暑くなったり寒くなったり忙しすぎる……忙しさの次元が違う
「やぁ、ハルノ。お疲れ様」
「……トレーナー」
決着の後、選手控室に戻るまでの道中で、二人は再会した。
今度こそ仕草も声も、ハルノエクリプスの知る舩坂金時トレーナーそのものだ。
「よく頑張ったね。クラシック級の冬でありながら、現役最強にして史上最高とも謳われるシニア級3人に勝ったんだ。これ以上の栄誉は無いだろう。本当に───私は君が誇らしい」
「いえ……。……その、わたし。約束を……力を、使わないと……」
「構わないさ、多少無茶はしたようだけど、それもまだウマ娘としての範疇だろう……と、簡単に言って終わらせるのは無責任だな。今日なら何もかも熱狂の渦に流してしまえるだろうが、それでは君の気持ちの整理がつかない」
ヒト男性の100m短距離走の話にはなるが───
そして、2009年のベルリンオリンピックで更新された最新の世界記録は、ジャマイカのウサイン・ボルトが叩き出した9.58秒。
すなわち、ホモ・サピエンスという種は、
ウマ娘競技界の成長は日進月歩で、種々のレコードが塗り替わる頻度も幅もヒトのそれとは異なる。
しかし、世界記録を一挙に6秒──厳密には5.94秒──も更新するような事態は、少なくともここ数十年の間に起こっていない。
「とりあえず、しばらくは休養に専念しようか。次走はそうだな……、大阪杯まで3ヶ月か……ふむ。取れる冠はすべて、という方針も見直す必要があるかも知れない」
「……、……はい」
「それと、再生の異能はもちろん使用禁止だ。今はゆっくり脚を休めて、遅れた分は後から取り戻していけばいい。なに、春の天皇賞までに十分準備すれば、
正体を悟られてはならぬから───というのは尤もだが、今のハルノエクリプスにとっては、もはやそれだけではないのだろう。
今度こそ、誰にも恥じないように勝ちたい。あの子たちと同じ場所から、正々堂々、真の実力で。
「ところで───ウイニングライブの準備は良いかな。たとえどんな手を使ったとしても、勝ちは勝ちだ。その事実を蔑ろにしてはいけない……君が下した敗者から、
ただ、この瞬間だけは。
「わかるね?」
「───はいっ」
かつては走力に限定した性能トライアルの意義も、勝者が歌って踊る風習の意味も解せなかった彼女が。
それでも、今だけはこの勝利を噛みしめるべきなのだと知っている。
◇ ◆ ◇ ◆
「あ、チーフ! もう、どこ行ってたんですか? 凄かったんですよ最後の、なんかもう言うまでもない感じですけどっ」
「悪い悪い、でも見てたよ。大事な……後輩の、担当の晴れ舞台だからな。まぁ、まさかここまでのモンを見せられるとは思ってなかったけどなぁ……」
「僕らもまだまだ頑張らなきゃですね、チーフ。みんなのことは任せてください。ひとまずは年明けのウインタードリームトロフィー、それからURAファイナルズにアオハル杯だって、来年は『スピカ』黄金期の再来を見せてやりますよ」
「お、こっちの後輩も活きが良くて嬉しいねぇ。こりゃうちのチームは安泰だ、心置きなく
「あら、
「えっ……スズカ先輩、今年の頭にこっち帰ってきたばかりじゃ? というかまだ速くなる気なの……?」
「じゃあ俺も海外行ってみたいなぁ、アメリカとか! さらなるハードボイルドを求めて、俺、世界に旅立つ時───!」
「夢は大きく、ですわね。とはいえ、持って生まれた幸運で私欲を満たすだけが貴顕の生き様ではありませんことよ? そろそろ後進の育成にも目を向けねばなりませんわ」
「おぉ~っ!! あたしにもついに後輩が……! どんな子だろう? 演歌とか好きかな? 商店街のみんなにも紹介しなきゃ!」
「キタちゃん、それはちょっと気が早いんじゃないかなぁ。そもそも、ボクらは誘拐……もとい新人勧誘の方法について、もっと真剣に考えるべきじゃない?」
「ハッハッハ!! よぅしお前ら、このあとライブ終わったらみんなで飯行くぞ! チーム『スピカ』のさらなる発展を願って壮行会だー!!」
「嬉しいですけど先輩、今日の支払いは経費で落ちませんよ……? ───そういえば、あれ? ゴールドシップはどこに……」
◇ ◆ ◇ ◆
以前にハルノエクリプスのために制作された
今日、2着目の勝負服のイメージに合わせて披露されているのは、それとはまったく趣を異にする柔らかで幻想的なメロディのバラードである。
「どーよ。立派なもんだろ、アタシの担当」
立ち見席の手すりに体重を預け、そう独り
声はすぐさま、夕刻の薄闇へと吸い込まれるように消えた。
〈……そうね〉
異界ならざる現世において、彼女───芦毛の女神の言葉は、神秘を知らぬ只人には届かない。
龍脈への接続は途切れ、怪異溢れる地獄の門も閉じた。始祖の三女神の権能は、間もなく本来の持ち主へと還る。
〈綺麗な声。ただありのままに、自分の心を風に乗せて───あの子、あんな風に歌えたんだ〉
「くくっ。そりゃアタシも同感だ、思い返せば練習の時はあそこまで感情乗ってなかったわ」
家族か、恋人か、友人か───はたまた
『流星』の二つ名から連想されたであろう、夜空と光にまつわる単語が多く盛り込まれた歌詞は、奇しくもハルノエクリプスの正体や立場に限りなく近づいていた。
「……にしても、なァ。こっちはエデソもゴルシカリバーも置いてきて、そもそも近頃はまともにトレーニングできる時間も多くなかったってのに。そっちは龍脈からの補給付きで
〈あなたが言い出したことでしょう。悔しかったらわたしみたいに
「あーそーかい。生意気な子孫をたっぷりイジメ倒して、第四の女神様におかれましてはさぞ楽しかったことでしょーね」
〈───……。……、えぇ〉
軽口を叩き合いながらも、一人と一柱は穏やかに微笑んでいた。
それは、同じ道を競い走った者同士の共感のみならず───冬の凍空に響き渡る、この澄んだ歌声によるものでもあっただろう。
〈まったく……よくないわ。神になっても何も変わらない、
「そりゃ良かった。スッテンコロリのテンだ」
〈ねぇ、あなた。直接の被害はあなたたちの活躍で防げたにせよ、わたしが龍脈を荒らして霊力の流れを乱したことには変わりないわ。今後もしばらくは怪異の影響が出ると思う。身勝手なお願いだとは思うけど、後始末をお願いしてもいいかしら〉
「おっと油断ならねぇ〜。わーったわーった、毒を喰らわばテーブルまでな。府中の平和は『スペシャルゴルシちゃん軍団』に任せとけ」
〈そういえば───〉
権能を失った芦毛の女神───否、女神の眷属には、下界の有り様を見通すような神通力は備わっていない。
もとい、これまでもゴールドシップは彼女の目を避けるように立ち回ってきた。芦毛の眷属は、敵の正体すら精査することの無いまま盲目的な戦いを続けていたのだ。
〈あなた、名前は?〉
「あれ、知らなかったっけ? ゴールドシップだ。生憎と直系じゃあないが、
まるで何でもないことのように、ゴールドシップは『その名』を呼んだ。
真の神ほどではないが、それでも十分に信仰を集める眷属の名を。
「ま、アタシ実は元を辿ればやんごとなき一族の出だからさぁ。本当にアンタの子孫かっつったら疑問なんだけどよ〜? でも、やっぱそういう話にしといた方がロマンあるしな〜!」
〈───……、そう。そう、なのね……。……わたし……わたしにも……、ううん。あの子たちだけじゃなくて、きっとみんな同じ〉
強引な権能の行使によって崩壊寸前だった霊格が、名を唱えられたことでわずかに力を取り戻した。
現世に繋ぎ止められた自我で、██████████は記憶する。たとえ神域に還った後、再び意識も曖昧な魂のみの存在に戻ろうと、今日この日の出来事は覚えている。
〈……あぁ、そうだった。わたしにも昔、あなたのような誰かが───〉
〈マズイマズイマズイマズイヤバいですよシップウウウゥゥゥゥゥこれはスタンド攻撃なのだアアアアアアァァァァァァァァァッ!!〉
刹那、ゴールドシップたちの背後、ライブ会場のドアを突っ切って飛来する影があった。
木の枝のように捻じくれ、先端にウマ耳めいた装飾の施された、くすんだ黄金色の短槍───神器エデソ。
「だあぁうるせえェェェェェ!! バカかお前、もしくはアホか!? メチャクチャエモい感じだったじゃねーか今ッ! アタシのえっちゃんの超絶美声聞いてなかったんか!? 後はもう最終回うまぴょいキメて全部めでたしめでたしの流れなんだよ!!」
〈気に障ったなら謝ります、どうもすみませんでした。でも……まだ解決してない喫緊の問題がありますよね?〉
「あ? ンだよそれ、アタシは知らね───」
そして、隣の██████████の表情と、閉鎖空間であるライブ会場ゆえに掻き消されていた
ちょうど演目の切り替わるタイミングに重なったため、エデソの闖入を目の当たりにした会場の空気は一変している。民衆の意識が一斉に外へと向いた。
「何だあれ」
その日、地球の北半球に住まう人々は見ただろう。
宵の帳よりも深く、広く、全天を覆う昏い影を。
〈空が〉
予言の星。
終末の時。
来たるべき、約束の日。
〈空が落ちてくる─────〉
世界が滅亡する。
◇ ◆ ◇ ◆
遠い時と空の彼方の、古い古いおとぎ話。
誰もが知っている恐ろしい神の、誰も知らない始まりの物語。
戦争、飢餓、差別、貧困、災害。
宇宙はありとあらゆる生命、エントロピーに抗う自己複製分子が住まうには過酷すぎた。
その宇宙の歴史に、
憎悪と絶望は際限なく広がり、星々を焼き尽くした灰すら戦火に焚べて。いよいよすべてが虚無へと還ることは避けられぬと悟った時、宇宙に唯一残った理性ある人々は考えた。
誰もが戦いを
破壊の衝動に意味を与えよう。蹂躙の欲望に価値を与えよう。
そのままでは永劫にひとつとなれぬ我々に、大いなる災いに立ち向かうための結束という
そうして生まれた『世界の敵』は、当初の設計理念の通り、七日七晩で宇宙を荒野に変えた。
万物を喰らい、無限に進化成長し、数多の悲劇を創造する
幾千幾億幾那由多の地平を呑み尽くしたそれは、いつしかある種の神性として羽化し、悠遠なる
原初に入力された
◇ ◆ ◇ ◆
ずっと、考えないでいたことがある。
思い出せる限り最初の記憶は、身を焦がす熱さと、骨まで凍てつきそうな寒さ。
わたしは一度経験したことを忘れない。そういう風に作られている。だからこれは、本当にあったことに違いない。
目も耳も鼻も触覚も味覚も機能していない中で、暗闇をもがき回っていたことを覚えている。
未知の惑星の環境下で──許容範囲ではあるが大気中の酸素が濃い──手当たり次第に細胞を撒き散らし、エネルギー源に適する物質を探し求め、数々の宿主を乗り換えた。
そうして、ようやく十分な性能を持つ感覚器が形成されてからしばらく。
「───██████? █████……?」
わたしは、
淡い紅色の髪と小柄な身体───それから、一切の敵意を感じさせない朗らかな声。
別ルートで先に増殖を始めていた分体も居たが、そちらは紆余曲折あって駆逐されてしまった。
しかし、その
この躯体は潜伏活動のため、より広範に収集したDNAを
……わたしはンニャゴッペ星のソバモン評議会から送り込まれたクラスⅣエージェント・█████。
この星には先遣調査の任務でやってきて、だが宇宙航行中の事故で不時着を余儀なくされ、星間スパイの任務のために改造された躯体が機密保持機構を起動させた。
だから、わたしには記憶が無い。それを取り戻すまでは、ンニャゴッペ星に帰れない。
でも。
───失われた記憶なんて、本当にあったのだろうか。
あの透き通った金の水晶のような髪のウマ娘───後で調べたところによるとネオユニヴァースというらしい彼女に会った時、わたしは確かに何かを思い出した。
けれど、それは
個我にして無数、全にして一。あらゆる宇宙のあらゆる時空に偏在する『わたしたち』が、果てしなく広がる繋がりの奥底で共有するはじまりの光景。
ンニャゴッペ星のソバモン評議会に属するクラスⅣエージェント・█████という
いつかのどこかで同胞たちが出会った、あるいは喰らって奪い取った、顔も知らない誰かの記憶なんじゃないか?
◇ ◆ ◇ ◆
────今、天より降り来る『それ』を見て……。
「……あぁ」
帰ってきた。
迎えに来てくれた。
何もかも、懐かしい。
「我が王よ。大いなる意志よ」
天体は分子、銀河は細胞、宇宙は血球。遥か遠き世界の外側、真の異次元に由来する大神性。
その名を呼ばうことすら憚られる───否、この宇宙に存在し得る知的生命体が着想可能な
「始めるのですね」
さりとて、その降臨が意味するところはひとつだ。
『わたしたち』がわたしの認知できる座標に到達した時点で、既にこの宇宙は滅亡している。
どこの何者が考えた仕掛けかは知る由も無いが、地球を丸ごと覆い尽くして本来の時間軸から切り離していた権能は、結果的に
あの
ただ─────。
「───うっひゃあああぁぁぁぁぁぁ!? 何何何何、何だここ!?」
〈おや珍しい、シップの貴重なガチビビリ。無理を押して世界の崩壊から逃がした甲斐がありました〉
「……は?」
〈結論から言うと、この不思議空間もとい世界と世界の狭間に位置する
「なんて?????????????」
そう。
すべてはまだ、終わっていない。
「そこの方」
「あ!? ハルノぉ!? オメー何でここに……あーそうか、もしかして本来アタシらが居る方がおかしいのか? フツーに考えりゃ、当事者はそっちだもんな……。いやまぁ……それはいいけど、でもぉ……」
……ん?
濃灰色のジャケットと、明るいグラデーションのかかったマゼンタのインナーシャツ……あと、額に引っ掛けた丸い
顔は、というか種族すら違うけど、なんだかこの芦毛の
「……、───トレー……ナー……?」
「えっ」
〈いや服でしょ。髪色も変わってませんし〉
「は〜〜〜〜〜!? おまっ、ゴルシちゃん渾身の超変身なんですけど!! 呪いの温泉なんて気色悪いモンに頼ってまで得た新スキルだぞ! 実際マックイーン以外にゃバレてなかっただろ〜!?」
〈前提が有り得なさすぎるから誰も真面目に取り合ってなかっただけで、親戚か何かだろうとは疑われてましたよ?〉
「マジかよトレーナー業2年目にして衝撃の真実ッ!!」
どうもそうらしい。舩坂トレーナーも変身能力の持ち主だったとは、わたしですら把握していなかったが、まぁ元より色々変な人だったしそういうこともあるだろう。
「あー、あー、う〜……あぁもう!! ハルノ、とりあえず何のかんの黙ってたことは謝る! すまん! ってなわけで積もる話は後回しにして───。……、実際どうすりゃいいのコレ?」
積もる話は後で、という方針には同意せざるを得ない。
今こうしている内にも、『わたしたち』はこの世界への干渉を強めつつあった。
多元宇宙の構造はある種の樹木に似ており、異なる過程を辿った時空、可能性の線は、幹から分岐した枝葉めいて無数に並行している。時間や空間は物質の反応と事象の連鎖によって成り立っているもので、どんな宇宙も単一の観測結果だけに収束しない複数の可能性を内包する。
そして、『わたしたち』はこの構造を逸した、
「でも、ここはまだ幹から連なる枝葉の、ほんの端の部分なんです。根元が食い荒らされない限り、傷ついた枝葉も再生できる」
「なるほどな。スケールデカすぎて頭がフットーしそうだが、つまりあの食いしん坊のお星様をどうにかブッ飛ばしちまえば今度こそハッピーエンドってわけだ」
「いえ。現在知られている限りの多元宇宙の構造から脱しているということは、あれは『銀の鍵の門』の外に在り、たとえ『白痴の魔王』が目を覚ましたとしても消滅しないということです。単純な事実として、我々にあれを打倒できる可能性は万に一つも無量大数に一つもありません」
「なんて???」
「まぁ、『魔王』が起きた後に両者が戦えば結果はわかりませんが……そもそも、あれを倒すために全宇宙を消してしまっては本末転倒でしょう」
「よくわからんけど討伐ルートは無しね! ゴルシちゃん覚えた!」
「そして、相手がそういう強度の神だからこそ、通用する手段もある」
神は自らの
全知全能と言えば聞こえはいいが、神が思索するすべての物事が片端から実現していたら、それは始まりも終わりもない無形の混沌となってしまう。秩序立った因果の存在しない世界は、エネルギー、時間、空間、物質、あらゆる概念が発生していないのと同義である。
そもそも、思索とは───
彼らは何の否認も疑惑も誤謬も寄せつけぬ、純然たる真実であり摂理でしかない。
「喰らい、壊し、焼き滅ぼす。あれは戦火と武器、歴史に降り積もる死の灰そのもの。そういう風に作られ、願われて育った神」
だから───
「あれは『奪うもの』です。ただし、すべてを失った相手から奪えるものは存在しない。故にわたしたちに出来るのは、彼らの
そこまで言ったところで。
「お前」
トレーナーの目の色が、変わった。
「───この身は、あれの耳目となるべく生み出された端末」
ふと、唐突に思い出す。
「……ハルノ」
「それと同時に、あなたたちの世界の因子を十分に溜め込んでいる」
「なぁ」
「すべての可能世界を食い尽くされて、宇宙の根源に齧りつかれるより先に、十分な量の因子を与えてやれば」
「待てって」
「あれはそれで満足する。この世界を征服したと思い込む。だから」
「待てっつってんだろ!!」
舩坂金時としての姿を重ねるより先に、彼女とは初めて会った気がしなかった。
そうだ……あれはちょうど1年前、クリスマス会の夜に───。
「……、───っ」
「…………」
試みる。ミークに教えてもらった、笑顔の作り方。
それを見たトレーナーは、より一層顔を
「……。……なぁ、ハルノ。まだ2年目の冬なんだぜ」
「はい」
「アタシさぁ。いっぱい考えてたんだよ。これからも、お前と一緒に走る道」
「はい」
「ここ来る前も言ったけどさ。次走はさ、大阪杯のつもりだったんだ。そうでなくとも、せめて春の天皇賞は取らせてやりてーなって。そっから宝塚、秋天、ジャパンカップと来て、年末は中山にカムバックだ。他にもさ、お前の目と脚がありゃ、ダートでだって結果出せるんじゃねーかとか。香港やドバイ、アメリカにも殴り込んでさ。日本のウマ娘は誰も勝ってない凱旋門賞だって、お前ならやってやれるって……本気で思ってたんだ」
「はい」
「…………、……でも。そうだよな。お前にとっては、最初からそういう『契約』だった。その時が来たら
また頷こうとして、出来なかった。
「アタシには……止める権利も、義理も無ぇ。だいいち、アタシの世界のためにも、そうしなきゃいけないってのはわかってる。けどよ」
ほとんど泣きそうな表情で───けれど、涙を見せてしまったら、それはわたしの望みを揺らがせるかも知れないから。
「───もういいのか?」
そうして引き止められなかったのが、嬉しくもあり、寂しくもある。
あぁ、想像もしていなかった。成り行きで走り始めた道の先で、こんな……未知の情動反応に身を委ねる日が来るなんて。
「はい。お世話になりました、トレーナー」
もうあまり猶予は無い。これで何もかも最後だと思うと、いくら時間があっても足りない。
芦毛の彼女はそれを聞いて、笑おうとしたように見える。実際には目元に涙を浮かべたまま、口角がぷるぷると震えただけだったが。
「じゃあ、行きますね」
「おう」
「いつも通り、見守っていてください」
「……あぁ」
振り返る。
目の前には道なき道。空間ごと飲み込まれて、真っ白に塗り潰された事象の地平面。データ取りのためにダートコースも走った経験はあるが、さすがにこんな奇妙なバ場はお目にかかったことが無い。
「………………。……れ」
片足と片腕を前に。
膝を落とし、ぐぐっと力を入れて。
「走れ……」
目指すゴールは、宇宙の果てだ。
「─────走れ、ハルノ!!」
◇ ◆ ◇ ◆
思わず身を乗り出したゴールドシップを、後ろから手を引いて止める影。
振り向くと、緑のチェック柄の服を着た鹿毛のウマ娘が立っていた。見覚えのない顔なのに、まるで昔からよく知っている親友と会った時のような安心感を覚える。
「シップ。いけません」
「っ、けど!」
「彼女は立派に本懐を遂げました。ついでにもうすぐ、私の仕事も終わります。それで何もかも元通り……帰りましょう、私たちの世界に」
「お前……ッ、なぁ……! そんな言い方……!」
尚も言い募るゴールドシップを、鹿毛のウマ娘はそっと抱きしめた。
こうして触れ合わなければそうとわからない程度だが、その身体は小さく震えている───お互いに。
「私だって、寂しいです。ハルノさんと居る時のシップ、本当に楽しそうでしたから───よく頑張りましたね」
果たしてそれは、何に、誰に向けた労いの言葉だっただろうか。
ついに上ずった声で呻き始めた
「おま……お、ま、え。……何だよぅ……。知ったような口、利きやがってよぅ……! そもそもお前、結局誰なんだよぉ!」
「ははは、よいではないかよいではないか。ゴールドシップがベタなシチュエーションで泣いてはいけないなんてルールもありません、今は存分に私の胸を借りるがよろしい」
「ベタとか言うんじゃねぇよバーカ! バカっ……。つか、な……泣いてなんかねー、っつの……! 担当の、めでてぇ……ぐす、卒業……なんだから、よぉ……!」
世界が救われ、すべてが元に戻るまで、二人はしばしそうしていた。
ちなみに各々のソロ曲のイメージは
・えっちゃん: ryo『ブラック★ロックシューター』/謎のアイドルX〔オルタ〕『私の銀河』
・レウス: Machico『TOMORROW』
・シュガー: LiSA『Brave Freak Out』
・ファル: UNISON SQUARE GARDEN『カオスが極まる』
・パラドサタナエル: ユナ『longing』
・ステラドラコー: 響ミソラ『ハートウェーブ』
・キュウビヌバタマ: 女王蜂『火炎』
って感じです。異論は認める。感想ください。
次回、最終回です。