【英雄志望の悪役モブ転生者、無自覚に原作鬱シナリオをぶち壊す】~拝啓女神様、俺ってこの世界の主人公ですよね?~ 作:歌うたい
早朝のまだ白い空を、一組の鳥が駆けていく。
鳥たちの軌跡はアスガルダムの東へ伸びている。奇遇にも、彼女の下僕が教えた抜け道の方角へと重なった。
彼女らにも、あの二羽が見えている頃だろうか。
そんな感傷を混ぜたのは、決して杞憂などではなかった。憂う必要などない。リゼモーネを捕らえようと手が伸びる事はもう無いはずである。
何故なら、彼女は自らその資格を魔女へと差し出したのだから。
「でけえ⋯⋯あれが、レスクヴァンの屋敷」
「⋯⋯」
貴族街の大屋敷を前にしてか、隣を歩む小男の声は緊張に上擦っていた。エスコートを託すにはあまりに頼りない下僕の様だが、致し方ないともいえる。
十二座の一席を設けるだけあって、屋敷の規模は外観だけでも気圧されるほどに豪奢だった。ショークの反応はむしろ自然である。
しかし、女には微塵の動揺も浮かんでいなかった。
(⋯⋯懐かしい、とまでは流石に思えないけれどね)
彼女からすれば当然だった。
なにせ、自分がこれから住む場所であり、"これまで住んでいたはず"の場所である。
ならば屋敷の規模に動揺なんて、するはずがない。そんな初歩的な『設定的矛盾』など、今さら彼女は犯さない。
「行くわよ」
「え、おいっ⋯⋯くそ、心の準備とかなしかよっ」
演目は決まっている。振る舞いも定まった。
既に気持ちは出来上げている。指先まで丹念に。
ならばあとは存分に、彼女の本領を発揮するまで。
いよいよ屋敷の入り口へと迫る此方に、門番が眉を顰める頃に。
開幕を、心で唱えた。
(さあ、はじめましょう)
幕を上げるかの様に、被っていたフードをめくった。
下り坂を転がる夏風が、染め液で色替えた
門番らしき男が途端に色めきだった。
「り──リゼモーネお嬢様!」
「⋯⋯⋯⋯」
早朝の静けさを裂いた呼び声に、"令嬢"は弱った様に眉を下げた。腰を僅かに落とし、両手を前に組む。
それがリゼモーネが後ろめたい時にする癖と、別れるその時まで観察した彼女はよく知っている。
「よくぞお戻りに!」
「
「い、いえ。それより、こちらの⋯⋯御仁は?」
「私の考えを改めてくださった恩人、ですわ」
「⋯⋯ども」
「さ、左様ですか⋯⋯あの、お嬢様。その
「⋯⋯どうか、聞かないでいただけますか?」
「っ。はっ! 御無礼をお許しください」
慇懃であり、勤めに誠実な男なのだろう。或いは令嬢の機嫌を損ねる訳にはいかないと思ったか。
ショークの事についても、短くなった髪についても深く尋ねない姿勢は彼女にとっても幸運だった。
それに"手応え"も良い。門番の様子を見るに、微塵も気付いた素振りは見せていない。開門を頼めば、門番はなんの躊躇いなく鉄の門柵を押している。
「⋯⋯おっかねえ」
実情を知るショークは目を丸めながら呟いた。
だが屋敷の外際で働く身ならば、こんなものだろうと女は思う。
重く軋む鉄の音と同時に、屋敷への道が開かれる。
レスクヴァンの屋敷は、これまでのリゼモーネを深く知る者ばかりだろう。
令嬢は静かに目を閉じた。瞼の裏には『これまで』から『これから』へと伝えられた人々の名と身分、特徴とおおよその性格が、泡の様に浮かんでは消えていった。
「ありがとう」
「いえ。御礼など⋯⋯ともかく、お嬢様がお戻りになられたことは不幸中の幸いでありました。門番風情がなにをとお思いかもしれませんが、少し肩の荷が下りた気がします」
「⋯⋯不幸?」
「ええ、そう、ですが⋯⋯よ、よもやお嬢様っ、ご当主様の事をお聞きになって戻られたのではないのですか!?」
「⋯⋯お父様のこと、とは?」
「いえ、その、自分の口からはとても。メイド長から詳しくお聞きになられた方が⋯⋯」
「構いませんわ。どうか、教えてくださいまし」
「う、は、はい」
しかし、ジオーサでもそうだったように。己が悪事はどうにも、順調にはいかない巡りにあるのだろう。
後ろめたさに曇る門番の顔付きに、ざわざわと心の奥が騒ぎ出した。
「ご当主様は昨晩に⋯⋯⋯⋯、────何者かによって暗殺されてしまったのです」
そして、予感は的中し。
早くも行く道には暗雲が立ち込める。
(⋯⋯⋯⋯嗚呼、困ったわね)
隣で愕然とするショークをよそに、咄嗟に俯かせた仮面を維持するのに精一杯だった。
転がりこんだ好機は、蓋を開ければ早くも苦難の相を示している。だが不思議なことに、寝耳に水の凶報には『なるほど』と、奇妙な納得があったのだ。
ああ確かに、姫を誑かした悪役がただ栄華を手にする事などあり得ない。御伽噺にありふれた悪役の末路はいずれも凄惨だ。
だから、この先は紛うことなき茨の道。
悪魔の契約に名を連ねたのは、きっと自分もなのだろう。
(
なのに、どうしたことか。自分はちっとも狼狽えていない。それどころか笑いが零れてしまいそうだった。
こんなところまで、あの娘とそっくりだなんて。
なんとも皮肉で、気の利いた喜劇だ。
『自惚れた性悪女の相手に、英雄なんざ勿体ねえ』
(ええ。喜んで)
愛果ての願いが叶うならば、喜んで目を潰し。
灯った心の火を頼りに、茨の道を歩むだろう。
カルペ・ディエム。無責任で無慈悲な言葉を抱き締めるのは、もう一度舞台に臨むと決めた愚かな女の覚悟。
あの夜の戯れ言をなぞりながら、悪女は一寸先の闇へと踏み出した。