騎影が行く   作:ごまぬん。

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クラシック三冠戦の一角をほぼナレ死と感想戦で済ませるオリウマ娘SSがあるらしい。



菊花とパイと、これまでとそれから

 

 その日、多くの参戦者たちにとって悲劇だったのは─────。

 

「……はっ……、はっ……は……!」

 

 最初の一歩を踏み出した瞬間、全員が感じた。

 ぞっとするほど冷たく鋭い刃が、己の喉元に突きつけられていることを。

 

〈まだ落ちないまだ落ちない、まだ落ちないぞスカイファルシオン! 『絶剣』、未だ落ちず! 前目につけたままハイペースで3000m、保つかどころか終始レース展開を引っ張り続けていますッ〉

 

〈この雨天、重バ場を物ともしない驚異のスタミナ……! 『流星』の陰で辛酸を嘗めてはきましたが、やはり天才は居るものです!〉

 

 夏合宿で得た経験とその成果。本来、多くの条件が重なることでようやく発現するか否かの変性意識体験───『権能(スキル)』『領域(ゾーン)』の任意発動。

 無意識の領域へ意識的に踏み込む以上、発現するのは状況によって()()()()()()()本来のそれとはまた違う形となる。

 スカイファルシオンの場合、それは動物の脳が肉体に対して課している制限(リミッター)──過剰な負荷による自壊のリスクを避けるためのもの──の解除、潜在能力の最大開放として機能した。

 

 そして現クラシック級最強、彼方より降りし神秘の流星・ハルノエクリプスの異能(スキル)は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ターフの上で鎬を削るウマ娘たちには見えていただろう。

 前方に斬撃の嵐、後方に深淵の光芒───ファンファーレの瞬間から始まった、熾烈と称するのも生温い魂の削り合い。

 

 小手先の技能や作戦など真っ向から捻り潰す、暴力的なまでの天賦を振るうスカイファルシオンと。

 決して揺らがず崩れず、五体と環境のすべてを駆使して勝利へと漸近するハルノエクリプス。

 

〈さぁ淀の坂を越えて───ここか!? ここなのか! ハルノエクリプス仕掛けた!! ザグレウスとフリルドライムを躱して前へ前へ! スカイファルシオン止まらない!! 掟破りの2連続ですッ、これが世代最強『四天王』だ!! ついにザンバーハの背中を捉えた! ザンバーハ、ザンバーハにシュガールギンメ巻き返せるか!? マリタイムシッパー負けじと続く!〉

 

〈うーん芸術的なまでのコーナリング! 凄まじい光景です、これはもう一騎討ちで決まったか……!〉

 

 無論───クラシックロード最高峰のGⅠレースで共に駆けている以上、周囲もまた時代の頂点に近い実力の持ち主ではある。

 

「あっははははははは─────!! ハルノ、やっぱり君はサイコーだ……!!」

 

「───……ッ!」

 

 だが。

 ここに並べば、否応なく理解させられる。

 天才、などという陳腐な言葉では語り尽くせない。遺伝子、環境、鍛錬、精神───すべてを飛び越えた()ての外に、彼女たちは立っている。

 

〈ザグレウス追いついてきた! ハッピーミークも来たッ、さらにフィールザフェイト! フィールザフェイト、フィールザフェイトにブリッジコンプ、シュガールギンメ、マリタイムシッパー先頭争いに加わります!〉

 

 『四天王』と走るということは。

 

〈残すはあと500m、何ということだまだ加速するぞスカイファルシオン!! 追いつけるか!? 無敗の二冠ハルノエクリプス、今日ここで伝説が墜ちるのか! それとも意地を見せつけるのか!!〉

 

 この世代で、最速を目指すということは。

 

〈─────ゴオオォルイイイィィン!! 『絶剣』と『流星』、並び立って……勝利を掴んだ菊花賞ウマ娘は、ハルノエクリプスだァァァ───ッ!!〉

 

 彼女たち全員に、4人の超越者すべてに勝利せねばならないということである。

 

〈まさしく偉業! 無敗のクラシック三冠! 怪物揃いの『四天王』世代、しかし最後に勝ったのはハルノエクリプス!! タイムは歴代レースレコード2位タイ、公式戦初の長距離レースとは思えぬほどの安定感で、見事菊の冠を手にしました!〉

 

〈いやぁ〜……! ここまでのモノを見せられると、ちょっと恐ろしさすら感じますね! そのー、こういう言い方をすると行儀が悪いとは思うんですが……このレベルの戦いは、あと数年は見られないんじゃないかなんて思ってしまいます───〉

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

「ゔっ……うぅ、ひぐ、えぐっ……!! ふ、ふ、ふ、舩坂……っ、さぁん! ……ハルノちゃん、もっ……! き、き、菊花賞……というか、さ、クラシック……三冠っ! ……おめでとうござびばぁううぅぅぅ……!!」

 

「あ、ありがとうございます。えぇと……その、ミークさんもよく頑張ったと思いますよ。まぁ、勝った陣営からこんなことを言われても慰めにはならないでしょうが……。……とりあえず顔、拭きません?」

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

「はっ───、は、は……にしし。ふぅ……あ、っ……はは。あぁ……悔しいなぁ」

 

「…………」

 

「はは……はぁ。……、……。あは。頑張ったんだけどなぁ。やれるだけやって……うーん。わっかんないや。はは」

 

「……、───偶然ですよ」

 

「んー……?」

 

「トレーナーの作戦では、()()()()()()()()ファルとの順位は逆転している見込みでした。あなたの並外れた膂力、そしてそれに耐え得る高密度の骨格は、靭性に優れるぶん重く硬い。対坂路における持久力とコーナリングで、わたしに勝てる相手は居ないはずだった。坂越えの後は持ち前の身体能力(スペック)に飽かして外ラチを強引に突破してくるだろう、それだけなら下りで加速したわたしには追いつけないと───」

 

「へぇ。……そっかぁ」

 

「……足音からして、残り250m辺りですか。左足の関節に違和感があるはずです。すぐによく診てもらってください、ファルの身体なら大事には至らないでしょう」

 

「ん……、あんがと。そうする」

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 2位、2位、4位。

 ───以上が、私のクラシック三冠における最終戦績である。

 

 多少物覚えが良いくらいしか取り柄の無かった凡才にしては上等、というか望外の結果だと思う。

 トレセン学園への入学当初、模擬レースに参加していた頃は……まぁ、甘く見積もって中の上くらいの実力だったはず。

 それから三女神様のお告げがあって、桐生院葵トレーナーと出会って、何やかんやで今に至って。

 あぁ、でも。やっぱり、これは確かに─────。

 

「……遠い、な」

 

 当たり前の話だが、ハルノが無敗ならそのぶん負けた誰かが居る。私だってもちろんそうだ。

 ならば翻って……例えば、あの『世界の敵』(ハルノエクリプス)が居なかったら、何か変わっていただろうか。

 

 コンコン。

 

 私が今のトレーナーと出会い、中央でデビュー出来たこと自体が三女神様のおかげ、つまりはハルノがこの世界に現れた結果なのだけれど……もしも運良く、メイクデビューにまで漕ぎ着けたとして。

 それでも、立ちはだかるのは『トリスメギストス』の3人だ。シュガーは短距離やティアラ路線で活躍する道を選んだかも知れないが、ファルは文句なしの天才だし、レウスだってGⅠタイトルを勝つだけの実力はある。

 ハルノが居なくても、あの3人はあの3人だ。代わりに世代最強となった彼女たちが三冠を分け合うか、あるいはまた別の誰かが獲るだけ。

 その先頭争いに私が加わる余地は、たとえ桐生院葵と契約できたとしても、たぶんない。

 

 コンコン、コンコンコン、コンコンコンコンコン。

 

 レースで負けて悔しくないウマ娘は居ない。負け続けているなら尚更に。

 しかし私の場合、自分が運命の悪戯である種の下駄を履き、分不相応なステージに立っているという感覚はある。

 だから勝っても──最後に公式戦で1着を獲ったのはもう半年以上前だが──負けても、正直なところあまり現実感が無くて……。

 

 ガンッ。

 

 要するに、私は存外、レースに真剣になり切れていないのではないか───というのが目下の悩みだった。

 

 ところで、私の寮室はフロアの端にある角部屋で、多少手狭な代わりに個室となっている。

 本来なら何かしらの事情で二人一組の相部屋に入れない生徒に提供されるのだが、この部屋には『入寮した生徒が3ヶ月以内に必ず学園に居られなくなる』という某魔法魔術学校の教師職めいた謎のジンクスがあった。

 それを知らないまま適当に個室を希望したら話が通ってしまい、しかも私の場合はなぜか3ヶ月経っても特に何事も起こらなかったので、これ幸いとばかりにそのままにされているのである。

 三女神様の使徒として活動していた時期は手頃な拠点だと重宝していたものの、ハルノの観察日記すらつけなくなった今では特に思うところも……ガンガンガンガンガン。

 

 そう。先程からベッドに寝転がってこんな益体もない思索を続けているのは、このやかましいドアを叩く音から意識を逸らすためだ。

 せめてインターフォンを鳴らして欲しいところだが、ではそもそもどうして応対してやらないのかと言うと、ドアの前に立っているのが妙に機嫌の良さそうなスカイファルシオンだからである。

 クールビューティ面をすることにかけてはハルノとタメを張るであろうファルが、普段の無表情をかなぐり捨てて喜色満面となっている時は、大抵ろくなことを考えていない。

 

「……よいしょ」

 

 がちゃん。

 

「───は?」

 

「あれ。何だ居たんじゃん。ちょっと邪魔するね」

 

 邪魔するなら帰ってくれ。

 などと抗議する暇も無く、我が物顔で私の部屋を闊歩し始める『絶剣』。

 

「鍵、どうやって……」

 

「ピッキング。ハルノに習った。なんか将来はスパイ志望なんだってさ」

 

 度々『星間スパイ』なる胡乱な職業を自称しているとは聞いていたけど、まさかそんなにガチなスキルの持ち主だとは思わなかった。

 あの『世界の敵』、やっぱりジュニア級の内にやっつけておくべきだったんじゃないか?

 

「まぁ、そんなことどうでもいいよ。今日は良い話を持ってきたんだ。……あ、お茶とか出る?」

 

 文字通り勝手に部屋に上がり込んで茶を要求したうえ、当たり前のように私の机の椅子に座る同期一番の天才。

 一体全体、何をそんなに浮かれているんだ? 顔の割にとぼけた女であるのはいい加減理解してきたところだが、私の中のクールで無愛想なスカイファルシオン像が崩れていく……。

 

「で……良い話って何ですか?」

 

 茶は出した。昨今の不景気にも負けず、どころか何故か年々内容量が増え続けているというあの麦茶だ。

 

「舩坂さんがね。じいちゃん(堀越トレーナー)と話してたんだ。三冠獲ったハルノに何かしてあげたいって」

 

「ふむ」

 

「けど、ハルノって()()だからさ。記者会見だのインタビューだのお偉いさんへのお目通りだの、杓子定規なお祝いはあらかた済ませたけど、他に何も欲しがらなかったって」

 

「なるほど」

 

「じいちゃんは『"求めない"という求め方もありますよ』なんて言って。舩坂さんも、ハルノが必要を感じてないなら、無理して変わったことやんなくてもいいかって。代わりにこれからもより一層トレーナーとして頑張りますって。そういう話で落ち着いたんだけど」

 

「……あの二人らしい」

 

「なんかムカつくからこっちで勝手に色々やってやろうかなって」

 

「なんて?」

 

 いや本当になんて???

 

「おれたちに勝って三冠ウマ娘になったくせに、真面目くさって喜ぶ素振りも見せないのが気に食わない。でも、残念ながら今すぐレースでリベンジっていうのも難しいから」

 

 ファルは椅子からぶら下げた足を振り振り、見せつけるように……というか実際見せつけている。ハルノほど病的に白くはないが、とにかくすべすべもちもちでちょっと羨ましい。本当に競走ウマ娘か?

 足首の辺りに巻かれている包帯は、菊花賞の時の怪我だ。幸い軽い捻挫程度で、油断はならないが静養していればすぐに完治するものだそう。

 

「ハルノに一泡吹かせられれば何でもいい。んで、色々と考えた結果、お誂え向きのやり方が見つかった」

 

 嫌な予感しかしない……。

 

「ミークもやるだろ?」

 

「何するんですかそもそも」

 

「極秘の計画だから、協力するって約束してくれなきゃ言えない。で、やるの? やらないの?」

 

「そんなバ鹿げた話が───」

 

 …………、……。

 

 ───『ミークにはずっと、トレーニングばかりさせてたような気がして……』

 

 

 

「やります」

 

 ファルの言う通りだ。

 どうせこのまま悩んでいても、一朝一夕でハルノに勝てるようになるわけがない。

 だったら……ターフの外でくらい、私たちにも良い思いをさせてもらおうじゃないか。

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

「よかったのですか、会長? 舩坂トレーナーの了解は得ましたが、あのような……」

 

「それではサプライズの意味が無いだろう? ……いや、これも言い訳か。クラシック三冠ウマ娘の誕生、久しく無かったことだ。単純に見たいだけかも知れないな。何せあれは、私の代で完成された伝統なのだから─────」

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 星間スパイ・ハルノエクリプスにとって、休日という概念は限りなく希薄だ。

 異形の精神構造ゆえにおよそ余暇と呼べるものを必要としない彼女は、学業を除く日常のあらゆる時間をトレーニングに費やしている。誰もがその才能を羨み、実際に彼女は尋常な成長限界が存在しない超生命体ではあるが、その強さは狂気的な練習量によって絶え間なく能力(ステータス)を維持・向上させ続けているが故のものだ。

 それでも地球に漂着した当初は、星間スパイとしての使命を全うすべくフィールドワークに繰り出すこともあったが───府中市にて1年以上を過ごした今現在、余程の出来事でも無ければ獣の冬眠めいて自室(マーベラス空間)のベッドから動かないことが、ハルノエクリプスの休日の過ごし方だった。

 

「あー、えっちゃん? ごめんねぇ、今日のマーベラス空間は全面メンテナンスの日なの☆ 悪いけど、夕方くらいまで外で待っててもらえるかな?」

 

 ───そして、この日はそんな『余程の出来事』に該当する事態だった。

 マーベラスサンデーがアクセスできる次元エアポケット『マーベラス空間』に"メンテナンス"が必要だという話は初耳だったが、深謀遠慮の結果、ハルノエクリプスは『恐らくメンテナンス云々は方便で何か邪魔されたくない用事があるのだろう』と推測した。と、なれば居候の身で文句をつけるわけにもいかない。

 休養日とは言ってももちろん24時間完全に眠り続けるわけではなく、食事や軽いストレッチなどのタスクは予定していた。低負荷のメニューなら自主トレーニングも選択肢に入る。()()()()()()()()()()()はずだから、それ相応の安全マージンは確保している。

 昼食まで学園周囲のランニングコースでも走ろうか、いっそ昼食を摂りに隣町まで足を伸ばそうか、などと考えながら、額に指を当てる。どのみち走るなら運動着に着替える(フォームチェンジする)必要があった。

 変身能力を発動すべく、全身の細胞に意識を集中させ───ようとした瞬間、スマートフォンに着信。

 

「もしもし。ハルノエクリプスです」

 

〈あ! もしもしえっちゃん? よかった~繋がって、ちょっといいかな?〉

 

「はい」

 

 クラスメイトのコタツマルタマだった。

 孤高という言葉の擬人化のようなハルノエクリプスの交友関係の中にあって、性格から何から正反対のコタツマルタマと意外によろしくやっていることは、中等部A-2組における七不思議のひとつだ。

 

〈あのね、シナん()が空手の道場なのは知ってると思うけどさ。実はそこにその……訓練用のロボット? みたいのがあって。それがね、何か急に頭バグっちゃったらしくて、今めっちゃ脱走してんの!〉

 

「なるほど」

 

 シナ───同じくクラスメイトにして、共通の友人であるシナモリクリスタルのことだ。実家が『サイバー流活殺空手』なる謎の武術の道場を経営している。

 流派の名称こそ胡乱で物騒だが、指導内容は至極真っ当であり──当主であるシナモリクリスタルの父曰く『一般人向けの()()技しか教えていないから』──、習い事として通っている近隣住民からの評判は良い。

 

「それで、暴走した訓練用ロボットを捜索して欲しいと?」

 

〈ん、その通り! 話早くて助かる~、お願いしていいかな? あたしたちも一緒に探すからさっ〉

 

「任務了解。行動を開始します」

 

 そんなこんなで話が纏まり、少女は降って沸いた任務を受領した。

 公式レースとは違い、日常に潜むトラブルが相手ならば能力を制限する必要も無い。ハルノエクリプスは星間活動用の『超空間知覚』を発揮し、少しずつ探知範囲を広げていった。

 ウマ娘型躯体の限界により、本来のそれよりも出力は低下しているが、府中市程度の規模であればカバーできる範疇にある。対象の居場所はすぐにでも特定できる───はず、だった。

 

「……、……?」

 

 ごく軽い、しかし針で刺すような鋭い頭痛が走る。明らかなノイズ。

 件の暴走ロボットに、こちらの探知を妨害するような機能があるのだろうか。しかし、地球(この星)の文明レベルで、躯体改造を受けたクラスⅣエージェントの量子波走査を欺瞞できる技術が実現可能とは思えない。

 

 何かが起きている。

 

 暴走ロボットの出現と、量子波走査の不調。恐らく偶然ではない。

 予想していたよりハードな休日になりそうだと考えながら、鏡色の瞳の少女は駆け出した。

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

「み……ミーク、その……それは一体、何をやっているんだい……?」

 

「これは『管狐(クダギツネ)』あるいは『飯綱(イヅナ)』と言って、名前の通り狐の化生です。式神として使役可能な妖怪の一種で、本来は富をもたらしたり敵対者への攻撃に用いられますが、古くから狐は人を化かし道に迷わすと……いえ、忘れてください。ハルノのあのやたら鋭い勘を誤魔化すための秘密兵器です。ちょっとした催眠術のようなものですよ」

 

「ミークもハルノのこと言えなくない?」

 

「なんだか本格的にいけないことをしている気分になってきましたわ……」

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 ゴールドシップは考えていた。

 GⅠ・菊花賞を制し、ついぞ無敗三冠の栄誉を勝ち取ったハルノエクリプス。

 紛うこと無き現クラシック級最強、かつて舩坂金時(もう一つの顔)として語った『この世代からあらゆる冠を奪い取る』野望はもはや不可能事ではない。

 同時に、これまでほぼ完璧と言って差し支えなかった戦術予測がついに崩れ始めた───ハルノエクリプスという違法ウマ娘(チートユニット)をもってしても、()()()()()()()()()()が困難となってきたことに危機感も覚える。

 無意識の驕り、侮りがあったとは認めざるを得ない。脚質は変幻自在でバ格も理想的なバランスを備え、おまけに極めて精勤かつ頭が切れる。正体が正体(実は地球外生命体)であることを差し引いても、これほどの逸材と戦う羽目になったライバルたちに、ある種の同情すら感じていた。

 それがどうだ───実際のところ、彼女らはひとつの壁を破りつつある。この2年間の主要なレースの結果を振り返ってみれば、歴代レコードに迫るか並び、時には上回るタイムが幾度となく記録されている。呪術廻戦ではないが、()()()()()()()()()()()()とはこのような瞬間を言うのだろう。

 土台有り得ない話ではあるものの、この『四天王』世代が相手であれば、ハルノエクリプス(『世界の敵』)()()()を解放してもあるいは───そんな荒唐無稽な夢想さえ抱かせる。

 

「……面白ぇ」

 

 そして、今は舩坂金時(トレーナー)としてではなく、(ある意味)一時代を築いた先達であり、果てなきエンターテインメントの求道者としてゴールドシップは想っていた。

 ─────アタシは、オメーに勝ちたい。

 

「アタシだ」

 

〈む。何の用なのだ? ウインディちゃんはお前と話すことは無いのだ。自分以外のウ魔王と仲良くするなんて───〉

 

「ハルノエクリプス」

 

〈……!?〉

 

「オメーがアイツのことをコソコソ嗅ぎ回ってんのは気づいてたよ。ドーベル()()は同期でも『同盟』のメンバーでもない貴重な先輩だかんな。その周りで怪しい動きがありゃあすぐわかる」

 

〈そ、それが一体どうしたって言うのだ?〉

 

「取引しようぜ。アイツに対する情報封鎖を解いてやる。その代わり、近頃オメーのバックに居る()()()と渡りをつけてくれ」

 

〈あの女って……いやいや、あいつとウインディちゃんは別にそんな関係じゃないのだ。何か一方的に絡まれてるだけというか……。確かに、思いついた悪戯を手伝ってくれるのは嬉しいんだけども……〉

 

「イクノの奴はもうアタシについたぜ? パールの御大は捕まらなかったがまぁあの人のことだ、しょうがねぇ。あとついでに……こっちからは、メジロマックイーンってカードを切ってもいい」

 

〈……何もかもよくわかんないけど、そこまで言うからにはよっぽど手強い相手のようなのだ。わかった───ウィンディちゃんも覚悟を決めようじゃないか。それで、どういうプランを考えてるのだ?〉

 

「今日までで思いついたのがざっと54通り。本当に通用しそうなのは3通りってとこだが、アタシとオメーが組めば可能性は無限大だ。さぁ始めようぜ、悪魔の宴を─────!」

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

「あ、えっちゃん。こんな町中で偶然だね、こんにちは」

 

「ずいぶん急いでいるご様子ですが、何かありましたか?」

 

「こんにちはライスさん、ブルボンさん。実は少々、厄介な任務を引き受けまして……おふたりは、こちらの方で怪しいものを見かけませんでしたか」

 

「怪しいもの? えーと、特には……ね、ブルボンさん」

 

「はい……いえ、そういえば。先ほど商店街の方で、やや深刻な表情のウマ娘が走っているのを見ました。確か黒鹿毛で、髪型は二つ結びだったかと───」

 

「情報提供に感謝します。それでは」

 

 ───その計画はもはや、いち"仲良しグループ"内で起きたささやかなイベントと言うにはあまりに壮大なものとなっていた。

 現クラシック級トップエース、ハルノエクリプスが誇る最大の脅威は、緩急自在にして圧倒的な瞬間加速度を叩き出す末脚───そして、その根幹を成す冷徹な知性と観察眼、精密機械じみたスタミナ管理能力にある。

 

「よっす、えっちゃん。こんなトコで会うなんて珍しいね。ていうか、どうしたのそんなに急いで」

 

「ネイチャさん……えぇ、故あって人探しを。この辺りでシナさんを見かけませんでしたか?」

 

「シナちゃん? あぁ、それならさっきコタマちゃんと一緒に居たよ。神社の方に走ってった」

 

「ありがとうございます。では」

 

「何だか知らないけど気をつけなねー」

 

 この1年半、彼女が息を切らしている場面を見た者はほぼ存在しない。担当の舩坂金時トレーナーが『全集中の呼吸』などと冗談めかして語る"無限の心臓"の秘密は、未だ完全に解明されていない。

 すなわち、ハルノエクリプスは()()()()()()()()()()()()───その限界を、舩坂ですらまだ知らないということだ。

 

「ややっ? わぁ、もしやそちらにおわすのは我らがえっちゃん大先生では!?」

 

「ち、ちょっと……デジたん? なんか急いでそうじゃない。あんまり話しかけるのも……」

 

「ほわぁ、本当に不思議な瞳をしてらっしゃるんですのねぇ。けど、こうして見るとお話に聞いていたよりも綺麗で素敵な色ですわ~」

 

「こんにちはデジたんさんにドーベル先生。それと───」

 

「あらごめんなさい、申し遅れました。はじめまして! わたくし、メジロブライトと申しますぅ。ご活躍はかねがね、それにドーベルとも仲良くしていただいてるみたいで〜。えぇ、本日はお日柄も良く……」

 

「はじめまして、ハルノエクリプスです。はい、ドーベル先生には昨年の冬からお世話に……」

 

「ハルノさん、この子喋り出すと長いから話半分に聞いといて。それより、何か急いでたんじゃないの?」

 

「あ……、そうでした。かくかくしかじかまるまるうまうま」

 

「えこえこあざらくつるつるあざらし。なるほど……うーん、けどごめんなさい。道行くウマ娘ちゃんたちのご尊顔を血眼して(おろが)むのに精一杯で、さすがにロボットまではカバーしてませんでした……」

 

「デジたんはちゃんと前見て歩きなさいね。私もそれらしいものは見てないけど……ブライトは?」

 

「ん~、わたくしも右に同じですわぁ。でもぉ~……」

 

「でも?」

 

「果報は寝て待て、と申しますぅ。バタバタしてて入れ違いになっちゃうこともありますし~、それに、ほら。もうすぐお昼時でしょう? どうかしら。わたくしたちと一緒にお食事でもして、ゆっくり吉報を待ちませんか?」

 

「お気持ちはありがたいですが……」

 

「そうね。その変なロボットも別に、逃げ出しただけで人に危害を加えてるってわけじゃないんでしょう? 午前中いっぱい探して見つからなかったんだから、この後もきっと長丁場になるわ。何かお腹に入れておいた方がいいかも」

 

「うっひょ~!! ドーベル先生からブライトお姉様を紹介していただいただけでも僥倖だというのに、えっちゃん大先生とランチまで!? 至福ッ……! あまりにも至福ッ……!」

 

「あら~、お姉様だなんてそんなぁ。うふふ、新しい妹が出来ちゃいました~♪」

 

「ただ付いて来てもらっ……んんッ、ただ勝手に付いて来ただけじゃないの。じゃあ、とりあえずお店、探しましょうか」

 

 ところで、昼食はメジロドーベル一行と摂った。

 アグネスデジタル曰く『あたしも中央で結果出して割と良いモノ食べてきたつもりだったけどマジでレベチだった』らしい。

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

「ふぅ……。あぁ、この歳になるとちょっとの段差が堪えるねぇ……」

 

「あ、あーっ! なんだか重そうな荷物を抱えたおばあちゃん……ではないけどまぁ、とにかくヨボヨボのアキュートさんが困ってるぞぉー! しかし私は日課の風水酔拳の修行のため動けなぁーい! あー誰か代わりにアキュートさんを助けてくれる優しいウマ娘は居ないかなぁー!」

 

「ちょっと! リッキー真面目にやって!」

 

「………………。……、すみません。お手伝いしましょうか」

 

 その後も、ハルノエクリプスの受難は続いた。

 

「うぅ……忙しくてお昼ご飯を食べ損ねたら、今になってものすごくお腹が空いてきましたぁ……。もう一歩も動けません……。あのう……すみませんそこの人、何か食べるもの持ってないですか?」

 

「何故わたしに……、いえ。少し待ってもらえれば、コンビニで何か買ってきますが」

 

 不思議な体験だった。ハルノエクリプスの行く先々でトラブルが起こっている。

 

「ぐわー! こんなところで持病の鼻血がー!」

 

「ぬわあぁぁ大変です災難です天中殺ですぅぅぅ!! 待っててくださいおマチさん、いま私とっておきのイチョウエキスをおぉぉ!!」

 

「そんなんじゃダメですよフクキタルさぁん! うぅ、この世に救いは無いのですかぁ~……!?」

 

「……あの。ティッシュ、どうぞ」

 

 府中とはこんなにもハプニングの絶えない街だっただろうか。

 もはや異常事態が起きていることは疑いようも無いが、それにしても個々の事象に共通点を見出せない。奇妙な不幸が同時多発的に生じているとしか形容できなかった。

 

「はっ、はっ、はっ、は……」

 

「ふっ、ふっ、ふっ、は」

 

「すみませんどちら様でしょうか」

 

「気にしないで、今回はゴルシさんのお手つだ……んん。いえ、あなたさっき、空腹のスペちゃんを助けてくれたでしょう? それであちこち走り回ってるあなたを見てたら、なんだかこっちまで走りたくなってきてしまって」

 

「話の前後に脈絡が無いんですけど」

 

「大丈夫よ。残念だけど私、そこまで頑丈な方じゃないの。今日は流す程度で我慢しなきゃいけないから、あなたのペースに合わせるわ」

 

「そうですか。ではそういうことで」

 

 微妙に会話が通じないタイプの奇人もとい奇ウマ娘にも絡まれたものの、幸い無害だったので捨て置く。

 

「うわぁ〜っ!? お嬢のオキニの風船が、ちょい早めのクリスマスツリーに〜!」

 

ラモーヌさんの頼みとはいえ、何故私がこんなことを……。う、うわぁん。高くて届かないよー」

 

「伸縮化、ジャンプ強化───よっと。はい、どうぞ」

 

 超空間知覚に加えて変身の権能までも解禁し、いよいよ余裕が失くなってきたハルノエクリプス。

 これでいいのかと内心思いつつも、星間スパイの誇りが任務の放棄を許さない。府中(まち)の平和は自分が守るのだ、という少々的外れな自負すら芽生えつつあった。

 

「一つ問おう! トゥインクル・シリーズのさらなる発展には何が必要だと思うかね? そう、破か」

 

「邪魔」

 

「ぐぅあああぁぁぁぁぁ!?」

 

 見知らぬ不審者を廃滅の黒炎で一蹴し、鏡色の瞳の少女は駆ける。

 既に当初の目的を若干忘れ始めていたが、そうだ。何にせよ当事者であるシナモリクリスタルと、任務を依頼してきたコタツマルタマに会った方がいいかも知れない。地球には『犯人は現場に戻る』という格言もある。

 

「大変です! 失火した雑居ビルの中に人が! くっ、マックイーンさんのスイーツに対する集中力を見誤っていました……。まさか、避難の案内に気づかないだなんて……!」

 

「ななな何何何何何なんですの!? け、警報も何も鳴らなかったじゃありませんかー!」

 

「……ねぇイクノ、あれ台本なんだよね? ボク知らなかったなー、まさかマックイーンがあんな迫真の演技できるなんて。名前だけじゃなかったんだねー……」

 

「一つ指南して差し上げましょう、トウカイテイオー。人を欺く時に最も容易いのは、真実の内にわずかな虚構を織り交ぜることだけれど、それだけでは不完全だわ。同じ人間を相手にしているのだもの、誰しもこちらの思惑から外れた独自の知性と行動力を持っていて当然よ。本当に優れた虚構とは───たとえ真実が暴かれたとしても、それがまるで"あるべき事実"であるかのように振る舞うもの」

 

「わけわかんないよぉ!! ちょっと、本当に危なくなったらボクが助けに行くからね!? いい!?」

 

「マッスル化、鋼鉄化、ジャンプ強化、ジャンプ強化、ジャンプ強化───ふっ!」

 

「───、ふふ。不思議な子……。随分とつまらない顔をして走ると思っていたけれど、これは私の目の方が曇っていたのね。そう、愛が無いことは決して弱さを意味しない。野の獣に誇りや気高さを見出すのは、私たちの常識に基づく幻視でしかない。貴女にとって、レースとは余分? それとも……」

 

「はぁ、はぁ、ふぅ……、……。───ラモーヌさん? 少しお話があるのですが、お時間よろしくて?」

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 四方八方を駆けずり回っている内に、時刻は17時を過ぎた。

 果たして、それは偶然だっただろうか。東方面からトレセン学園に向かう道の交差点に差し掛かった時、ハルノエクリプスの視界の隅を、鈍色の輝きが掠めた。

 

「ピー、ガガガ。モーターヤッター、ハッピーハッピーヤンケ。ピガガガガガガ」

 

 ついに見つけた。全身を薄い金属の板で(よろ)った人型ロボット。

 ハルノエクリプスよりも一回り背の高いそれは、この星(地球)の技術水準にしては妙に滑らかな直立二足歩行を実現している。安っぽい外見に反して、あるいは在野の研究者が開発した最新鋭機なのかも知れない。

 

「対象を発見」

 

「ピガ?」

 

 念のためスマートフォンを開き、LANEでシナモリクリスタルたちに連絡しておく。

 返事は早かった。背中のバックパックにスイッチがあるので、それで電源を切って運んできて欲しいという。

 

「スイッチ……これか」

 

 そうして、何ともステレオタイプな赤いボタンに指が伸び─────。

 

「ピー、ピー、ピガガガガガ!! ピスピース!

見敵、自己保存モード重点! スリー、トゥー、ワンヌ……ゴー、シュート!!」

 

 電源を切られる直前、ロボットは凄まじいスピードで駆け出した。

 ここまでの疲労も手伝い、さしものハルノエクリプスもしばし呆気に取られていたが、

 

「……目標の脅威度を更新。超過駆動形態(オーバードライブモード)、レベル2まで限定解除(アンロック)。カウント開始……3、2、1─────」

 

 もはや周囲の目も気にせず、ハルノエクリプス(『世界の敵』)は変身の権能を過去最大の規模で発動させた。

 大気の抵抗を漸減すべく、体表面は硬質かつ滑らかな漆黒の甲皮に覆われ、文字通り空を切る鋭利な流線型を得る。

 そして、さらに前傾───低く、極限まで低く。いつしかその両腕は、ざざっと音を立てて地を掻いた。

 それは四足の獣の姿にも似て、しかし実際には異なる。両脚は推進器としての役割に特化し、ただひたすらに爆発的な突進力を生み出す装置に変貌している。

 対し、翼の如く広がった両腕は、あまりの速度に宙へと投げ出されようとする身体を地面に縫い留め、尚且つ急制動によって方向転換を行うためのスパイクだ。

 

発進(ブラストオフ)

 

 ウマ娘の平均走行速度は50〜70km/hと言われ、公式レース上では最高で75km/hという終端速度が記録されている。またとある研究グループによる実験では、非アスリートのウマ娘が中間速度時点で実に92.4㎞/hを叩き出した例もあるという。

 翻って、この時の『世界の敵』が発揮したトップスピードは───地上最速の動物として知られるチーターに迫る、99.8km/hに達した。

 

「いっ!? オイオイオイオイオイ……!! くそ、エデソ! バフ頼む!」

 

〈合点承知ッ!!〉

 

 瞬間、ロボットを黄金色の閃光が包み込んだ。

 この時点で既に競走ウマ娘にも匹敵する走力を見せていたロボットが、さらに加速する。

 凡百のウマ娘では及びもつかぬ、尋常の生物に有り得ざる超々高速域での戦いが始まった─────。

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

「なんだか思ってたよりえらいことになっちゃったのだ」

 

「うわぁ、すっげー!! 今の見たかウインディ先輩!? あれ、きっとキャロットマンの新作の撮影だぞ! CGじゃなくてスタントであんなアクションやってるのか? すごいなぁ、放送が楽しみだなぁ!」

 

「いやたぶん違……まぁ、うん。今日のところはそういうことにしておくのだ」

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

「はぁっ、はぁ、はぁ、っ……。はぁ……」

 

「ぜー……。ぜー……。ヒュー……。……ピー。ガガガ……」

 

 紆余曲折あって、ハルノエクリプスはようやく任務を達成した。

 後にストリート・フリースタイル・レースの世界で『神速』と称されることとなる伝説にして幻の一戦、ここに決着。

 

「───、……。おや……」

 

 暴走ロボット(?)を追って辿り着いた場所は、偶然か否かシナモリクリスタルの自宅である『サイバー流活殺空手道場』だった。

 強化状態の維持も限界に至り、通常(デフォルト)のウマ娘型躯体に戻ったハルノエクリプスにとっては嬉しい誤算だ。

 

「うおっ……、えっちゃん?」

 

 ハルノエクリプスがしばし息を整えていると、やがて道場の入口が開き、黒鹿毛を二つ結び(ツインテール)にした翠眼のウマ娘───シナモリクリスタルが現れた。

 

「はい。訓練用ロボットというのは、これで間違いありませんか」

 

「うん、そうだよ。ちゃんと連れてきてくれたんだ。ありがとね」

 

「任務完了。クラスⅣエージェントならば当然の結果です」

 

「くら……何……? まぁいいや。疲れたでしょ? 実はさ、待ってる間にコタマと一緒に夕飯作ってたんだよね。寮の方にはもう連絡しておいたから、お礼と言っては何だけど食べてってよ」

 

「それは───」

 

 断る理由は無い。実際、自分は今日の消耗に見合うだけの補給を必要としている。

 何か、どこか、いささか()()()()()()ようにも感じたが───この時点で、平時には働く冷徹な知性をほとんど使い果たしていたハルノエクリプスは、素直にシナモリクリスタルの提案を受け入れた。

 

 そして、

 

「よく来てくれた」

 

「……?」

 

 道場の扉をくぐった瞬間、この場に居るとは知らされていなかったスカイファルシオンに出迎えられ、

 

「残念だが、食事の用意など初めから……無くはないけど、とりあえず騙して悪いがそういうことなんでな。一発やられてもらおう」

 

 薄藍色の癖毛が翻り、刹那、その右手が霞むように振り被られた。

 どう見ても何らかの攻撃の予備動作だった。しかしハルノエクリプスには、スカイファルシオンが唐突に発狂したという非常に低確率の可能性の他に、彼女の不興を買った記憶は無かった。

 混乱と極度の疲労が、続く思考をわずかに停滞させ───次の瞬間。

 

「おれの答えはこれや!!」

 

 べちゃっという奇妙な音と共に、ハルノエクリプスの顔面が真っ白に染まった。

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 ─────そう。

 

「……───」

 

 パイ投げである。

 

「ふっ。決まった……」

 

 トゥインクル・シリーズの歴史に残る功績を打ち立てた無敗三冠バの顔面に、真っ白なホイップクリームがぶち撒けられている。

 ちなみにこういうイベントに使われる『パイ』は、だいたいクリームのみを皿に盛った形だけのものであり、本物の熱々のパイをぶつけることはあんまり無いらしい。今回もそうだ。

 

「……。……、ミーク」

 

「ぎくっ」

 

 ……何故私が背後に控えているとバレた? ハルノの視界はもちろん閉ざされているし、気配も完全に消していたはず……。

 

「わたし、ファルになにか、したでしょうか。攻撃される心当たりは、無いのですが」

 

「……あー、はい」

 

 いや『はい』じゃないわ『はい』じゃ。

 えーと、その、えーと、あぁ……うー、頑張れ私っ。この2年で培ったコミュニケーションスキル、今こそ発揮しろ……!

 

「心配せずとも、悪いのはファルです。ですが、ハルノにも少しだけ責任があります」

 

「責任とは?」

 

「確かに、私たちはトゥインクル・シリーズで覇を競うライバル同士です。ハルノからすればみんな敵に見えるかも知れません。けど、それと同時にファルは───私たちは、ハルノのことを大切な友達だと思っています」

 

 いざ口にすると存外恥ずかしい……。ていうか、私とハルノって友達でいいんだっけ。いいのかな。まぁこの際いいや。

 

「友達が何か大きなことを成し遂げたら、祝ってあげたくなるものですよ」

 

「大きなこと……、それこそ心当たりが───」

 

「無敗三冠がでっかくなかったら何だって言うんだよーぅ!!」

 

 ぺしゃん!

 ……顔を拭く暇すら与えず、まさかのおかわりである。なお下手人はコタマさん(コタツマルタマ)だ。

 

「あのね、えっちゃんはすごくすごーく頑張ったの! テレビでえっちゃんが1着取ったの見た瞬間、あたし、えっちゃんと友達でよかった〜って思ったの! だからその……いやだからってのも変だけど、とにかく!」

 

「何も要らない、なんて寂しいこと言わないでさ。ていうかせめて、私たちが勝手に祝うのくらい許して欲しいかなって」

 

「うんっ。ここまで来たら、嫌とは言わせないぞ! 何より、私もファルもシュガーも、君にやられっぱなしじゃ腹の虫が収まらない!」

 

(わたくし)は最後まで反対したんですけどねぇ、クラッカー代わりにパイ投げなんて。でも、『三冠ウマ娘にはパイを与えよ』というのが、シンボリルドルフ会長以来の伝統だそうですから」

 

 なお、どうして祝勝会でパイ投げなのかは中央トレセンだいたい七不思議の一つに数えられている。

 そもそもクラシック三冠バが出現すること自体が稀なので、きっと今後も謎が解かれることは無いだろう。

 

「はい。というわけで、改めて───」

 

「「「「「クラシック三冠、おめでとう!!」」」」」

 

「ん。おめでとー、ちくしょーめ」

 

 ハルノは目元を拭って、こちらを見た。頬や顎や額にはクリームがついたまま。

 どうも未だに困惑から抜け出せていないらしい。うーん……たぶん普通に奇襲(サプライズ)しても間違いなく避けられるから、と色々な仕掛けを用意して──だいたいファルが提案して舩坂トレーナーの伝手で実現したもの──いたが、さすがにやり過ぎだったかも……?

 

「───……、あの。皆さん、その、わたし」

 

「あはは……。まー、人生でそうそう無いよねぇ。全力でパイ投げられるのって」

 

「言っちゃ悪いけど新鮮だね、えっちゃんがこんな顔してるの。さぁ、顔洗って今度こそご飯にしよっか……」

 

「そういえばファル」

 

「?」

 

「覚えてますか? 私、少し前のセントライト記念で2着だったんですよ」

 

「そうだっけ。そうだったね」

 

「その時、1着だったのは誰でしたか」

 

「うん。そりゃあ、おれだけど───」

 

 べちゃ!

 

「……!?」

 

「みっ……、ミーク……!?」

 

「どうしちゃったんですの急に!?」

 

 よし。やったぞ。やってやった。

 そう、ハルノだけではない。思い返せばこの2年間───もちろん全部のレースで一緒だったわけではないし、彼女たちにだって黒星はあったけれど、そこはそれ。

 

「いえ。ハルノだけパイまみれというのも不公平かと思いまして。負けた数なら私が一番多いですし、ここに居る全員にぶつける資格はあります」

 

「え!? そ、それはミークの出走数が一番多いからだろう! 当たり判定が広いよっ、ていうか皐月賞やダービーじゃ私たち君に着順……ぷぎゃ!」

 

「あー、言われてみればそうだわー。くっふっふ……! うん、あたしもシナには結構負かされてるからね! よぅしここはいっちょ、むぎゃ!?」

 

「私より先に公式戦2勝した女が何か言ってるな。えっちゃん、この際だし反撃しちゃってもいいからね。実はクリーム結構余ってるんだ」

 

「あら、そういうことなら遠慮は要りませんわね? 覚えていますかしら、レウス。あなたこの間、(わたくし)のエクレア勝手に食べたでしょう? ここで報いをお受けなさいな!」

 

「うぇぇ!? 何だよぅシュガーまで、あれについちゃ謝ったし弁償もしたじゃないか〜!」

 

 やれやれ、念のため汚れてもいい服で来いと告知しておいた甲斐があった。あと、快く道場のスペースを貸してくれたシナさんの家族には感謝しないとな。

 

「……」

 

「……ハルノ?」

 

「ミーク……わたし、変……です。駆体のどこにも、不調なんて無いのに。顔と、お腹が……()()()()して。レースの後とは……少し、違うような……」

 

 んん……?

 ……健康優良ウマ娘型生命体・ハルノエクリプスに限って、ホイップクリームアレルギーという線はあるまい。そんなものでこの『世界の敵』を倒せるなら私がとっくに試している。

 顔とお腹、それに『レースの後』となると……あっ、もしかして。

 

「ふふっ」

 

「……?」

 

「いえ、ごめんなさい。でも───楽しい時は、笑っていいんですよ」

 

 あぁ。天衣無縫の身体能力と、森羅万象を見通すが如き戦術眼を持ち合わせていながら、この子は───笑うことすら知らなかったのか。あるいは、自分が笑えるということも、笑っていたことも忘れていたのか。

 

「というより、ハルノはもっと笑うべきです。嬉しいことがあったら笑って、悲しいことがあったら泣いて……今はまだ少し、難しいかも知れませんけど」

 

 クリームでべたつくのも構わず、ハルノの頬に触れる。ぐにぐに。

 

「ほら。こうして、わっはっはー、です」

 

「……わっ、はっ、は。……ふへ」

 

 そして───『世界の敵』(ハルノエクリプス)は、たぶん生まれて初めて笑った。

 にへら、と。それはあまりにも不慣れで、言われなければ目元と口角が引きつっているようにしか見えないけれど……皐月賞や日本ダービーの時とも違う、穏やかで明るい笑顔だった。

 

「───あーっ!! ちょちょちょっと今の見たシナ!? えっちゃんが! あのえっちゃんが! 笑ったよ!?」

 

「え? いや、笑ってるトコならちょくちょく撮られてるじゃん。別に珍しいもんじゃ……」

 

「それ感覚麻痺してますわよシナさん! だいたい、レース後のアレはどちらかと言うと威嚇ですわっ」

 

「フフフ……ミーク、初めてだよ。ここまでおれを虚仮にしたおバ鹿さんは……!」

 

「まったくだよファル! ハルノ、ミーク、今日は覚悟してもらうからね!」

 

「───ちょっと待ったああぁぁぁ!! たった7人ぽっちでな〜に楽しそうなことしてんのよッ!」

 

「あれっ、コンちゃん委員長? 商店街の方の片付け終わったら帰るって言ってなかったっけ?」

 

「おうファルちゃん、ハルノさんも水臭ぇだよ〜。()()()()()だから色々知らされながったんはわかるけんど、祝い事ならみんなでやった方が楽しいべなっ」

 

「我らが『流星』にパイをぶつけてもいいと聞いて! ハルノさん、クラシック三冠おめでとー! あとついでにコンちゃんも、新潟記念制覇おめでとー!」

 

「ぐわぁ!? ちょ、ソプラ!? 何すんのよもーっ!!」

 

「おっと。感慨に浸っている暇は無さそうですね……応戦しますよ、ハルノ」

 

「任務了解。完璧な『パイ投げ』を遂行しましょう」

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 時刻は20時を回って、街にはすっかり夜の帳が下りている。

 

「やぁ、ハルノ。お疲れ様」

 

「トレーナー」

 

 迎えに来た各々のトレーナーに引率されながら、『四天王』世代は学生寮への帰路に就いた。騒がしかった秋の1日も終わりが近い。

 

「大人が入り込むのも無粋だと思って裏から見ていたが、今日は随分楽しんだようじゃないか」

 

「───。……、……はい」

 

「フフ。何だか私よりあの子たちの方が、よっぽど君に大事なことを教えているような気がするな。少し妬ける……いや、これは私の力不足か」

 

「トレーナーの指導はいつも的確だと思います。不足を感じたことはありません」

 

「そう言ってもらえるのは嬉しい限りだが。まぁ、こればかりはウマ娘同士にしかわからない機微というものなのだろう。私も日々学ぶことが多いよ」

 

 言って、舩坂はまた内心で苦笑した。

 不思議なものだ。トレーニングプランや身体メンテナンス、レースで勝つための技術と方策ならいくらでも教えられる。適性も何も無く鍛えれば鍛えるだけ伸びるのだから、こんなにも育てるのが楽なウマ娘は他に居ない。

 けれど、ウマ娘(ゴールドシップ)の姿でならいくらでもかけられそうな言葉が、トレーナー(舩坂金時)として語るにはこんなにも難しい。

 

「さて。私からも今一度、賞賛の言葉を贈らせて欲しい───ハルノ、無敗三冠おめでとう。君が見せてくれた夢と栄光の景色に、心からの感謝を」

 

「そういう契約ですから。当然の結果です」

 

「あぁ、そうだな。そして───私たちの旅路は、まだ続く」

 

 無敗のクラシック三冠。間違いなく偉業だ。

 だが、ハルノエクリプスは絶類無窮の超生命体である。ウマ娘型駆体という制限を課して尚、これだけの性能を誇っている。

 その限界には、まだ遥か遠い。

 

「これからも勝つぞ。君と私で」

 

 次なる戦いの舞台は、年の瀬の大一番───夢のグランプリ、GⅠ・有記念。

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 ─────その日の夜、仄暗い水の底で目を覚ました時、私はすべてを思い出した。

 

〈ハッピーミーク〉

 

 もうずいぶん長い間、見ていなかった夢。三女神様の『使徒』が導かれる精神と物質の狭間。

 私の心象風景を反映した、薄暗い水族館のような屋内施設は───しかし、あちこちが崩れかけ、ノイズめいて白黒に明滅している。

 

「三女神……様」

 

〈何をしているのです、我が『使徒』よ。かの『流星』、あれこそが我らの討つべき『世界の敵』です〉

 

「……お言葉ですが、三女神様。ハルノは……その、たぶん、悪い子じゃありません。私はそう思います」

 

〈呆れました。『世界(ほし)の聖剣』としての自覚が足りないようですね。力を与えた恩を忘れたのですか?〉

 

「もちろん感謝しています。今の友人たちに出会えたのも、三女神様のおかげなのでしょう。でも……どうか一度、考え直してはもらえませんか? ハルノはもう、笑うことすら知らなかった以前とは違います。私たちはきっと───」

 

〈いいえ。いいえ。それは有り得ません。有り得ないのですよ、ハッピーミーク。あれは紛うこと無き『世界の敵』。日常に潜み、己を愛するように仕向け、然るべき後にあなたたちを屠殺し喰らう。最もおぞましい種類の悪意に満ちた、外なる侵略者です〉

 

 闇の塊の中心に穿たれた、3色に光る無機質な瞳。

 『三女神様』が声を発する度に、空間が軋んで揺れる。人智を超えた絶大な力を感じる。

 

「───ふざけないで」

 

 ……畏れはある。

 それでも。

 

「神様だからって……あなたがハルノの、何を知ってるんですか。たとえ本性がどうであれ、私たちの在り方を尊重し、共に平和的に暮らしているあの子を、どんな大義があって排除しようと言うんですか!」

 

 そして、

 

〈……、───あなたも、みんなと同じなんだ〉

 

 圧力が───霧散した。

 

〈あの3人は能天気すぎる。わたしたちは真の宇宙の構造、地上の人間たちが神や精霊と呼んでいるものについてあまりに無知だ。あれは奴らがわたしたちの世界に食指を伸ばすための触角に過ぎない。ウマ娘の形になった……こちらの法則に捕まったからと言って、取り込んで都合の良いように教育できるなんて、ただの思い上がりだ〉

 

 違う。散ったんじゃない。

 空間の中心部に凝り固まっていた闇が、少しずつ割れ砕けていく。

 空間を緩やかに照らしていた、3色の光の帯───勇敢・愛情・規律の輝きが塗り潰され、塩の如き純白に染められていく。

 

〈……あれの協力者が賢しい小細工を仕掛けてたみたいだけど、理気の操作なら(こっち)の方が上だ。わたしはもう間もなく関東全域の龍脈を掌握する〉

 

 やがて形を成したのは、一人のウマ娘───否、始祖の女神。

 だが、その魔剣じみた銀光を放つ()()は、伝承にあるいずれの『三女神』とも一致しない。

 

「あなたは」

 

〈さようなら、ハッピーミーク。あなたは用済みです。過去の働きに免じて命までは奪いませんが、もう二度と会うことは無いでしょう。───女神の加護を賜ることも〉

 

 ばちり、と強く弾かれる感覚があって───私の意識は深淵に沈んだ。

 



































最終章、始まります。
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