よくある廃墟になった工場の中に、二人分の足音が微かに響く。
リコリスの青い制服を着たたきなと、その前を歩く、同じデザインの赤い制服を着たファーストリコリス。
たきなの相棒にして、DAが誇るナンバー1、錦木千束は、銃を構えたままいつもの余裕の表情を浮かべていた。
この人はいつも楽しそうだ。
銃弾を避けられる非常識な能力はよくわかったが、それも目の前に相手がいる時だけだと、たきなは認識している。現に暗闇では他のリコリスと変わらないと自分でも言っていた。
それはつまり、遠くからの突然の狙撃には対応できないのではないかと思うのだが、現実、様々な攻撃をされてなお、千束が撃たれるどころか、怪我をするのすら見たことがない。
たきなは千束の背負うバッグを見つめた。そこにまだ、未使用のマガジンが詰められている。
今日はまだ一発も撃っていない。敵の姿を目にしていないから当たり前だが、多少はリコリコの経営状態も配慮してくれているのかもしれない。
今リコリコは資金繰りがよろしくなく、その原因の大半が千束の特殊な弾丸にあった。千束の非殺傷弾は威力がないくせに高価だ。弱い弾を詰められて銃も泣いていそうだが、千束の不殺の信念は揺るぎない。
やがて通路が突き当たり、道が左右に分かれた。千束が小声で「どっち?」と聞くので、たきなは「左です」と答えた。地図情報は事前に頭の中に叩き込んできた。
千束が迷わず左の方に歩き出す。それをもう何度か繰り返すと、やがて食堂のような広間に出た。広間と言ってもそれほど広くはないが、そこに銃を手にしたならず者が待ち構えていた。事前の情報では丁度20人。
いきなり発砲されて、千束は一歩通路に戻った。そして、やや非難がましい目でたきなを振り返った。
「本当にここだった?」
まるでおびき出されたように、敵の待ち構える真ん中に真っ直ぐ突っ込んできたことになる。
たきなは大きく頷いた。
「ええ」
道は間違えていない。事前の打ち合わせとは違う道だが、意図的にここに誘導した。
「だって、一気に片付けた方が早いでしょう。私なら蜂の巣ですが」
千束はリコリスの訓練で、取り囲まれた状態から戦闘を開始してなお、被弾せずに全員を倒したことがあると聞いている。しかも今よりもっと未熟な時にだ。
20人が機関銃でも持っていたら物理的に避け切れないかもしれないが、拳銃なら問題ないだろう。もっとも、全員が機関銃を持っていても、対角線にいる仲間が相打ちになるだけで、千束は大丈夫そうな気もする。
「あんまり過信すんなよ?」
千束がため息混じりにそうぼやいたが、万が一にも自分に当たるとは考えてなさそうだ。
敵の弾が勝手に逸れるわけではない。あくまで避けるのは自分なのに、絶対の自信を持っている。
リコリスの任務はミスが許されない。ミスをしたら死に直結するから、たった一度の失敗も想定しないというのは大事なのかもしれない。
千束にそこまでの考えがあるのかはわからないが、そういうところは見習わなくてはと思う。
「採算はいいですから、思い切りやっちゃってください。一気に倒せば無駄弾も少なく済むでしょう」
「オッケー」
千束が銃弾の中に躍り出て、早速敵の一人の懐に入り、数発浴びせた。続け様に別の男を撃ち、弾が尽きたところで素早く新しいマガジンを装着する。
そして、敵の額にほぼ零距離から引き金を引くその瞬間を、たきなは物陰からじっと見つめていた。
今回の仕事の内容は、この工場をアジトにしている悪の討滅である。組織的なものというより、ならず者の集団とのことだが、こうして銃撃してくる時点でそこらの半グレとは違う。
もっとも、全員殺害しなくてはいけないほどの悪ではなく、痛い目に遭わせて蹴散らすくらいでいい。そういう理由で、今回は千束に任された。
もちろん、銃を使った上で相手を生かしておくと、リコリスの存在がバレることになる。ただ、それはもう過去に千束が殺さなかったすべての敵にも言えることであり、一体どうなっているのかわからない。
とにかく、殺しても構わないが、殺す必要はない。それが千束とたきながDAから与えられた命令だった。
それとは別に、たきなは個人的に別の依頼を受けていた。依頼主は千束が恩人と慕っているヨシさんこと吉松シンジである。
彼は赤字に頭を抱えていたたきなを呼び出すと、莫大な金額を提示するとともにこう言った。
「千束の銃弾を、こっそり実弾に替えて欲しい」
「それは、千束に人を殺させたいということですか?」
さしものたきなも驚きながら難色を示したが、吉松は動じることなく頷いた。
「君もリコリスならわかるだろう。あの子の方針が、結果としてあの子自身も、周りの人間も危険に晒していることに」
デメリットは戦闘中だけではない。最終的に生かして逃がすことで恨みを買うこともある。顔だってバレる。
そんな危険な状態を作り上げてまで、悪人を改心させることにどれだけの意味があるというのか。
「あの子は知らないから怖がっているだけだ。殺したことがないから、漠然と不安に思っている。君や他のリコリス同様、一度殺せばなんでもなくなる。そうした方が、君もあの子も長く生きられる。たくさんの悪を排除して、リコリスが存在する役割に貢献できる」
吉松の言い分は、たきな自身が思っていたものだ。リコリコに来たばかりの頃は、悪人を殺さない千束に苛立っていた。今となっては不殺の信念も理解できたが、どちらが合理的かと言われれば、吉松の言うとおりである。
そもそもリコリスは殺人を許可され、それを任務としている。命令違反でDAの本部から追放されたたきなからすると、個人の信念で動いている千束は少々勝手だと感じる。強いということは、組織の存在理由すら超えて尊重されるのだろうか。
吉松の説得と、元々抱いていたたきなの疑問、そして何より提示額の大きさから、たきなは吉松の依頼を受けた。何せ、桁の一つ違う世界最高級の車が買えるような金額である。そこまでして千束に人を殺させ、DAの仕事に邁進できるようにしてあげようという吉松の優しさにも心を打たれた。
だから、最初に装着した以外のすべてのマガジンの中身を入れ替えた。たった今、額から本物の血を流し、床に脳漿をぶちまけた男が、千束の殺した最初の一人ということになる。