かわいいですよね、ションボリルドルフ。
ロイヤルビタージュースの売り上げを巡って様々な取り組みが行われるトレセン学園に、苦手な食べ物の味を
効果自体は本物であり使用者からの反響も上々ながら、如何せん
もちろん、事ある毎にロイヤルビタージュースの摂取を強要される、彼女たちの担当トレーナーの犠牲があってこその盛況である。
後年、当時を知る卒業生たちが口を揃えて『あの頃は学園中が狂っていた』と語る『ロイヤルビタージュース事変』。
事態が風雲急を告げたのは、秋川理事長によるキャンペーンの成績優秀者発表を目前に控え、各陣営がラストスパートに入った時期─────。
◇ ◆ ◇ ◆
「はちみー、はちみー、はっちっみー♪ はちみーをーなめーるとー♪」
活発な少年のような童顔に、鹿毛のポニーテールを揺らすウマ娘───トウカイテイオー。
上機嫌に鼻歌を
「あしがー、あしがー、あっしーがー♪ はやくー、な……、?」
廊下の突き当たりに鎮座する、風格あるオーク材の大扉。生徒会執務室。
原則的には関係者以外立ち入り禁止だが、トレセン学園の生徒・職員であれば全員が関係者のようなもので、日中は特に鍵など掛かっていない。
トウカイテイオーが『悩める生徒の直談判』という明らかに嘘の名目で、日常的に執務室へと足を運んでいるのは公然の秘密だった。
「ブライアンさん、何してるの?」
だというのに───何故か今日に限っては、生徒会副会長のナリタブライアンがドアの前で仁王立ちとなり、トウカイテイオーの道行を阻んでいた。
ナリタブライアンは相変わらず鋭い目線で周囲を警戒していたが、近寄ってきたのがトウカイテイオーだと認めると、普段の鉄面皮を取り下げてどうにも曖昧な表情になった。
「あぁ……テイオーか。すまんが、今日はここを通せん。厄介なことが起きていてな」
「ふーん。バルサン焚いてるとかじゃなくて?」
「お前の冗談のセンスが会長に似なくて良かったよ。……しかし、
ナリタブライアンは弾かれたように顔を上げ、正面からトウカイテイオーに視線を合わせた。
ウマ娘は一般的に総じて眉目秀麗であることが知られているが、ナリタブライアンは可愛らしいというよりも気位の高い美人といった風貌で、こうして睨まれるとそれなりに威圧感がある。
「会長もお前のことは気にかけている。お前にならもしかして……。あるいは、
「?」
「話は後だ、とりあえず一緒に来てくれ。……それから、これから見たもののことは、くれぐれも他言しないように。下手をすれば生徒会の威信に傷がつきかねん」
妙に仰々しい物言いだ。
トウカイテイオーは好奇心を刺激されると共に、早くも少し後ろめたい気持ちが湧き上がってきた。
◇ ◆ ◇ ◆
果たして、トウカイテイオーの直感は正しかった。
「───え」
ナリタブライアンが注意深く扉を開けた先。執務室の最奥、トレセン学園に通う全ウマ娘を統べる
当代の生徒会長───トウカイテイオーが揺るぎない親愛と崇敬を向けるターフの王・シンボリルドルフは、しかしそこに坐してはいなかった。
「───……」
「……え? あ、えっ……」
いや。正確には、シンボリルドルフはそこに居た。
辛うじてシンボリルドルフの似姿を取る"何か"が。
「………………」
「……、カイチョー?」
優美な曲線が絡み合い、芸術的なシルエットを作り出す鹿毛の長髪。額にかかる純白の流星。
艶のある深緑のビロードで織られた、最高級品の礼装の如き───否、実際にGⅠレース出走の折に纏う勝負服であるその衣装は、まさに"絶対の皇帝"の玉体を彩るに相応しい威厳に満ちている。
「……。……あっ、テイオー」
だが、全体のフォルムこそシンボリルドルフである"それ"は、どこからどう見ても
見る者の魂を鷲掴みにする絶世の美貌も、情熱と憂いが混在する
人体の黄金比めいた完璧な均整を誇る手足は、ヒトデのそれに似てちょこんとした突起に。尻尾に至っては、異様に太く湾曲したフランスパンっぽい物体に変貌している始末だ。
「やぁ、よく来たし……」
「
「ふふ……奇怪な姿だろう? 何やら口調もおかしくなってしまったし……。だが私自身、どうしてこうなったのかさっぱりわからなくてね……。まさに五里霧中といったところだし……」
あと信じられないくらい落ち込んでいた。この世の終わりのような負のオーラを放射し続けている。
トウカイテイオーは選手生命を左右するほどの故障を複数回に渡って経験し、されど不屈の闘志によって、その度にターフへと舞い戻ってきた壮絶な経歴の持ち主だ。
だが、もし自分が今のシンボリルドルフと同じ状態に陥ったとしたら、今度こそ現役復帰を諦めてしまうかも知れない。
「今朝、目が覚めたらそうなっていたらしくてな。授業を風邪で欠席したと聞いて、珍しいこともあるもんだと皆で話していたら……実態はこの有様というわけだ」
後ろ手にドアを閉めながら、ナリタブライアンがそう補足した。
「えっと───こういう時、
「あぁ。いくつかの校則違反の黙認と引き換えで、
「ズブズブじゃん。仮にも全寮制の女子校でそんな司法取引みたいなのすることある? ……いやまぁ、それは一旦置いとくけど。そっか……本当にわからないんだ」
シンボリルドルフの現状を差し引いてもトレセン学園生徒会への信頼を失いつつあるトウカイテイオーだったが、ともかく敬愛する偉大な先達の危機ではあった。
こんな出来損ないのタヌキみたいな状態の彼女は、あまり長いこと見ていたいものではない。
「面目ないし……。私が表立って動ければ話は早いんだが、こんな姿では珍獣として保健所送りにされるのが関の山だし……。しょんぼり。……ションボリルドルフ」
「ちょっと可愛かったけど二度と言わないでねそれ」
ションボリルドルフはガックリルドルフにグレードアップした。
「……そうだ、テイオー。君は確か……以前、ライスシャワーが抱えていた葛藤を解消してくれたことがあったね。君の生来の明るさ、余人を惹きつける類稀な魅力は私も買ってるし……」
「え〜? へへっ……そんな、ボクは大したことしてないよ」
「だが、我々に無い人脈を持っているのは間違いないし。今回もまた、君さえ良ければ調査に協力して欲しいのだが───どうだろうか?」
トウカイテイオーにとっては、願ってもない申し出だった。
正義の味方という柄でもないが、
シンボリルドルフのことはもちろん助けてあげたいし、自分の背を追う後輩にもカッコ悪いところは見せられない。
「わかった、ボクに任せて。カイチョーの身体を元に戻す方法、きっと見つけて来てあげるから!」
シンボリルドルフ(?)とナリタブライアンに見送られ、トウカイテイオーは駆け出した。
『一定以上の速度で廊下を走った瞬間、その生徒の下に駆けつけてバクシン的指導を行う』というほとんど魔法のような能力と習性を持つサクラバクシンオーが出現しなかったのが引っかかったが、今はそんな
─────シンボリルドルフの身に起こった悲劇が、しかしこれから始まる大事件の序章に過ぎないことを、トウカイテイオーはまだ知らなかった。