魔界。
地球の30倍の重力が働き、地球とは異なる大気に包まれた、人間にとっては過酷な世界。
その魔界でもっとも巨大な大陸。その中心部にある王都では、混乱が起きていた。
「宰相が、オーグ宰相が、何者かに暗殺されましたっ!」
「なんだとっ!?」
王城内の一室で、慌てた様子で駆け込んできた部下――カルロ・マーシャルの報告を聞き、驚きの声を上げるのは、魔界を統治する種族“魔族”の特徴である無機物のような白い肌に銀髪で銀色の瞳に尖った耳を持つ長身の人間のような男。
彼の名は、アーカイム・バルク・オードリー。
宮廷騎士団の団長を務めている男だ。
「メンフィス伯爵、ディンギルム王、カシバル公爵に続き、オーグ宰相まで……警備の状況はどうだったのだ? いや、その前にオーグ宰相はどのように殺された?」
「はっ! 今朝、メイドが宰相を起こしに行った際、起きる気配がなく。脈を測ると、死んでいたらしいです。外傷はなく、毒の類かと思われます」
「また毒殺か……」
カルロの報告を聞き、アーカイムは唸った。
“黎明の魔女”の脱走を発端に魔界の中枢的存在の貴族たちが次々に何者かに暗殺されている。
一人目はロベルト・バルク・メンフィス伯爵。20年前の蛮族による侵攻の折、自ら囚えた“黎明の魔女”を管理していた。魔族屈指の策士にして、王の仇をとった英雄。
こちらは、犯人はわかっている。
囚われていた“黎明の魔女”が、何らかの方法で地下牢を脱して、メンフィス伯爵を含め護衛騎士達を皆殺しにしたのだ。
そして、二人目は魔族の王――ディンギルム・カイゼル・シューブリード。
20年前の“黎明の魔女”に先代王が殺害され、その後を引き継ぎ、“黎明の魔女”率いる蛮族達の手によって破壊された街の復興に尽力した名君。
こちらも、犯人は“黎明の魔女”だ。
メンフィス伯爵を殺した後、“黎明の魔女”はその足で王城を襲撃し、王を殺害した。
だが、三人目、魔界の四方守護者たる四大公爵、その一角であるタルメア・バルク・カシバル公爵を暗殺したのは、おそらく別人だろうと、アーカイムは考えている。
明らかにやり方が違うのだ。
“黎明の魔女”の場合は正面から攻め入り、向かってくるすべてを殺しながら、メンフィス伯爵やディンギルム王の元へと向かっていったことは、保存された現場の状況と生き残りの使用人の証言から分かっている。
だが、カシバル公爵と今回のオーグ宰相は夕食に毒を盛られ、就寝中に毒死している。
“黎明の魔女”ならそんなことはしないはずだ、と、アーカイムは思った。
そんな回りくどいことをしなくても、真正面から襲撃したほうが早いからだ。
「毒の成分は?」
「オーグ宰相に盛られた毒は、現在、錬金術師達に調べてもらっています。カシバル公爵の方の結果はこちらに」
部下の男が懐から取り出した封筒を受け取り、封を切るアーカイム。
取り出した報告書に記された文を読んで、眉を顰めた。
「アンラクタケだと……?」
アーカイムの呟きに報告書の内容を知らないカルロは驚いた。
アンラクタケとは、魔界に群生するキノコの一種だ。
その毒の効果は、一切の苦痛、違和感を感じさせることなく命を奪うものであり、不治の病に侵された者への救済処置に使われるものだ。
「そんな馬鹿な……あんな物、たとえキノコに詳しくないものでも食べようと思いませんよ」
部下の言葉にアーカイムが頷いて、同意した。
アンラクタケは一目見るだけで毒持ちとわかるほどに毒々しい見た目をしている。
濃いめの紫色に赤いブツブツのあるカサ、軸は太めで表面はツルツルしている。
臭いも思わず鼻をつまむほどに酷く、味も口に入れてすぐ吐き出すほどにまずい。
こうもわかりやすい毒物をどうやって食べさせるというのか。
「公爵家や宰相家の料理長が間違えて調理するなんてことはありえないが……となると、何者かが料理に混入させたと見るべきか」
「ですが、アンラクタケの致死量は一欠片どころではありません。通常のサイズであれば一本丸ごとです。場合によってはそれ以上に必要でしょう。……そんな大量に料理に混ぜてバレないものでしょうか。なにかに偽装しない限り、不可能だと思われますが」
部下の言葉を聞いた瞬間、ハッとなって部下の顔を見たあと、顎に手をやって呟いた。
「……いや、待て。偽装……まさか」
「なにか心当たりでも?」
怪訝そうな表情で部下が問いかけた。
アーカイムは首を横に振って答えた。
「いや、勘違いだ……すまない。とにかく、急いで屋敷中を調べろ。下手人の証拠が残っているかもしれん」
「すでに現場の保存は完了させ、調べています。なにか分かればすぐに連絡が来ることでしょう」
「……仕事が早いな。助かるよ」
自分にはもったいない程に優秀な部下だと、アーカイムは思った。
その時だ。
扉の向こうの廊下を慌ただしく走る音が聞こえたと思えば、ノックもなしに一人の男が部屋に入ってきた。
駆け込んできたのは、カルロと同じくアーカイムの部下だ。
「ご、ご報告申し上げますっ! ディーンバルド王子が何者かに暗殺されましたっ!」
部下の報告を受け、二人は目を見開いた。
ディーンバルド王子――ディーンバルド・カイゼル・シューブリードはディンギルム王の第一子。つまりは第一王子である。
文武両道を掲げて、政治力、戦闘力共に優秀であり、次代の王に相応しいと誰もが認めた。
「なんということだ……っ、まさかディーンバルド様までもがっ!」
アーカイムも彼を支持している者の一人だった。
彼が王になるのを待ち望んでいたアーカイムにとって、ディーンバルドの
座ったまま頭を抱え、アーカイムは口を開いた。
「……死因は、毒か?」
「はっ! まだ検査の結果は出ていませんが、おそらくカシバル公爵やオーグ宰相と同じものかと」
部下の言葉を聞き、アーカイムは考える。
これ以上、政治の重要人物を暗殺されるのは、なんとしてでも防がなければならない。
「……捜査の人員を増やせ、一度調べた場所も調べなおして関係者への聞き取りも、もう一度行え――俺は少し外す」
「どちらへ?」
「相談役のところだよ」
アーカイムをそう言って部屋を出た。
その背中をカルロ達は首を傾げて見送った。
◆
王城内のとある一室。
入り口に護衛騎士が2名、警備に就いている部屋にアーカイムは足を運んでいた。
「すまない、ディルハム様と話がしたい。入れるだろうか?」
二人の護衛騎士は顔を見合わせた。
今、彼らの主――ディルハム・カイゼル・シューブリードは来客と話をしている。
そのため、護衛騎士は首を横に振ろうとするも、扉の向こうから「いいよ」と声がした。
「……身体検査をします」
「ああ」
アーカイムの体に触れ、暗器類がないのを確認すると、彼らは入室を許した。
「失礼します。アーカイム・バルク・オードリーです」
アーカイムが部屋に入ると、短い銀髪をした13歳ほどの少年――ディルハムがソファに座って、紅茶を飲んでいた。
その隣には、腰まで届く銀色のややウェーブかかった髪をして、ディルハムと同じぐらいの年頃の少女が座っている。
少女はアーカイムと目が合うと困ったような顔で会釈をした。
「やぁ、アーカイム。前も言ったけど、僕に対してはそんなに畏まることはないんだよ」
「そういうわけにはいきません。――それよりも、シェリル様とお話の最中だったのでしょう。そう言ってくだされば、日を改めましたのに」
「構わないさ。茶を飲みながら世間話をしていただけだからね、それも飽きてきたところだったから――君が来てくれてちょうど良かったよ」
そう言って紅茶を一口飲むディルハム。
その隣でシュンと落ちこんだふうに肩を落とすシェリル。
それを見て、アーカイムはこめかみを指で押さえた。
――ディルハム様、あなたという人は……。
シェリル・バルク・ペンドラゴンはディルハムの婚約者である。
そのため、花嫁修業など婚約者として恥じない令嬢であるために日々、努力している。そして、そんな忙しい時間の合間にディルハムの元に訪れてはディルハムと世間話をしている。
シェリルとしては、少しでも長くディルハムと一緒に居たいからだ。
身分抜きで心の底からディルハムのことが好きで、愛しているからである。
ディルハム的には悪気はないのだろうが、もう少し彼女に興味を持ってほしいと、アーカイムを始めとした、シェリルのことを応援している者たちはそう願っている。
「座りなよ」と着席を促され、アーカイムはディルハムの対面に座った。
「それで? アーカイム、今日はどんな要件で来たのかな? と言っても、あらかた予想はつくけどね――暗殺の件だろう?」
アーカイムは驚いた。
「……相変わらずディルハム様の勘の良さには驚かされるばかりです。心を読まれたかと思いました」
「いや、そんなに驚くことでもないよ。いま、アーカイムが僕のところに来るとしたら、それしかないからね」
「なるほど……」とアーカイムは呟き、こういうことは鋭いのになぜシェリル嬢の事は鈍いのだろうか、と、心の内で思った。
「アーカイムが相談したいのは、誰が暗殺したのかだろう?」
「……はい。全力をあげ捜査をしていますが、恥ずかしながら成果を挙げられていません。――そして、今日新たに二人……オーグ宰相とディーンバルド様までもが殺害されました。これ以上、被害者を出すわけにはいきません。どうかお力を――“真実の眼”を持つディルハム様のお力をお借りしたく参りました」
魔族の王家に名を連ねるものは、皆、特殊能力を有して生まれてくる。
“真実の眼”とは、第三王子であるディルハムの持つ特殊能力であり、見た場所の過去の風景を見ることができる。
アーカイムはその能力で夕食にアンラクタケを混入させた者を探ろうと思いディルハムに協力を願い出たのだ。
「いいよ、力を貸すよ。我が兄上の仇だからね――ただ、アーカイム。僕の能力でわかるのは実行犯だけだ、主犯はわからないよ」
「それは、実行犯を尋問し、聞き出すつもりです」
「いや、僕が主犯なら、実行犯はすぐに始末するよ。アーカイムがやろうとしているみたいに捕まって白状するかもしれないからね――それより、シェリルは気づかないかい?」
「えっ? ……えっ!? な、何をですか!?」
突然、話を振られ驚くシェリル。
そんなシェリルを見て、クスッと笑うとディルハムは言った。
「殺された3人の共通点さ。なにか気づくところはないかい?」
「え……共通点、ですか?」
シェリルは考える。
3人の共通点とはなんだろうか?
「ヒントをあげよう。以前、次の王を誰にするかの話し合いで3人は同じ意見を言っていただろう?」
「同じ意見……あっ、そういえば皆様、ディズリス様が王になることに強く反対されていました」
「その通りだ、シェリル。よくできたね」
ディルハムに褒められ、頬を赤くするシェリル。
「まさかディズリス様が主犯だと、ディルハム様はお思いなのですか?」
「完全な憶測だけどね。ただディズリス兄様が主犯だと考えると色々と噛み合うだろう?」
そう言われるとアーカイムも得心がいくところがあった。
第二王子――ディズリス・カイゼル・シューブリード。
その性格は、傲慢かつ強欲であり、下級の貴族や民草に圧力をかけ、ほしいと思ったものは、なんとしてでも手に入れようとするきらいがある。
もし彼が王になれば、民に圧政を敷いて暴政を働くのは目に見えている。
それを阻止するため、毒殺された3人に加えディンギルム王は、ディズリスを王候補から外すことを宣言するつもりでいた。
ディズリスからすれば邪魔な存在であり、そして彼の性格を考えれば、排除するために暗殺を企てるのはじゅうぶん考えられた。
「すぐにディズリス様のところに向かいます。白状薬を使ってでも、事情を聞かせてもらいます」
「そうかい。役に立ったようで良かったよ」
「ご協力ありがとうございました」と、頭を下げ礼を言うとアーカイムは部屋をあとにした。
「まぁ、今頃はもうディズリス兄様も殺されているかもしれないけど」
「えっ、どういうことですか?」
「ディズリス兄様が王になるのを強く反対していた派閥の中心人物は今回殺されたディーンバルド兄様たちと父上だ。その四人さえ殺してしまえば、あとはディズリス兄様に肯定的な派閥のゴリ押しでなんとかなるだろう。となれば、件の実行犯は用済みだ」
ディルハムは紅茶を一口飲み、言葉を続ける。
「そして、ディズリス兄様の都合上、実行犯の始末は自分の手でするだろう。“兄や宰相達の敵をとった”という功績欲しさにね」
「でも……なぜそれで、ディズリス様が殺されるのですか?」
「どうやったかは知らないけど、実行犯の人物は、誰にも気づかれることなく毒物を料理に混入できる手練だ。そんな相手にディズリス兄様が勝てるはずないさ――さて」
ディルハムは隣に座るシェリルに目を向ける。
目があったシェリルは、心臓がドキリとはねた。
「世間話の続きをしようかシェリル。えーと、確か
「……そんなお話してません」
全然聞いてくれてないことにシェリルはとても悲しくなった。
「あー……ごめんね。じゃあもう一回、話してもらえるかな? 今度はちゃんと聞くから」
「……わかりました」
しかし、それでも聞こうとしてくれることには少し嬉しくなったシェリルだった。
◆
一方その頃、王都を一望できる崖の上に青いドレス風な衣装に見を包んだ銀髪の
「……いつ見ても禍々しい色の月だこと」
鉄扇で口元を隠しながら、夜空に妖しく輝く赤い月を見て少女はうんざりしたように呟いた。
魔界には太陽がない。
赤い月と碧い月が交互に入れ替わるのだ。
魔界の住民は赤い月の出ている時を昼と呼び、碧い月が出ている時を夜と呼んでいる。
「
「見つけたぞっ! 暗殺者めっ!」
ホームシックに似た感情を抱いていると、後ろから髪をオールバックに整えた魔族の男が少女に怒鳴った。
その男に対し、少女は振り返ることなく、月を見ながら答える。
「遅いじゃありませんか、ディズリス。そちらから誘っておいて女性を待たせるのは、よくありませんよ」
「ふんっ! なんのことだ、暗殺者――いや、我が魔族に仇なす“蛮族”の生き残りよ。お前の命運もここまでだっ!」
ディズリスが腰に帯びた剣を抜いた音を少女は聞いた。
先程の問答と剣を抜いた音で少女は察した。
「――なるほど、私はもう用済みですか。ひどい人ですね」
少女はようやく振り向いてディズリスを見た。
相変わらずニヤニヤと下衆な笑みを浮かべている。
その隣には、魔族の女が立っていた。
「その方は?」
「婚約者のカタリアだ。俺が貴様を倒したという証明のための立会人として連れてきた」
「……そうですか」
少女はカタリアをじっと見たあと、口元を隠していた鉄扇を閉じた。
そして、閉じた鉄扇を振るえば、少し反りのある細身片刃の片手剣に変化した。
「ふんっ、無駄なことを……大人しくしていれば、楽に殺してやるというのに」
ディズリスは嘲笑を混じえて、そう言った。
「はぁ……なら、早く来てください。私も、もう
「はっ! ――ならば、お望み通り。一瞬で決着をつけてやるっ!」
ディズリスは地面を砕くほどの脚力で、少女との間合いを詰めた。
首を狙って振るわれた剣を少女は間一髪で避ける。
「はははっ! どうした? その手に持っている剣は飾りかっ!?」
ディズリスの剣速が上がり、攻撃の激しさが増していく。
少女の頬に汗が流れる。
ディズリスの剣を辛うじて躱し、凌いでいたが――ついに、
「――ぎゃあああっ!」
ディズリスの剣が少女の体を左肩から右脇腹まで、切り裂き、少女とは思えない醜い断末魔が響いた。
「くっはははっ! 見たか、カタリア! 兄上たちの仇を取ったぞ!」
少女の死体を踏みつけ、歓喜するディズリス。
「残念。それは貴方の婚約者のカタリアさんですよ」
「は――なっ!?」
ディズリスの背後から殺されたはずの少女がそう言うと彼が踏みつけている死体が、水銀のような血を流して事切れたカタリアに変わる。
「カタリ――がは……っ!?」
ディズリスの胸から細身片刃の刀身が生える。
少女が後ろからディズリスの心臓を刺したのだ。
「な……なぜ……っ」
「私は詐術を本領とする
そう言って少女は、捻りながら剣を引き抜いた。
ディズリスの体がカタリアと重なるように倒れる。
「しかし、あなたも勿体ないことをしましたね。私と手を組むことを願い出なくても、暗殺はしましたよ。つまり、何もしなくてもあなたは王になれましたのに……――聞こえてませんか」
ディズリスはすでに死んでいた。
少女はその死体を見下ろして「どうせ死ぬのなら、もっと無様に死んでくれないと面白くないじゃないですか」と、つまらなさそうに言った。
剣を振って、血を払い――鉄扇に変化させる。
「さて――最後の仕事を終わらせましょう」
少女は魔力を広範囲に拡散させた。
その魔力に反応して、王都各所に仕掛けた爆弾が起爆する。
爆発音が連続で鳴り響き、至る所で黒煙と火事が起こる。
王都だけでなく、地平線の向こうからも遠雷のように爆発音が聞こえる。
それを聞いて少女はホッと息を吐く。
彼女は、王都を四方から囲うように存在する主要4大都市にも、同じ爆弾を仕掛けていたのだ。
「これで、しばらくは侵攻することはできないでしょう」
魔族たちは一部を除いて民草を蔑ろにすることはない。
自国内で、災害でも起これば、そちらの復興作業と民草への援助を優先するだろう。
異界への侵攻をする余裕などないはずだ。
「ようやく帰れますね。懐かしき、地球へ」
少女は手のひらサイズの円形の物体を取り出した。
ボタンを押して起動させ、目の前に放る。
すると、それは8つに分離して枠となり、空中に人一人が通れるほどの長方形の穴を作り出した。
少女がその穴の中に足を踏み入れると、穴が閉じて、消え去った。
その後、後を追ってきたアーカイム達によって、ディズリスとカタリアの死体が発見された。
少女の破壊工作により、各都市機能が麻痺した魔界の国は、王不在のまま復興活動を余儀なくされ、侵攻作戦が一時的に完全停止することとなった。