Blank Paper 〜凡人サイクリストのオレが天才メカニックに恋してしまった結果〜 作:fuyu_plus
一年生レースが終わって少し落ち着いた頃、千キロ合宿前の大事な時期。
三年には学年の一大イベントがある──修学旅行だ。
三泊四日の日程で、兵庫・大阪・京都を回る。初日は神戸で防災学習、二日目がUSJ、三日目に京都・大阪を各班で自由に観光するという内容だ。
今日のLHRでは、各班にわかれて三日目の自由行動日のプランを作成することになり、班長の席に集まって話し合いが行われていた。
オレも、すぐ後の席に座る平田も、班長だった。すぐ近く、後ろの方から平田の班の話し声が聞こえてくる。自分の班のことを考えながらも、その声が気になった。
「凛はどこ行きたい?」
瀬上が平田の班にいるからだ。
「え、私も希望出していいの?」
「当たり前じゃん。みんな一個ずつ行きたいとこ挙げてさ、そこは絶対行こ!」
「本当に!? じゃあ……私、前から行きたい所あって……」
「うんうん、いいよ! どこ?」
平田たちに促されて、瀬上は「うん……」となんだか言いにくそうに濁してから続けた。オレから瀬上の表情は見えないが、声のトーンからそれが伝わってきた。
「──シマノ自転車博物館」
わはっ、マジか。ブレねーな。
オレが声を押し殺して笑うと、同じ班の友人たちが怪訝そうな顔をした。察しが良いやつは、後ろの平田の班が凍りついた様子を見て理解したようだった。
「ごめん、それ以外で」
「えー。いま絶対行こうって言ったじゃん。だから私も希望出していいのかって聞いたのに〜」
いつだったか鳴子が誇らしげに語っていたように、有名な自転車部品メーカーのシマノは大阪が創業地だ。そのシマノが設立した財団法人が管理するのが、シマノ自転車博物館。オレも行ったことはないが、自転車発祥の歴史を学べたり、歴代のシマノ製品が展示されていたりするらしいと自転車雑誌で読んだことがある。たしかに瀬上が行きたがりそうな場所だった。
「だってそんなガチなチャリオタ施設あるの知らなかったし……てかなんなの、そんなもじもじしながら言うからついに凛も『地主神社』とか言い出すのかなって思ってたら、自転車博物館って!!」
「あ、なるほど。私を雇ってくれるワールドチームとの良縁結んでくれる神社ならそれもアリか……」
「なるほど、じゃない! あんたはどこまでも自転車オタクなんだからっ! ──そこのチャリ部部長っ、肩震わせて笑ってないで、責任持って部員をその博物館とやらに連れて行ってやれっ」
声を上げないようにしていたが、笑っているのが平田にバレたらしい。平田が座ったまま、オレの椅子を蹴り上げる。痛いな。
観念して振り返ると、平田の班のやつらはそれぞれ違う種類の表情を浮かべていた。呆れたように口を尖らせているやつもいれば、オレと同じように瀬上の発言に大ウケしているやつ、オレを見て不思議そうに首を傾げているやつもいる。瀬上はその中で苦笑いをしていた。たぶん、オレに巻き込んでごめんと言っている顔だった。
「残念ながらうちが関西のレースに出る予定はないんだよなー」
「ええ、インハイ優勝校なのに? ……まあいいや、どっちにしても今回はちょっとごめんね、凛」
平田がそういうと、瀬上は何の引っ掛かりもなさそうに頷いた。それを見届けて、オレも本来の自分たちの班の作業に戻る。相変わらず後ろからは楽しそうな声が聞こえてきた。
「まあダメ元だしね、博物館は諦めるよ。でも代わりにレンタルロードバイクで巡るのはどうかな!? 交通費浮くし、待ち時間もないし、バス混んでて圧死しそうなんて問題とも無縁!! パンクしたってこの私が秒で直せるしっ」
「だめです。ちょっと乗せてもらう分には楽しいけど一日中は無理」
「じゃあクロスバイクは!? ロードよりとっつきやすいけど、前三枚後ろ九枚のギアで京都の坂もすいすい登れるパワーはあるよ!」
「似たようなもんでしょ。却下!」
平田の班の様子を見ていたオレの友人の一人が、呆れたように口を開いた。
「おまえんとこのマネージャー、相変わらず強烈だな」
「マネージャーじゃなくてメカニックな。自転車整備士だよ」
「ふーん」
オレと同じ班のその友人は、興味なさそうにそう答えた。バスケ部のそいつは、たぶんマネージャーとメカニックの違いにピンと来てないのだろう。
「えー、でも京都大阪だよ? みんな抹茶パフェとかわらび餅とか、お好み焼きにたこ焼きにあれこれ美味しいもの食べるでしょ? カロリーどのくらいあるのかなー。自転車なら全部吹っ飛ぶけどなー」
「わーそんなの聞こえなーい! 普通に電車とバスで回るよ。観光地を歩くのだって立派なカロリー消費になるんだから! あんたは修学旅行くらいチャリから離れな」
「ええー……知らない良い道見つけたら走りたくなってしまうのが我々なのに……」
「もうこれだから自転車ガチ勢は……」
「……公共交通機関ガチ勢め〜」
*
三泊四日の修学旅行も、早いものでもう三日目だ。
それと同じ日数、ロードには乗っていない。これだけ乗らないのは、去年の合宿で肉離れを起こしたとき以来だと思う。クラスが違う青八木とも、この期間中は偶然鉢合わせた時と、運動部有志による朝のジョギングの時くらいにしか喋っていない。妙な感覚だった。
オレたちが修学旅行に行っている間も今泉たちは毎日練習しているのかと思うと、ちょっとした焦燥感みたいなものを感じることがあった。ただ、きっと今年オレの前に立ちはだかるのは下級生ではなく、同級生だ。そんな予感がする。そう思うと、相手も自分も同じ条件だと思えて、少しは気が楽だった。
大きな窓から差し込む朝日が、昨日までとは違う服装の生徒たちを照らしている。昨日までは制服で行動していたのに、今日はなぜか私服でというのが先生方からの指示だった。男子は荷物が増えて面倒くさいという声が多かったが、女子は何を着ていくかと楽しそうだった。
私服だとみんな雰囲気が変わるな、なんてぼんやり思いながら歩いていると、前方から見覚えのある顔が近づいてきた。
「あ、手嶋くんおはよう〜」
瀬上だった。団体行動になる修学旅行中は珍しく、お互い一人だった。
どこかまだ眠たそうな顔をしている瀬上も、いつもとは違う雰囲気の、珍しい服装をしている。
「はよ、……てか瀬上当然のようにサボったな、運動部有志の朝ラン」
「あはは。だって私は運動部に所属する文化部だし」
そのまま横を歩く瀬上が笑う。たしかに瀬上の言う通りだったが、野球部やサッカー部でマネージャーをしている子たちは朝ランに来ていた。
「サッカー部のマネージャーやってる瀬上の友達はちゃんと来てたぞ?」
「知ってる。みんなが朝練行く時に私もぼんやり送り出したし」
「なら一緒に来いよなー。走ったりしなくても、タイム測ってくれるやついたら陸上部とかが助かったと思うぞ」
「いやー布団から出られなくて……。そのまま二度寝しちゃった!」
「まあ気持ちはわかるけどな」
そんな話で間を持たせながら、オレは迷った。瀬上の、この見慣れない服装を褒めるべきか、スルーすべきか。
オレはメカニックとしての瀬上が一番見慣れている。整備仕事で汚れても良いようにだろう、黒いポロシャツと、それと同じ色のパンツルック。記憶の中の瀬上は大体、プロチームに所属するメカニックと同じような格好をしている。
次に馴染み深いのは制服か、サイクルジャージかの同率二位だ。その次に学校指定のジャージ。それ以外の服を着る瀬上を見るのは、今日が初めてだと思う。
こういうのって褒めて良いんだっけ? 異性の服装とか髪型とか褒めるのってセクハラ?
「お嬢さん、今日はどちらまで?」
「……伏見稲荷大社に龍安寺、清水寺と、それから──どこだっけ? まあそこら辺ですわよ純太チャン」
「急にやる気なくすなよ。何だよ純太ちゃんて」
「え、急にお嬢さんとか言うから、セバスチャン的な……」
「ぷはっ、わかりにくっ」
オレが吹き出すと、瀬上も後に続くように声を上げて笑った。いつもの部活で見慣れた楽しそうな顔で。
ああ、今なら言える気がする。言ってみよう。
「その服似合うじゃん」
「まあお上手ね純太チャン! 褒めても何も出しませんわよ」
「かわいい」
オレが褒めると、瀬上は化け物でも見たみたいに目を白黒させて表情を強ばらせた。
ああ、やっぱ言わなきゃ良かったかな。ちょっと傷付く。
「なんつー顔してんだよ」
「いや…………ありがと。手嶋くんも星Tシャツ以外の私服ちゃんと持ってるんだね」
「それディスってる?」
「褒めておりますのよ」
そのお嬢様口調まだ続けるんだ、と思っていると瀬上は急に顔色を変えた。いつも部活で見ている顔だった。
「そんなことより聞いて! もう二日も自転車触ってないから禁断症状出てきた」
「はは、オレも。三日間も自転車乗らねーとか考えらんないわ。大事な大事な合宿前に勘弁してほしいよ」
「うちの修学旅行、他の学校より遅いよね。手嶋くんなんで輪行してきてくれなかったの?」
「そういう瀬上はツールケース持ってねーな?」
「アーレンキーは持ってるよ」
「マジで?」
瀬上はどこからともなくスッと愛用の携帯アーレンキーを取り出して、ふふんと得意げな顔をした。
今どっから出したんだ。どこぞの暗殺者が仕事道具取り出したみたいな手つきだったぞ。
「せめてこれだけはと思って……旅先でパンクして困ってる人に渡すためのチューブも持つか迷ったけど、地味に嵩張るからこれだけにした……」
「何を想定して修学旅行来てんだよ」
瀬上と二人で笑いながら食堂の扉をくぐった先、食器を乗せるトレイを持った平田が訝しげな顔でオレたちを見ていた。
「あんたたちいつまで夫婦漫才やってんの」
夫婦漫才って。センシティブな言い方やめてくれよな。
「オレみたいな凡人が天才メカニック様と夫婦だって? そりゃ光栄だな。学校新聞の一面に載せといてくれよ、新聞部の部長さん」
冗談でそういうと、平田は心底ありえんと言った様子で顔を顰めた。割と本格的に軽蔑されたような顔だった。この間、オレがゴミ箱シュート決めた時の尊敬の眼差しは一体どこに行ったんだよ。
「いや一面はさすがにないよ。手嶋じゃなくて今泉くんなら確定だったけど」
「え、マジで? 悲し。オレも一応全国区の部活のキャプテンなんだけどな〜」
一方で瀬上は、あまり気にしていないようだった。平田に「おはよう」と言い、そのまま寄りかかるように平田の持っているトレイの中身を覗きにいった。
「平田ちゃ〜ん、今日のご飯なに?」
「おそよう凛。もう、あんたギリギリまで起きないんだから……」
瀬上とは、このまま流れ解散になりそうだった。平田と連れ立って行く後ろ姿を見ていると、瀬上がこちらを振り返る。
声はなく、「またね」とその口が動いた。オレも同じように返してクラスのやつらを探しに行く。
クラスメイトを見つける前に、机をふたつもみっつも挟んだ向こう側に、見知った顔を見つけた。
古賀だ。遠目から見ても、その身体の仕上がり様がわかる。側から見ただけではわからなくても、同じサイクリストならば、何か目標とするレースがあってトレーニングを積んでいるのだろうと察せるだろう。
──なあ、古賀。おまえもオレと条件は一緒だ。そろそろ自転車に乗りたくなって来た頃なんじゃないのか。
そんな風に思っていたせいかもしれない。随分遠くだったのに、古賀はオレの視線に気付いたようだ。一瞬だけ鋭い視線が投げかけられると、それからはもう交わることはなかった。
瀬上の私服はご想像にお任せします!