ジョジョの奇妙な冒険 ロード・トゥ・オーシャンヘブン    作:ユーホー腐れ男子

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岸部露伴は留まらない その1

 

 南陽町。

 海産資源に富んだ関東地方北東部の海沿いの町。

 南陽町にある小浦浜の沖合水深30mのところには黒潮によって運ばれた温水が流れる海域があり、そこが珊瑚の群生地帯となっている。主に沖縄・九州で多量にみられる温暖な気候を好む珊瑚ではあるが、実は関東地方は千葉県の海でも生息が確認されていて、小浦浜はその関東地方珊瑚礁の中でも大きく生態系の多様性に富んでいた。

 

 海の波を押しつぶしながら飛行するヘリコプター。それに仕返しとばかりに太陽光をギラギラと反射する海が目をくらませる。岸部露伴はチャーターされたヘリコプターに乗って目を細めてていた。

 

「僕はァ珊瑚礁を観察したい、と言ったはずだったんだが……上方くん、これでどうやって観察しろっていうんだ。僕にも肥えた観察眼ってものがあるが、別にそれは『ものをよく見る』能力であって視力が高いってわけじゃないんだぜ? 君だって視力15以上のマサイ族がレオナルド・ダ・ヴィンチのような至高の審美眼でも持ってるに違いない、とか勘違いしてるわけじゃあないだろ」

 

 ブロロロ、と巨大な虫の羽音のようにけたたましく鳴るヘリコプターに負けないように露伴は若干の怒気を込めて吠えた。海を見つめても揺らぐ珊瑚らしき影の塊しか見えないが、それよりも露伴にとって奇妙で興味深かったのはここまでガイドしてくれた彼の方だった。匍匐前進をするようにヘリの床にへばりついて、小浦浜の海をじっと見つめている。露伴の言葉がまるで全て潮騒とヘリの空気を刻む音にかき消されたのかもしれないと思うほどに男は微動だにしなかった。

 

 今度の漫画は海中で貝やヒトデなどが暮らす珊瑚の国の話を描こうと露伴は決めていた。だからそのために珊瑚にはどのような種類があって、どんな構造法則をしていて、どんな生物をその内に住まわせているのかを知る必要があった。大地に二足で立つ人間である限り、海の自然さを容易く想像はできはしない。流れと水圧と温度に影響される過酷な深淵は未知数でありながら魅力的なのだ。リアリティもさることながらそこには人の好奇心を揺さぶる『奇妙さ』があるのだから。

 

 しかし、それが、その調査がこのざまだった。

 

 海を調査するということで、ヒトデの研究で博士号を取ったという空条承太郎にガイドを推薦してもらったのだ。彼が認める人物がどのようなものか興味があったが、実際会ってみると彼の傑物とは全く違っていた。まだ一言二言ぐらいしかまともに会話していないが、マイペースさと偏屈さを感じる。研究者が持っている世間とはズレた異常な集中力と浮世離れした考え方。あまり社会に馴染めていないというのが顔から分かる。

 

 だが、まぁ、そうじて露伴の嫌いな『ガキ』っぽいタイプの男だった。

 

「岸部露伴先生。俯瞰視点で珊瑚礁を見たことはあるか?」

 

 一瞥もくれずに上方はべったりとヘリ底にくっついたまま露伴に尋ねた。

 露伴の方はあきれて腕を組むが、確かに見たことはないな、と答える気もないが思った。

 サンゴと周辺環境の海洋生物の多様性を専門に研究している上方はきっとあるのだろう。そして、何かに気づいたのだろう。だから、こうして露伴を上空へと、わざわざヘリまで身銭を切って乗っけてくれた。そこにはありがたく思っているが、露伴にとってはこの視点では海の世界のリアリティを見受けることが出来なくて、有難迷惑に感じた。

 

「……僕だって、取材のために飛行機に乗ってオーストラリアやツバルなんかに行くからな。窓から見下ろした時に環礁を見つけてスケッチすることはあるよ。上空から見下ろす機会っていうのは少ないからな」

 

 嘘ではなかった。

 だが、それが露伴の言えるギリギリの真実だった。

 

 ただ一度だけ島自体が珊瑚でできたツバルという国に足を運んだ時に飛行機に乗っている間に上空からの眺めをスケッチしたことがあった。面積にして約七十平方キロメートルほどのドーナツ型の島はそれ全てが巨大な珊瑚の造礁地であるが、その当時は軽く知識と体験を得た程度にしかフォーカスしていなかった。

 

「そうか、環礁は偉大だからな。勿論、グレートバリアリーフもいい。ブリスベーンからケアンズの方にかけて見てみるか、ケアンズからブリズベーンにかけて見るか。どっちが自然だろうな……しかし、岸部露伴先生、その時、その環礁を見た時は何か気づきはしなかったか? 珊瑚への『気づき』、『リアライズ』があれば、『理解』につながるからな。思い出すことが自然な『気づき』に流れを作れる」

 

「その時はどちらも珊瑚の取材でいったわけではなかった。先住民族からの話で、赤サンゴが安産祈願として妊婦のお守りになっているとか、船乗りの導きの石になっているとかって話は聞いたけれど、別に君が聞いているのはそういうことじゃあないだろ。生態系、環境の柱としての珊瑚だろうからな」

 

「では、ここではどうだ? ここ、『小浦浜の珊瑚礁』は普通の珊瑚礁とは違う不自然な点があるのだが」

 

「だからさァ――、言いたかないが、僕は珊瑚を良く見たことないから取材に来たんだぜ。ここから見える珊瑚礁の見え方、それから察して海の透明度の高さと海面の波の速さくらいしか僕には察せないよ」

 

 上方は痺れを切らした露伴の言葉を聞いて黙り込んだ。

 露伴も黙って冷静さを取り戻そうとした。こんなペースでいては精神的な疲労が多大な摩擦力を持って募ってしまう。それは支障が出て、良くない。

 

 露伴はもう一度上方の質問について考えた。

 

 上方が言っているのはこの『俯瞰視点』にしかない情報で、この露伴があの飛行機の中で見落としたリアリティと神秘のことなのだ。露伴は平気なふりして眼下の海を観察し、あの時の窓から見えた光景と比較する。飛行機の窓からは雲の上からですら見えそうな珊瑚礁があって、逆にこっちはヘリコプターほどの飛行物体でなくてはいけないほど小さい。

 大きさのことを言っているのか? 或いはそこにある相関とか、水温や赤道より上下の条件が関わっているとでもいうのだろうか?

 

 いや、違う。

 上方はここ一か所しか見せていないのだ。

 ここ一点において分かることを聞いている。

 

「……ぼんやりと見える程度だが、あの珊瑚礁なにか規則的に網目のようなものが入っていないかい。潮の流れ道か?」

 

 上から見下ろした海はサンゴが生きていけるくらいには青く透き通っていて、陰影もおぼろげながらに分かった。ネットや図鑑で調べればサンゴの形を二次元的に捉えることはできるが、こういったマクロの視点の写真を見た数は相対的に少なかったかもしれない。いくつかの写真で珊瑚の生え方のパターンが違ったことは辛うじて露伴は覚えていた。岸から海に向かっていく珊瑚礁ではその間がひび割れてそこに潮の流れが生まれる。逆に沖合の方にある珊瑚礁はヒョウのようにマダラに点在して潮の流れが捉えづらかった。

 

 だが、小浦浜の珊瑚礁は先ほども言った通り深水30メートルという平均的な珊瑚礁の1.5倍近い水深に位置している。つまりそれだけ沖に出ているのに、異様なことだ、この珊瑚は海に沈んだ島のように一つの塊を成している。他の珊瑚礁に邪魔されることなく、孤独に、絶対的に。見れば見るほど神秘的に見えるが、やはりその『網目』のような模様も露伴の眼を釘付けにした。その模様はどこか『意思』を持っている気がしたからだ。

 

 露伴が興味をそそられて、スケッチを始めようとしたその時に今まで起き上がってこなかった上方が蛙のおもちゃのように飛び上がって露伴の右手を取った。

 

「おいッ! お前ッ……!」

 

 何の前触れもなく上方が右手を強く握ってきたものだから、咄嗟にヘブンズ・ドアーを発動させようと左手で空中にピンクダークの少年の像を描こうとしたが、その表情を見て手が止まった。

 

「さすが、流石岸部露伴先生だッ……!」

 

 その目は一切の敵意がないまるで飼い主の帰りを待っていた忠犬のように純粋な眼をしていた。

 露伴の着眼点、審美眼に対する並々ならぬ信頼がここに来て表にあふれ出すほど上方の中で跳ね上がったようだ。

 

「あなたなら分かってくれると思った。そう、どんな海洋学者よりも私の発見を認めてくれるとね。そう、あれは不自然なのだ。そもそも、ここ小浦浜の珊瑚礁は通常の珊瑚礁ではありえない『成長』をしている。あの規則的な網目は海水を循環させるための潮流だと推測されているが、普通はあそこまで規則的にはならない。それこそ珊瑚礁が『意思』を持ってそうしているかのようにね」

 

 珊瑚礁が意思を持っている、だと……?

 そんなバカなことがあるわけがない。動物が意思を持つというのは分かるが、鉱物的、植物的な珊瑚が意思を持つだと? そんなのはロマン主義に祟られた海洋学者の妄執でしかないだろう。

 

 しかし、そんな上辺の思いとは裏腹に露伴の頭の中は好奇心という潤いを取り戻した。

 この小浦浜には露伴を惹きこむ『魅力』がある。その渦中、渦の真ん中にあるのは間違いなくあの『珊瑚礁』だった。

 

「上方くん、仮にあの珊瑚礁に『意思』のようなものがあるとしたら、あの珊瑚礁は何を目指しているんだ。珊瑚の寿命なんてそう長いものなのかい?」

 

「確かに、それが気になるのは自然なことだ。しかしながら、いいか? 岸部露伴先生。通念的、常識的には珊瑚礁と珊瑚は別のものであり、珊瑚礁とはただの石灰質で構成された地形でしかないはずなのだ。しかし、あの珊瑚礁ではまるで歯が生え変わるように、石灰質が剥がれ落ちて、そこから新しい珊瑚が生えてくるのだ。アレは『循環』している。循環することこそ彼らの『意思』、それが彼らにとって自然なことだ」

 

 荒唐無稽な話であるが、専門家が言うならそうなのだろう。

 珊瑚礁は自身をまるでテセウスの船のように、或いは生物の細胞が新しくなるように生死のサイクルを繰り返しているらしい。実際にそうであるのならば、あの規則的な模様は周辺海水の温度調整をして珊瑚が成長しやすいようにするための珊瑚礁の『意思』なのだろうか。

 

 露伴は上方を振りほどいて、今度は自分がヘリ底にへばりついて小浦浜の珊瑚礁を煌めく水面に耐えながらスケッチした。多少船酔いに近いものを覚えたが、それよりも今は目の前の『奇妙な珊瑚礁』のほうが圧倒的に大事だった。

 

「『意思』のある珊瑚……ッ! 面白い、興味が出てきたぞッ! 上方くんッ、是非あの珊瑚礁を間近で見てみたい。ダイビングのリザーブはしてあるかな? 何なら素潜りでもいい。これでも、1分40秒くらいは息が持つ。さぁ、いこうッ!」

 

 露伴が今にもヘリから飛び出して、海に飛び込もうとするのを上方は首根っこをがっちりと掴んで静止した。

 思わず喉が締まって不快な思いをした露伴はあからさまに声のトーンを一オクターブ下げて、言った。

 

「……どうした? まさか、ビビっちまったわけじゃあないよなァ? 君は今日僕のガイドとして、せこせこ珊瑚と海洋生物を解説するために同伴させてるんだぜ」

 

 深水三十メートルへと飛び込みそうなまで上がったテンションがここでくすぶっている。

 勿論、上方だってそうだと思っていた。

 しかし、彼はそれよりも先に怒りを露にしていた。

 

「……岸部露伴、今の『発言』は良いものではなかったな。自然に逆らった不自然な発言だ、と指摘するほかない。不自然は良くないことだからなァ」

 

 唐突に上方の雰囲気ががらりと変わる。

 そこにいるのは先ほどまで無邪気に珊瑚礁の解説をしていた偏屈だけども純粋そうな研究者の青年ではなく、漆黒の夜海のように冷酷な人物だった。目に宿った力強さは乾燥しきっているがナイフのように鋭く、露伴が自然と『構える』ことが出来る様相だった。

 

 情緒豊かではなかったがそれなりに感情のこもっていた声が今では完全に咎めるためだけの突き刺さる声となって、露伴へと向けられた。

 

「今のあんたの発言は私を挑発しようという意思が込められていて、不自然だった。特に『ビビっちまったわけじゃあないよなァ?』の部分が最悪だッ。あんたは別に私がビビっていようがいまいが関係なかった。寧ろ、ビビッて慎重になってる方が良いとすら考えてるわけだからなァッ。それは、『ビビる』ってことが生物的に賢い選択だと知っているからだぜッ! だからッ! あんたの中で『ビビる』ことを嘲笑の言葉として使うのは不自然なんだぜッ!」

 

「何をいきなりキレているんだよ、君。挑発的なもの言いはしたが、そんなまくしたてるように怒らなくてもいいじゃあないか」

 

「自らの正しいと思うことを否定するというのは『不自然』な行為なのだ。私は子供の頃からそういう『不自然』な行為を見ると、咎めずにはいられなくなってしまうんだ! 頼むから、『不自然』な発言をしないでくれッ!」

 

 血走った眼が徐々に徐々にと寝そべった体制を取ってしまった露伴ににじり寄ってくる。

 空間を刻み付けるようなヘリの走行音を超えて、克明に鳴り響く靴音が露伴をたった数歩で追い詰める。

 

 明らかに憤怒の形相を見せている上方。上方の何の地雷を踏んでしまったのか、珊瑚礁の話を置いておいて今はそれを対処しなければならないらしいというのを露伴は肌で感じ取った。

 

 ヘリのプロペラ音。

 窓から入った光すら届かない影。

 その影の中で蠢く何か。

 

 それは明らかにスタンドの出る兆候だった。

 

「君に止められては僕も困るんでね。例え不幸に見舞われたとしても、一目は見ておかねばならない。それが漫画家として、『自然』な好奇心ってやつだろ?」

 

 自然な好奇心、というワードに反応して一瞬上方の動きが止まった。

 その隙を突いて露伴は空中にやはりピンクダークの少年を速筆で描いた。

 

「なんだそれはッ――!」

 

 上方がヘブンズ・ドアーの姿を捉えて驚嘆するよりも早く、ヘブンズ・ドアーは上方の表情を二つに割って本にしていた。

 

「なんだと聞かれたから答えるが、これが僕に与えられたギフトでね。僕はこれを『ヘブンズ・ドアー』と呼んでいる」

 

 目を開けることも無く、死体のように船内で倒れた上方に向かって形式的に露伴は応えてやった。

 きっと上方がヘブンズ・ドアーのことを覚えていることはないだろうが。

 

 杜王町での一夏の出来事以来用心深さを究めた露伴は怪しい人間を当たり前のように本にして読むことがクセづいていた。いやそもそも、人の内情を土足で入りこむことに罪悪感というのを覚えない質だったのも影響したのだろう。

 

 まず初めのページに『岸部露伴には攻撃できない』と念の為のセーフティーロックを上方には書けておいた。だが、ヘブンズ・ドアーで本にして読み込もうと思った理由は主に二つ。彼が激怒したポイントが露伴にはいまいちずれているように感じたことからその理由と、一瞬現れたスタンドについての情報が見たかったのだ。

 

 露伴は『上方醸』という人間がどういう人間かをこれから彼の知らぬ間に彼から聞き出そうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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