Blank Paper 〜凡人サイクリストのオレが天才メカニックに恋してしまった結果〜   作:fuyu_plus

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Chapter.2
#018


 四月になり、オレたちは二年に進級した。一年の頃はオレと青八木、瀬上と古賀が同じクラスだったが、今年は見事なまでに全員バラけた。

 

 オレが考慮していた通り、今泉はこの学校に入学して来ている。練習のキツさについて行けなかった仮入部員が何人かやめた後、涼しい顔して現れやがった。

 

 そして数日前は、新入生が三人も入って来た。その直後に行われたウェルカムレースでは鳴子が噂に違わぬスプリント力を見せ、登りでの遅れをダウンヒルと平坦できっちり詰めている。

 

 意外な活躍を見せたのが小野田だ。途中リタイアとはいえKOM(山岳賞)が昨日初めてロードに乗ったような初心者だって? 笑えない冗談だ。だが本当にそんなことが起こってしまった。オレがロード始めた頃なんて、まだ小学生だったとはいえ、峰ヶ山の壁坂なんか技術も筋力も足りなくてペダル回らなかったわ。

 

 おいおい今泉、そこは譲るなよ、譲ってくれるなよ。おまえが初心者に負けたとあっちゃ、おまえに散々負けて来たオレらはどうなる?

 

 古賀も最近は、リハビリ程度にだが実走練習に復帰して来ている。

 田所さんと一緒に走れるインターハイは、今年しかない。田所さんにグリーンゼッケンを、総北に悲願の総合優勝を、そして何よりオレたち自身のために、オレと青八木はもう誰にも負けるわけにはいかないんだ。

 

「またいい自転車乗る子が入ってきたなー!! この間の激戦の後だけど手入れも行き届いてるねー」

 

 そんな風にオレたちが危機感を持って新入生を観察している間にも、日々充実していそうなのが瀬上だった。

 

「鮮やかな赤のプリンス……それにスーパーレコード! ホイールはジップかあ! ド派手だねぇ強気だねぇ!! いいねぇこれ! 好きだなー!!」

 

 最近はずっとこんなテンションだ。恍惚の表情で新入生たちの自転車を眺めては、そのパーツやポジションをカルテに写していっている。

 

「おおきに! アンタ自転車見る目あるなあ」

「そうでしょうそうでしょう」

 

 歯を見せてニッと笑う自転車の持ち主──後輩である鳴子に、瀬上はアンタ呼ばわりされたことを叱るでもなく満足げに二回も強く頷いた。

 

「でも鳴子くん、カンパ選んでるのは、あえて? 大阪の人ならやっぱりシマノを好むのかなって思ったんだけど」

 

 コンポーネントメーカーをいくつか挙げろと言われた時、多くのサイクリストが「シマノ、カンパニョーロ、スラム」と口にするだろう。これは別に呪文の類じゃない、会社名だ。その三社がコンポーネントの世界三大メーカーと呼ばれていて、レースをやる人間なら大抵そのうちのどれかの製品を使っているものだから。

 なかでもシマノは大阪発の日本企業だ。だからこそ瀬上は、大阪出身で地元愛も深そうな鳴子がイタリア製のカンパニョーロを採用しているのが不思議なのだろう。

 

「カッカッカ! そんなん決まっとるやないですか!!」

 

 鳴子が一際大きな声を上げた。よくぞ聞いてくれたって顔だった。

 

「たしかにシマノは大阪が世界に誇る自転車部品メーカー、あの滑らか〜な変速はワイも好きや。同じ大阪のもんとして誇らしい。せやからこそ、その大阪でカンパ積んどったら目立つっちゅーわけです!」

「なるほど〜!」

 

 鳴子がドヤ顔で語りきったところで、今泉が迷惑そうに顔を歪めながら部室に入って来た。

 

「おい鳴子、おまえの声、外まで丸聞こえだ」

「あ、今泉くん。おかえり」

 

 瀬上待望の女子マネージャーが今泉を出迎えてタオルや補給食を渡す。寒咲さんの妹さんだという彼女は、もちろんロードレースに造詣が深く、瀬上の自転車話にどこまでも楽しそうについていく。それどころかUCIワールドツアーのこととなれば誰よりも詳しくて、一昔もふた昔も前のことまでまるで現地で見ていたかのように知っていたりもして、彼女もまた相当な自転車オタクなのだとわかった。

 

 最近の瀬上がいつにも増して生き生きと楽しそうにしているのは、このマネージャーの入部が大きいだろう。

 それにしても寒咲さんも、妹さんがいて総北を受験してるっていうなら、前もって教えてくれりゃあいいのに。何回か店にもお邪魔してるけど一回も鉢合わせたことがなかったし、妹がいるだなんて全然知らなかった。

 

「あ、そうだ今泉くん、そろそろチェーン交換しておこうよ」

 

 瀬上は今泉に「自転車持ってきて」と声をかけるが、今泉は首を横に振った。

 

「いえ、いいです。来週寒咲さん所に顔出すつもりなんで」

「え、それはそれとしてチェーンくらい今ここで交換すればいいじゃん。それとも来週までチェーン買うお金ないとか?」

 

 この部室は、いわば寒咲自転車店の出張所だ。ここで瀬上にパーツを交換してもらう時は、パーツの代金を集金箱に入れて「購入」してから頼むことになっている。パーツの交換時期も頻度も人それぞれだから部費での一括購入は難しく、画期的な方法だなと思った覚えがある。

 

 そんなわけで、今泉のこの行動で「いつもお世話になっている寒咲さんの店以外でパーツを買うのは申し訳ないから」という理論は成り立たない。

 

 今泉はこれまでも、瀬上の整備を何かと理由をつけて断っていた。寒咲さんの店に行ったばかりだから大丈夫だとか、自分でやるからいいとか。さすがにカルテに入れる情報くらいは取らせたようだが、まあ要するに、極力自分のバイクを瀬上や古賀に触らせたくないのだろう。

 

 自転車は自分の命を預けるものだから「最近知り合ったばかりの上級生ごときに任せたくない」と思うのも無理はない。プロレーサーの中には、チームを移籍する時にお気に入りのメカニックを一緒に連れて行く例もあるほどだ。

 だが試しに一度くらいはチャンスをやってもいいんじゃないか、とオレは思う。瀬上や古賀に任せたら大変なことになったなんて話はどこにも転がっていないし、この先一緒のチームでやって行くつもりなら、なおさらだ。

 

「そういうわけじゃないすけど」

「ふーん?」

 

 瀬上は不思議そうに今泉をじっと見つめたあと、フッと不敵な笑みを浮かべた。

 

 あーあ、ありゃ完全に瀬上のスイッチ入っちゃったな。素直に言うこと聞いときゃいいのに、知らねー。

 

「……なんすか、別に今この瞬間変えないと壊れるようなものでもないでしょう?」

「そうだね、だからその辺は本人に任せるけど。ただ……今泉くんて家でもたくさんローラー練してて偉いなあと思って」

 

 声は明るいがお灸を据えてやろうという意図が見え見えだ。明後日の方向を見ながら言う瀬上の言葉を聞いて、今泉の顔には驚きの色が浮かぶ。

 

 ……いや今泉だけじゃない、鳴子もだ。小野田や杉元は今泉の自主練のほうに関心していて、一年の中ではマネージャーだけがオレたちと同じ反応だった。つまり動じていない、ということだ。

 

「ローラーはダイレクトドライブ式? それとも練習用ホイールに履き替えてのタイヤドライブ式? ああ……違うな。三本ローラーだね!」

 

 さあ答え合わせして、と瀬上はその人差し指を今泉に突き付けて一歩詰め寄った。

 長身の今泉だ。瀬上が今泉に上目使いしている構図になっているが、たぶん瀬上本人はガンつけてると思ってる。今泉もその勢いに圧倒されたのか、戸惑いの表情で仰け反っていた。

 

「……なんでわかったんですか」

「簡単なことだよ。私も一応メカニックの端くれだからね」

 

 さっき距離を詰めた分を下がって、瀬上は胸の前で腕を組んだ。

 

「今泉くんて、タイヤに比べてチェーンの消耗具合が異常に早いんだよね。話を聞く限りギア細かく調整して走るタイプだから、下手なギア比で踏んでるわけじゃなさそうだし変だなって思ってて。そうすると、ダイレクトドライブ式のローラーか、練習用のホイールに履き替えてタイヤをすり減らさないように練習してるんだなって考えるよね」

 

 ローラー台にもいろいろ種類がある。

 

 ダイレクトドライブ式の固定ローラーは、自転車の後輪を外し、ローラー台についているリアギアにチェーンを通して使う。ホイールを使用しないため、もちろんタイヤはすり減らないが、その代わりにチェーンだけが摩耗して行くという特徴がある。

 

 タイヤドライブ式の固定ローラーは、リアタイヤを樹脂で出来たローラーの上に乗せ、自転車を台に固定して使うタイプだ。タイヤドライブ式での練習は後輪だけタイヤの消耗が早くなるから、普段使っているホイールではなく、どうでもいい安いものに交換して練習するのが一般的だ。となれば、ローラー練の間も摩耗していくチェーンに比べて、実走用タイヤの減りは遅くなる。

 

 対して三本ローラーは、普段の自転車をそのまま台に乗せて使用することができる。だがバランスを取りにくく転倒の可能性が高いことや、練習なんかで良いホイールを傷めるのはもったいないという観点から、やはり練習用ホイールに変える人もいる。

 

 こういうところから瀬上は「今泉はローラー練習をしている」と推測したのだろう。だが、それだけではわからないことがある。

 

「……でもそれは三本ローラーに繋がる決定打にはならないはずです」

 

 これだ。今泉の言う通りだ。

 瀬上がさっき挙げた通り、これらのローラー台ならどれも「チェーンは伸びてもタイヤは減らない」という状況になる。その中でもなぜ瀬上は三本ローラーだと断言できたのか。

 

「フレームだよ。さっき外に並んでた所を見てたら、最初に見た時にはなかった小さな傷が増えてたから。自転車倒したか転んだなって思った。でも今泉くん立ちごけなんてヘマしそうな感じしないし。だから固定ローラーじゃなくて、転びやすい三本ローラーだと推測した。全力でもがいてたら下りる時にフラッときたって所かな?」

 

 今泉は何も答えなかったが、その沈黙はつまり肯定の意味なんだろう。これだから瀬上相手に自転車のことでの隠し事はできない。

 

「今泉くん、瀬上さんの腕は本物よ。お兄ちゃんがよく話してる。優秀なメカニックだから社員に欲しいくらいだって」

「ほんと!? じゃあどこのチームにも拾ってもらえなかったら幹ちゃんちのお店でお世話になろっと」

「ふふっ、そんなことになったら瀬上さんを店長に二号店出さなくちゃですね」

 

 瀬上はマネージャーと微笑みあった後で、再び今泉に向き直った。

 

「どう? これでも任せてみる気にならない?」

 

 メカニックとしての瀬上がよくやる、いつもの澄まし顔だ。

 

「……いえ、すみません。……お願いします」

「素直が一番。まあこれで『やっぱり嫌だな』と思ったら、それはそれでいいからね」

 

 さっきとは打って変わって、軽く頭を下げて詫びた今泉に瀬上も笑いかける。

 自転車を部室の中へ持ってくるように言った瀬上に今泉は今度こそ従って、部室の外へ自転車を取りに行った。

 

 ……なるほどね。ただの天才じゃなくて、あいつも見えない所で努力してるってわけ。

 前にピアノ弾きながら、シキバが言ってたな。「努力した者が成功するとは限らない。しかし、成功した者は必ず努力している」──あいつの好きなベートーヴェンの言葉だそうだ。

 

「今泉くんと鳴子くん……あの子たち、この前のレースで観た通り相当強いね。バイクからわかるよ、よく練習してるみたいだ」

 

 部室の隅のピットスペースへ工具を取りに来た瀬上は、その近くで作業をしていたオレと青八木だけに聞こえるように、小さく呟くようにそう言った。その視線はピットスペースに向いている。ほかの奴らには聞こえないように、そして話しているようにも見えないようにということだろう。

 

「ああ、よく知ってる。特に今泉にゃ中学の頃、散々負けてきたからな」

 

 反射だったんだろう、それを聞いて瀬上はハッとしたような顔をしてこちらを向いた。だが青八木が目を伏せて頷いて、オレが片目をつむって頷いて笑ってみせたら安心したような顔をして、またピットスペースの方を見た。その手には、これから使うチェーンカッターやペンチがある。

 

「今度はあるの? 勝算」

「ああ」オレは作業を続けながら答えた。「策なら用意してる」

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