Blank Paper 〜凡人サイクリストのオレが天才メカニックに恋してしまった結果〜   作:fuyu_plus

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※青八木さん視点のお話です


#028

 純太はインターハイメンバーの座を、他の者に譲ろうとしているのかもしれない。

 

 そう感じた時、言いたいことは山ほど湧いてきた。インターハイには二人で行くと言っただろう、忘れたとは言わせない。……出て来る言葉の大半は文句だった。

 だから一度立ち止まって考えてみると、オレのやろうとしている事の方が余程正しくない気がして、やめた。

 

 こういう時の純太が、何も考えずに思いついただけのことを口にするはずがない。何か考えがあるはずなんだ。

 だがなぜそれを話してくれない? オレたちチーム2人は、己の課題も、どんな困難も、二人で分かち合うんじゃなかったのか。

 

「青八木くん、なんか今日機嫌悪そうだね」

 

 瀬上に言われて、パソコンに練習タイムを入力する手が止まった。

 

 オレはどんな感情もそんなに表に出す方じゃない、という自負がある。そんなだから、部活のやつら以外には何考えてるのかわからないとか、つまらないとか、よく言われる。

 

 だが今日は、周りからはっきりとわかるほど態度に出ていたのだろうか。だとしたら、練習を終えて先に帰った後輩たちにも申し訳ない。上がしっかりしないでどうする。

 聞こうとしたら、それよりも先に瀬上は頬杖をついて笑った。

 

「アップの時、いつも完璧なフォームとペダリングがちょっと荒れてたから、なんとなくそう思ったんだけど。違った?」

 

 どうやら態度がどう、ということではなかったらしい。瀬上やマネージャーの、こうした自転車を通した観察眼には、オレも驚かされるばかりだ。

 

「……チームSSから来た二人が一年生レースでワンツー決めたら、そのままインハイメンバーにする。……純太がそう約束してた」

 

 オレの一語を聞くたびに、瀬上の顔からは笑みが消えた。

 代わりに疑問と、驚きと、それから少しの怒りのようなものをもって、瀬上は机に手をついて勢いよく立ち上がる。

 

「えっ……手嶋くんそんなこと言ったの!?」

 

 古くてガタつく机が揺れて、その上の二台のノートパソコンはカタンと音を立てた。

 きっと瀬上も、オレが思い付いたのと同じ可能性に辿り着いたはずだ。

 

 インターハイメンバーとして内定しているのは五人。出走できるのは六人。鏑木と段竹が本当に二人でゴールを決めるのならば、既に決まっているうちの一人がメンバーから外れなくてはならない。そういう約束だ。

 

 そうなった時、外れるのは誰なのか。

 純太はその時、自分の席を差し出すつもりなんじゃないのか。

 

 オレは瀬上に頷き、だが、と続けた。

 

「真意はわからない。本当にそれで決まるのなら公貴と杉元が黙っちゃいない。ほかにも何か、考えがあるんだと思う」

「それでも、……実現すれば席は減るわけでしょ? 今決まってるメンバーの分まで」

 

 そうだ、とオレは頷いた。

 瀬上はへたり込むように椅子に座ると、大きくため息をついて頭を抱える。

 

「最終的には合宿で決めるにせよ……それは……」

 

 二年は強い。総北の主力はあの三人だ。選外になることはまずありえない。

 だからオレたち三年全員がインターハイに出るのだとすれば、二年の一人が選外かつ一年は誰もメンバーに入らない、という選択肢しか存在しなかった。

 

 だが来年以降のことを考えると、それは現実的ではない。純太の元に届いた入部届を見てわかる通り、インターハイ優勝をきっかけに様相を変えつつはあるが、総北は本来、箱学のように三年だけでもチーム編成できるほど人員が豊富なわけじゃない。現二年が四人であることを考えれば、来年を見据えて一年から一人は出すべきだ。

 

 公貴の時と同じ。経験を積んで次に生かせ、と。

 純太の判断は、きっと正しい。

 

「嫌だなあ……いつもそうだけれど、また見ないといけない……」

 

 瀬上はふらふらと、へたり込むように椅子へ戻る。頭を机に預けて、項垂れた。

 その様子は余りにも意外で、オレは今までこのメカニックのことを誤解していたのだと気付いた。それなりに長い付き合いになるのに。

 

「すまない。瀬上は……もっとドライだと思ってた」

「……ううん、そう思ってくれていたのなら私の狙い通りだよ。逆に良かった」

 

 思い返せば、瀬上が名前を呼んで誰かを応援するのは公式レースだけだ。部内で順位をつける時は「みんな頑張って」としか言わない。

 オレたちは早々に「瀬上さん」と呼ぶのをやめたが、瀬上は決してオレたちを呼び捨てにしない。

 

 その全てはおそらく、公平を期すためだ。

 

「『全員平等に応援しているから誰が勝とうが構わない』って、チームとして見たらそれはそうなんだけどね。でもメカニックの中身も結局は人だから。その部分では、割り切れないこともあるんだよね……」

 

 そうか。オレたちと同じなんだな。そうだよな。

 

「青八木くん……私、悔しいよ。何もできない」

 

 そう話す瀬上の声はいつになく落ち込んでいて、この話を始めたことを申し訳なく思うほどだった。

 

「私が勝ってほしいと思う人に、私の技術を使ってもらう……って始めたことだったのに、実際はできることなんて何もない。まあ、わかってはいたんだけどね。メカニックってそういうものだから」

 

 瀬上はよく言っている。「メカニックにはチームを勝利を導く力はない。私たちがレースの勝敗に影響を及ぼすのは、下手なメカトラでチームが敗北する時だけだ」と。

 

 ならばその下手なメカトラとやらを起こさない、というのは十分チームを勝利へ導いていると言えるのではないかと思うが、今の論点はそこではないだろう。

 オレが瀬上に提示できる解決策は、このあたりだろうか。

 

「オレは去年、『インターハイは二人で行く』と純太に言った。それ以外は意味ないと」

「すごい殺し文句だ。青八木くんぽい」

「やめてくれ……」

 

 項垂れながらも瀬上は声を上げて笑った。まったくもう、このメカニックは。こうやって人を揶揄う余裕はあるんじゃないか。

 

 ……いや。わざとこうやって、いつもみたいに明るく振る舞っているのかもしれない。純太のように。

 

「でもあの時とは立場が変わった。三年になって、部としての未来を考えないといけなくなった。純太のこの判断は、きっと正しい。……それでも、オレの『気持ち』は変わってない」

「……ちょっとは私たちの気持ちも考えてほしいよね」

「ああ」

「だけどそれも手嶋くんの良いところ……なんだね」

「そうだな」

 

 そう答えると、瀬上は今までで一番大きなため息をついた。

 

「だけど複雑だな……私は変なところで諦めが悪いから、『三年が三人とも出るにはどうしたらいいか』って考えちゃう。もちろん来年のことも考えて杉元くんや一年生に経験させるべきなのは、よくわかる。……けど、三人にはもう、『来年』は……」

 

 瀬上はその先を口にしなかった。言って想像を形にするのが、望まない未来に力を与えるようで嫌だったのかもしれない。

 

「……ダメだねこんなんじゃ。私たちが一年の時だって、古賀くんをメンバーにする代わりに出られなかった三年生たちがいたんだよね」

 

 そうだ。あの頃、三年生は四人いた。そのうちの二人が、下級生だった田所さんたちや公貴を出すために、インターハイメンバーから外れたのだ。

 

 それは最強のチームを編成するため、そして次年度へ向けた投資だった。その選択をした当時の主将たちがどれほど強い人たちだったのか、今ならよくわかる。

 

「……だからオレは」

 

 ずっと頭を机に預けていた瀬上が顔を上げた。

 

「何があっても、どんな状況になっても純太を応援する。純太がいないインターハイは考えられない」

 

 公貴の強さは、その背中をずっと追いかけて来たオレたちが一番よくわかっている。公貴はオレや純太にとって、先輩たちと同じく、目標にしている人のうちの一人だった。

 

 杉元だって、ずっと真面目に練習してきているのは知ってる。最初は口は達者なくせして弱気だと思って呆れていたが、インターハイの後からは顔つきが違うし、あの今泉が熱心に面倒を見ている。あいつも本気でインターハイを目指しているのだろう。

 

 それを知っていてなお、オレはこんなことを言っている。

 

 公貴や杉元には、本当に失礼なことをしていると思う。あの強気な一年生たちにしてもそうだ、本気なのか、大人と肩を並べていたことによる慢心からかはわからないが、インターハイに焦がれる者という立場ではオレたちと何も変わらない。

 

 オレの真意はそこにはないが、オレは間接的に彼らにとっての不幸を願う形になってしまう。オレとてこの席を他の誰かに渡すつもりはない。

 だがインターハイメンバーに選ばれるのがこの中の誰か一人だけになるかもしれない状況で、オレが誰を応援するのかは、もうずっと前から明確な答えがあった。

 

 オレがインターハイを走ると決めた最初の瞬間から、決まっていたことだ。そのために、オレたちはチームを組んだのだから。

 

「うん。私も…………いや。私には何ができるかな」

 

 瀬上もそうしたいのなら、そうすればいい。それだけで純太の力になる。

 

 オレはそう言おうとしたが、結局言わなかった。瀬上は、そうしたくてもできないんだ。今までオレが瀬上をドライだと誤解していた理由もそこにある。

 

「だったら、代わりに念じればいい」

「……念じる?」

「口に出して言えない時や、伝えたい相手がそばにいない時、オレはそうしている」

 

 そこにどれだけの意味があるのかはわからない。自己満足なのかもしれない。けれどオレは、いや総北は、そうやって聞こえないはずの声援にも力をもらって走ってきた。瀬上だって、聞こえないはずの声援を絶えず送ってきたはずだ。

 

「私、二人みたいに同調直列走法(シンクロストレートツイン)とかできないけど、それでも伝わるかなあ。そんなのあったらキセキだよ」

「なら尚のこと伝わるさ。『キセキを信じる力は届く』……他ならない純太が言ってる」

「だといいなあ。……そうしてみよう。ありがとう、青八木くん」

 

 瀬上は力無く笑うと、再び机に頭を預ける。理解はしたし、一理あるとも思えるが、完全に納得はできていないのだろう。

 やはりオレでは力不足だなと思ったのと同時に、ガラガラと音を立てて引き戸が開いた。

 

「だあー、暑っつ。もう春終わり? まだ四月だけど夏来ちゃった? 腹減ったー」

「純太」

 

 頭からタオルを被った純太が部室に戻ってきた。パタパタと左手をうちわのようにして仰ぎ、右手では額から落ちる汗を拭っている。

 

 純太は部活での練習が終わった後、一人で別メニューをこなしている。インターハイを目指す者は得てして皆そうしているが、登坂力の強化を図っている純太は特によく残っている。純太の家にはローラー台がないし、近所に坂もないから、帰るよりも学校に残っていた方が効率がいいんだろう。

 

 純太は瀬上のこの惨状を見て、数回瞬きをした。

 

「……おまえら何やってんの?」

「人生相談、かな……」

 

 瀬上は机に突っ伏したまま首だけ動かして、怪訝そうな顔をしている純太の方を向いた。

 だがその両目は髪に隠れていて、表情までは読み取れない。

 

「……ほー、オレに言えない話?」

 

 内容を明かさない瀬上に、純太は不服そうだった。

 また首だけを動かして、瀬上は純太と反対の方向を向く。それを見た純太の顔は、不満を通り越して悲しそうにすら見えた。

 

「うん。……主成分は手嶋くんの悪口だから」

「マジかよ、ひっでー」

 

 かわいそうなオレ、と純太はおどけてみせるけど、瀬上はいつものように冗談を被せるわけでもなく、何も言わないままバタバタと帰り支度を始めた。

 その所作はいつもとは違って少しだけ荒々しい。オレもアップの時はこんな感じだったのだろうか。

 

 パソコンをロッカーに仕舞うと、瀬上は着ているポロシャツのボタンに手をかけた。瀬上がその下にいつももう一枚シャツを着ているのはわかっているけれど、どうあろうと女子の着替えなんて見るもんじゃない。察知してすぐに後ろを向いた。その先にいた純太は、真っ赤な顔にギョッとした表情を浮かべている。

 

「ちょっ……! 瀬上おまえな、中着てるとはいえ男の前で堂々と脱ぐなよっ」

「ごめん」

 

 瀬上もいつもはちゃんと気をつかって別で着替えるのに、今日に限ってそうしないのはたぶん、少なからず純太に思うところがあったからなのだろう。声色からも反省は伝わってこない。

 

 むしろ「うるさいなあ、怪しげな物は何も見えないようにしてあるから別にいいじゃん」とでも続けそうな勢いだった。

 瀬上なりの抵抗……というか、当てつけの一種なんだろう。

 

 メカニック然とした姿からすっかりとサイクリストの出立ちになった瀬上は、靴も履き替えて荷物を全て背負いこみ、手にはヘルメットを携えている。

クリアレンズの入ったアイウェアの奥の瞳とかち合った。おそらく「巻き込んでごめんね」という意味合いで、瀬上は眉を下げて笑っている。さっきよりはずっと覇気が戻った印象で、オレは別にいいという意味を込めて頷いた。

 

「瀬上、帰るのか? 途中まで送ってくから、ちょい待って……」

「ありがとう、でも今日はいいや。なんか爆走して帰りたい気分なんだよね」

 

 それは聞かなくても予想がついた。瀬上が制服を着ずにサイクルジャージで帰るのは、大抵そういう時だ。

 

「陽も落ちたし、それこそ危ねーぞ。少しだけだから待ってろって」

「手嶋くん」

「ん?」

 

 瀬上は部室の扉に手をかけると、そのまま振り返らずに続けた。

 

「今年のインターハイ。私やっぱりキャノンデールの整備がしたい」

 

 純太が動きを止めた。止まった、という方が正しいか。

 

 それは瀬上なりの応援に他ならない。こういう言い方をすることで、メカニックとしてのポリシーに反さないようにしたのだろう。

 応援にしては回りくどく、だが念じるよりも直接的な方法だ。

 

「というわけだからよろしくね。……二人ともお疲れ!」

 

 瀬上は勢いよく扉を開けて、逃げるように部室を飛び出した。次の瞬間にはピシャリと閉ざされた扉の向こうで、ビンディングシューズの足音が遠ざかっていくのが聞こえる。

 

 純太がその後を追いかけるように扉を開けるが、既に瀬上はヘルメットを被って右足のビンディングをはめているところだった。

 

「瀬上! ……気をつけて帰れよ!!」

「はーい」

 

 千ルーメンの一際明るいライトと、赤い点滅のテールライトが遠ざかっていく。

 純太はそれを見届けて、灯りが見えなくなってから静かに引き戸を閉めた。

 

「悪口って、そういうことか。……悪い、青八木。おまえに何も相談せず決めちまって」

「純太」

 

 オレと瀬上が何に怒っているのか、純太は正しく理解したらしい。きっと本人にも思うところがあったからだろう。

 

「今年こそ出よう、二人で」

 

 去年とは何もかもが違う。もう「それ以外は意味ない」とは思わない。どんなチームになったとしても、必ず意味のあるものにしてみせる。

 けれどオレたち二人でなら、その意義は、大きさは、どちらか一人の時に見出せるものよりも遥かに素晴らしいものにできるはずだ。

 

 今までずっとそうしてきた。

 だから今度こそ、オレは純太と二人で、あの日誓った憧れの舞台を走りたい。二人ともが「チーム6人」の一員として。

 

「……ああ。必ず走り切るよ、合宿……ちゃんと六人目に入って、な」

 

 純太は眉を下げて、笑った。だがその目は確かに、いつも純太がオレに言って聞かせるような、希望の光を見つめている。

 

 ……それに、純太。おまえの好きな人は、おまえの事をきっと誰よりも想ってくれているよ。

 

 今日話していて、それがよくわかった。

 純太とオレとはまた違う、色鮮やかな信頼関係。微笑ましいとか、良かったなとか。そんなものを通り越して、どこか二人を誇らしく思うほどだった。

 

 純太が純太自身のために走り抜くことを、瀬上は何よりも望んでいるはずだ。

 

 叶えてくれ、その願いを。

 だけどそれは、瀬上のためでなく、オレのためでもなく、他ならぬ純太自身のために。

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