Blank Paper 〜凡人サイクリストのオレが天才メカニックに恋してしまった結果〜 作:fuyu_plus
もし来年、同じ状況になったとしたら、その時は負けない。
金城はそう宣言し、福富と共に総北高校へ戻るべく脚を回していた。
練習とは違い、軽いギアを軽快に回す。心拍数も上がっていない。会話をするには丁度いい強度だった。
サイクリングロードの道幅が広くなったところで、金城は脚を緩めて福富に並んだ。もう一つ、話忘れていることがあったのだ。
「瀬上が……さっきの女子だが。すまなかったな」
「いや。……彼女の怒りは尤もだ」
福富は静かに頭を振った。
あのインターハイの後、福富がチームから何を言われたか、金城は知らない。
責められたのか、呆れられたのか、慰められたのか。それはわからないが、主将を継いだということは、チームの中ではやはり不動の信頼を得ているのだろう。
であれば、もし批難されたとしても、その根底にあるのはおそらく信頼や期待だ。
だが田所や瀬上が浴びせたものは、違う。福富も攻撃されることを覚悟して来たのであろうが、あの剣幕に気圧されるところもあったのではないか。
「メカニックなんだ。普段は落ち着いているが、自転車のことになると少々見境なくてな」
言い方の是非は別として、金城には瀬上の言っていることがよく理解できた。むしろあれくらいの意志がなければ、金城も機材を任せてはいない。だから今回福富に食ってかかった件について、彼女を指導しようという気はなかった。
そのことを言外に補足すれば、福富は頷いた。
「だが、いいメカニックだ」
「……そうだな。助かっている」
福富はそれ以上何も言わなかったが、そこには様々な意味が込められているであろうと金城は思った。
手嶋のキャノンデール──その乗り心地は相当にいいはずだ。金城のトレックと同じように。
それは手嶋本人が丁寧に扱っているのはもちろんだが、瀬上の腕に因るところも大きい。
スムーズな変速、なめらかに動くチェーン、制動性の良いブレーキ。メカニックがしっかりと面倒を見ている証拠に他ならない。
そして福富ほどの実力者が、その自転車の良さをわからないはずもないのだ。
今回の落車で、金城はフレームを新調することになった。それをきっかけに、それまでの馴染みだったスポーツサイクル浜田から寒咲サイクルへとかかりつけの自転車屋を変えた金城だったが、瀬上が調整した自転車を見た浜田が感心していたのを覚えている。
プロチームのメカニックだった浜田は、同じチームで働いたことこそないものの、瀬上の父とは同業者として知り合いらしい。
浜田が「凛ちゃん、将来が楽しみだな」と笑っていたのを思い出し、金城は自分が最高学年となる時にはサポートメンバーも含めていいチームになりそうだと思っていた。
「金城」
福富が足を止めたのを察して、金城もビンディングを外す。左足をつくと、金城は振り返った。
「総北はいいチームだな。おまえのために怒ってくれる者が2人もいる。そのケアに当たる者もいる」
福富はまっすぐに金城を見据えて、そう言った。
さきほどの瀬上を、金城は思い返す。何か行動を起こす時、様々な可能性を考慮する金城は、起きた事象にあまり動じないほうだ。しかし他校の上級生を相手に牙を向いた後輩の姿には、さすがに面を食らってしまった。
手嶋は了承しそうだが、瀬上は良い顔をしないだろうな、くらいに思っていたのだ。
常に一歩退いたところから部を眺めていて、裏方の仕事に徹している瀬上は、自分の言動を疑問視するにしても口出しはしないだろうと。
そしてそれは彼女の美点であり課題でもある。そう金城は考えていた。
瀬上には意識を改めてもらわねばならない。自らを出入り業者などと称する部員がいることは、「支え合うチーム」を信条とする総北にとって、決して良いことではないからだ。
あの言葉を聞いたその時はともかく、金城は今やチームを背負う立場となった身。チームの内にいながら外に意識を置く瀬上をどう導くべきか、障害があるのであれば、一体何なのか。それを考えているところだった。
だが今日の行動は、本当に「出入り業者」の立場でいるのであれば、決して出ることのないものだ。そう金城は思う。
瀬上は今日までの間のどこかで、その意識を改めるきっかけを得たのだろう。
そのきっかけを与えたのはおそらく、手嶋だ。
あの日、合宿で瀬上からあの言葉を引き出した彼は、きっとどこかで彼女のその意識を取り払ったのだろう。
目を吊り上げる瀬上に笑いかけた手嶋を見て、彼女の扱いをよく心得ているのだなと金城は感じた。瀬上の方も、手嶋に諭されてすぐに改めた。
そこには、確かな信頼が見て取れる。
「ああ、オレは良いチームメイトに恵まれた。だがまだ最高ではない。もっと上を目指せる」
「……そうか」
福富は金城の返事を聞くと、まっすぐ前に視線を戻した。
*
「お疲れ様です。金城さん、福富さん」
総北高校自転車競技部の部室前へ戻った金城と福富を出迎えたのは、福富に自転車を貸した手嶋と、福富に敵意を向けていた瀬上だった。
瀬上に再び嫌味の一つでも言われることを覚悟していた福富だったが、意外にも彼女は何も言わない。
ただ目は合わせずに「どうぞ」と静かにタオルと新しいボトルを渡し、「すまない」と言って受け取った福富から自転車を預かって部室の中へと向かって行った。カラカラとホイールの回る音が静かに響く。
瀬上の態度に刺々しさはなく、福富はこれが金城から聞いた普段の姿なのだろうと思った。
彼女の背中を見送り、福富は隣にいる金城へタオルとボトルを渡す手嶋へと一歩近付く。
「本当にすまなかった。練習に行けなかっただろう」
部外者の、そして彼らのエースに危害を加えた自分に大切な機材を貸してくれた下級生へと、福富は頭を下げる。だが手嶋は穏やかに笑っていた。
「いえ、ペダル回すだけが練習じゃないですから。お気になさらず」
「そうか。……ありがとう、とてもいいバイクだった」
「え……どうも。でもそれはメカニックの力がデカいと思うので」
手嶋はそう言って視線を落とした。
自分がこのように話しかけたのが意外だっただろうか、それとも褒められることに慣れていないのだろうか。福富が静かに考えていると、手嶋は顔を上げて「福富さん」とその名を呼んだ。金城はその姿を認めた後、二人から静かに離れて部室へと向かっていく。
「瀬上……さっき啖呵切ってたやつのこと、悪く思わないでやってください」
手嶋は眉を下げて、そう言った。
「いや……と言っても難しいとは思いますが。ただ、あいつはメカニックで……選手が万全の体調でレース出て、無事に帰ってくるようにって仕事してるので。またそういうことにならないようにって、その想いが誰よりも強いから、ああいう言い方になってしまっただけだと思うんです」
チームメイトのために、彼はそう話す。
「ああ、わかっている。メカニックには大切な想いだ」
ロードレースでは選手同士の友情や、トラブルに巻き込まれた別チームに対する紳士的な行動が紹介されることがよくある。だがそこで、メカニックやマッサーといった裏方のスタッフのことが取り上げられることは、なかなかない。
しかしこれもまた、ロードレースで語られるべき事のひとつなのではないか。福富は自分の返事を聞いて安心したような顔をした手嶋を見て、そう思った。
「彼女は恵まれているな」
「え?」
「信頼されて、理解されている。それを勝ち得るだけの努力を本人もしたのだろう。だが理解を得るのがどれだけ難しいことか、オレは知っている」
「それって──」
手嶋が何かを尋ねようとした時、部室から瀬上が出て来た。福富と手嶋の方へ駆け寄ってくる。その後ろからは、金城がゆっくりと向かってくるのが見えた。
瀬上は福富の正面に立つや否や、勢いよく頭を下げる。想像しなかったことに動揺した福富だったが、その表情は少しも変わらなかった。
「福富さん、ごめんなさい。先ほどの非礼を謝罪します。足を運んでくださった方に対する侮辱でした」
きっと返された自転車を見て、どこにも異常がないことを確認してのことなのだろう。
先ほどとは打って変わった落ち着いた口調で、瀬上の言葉からは敵意ではなく誠意が伝わって来る。
「いや、君の怒りは尤もだ。……よくわかった」
「それでも……もっと他に伝え方がありました。すみません、反省しています」
「いや……」
福富が言う「わかった」とは、瀬上が信頼されている理由のことを指していたが、言葉足らずで本人にはまるで伝わっていなかった。
だが、それで構わない。福富は訂正しなかった。
「……では、あの自転車を元のセッティングに戻さなくてはならないので失礼します。お帰りまでお気をつけて」
「オレもこれで。外練行ってきます」
福富は会釈する二人に同じように返す。手嶋と瀬上は、小走りで部室へと戻って行った。
「ちゃんと言えたな、えらいえらい。な、やっぱ謝る練習しといてよかっただろ?」
「うっ……そういうのいいから早く練習に行けっ、手嶋純太!」
「ははは。はいはい、そうしますよ。メカニック様にポジション直してもらったらな」
瀬上を揶揄う手嶋の笑い声と、手嶋に抗議する瀬上の声が遠退いていく。
福富にとって初対面の二人だったが、仲の良さが伺えるその光景は、微笑ましいものだった。
「あいつら、そんなことやってたのか……」
金城は呆れたようにそう言ったが、一方でその眼差しは弟や妹を見守るような優しいものだ。
「フッ……」
福富はここへ来るまでの間、この場所では自分の弱さを見せつけられるような、断罪されるような、そんな厳しい思いをするものだと考えていた。
あの日の田所のように、今度は金城に殴られるようなことも、ないとは言えないと。
だが金城は、福富が想像したようなことを何一つしなかった。
瀬上には厳しい言葉をかけられたが、それは福富にとっては十分に想像の範囲内のものであった。
罪悪感はまだ消えない。金城や総北というチームから許されたと、心の底から思うことはできない。
「金城、来年の夏はオレも最高のチームを作る。うちにも腕のいいメカニックや、気の利くマネージャーがいるんだ」
「ああ、楽しみにしている。だが、こちらも決して負けないさ」
だが実際にはどうだろう。オレが今日ここで見たのは、ロードレースの美しさそのものと言えるのではないか。
金城に誓いを立てながら、福富はそのように思ったのだった。
間違って13話を12話として先にあげてしまったため、修正しました。