騎影が行く   作:ごまぬん。

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ブラッドボーン要素はありません。



はじめてのレース その2

 

 自分らしさ。

 わたしがわたしである理由。

 

 わたしは、誰だ?

 

 暗闇だけが広がる記憶の海に、降りていく。

 深く、深く、壊れた記録の残骸を超えて、わたしのはじまりへと潜っていく。

 

 

 

 ─────あぁ。

 

 すこしだけ、思い出した。

 

 自分らしく。わたしらしく。自分(わたし)らしく。

 これが、この胸の中にあるうずきが、本当のわたし。

 

「わかった。わたし、やるよ」

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 『その時』が来たという確信があった。

 

 これだ。

 自分は今日、この瞬間に立ち会うために、このレースに導かれて来たのだと。

 

(気配がする)

 

 シンボリルドルフは、半ば反射的に身を乗り出した。

 ただならぬ様子に困惑するコタツマルタマを置き去りにして、まばらに立つ観戦者たちの間へ。

 少なからず動揺の声が上がるが、今のシンボリルドルフにそのような瑣末事を気に留めている余裕は無い。

 

(『権能(スキル)』───『領域』の兆し? 幼くして"自身の世界"を完成させている稀有な才能の持ち主も、居ないわけではないが……。しかし、これは……!)

 

 どこだ。誰だ。

 全身の皮膚を粟立たせる、このあまりに獰悪でおぞましい思念を放射しているのは、一体何者だ─────。

 

「わたしらしく走れ、ってことは」

 

 声ではない。

 『会話』などという行為は、全身の細胞をフル稼働させ、1分1秒を争うレースの場においては成立しない。たとえ人智を超えた身体能力を誇るウマ娘であっても。

 

「わたしに本気を出せって言うなら」

 

 だから、彼女たちは魂で語る。

 風より音より光より速い、迸る意思のスピードで、魂の言語で交感する。

 闘志。歓喜。憧憬。執念。慙愧。感謝。あらゆる想いをぶつけて交錯する。

 

「───狩られる覚悟は、出来てるんだよね?」

 

 ハルノエクリプスが次の一歩を踏み込んだ瞬間、赤黒い稲妻が世界を舐めた。

 

「ッ……!!」

 

「ぅあ……!?」

 

 特定の、超一級(トップ・オブ・トップ)のウマ娘だけが持つ精神の力。それは『権能(スキル)』あるいは『領域』と呼ばれ、発現したウマ娘の潜在能力を極限まで引き出す。

 現実に物理的な作用をもたらすわけではないが、同じ疾走する世界の中で戦うウマ娘たちは、発現者の魂に刻まれたはじまりの心象風景を垣間見るという。

 

「な、何っ!? 何これ!?」

 

「頭が……、割れる……!」

 

 だが、ハルノエクリプスが現出させたのは、幻影と呼ぶにはあまりに鮮烈な闇黒(やみ)豪風(かぜ)だった。

 全方位へと吹き荒れる破滅の感覚が、ウマ娘のみならず人間である職員たちにすら襲いかかる。

 

「ひっ───!」

 

 その場に崩れ落ちるのを避けられたのは、明白な闘志をもって競り合っている出走者たちと、類稀なる大器を備えたシンボリルドルフだけだった。

 尤も、その出走者たちとてどれだけ保つかはわからない。同じターフを駆けている以上、桜色の少女より発せられる超高純度の『殺意』に直撃され続けるのだから。

 

「いや! いやっ」

 

「助けて……、助けて!」

 

 異常すぎる光景だった。

 途轍もない質量の殺気を浴びせられ、出走ウマ娘たちは全員が掛かった。普通のレースなら焦りでいたずらにスタミナを消耗するだけのことだが、この時ばかりは事情が違う。

 何故なら、本気で焦って限界以上の力で逃げなければ『死ぬ』からだ。

 

「───……!」

 

 そして───彼女たちの必死の抵抗も、"これ"の前では児戯に過ぎない。

 残り300mで、ハルノエクリプスは末脚を使った。まるで思い出したかのように。

 もはやどれだけ走ろうと逃れられない。鏡の目をした"ウマ娘型の何か"の背に、血の真紅で塗り固められた大鎌が生えてくる。蜘蛛の足の如く広がる、真っ赤な4本の鉤爪。

 

「ハル、ノ……エクリプスっ……!」

 

 哀れな犠牲者たちを追っているのは、しかし飢えた捕食者(プレデター)ですらなかった。

 それは、万物を嘲弄(ちょうろう)する悪夢の上位者。

 ショートケーキを切り分けるように、不快な羽虫を叩き潰すように、喰らうためではなく愉悦のために。

 災害よりもなお恐ろしく、死神よりもなお性質(たち)の悪い、絶望と不条理の権化がそこにあった。

 

「させるか───それ以上はッ!!」

 

 未曾有の脅威を目の当たりにして、"絶対の皇帝"が奮い立つ。

 トレセン学園生徒会長・シンボリルドルフもまた、というより正しい意味での超一級のウマ娘だ。権能(スキル)の極意にして至高の領域への入門は、とうの昔に果たしている。

 レースに出てさえいない以上、効果を最大化するための条件付け(ルーティン)は達成できないが───あれの機先を制し、自分一人に注意を惹きつけるには充分だ。

 

「鬼神よ、去れ……!」

 

 青白い雷鳴が宇宙を裂いた。嵐の夜に皇帝の玉座が顕現する。

 レースの外からでも眼光一つで介入し得る出力と練度。最上級の古強者であるシンボリルドルフだからこそ可能な神業だが、実際のターフで彼女が解き放つそれに比べれば、鼻で笑ってしまえるほど希薄で不完全な状態だ。

 とはいえ、いま重要なのは完成度ではない。君臨する皇帝の神威が、押し寄せる悪夢の恐怖を取り除いていき───。

 

「落ち着きなさい、シンボリルドルフ」

 

 それを、嗜める声があった。

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 権能(スキル)の極意。至高の領域への到達。

 ハルノエクリプスの背中から真紅の爪が飛び出し、眼前のライバルたちを薙ぎ払う。

 それは物理現象を伴わない幻視に過ぎないが、"たましいの生き物"であるウマ娘にとっては、ほとんど現実にも等しい光景だ。

 

「鬼神よ、去れ……!」

 

「落ち着きなさい、シンボリルドルフ」

 

 悪しき天魔の跳梁を阻むべく、絶対の皇帝が気炎を上げ。

 蹂躙の神威が炸裂するのを、柔らかく停止させる声があった。

 

「……!? っ、君は」

 

「あなたの眼光ならば"あれ"と拮抗できるという判断は正しい。しかし、それは酸性の劇毒をアルカリ性の劇毒で中和するようなもの。一歩間違えば、あなたの力の方が彼女らに牙を剥きますよ」

 

 上背の高い、濃灰色のジャケットとマゼンタのシャツを着た、銀髪の男。その胸元には、トレセン学園所属のトレーナーであることを示すバッジが輝いている。

 しかし、シンボリルドルフは既に、今年度より就任した職員の顔ぶれを記憶している。その中に彼のような男性は───。

 

「自己紹介はまた後ほど。ここは私に任せていただきましょう」

 

 男はジャケットの懐から、奇妙な物体を取り出した。

 重厚な金色に輝く人形だ。所々に黒いラインが入っており、のっぺりとした顔には、楕円形の白熱灯のような目が2つ付いている。

 

「何をする気だ」

 

「"あれ"だけに通じる暗号みたいなものです。半ば賭けにはなりますが」

 

 そう言うと男は歩き出し、トラックへ降り、ゴール付近で足を止めた。

 記録係とフラッグ係の職員が地面に転がって悶えている中、先ほど取り出した金色の人形を掲げる。

 

「ふっ……、ふっ……、はっ……!」

 

「はぁっ、はぁっ、ひぃ……!」

 

「……うぁぁああぁぁぁぁ!!」

 

 追い立てられるウマ娘たち。後方から距離を詰めるハルノエクリプス。

 残り100m。逃れ得ぬ死の牙が迫り、迫り、迫り、

 

「─────!?」

 

 そして、男が持つ金色の人形を見た瞬間、"それ"は明らかに動揺した。

 第13トラックを覆っていた殺意の嵐が霧散する。出走者たちは続々とゴールラインへ急いだ。本当ならどこへなりとも逃走してしまうのが正解だとはわかっていたが、混乱を通り越して狂乱に片足が浸かっていた頭では、他のどこに逃げ込めばいいか判断できなかった。

 とにかく誰もが、一刻も早く、ハルノエクリプスとの闘争(レース)から降りたがった。

 

「……ふむ。まぁ、概ね悪くないタイムですねぇ」

 

 奇妙な人形一つで"あれ"の暴走を止めた男は、何食わぬ顔で記録係の代役をやり始めた。左手首の腕時計とターフを交互に見ながら1着、2着、3着───と呟いている。

 

「おい、君」

 

「ん、あぁ仰らないで。10着……キーカード、と。よし。これで書類は何とかなるな」

 

 選抜レース会場は騒然となっている。

 出走ウマ娘は全員、1名を除いて疲労困憊。

 観戦していただけの者たちも、2人を除いて謎の悪寒により気絶寸前。

 

「……。……一体、何をした? いや……君は、ハルノエクリプスについて何を知っている?」

 

「すみませんが、自己紹介はまた後程と申し上げたはず。なぁに、元よりご挨拶に伺うつもりであなたを探していたのです。きっとまたすぐ会えますよ」

 

 男はおもむろにジャケットの胸ポケットに手をやり、そこに引っ掛けていた遮光眼鏡(サングラス)を着けた。黒い真円形のレンズが視線を隠す。

 次に、金色の人形を懐へしまい、代わりにまた別の物体を取り出した。

 それは、端的に言って一本の棒だ。先の人形よりは鈍い金色───というより光沢のある黄土色をしており、何らかの木の枝のようにも、捻じくれた槍のようにも見えた。先端には、ウマ耳に似た黒い装飾が取り付けられている。

 

「はーい皆さん、こちらに注目!!」

 

 この日、第13トラックに集っていた者たち。日本人の国民性が存分に発揮され、彼らの反応は非常に素直だった。

 もしくは、さっきの出来事について事情を解していそうなこの男の話を聞くべきだ、と考えた者も居たかも知れない。

 

 とにかくそれが運の尽きだった。

 銀髪の男が枝のような槍のような棒を一振りすると、その先端から猛烈な閃光が迸った。

 真っ白な光を浴びた者たちは、しかし目を伏せて呻くこともせず、呆けたような顔でその場に立ち尽くしている。

 

「あー、んんっ、んん。では、今回の選抜レースの結果を発表しまーす。1着、5番テトラビブロス。おめでとう! 2着、1番ナルキッソス、クビ差。よく頑張りました。3着、6番ジャラジャラ、1バ身差。4着、3番パラディンソード、ハナ差。5着───10番ハルノエクリプス、2バ身差」

 

 ───ただ一人。

 ハルノエクリプスだけが、完全に正気のまま男の方を見ている。

 

「以降の着順は各自、こちらの記録係さんに確認してください。いやぁ、それにしても良いレースでした! 皆さん怪我も無く、()()()()()()()()()()()()何よりです。以上、解散!」

 

 止まっていた時間が動き出した。

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

「さて。今の内に話をしようか、ハルノエクリプス?」

 

 『マーベラス同盟』の参加者たちが見れば、腰を抜かしていたに違いない。

 生気の感じられない色白すぎる肌。まばたき一つしない魚目。天地が引っくり返っても微動だにしない耳と尻尾。

 およそ『情動』というものを持ち合わせていないらしき、ハルノエクリプスという少女が───不機嫌そうに眉根を寄せていたのだから。

 

「……やってくれましたね。()()()()()()()()()

 

「フッ。おもちゃをチラつかせた程度であれだけ動揺するなんて、光の星の使徒とは本当に嫌われているのですね。勉強になりました」

 

「えぇ、まぁ。ですがわたしも愚かでした。彼らは今、タイムロードに代わってダーレクに対処しているということを忘れていた」

 

「ご苦労なことです。アンティヴァース人や蟹座ι(イオタ)星の"陰"の勢力、それにシスの残党ともやり合っていると聞きました。ホイホイ使われて嬉しいものでもありませんが、どうしてゼットンを解禁しないのか理解に苦しみます」

 

「……地球人の無知さ加減には慣れたつもりでしたが。いくら何でも、度が過ぎているんじゃありませんか。あまりその名を口にしない方が賢明ですよ」

 

「"黄金の終焉"のように、ですか。なるほど。肝に銘じておきましょう」

 

 この二人の他には誰も理解できない会話が続く。

 桜色の少女は剣呑な態度を崩さず、銀髪の男はにこやかな態度を改めない。

 

「あなたの目的は」

 

 返事の代わりに、男は一枚の紙片を寄越した。

 サイキック・ペーパーではない、普通の名刺。つい先刻、トレセン学園理事長秘書の駿川たづなから受け取ってきたものだ。

 

「日本ウマ娘トレーニングセンター学園・東京中央校、認定トレーナー……」

 

舩坂金時(ふなさかきんとき)と申します。以後、お見知りおきを」

 

 銀髪の男───舩坂トレーナーが、慇懃に腰を折って挨拶する。

 他者(地球人)の感情の機微に疎いハルノエクリプスだが、これは恐ろしく胡散臭いなと内心思った。

 

「それで、私の目的でしたね。単純な話です。世界平和ですよ」

 

「はい?」

 

「だから今、こうしてあなたとの交渉に臨んでいる。『Si vis pacem, para bellum(汝、平和を欲さば戦に備えよ)』───私の好きな言葉です。どうです? 私と一緒にこの星のために働きませんか?」

 

 何言ってんだこいつ。

 

 ハルノエクリプスは、迷った。この地球人はどこかおかしい。未開の蛮族が得るにはあまりにも危険な知識を抱えすぎている。

 これがいっそ地球人でなければ色々と納得がいくが、恐らくそうではない。銀河連盟に属する知的生命体なら、ゼットンや"黄金の終焉"について軽々しく口にするなど有り得ない。

 

 舩坂は当たり前のように平手を差し出している。握手、つまりは友好の証。あるいは同意の要求。

 "それ"にとって、この男の腕を切り落とすのは簡単なことだった。今のハルノエクリプスにはそういうことが出来る。

 

 だが─────。

 

「あっ! あれってえっちゃんのトレーナーさん!?」

 

「わぁ、ちょっとマーベラスっ! 静かにしなよ、一番大事なシーンなんだから……!」

 

「ははは……。結局、みんなで見に来ちゃったね」

 

「問題ありません。休憩時間の有効活用です」

 

 視界の隅に、見知った顔ぶれが見えて。

 

 ハルノエクリプスは、刃に変化させようとしていた右腕を、そのままにしておいた。

 

「……。……いいでしょう。では、くれぐれもよろしくお願いします。舩坂トレーナー」

 

 ふたつの手のひらが重なり合う。

 その様子を見ていた『マーベラス同盟』が───そして、それをさらに遠巻きにしていたトレセン学園の生徒会長(シンボリルドルフ)と、ハルノエクリプスの同級生が、花開くように笑んだ。

 

 

 














【PROFILE-3/3】

〇???/ハルノエクリプス(えっちゃん)
 耳のこと:まったく動かないが、音は聞こえているようだ
 尻尾のこと:まったく動かないが、いざという時は武器になるらしい
 家族のこと:宇宙に行けばたくさんの家族が居る

 ハルノエクリプスのヒミツ②:実は、どんなに強い光の下に居ても影が出来ない。
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