Blank Paper 〜凡人サイクリストのオレが天才メカニックに恋してしまった結果〜   作:fuyu_plus

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#017

「手嶋くん髪伸びたよねー」

 

 隣を歩く瀬上がそう言い、オレは肩にかかるようになった自分の髪を見遣った。

 

「ついでに背も伸びた」

「そっちがついで? なんか傷つくわ~」

 

 関東でも春一番が観測され、芽吹きの時期が近付いてきた。

 今日は二月二十四日。青八木の誕生日だ。部でささやかな誕生日パーティーを開いて、その後片付けで瀬上とオレはゴミ捨て場に向かっている。

 

「あはは。だって入学式の時と比べてすっごい伸びたじゃん、髪」

「まあな。この前中学のやつらに会った時、開口一番に『おまえ誰?』って言われたよ」

 

 最近じゃそのまま下ろしているのが邪魔で、勉強中やなにかの作業中は髪を結ぶようにもなった。たしかに身長より目に見えてわかる変化かもしれないが、背だってそれなりに伸びたんだけどなあ。

 

──あと一ヶ月もすればオレたちは二年に進級し、後輩たちが入ってくる。瀬上はそれを、たぶんこの部活の誰よりも楽しみにしていて、女の子のマネージャーに入って欲しいだのメカニックの弟子が欲しいだのと最近はしょっちゅう夢を語っていた。

 

 オレはというと、新一年生の入部は警戒する気持ちの方が強かった。

 

 今泉俊輔。あいつがどこの高校に進学して自転車をやるつもりかはわからない。箱学には寮があって全国から強い奴らを集めていると聞いたから、そこへ行くかもしれない。だがもしあいつが千葉で走ろうという気なら、オレたちの後輩となる可能性がある。

 

 あいつは強い。青八木も何度か同じレースに出ていて知っているはずだ。もし本当にうちに入学してきた時は、レギュラーの座をかけてオレたちはあいつと闘わなくてはならない。

 

 驚異だが、無論負けるつもりはない。あいつは群れずに一人で勝ち抜くタイプだ。そんなやつに、オレたちが磨き抜いてきたチームワークを打ち破れるとは思ってない。ロードレースは個人競技でありながらも、チームでやるものだから。

 

 それに今年の初めには、瀬上にもオレたちの全戦全勝を祈ってもらった。今オレのカバンには、その時に渡された健脚のお守りだって付いてる。

 

 元旦の朝、奇跡的に瀬上と会ってダウンヒルバトルをふっかけられ、それに勝ったオレは、約束通りに峰ヶ山神社で一年の活躍を祈願してもらった。代わりにオレが瀬上にとって良い一年になりますようにって祈っておいたんだけど、その後で瀬上が授与所に寄りたいと言い出した。自分用に何かお守りを買ったんだなと思っていたら、それがまさかのオレ用だったってんだから、あの時は驚いたな。

 

「そんな手嶋くんに天才メカニック瀬上さんから提案があります」

「おー、なになに? ……あ、新型のフレームに変えようとかは無しだぜ。親の許可下りねーし、あれ気に入ってんだ」

「まさか、そんなこと言わないよ。そろそろポジションの見直しをしよう!」

「ポジション?」

 

 自転車の世界で「ポジション」と言えば、バイクに乗っている時の姿勢や、それを支えるための各パーツの位置なんかを指す。ほかのスポーツで「ポジションを見直す」と言えば、多くの場合「役割交代」という意味合いになると思うが、自転車においてはつまり「自転車が自分の身体に合っているか、フォームはどうかを改めて確認する」ということになる。

 

「げ、まさかフォーム崩れてる?」

「ううん。もしそうだったら私じゃなくて田所さんか金城さんが先に指摘してると思うよ」

 

 恐る恐る尋ねると、瀬上は笑って否定した。

 

「手嶋くん最近サドルの前後位置の微調整よくやってるけど、あれ結局どれもしっくり来てないでしょ? たぶん身長伸びたせいで窮屈になって来てるんじゃないかな。いっそステム長いのに変えるといい感じになると思うんだよねー」

 

 ステムは自転車のフレームとハンドルを繋ぐパーツのことだ。ステムの長さと角度でハンドルの位置が決まる。

 

 身長が伸びると、その分ハンドルの位置はそれまでよりも近くなるものだ。そうなったときに出てくるのが「前傾姿勢が取りにくい」と言う問題。

 ハンドルが近いと自分の体をうまく折りたためず、上体を起こしたような格好になってしまう。そうすると空気抵抗が増えて、ロスも大きくなるわけだ。だからハンドルが近いと感じたときは、まずステムを長いものに変えてみるのが第一の選択肢となる。

 

 オレが今のフレームに変える時、「すぐに使えなくなると困るから」と父親の身長を鑑みて、当時の身長からは少し大きめの物を選んだ。つまりその分ハンドルは遠いってことになる。それを、それこそステムを短いものにしたり、クランクも初期装備から変えたりして対応していた。

 大きめのフレーム──それが頭にあったから、ハンドルが近くなるのはまだ先だと思っていた。でも気が付かないうちにそれも超えてしまったのかもしれない。

 

 なんかここ最近しっくりこない感じがしていたのは、単純に自分の調子が悪いからとか、新入生への警戒心からナーバスになってるだけだと思っていた。けどメカニックの見立てだとそうなるのか。

 瀬上がつけている記録には「誰がどのパーツとポジションでどんなタイムを出したのか」が残っている。それでポジションが毎回変わっているんだから、そこから気がつくってことなのだろうか。

 

「寒咲さんが来週、貸出用のステム持ってきてくれるって! ね、試してみるでしょ?」

 

 話しているうちに到着したゴミ捨て場。オレが緑色のネットを持ち上げると、瀬上はその中にゴミ袋を放って、振り返りつつそう言った。

 

「……それわざわざ寒咲さんに話つけておいてくれたのか?」

「貸出用のパーツないか聞いてみただけだよ」

 

 それを話つけておいたって言うんだよ。

 

 きっと瀬上はそこまで大袈裟な話じゃないと言いたいのだろうけど、こっちにしてみれば相当ありがたい話だった。

 こういうポジションの問題やパーツ選びは、いろいろ試してみないと正解がわからないし、貸出パーツを用意していないショップだってある。そういう場合は試すための出費だってバカにならないし、部内でシェアするにしたって、そのパーツに需要がなければ箱に入れたままになるだけだ。

 

「瀬上、ありがとな。助かるよ」

 

 瀬上がそうしたように、ゴミ袋をネットの中に放りながら彼女を見ると、当然だって顔で笑っていた。

 

「これも仕事のうちですから」

 

 特に体格が劇的に変わる中学の部活では、いつまで経ってもポジションが決まらずドツボにはまるやつらのことも近くで見て来た。

 だから瀬上の行動はオレたち部員が練習に集中できる時間を増やしてくれているってことで、オレたちにとってそれがどれだけ助かることか、瀬上はどの程度わかってるんだろう。たぶん本人は寒咲さんと会話しただけ、大したことないって思ってるんだろうな。すごいのは貸してくれる寒咲さんだけだって思っているかもしれない。

 それはもちろんそうだけど、寒咲さんに話をつけるって所に行き着くには、瀬上がこれまで積み上げて来たものがなければできないってのに。

 

 実際に長いステムに変えてみて、それでここ最近の「しっくりこない感じ」から解放されたのなら、その時はこの勉強家のメカニックのことをこれでもかと褒め称えようと思う。そんなことを考えながら、オレたちは部室に向かって並んで歩き始めた。

 

「でもそれでタイム良くなったら私の手柄ね」

「その時はなんか奢るわ」

「え、別にいいよそんな……デュラのシフトケーブルなんて高価な物……」

「そう来たか……『丘の上カフェ』のシュークリームあたりで手ぇ打っとかない?」




77巻読むとサクサクのシュークリームを求めてサイクリングに行きたくなりますよね〜
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