
予想以上に素早く、強い口調の答えが返ってきた。
「お、おう」
思わず面食らってしまい、士道は言葉に詰まってしまう。
当然、次の言葉を発したのは折紙の方だった。
「にわかには信じがたい話。人間が霊力に関してそこまでの干渉が行えるなんて」
やはり簡単には信じてもらえないか、と肩を落とす士道。
ただ、彼女の言葉にはまだ続きがあった。
「けれど、あなたの言葉は信じたい。それに、現に〈プリンセス〉が霊力を失っているという事実もある」
「じゃあ」
「今は、信じる」
淡々と語る折紙とは対照的に、士道は喜びを隠そうともしなかった。小さくガッツポーズまで作る始末である。
「うれしいよ、こんな突拍子もない話を信じてくれて」
「でも」
感謝の言葉を遮るように、彼女はぴしゃりと言い放った。
「その霊力の封印は、確実なものだと言えるの? 二度と、精霊が力を取り戻すことはないと断定できるの」
「それは……」
誤魔化すという選択肢はある。
これが大人同士の会話であるのなら、それもいい。すべてを馬鹿正直に話す必要はない。
だが、彼女は大人か?
「絶対、とは言えない」
これは交渉でも取引でもなく、対話なのだ。素直に事実を述べるべきだろう。
「精霊の感情が大きく乱れると、一時的に霊力が逆流してしまうらしい」
「つまり、危険は残るということ」
「……そうだな。ゼロとは言えない」
ここから先、十香の感情が乱れて一瞬力を取り戻してしまう可能性はある。そうなれば、どのみち折紙には事実を知られることになるのだ。今この場で危険はないと言ってしまえば、その時になって不信感を抱かせてしまうことになる。
「いつ害をなすかわからない存在を放置しておくわけにはいかない。それに、積極的に人間を襲おうとする精霊も決していないとはいえない。だから、私はASTをやめることはできない」
戦いをやめてほしいという士道の願いに対する答えは、否定。
一切迷いのない返答は、彼の気概を削ぐには十分だった。
「ちょっと、お手洗い借りてもいいか」
「ここを出て突きあたりを右にある」
いったん時間を置きたかったのと、単純にわずかな尿意を催したこともあり、士道は立ち上がってトイレに向かった。
「ふー……」
そもそも、彼女はどういった経緯でASTに入ったのだろうか。
まだ15歳の少女が立ち入る場所としては、あまりにも不釣り合いだ。もっとも、それは士道の妹である琴里にも当てはまるのだが。
「もう少し、粘ってみるか」
士道の思いに変化はない。やはり折紙に命がけの戦いに身を投じてほしくはない。
まして、相手が十香のような純粋な精霊だったら、なおさらだ。対立する必要なんてないのだから。
「よし」
用を足して気合いを入れ直した士道は、再び折紙のいるリビングへ戻った。
「すまん、待たせ……て……」
戻った瞬間、士道の上着に顔をうずめている折紙の姿が目に入った。
「………」
こちらの存在に気づいた途端、彼女は人間業とは思えない軽やかな動きでもといた場所に戻り、紅茶を一口すする。
「あ、あの、鳶一?」
「おかえりなさい」
「いやその、今のは」
「おかえりなさい」
……どうやら、なかったことにするつもりらしい。
「おかえりなさい」
「……ただいま」
正直かなりショックだったので、士道も見なかったことにしようと決断した。
「さっきの話」
「ん?」
「別に、あなたの考えを否定しているわけではない。そこはわかってほしい」
混乱気味だった思考を切り替え、折紙の言葉にしっかり耳を傾ける。
「精霊と対話しようとするあなたの姿勢も、ひとつの解であることに違いはない。ただ、私も私の考えで、戦うことを選んでいる。それだけ」
「どうしても、駄目か?」
「………」
無言になる折紙に、士道は必死に言葉を投げかける。
「霊力を封印した精霊のアフターケアは、俺達がちゃんとやってみせる。暴走しないように、しっかり見ていくつもりだ。それに、もし人間に悪意を持っている精霊が現れたとしても――」
自然と語調が強まる中、士道がさらに畳み掛けようとした時だった。
「私の両親は、精霊に殺された」
氷のように冷たく鋭い声が、部屋中を支配した。
「え……?」
「5年前、街が突然炎に包まれた。精霊の力によるものだった」
感情を押し殺すように、ゆっくりと言葉を続けていく折紙。
彼女の目は、すでに士道を見ていなかった。
「私が家に戻った時、まだ両親は無事だった。すぐに駆け寄ろうとした」
「鳶一」
「目の前で、何かが光った。私は思わず目蓋を閉じて、次に開けた時には、そこには誰もいなくて、跡形もなく消えていて、私は」
「鳶一っ!」
身を乗り出し、折紙の肩をつかむ。彼女の体は、痛ましく小刻みに震えていた。
「あ……」
我に返ったのか、気の抜けた声を出す。
「……ごめんなさい」
「いや……」
謝る折紙の肩から手を離し、士道は彼女にかけるべき言葉を探す。
だが、何も思いつかない。
「許すわけにはいかない」
今度は、強い意思のこもった声だった。
「私からすべてを奪った存在を、私は許さない。二度と、私のような人間を生み出さないためにも……私は、精霊と戦う。そのために、今まで生きてきた」
「鳶一……」
自分がいかに甘い考えを持っていたか、士道は痛感していた。
きっと彼女は、これまで精霊を倒すことだけを目標に生きてきたのだろう。先ほどの一連の反応で、それがはっきりと理解できた。
そんな彼女に、戦いをやめさせるということは。
すなわち、彼女の生きる目的を奪うことと同義である。
「でも、心配しないでほしい。今の段階では、夜刀神十香に手を出すつもりはない」
平静を取り戻した様子の折紙は、無表情で士道にこう告げた。
「現在の彼女に霊力がないのは事実。彼女に関しては、今はあなたに一任する」
「それは……ありがたい話だけど」
「感謝している。私にこれだけの情報を開示してくれたことを、うれしく思う。約束した通り、私は今日聞いたことを上に報告するつもりはない」
そう言って、折紙は本当に少しだけ唇の端をつり上げた。
「ああ、ありがとう」
とりあえず、霊力を封じた精霊に戦いをしかけるつもりはないようだ。
それがわかっただけでもよかったと、士道は素直にそう思う。
「じゃあ、俺はそろそろ帰るよ」
今日のところは、これ以上話すことはないだろう。
そう考え、士道がおもむろに腰を上げると。
「待って」
「ん?」
「もう少し、話しておきたいことがある」
どうやら、折紙の方はまだ用事が残っているらしい。
士道がもう一度テーブルの前に座り直すと、真っ直ぐこちらを見つめてきた。
「先ほどあなたは言っていた。精霊の霊力を封じるためには、あなたがキスすることが必要だと」
「うん、そうだな」
「それは、キスでなければ駄目?」
「え? まあ、そうらしいけど」
「どうしても?」
なんだかものすごく食い下がってくる様子の彼女に、士道も押され気味になってしまう。
「は、はい」
「………そう」
注視しなければわからないレベルだが、折紙の表情が険しくなった。程度はわからないが、不機嫌になっているのは間違いない。
「もうひとつ聞きたい」
「なんでしょう」
「夜刀神十香のことを、恋愛対象として見ている?」
「ばっ、そんなわけないだろ! 転入してきたばかりとはいえ、あいつは俺の生徒だぞ」
「でも、彼女はあなた好みのスタイル」
「それとこれとはだな……」
どうにも話の方向性が見えないことに戸惑う士道。いったい彼女は何が言いたいのだろうか。
「………」
「………」
そうこうしているうちにお互い黙り込んでしまい、妙な空気が場を支配する。
「あ、あの」
「あなたはASTに注目されている」
「へ?」
士道がなんとか口を開こうとしたところで、折紙が聞き捨てならない言葉を発した。
「先週の金曜日。最後に夜刀神十香とともに姿を消したのは、どうやって」
「あれは……転移装置ってやつで移動したんだよ」
考えてみれば、士道と十香はAST隊員である折紙の目の前で突然消えたのだった。何かしら怪しまれても仕方がない。
「ASTは、あれを精霊の
「それで……?」
「あの日、精霊と行動をともにしていたこと。忽然と姿を消し、週明けには何事もなかったかのように出勤していたこと。加えて、〈プリンセス〉があなたのクラスに転入してきたこと。これらの要素によって、ひとつの決定が下された」
折紙のポーカーフェイスからは、次に出てくる言葉を予想することは到底できない。士道はただ、息をのんで見守るのみである。
「その決定っていうのは」
「五河士道という人物を見極めるために……私が監視役に選ばれた」
「監視役?」
「文字通り、あなたのことを監視して上に報告書を提出するのが仕事」
どうやら、すぐに士道自身になんらかの処分が下されるというわけではないらしい。
「もちろん、あなたの秘密は守る。けれど、仕事をしている姿は見せる必要がある」
「それは確かに」
「だから、今日からあなたのことを監視する」
なぜかズイッと顔を近づけ、折紙は宣言するように士道にそう告げた。
「わ、わかった。仕事なら、仕方ないよな」
「理解が早くて助かる」
「ちなみに、監視っていうのはどれくらいのレベルで行うんだ?」
もともと形だけの監視になるだろうし、そこまで厳しいものにはならないだろう。そう思いつつ、士道は尋ねたのだが。
「……監視は、監視」
なにやら意味深な答えを返されて、背中に嫌な汗をかいてしまった。
監視役(意味深)という大義名分。
士道が博打を打ちましたが、ラタトスクという組織の名前やそれに関する詳細までは話していません。現時点で話す必要もないですので。
あと折紙さんが原作よりも攻めが控えめなのは、原作との立ち位置の違いが影響しています。まず恋人じゃないですし。
次回もよろしくお願いします。