騎影が行く   作:ごまぬん。

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星光のまたたき

『死を克服する』

 

 

 

 ―――それを告げた瞬間、目の前の少女……マンハッタンカフェの纏う気配が一変したのがわかった。

 

 長い沈黙。最初の10秒は、彼女自慢のポーカーフェイスでも隠し切れないほどの困惑が浮かんでいた。

 ややあって、次に()()()()()()()()()()()()()()、という批難の視線。

 無言の抗議を経て、しかし最後は完全に真剣な面持ちで、カフェは私の顔を覗き込む。

 

「どういう意味ですか。それは」

 

 カフェの長い青鹿毛が、ふわりと浮き上がったように見えた。

 この部屋には窓はもちろん冷暖房が完備――実験用の気密チャンバーを導入する以前の名残――されていて、風の流れがある。それでも、明らかに不自然な動きだった。

 理由はちょっと考えたくないが、実際目の前で起こったことだから信じる他は無い。科学者なら()()()()()()だ。

 マンハッタンカフェの例を見るまでもなく、ウマ娘が"たましいの生き物"であることは周知の事実だ。私たちは必ずしも、既知の物理定数や運動方程式に従って生きてはいない。

 

「言葉通りの意味、だとも。さっきも話したが、こいつは極めて強力な自己複製能と、ほぼ全能と言える分化能を持った天然の多能性幹細胞だ。まぁ有り体に言うと『万能細胞』って奴で―――生物を形作る、()()()()()()()()に限りなく近い」

 

「命の、材料……」

 

「そうだ。筋肉になり、骨格になり、血液になり、臓器になり、神経になり……手足や内臓、たぶん脊髄にだってなれるんじゃないかな。それどころか、たとえ爆弾で五体を吹き飛ばされた人でも、脳―――つまり自我の認識と記憶を司る部分さえ無事なら、新しい身体を一から再生することさえ夢じゃない」

 

「……、……。………………」

 

 おっと。そろそろ視線が怖くなってきたな、どうにか機嫌を取らなければ……。

 カフェが言うところの『お友だち』はこの手の話題に敏感で、なるべく()()()な態度が求められる。

 得体の知れない怪現象に首根っこを掴まれている感覚は慣れないが、幸いカフェに似て理性的な人格の持ち主であることは判明していた。

 日本語か英語が――ちょっと自信が無いがドイツ語かロシア語、あとラテン語も――通じれば、どうにでも言いくるめられる自信があった。

 

「とはいえ、少し誇張が含まれていたことは認めよう。ゆくゆくはそういう望みがある、という程度の話だと思ってくれたまえ」

 

「ゆくゆくは?」

 

「あぁ、ゆくゆくは。しかし、予算も時間も人手も湯水の如く必要になるから……前向きに見積もっても、技術の完成に200年ほどはかかるだろうねぇ。カフェ、君は―――――」

 

 ……『私たちがみな不死になるのには反対か』、と言いかけて、すんでのところで飲み込んだ。

 曰く()()()()()()()()()というこの少女に、そして『魂』に類する()()の存在を実証し続けている彼女に、『永遠の生』という命題は刺激が強すぎる。

 

「いや、何でもない。とにかく、これは未来の医療に役立つ発見なんだ。ウマ娘の故障の克服は、私にとっても悲願だからね。そう聞くと悪いものではないだろう?」

 

 それに……正直なところ、これは私一人の手には余る研究材料でもある。

 もう幾許かデータを集めたら、大々的に存在を公表して、どこかの研究機関と成果を共有したいものだ。

 

「―――、そう……ですね。形はどうあれ……その技術で幸せになれる人が、一人でも居るのなら……」

 

 ごく静かな呟き。他者の感情の機微に疎い私でも、彼女の一言に万感の思いが込められていることは理解できた。

 カフェが目を伏せると同時に、旧理科準備室に充満していた剣呑な気配が霧散する。……同じ建物の他の部屋に、霊障が起きていないといいが。

 

「……ただ」

 

「まだ言いたいことがあるのかい? あー……その、今回に限っては私は至って真面目(シリアス)に――私はいつだって真面目だけれども――物事を考えていて、これまでの言葉にも嘘や皮肉や余計な修辞(レトリック)を含めたつもりは無くてだね」

 

「いえ、そうではなく。むしろ……」

 

 黄金色の瞳が揺れる。

 最近はかなり饒舌になってきたと思っていたけれど、何だか今だけ出会った頃に戻ってしまったみたいだ。

 私はカフェの身の回りで起こる怪現象や、彼女が見ているという世界について、現実にそういう出来事が起こっているという部分は認めている。遠慮なく話してくれても構わないのだが……。

 

「……。……止めても無駄でしょうから止めませんけど、くれぐれも注意してくださいね」

 

 それだけ言ってカフェは机に向き直り、授業の課題を解き始めた。

 

 心霊現象(オカルト)絡みでなくとも、カフェはどことなく勘が鋭いところがある。

 そうして異常に気付いた時、私に反省を促したいなら意図的に無視するし、逆に本当に危険が迫っているなら助け船を出してくれる。

 しかし今回、彼女は呆れた顔をしなかったし、必死になって怒ることも無かった。

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 ―――――タキオンさんから話を聞いたその夜は、どうにも上手く寝つけなかった。

 

 壁に耳あり障子に目ありとはよく言ったもので、『彼ら』は意外とどこにでも居る。

 はっきりとした意志を持っている場合は稀であり、そのほとんどは曖昧な感情の残滓に過ぎないけれど、それでも死後にまで焼きつくほどの強い感情であったことに違いは無い。

 あんな台詞を堂々と言ってのけたタキオンさんに対して、彼らがどのような態度を取るのか。私にも予想できなかった。

 

 だけど、結果的に彼らは驚くほど落ち着いていたし―――いつも私のそばに居る『この子』もまた、神妙な表情で沈黙しているだけだった。

 それは一見して困惑や懐疑の表情に思えたが、それ以上に、どこか拭いがたい不安と怯えが滲んでいるような気がした。

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 翌日、授業とトレーニングを終えて旧理科準備室に向かうと、アグネスタキオンが死んでいた。

 

「うっ……うっ、うぇ、うぇぇ……、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛……!!」

 

 いや―――昨日の今日で()()()などという言い回しを使うべきではあるまい。

 タキオンさんは正確には、机に突っ伏して滂沱の涙を流していた。周辺には無数のメモ書きとよくわからない道具が散乱しており、棚や機材を引っ掻き回した形跡がある。

 彼女は……癖の強い性格ではあるが、基本的に理性を重視する知恵者でもあり、それがこうも荒れているというのはそれなりの異常事態だった。

 

「……全く、また厄介事を……。これ、私が帰るまでに片付けておいてくださいね」

 

「カフェえ!? そ、そんな無体な……というか、それどころじゃないんだよ! ちょっとこいつを見てくれ!」

 

「言い訳なら結構です、どうせまた下らない実験で……」

 

「違う違う! これだよこれっ」

 

 そう言ってタキオンさんが取り出したのは、お湯のポットをそのまま拡大したかのような、一抱えほどのサイズがある金属の筒だった。ウマ娘の筋力をもってしても持ち運びに苦労しそうな代物である。

 しかし、その太い金属筒の(ふた)らしき箇所には、握り拳大の穴が開いていた。

 

「入れ物……ですか?」

 

「正解。実験に使ったサンプルを除いて、昨日の―――仮に『タキオン=ウララ半ウイルス型高侵襲多能性細胞』とでも呼ぶが」

 

「長いです。あと、昨日のアレのことでしたら、ハルウララさんが第一発見者なのに後ろに来ているのが気に入りません。『UT(ウララ=タキオン)細胞』にしましょう」

 

「……、カフェはさぁ……。あぁ、まぁこの際それはいい。いいさ。こだわりは捨てるとも。で、採取したUT細胞の大半をこれに入れてたわけなんだけれど」

 

(こぼ)した、というよりは……」

 

「そうだよ、()()()()()んだ!!」

 

 ……漠然とした、嫌な予感。二つ隣の町にヒグマが出現したというニュースを見た時のような、じっとりとした形の無い不安が膨れ上がる。

 否、これは恐らく、嫌な()()で済まされる事態ではないのだろう。『それ』は現実に、どうしようもなく捕獲(拘束)されたはずの状態から逃げ出している。……未解明の、新種生物が―――――。

 

「クソ、どうなってるんだ? 炭化タンタル・ハフニウムの外装に、タングステンシートとプラチナ・イリジウム合金の3層構造だぞ!? 10マイル以上離れていれば核攻撃に曝されたって耐えられる! それをこんな飴細工みたいに……!」

 

「落ち着いてください、タキオンさん。言葉が汚いですよ」

 

「汚くもなるさッ! 過酷なトレーニングを経て、困難なレースを勝ち抜き! にっくきアグネス本家の金庫番と財務省の刺客(エージェント)を出し抜いて投資した私の賞金があああああああああああ」

 

 迫真の絶叫を前に、さすがに同情したい気持ちが沸き起こってくるが、後半部分を聞いている限りは自業自得のような気もする。

 

「筒のことも残念ですが、今はUT細胞の行方を考えましょう。何か心当たりはありませんか」

 

「あるわけないだろう? 2時間前までの私は、彼らは本来地中か水中か……とにかく限定的な環境にのみ住んでいて、今回は何かの拍子に地上へ出てきてしまったのを偶然捕まえたと思っていたんだよ。だいたい、この強化密閉ポッドを破壊できる生物が存在するなんて夢にも……」

 

 思い当たる節があったらしく、栗毛のマッド・サイエンティストははっとした表情を見せた。

 事態を解決するモチベーションはあるようで何よりだ。アグネスタキオンというウマ娘は、放埓(ほうらつ)だが無責任ではなく、危険だが邪悪ではない。

 

「―――しかし、サンプルの絶対数が少なすぎたとはいえ、実験結果から想像くらいはしておくべきだったかも知れないな。彼らだって()()()()なんだ。閉じ込められて腹が空けば、脱走の一つでもやらかすってわけだね」

 

「やっぱり、彼らは危険な生物なんですか? いや……もしかすると、元々は敵意が無かったとしても、タキオンさんにされた実験について恨みを持っているのでは?」

 

「あー……。痛いところを突かれたな、確かにその可能性は考慮すべきかも知れない。さすがにそんな()()()()情緒は持っていないだろうけど、危険な天敵を排除したいって本能はどんな動物にもある……」

 

 まずいことになった、と呟き、タキオンさんは再び機材の山の中に戻った。その状態のまま声だけが聞こえてくる。

 

「相手は未知の、それなりに危険な、そして残念ながらこちらに敵意を持っているかも知れない生物だ。駆除してしまうのが確実だろうけど―――そんな目をするなよカフェ、私だってあれを失うのは惜しい。ここはひとつ、スマートに生け捕りにしてやろうじゃないか」

 

 などと言いつつタキオンさんが取り出したのは……どう形容すればいいのか、強いて言うなら"ライフル銃に見える掃除機"のような機械だった。

 そろそろ毎回質問するのも面倒になってきたので、視線だけで続きを促す。あのアグネスタキオンとアイコンタクトでコミュニケーションが取れるという点において、私と彼女の担当トレーナーは何らかの表彰に値すると思う。

 

「これは『多次元超疑似磁界誘導量子転送機』……の、技術実証機のプロトタイプのテスト品さ。詳しくはえっと……スイープトウショウ君とマチカネフクキタル君に聞いてもらいたいが――シャカール君(エアシャカール)は筐体を設計しただけで中枢部はブラックボックスらしい――、とにかくだね」

 

 出来る限り世話になりたくない名前が連続して聞こえたような気がしたが、それを言い始めたらまず私の目の前に居るこのウマ娘にも頼るべきではなくなってしまうので、とりあえず無視することにした。

 

「使い方は簡単。こいつの引き金を引くと先端の口からビームが出て、命中した物体をスイープ君が管理している『使い魔用の檻』に瞬間移動(テレポート)させる。以上!」

 

「……、……何気にとんでもないアイテムなのでは? これ」

 

「うん。私もこれをオックスフォードやCIT(カリフォルニア工科大学)に送りつけないよう我慢するのに苦労した。ただスイープ君によると、同じことを考えた()()()()使()()が過去に何人も酷い目に遭っているそうだから」

 

 なるほど。トレセン学園が日本の地図から消える日も近いかも知れない。

 

「後はまぁ―――カフェのような『お友だち』が居れば無用の長物なんだけど、これも必要かな」

 

 そう言って振り返ったタキオンさんの顔には、またもや何か奇妙な物体が貼りついていた。

 細めの弁当箱にも見える長方形の機械。タキオンさんのちょうど目線の位置に、黒光りする棒線状のレンズがはめ込まれており、眉間の辺りにはオレンジや緑の小さなランプが灯っている。

 

「『VRウマレーター』ってあったろう? あの理事長肝入りのオモチャ。そいつの初期型をね、伝手を辿って融通してもらって、仮想現実(Virtual Reality)じゃなくて拡張現実(Augmented Reality)用の機器に改造したんだ。搭載された各種センサーで空間中の電磁波や大気の状態を調べ、()()()()ことが出来る優れものさ」

 

「それで痕跡を探すんですね。わかりました、私も『みんな』に協力してもらえないか聞いてみます」

 

「そいつは心強い。よろしく頼む」

 

「準備は終わりましたね? では行きましょう」

 

 教室のドアに手をかけ、開いたところで振り返る。

 タキオンさんは少し足元がふらついていた。確かに、あのような装置が顔にくっついていては、()()()()()にしても視界が制限されるだろう。

 仕方ない……。タキオンさんの、『多次元ナントカ』を持っている側とは反対の手を取り、先導する形になる。

 

「あっ……あ、あぁ。ありがとう、カフェ……」

 

「お気になさらず。必要なことですから」

 

「うん……。……、そうだ。ところで」

 

「まだ何か?」

 

 栗毛のマッド・サイエンティストが、ARゴーグルを弄りながらのたまう。

 

「制汗剤を変えたね、カフェ。この成分からすると柑橘系のフレーバーかな? 君のトレーナーはこういう匂いが好みなのかい?」

 

 私はアグネスタキオンの左手を思いっ切り握った。

 小さい悲鳴が上がったが、この程度なら選手生命に関わることもないだろう。










これにてプロローグは終了です。
次回から第1章となります。
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