労働って、かったるい、つまらない。面倒くさい。でも、やらないと生きていけない。ああ、人生って、面白くない。
でしたら、お酒を飲めばいいのです。
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プレミアムな琥珀糸の液体に、きめ細やかな泡が乗っかっています。
中ジョッキはキンキンに冷たく、取っ手に触れると、水滴のしっとりとした感触が伝わってきます。まるで大きな氷塊から削り上げて作っているかのようです。
それを持ち上げ、口まで運び、流し込みます。一瞬だけ、なめらかな泡が舌を優しく撫でますが、すぐに琥珀色に押し流されていきました。歯茎が、舌先が、頬肉、喉が冷やされ、苦みとしゅわしゅわした炭酸の感触を残して通過していきます。
私はジョッキを静かに置き、ぷはあと息を吐きました。それから息を吸い直すと、中華料理屋の空気が口内を満たしていきます。濃い油がこびりついたような、特有の匂い。本来味もそっけもない気体が美味しいと感じられるくらい、強烈です。
そのような空気に包まれながら、私はもう一度ビールに口を付けます。
油の匂いはたちまちに洗い流され、滑らかな喉越しと相まって、爽快感がもたらされました。
あー、気持ちいい。やっぱりお酒って最高ですね。それも、今は退勤直後。ライブハウスを出て、直行で飲みに来ています。勤労ストレスの鮮度は最上級、採れたてぴちぴちの状態だったのです。
ストレスが新鮮であればあるほど、洗い流されたときの快楽は大きくなります。
アルコールには脳味噌の機能を希釈する効果があります。記憶とか、思考力とか、判断力とか。それらが薄められることによって、ストレスやら疲労やら嫌な記憶やらといった、心身にかかっている負担を軽減することができます。お酒を飲んだ途端、噓みたいに心身がウキウキになるのです。不愉快な疲れは存在感を失い、代わりにお腹の底から楽しさが湧いていきます。
なんか知らないけど、楽しくなるのです。これこそお酒を飲む一番の理由にして、本質なのではないでしょうか。普段どんなに辛い目に遭っていても、お酒を飲んだらなんか楽しくなれる。一時的に辛さを忘れることができる。ですからお酒を飲むのですし、中毒になるくらい飲む人も現れるわけです。
とはいえ、矛盾するようですが、ビール一杯ではさして脳機能は希釈されません。
中ジョッキ一つのビールに含まれるアルコールなんてたかが知れています。気持ちよくはなれるのですが、それだけです。キマることはできません。もっと杯を重ねるか、美味しいおつまみと共に飲むかしないと、脳味噌は皺々のままです。
それでは、わざわざ労働終わりに寄り道してまで中華料理屋に訪れた意味がありません。早いところ快楽物質を大量に生成して、脳味噌をツルツルにしなければ。
私は手を上げ、「すみません」と店員さんを呼び寄せます。
そうして、脳の皺という皺を埋めるべく、注文を行いました。
「餃子六つ、お願いします」
餃子、それは挽肉と野菜を混ぜて作った餡を皮で包み、焼いたり蒸し焼きにしたりして作るおつまみ。
ひとたび口に入れると、大蒜やニラの風味が鼻を突き、食欲が増進されます。そして、既に食べ物を口に入れているが故に、刺激された食欲は一瞬で満たされます。
さながらマッチポンプです。食欲を発生させ、瞬時に満たしていく。それだけではなく、皮を嚙み切ると、途端に口内に肉汁が溢れてきます。
それらをビールで流し込むときの爽快感といったら! 先ほど、私は濃い匂いの空気をビールで洗い流しましたけど、あれとは比べ物にもなりません。何しろ、餃子というのは濃い空気を形成させるに至った、匂いの発生源の一つですから。
いくら濃い匂いがするといっても、空気というのは所詮気体です。固形物ではありませんからお腹にたまりませんし、匂いといっても単なる残り香でしかありませんから。匂いの発生元に比べれば薄いです。清涼です。山の頂上で吸う空気レベルに澄み切っています。
それくらい、餃子というのは濃い匂いがするのです。
ところで、餃子というのはしばしば論争の種になる料理でもあります。
論争の種になる料理というと、例えばお好み焼き。お好み焼きには広島風、大阪風、という二大派閥があり、両者は基本的に相容れない関係となっています。離婚の原因として、お好み焼きの派閥違いというのが挙げられるほどです。
それ以外にも、例えば唐揚げはレモンをかけるかかけないかで日夜熱い論争が繰り広げられていますし、目玉焼きに至っては何をかけるか、一番美味しい焼き加減は何か、と様々な観点で論争が巻き起こっています。醤油、ソース、塩、胡椒、半熟、固ゆで、etc……。
餃子で巻き起こる論争も、目玉焼きのように複数あります。水か焼きか、餡の具材に何を入れるか、変わり種餃子はどこまでなら許せるか、などなど。
餃子に何をかけるかというのも、そのような論争の中の一つです。
醤油、ポン酢、辣油、塩、胡椒、酢……。辣油を垂らした醤油のように、調味料を掛け合わせて食べる例もありますし、「餃子専用タレ」が置いてあった場合はそれを使う、という例もあります。マイナーなところですと、山椒をかける人もいると聞いたことがありますね。まさしく千差万別です。
私はというと、珍しく、この件に関してはメジャーな食べ方をしています。七味をドバドバかけたり紅生姜をドバドバ載せたりというのは、流石にマイナーな食べ方という自覚はありましたが、餃子についてはそうでもありません。うどんや牛丼のそれより、遥かにまともな食べ方だという自負があります。
「餃子六つをご注文のお客様」
店員さんが、餃子を運んできてくれました。
皮はでっぷりと膨らんでいて、内側から相当、餡に圧迫されているのが見て取れます。どうやら、餡はいっぱい詰め込まれているみたいです。安い居酒屋の餃子だと、思わず目を背けたくなるくらい身が詰まっていないこともあるのですが、ここの餃子は思わず笑みがこぼれるくらいに肥満体型です。
口元が緩んでいるのを自覚しながら、私は卓上調味料が並べられているところへと手を伸ばします。
手に取るのは、もちろん、お酢の差し瓶です。
真っ黄色というほど色が濃いわけではないものの、透明というには黄色が濃すぎる液体が、瓶の中に詰まっています。見るだけで、鼻をつんざく刺激臭が想起させられる、輝かしい薄黄色です。
とはいえ、外食のお酢に酸っぱい印象はあまりありませんが。七味唐辛子もそうですが、刺激ジャンキーが歓ぶほどの力は有していないんですよね。大した戦闘力はないといいますか。そもそも、戦闘するようなものではないので、仕方のない話ではあるのですが。
その上、お酢は液体です。七味や紅生姜のように量を嵩増ししまくることによって、破壊力を上昇させることはできません。どれだけ注いだところで、お酢自体の刺激は変わりません。
スープを味変する際のような、液体にかける分には破壊力を上げられるのですが。餃子のような固形物に大量にかけてみたところで、七味や紅生姜のときほど快楽物質は形成されません。酸っぱくはなりますけど、気持ちよくなれるほどの味には達しないのです。
ですから、胡椒を加えます。
私は、餃子が乗った皿の一番隅にある、タレを入れるために仕切られた部分めがけて、お酢を注ぎます。
溢れない程度にまで薄黄色で満たすと、次に胡椒へ手を伸ばし、薄黄色が見えなくなるまで、パッパと振りかけます。
パッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパ。
薄黄色を、どんどん黒い粉が覆い隠していきます。どうやらブラックペッパーのようです。
小さな黒い点がどんどん液体に放流され、ぷかぷかと浮かんでいるその様は、勝手に液体に飛び込んで溺死する小虫が大量に現れたみたいで、正直に言って気分が悪いです。ホワイトペッパーの場合、出てくるのは白い粉ですので、まだ見た目はだいぶマシなのですが。
ですが、ここで手を止めてしまっては、得られる快楽も中途半端なところで止まってしまいます。やると決めたのですから、最後まで貫き通さなければなりません。それに、今は薄黄色が見えているから不快になるのであって、全てを黒で染め上げてしまえば、最初から真っ黒な液体のように見えて、気にならなくなるでしょうし。
私は振りかけ続けます。パッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパ。
無事に薄黄色は見えなくなり、私の餃子タレが完成しました。
胡椒の粒は薄黄色を完全に覆い隠しており、初めから真っ黒であったかのような全容です。近くでよく見てみなければ、黒色が胡椒の粒由来だと気づかないでしょう。
それでは、餃子を食べる時間です。まずは、タレを作成する過程で胡椒が飛び火してしまい、だいぶ黒くなってしまった餃子からいただくとしましょう。
箸で摘み、タレへと着水させ、皮の皺へと胡椒を練り込むように、餃子を馴染ませていきます。そのまま数秒経過し、十全に馴染んだと判断した私は、餃子を口まで運びました。
初めに感じたのは、胡椒の感触です。一歩間違えていたらむせてしまったかもしれないくらい、鼻腔や喉の奥を揺さぶってくる感覚。これは、激辛の何某を食したときと同じ、拒絶反応です。身体が取り入れまいとして出している警告です。身体に悪影響を与える可能性があるということを、身をもって伝えてきているのです。
ですが、そんなの知ったことではありません。私はくしゃみを飲み込むと、もぐもぐと餃子を咀嚼します。
途端、口の中で溢れた肉汁が、お酢の酸味と混ざり合い、ジューシーな甘みが酸味によって引き締められます。更には、胡椒の匂いと大蒜やニラの匂いが混ざり合って、どちらも食欲を刺激する食材ないし調味料ですから、両者が合わさることで一層強力になります。
そうして刺激された食欲は、案の定と言いますか、既に口の中に食べ物があるため、即座に満たされます。しかも口内にある餡は、酢の力を得て更に魅力を引き立てられているのですから、満たされっぷりも尋常ではありません。
もともと餃子はマッチポンプみたいな食べ物ですが、酢胡椒と合わさることで更に強力になるのです。
ですが、酢胡椒餃子のサビはここではありません。確かに餃子単体でも美味しく楽しめるのですが、それはあくまで前座です。
真の快楽ポイントは、餃子を飲み込んだ後に訪れます。
今から、それを体感しましょう。
ごくんと餃子を飲み込んだ私は、おもむろに中ジョッキを掲げます。
それから口を付け、角度を付けて、喉の奥へと注ぎました。
当然の帰結として、中の液体が入り込みます。アルコールを伴った琥珀色は、口内を冷やしながら、大蒜、ニラ、胡椒、肉汁、お酢といった、全てを洗い流して、爽快な喉越しをもって食堂へと通り抜けていきました。
喉元を過ぎたところで、冷たさを忘れるはずもなく、ビールは体内に入り込んでも尚、自己主張を続けています。身体を、その冷温で以て冷やしていきます。
これがお冷でしたら、冷静な思考能力を取り戻す清涼剤たりえたでしょう。ですが、これはビールです。アルコールを含有しています。よって、清涼剤にはなれません。むしろその逆です。脳機能を希釈し、思考能力を溶かして、脳の皺を埋めていく、快楽物質を生成するのです。
ああ、気持ちいい。私は感嘆の溜息を吐きました。餃子もさることながら、やはりこのビールです。普通の餃子と違って、胡椒とお酢も口内で存在を主張しているからこそ、ビールで洗い流したときの気分は爽快です。
美味しいものを酒で流し込むのは快感です。もっと美味しいものを酒で流し込めば、もっと快感を得ることができます。当たり前の摂理です。
そして、餃子というのは、一個食べただけで完食とはなりません。皿に盛られている分を全て食べることで、ようやく完食と相成ります。
今回は六つ入りですから、六回もこの快感を味わえるのです。
箸で餃子を摘みます。
入念に酢胡椒へ入浴させ、口へと運びます。
咀嚼し、酒で流し込みます。
餃子を摘みます。
酢胡椒に漬け、口へと運び、酒で流します。
ビールがなくなってしまったので、追加で中ジョッキを注文します。
また酢胡椒に漬け、餃子を食べます。酒で流します。
酢胡椒餃子を食べます。
酒で流します。
餃子。
酒。
餃子。
酒。
脳味噌で快楽が打ち鳴らされ続けます。
美味から来る気持ちよさと、アルコールから来る気持ちよさが乗算されて、脳味噌の皺という皺を埋めて余りあるほどの快楽物質が分泌されます。
単体でも気持ちよくなれる代物を、六回も吸ってしまったのです。単純計算で、キマり具合も六倍です。あー、気持ちいい。酢胡椒餃子気持ちよすぎです!
ここまで快楽が回ってしまうと、もう怖いものなんか何もなくなります。
周囲の目も、何も気になりません。欲求に従って行動してやりましょう。気持ちよくなることの方が大事です。
私は餃子が乗っていたお皿を持ち上げました。とはいっても、もう既に食べ終わっていますから、固形物は残っていません。あるのは液体。酢胡椒のみ。
即ち、酢胡椒があるということです。
私はお皿に口を付けました。酢胡椒が口の中だけに注がれるよう、緩めの角度で傾けて、啜ります。
口元でズビッと、あまり美しくない音が響いて、直後、私の口内を刺激が蹂躙しました。多量の胡椒と酸味、さらには脂身が混ざっていて、どれも主張が強いため、味覚細胞が混乱しているのです。
ずっと口内にとどめていたら、舌が持つ味覚を感じる器官としての役割が完全に消失してしまうことでしょう。私はごくりと、液体を嚥下します。酸っぱくて、スパイシーで、脂っこい後味が鼻先を抜けていきます。酸っぱくて、スパイシーで、脂っこいとしか形容できない風味なのです。
ここが仕上げです。私は、残った中ジョッキの中身を全て、曖昧な感覚の口内に向かって注ぎ込みました。
中ジョッキは、二杯目とはいえ、頼んでから少し時間が経過しています。持ち手は随分と汗をかいており、キンキンに冷えていた頃が遠い昔のようです。
それでも、口の中を洗い流すのには十分すぎました。
――琥珀色の液体が、全てを押し流していきます。胡椒の風味、お酢の酸味、餃子の脂身、大蒜の匂い、中華料理屋の空気。それらが全て喉の奥へと押し込まれて、苦みとしゅわしゅわした感触が残ります。
もちろん、そこに労働のつまんなさやかったるさなど、残る筈がありません。
私は、ぷはあと息を吐きました。それから、息を吸い直します。
今しがた洗浄したばかりの、中華料理屋の濃い油の空気が、口の中を満たしていきました。
私は、なんだか知らないけれど、とても楽しく思いました。