少し時間を巻き戻す。
ライヒメが窓を割って飛び出した後、状況の把握に集中していた異形は、中央棟の屋上に何者かの気配を感じた。
人ではない、魔界側の存在でもない。
むしろ、生き物であるかどうかすら曖昧な存在感。
今までに感じたことのないソレに警戒心を抱いた異形は、『縮地』を使って、屋上へ跳んだ。
「おっと、気づかれてしまいましたか」
落下防止用のフェンス、その側に立っていたのは、白いスーツを着た男。
黒髪の短髪で髭もなく、スーツの白さも相まって、清潔さを感じさせる。
目が見える者には、第一印象は良いものに見えるだろう。
しかし、目が見えない異形は違った。
「お前……人じゃないな?」
好印象を抱かせるガワの隠された異様な気配。
それに異形は気づいていた。
「ええ、そのとおりです。私は人ではありません――人に限りなく近い
貼り付けたような微笑を浮かべ、白いスーツの男は言った。
「限りなく近い? どういう意味だ?」
「クローンや、ホムンクルス……といった人工生命だという意味です――しかし、悲しいですね」
「なにがだ?」
片眉を上げ、異形は問い返す。
「私達と近しい存在のあなたに邪険にされていることにです。似た者同士――仲良くできませんか?」
人の良さそうな笑みを浮かべて、そう言った男。
しかし、異形は突き放すように言った。
「仲良くしたいなら、まず自分のことを名乗れ」
「おっと、失礼しました。……自己紹介をしたいのですが、私にはあなた方のような個体別の名称はありません。なので、ここでは“D”と名乗らせてもらいましょう」
以後お見知りおきを、と、Dは文句の付け所のない完璧な所作でお辞儀をした。
「“D”……お前の、いやお前たちは何者だ」
「私達は“財団”。あなたの友人が“異人類”と呼ぶ者たちと同じ世界に存在する秘密結社です」
「秘密結社? そんなのが、なんでこんなところにいる?」
「それはお答えしかねます。秘密結社ですので」
「そうかい……じゃあ、力づくで聞かせてもらうとしよう」
腕に巻き付けた鎖を
「お待ちを……暴力はいけません。それに、私にあなたと争う意志はありません」
片手を前に出して、Dは制止しようとする。
構わず異形は言った。
「知らんな。お前があの評議会の連中と同じ世界の出身という時点で平和的に交渉するつもりはない」
「……機関長を務めている方よりは、あなたは理性的な方だと思ったのですが」
「理性的だろう? ――凛ちゃんだったら、首をハネてる」
“狂犬”土方凛、もとい魔法少女エスパーダの逸話をDは知っている。
だから「それもそうですね」と、返した。
「――では、こうしましょう」
スーツの懐に手を入れ、黒い金属製の球体を上方に投げた。
瞬間、青白い光とともに空間に電流が走った。
「っ……これは」
フラついて異形は足を止めた。
体が重く感じ、気怠くなる。
異形はこの感覚に憶えがあった。
「懐かしいな……初めてコレを嵌められた時、以来だ」
そう言って腕に嵌められた鉄枷を指で触る異形。
「ええ、そうです。この『パルスデバイス』は、あなたに使われている拘束具と同じくナノマシンの動きを阻害する効果があります――ですが、おかしいですね。思ったよりも効果が薄い……このデバイス、あなたの拘束具よりも性能が高いはずなのですが」
「長い間、
鎖を引きずり、少し猫背になりながらゆっくり足を進める。
「あまり無理をなさらないほうがいいですよ。お辛そうに見えますが……」
「心配しなくていい……お前、一人を殺すには十分だ」
「それはそれは……。――ずいぶんと過小評価されているようですね」
刹那、Dは間合いをつめ、腰を落とした。
そして、異形が反応するよりも先に――心臓のある箇所に拳が打ち込まれた。
衝撃が体を走り抜け、異形の体がくの字に曲がる。
「油断大敵、ですよ」
「……油断?」
異形はDの腕を掴んだ。
Dが引こうとしても、動かない。
「そうだな、したつもりはなかったが……していたようだ」
さらに力を込め、Dの腕を掴む。
それだけではない、異形の体温が異常に上昇し始めたのだ。
「だから――
「――っ!」
Dは力任せに異形の腕を振り払い、距離を取った。
同時に異形の体から熱波と蒸気が吹き出して、異形の姿が見えなくなる。
「さぁ、やろうか……!」
蒸気がはれると、異形の姿はより異様なものに変わっていた。
目を覆う包帯、黒いボロボロのワンピースと鉄枷はそのまま。
だが、骨格は変形し、全身が黒い体毛に覆われている。
変身前の少女の面影は残っていない、強いて言えば毛髪ぐらいだろう。
さながら2足脚で立つ獣。
「これは……驚きましたね。まさか自分の意志で獣性を高められるとは……」
獣性。
文字通り獣の性質。
メンフィス伯爵の手により、獣性を注入された異形は、獣性と元々持っている人間性の比率を変えることで形態変化を可能にしている。
「獣性……? なんで、それを知ってる?」
異形は疑問に思った。
獣性とは、メンフィス伯爵家が長い年月をかけて研究し、確立した概念であるからだ。
獣性という概念を理解できているのは、伯爵自身と彼を師事している者たち、そして異形だけのはず――なぜ、Dが知っているのか異形には不可解だった。
「おっと、口が滑りました」
Dは手で口を覆った。
その露骨な反応に異形はメンフィス伯爵との何ならかの繋がりを確信した。
「あの変態と……知り合いなのか?」
異形がそう尋ねると、Dは観念したように言った。
「……ええ、私達はメンフィス伯爵と秘密裏に関わっていました。彼の一族が確立したメンフィス学――その生物改造技術をどうしても手に入れたかったものですから」
メンフィス学。
初代メンフィス伯爵から続けられている生物改造法の探究。
他の生物の性質を取り込むことで、種の進化を促すことを目的とした由緒ある学問だ。
「どうやって、あの変態と手を組んだ。あいつは、あの技術が外部に流出しないように、かなり気を配っていたはずだ」
「もちろん、相応の対価を支払いました。あなたが付けている拘束具、人間の身体構造のデータ、こちらが保有していたあなたの2年間の戦闘データ……それらを提供し、ようやく協力関係を結べました」
「……妙にこの鉄枷のことに詳しいなと思えば、お前たちが用意したものだったのか……っ!」
異形は奥歯を噛み締めて、怒りに肩を震わせる。
――これのせいで、私は、私は……!
「お気持ちはわかります。ですが、どうか抑えてください――」
「ふざけるな! どの口が言ってる!」
腰を落として、前屈みになり――倒れ込むような姿勢でDに接近する。
そして、Dの手前で反転し、尻尾を横薙ぎに振るった。
「ぐ……っ」
筋肉の詰まった尻尾は見た目よりも重い。
Dは尻尾を左腕でガードしたが衝撃で折れ、その場に踏ん張りきれずにフェンスを突き破って落下する。
後を追うように異形が飛び降り、パルスデバイスによって行動不能にされたライヒメ達の前に着地した。
Dの状態を感じ取った異形は、舌打ちをして言った。
「ずいぶん頑丈だな……本気で叩き落して、その程度か。……まぁ、すぐにやられても困るがな――この形態で試したいことはたくさんある」
「お待ちください。どうか、こちらの話を聞いてください」
「命乞いか? ……バカを言うなよ、私にはお前を生かす理由はない」
「ええ、そうでしょう。ですが、あなた以外はどうでしょう?」
Dは無力化されたライヒメ達に目を向ける。
パルスデバイスの影響で動けず、異形とDを見ることしかできない。
「いくら、あなた方の戦闘力が優れていても、道具一つでこの有様です……ですが、私達はこれの対処法を知っています――取引をしませんか?」
「なに?」
「あなたが各地の都市エリアを巡り、魔法少女の戦力強化を図ろうとしていることは知っています。ですが、そんな原始的な方法では間に合いませんよ」
「どういう意味だ」
Dは少し考えたあと、話し始める。
「これは、あなたに対する謝罪としてお伝えする情報です。そのかわりに、どうか私達を許してはいただけませんか?」
癪に障る話し方で、一方的に言ってきたDに対し、また怒りが噴出しそうになった異形だが、堪えて頷いた。
「ああ、わかったから早く言え」
「ご理解ありがとうございます。では、単刀直入に申し上げますが、あなたの卵子を利用したメンフィス学派の研究が完成しつつ、あります」
「!?」
異形は驚愕した。
それはありえないことだったからだ。
「あの研究は頓挫したはずじゃ!」
「ああ、あなたにはそう伝えられていたのですね。残念ながら研究は続けられていたのですよ」
異形――もとい“最初の魔法少女”が捕らえられた直後、メンフィス伯爵は“最初の魔法少女”の体からサンプルの一つとして、卵子を回収した。
その卵子に魔界の原生生物の遺伝子を組み込ませることで、最強の魔法少女と原生生物のハイブリッドを作り出せるか、という研究が行われたのだ。
しかし、成功することなく、予算も少なかったためにメンフィス伯爵は研究を中止した。――なお、メンフィス伯爵はその研究にはあまり興味がなく、ほとんど学徒達に任せていたため、少しも残念には思わなかった。あくまで伯爵の興味は“最初の魔法少女”の体だったのだ――そこまでは異形も聞いていた。
だが、学徒達はその研究に熱中しており、伯爵の研究を手伝いながら自腹を切って、研究を続けた。
そして、その研究は成功し、魔法少女と原生生物のハイブリッドが完成に近い段階あるのだ。
「私達はその完成品を確認していませんが、おそらくかなりの戦闘能力を有した生物兵器であることは明らかでしょう」
「……」
「さて、果たして今の魔法少女達に生物兵器を倒せるでしょうか。私の予想では、あなたと肩を並べて戦った“最初の世代”以外の魔法少女は死ぬだろうと思いますが――あなたはどう思いますか?」
「……」
異形は何も答えない。
Dの予想と自分の予想が一緒だったからだ。
「……どうやらあなたの考えも私と変わらないご様子――どうでしょう、そちらにとっても悪い話ではないと思いますが?」
「……一つ聞きたい。なぜ、こちらに協力を持ちかける?」
「あなた方の敵である異人類は、私達にとっても敵です。――敵の敵は味方、というわけです」
因果関係は不明だが、財団と異人類の政府は敵対している。
どこまで、信じていいのか異形には分からなかったが、Dのもたらした情報が正しければ、協力関係を結ぶしかない。
「わかった……そっちの要求を受け入れる。だが、私にはなんの権限もない――機関長には、自分たちで交渉しろ」
「ええ、そのつもりです。では、さようなら」
Dは景色に溶け込むように姿を消した。
異形はため息を吐いた。事態が思いの外、悪くなってきていることに頭が痛くなりそうだった。
「先輩っ!」
突然、ライヒメが叫んだ。
なんだ? と、ライヒメに意識を向けた瞬間に一発の火球が異形の肩に直撃した。
「なにがなんだがわからんが……“首輪付きの獣”よ! 我が正義の前に滅するがいい!」
蚊帳の外だった新人類真理教のメンバー達が、異形に向け、次々に火球を放つ。
爆煙で異形の姿が見えなくなり、メンバー達は攻撃を止める。その時、一人の若者が呟いた「やったか?」と、
「あ……っ!」
その瞬間、呟いた若者に異形が襲いかかった。
鋭い爪で喉元を切り裂き、血飛沫が空中を舞う。
続いて隣にいた若者に接近し、腕に隠された透き通るほど透明なカッター器官で胴体を両断した。
「この……っ!」
別の若者が火球を放つが、異形は避けることもせずに直撃しながら接近――こちらも両断する。
次々に新人類真理教のメンバー達を虐殺していく異形。すると、異形の腹からきゅ~と、音が鳴った。
この形態は、エネルギーの消費が激しいため、すぐに空腹になるのだ。
異形は尻尾を一人の若者に伸ばした。
毛に隠れて見えない尻尾の先端の穴からストロー状の針を出して突き刺し、アメーバ状の消化器官を体内に注入する。
若者の体内を消化器官が満たし、
針の中へ消化器官を収納すると、空っぽになった若者の体が倒れる。
倒れた若者の体は、皮だけになって敷物のようになっていた。
「ひ……っ!」
その光景を目にした若者が恐怖に負けて背を向けた。
背中を向けた獲物をみすみす見逃す異形ではない。
すぐに追いつき――頭を掴んで、顔面から叩きつけるように押し倒した。
頭蓋骨が割れ、赤い液溜まりが広がる。
「あ、あ……」
「なんだよ……こいつ」
わずか20秒足らずでメンバーが壊滅した事実に、残されたメンバーは震える。
その恐怖も長くは続かなかった。
「あ――」
「やめ――」
「く、くそ……っ!」
パーカーの男が逃げ出す。
異形は逃がすまいと、男に飛びかかろうとする。
「……先輩っ、そいつがリーダーやっ!」
「なるほど……了解」
ライヒメの言葉を聞き、異形は察した。
要は殺さずに情報を引き出せということなのだ。
異形は逃げる男の背中を追いかけ――うつ伏せに押し倒して、馬乗りになる。
「お前たちはどこから来た? 仲間はどこだ?」
「誰が、言うものか……っ。死んでも、同志は売らんっ!」
パーカーの男には投降する気は一切なかった。
それどころか、舌を噛みちぎろうとした。
間一髪、異形が口に指を入れて阻止した。
「仕方ない……」
異形は嫌そうに顔を歪めた。
この体の――あまり使いたくない機能を使用するためだ。
異形は尻尾を伸ばして、自分と男を包み込み、周りから隠した。
これからすることを見られたくないからだ。
異形は
出てきたナメクジは男の背を這いずって、顔までたどり着くと男の鼻に入っていく。
「うーっ! うーっ!」
鼻に異物が入ってきた男はうめき声をあげた。
構わずナメクジは奥まで進んで行き、鼻の神経系を通って脳に入り、侵し始める。
「あっ、あっ、あっ……」
痙攣しながら白目をむく男。
異形は男の耳元に顔を近づけて囁いた。
「君はどこから来たの?」
「し、四国きょ、居住区……」
「仲間はどこかな?」
「だ、第六、そ、倉庫、区画……」
「……他になにか言うことはない?」
「け、けひ、ひひ、キヒイィィィィッ!」
激しく痙攣させ、目玉をそれぞれ別の方向に向けながら、泣いて笑う男。
「壊れたか……」
異形は尻尾を元に戻して、立ち上がる。
ライヒメ達のところに向かった。
「茉莉ちゃん、大丈夫?」
「先輩、先にあれ壊して……」
力なく指差す先には、空中に浮遊して青白い光を放ち続ける球体。
「あっ、ごめんね」
異形は爪の根元から分泌した可燃性の毒液を爪先から飛ばして球体にかけた。
毒液が発火して、球体が燃える。やがて、弾けるように破裂して地面に落ちる。
「あっ、はぁぁ……ちからもどってきたぁ……」
パルスデバイスの効果が消えたのか、居心地良さそうな声を上げたライヒメ。
「茉莉ちゃん、疲れてるところ悪いんだけど……」
「ん、なんや? 先輩?」
異形は先程得た情報をライヒメに伝える。
「なるほどな、第6倉庫区画と四国居住区か……」
「私が四国居住区に行くから、茉莉ちゃんには、倉庫の方に行ってほしいんだ」
「ええけど、一人でいいんか?」
「それは大丈夫。それに茉莉ちゃん達は大阪エリアの魔法少女だからね。離れるわけには行かないからね」
じゃ、行ってくる、と、ライヒメに背を向ける異形。
「先輩っ!」
「ん? なに?」
「終わったら、その格好について、話してもらうからなぁ!」
「えっ、あーうん、わかった」
曖昧な返事をして、異形は足早に四国居住区へ向かった。
「姐さん、陸奥さんって、味方ですよね……?」
遠ざかっていく異形の背中を見ながら、藤村が言った。
「なに言うてんねん、当たり前やろ」
「そっすね、すんません……ただ、あの戦いっぷり見てるとこわーなりまして……」
「……まぁ、分からんでもないな」
もし、あの異形が敵対したら……と、思うと勝てる魔法少女は居ないだろうな、と、ライヒメは思った。
「大丈夫や、先輩はそんなことせーへん」
藤村の背中をぱんっと叩いて「さぁ、残党狩りや! 気ぃ引き締めぇ!」と、魔法少女達に言った。