鳶一折紙
「琴里のやつ、まだ帰ってないのか」
火曜日の朝。週末から家に戻っていない妹の姿は、今日もなかった。
中学校にはきちんと通っているらしいのだが、十香関連の後始末が多くて〈フラクシナス〉からなかなか離れられないとのこと。
まだ13歳なのに、司令としての仕事を十分にこなしていると部下の信頼も厚い。
「あれ……ひょっとして俺、何ひとつとして妹に勝ってる部分がない?」
可愛いし、賢いし、そのうえ何やらすごい仕事も任されている。
下手にこのことについて意識すると、兄としての尊厳が崩れかねないほどである。
「さーて、朝ご飯朝ご飯」
頭を切り替えて朝食の用意をし、食卓につく。
「せっかくひとりなんだし、優雅に音楽でも聞こうかな」
手を合わせる前にそんなことを思いついた士道は、近くの棚に置いてあるオーディオプレーヤーにCDをセットし、再生ボタンを押した。
「いただきます」
流れ出すのは、士道の好きな曲の中でも最もお気に入りの歌。彼がプライベートで音楽を聴く時は、半分以上がこの一曲である。
当初は毎朝流していたのだが、あんまりいつも同じ曲ばかりなものだから琴里に文句を言われてしまった。以来、彼女のいる場所で流す機会は減っている。
「ふんふんふーん」
何度聞いてもいい歌である。思わず鼻歌を口ずさんでしまうほどだ。
士道的にはこれほど心が洗われる歌はないという評価なのだが、いかんせんあまりメジャーな曲でないのが残念でならない。
「……ふう」
コーヒーを一口すすり、今日の予定について確認する。
授業があるのはいつも通りだが、放課後に鳶一折紙宅にお邪魔することになっているのだ。
用件はもちろん、先日の精霊絡みの一件について。
折紙の目の前で十香の暴走を止めたりした以上、彼女も士道がただの一般人だとは考えていないだろう。
「ちゃんと、話さないとな」
もともと、士道は折紙が精霊と戦うのを止めたくて〈ラタトスク〉の一員になったのだ。今日の会話次第では、その目標達成にぐんと近づける可能性もある。
頭の中で彼女に話す事柄をまとめながら、残りわずかのコーヒーを飲み干した。
*
「おお、シドー! 今日もいい天気だな」
朝のホームルーム前。予鈴より少し早く4組の教室に入ると、十香が輝くばかりの笑顔で士道のもとへ駆け寄ってきた。
「こら、昨日言っただろう。学校ではちゃんと五河先生と呼びなさい」
「む、そういえばそうだったな。すまん」
昨晩、士道は〈フラクシナス〉に用意された十香の部屋を訪れ、学校生活に関する諸注意などを教えた。彼女にいろんなルールを伝える時間が必要だったために、折紙との約束を今日にずらしたのである。
「しかし、名字で呼ぶのはしっくりとこないな」
「そこは慣れていくしかないな。ここでは俺とお前は先生と生徒なんだから、ある程度線引きはしておかないと」
「そういうものなのか?」
「友達感覚でいすぎると駄目になっちゃうからな」
かといって、高圧的に接すればもちろん生徒に嫌われてしまうわけで。そのあたりをしっかり見極められるのがいい教師なのだろうと士道は考える。
「ならば、私も気をつけることにする。改めておはようだ、五河先生」
「ああ、おはよう夜刀神」
精霊の力を失った十香は、しっかり人間の生活に慣れようと頑張っている。それは琴里達〈ラタトスク〉のメンバーにとってもうれしいことだろうし、士道にとっても同じだった。
「十香ちゃん十香ちゃん!」
「ぬ、どうやら呼ばれているようだ。ではなシ、じゃなくて五河先生」
なんとか忘れず言い直すと、十香は声をかけてきたクラスメイトのところへ向かっていった。早速下の名前で呼ばれているところを見る限り、クラスで孤立してしまいそうな気配もない。
この学校には個性派が多いので、多少彼女が常人離れしていても問題なく受け入れてくれるだろう。
「一安心だな」
十香の送り迎えを令音に任せている以上、学校の中での彼女の様子くらいはしっかり見ておかなければならない。そう考えている士道としては、今の状況はとても喜ばしい。
「可愛いよなあ、夜刀神さん」
「殿町か。おはよう」
「おはようっす」
十香がいなくなってすぐ、今度は背後から男子生徒が話しかけてきた。
「先生、本当に夜刀神さんとはただの親戚なんだよな? 手を出したりはしてないんだよな?」
「するわけないだろ。なんでそう思う」
「巨乳だから」
かなり説得力のある理由を提示されてしまった。
「……確かに胸は大きいけど、ちょっと年齢が離れすぎてるからな。俺はもうちょっとおとなびた人が好みなんだ」
「ほうほう。というと、やっぱり村雨先生あたりか」
「いいところを突いてくるな」
それからホームルーム開始までの間、士道は男同士の熱いトークに興じた。
*
そして迎えた放課後。
「ふう」
「あ、五河先生お帰りですか? 今日は早いですねぇ」
「ちょっとこの後用事があるんで、急いで仕事片付けました」
職員室にて作業を終え、ノートパソコンを閉じた士道は、隣の席の珠恵と話しながら帰り支度を整える。
「では、お先に失礼します」
「お疲れさまでしたぁ」
あいさつをして職員室を出た彼は、校舎を後にして予定通り折紙の住むマンションに向かう。
途中和菓子屋に寄って、当店おすすめと書かれた商品をいくつか買っておいた。家庭訪問でもないのに生徒の家に行く以上、何か持っていくのがマナーかと考えたためだ。
「ここか……」
しばらく歩いた後、士道は住所通りの場所にたどり着いていた。
「結構いいところに住んでるんだな」
両親はすでに亡くなっており、現在折紙はひとり暮らしをしていると聞いている。親戚から生活費を多めに送ってもらっているのか……それとも、ASTから手当をもらっているのか。あるいはその両方か。
どのみち、今考えることではなさそうだ。
「よし」
呼吸を整えてエントランスに入り、パネルに折紙の部屋番号を入力する。
『はい』
「遅れてごめんな。五河だ」
『入って』
オートロックが解除されたので、エレベーターに乗り込み6階まで移動する。
そのまま部屋の前までやって来た士道は、扉の横に設置されたインターホンを鳴らした。
「どうぞ」
すぐ近くで待機していたのか、間髪入れずに扉が開かれた。
「お邪魔します」
軽く頭を下げながら、玄関に足を踏み入れ――
「待っていた」
「おう、ちょっと仕事が残っててぶふぉうっ!?」
目に映った光景に、士道は意味不明の叫びをあげていた。
「お、お前、それ」
「?」
無表情で首をかしげる折紙は、可愛らしいピンクのエプロンを身につけていた。
……それだけだった。
それしか身に纏うものがなかった。
いわゆる、裸エプロンと呼ばれる格好をしていたのだ。
「なんつー格好してるんだ!?」
他の住人に見られないようすぐさま扉を閉め、士道は困惑気味に折紙に尋ねる。
なにゆえ、そのような扇情的なスタイルで担任教師を出迎える必要があるのか。
「私には胸がない」
「はい?」
「でも、おとなびた格好をすることはできる」
「……すまん。俺の理解力が足りないのか、鳶一の発言が一切脈絡のないものに思えてしまう」
そもそも裸エプロンとはおとなびた服装と言えるのだろうか。何か根本的なところで間違っている気がするのだが、それをうまく説明できるだけの冷静さは今の士道にはなかった。
「気に入らなかった?」
「いや、そういう問題じゃなくてだな。……とにかく、今すぐ普通の服に着替えてきなさい」
「なぜ」
「女の子がそんなエッチな格好するなってことだよ! これじゃまともに顔も見れないぞ」
事実、目のやり場に非常に困る。確かに折紙の胸はそこまで大きい方ではないが、スレンダーな彼女の体型によく合ったものは持っているのだ。
細く引き締まった手足に、きめ細やかな白い素肌。それを直視できるだけの強靭な心を、士道は持ち合わせていなかった。
「それは困る。着替えてくるから、中で待っていて」
いつものポーカーフェイスを保ったまま、すたすたと部屋に消えていく折紙。残された士道は、彼女が去る前に指さしていた方向に進んでいき、リビングで帰りを待つことになった。
「いきなりとんでもないもの見せられたな……」
危うく朝に考えた話の内容が吹き飛ぶところだったと嘆く士道。
脳裏に焼き付いてしまった折紙の裸エプロン姿は、早く忘れることにしよう。そう言い聞かせながらも、なかなか映像が頭から消えてくれないのだった。
第2章は章のタイトルにもある通り、四糸乃と折紙中心で話を進めていきます。原作ではほとんど絡みがない2人ですね。
感想や評価等あれば、気軽に送ってもらえるとうれしいです。
では、次回もよろしくお願いします。