「……ふむ。メディカルチェックの結果、異常はなし。ご苦労様、シン。もう自由にしてかまわない」
「そうですか。じゃあこれから令音さんとお茶でも」
「……すまないが、私はこれから用があるんだ」
「しゅん」
〈フラクシナス〉に回収された士道は、そこで十香と別れ、体に異常がないかを入念に調べられた。十香の方も、別の部屋で霊力の状態などをチェックされるとのこと。
その検査が今しがた終わり、士道は気持ちよく伸びの姿勢をとっている。
「それにしても、軍服を着る機会なんて一生ないと思ってましたよ」
「……私は似合っていると思うよ」
「ありがとうございます」
体の傷はすでに癒えているものの、衣服は上下ともにとても着られるレベルではなくなっていた。あちこち切り裂かれてしまっては仕方ない。
ただ士道としては、おじゃんになったのが私服でよかったと考えている。これが、就職祝いに両親がプレゼントしてくれた高価なスーツだったとしたら……想像するだけで寒気が走った。
そういうわけで、彼は〈フラクシナス〉にあった予備の軍服に袖を通している。サイズもちょうどよく、なかなか着心地がいい。
「十香の方は、まだ検査の途中ですか」
「……ああ、そうだね。彼女に関しては、より入念に調べておく必要がある。霊力が封印され、人間の中で生活していけるかどうかをね」
「終わったら教えてくれませんか。十香と、早く話したいので」
「……わかった。では、艦内で待っているかね?」
令音の問いに、士道は首を縦に振った。
十香と会えるまでの間は、休憩室にいるクルーの人達と話をしていれば退屈しないだろう。
*
1時間ほど経って、士道は令音の案内である部屋を訪れていた。
「シドー!」
「十香、体は大丈夫か」
「ああ、問題ないぞ!」
病衣を着て白いベッドの上に座っていた十香は、士道が部屋に入って来た途端に元気よく立ち上がった。
「……彼女の中にあった霊力のほとんどは消え、今はもうほとんど人間と変わらない状態だ」
「そうですか。本当によかった」
令音の言葉を聞いて、士道はほっと胸をなでおろす。
十香の霊力の封印は、無事成功したのだ。
「シドー。私は本当に、この世界で生きていてもいいのか?」
「ああ、当然だ。今の令音さんの言葉、聞いたろ? 十香はもう、人間だ」
「そうか、そうか……うれしいな、それは。うん、うれしい」
満面の笑みを浮かべ、十香は何度も同じ言葉を繰り返す。そんな彼女の様子を穏やかな顔で見つめてから、令音は部屋を出て行った。きっとまだ、仕事が残っているのだろう。
「また、一緒に遊んでくれるか?」
「もちろん。まだまわってない場所、この街にはたくさんあるからな」
「学校に来いと言っていたのは、本気なのか?」
「本気だよ。十香が望みさえすれば、近いうちに俺の生徒になれる」
士道だって、なんの根拠もなくあんなことを言ったわけではない。
先日、霊力を封じた精霊の暮らしはどうなるのかということを琴里に尋ねた際、こんな会話があったのだ。
『まずは戸籍を作って、衣食住を揃えてあげるわ』
『……すげえ軽く言ってるけど、それ可能なのか』
『楽勝よ。〈ラタトスク〉を舐めないことね。多少のインチキなら朝飯前だから』
『マジか』
『なんなら〈プリンセス〉を士道の学校に通わせることもできるわよ。あの子、見た目は高校生くらいでしょう』
『へえ』
つまるところ、〈ラタトスク〉の権力バンザイという話である。
「おお、ぜひ行きたいぞ!」
「わかった、俺から話しておくよ。……それでさ、十香」
こほんと咳払いをひとつ挟んで、士道は居住まいを正した。
「ぬ、どうした?」
「その、ごめんな? あの時、いきなりキスなんてして」
緊急事態だったとはいえ、断りもなく女の子の唇を奪ったのはよくない。素直に謝っておかなければならないだろう。
「キス、というと……お前の妹が教えてくれた、唇を重ねあう行為のことだな」
「妹?」
「先ほど部屋に来て、話してくれたのだ。私が撃たれた後、何があったのか」
今まで元気いっぱいだった彼女の声が、急に尻すぼみになる。笑顔は消えて、少し顔を下に向けていた。
「あの時、私はほとんど意識を失っていた。自分が何をやっているのかもわからないまま、ただ立ち尽くしていた。……そんな時、シドーの声が聞こえてきた」
「必死で声張り上げたかいがあったってもんだ」
「正直、その後のこともよく覚えていない。ただ……そのキスとやらの感触だけは、不思議とはっきり残っている。とても、温かかった」
「……そ、そっか」
あまり胸が熱くなるようなことを言わないでほしいと、士道は心の中で訴える。
キスの瞬間を思い出したことで危うく胸以外の部分も熱くなるところだったが、聖職者の意地でなんとか押さえつけた。
「まあ、何はともあれ無事に済んでよかった。一般人に被害はなかったみたいだし、終わりよければすべてよしってやつだ」
「しかし、私はシドーを傷つけてしまったらしいではないか。きっと痛かったはずだ」
「大したことないって」
「いや、それでは私の気が済まん」
ぶんぶんと首を横に振った十香は、しばし口をぱくぱくさせた後、意を決して言葉を絞り出した。
「し、シドーは胸が好きなのだろう?」
「大好きですね」
「一片の迷いもなく言いきったな……」
食い気味に返事をしたら若干引かれてしまった。が、本能で答えてしまったので仕方がないと割り切る士道。
「その、だな。こんなことで、許されるとは思っていないのだが……いいぞ」
「いいって、何が」
「だから、私の胸を触ってもいいと言っているのだ」
「……な、なんだって?」
いきなりの爆弾発言に、思わず十香の言葉を聞き返してしまう。
「せめてものお詫びだ。こんなものでいいのなら、いくらでも触らせてやる。揉むのもありだ」
「いや、いくらでもって……恥ずかしいだろ?」
「た、確かにそれは事実だ。だが、我慢する」
顔を真っ赤にして消え入るような声でつぶやく十香。それでも、ずいっと上半身をこちらに突き出してきた。
「ま、待て待て。俺はいったん触ったら歯止めが効かなくなるぞ? 力入れてモミモミしたり、めっちゃ粘っこく揉んだりしちゃうぞ?」
「か、かまわないと言っているだろうっ」
「………」
士道は奇妙だと思った。
なんと、自分の両手が勝手に十香の胸部へ伸びていくではないか!
「………」
ごくり、と唾を飲みこんだ。
そして、いよいよ禁断の果実へ触れるか触れないかのところまでやってくる。
あと少し、あと少しだけ手を前に動かせば……
「こんのエロアホ兄がっ!!」
「ざふとっ!?」
「し、シドー!?」
直後、士道の体は部屋に乱入してきた琴里の飛び蹴りにより吹き飛ばされていた。
「ふん、ざふとだって。義勇軍かっての」
「な、何をする妹よ」
「それはこっちのセリフよおっぱい星人。外で様子をうかがってたらとんでもない場面に遭遇したわ」
冷たい視線で士道を睨みつける琴里。
「だ、だって十香が触ってもいいと」
「あんたは罪悪感に駆られて仕方なーく体を差し出した女の子の胸を平然と揉むっていうの?」
「……た、確かに」
十香のあまりに魅力的な提案に、冷静な判断力を失ってしまっていた。
おっぱいは人を狂わせる。その事実を痛感しつつ、士道は彼女に頭を下げた。
「ごめん十香。やっぱりそれは駄目だ」
「むう……だが、それでは」
「気持ちだけ、ありがたく受け取っておくよ。それで十分うれしいから」
「十香。女の子はね、そう易々と男に肌を許しちゃいけないのよ。士道に申し訳ないって気持ちがあるなら、他のことで罪滅ぼししなさい」
それでも少し納得のいかない様子であった十香だが、最後には士道と琴里の言葉を受け入れてくれた。
「それはそうと、あなた達もう寝た方がいいわよ。日付け変わってるし」
「え、マジで?」
「嘘ついてどうするのよ」
朝に十香と出会ったところから始まった激動の1日は、士道の知らないうちに終わりを迎えていたようだ。
「眠るのか?」
「そうだな。あんまり夜更かしすると体に悪いし」
今が深夜であることを意識すると、急に眠気が襲ってきた。布団に倒れこんだらすぐに寝てしまいそうなくらいである。
「また、会えるのだな?」
「当たり前だ。これからはいつだって会えるさ」
不安げな表情を見せる十香に、士道は優しく微笑む。
彼女はもう、ひとりで戦い続ける孤独な存在ではないのだ。
「そうか……じゃあ、また明日だ」
「ああ、おやすみ」
「霊力のない体にはまだ慣れないかもしれないけど、ゆっくり休みなさい」
就寝前のあいさつを交わして、士道は琴里とともに部屋を出た。
「琴里。十香のやつ、学校行きたいってさ」
「そう。なら早速、転入の手続きに取りかからないとね。今日はもう寝るけど」
「……すごいな、お前。いつの間にか、大きくなっちまって」
「すごいかどうかは知らないけど、士道より社会での立場は上ね」
偉そうに胸を張る琴里の頭に、無造作に手を置く。
「な、なによ」
「困ったことがあったらいつでも言えよ。お兄ちゃんが力になってやる」
「ふ、ふんっ。士道の力なんてあてになんないわよ」
「それでも、ないよりはマシだろう」
軽く妹の頭を撫でながら、士道は悪戯っぽく笑った。
「そうだ。十香の状態も安定してるみたいだし、明日みんなで祝勝会をやる、なんてどうだ?」
「あら、士道にしては悪くない提案ね」
精霊と対話し、霊力を封印するという挑戦に初めて成功したのだ。クルーの人達も達成感を味わっているのではないだろうか。
「全員が〈フラクシナス〉を離れるわけにはいかないから、ここでやりましょうか」
「お、いいなそれ」
祝勝会に関して元気に話し合いながら、士道と琴里は家路についたのだった。
「あ、言い忘れてたけど、命令無視の罰として帰ったら説教だから」
「う……すみませんでした」
*
週が明けて、月曜日がやって来た。
先日破壊された来禅高校の校舎も無事元通りになり、今日から授業が再開される。
「鳶一」
校舎へ足を運ぶ生徒の中に見慣れた姿を見つけた士道は、彼女に歩み寄って声をかけた。
「おはよう」
「おはようございます。……よかった」
「え?」
「元気そうでなにより」
眉ひとつ動かさずに折紙が語っているのは、おそらく先週末に士道が無茶をやって傷だらけになったことについてだろう。
「あの時は助かったよ。留守電入れてたの、聞いてくれたか?」
「聞いた。でも、こうして自分の目であなたが無事なのを確認して、改めてほっとしている」
土曜日の午後のこと。折紙とほとんど話せないまま〈フラクシナス〉に戻ってしまったため、士道は自分の体に問題がないことを伝えようと電話をかけた。が、どうやら彼女は不在だったようなので留守電だけ残しておいたのだ。その後もう一度だけかけてみたのだが、その時も電話はつながらなかった。
「週末は家を空けていた。電話に出られなくてごめんなさい」
「いや、いいんだ」
こちらが無事であることさえ伝えられればよかったのだから、なんの問題もない。
「……それでだな。あの時、後で話を聞かせるって約束しただろ?」
「覚えている」
「結構長い話になるんだが、いつがいい?」
「いつでもかまわない。でも、できるだけ早くにしてほしい」
そうか、とうなずく士道。
折紙とはじっくり話しておきたいので、ゆっくり時間がとれる時を選んだ方がいい。
「なら、明日の放課後でいいか? 今日はちょっと忙しいんだ」
「わかった」
こくりとうなずく折紙。素直に受け入れてくれたようだ。
その後、士道は彼女と一緒に校舎に入り、職員室手前の廊下まで並んで歩いた。
「そうだ、鳶一」
「なに」
「今日、うちのクラスに転校生が来ることになってるんだが……あんまり驚かないでほしい」
「……?」
首をかしげる折紙を残して、士道は職員室に入っていった。
*
「夜刀神十香だ。よろしく頼む」
朝のホームルームで、士道は鳶一折紙が目を丸くするという貴重な姿を捉えることができた。
「好きなものはきなこパン、嫌いなものは……っと、ここでは言わない方がいいのだったな」
士道が教えたやり方で自己紹介をする彼女は、ちょっと前まで精霊だった女の子。
その美しい容貌に、生徒の大部分が見惚れている。
ちなみに、夜刀神という名字は令音が考案したものである。なかなか他に見ない名字だが、不思議と十香によく似合っているように士道には感じられた。
「せんせー! その子ってこの前先生とデートしてたよね?」
「どういう関係なのか説明を求める!」
「返答によっては……」
十香の顔をばっちり覚えていた亜衣、麻衣、美衣の3人組が立ち上がった。彼女達の発言に、黙っていた他の生徒達もざわめき始める。
「シドー! シドーの席はどこなのだ?」
「俺は先生だから席はないぞ」
「なんだ、そうなのか。私はシドーの隣の席がよかったのに」
十香の言葉によって、さらにざわめきが大きくなる。『怪しい……』『美少女が来たと思ったらすでに担任が手籠めにしていた』などなど、事実なら士道が首にされかねない不穏なつぶやきが聞こえてきた。
「ほら、落ち着けみんな。彼女は俺の親戚で、昔から付き合いがあるだけだ。な?」
「ぬ? ……あ、ああ、そうだったな!」
事前に伝えておいた『設定』を思い出したのか、うんうんと何度も首を縦に振る十香。下手な誤解を生まないためにも、こういう話にしておいた方がいい。琴里と話し合った
結果、士道が出した答えがそれだった。
「じゃあ、夜刀神はあそこの席に座ってくれ」
「うむ、わかった」
大きくうなずいてから、元気よく歩いていく十香。生徒達の視線を見る限り、彼女と士道の関係についての疑いはだいたい晴れた……ように見える。
「ぬ」
上機嫌で席に向かっていた十香の足がぴたりと止まる。それは、彼女に与えられた席の隣に、よく見知った顔がいたから。
「シドーから聞いてはいたが……本当に貴様がいるとはな」
「……五河先生の言っていたことが、よくわかった」
睨み合う2人――十香と折紙。少し前まで文字通りの殺し合いを演じていたので無理もないのだが、空いている席がそこしかなかったので、士道としては仕方がないという思いだった。
「ふん」
鼻息荒く椅子に座りこむ十香。さすがにこの場で戦い始めることはなかったようで、士道はほっと胸をなでおろした。
「ホームルームはこれで終わりだ。そのまま授業入るぞー」
4組の本日最初の授業は、士道が担当する現国だった。
「夜刀神はまだ教科書が届いてないから……」
一瞬折紙の顔が視界に入ったが、間違っても彼女に頼むわけにはいかないだろう。
「川端。すまないけど、夜刀神に教科書見せてやってくれ」
「はーい。よろしくね、夜刀神さん」
「うむ、よろしく頼む」
もうひとりのお隣さんである女子を指名して、十香と机をくっつけてもらった。
「よし、じゃあまずは前回やったことの復習だ」
いまだに鋭い視線をぶつけ合っている十香と折紙。
問題はまだまだ山積みだが、今はとりあえず、あの2人が同じ教室で勉強しているという状況を素直に喜ぼう。
そんなことを考えながら、士道は手元の教科書を開くのだった。
これで第1章は終わりです。あまり原作と流れが変わっていませんでしたが、次の第2章からはもう少し原作から離していく予定です。
予想以上の数のお気に入りや感想を頂けて本当に感謝です。次回からは少し間隔をあけての投稿になりますが、今後もお付き合いくださるとうれしいです。
2章からは折紙さんの出番が増えます。士道ももうちょっと先生らしいところ見せます。