騎影が行く   作:ごまぬん。

55 / 59

先人もすなるLINE風SSといふものを、海豹もしてみむとするなり。

今回はSunGenuin(佐藤)様考案の特殊タグ(https://syosetu.org/novel/273050/)を利用させていただいています。この場を借りて御礼申し上げます。



Beginning of the end

 

 ─────夢から、覚めた。

 

 冷たい汗を拭いつつ、身体の調子を確かめる。

 三女神様───いや、あの『芦毛の女神』が言っていた通り、確かに命までは取られなかった。しかし、最初に『使徒』に選ばれた時からずっとあった……何(・)か(・)巨(・)大(・)な(・)も(・)の(・)と(・)繋(・)が(・)っ(・)て(・)い(・)る(・)感覚は失われている。

 幸い、自覚できる範囲で不調は無い。恐らく、三女神様の『影』を大量召喚したあの日以来、『使徒』としての権能をほとんど使ってこなかったためだろう。

 没収されて困るほど三女神様の力に頼っていなかった自分を評価してやりたいところだが、芦毛の女神という明白な脅威が出現した今、知っていて何も出来ることが無いのは……。

 

「……どう、しよう」

 

 巷を騒がす無敗三冠ウマ娘・ハルノエクリプスの正体は実は恐ろしい怪物で、自分は三女神様の部下としてそれを退治しようとしていたけど、色々あって考え直すように進言したら三女神様との関係が決裂して、というかこれまで三女神様だと思っていた相手は別人でいま何を考えているかわからない───なんて。

 こんな滅茶苦茶な筋書き、一体この世の誰が信じてくれる? 一番話が通じそうなのはハルノ本人だが、私が少し前まで自分を嫌う誰かの手先だったと知ったら、きっと良い顔はしない。何も知らないトレーナーやファルたちを巻き込むのは論外だし、かと言ってじゃあどこの誰だったら何を知っているんだ?

 

 芦毛の女神が具体的にどう行動するかはわからない。

 だが、少なくとも府中市の全域を影響下に置き、怪異を使役して誰かを襲うことが出来るのは確実である。

 それに、『龍脈』───『使徒』になりたての頃に物の本で読んだところによれば、水脈や造山帯に沿って存在する霊力の通り道のことだ。

 関東全域の龍脈を掌握したともなれば、次に引き起こされる『百鬼夜行』はどんな規模にまで膨れ上がるか計り知れない。

 

「思い出せ……思い出せ、思い出せ、思い出せ」

 

 対抗手段。何か無いか。

 三女神様の『使徒』が引き出せる性能は、対象者自身の知識や想像力に左右される。トレセン学園周辺のオカルト的な、利用できそうな物事については一通り調べたはずだ。記憶力には自信がある。

 

 必勝祈願の神社。歴史はあるが、必ずしも霊験が保証されているようなものではない。そもそも神域の類はあちらの土俵だろう。

 山岳部の物の怪。毎年のように目撃情報がある。正体は野生の動物という説も。生半可な格の存在では、相手に逆に支配されることも考えられる。

 トレセン学園では幽霊の噂は珍しくない。引退ウマ娘の怨念からドッペルゲンガー、祖先の守護霊まで多種多様。それこそ三女神様など死後に神格化された祖霊のようなもの。

 異次元、異空間。神域にお帰り願うか、あるいは異界に放逐する。穏当に可能だろうか? 私は既に芦毛の女神の怒りを買っている。法外な代償を要求されたら応じられる自信が無い。

 人体消失現象。記憶が風化し、大衆から忘れられたウマ娘や人間が、その存在ごと消滅することがあるらしい。何かヒントに───いや。

 

 信仰を失った神は物の怪に零落し、やがては忘却され自然に還るという説がある。

 じゃあ、芦毛の女神はかつて忘れられた神性? それが今も盛んに信仰されている『始祖の三女神』の存在を乗っ取って、力を取り戻した?

 

 ───ウマ娘は"たましいの生き物"だ。

 ホモ・サピエンスと近似の肉体構造、すなわちこの筋肉組織と骨格と心肺機能には本来、平均60km/hの走力を生み出すだけのスペックなど備わっていない。

 ウマ娘をウマ娘たらしめる、現代科学では未だ解明不能の相互作用。それを支配し、極めた果てがあの女神だというのなら……。

 

 

 

 ピロン。

 

 

 

 黒い霧に閉ざされ始めた思考を、スマートフォンの音声が断ち切った。

 時刻は午前4時。アスリート校のトレセン学園では既に起床している生徒も珍しくはないが、少なくとも私にこの時間に連絡を寄越してきそうな知り合いは居ない。

 

 恐る恐る端末を手に取る。画面にはLANEのメッセージ着信の通知が表示されている。

 発信者のユーザーネームは読み取れない。そこにはただ一言、『大切なお話があります』という文字列が書かれていた。

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

存在しないユーザーです

 

既読
どちら様ですか?
▶

 

◀
とぼけるのはよせと言いたいところだが、状況が状況だ。これ以上追及はすまい

 

◀
こんにちは。あるいは、はじめましてかな?子羊ちゃん。

 

◀
俺は、というか俺たちは、始祖の三女神と呼ばれている者だ。

 

◀
ハッピーミーク。まずはあなたに、心からのお礼と賛辞を。

 

◀
あの子の預言にただ従うのではなく、自ら相手を見極め、かけるべき言葉を選択したこと。

 

◀
彼女に我々の世界と文化を理解してもらい、共存の道が見えてきたのは、

 

◀
間違いなくあなたのおかげです。本当にありがとう。

 

既読
こちらこそありがとうございます。そう言っていただけて嬉しいです。
▶

 

既読
ただ
▶

 

◀
彼女のことですね。

 

既読
はい
▶

 

既読
あの芦毛の女神様は何者なんですか?
▶

 

◀
生憎だが教えられん。

 

◀
我々は神としては若いが、名を広く知られているが故に少なからず力を持つ。

 

◀
あれはその我々の力を奪った。名を唱えようなどと思うな。

 

◀
かつて肉体の死を迎えて天上に召され、始祖たり得る資格を持つウマ娘は多くありました。

 

◀
人類の歴史がアフリカ大陸のたった一人の女性から始まったように、

 

◀
最終的により多く後世へ血を繋ぎ、神域に至ったのがわたしたちだった。

 

◀
一方で、彼女らの魂は今も俺たちと共にある。

 

◀
人の、ウマ娘の想いは、時代を超えて受け継がれていくものだからね。

 

◀
俺たちがここまで現世に影響力を持てるのも

 

◀
俺たちに連なる過去のウマ娘みなが、今の時代と地続きの存在だからなのさ。

 

既読
つまり、あの芦毛のウマ娘は、女神様のなり損ないってことですか
▶

 

◀
おっと、ずいぶん歯に衣着せぬ物言いだ。まぁ確かにそういう見方も出来るか

 

◀
とはいえ、我々の神性を奪えるだけの霊格を維持しているとは予想外だった

 

◀
あれの直系は絶えて久しいはずだが、侮れんものだ。

 

既読
だいたいわかりました。
▶

 

既読
私はこれからどうしたらいいですか?
▶

 

◀
まず断っておくと、今のわたしたちに出来ることは限られています。

 

◀
わたしたちはサトノグループが運営する『三女神AI』アプリの、

 

◀
データ標本から構成された疑似人格モデルを媒介とし、サーバー内に間借りしています。

 

◀
力を奪われたのは痛手だが好機でもある。

 

◀
自分と我々を同化したせいで区別が失われ、あれはこちらの気配を追えなくなった。

 

◀
霊力も権能も失った魂のみだが、電脳世界への脱出が間に合ったのはそのためだ。

 

◀
都合の良い器を造ってくれていた現代の者たちにも感謝せねばな。

 

◀
俺たちはここで可能な限り回復、力の蓄えに努めるよ。やれるだけのことはやってみるさ。

 

◀
派手なアクションを起こせば彼女に気付かれるだろうから、次に現世に干渉するのは

 

◀
彼女をそちらからこちらに引き戻すその時だ。

 

◀
そのためにはあれを現世から放逐できるまでに弱らせる必要がある

 

◀
ハッピーミーク、貴様の任務はあれの力を削ぎ、我々が天の座に戻るのを助けることだ。

 

既読
理屈は承知しました。
▶

 

既読
しかし、私は既に『使徒』の能力を没収されています。
▶

 

既読
戦いになったら、役に立てるとは思えません
▶

 

◀
蕃神の端末、あなたがたがハルノエクリプスと呼んでいる彼女には協力者が居ます。

 

◀
その協力者もかつては女神の『使徒』でしたが、あの子の正体を見抜いていたのか、

 

◀
早々にこちらを離れて独自に行動を開始したようです。

 

◀
あれが府中市内に直接『影』を召喚できないのはそいつの仕業だ。

 

◀
街全体が強固な結界に覆われている。元を辿れば例の百鬼夜行への対抗措置だろう

 

◀
龍脈から過剰な霊力を蓄えているのも、結界を強引に突破するためと推測できる。

 

◀
逆に言えば、彼女は今、府中に居る存在には干渉できない。

 

◀
かと言って、ハルノちゃんや協力者との接触は慎重になった方がいい。

 

◀
端末経由で蕃神を刺激するのは避けたいからね。そこで頼るのは

 

◀
危険が伴います。わたしたちもどこまで力になれるかわかりません。

 

◀
それでも、お願いできますか?

 

既読
少し
▶

 

既読
いえ
▶

 

既読
やります。
▶

 

既読
やらせてください。
▶

 

既読
大事な友達なんです
▶

 

既読
大事な人たちなんです
▶

 

既読
ハルノも、トレーナーも、みんなも
▶

 

◀
貴様の覚悟、確かに受け取った。

 

◀
一緒に乗り越えよう。きっと大丈夫。

 

◀
わたしたち三女神が、あなたを導きます。

 

+
 

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 武蔵府中は古くより帝都東京の中心に位置する多摩地域の拠点都市として栄え、またウマ娘にまつわる伝承が数多く残る霊地である。

 近現代、特にこの200年は文明の発達も著しく、神話の息吹はもはや悠久の彼方に遠ざかったが、それでもなお民草の間で語られる怪奇譚がある。

 

 ─────府中(まち)に伝わる幾多の怪談の中で、最も名高く畏れられるのが『ケヤキ様』だ。

 

 曰く、かつて北の海より現れ、七つの村と二つの町を滅ぼした大怪異。

 曰く、霊地ゆえに雑多な小妖怪の集う武蔵府中を気に入り、餌場として居座った飢餓の化身。

 曰く、人心を解さず、悪心に敏く、人も獣も妖物魔物さえ等しく祟り殺す血狂いの鬼神。

 

 いつから存在が知られているのかは判然としない。先の大戦で焼失を免れた貴重な資料には、少なくとも江戸時代後期の書物には記述があり、明治から大正にかけて郷里の怪物として言い伝えられるようになったと示されている。

 眉唾だがローカルテレビの企画で特集されたところによれば、元は中国から来たとか、他の怪物と縄張り争いで勝って府中に居着いたとか、実は大昔はエノキ様だったとかいう話もあった。

 

 重要なのは、このケヤキ様が"怪異喰い"の性質を持つこと。

 彼(?)の伝承に最も多いのは、危険な妖怪変化が出没して周辺住人は大変困っていたが、そこにケヤキ様がふらりと現れ一飲みにしてしまった───というパターンだ。

 

 人が神魔と接するには正しい作法が要る。彼らに対してはどんな科学や武力よりも、儀式と信念が力を持つ。

 それはケヤキ様も例外ではなく、というより彼は比較的気難しい方で、まず怪異が出たからと言って人間にお願いされて動くことは無いらしい。妖怪を食べてやる対価として人間の生贄を要求したり、不審火があったので妖怪の仕業と思いケヤキ様に頼ったら激怒して祟り殺され、後から調べてみると人間の野盗だった……なんてエピソードまである。

 個人的には──大変罰当たりな感想だが──人間の考える善悪などには頓着せず、『飯(怪異)くらい好きに食わせろ』と言っているような印象。

 

 

 

 ……そんな正真正銘の怪物を相手に、今からまさに"交渉"という地雷を踏みに行こうというのだからとんでもないことだ。

 

 数日前、年末のアレコレにかこつけてトレーナーに頼み込み、いつもの神社でちょっと本格的な祈祷を受けた。

 桐生院さんの娘にならいくらでも、と快く引き受けてくれた宮司さんが、傍に控える私を見た瞬間に怪訝な顔をしたのが気になるものの、これで保険くらいにはなっただろう。

 

 現在の時刻は深夜2時。消灯時間を迎えた寮からの脱出方法はハルノに教わった。星間スパイの技能とやらも、こんな時には役に立つ。

 場所はトレセン学園から程近い、小高くなだらかな丘の中腹。ここに、地元の年配の方がたまに訪れては面倒を見ている小さな祠がある。これまで市街地のド真ん中にある謎の緑地としか認識していなかったけれど、どうやらケヤキ様に縁深い場所だったようだ。

 

 周囲に明かりは無く、雑木林の緑の天井をすり抜けてきた月光のみが頼りだ。

 深夜とはいえ、外灯に照らされていた道から少し裏路地を通っただけなのに、どうにも暗すぎるように思える。

 枝葉が風に擦れる音と、時々聞こえる何かの小動物の金切り声に、自分の靴が石畳を叩く音。

 やがて時間感覚が曖昧になってきた頃、私は目的の地点へと辿り着いた。

 

「……ここか」

 

 丹塗りの剥げた簡素な鳥居。今にも軋む音が聞こえそうな、古びた木の構造物。

 祠の右手に立っている細長い石の碑には、風化して肉眼では確認し辛いが、確か『井田摂津守代々御神木供養之碑』と書かれているはずだ。

 

 一礼して鳥居をくぐり、手に持っていた紙袋を地面に置く。

 早鐘を打つ心臓をどうにか押さえつけ、ゆっくりと合掌し─────。

 

「ケヤキ様、ケヤキ様、どうかお姿をお見せください」

 

 さて。

 神魔と接するには作法が必要……とは言うが、土着のローカル怪異と正しく交信するための作法なぞ私は知らない。たとえ元を辿れば立派な神様だったとしてもだ。

 ケヤキ様の場合はいわゆる荒御霊だから、本来なら神様ですらなかったかも知れない。

 

「ケッハモルタア、血、血、血。ケッハモヌラタア、肉、肉、肉。ポエーン、プー。どうかお姿をお見せください……」

 

 ……それにしてもこの呪文、効果あるのかな。

 ここからは本格的に都市伝説の領域だ。どんなに調べても『ケヤキ様を呼ぶための由緒正しい儀式』などという代物は発見できず、せいぜい昭和期までしか遡れない怪しい噂話しか見つからなかった。こんな事態に巻き込まれなければ、三女神様のお墨付きを得ていなければ死んでも試さなかっただろう。

 

 

 

 ざわ。

 

 

 

 風の音が、変わった。

 

 静かだ。先刻までの比ではない。衣擦れの音までも聞こえてきそうな、徹底した静寂。

 それに───似ている。三女神様、もとい芦毛の女神と対話していた夢の世界に。

 

 

 

〈ろろろ〉

 

 

 

 生温い、気配がする。

 背後から。足元から。姿は見えないのに、二の腕を掴まれているような。

 本能と理性が結託して、全身の神経から警鐘を鳴らしている。今すぐ立ち去れ、二度と近づくなと。

 

〈ば───     ぁ〉

 

 ……駄目だ。立ち去るわけにはいかない。振り返ってもいけない。

 ここはもう現世ならざる異界だ。どのみち逃げ場は無いし、既に見(・)つ(・)か(・)っ(・)た(・)以上、背を向けて逃げようとすることさえ危険だ。

 動かそうにも動かない身体の中で、唯一視線のみが、電撃的な速度で空間中を走査し───。

 

〈唵(オン)〉

 

 それと、目が合った。

 

「……あ」

 

 後ろから、真上から私の顔を覗き込む、巨大な影。

 月で逆光になっているはずなのに、それの造作はいやによく見えた。

 禍々しい書体の、見たこともない文字の記された布で顔を覆っている───顔が隠れているのに目(・)が(・)合(・)っ(・)た(・)というのも変だが、そうとしか言いようが無い。

 だらりと垂れた腕は異様に長く、反対に足は蛙のように低く撓(たわ)められて中腰の姿勢。それでいて私の顔を上から覗き込めるほど背が高い。背丈の3分の1は、鹿のような枝角の生えた大きな頭部で占められている。

 

〈    くる ぽ   ぽ  が   〉

 

 布の下の顔が、ばっくりと裂けて───つまり、ケヤキ様が口を開いた。生白い歯が見える。犬歯は無く、四角形で、人間のそれとほぼ変わりない。ただし口の大きさに対して数が多すぎるように見える。

 吐き出された息は、しかし予想に反して不快な臭気を纏っておらず、腐葉土めいた素朴な木と土の匂いがした。

 

「───っ、……! け、ケヤキ……様」

 

〈る   る  に    ぬ んぇ 〉

 

 怖い。怖い。怖い、怖い───、いや。

 目を背けちゃ、駄目だ。

 

「……どうぞ。今日の供物、です」

 

 持参した紙袋の中から、包みを取り出す。

 まったく時代考証もへったくれもないが、少なくとも都市伝説が語りて曰く、

 

〈  ぢ     む   し    〉

 

 ケヤキ様の好物は、第一に怪異だ。人や家畜も食うが、それは不敬を行った者への罰、祟り神としての条件反射に近い。必ずしも好んで摂りたい食事ではないという。

 しかし科学の光が多くの神秘を暴いた現代、彼の眼鏡にかなう獲物は、この地平にもはや数えるほどしか息づいておらず─────。

 

〈    はん    ば っ    が〉

 

 ひょい、と。

 長い腕が伸びてきて、物凄い力で包み───ハンバーガーをひったくられた。

 

〈ん     ぐ    〉

 

 6本ある指の先でギュッと潰したようにしか見えなかったが、どうもそれで食べたことになるらしい。気づけばハンバーガーは包みごと綺麗さっぱり消えていた。

 さて……これで第1段階『祟られずに出会う』は達成。下調べに協力してくれたライトハローさん──中央トレセンのOBで、何かのイベントをプロデュースしに学園に来ていた──に感謝しつつ、次だ。

 

〈   ねね   ねね ねねねねねねねねね   〉

 

 これは『本当の三女神様』たちが教えてくれたこと。

 念のためライトハローさんにも裏を取ったところ、かなり最近になって一時期だけ囁かれていた噂と合致する点もあるという。まぁ、それはさておき……。

 

「───ケヤキ様、ケヤキ様。赦し給え、呪い給え……高天原の光無き、葦原中国の恵み無きこの身において、汝が御名(みな)を呼ばう咎を」

 

 ケヤキ様の正体については謎が多い。説得力のありそうな仮説はざっくり4つほど存在するが、それぞれ元を辿るとまったく別々の起源を主張しているからだ。

 それは遥か太古に中国から来た麒麟の化身だったり、天竺から長らく旅してきた三女神様の巫女の成れの果てだったり、台風を擬人化したと思しき海から現れた山の神だったり、あるいはそういった複数の伝承を下敷きに成立した江戸中期の創作に過ぎなかったり。

 ただし───怪異や神性の常として、彼らは『人(・)々(・)に(・)信(・)仰(・)さ(・)れ(・)る(・)姿(・)こそが真実となる』。

 

「掛(か)けまくも畏(かしこ)き、███████よ」

 

 刹那。

 

〈               〉

 

 心の中から、恐怖が消え去った。

 明かりに乏しく人気(ひとけ)も無い林の奥深くで、おぞましい異形の怪異と対峙しているにもかかわらず。

 

〈    お      お    お〉

 

 代わりに立ち現れたのは、圧倒的な畏敬。

 気がつけば、思わず頭(こうべ)を垂れていた。いと尊きものに相対して、そうせずにはいられなかった。

 

〈──────────〉

 

 ややもすれば緩慢で、それでいて落ち着きが無く、どこか不安定だった『ケヤキ様』の動作がぴたりと止まった。

 まるで、自分の身体の操縦方法を思い出したかのように。

 

〈きやすい ものだ〉

 

 嗄れた老人の声にも、たおやかな乙女の声にも聞こえる不可思議な音の響きが、耳介ではなく脳髄に直接語りかけてくる。

 

〈おどろいた 十ねんを またずして にども 名を よばれるなど〉

 

 溢れ出る威圧感、清浄なる神気は先刻までの比ではない。

 三女神様たちが『自分たちは所詮若い神』と言っていた理由がよくわかる。こ(・)れ(・)を知っていたならば、そのように評して当然だろう。

 

〈やはり 今世は面白い。其方の 魂胆は 見え透いておるが、よい。我が御前(みまえ)にて口を開くこと、特に赦す〉

 

 第2段階、『ケヤキ様の神なる側面を起こす』───達成。

 狂える大怪異のままであられては交渉など不可能。故に、かつて特に『怪物を食べる鬼神』として畏れ奉られていた頃の名前(神咒)を呼ぶことで、その性質を引き出した。

 ……尤も、だからと言ってむしろ安心からは遠ざかったわけだが。

 

「畏れながら、███████よ……」

 

〈堅苦しい。欅(けやき)の君とでも呼ぶがいい〉

 

「は、はい……えと、その、ケヤキ……の君」

 

 あれ? 案外フランクだな……?

 

「畏れながら……ひとつ、退治していただきたい物の怪があります。欅の君におかれましては、この地で起きている霊力の乱れについてはご存知かと思いますが……」

 

〈うむ。其の方らの術師が陣を張ってから落ち着いてしまったが、なかなか心地好いものであった。当世風に言えば『ばいきんぐ』とやらか? 蝦夷の海に居た頃を思い出す。食い過ぎは毒とも思い知ったがな〉

 

「えぇ。ともかくも、その原因───『芦毛の女神』を、どうか喰らっていただきたいのです」

 

 言った。言ってしまった。

 ケヤキ様の力を借りて、彼女を倒す……少し残酷な気もするけれど、事ここに至って他に選択肢は無い。ハルノと、あの子が生きるこの世界を守りたいなら。

 

〈ほう。あれをか? あ(・)の(・)星(・)ではなく?〉

 

 ───しかし。

 

「え……」

 

〈確かに霊道の乱れは陰の気を呼び、我が贄たる妖(あやかし)どもを湧かすが、それも一時のことに過ぎぬ。本来永き時を巡るべき精気が一息に枯れれば、ここは後の千年、草木も生えぬ不毛の地となろう〉

 

「その原因を取り除くのに、何か不都合が?」

 

〈其方は考えなかったか。そも、『芦毛の女神』とやらが何(・)故(・)目(・)覚(・)め(・)る(・)こ(・)と(・)と(・)な(・)っ(・)た(・)か(・)を〉

 

「───!」

 

 それは……確かに。

 いや。というよりも、私に限ってはその答えを知っているに等しい。

 

「でも……、っ。ハルノ……は……」

 

 三女神様たちは、ハルノのことを『蕃神の端末』と呼んだ。

 あの子が"端末"であるのなら、当然それを操る"本体"がどこかに存在するはずで───。

 

〈太歳(たいさい)、香々背男(かがせお)……否、九頭竜(くずりゅう)の同類か。其方が知る花色の巫女はな、天の彼方よりあの星が遣わした大いなる楔よ。これも当世風に言い換えるなら……うぅむ、まぁすぐには思いつかんが。あぁ、其方らの持つ絡繰り板、『すまほ』だったか? 何ぞ奇異な仕掛けにて、旅する土地への道が知れると聞く。つまりは道標だな。そういうものだ〉

 

「楔……、道標」

 

〈さて、如何としたものか。人の世の移ろいは早い。少し目を離しただけで王の顔も民の顔も挿げ代わりおる。まったく付き合い切れん……が。困ったことに、妖どもを生む陰の気、その源である人の世のうねりについて我も無知では居られぬ〉

 

 文字通りの食い扶持であるからな、と聞こえて、3mを超す長身がぐらぐら揺れた。これ、もしかして笑ってる?

 

〈是政の子よ。其の方らの永きに渡る献身に免じ、ただ一度のみ我が助力を賜ろう。花色の巫女を廃し、この地へ至る楔を壊すか。芦毛の女神を廃し、巫女の無聊を慰め続けるか。あの星が降り立つのを防ぐという目的は同じ───来たるべき日、其方が選べ〉

 

 ざあっ───と、目も開けていられないような突風が吹きつけた。

 夜と月の気配が遠ざかり、慣れ親しんだ人界の光が戻ってくる。

 

 すべてが終わった後、思わず握りしめていた手の中に違和感。

 恐る恐る開いた掌の内側には、紫の飾り紐が施された半透明の玉石が収まっていた。

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

「……あー、もしもしゴルっさん? 今ちょーっち時間いいですかね」

 

〈おー? どうしたトラン、こりゃまた改まって。ゴルシちゃんいまゴライアスハナムグリ探すのに忙しいんだけど〜〉

 

「大丈夫そっすね。なんかヤバそうなんで報告です。『ゴルシカリバー』は健在ですが、シールド(結界)にかかる負荷が予測より上がってきてます。というか、どうもレイライン(龍脈)自体の様子が妙で……」

 

〈マジか。原因は?〉

 

「いやいや、ゴルっさんが知らないならウチにもわかりませんって。んーと……一応、今のペースで負荷が増大し続けると……。年末までに何かしら、ドカンと一発起きそうな気配?」

 

〈年末……そうか、わかった。教えてくれて助かったぜ。アタシもそろそろ、腹ァ括ってかからねぇとな─────〉

 

























◯アイテム「木霊の石」
 ケヤキ様から預かった古い装飾品。不思議な薄紫色の輝きを放っている。
 来たるべき日、ケヤキ様の助けを得るために必要となるようだが……。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。