残念ながら
競走バとして日々のトレーニングもあれば、学生として個人的な用事もある。休日を一緒に過ごすくらいならむしろ歓迎できるけれど、それも毎回予定が合うとは限らない。
「なので、もう一人だけ同盟者を増やすことを提案します」
「もう一人?」
「はい。しかし、今から特別な行動を起こす必要はありません」
「というと……」
「まずは予定通り、選抜レースに出走しましょう」
そう。前準備の段階で(主に
えっちゃんが公安警察やFBIのお世話になること無く、五体満足で故郷の宇宙に帰るためには、公私に渡って彼女を支えて(あと秘密を守って)くれる人が必要になる。そして、その役目は
「えっちゃんさん。あなた自身の脚で、勝ち取るのです───ご自分のトレーナーを」
競走バ育成のプロにしてウマ娘たちの理解者、トレーナーとの指導担当契約。
トレセン学園の生徒ならば、まず誰でも最初に目標とすることだ。
理由は単純に、彼らがウマ娘の能力を最大限に引き出してくれる指導者だからというのが一つ。
「トレーナー……」
能面じみた無表情のまま、えっちゃんは感慨深そうに呟く。
よし。表情筋も声音も死んでいるけれど、何かちょっとだけえっちゃんの機微がわかるようになってきたぞ。日頃からキャラの近いブルボンさんと接してる経験が活きたのかな。
「サイキックペーパーとやらの効力は──色々と気になることはありますが──我々も確認済みですので、出走登録に関しては問題無いでしょう。基本的には自身の適性に合った、もしくは個々人の目標に近い条件のレースを選ぶのが良いと思います。えっちゃんさんは、ご自身の脚質を把握されていますか? あるいは、いつか出走してみたいレースは?」
「脚質……この肉体の
そして、ウマ娘がトレーナーを求める理由がもう一つ───。
トゥインクル・シリーズは開催にあたってたくさんのお金が動くスポーツ興業でありながら、そこで活躍するのは未成年のウマ娘ばかりだ。よってそのトレーナーは、あれこれの法的手続きと資産形成において事実上の後見人になる。
『ウマ娘のトレーナー』の資格取得がとても難しいのはこのためだ。同時に、『担当トレーナーを持たなければ公式レースには出走できない』と言われるのも、ウマ娘一人ではそういう"大人の事情に責任を持てない"から。
あえて誰も口にしなかったけれど、えっちゃんが『地球での潜伏生活のためにお金を稼ぐこと』を目標とするなら、ますますトレーナーさんとの担当契約は重要になってくる。
「はは、正直〜。けど確かに、名誉とかココロザシのために走ってる子ばっかじゃないしね。
「えっちゃんの場合、何でもいいっていうか
「いわゆる『
「でしたら───」
空き教室の机に広げられた数枚の書類、選抜レースへの出走届の中から1枚がピックアップされる。
本来は前日までには提出しておくものだけど、えっちゃんは入学直後の一番競争率が高い時期を全スルーして来ている。選抜レースの期間も3週目となると出走枠の争奪戦は落ち着き、ほとんど直前まで登録を受け付けているレースさえあった。
「第13トラック開催。左回り、芝、1800m。ライスが提案したクラシック・ディスタンスより600m短い『マイル』の距離ですが、東京レース場にも同条件のコースが存在するベーシックなステージです。脚質も不明確なウマ娘の試金石としては適切かと」
鏡色の目をした凪のような少女は、5秒だけ考えて答えた。
「ではそれで」
そういうことになった。
さて、
ネイチャちゃんが伝手を頼って確認したところ、幸い目的の選抜レースはまだ出走枠が埋まっておらず、今からでも上手く交渉すれば滑り込むことが出来そうだ。
「ふむ。いざとなればわたしの宇宙CQCで枠を"空けて"いただこうかと思っていましたが、運が良かったです」
「絶対にやめなね。さすがのネイチャさんも殺人エイリアン相手には通報一択だから」
自称改め暫定宇宙人にして、中途半端にスパイらしくない星間スパイのえっちゃんを一人にするのは……ちょっと、いやかなり、いや極めて不安だけれど……。
「ま、気楽に頑張りな? こんなアタシだってチームに入れたんだから、きっとアンタのことわかってくれるトレーナーさんも居るよ」
「ネイチャの言う通り! 実力を示して勝つのに越したことは無いけど、最初はまず順位も何も気にしないっ。これが私だーってみんなに見せてあげるつもりで、自分らしい走りをすればいいから☆★」
「うん。楽しんできてね、えっちゃん」
「頑張ってください、えっちゃんさん。ご武運を祈ります」
みんなの激励を受け、えっちゃんは唐突に手をわきわきさせる。
またぞろ何かやらかす気か───と
一体どこで覚えてきたのか、えっちゃんはグッと
◇ ◆ ◇ ◆
生徒会の業務を一時抜け出したシンボリルドルフは、道行く生徒たちに余裕と気品をもって応対しながら歩いている。こうした内覧は彼女にとって、最も楽しみな時間の一つだった。
やがて校内の各所に掲示された、模擬レースの予定表を前にして立ち止まる。有力な選手チームの入団試験はほとんど終了して──レースの世界における『
(芝2000m、ダート1600m、こちらは……。……弱ったな。思い返せば、
目の肥えた部下や知人に囲まれているのも考え物だ。又聞きした話だけでも最前線を知った気になれてしまう、と絶対の皇帝は苦笑した。
春の繁忙期を早急に終わらせ、後進たちと交流する時間を作ることを決心しつつ、今日これから観戦するレースの吟味に戻る。
(しかし……やはり出遅れてしまった。どのレースもあまり盛況しているようには……。いや、残り物には福があるとも言う。隠れた才能を見出すための努力を惜しむべきではない───)
こういう場合、一人で考え続けていても妙案は浮かばない。そこでシンボリルドルフは、周囲の生徒が話す声に集中する。
その大半は彼女と特に関わりの無い雑談だったが、少しばかり気になる話をしている者たちが居た。
「ねぇシナ、例の新入生がやっと選抜レース出るらしいよ」
「いつも遠くから見てるだけの子? ふーん。よっぽど自信無かったのかな」
「まぁ〜気持ちはわかるよねぇ。地元じゃ一番速かった子でも、
「それもそうか。じゃあ私、練習行くね。今日からトレーナーさんとなんだ」
「は!? ちょっ、あんたいつの間にスカウトされたの!? 待ってよぅ、あたしに断りも無くっ! 例の子のレース、一緒に見に行こうよぉ〜!!」
───なるほど。これは良い機会だ。
「君たち。取り込み中のところすまない。その、『例の新入生』とは誰のことかな?」
「はぇ? あー、確かハルノ、エー……なんちゃらです。見ればすぐわかると思いますよ、ピンク色の髪で魚目……の……」
栗毛をシニヨンにしたウマ娘の表情が凍った。恐らくは彼女もまた春からの新入生だろう。大抵の中等部1年生は、
その伝説の当人としては『入学式やら何やらで既に顔は合わせているし、トレセン学園の旗の下では同じ一人の生徒同士なのだから、あまり萎縮しないで欲しいなぁ』などと思っているのだが。
「あっ───ひょえぁああ!? ししししシンボリルドルフ!? ……会長ッ!! ……!??!??????」
「ち、ちょっとコタマ! あんた何やらかしたのっ!?」
「ははは……。とりあえず落ち着いてくれ。その手の諸注意なら、私ではなく風紀委員から話が行くようになっているはずだ」
努めてフレンドリーに微笑みながら片手を上げ、興奮する若駒たちを制する。
2人の新入生はそれぞれ、栗毛のシニヨンの方がコタツマルタマ、黒鹿毛のツーサイドアップの方がシナモリクリスタルと名乗った。
「あたしら実はナイスネイチャさんの後輩っつか、地元の知り合いでして、えへへ……まぁ向こうはそう思ってないかもですけど……。で、そのぅ、さっきネイチャ先輩から連絡があったんですよ」
「そういやあの子、ナイスネイチャさんとミホノブルボンさん、ライスシャワーさん、あとマーベラスサンデーさんと一緒に登校してたんだよね。改めて考えると凄い面子だな……。あんだけ強い先輩たちに目ぇ掛けてもらったなら、心境も変わるってもんか」
「ほう」
名前の上がった4名は、いずれも確かな実力と存在感を誇る優駿だ。
ミホノブルボンとライスシャワーの因縁は言わずもがな、ナイスネイチャとマーベラスサンデーは学生寮で同室───。
どちらかのコンビが、一緒になって後輩の面倒を見ることは有り得るだろう。だが、普段目立った交流の無いコンビ2組が、『例の新入生』を中心に繋がっているとなれば話は変わってくる。
「興味深いな。是非見てみたい……。では、コタツマルタマ君。さっそく案内してくれないか?」
「へぁっ!?」
「わ、大役。栄誉なことじゃない。頑張ってきな」
「シ〜ナ〜! 他人事だと思って!」
「じゃあ、すいません会長。私はこのへんで。コタマをよろしくお願いします」
緊張を誤魔化すようにして、シナモリクリスタルは足早に去っていった。
コタツマルタマはしばらく虚空へと文句を投げかけていたが、やがて諦めたらしく──存外しっかりとした目で──シンボリルドルフの方に向き直る。
「えと、はい。第13トラックですね。予定の3時半まで、まだちょっと時間ありますけど……もう行っちゃいます?」
「あぁ。一刻千金、善は急げだ。それに……多少の暇を潰す方法ならある」
「?」
「フッ───君は運が良いぞ、コタツマルタマ君。実は、新入生歓迎のために用意した新作ギャグが150本ほどあってね。君には特別に、先んじて披露してあげよう。少し意見を聞きたいんだ」
かなり嫌な予感がしたが、何故かやたらとご機嫌に話す"絶対の皇帝"を前に、たかが中等部の小ウマ娘が否やを唱えられるわけも無かった。
◇ ◆ ◇ ◆
─────ハルノエクリプス(仮称)は、生まれて初めてターフに足を踏み入れた。
「あれが……」
「意外と落ち着いてるな。もっとオドオドしてると思ってた」
「ランちゃーん、がんばれー!」
「肌白ーい」
「ハーフかなぁ。もしくはアレだ、アルビノ?」
「僕は7番の───」
「それよりジャラジャラが───」
トレセン学園、第13トラック。
左回り、芝、1800m。ミホノブルボンの情報通り。
天気は快晴。バ場状態良し。西向きの緩やかな風、レースに影響するほどのことは無い。
「10番、ハルノエクリプス。位置へ」
「はい」
指示通り所定位置に就く。今回の出走者は10名なので、このハルノエクリプスで全員だ。
『マーベラス同盟』のミーティングではもう少し混み合いそうだという見立てだったのだが、結局、出走枠の心配は無用だった。
「では始めます、各自用意を。3カウントで、フラッグが上がったらスタートです」
監督役の職員が硬い声で言い放ち、記録係とフラッグ係がいそいそと動き出す。
「うむ。皆、良い顔をしている」
やや離れたところで見守る"皇帝"シンボリルドルフ(とコタツマルタマ)の眼下に、立ち並ぶ10人のウマ娘。全体的に士気は高い(約1名を除く)。
入学後3週目の選抜レースともなると、既に一度参加したもののトレーナーからのスカウトが無く、リベンジに来ているという者が多い。
負け残りの悪あがきと言ってしまえばそれまでだが、惨めな思いを経てなお闘志が衰えていない点を評価するトレーナーも居る。『トレーナーは
「3……2……1……」
ましてや、今回はどういうわけか、あのシンボリルドルフが視察に来ている。
その衝撃に比べればハルノエクリプスの存在など微々たるもので、場末の模擬レースにうっかりGⅠ7勝バを召喚してしまったコタツマルタマは大変居心地が悪かった。あたしは面白そうな同級生を見に来ただけなのに、どうして……どうして……。
「───スタート!」
そして、レースが幕を開けた。
学内の模擬レースではファンファーレもゲートもあったものではなかったが、出走者全員がしっかりと一歩を踏み出す。
お世辞にも綺麗なスタートを決められた者ばかりではない。とはいえ、さすがに中央トレセンに招聘された全国屈指の有望株たちだ。『選抜』の緊張やシンボリルドルフの存在感を加味すれば、むしろ充分サマになっているとすら言えた。
「ほっ、ほっ、ほっ、ほ」
それはそれとして─────。
◇ ◆ ◇ ◆
ハルノエクリプスは、事ここに至っても考え続けていた。
このレースに出る直前、『マーベラス同盟』の地球人たちから贈られた激励の言葉について。
「ま、気楽に頑張りな? こんなアタシだってチームに入れたんだから、きっとアンタのことわかってくれるトレーナーも居るよ」
「ネイチャの言う通り! 実力を示して勝つのに越したことは無いけど、最初はまず順位も何も気にしないっ。これが私だーってみんなに見せてあげるつもりで、自分らしい走りをすればいいから☆★」
「うん。楽しんできてね、えっちゃん」
「頑張ってください、えっちゃんさん。ご武運を祈ります」
『頑張れ』はわかる。
『気楽に』もわかる。
『武運を祈る』というのは、つまり『勝て』ということだからわかる。
だが、『自分らしい』とは何なのか。
『楽しめ』とはどのような
現在のハルノエクリプス(仮称)は、スパイ活動中に作動した機密保持機構によって、記憶の大半をデリートされている。
客観的にはまったく全然微塵もそういう風に見えないかも知れないが、少なくとも彼女(?)自身は大体そんな感じだと信じ込んでいる。
自分が何者かわからなくて、かつてどのような精神性を有していたかも知らないのに、『自分らしさ』とか『
だいいち、そんなもの、本当にわたしにあったのだろうか─────。
◇ ◆ ◇ ◆
当然といえば当然だが、学内の模擬レースは興業ではない。気の利いた実況などもちろん無い。
唯一、レースを観察しているトレーナーやウマ娘が零す、リアルタイムの感想がその代わりとなる。
「6番がよく逃げてるけど……あの年頃だ。本格化前のスタミナでは保たないだろうね。じき垂れるよ」
「行け行け、テトラ!! 勝てるぞー!」
「パラディンソードが脚溜めてる。ナルキッソスが前を差し切れなければ、直線でブチ抜かれるな」
そんな中、コタツマルタマはただひたすらレース展開を目で追い、純粋に全員を応援していた。
残り600m。
「───……」
万夫不当の絶対なる皇帝、シンボリルドルフが、一番最初に察知した。
それは、彼女が無敗7冠の超一流のウマ娘だったからではない。
ただすべてのウマ娘を、彼女たちの
【Mobウマ娘名鑑】
⑤名前:コタツマルタマ
SNSのアイコン:羊のデフォルメキャラ
ヒミツ①:特に誰にも自慢したことは無いが、異常に視力が良い。
⑥名前:シナモリクリスタル
好物:ナポリタン
ヒミツ①:実家は、『サイバー流空手』なる謎の武術を継承している道場らしい。