Blank Paper 〜凡人サイクリストのオレが天才メカニックに恋してしまった結果〜 作:fuyu_plus
オレはスプリントが苦手だ。前からわかっていたことだ。
レース中は何が起こるかわからない。落車、メカトラ、体調不良……予想外の何かが起こってエースが戦線離脱することは多々ある。出走してもいつも通りの力が出せない日もある。だから今日は後者を想定して、青八木の代わりにオレがエースとして走る。そういう計画だった。
プランBでの勝利。このレースを通してオレたちチーム2人はもう一歩先へと進み、どの角度からも勝利を狙える、チームとして盤石の体制を築くという目的があった。
そしてこれは青八木たっての希望でもある。「今度は手嶋に表彰台を獲ってほしい。そのためにオレは何でもやる」と青八木は言った。
気を遣わなくていい、おまえが勝ってくれて、その勝利をオレと分かち合ってくれるのならそれで満足だと何度も伝えたが、意外と頑固で聞きゃしない。普段が控えめすぎる反動なのか、一度こうと決めたら譲らないみたいだ。それがゴールを獲る強い意志と原動力になっているのかもしれないけど。
今回採用した作戦は、オレたちがよくやる「鬼ごっこ」のアレンジ。いつもは青八木が集団を飛び出した後、オレは集団の先頭に残ってわざとペースを落としたり、逃げのチェックに出ようとするやつらの抑えに入ったりしていた。
だが一方で、青八木が逃げに乗ればオレが集団の先頭に出る必要はない。逃げに選手を送り込んだチームにとって集団が逃げに追いつくことにはメリットがないから、わざわざ前で風除けになってやる必要がないわけだ。だからそういう不文律も存在する。
つまり青八木の逃げが成立した後、オレは集団の中で脚を温存できるというわけだ。
今日のレースではそうした。そしてタイミングを見て集団から飛び出し、前で待ってる青八木と合流。
だが実際にレースが始まると、青八木を逃した後、オレ一人で集団内からのアタックが許されるような状況じゃなかった。
まず集団内でのポジション取りに一苦労。ほかのチームがまるで鉄格子のようで、閉じ込められているみたいに身動きが取れない。そこは空気抵抗が一番少ない場所で、脚は十分貯められる。だが外へ出て行けない。
一度後方へ下がってから集団の外へ逸れて横から飛び出したが、そのために無駄足使うわ、反応してくるやつらがいるわで、結局集団に戻されてしまった。
何度か試したが、結果はどれも同じ。オレのアタックはことごとく潰された。
──いつもオレが他のチームのやつらにやっていたことが跳ね返ってきただけなんだけどな。
そうこうしているうちに、ゴールまで残り二キロ地点で、メイン集団は逃げに追いついた。
当初の計画では、この区間はオレと青八木の二人で独走しているか、もしくは逃げ集団のうち一人、二人がついてきているくらいのはずだった。
どっちにしろ、ここで二人揃って前にいられたら逃げ切りで勝つ道もあったと思う。オレが集団から出て行けない時点で、このプランは破綻していたのだ。
スプリンター相手にゴールスプリントでオレが勝てる見込みは元よりなかったし、オレより遥かにスプリント力のある青八木にしたって、スタートからずっと逃げていたのだからそこまでの力は残っていなかったはずだ。
それでも、あいつは諦めなかった。オレを良い位置まで引き上げてくれた。プラン通り行かなかったにしても、青八木のアシスト自体は完璧だった。集団の中程にいたオレを前線まで連れ戻した牽引も、ほかのやつらに進行方向を潰されないようにするポジション取りも。
単純に、ゴールを獲りに行けるだけの脚が、今のオレにはなかった。
結果は十一位。またなんつー中途半端な順位なんだろう。あと一歩で、リザルトリストには大きく名前を載せてもらえたってのに。
ロードレースは一位以外全員負けだ。だが総合優勝はできなくても山岳賞やスプリント賞は名誉だし、上位十位までに入れば大抵のレースじゃ名前だけだが最後に戦績発表してもらえる。
優勝とナントカ賞と表彰台入り以外で誇れるものがあるとすれば、それは「上位十位以内に入る」ことなのに、オレはそれすらできちゃいない。
オレ個人の記録だけ見たら、これが過去最高順位だ。中学で一番戦績の良かったレースの時より七個も順位が上がってる。それはつまり、ちゃんとステップアップできてるってことになるのかもしれない。
だけどチーム2人としては、これが過去最低順位だ。
オレが集団から飛び出せなかったこと。そうなったときの対策を講じられていなかったこと。最高のリードアウトがありながら、届かなかったこと。今日の敗因は、全てオレに責任がある。
青八木と組んでからは、あいつがいつも表彰台を獲ってくれてた。オレたち二人ならどんなレースでも勝てる気でいた。
悔しくないわけがない。
青八木には「オレっぽい?」なんておどけてみせたけど、無様に負けたオレを責めるでもなく、なんて声をかけるか迷っているような、心配そうな顔をしていた青八木のあの目は忘れられない。
あれだけ前で頑張ってくれてた青八木に申し訳なかった。けど「表彰台獲れなくてごめんな」と言ったところで、青八木を困らせるだけなのはわかっている。「オレも力及ばずですまない」なんて言い出しそうだったから、そこまで言うのはやめた。
オレは瀬上と寒咲さんにバイクを預けたあと、ボトルとタオルだけを持ってその場を離れた。
しばらく会場をうろついてから、今はテント裏、ケヤキかなんかの木の根元に座ってあれこれ考えを巡らせている。
脚を温存することに気を取られて集団の内側に入りすぎたか、とか、ほかのチームのやつと話をつけて追走集団をつくるべきだったか、とか。
……いや、無理だよな、フツーに考えて。オレはほかのチームから見たら嫌がらせのような作戦を使い過ぎている。オレだってオレみたいな作戦立てて来るやつとは戦いたくねーし、協調しようって言われたって絶対に乗らない。
そもそもオレがゴール獲るっていうのが、それこそ青八木と二人だけで独走できるような状況にでもならない限りは無理なんじゃないか──。
「落ち込んでるんですか? 軍師殿」
だからその声が聞こえてくるまで、瀬上が近くにいることに気がつかなかった。
ハッとして顔を上げると、そこには普段と変わらない笑みを浮かべる瀬上がいる。
投げかけられた質問は遠慮がなく、「負け」の事実を突きつけ直されるようで容赦もない。落ち込んでるかどうかなんてどうせ見りゃわかるのに、わざわざ問いかけることではない気もする。
だが今は、逆にその配慮のなさが有難かった。レースという特別なイベント、そしてそこで経験した「負け」から、普段のやりとりを通していつもの場所に引き戻されるような感覚だった。
青八木の寄り添い方とはまた違う、きっとこれが瀬上なりのやり方なんだろう。
「いや落ち込んでる、つうか……反省会中。今日の結果に喜ぶ要素があるとすりゃ、それはメカトラがなかったことくらいだよ、整備士殿」
「それって遠回しに私のこと褒めてる?」
「ははっ、そう取ってもらって構わねーよ」
そう来たか。斜め上の返しで、思わず笑ってしまう。
「じゃあ褒めてもらったお礼に、私は敢闘賞をあげよう」
「お。なんかくれんの?」
「パピコ。食べる?」
「いただくわ」
瀬上はオレの隣に腰を下ろしつつ、後ろ手に持って隠していたアイスの袋を開けて、割った片方を「はい」と差し出して来た。
「サンキュ」
パキッとねじ切って蓋を開けて、それから手を止めた。そういえばこれ、どうするべきなんだろう。
家とか友達と一緒に食べるときは普通に蓋に残ったやつも食ってた。けど女の子の、しかも好きな子の前ではどうなのか。そんなんしたら、マナーが悪いとかケチくさいとか思われるんじゃないの。
そっと目線だけを動かして瀬上を見ると、まだ蓋を開けずにいた。両手で容器を包んでいるから、ある程度溶かしてから食べる派なのかもしれない。
オレの視線に気がついたのか、ふとこちらを向いた瀬上と目が合った。別に何を言うわけでもなかったが「食べないの?」と聞かれているような気がする。
結局この蓋のはどうするべきなんだ……いやでも、上品ぶったって今更だよな。部室で散々、ゴミ箱シュートやったり足で扉開けたり青八木にボトル投げて渡したりしてんだしな。
恐る恐るパピコの蓋に噛り付いたところで、瀬上が口を開いた。
「……実はこれ寒咲さんがくれたやつなんだよね。後でみんなで食べなって」
「マジか、完全に騙された! あとで寒咲さんにこれのお礼も言わねーと」
蓋に残ったやつまで食べるなんて手嶋くんてみみっちいね、とか言われるかと思えば全然違うことだった。むしろやっと蓋を開けた瀬上も、オレと同じことをしている。考え込んで損したわ。
ってか敢闘賞やるとか言った割に、くれたのは人からもらったアイスかよ。メカの仕事から離れると、ほんとテキトーなところあるよな。
「……そういえばさ、集団の中にいる時ってどんなこと考えて走ってるの?」
しばらくの沈黙の後、瀬上は一転して真面目そうな話題を出した。
「たぶん似たようなもんだよ、瀬上がレースやってた頃と」
「じゃあ『いい天気だなー』とか『あの鳥なんて種類だろう?』とか」
「いやいや、ツッコミ所ありすぎ!」
レース中にのんびり天気のこと考えてたりその辺を飛んでる鳥のこと考えてるなんて、いつだかのシキバみたいだ。まあ瀬上のことだから、半分は冗談なんだろうけどな。
「えー、じゃあ手嶋くんは何考えて走ってるの?」
「んー……常に気ぃ張ってるかな。景色見てる余裕はねーよ。集団内で雑談してるような時は、流石にちょっとは気が緩むけどさ。周りをよく見て、誰が力を温存してんのか探って、いつ誰が飛び出しても対処できるように警戒しといて……て感じ」
「へぇー、全員ちゃんと見てるってこと?」
瀬上の問いかけにオレは頷いた。
「そうだな、同じ道の上にいる以上は青八木以外の全員が敵だ。そりゃ全員を同じだけ注意深く見てるわけにはいかねーけど、『全然見てない』ってこともない」
「じゃあ、その中でも特にマークがきつくなるのは?」
「それはやっぱ優勝候補とか、表彰台経験者とかだよ。そいつらのことはオレらだけじゃなくて集団全体が警戒する。なるべく良いポジションは与えないように全員で抑えておかなきゃならない」
「なるほど」
ほぼ空になったパピコの容器をくわえたまま、ぼーっと景色を眺める。ほかのチームのやつらが慌ただしく撤収の準備をしていたり、応援に来ていた家族や友達と話していたりする、そんな光景だ。
そういえば見立て通りだったな。集団の中にいた時、脚残してそうだと思った奴らがそのまま表彰台を獲ってった。トップテンに入ったのもそいつらだ。
「じゃあチーム2人もついにそういう立ち位置になったんだね」
「え?」
「だって今日、マークきつくて集団から出させてもらえてなかったじゃん」
瀬上はオレを見据えてそう言い、今度は膝の上で頬杖をついた。
「サイクリストって、難しいよね」
それからそう続けて、オレの方を見るでもなく前を向いた。行き交う人々、もしくはその人たちが引いて歩いている自転車を見ている。
「平地で速い人、山で速い人、スペシャリストではないけれどどっちも強い人。チームメイトを守りながら何時間も走れる人、瞬間的な加速がはやい人。ステージレースが得意な人、ワンデイレースに強い人……いろんな得意分野の人が、違う役割を果たしているんだよね」
──残念ながらオレはまだ、その得意分野ってのが見つかっていない。
スプリントはてんでダメ、かと言って巻島さんや金城さんみたいに登れるわけでもない。けど巡航で置いていかれるほどではないし、前に出て青八木を引くのは苦じゃないから、それが得意分野なのかもしれない。
だが役割は見つけた。オレが頭脳で青八木が脚。それで勝利を掴んで来たことに誇りも持ってる。
「私はこの競技の、アシストの強さと美しさが光る瞬間が好きなんだ。彼らに支えられて表彰台に立ったエースが、その場所から彼らを讃えるところも好き。……それって多分エースって呼ばれている人たちも同じで、だからこそたまにはその役割を交代したくもなるんじゃないかな。そういうのもあって私は、絶対的なエースを据えて勝つチームよりも、みんなの力を束ねて勝とうとするチームを応援したくなるんだよね」
それは単なる主張に過ぎない。瀬上凛はなぜサイクルロードレースが好きなのか、どこに魅力を感じているのか、その理由を語っただけのものだ。
だがこの主張が飛び出すまでの間にどういう話をしたかを考えれば、そこには一つの意味が宿っているように思える。
アシストを評価し、エースはその上で成り立っているものだと言う。そして個人の力で勝つよりも、チームワークで勝つ方が好ましいと言う。
そういうチームを、オレは知っていた。そして瀬上はそいつらを、集団から警戒されるほどの実力を持ったチームだと言っている。
「……それって遠回しにオレのこと元気付けようとしてる?」
「そう取ってもらって構わねーですよ」
オレがさっきの瀬上の言葉を真似ると、瀬上もニコリと笑ってオレの言葉を真似た。
「わかりづれー。きっと他のやつには通じねえぞ、それ」
「通じそうな人にだけやってるからね」
なんだそれ。まあたしかに現代文の成績は悪かねーけど。
瀬上は、オレの適正がアシストだと言うなら、その「役割」でまた頑張ればいいと言っているのかもしれない。たとえトロフィーや花束をもらえなくても、自分は評価する、と。こうして敢闘賞でもくれてやる、と。
もしくは青八木が「役割」の交代を望む通り、いつかはおまえも表彰台に上がれと言っているのかもしれない。
そこまで明確な発言はないし、教科書とは違って瀬上は正解を提示して来ないから、実際の所は不明だ。
「言葉選びが瀬上らしいわ。そういう時ってもっとさ〜、なんつうの? たとえば『手嶋くんいつも頑張ってるんだから次は絶対に勝てるよ!』とかって言ったりするもんじゃねぇ?」
「んー、私はそう言われるの嫌だなあ。自分で言う分には良いけど、他の人から言われる『次は絶対』って根拠出せって思わない? そんなの言われて手嶋くん納得できる? 無理でしょ、意外と真面目に自転車やってるから」
「違いねーわ。よくご存知でいらっしゃる……けど『意外と』は余計だよ!」
さらっと飛び出た失礼な発言を流さずに指摘すると、瀬上は「バレた」と言ってからからと笑った。
「まあでも、可愛げのないことを言っているのはわかるよ。よく言われる」
瀬上は何も気にしてないって顔でそう言ったが、オレにはその横顔が少し寂しそうにも見えた。
こんな風に性格は割とドライだし、オレが言えることじゃないが自転車なんて狭くてあまり知られていない世界にいて、しかもメカに傾倒している瀬上のことだ。いつぞやの自転車プロファイリングの時みたいに、周りからいろいろ言われることがあったのかもしれない。
「いや、別にそんなことねーよ」
だけどそれは悪いことじゃない。人として魅力を損なうものではないし、逆にそれをいいと思っている人間だっている。
「『根拠がないことは言わない』。……そこが瀬上のいい所、なんだろ?」
そういうやつが、現に今ここにいる。
「……参ったなー、もうあげられる物持ってない」
困ったように眉を下げて笑う瀬上に、オレも同じようにして返す。
「別に物じゃなくてもいいけどな」
「ある意味もっと難易度高いよ。……あれ、そもそも手嶋くんがいらんこと言い出したんじゃん。私が何かあげる必要ないよね?」
「いやいや、別に悪い意味で言ったわけじゃねーよ。瀬上は変わってるけどそこが面白くていいって言ってんの」
「もう、褒めても何も出ないって」
言って、瀬上は溶けてただのカフェオレみたいになったパピコを飲み干した。
持ち上げているわけでも何でもなく、本心を言っているだけなのだが、そのうちの何割を瀬上はまともに受け取ってくれているんだろう。
彼女と付き合いたいだとか告白しようだとか、今そういうのは考えられない。来年のインターハイを走るためにやらなきゃならないことが山ほどある。
だから、少なくとも今は、オレは瀬上とチームメイトとして一緒にいるべきだ。
オレにとって瀬上はメカニックの一言で片付けられはしないが、彼女にとっての「勝って欲しいと思う選手」でいることが、今オレが辿り着ける最良の立ち位置なんだと思う。それで充分だ。
「さてと、私は戻ろうかな。そこそこ元気になったら戻って来てね」
立ち上がり、一歩二歩と日向へと進む瀬上にオレも倣う。
「……もうすっかり元気だよ。誰かさんのおかげでな」
そう、さっき言った通りだ。別に物はいらない。どうせ何も頼まなくたって、きっと本人も知らないところで、瀬上はオレに必要な言葉をくれるからだ。