Blank Paper 〜凡人サイクリストのオレが天才メカニックに恋してしまった結果〜   作:fuyu_plus

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#022

 自分が応援していたチームが勝つ瞬間を見られるのは、本当に喜ばしいことだ。

 

 オレが小さい頃から好きだったチームは、グランツールでの輝かしい戦績も持っている。だから応援してたチームが総合優勝を果たす瞬間というのは何度か見てきたし、その時は思わずテレビの前で声をあげるほどに嬉しかったりもした。

 だけど今日は格別だ。今まで応援してきたどのチームが勝った瞬間よりも嬉しい。っていうかもう言葉にならねえ。この喜びを言い表せる言葉なんてない。

 

 小野田。あいつがやってくれた。オレが靴とペダルを渡した小さなクライマーは、誰よりも速くこの山の上まで駆け抜けてきた。

 

 ずっと憧れて追いかけてきたあのジャージが、インターハイの表彰台の上にいる。総北が何代にも渡って繋げてきた目標を果たした──その光景を目に焼き付けることができた。

 ……だというのに。

 

「悲願の総合優勝だってのに、メカニック様はあんま嬉しそうじゃねーな?」

 

 横からそう声をかけると、瀬上はチェーン清掃をする手を止めた。

 今は表彰式も終わり、チームも勝利の余韻に浸りきった後だ。地元の千葉に帰るために準備を進めている。

 

 瀬上が世話をしているのは、総北を勝利に導いたバイク。小野田があのウェルカムレースから今日まで、ずっと使ってきたものだった。

 

 いつもの瀬上だったら、もっと楽しそうに作業をしているはずだ。それが今日はどうだ。全国一のチームには似つかわしくない、心ここに在らずみたいな顔でいる。

 

「え、嬉しいよ。当たり前じゃん。インターハイの総合優勝だよ? 小野田くんが新人賞(マイヨ・ブラン)にして総合優勝(マイヨ・ジョーヌ)だよ? 嬉しくないわけ──」

「にしては複雑そうな顔してた」

 

 やけに早口で捲し立てるような話し方がわざとらしい。オレが被せて言葉を遮ると、瀬上は珍しく情けない顔をした。

 

「……今泉のメカトラ、だな」

「うん」

 

 瀬上もずっとこうだったわけじゃない。みんながゴールしてしばらくは、最高にテンションが高くて元気だった。そりゃもう、今まで見たことないくらいの喜びようだったんだ。……帰ってきた今泉の自転車を預かるまでは。

 

 瀬上は初出場のインターハイでトップ10入りを果たした今泉を祝い、褒めて、それからあいつの自転車を見た。様子がおかしいのは、それからだった。

 

 バイクの方に何かがあったんだな、ということだけはすぐにピンときた。それでさっき寒咲さんに聞いてみたら、今泉のフレームにクラックが入っていたという。

 

 オレの知る限り、公式レースでパンク以外のメカトラが起きるのは、これが初めてだった。

 

「メカニックはチームに勝利をもたらすことはできない。だけど、チームを敗北させることはできる。もっと言えば、選手を怪我させることだってできる。だから自分のチームにメカトラが起きたって聞くだけで、心臓が掴まれたみたいになるの。自分のせいでチームが負けるかもしれない、選手が怪我してるかもしれないって。だから今回は機材トラブルの知らせが届かなくて本当によかったって思ってた」

 

 ぽつりぽつりと話し出したその内容は、これまでにも何度か瀬上自身が話していたことだった。

 

「でも違った……知らせがないのと起きていないのとは、別だったんだね。見つけた時は本当に血の気が引いたよ」

 

 大きなため息をついて、瀬上は両手で顔を覆った。土混じりのオイルが顔に付くのも厭わずに。

 

「今泉くん、私にバイク預けた時にも何も言わなかった……」

「そりゃ小野田が総合優勝したつったらな。そっちのが大事だろ」

「怒りすぎて呆れて物も言えないくらいだったのかもしれないよ」

「えぇ……あれがそんな顔に見えたか?」

 

 瀬上が今泉から自転車を預かったその場にはオレも居合わせたが、オレには今泉がそんな感情を抱えているようには到底思えなかった。

 

 中学の頃からあいつを妬んで、敵対視して観察していたからこそ、なんとなくわかる。今日の今泉は、オレが知る今までのどんな勝利の瞬間よりも嬉しそうだった。

 

 自分が優勝してもそれが当たり前だとでも言うように、さして嬉しそうにするでもなく、澄ました顔で花束抱えてた男が、だ。

 

「怒ってないよ、今泉は。呆れてもないよ」

 

 これは確信を持って言える。最初は今泉をお高くとまったエリートだと思っていたが、接してみれば意外と素直なところがある。それは、良くも悪くも。だから今泉が瀬上や寒咲さん、あるいは出発前の整備を一人で完璧にこなしたはずの古賀に、なにか不満を感じたのならとっくに口にしているはずだ。

 

 だが瀬上は納得しなかったらしい。表情は晴れず、纏う空気は重たい。

 

「結果的に……小野田くんがゴール獲ってくれたからよかったけど、あのフレームで最後の局面に今泉くん一人だったら、絶対に勝ててなかった。どんなに今泉くんの調子が良くても、自転車が応えられない。もしそうなっていたら、私は……」

 

 話しながらだんだんと下を向いていく瀬上は、その先を口にしなかった。しなかったが、何を言おうとしたのかは想像がついた。今泉は当然のこと、チームのみんなにも顔向けできないとか、みんなが許してくれても私は自分を許せないとか、そんなところだろうか。

 

 たしかにそれは怖いことだ。自分のミスがチームを窮地に追いやり、敗北するだなんて。だがチームスポーツとはそういうものだ。そしてミスは誰もがするものだ。

 

「そんな深刻に考えるなって。ワールドチームのメカニックだってメカトラ起こしてレース中に直してるくらいなんだぜ? つまりゼロに近付ける努力はできても、ゼロにはできないってことだ。それに瀬上だけじゃない、寒咲さんだっていただろ? 二人で見て、それでも見つからなかった。それはそういうことだ」

 

 今度はさっきと逆だった。オレが話すうちに、だんだんと瀬上の顔が上へ上へと戻ってくる。そして最後は、隣にいるオレと目が合った。額と頬のあたりが、うっすらと黒く汚れている。手についていたオイルが移ったんだろう。

 

「オレの言ってること、違うか?」

「……違くない」

「だろ? 今泉だってわかってるよ、おまえもこの3日間全力尽くしたことは」

 

 瀬上はまだ少し引っかかりのありそうな顔をしているが、オレの言葉に小さく頷いた。

 

「そうそう、いつもみたいに笑ってろよ。『総北の勝利を支えたのは私だ!』とか言ってさ。ワールドチームからの引き抜き狙ってんだろ? ならもっと堂々としてなきゃな」

「……それを言うなら、『あのバイクにビンディングを付けたはオレだ!』もあるんじゃない?」

「げ、それもバレてんの?」

「小野田くんから聞いた」

 

 マジかよ。今の今まで何も言ってこなかっただろ。新しいペダル付けて行った時も「新しいのにしたんだね」としか言わなかったのに。

 

 ……いや、バレない方がおかしいか。たとえ小野田が言わなくても、瀬上ならきっとあの合宿所で気がついただろう。オレのペダルがなくなって、そのうえ小野田のペダルがビンディングに変わってりゃ当たり前だ。だって相手はほかでもない、瀬上なんだから。一見何もないところから何でも見通すやつに、そんな決定的な証拠を見せてバレないはずがない。

 

「でもどっちみち私も後から気がついたかもしれないね。……なんたって私は凄腕メカニックだからねっ」

 

 字面だけはいつもの強気な発言だが、声はまだどこか覇気がない。瀬上自身にスイッチを入れるための言葉みたいに聞こえた。パチン、と瀬上は自分の両頬を叩く。

 

「よし……勇気出てきた! 今泉くんに謝って来る」

 

 まだ百パーセントには程遠い。けれどその声には、少しだけ力が戻っていた。

 

「今泉ならさっきテント裏でガッツポーズ決めてるとこ、鳴子に盗撮されてたぜ」

「あー……あとで恥ずかしい思いするやつだ、かわいそう。……ありがとね、手嶋くん」

 

 言い残して、瀬上はテント裏へと向かって行った。眉を下げながらだが、笑っていた。

 

──よかった、少し元気になったみたいで。

 

 去年もそうだった。インターハイは、時にうちの敏腕メカニックを深く悲しませる。それだけ誰もが強い想いを懸けている大会だからなのかもしれない。

 

 来年は──最後の夏は、どうなっているだろう。瀬上は、ずっと笑っていられるのか。

 できることならメカトラなんて起きず、最高の結果を届けて、ずっと笑っていさせてやりたい。

 

 そしてその時はオレも、サポート役としてじゃなく──

 

「……純太?」

 

 オレを呼ぶ声が聞こえてハッとする。青八木の声だ。振り向くと、クーラーボックスを担いでこちらを向いていた。

 

「あ……()り、手止めてて」

 

 青八木は首を横に振る。そしてその瞳は「どうしたんだ」と問いかけていた。

 

「青八木、」

 

 続けようとした言葉は、すんなり出てはこなかった。言葉にすることに、どこか躊躇いがあったんだと思う。

 

 不確かな未来。決して可能性が高いとは言えない未来への希望を、口にすることで脆く崩れ去ってしまいそうな危機感があった。

 けどそれなら、これから確実なものにして行けばいい。そうなるように、できる限りをやって積み上げていけばいい。オレにはそれが、オレが唯一この道の上で生きていく方法な気がする。

 

「来年は出ような、オレらも。あの柵の向こう側にさ」

 

 青八木はまっすぐに頷いた。

 

「ああ、純太。必ずだ」

 

 迷いなんてどこにもない。そんな顔で頷く青八木に、オレはいつも勇気付けられている。

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