『緊張しすぎるんじゃないわよ。噛み噛みでまともに話せないようだと対話にすらならないんだから』
「わかってる……多分、おそらく」
『小声で不安になるような発言を付け足すのはやめてもらえるかしら』
訓練開始から10日後。ついに士道にとって、〈ラタトスク〉にとっての本番がやってきた。
4月10日に出現した精霊〈プリンセス〉が、再び天宮市に姿を現したのだ。
『ASTの妨害なしに接触できるまたとないチャンスよ。必ずものにしなさい』
右耳にはめているインカムから、琴里の声が聞こえてくる。何かあったらすぐに士道に指示を飛ばせるよう、通信の確保は欠かせない。
現在、精霊は来禅高校の校舎内で立ち止まっている。屋内での戦闘を苦としているASTは、彼女が外に出てくるのを待っているらしい。
その膠着状態の合間を縫って、士道は校舎内に侵入したわけだが。
「俺のクラスの教室にいるっていうのは、変な偶然だな。琴里、もう中に入っても大丈夫か」
『ええ。気合い入れて行ってきなさい』
「よし」
確認をとってから、士道は教室の戸に手をかける。
ここからが勝負だ。鳶一折紙に危険な真似をさせないためには、この場で失敗するわけにはいかない。
「……失礼します」
一言断りを入れながら、ゆっくりと戸を引いて教室の中に足を踏み入れる。
夕陽が射し込む部屋を見渡し、彼は窓際の机に誰かが腰掛けていることに気づいた。
「………」
ドレスのような鎧を身に纏った、黒髪の少女だった。腰まで届きそうな長い髪は、蝶のような形のリボンでくくられている。
不思議な輝きを持つ澄んだ瞳は、今しがた教室に入ってきた士道をまっすぐ見据えていた。
思わず言葉を失ってしまいそうになるほどの美しさ。これも精霊の力なのかと、そんな考えが士道の脳裏をよぎる。
「俺を攻撃する前に、聞いてほしい」
士道も目を逸らさず、事前に準備していた言葉を口にする。
「俺は、君を襲うためにやってきたわけじゃない」
精霊が出現している間は、一般人は全員シェルターに避難している。ほぼ間違いなく、彼女は今までAST以外の人間と接触したことがないはずだ。
だから、彼女の中では『人間=自らに害をなすもの』という認識ができていてもおかしくない。そう士道は考えたのだ。これには琴里をはじめとしたクルー達も同意していた。
その認識を変えるために、まずはこちらに敵意がないことをはっきり示す必要がある。
「ただ、君と友好的な関係を築こうと――」
だが、彼の言葉は最後まで続かなかった。
精霊が立ち上がったかと思うと、次の瞬間には彼女に胸倉を思い切りつかまれていたのだ。
「襲うためにやってきたのではないだと? そう言って油断させるのが目的か」
「ち、違う。俺は」
「ふん、信じられるものか。今だって、いつ私を殺そうかと算段を組み上げているのだろう」
「くっ……」
畜生、と心の中で悪態をつく士道。
予想はしていたが、やはり彼女はまったく人間を信じていない。こんな状態では、まともな会話など望めそうもない。
『落ち着きなさい、士道』
琴里の声が聞こえてくるが、そう簡単に心の制御ができるはずもない。
眼前には、冷めた目つきをこちらに向けている精霊。その気になれば、彼女は士道の体を吹き飛ばすことだって簡単にできるだろう。
どうすれば、彼女に心を開いてもらえるのか。考えれば考えるほど、どんどん頭がこんがらがってくる。
「言え。何が狙いだ」
頭が真っ白になる。特に意味もなく、彼女の全身に視線をやる。
顔や腕、脚を眺め……そのうち、ある部分に目を奪われた。
「でかい」
「なに?」
思わず口走ってしまうほど、豊満なバスト。すでに映像で目にしてはいたが、生で、しかも至近距離で見るそれは本当に美しい形をしていた。
……そして、この状況でそんなことを考えることができる己の思考に、士道はほとほと呆れかえっていた。
「……ははっ」
呆れかえると同時に、混乱していた頭が冷えていくのを感じる。
「なぜ笑っている」
「いや……人間、そう簡単に本質は隠せないと思ってな」
「隠す? やはり私を騙そうとしていたということか」
「違う。そうじゃない」
窮地に立たされても胸に注目してしまうなんて、本当にどうしようもないやつだと自嘲する。
だからこそ、もう開き直るしかないと士道は考えた。
事前に用意しておいた言葉など、ほとんど役には立たないだろう。相手のことをまったく知らない状態で考えたのだから。
今この場で彼女を知り、その都度言葉を紡いでいくしかないのだ。
「もう一度言う。俺は、君を襲うつもりはない。ただ、話をしに来ただけなんだ」
「……話だと?」
「俺は丸腰だ。君を不意打ちしようとしたってできやしない。武器を隠してるって疑うんなら、ここで全裸になってもいい」
そう言って、スーツに手をかける。
「……まあいい。どうせ人間ひとりでは、私に傷をつけることなどできはしない」
〈プリンセス〉は、士道の胸倉をつかんでいた手を離して一歩後ろに下がった。
「話をするとは、どういうことだ」
「互いのことを知るために、ちょっとお話ししようってだけさ。君は人間のこと、ほとんど知らないだろう?」
士道に危害を加えようという様子は見受けられない。この機会を逃さず、話を進めていくしかない。
「たとえばさ。君は人間が全部で何人いるか知ってるか」
「全部で?」
こちらの質問に腕を組む彼女。どうやら真面目に考えてくれているらしい。
「……100、いや200か?」
「残念、もっと多いぞ」
「では1000でどうだ」
「もっともっとだ。この街だけで1万人は越えてるし、世界中全部入れたら何十億にもなる」
「なっ……馬鹿な。私は今まで何度もこの世界に来たが、そんな数の人間がいるとは到底思えん」
「当たり前だ。君がいる間、普通の人間は地下にいるからな」
驚いた表情を見せる少女に、士道はどんどん語りかけていく。対話に必要なのは、とにかく言葉の積み重ねなのである。
「君が今まで出会ってきたのは、君を殺そうとする人達だけだったんだろう。でも、それは人間のうちのほんの一部だ。俺のように、君に敵意を持っていない人間だってたくさんいるんだよ」
「……本当か?」
「本当だ」
「お前は、何者だ」
「俺は五河士道。ここ、来禅高校の教師だ。この2年4組の担任でもある」
「らいぜんこうこう……きょうし……?」
「興味ありそうな顔してるな。教えてやろうか?」
「むっ……ふ、ふん。別にお前のことなど知りたくもないぞ。興味なんて湧いてない」
士道が笑いかけると、彼女はぷいっと横を向いてしまう。
「本当に知りたくないのか?」
「本当だ」
「本当の本当に?」
「本当の本当だ。あまりしつこいと斬るぞ……って、お前、なぜそんな泣きそうな顔をしているのだ」
「……俺って教師だからさ、いろいろ教えたがりなんだよ。だから、そう突っぱねられるとへこむというか」
「なんだそれは……し、仕方ない。それなら、お前のために話を聞いてやろう」
*
「士道くん、うまく会話を運べているようですね」
「ええ。最初はどうなることかと思ったけど、開き直ったみたいね」
少し緊張の解けた様子の神無月の言葉に、琴里は小さくうなずく。彼女の口には、いつも通り好物のチュッパチャプスがくわえられていた。
「さっきから何度か選択肢が出てるけど、止める前に勝手に話進めちゃうくらいだし」
〈フラクシナス〉艦橋のスクリーンには、士道が接している精霊の少女の姿が大きく映し出されている。画面端には好感度等のパラメータも表示されていた。
会話の重要な場面に差しかかると、ウインドウが出てきて3択の選択肢が現れるようになっており、クルー全員で選んだ結果を士道に伝えることになっていたのだが……。
「ここは少し、士道に任せてみましょうか。言葉に詰まるまではね」
にやりと笑みを浮かべながら、琴里は精霊と対話する兄に期待を寄せた。
*
「つまり、シドーは大勢の人間にものを教えているのか」
「そう。それが教師の役目だ」
「それはなかなか偉い立場なのではないか?」
「その通り。俺は偉いんだぞ」
「……とてもそうは見えないが」
「君、初対面なのにはっきり言うね……」
会話を重ねていくうちに、少女は士道のことを名前で呼ぶようになっていた。少しは心を許してくれているのだろうか、と士道は希望半分な推測をする。
「あ、そういえば」
「ぬ、どうした」
「名前、まだ聞いてなかったと思ってさ。教えてくれないか」
自分が名乗るだけで、向こうの自己紹介を受けていなかったことに今さらながら気づく。
……しかし、尋ねられた彼女はなぜか物憂げな顔を見せた。
「名、か。そのようなもの、私にはない」
「ないのか」
「そうだ」
名前というのは、本人の存在を示す大事なものだ……と、士道は考えている。それ以外にも、ないといろいろ不便だったりする。
「お前がつけるか?」
「えっ」
「必要な物なら、シドーがつけろ。私の名を」
「……それは、すっげー大事な役だな」
「ん、そうなのか?」
「ああ。名前っていうのは、そういうもんだ」
さてどうしたものかと首をひねる士道。
人に名前をつけたこともないのに、いきなり精霊の名付け親になることを求められてしまった。
*
少女の発言を受けて、〈フラクシナス〉のクルー達はおのおの彼女にふさわしい名前を考えることを命じられていた。
「もうちょっとマシな案は出ないのかしら……」
提示された名前の数々を眺めて、琴里はやれやれとため息をついた。
別れた女の名前だったりいわゆるキラキラネームだったり、碌なものがない。
『
「ここは私が考えて……」
と、そこで琴里は中央スクリーンへ視線を戻す。待たせていることで精霊が不機嫌になっていないかチェックするためだ。
『たとえば、この香という字はいい匂いがするって意味なんだけど、もうちょっと広げて声や姿、雰囲気がいいというニュアンスにもなりえるんだ』
『奥が深いのだな、言葉というものは……見た目が気に入ったから、これを私の名に入れられないか』
『よし、じゃあ一文字決まりだな』
待たせるどころか、勝手に命名作業が始まっていた。
士道が黒板に様々な漢字を書き、それぞれの意味を説明している。
「……そういえば、シンは国語の教師だったね」
艦橋下段でスクリーンを眺めていた令音が、感心したような口ぶりで言う。
「もう一部決まっちゃったみたいだし、いいかしら」
漢字に関する知識は豊富なようだし、ここのメンバーが考えるよりはいいのかもしれない。そう思い、琴里は彼らのやり取りを見守ることにした。
*
「うーん、そうだな……じゃあ、十香、なんてどうかな」
ある程度煮詰まってきたところで、士道は名前候補のひとつを示してみた。
「トーカ? この十の字と、香の字をくっつけたのか?」
「よくわかったな、正解だ。君が気に入った漢字の中で、組み合わせても問題なさそうなのを選んでみた」
「ふむ、なるほど。それで、どういう意味になるのだ」
興味津々、といった様子で尋ねてくる姿を見ていると、彼女が人間でないことを忘れてしまいそうになる。
「さっき教えた通り、十の字はただ数字の10を表すだけじゃなくて、全部がよくまとまっているという意味がある。十分とか十全とか、その辺の言葉が例だな」
「香の字は、確か匂いや姿がいい、という意味だったな」
「そう、つまり、それを合体させると」
黒板に大きく『十香』の文字を書いて、士道はその部分を軽く叩いた。
「完璧な魅力ある美人、ということになる!」
「……な、なんだか偉そうな名だな」
困惑したような顔を見せる彼女だが、本気で嫌がっている風には感じられない。
「シドー。その、私にはその名に恥じぬ魅力があるのか。人間の感情は、よくわからん」
「魅力ありありだって。10人に聞いたら10人とも美人と答えるくらいにはな」
整った顔立ち。見るものを妙に惹きつける瞳の色。
そして何より、胸部に実ったたわわな果実が――
「……卑猥な視線を感じる」
「き、きき気のせいだ」
危うく注視しすぎるところだったと反省する士道。こんなところで機嫌を損ねていては今までのことが台無しになりかねない。
「シドー。一度十香と呼んでみろ」
「……十香。どうだ、響きは」
「うむ、いい感じだ」
そう言うと、彼女は初めて士道に笑顔を見せたのだった。
「私の名は、十香に決まりだ。シドー」
「ああ」
そのうれしそうな表情に、嘘偽りはないだろう。
今ならもっと、いろいろな話ができそうだ。
「十香。ちょっと聞きたいことが――」
話しかけようとした矢先、耳をつんざくような爆音とともに校舎が激しく揺れた。バランスを崩した士道は、そのまま床に倒れこんでしまう。
『そのまま伏せておきなさい。撃たれたくなかったらね』
体を起こそうとしたのを琴里に止められた次の瞬間、今度はおびただしい数の銃撃が教室の窓ガラスを突き抜けてきた。
「な、なんだこれ……!」
『ASTの攻撃よ。精霊が怒って出てくるのを待っているのか、それとも校舎を破壊して逃げ場をなくすつもりなのか』
いつまでも出てこない精霊にしびれを切らした、ということらしい。
十香の様子を見た士道は、彼女の顔がひどく悲しげに歪んでいることに気づいた。
「十香」
いったん4組の教室への銃撃が止んだのを確認してから、士道は立ち上がって彼女のもとへ歩いていく。
「逃げた方がいい。ここに留まっていては、シドーも撃たれてしまう」
最初に聞こえた爆音の存在から、ASTは銃だけでなく爆弾の類も使用していると考えられる。
そうなると、校舎が崩れるまであまり時間は残されていない。
「そうだな。でも」
猶予がわずかしかないのなら、次の機会のことを考えるべきだ。
「その前に、指切りしよう」
「指切り? なんだそれは」
「約束をするってことだよ。また会おうって約束をな」
士道の言葉に、十香の瞳が揺れる。驚いているのが、彼にもよくわかった。
『会う約束をするなら、どこか大きな建物の中に入ってくれるよう頼んだ方がいいわね。今回みたいに、ASTが手を出すまでにある程度の時間が生まれるはずよ』
琴里のアドバイスを耳に入れつつ、士道は続けて十香に語りかける。
「今度こっちに来た時は、すぐ大きな建物の中に入ってくれると助かる。そしたらまた、今日みたいに十香と話せるから」
「……また、私に会いに来るのか?」
「だって、まだ全然話し足りないからな。十香だって、いろいろ聞きたいことが残ってるはずだ」
「………」
「だから、約束しよう。なっ」
笑顔で右手を差し出す士道。対する十香は、しばし黙り込んだ後、こくりとうなずいた。
「いいだろう。約束だ」
「よし、じゃあ指切りだ」
「シドーの指を切ればいいのか?」
「違う違う違う! 怖いから変な光は出すな!」
十香の指先に淡い光が灯りかけたので、全力で制止する。
「指切りっていうのはな、こうして小指を立てて」
「こ、こうか」
「そう。で、そのままお互いの指を絡めて」
指切りの形を教える士道と、真似する十香。やがてきちんと準備ができあがる。
「うん。じゃあ……指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます!」
「は、針を千本? すごく痛そうだぞ」
「痛い思いをしたくなかったら、ちゃんと約束守ってくれよ?」
手を離して、もう一度十香に笑いかける。すると彼女も、同じように笑い返してくれた。
「シドーも、約束を破るな」
「わかってる。じゃあ、またな」
「ああ。またな」
再会を前提とした別れのあいさつを交わし、士道は教室を出た。
*
「お疲れ様。どう? 初仕事の感想は」
〈フラクシナス〉に回収してもらった士道は、その足で艦橋に向かって琴里と会っていた。
「……正直、予想以上にうまくいったと思う」
「そうね。私達から見ても上出来だったわ。ほとんどこっちの出る幕なかったし」
艦長席に座る琴里は、その言葉通りに上機嫌に見える。
士道の方も、緊張から解かれたことで表情が緩んでいた。
「精霊っていっても、普通の子とあんまり変わらないんだな。なんていうか、途中から普通にうちの生徒と話してるみたいだった」
直接会って対話を行ったことで、士道の中の精霊に対するイメージは大きく変わっていた。
その身に宿す力はともかくとして、彼女の精神は人間のものと大差ないのではないか、と。
「あの子が……十香が、好きこのんで人間を襲うとは考えられない。だから、彼女が命を狙われ続けてる今の状況は、気持ちのいいもんじゃないな」
「……つまり、次も会う気満々なわけね」
「ああ。というか、約束してたの聞いただろう」
「破ったら殺されるわよ、士道」
意地の悪い笑みを浮かべる琴里に、士道ははっきりとうなずいた。
「そうならないように、頑張るよ。十香に、人間の中で生きていくことを選んでほしいからな」
おっぱいで冷静さを取り戻す士道先生の巻。
さすがに初対面で揉みにかかるという非常識極まりない真似はしませんでした。その辺は真面目です。折紙のために頑張ろうと決めていますので。
原作1巻の内容も後半戦に突入。ぼちぼちまとめにかかります。