ラストは『羅生門』のオマージュです。
一瞬で判断して身をよじったことで、致命傷は避けられた。しかし、脇腹を深く抉られて、たきなは呻きながら傷口を押さえて倒れ込んだ。
心臓が脈打つたびに、手の平を伝う血の量が増えていく。撃たれた箇所が焼けるように熱い。
「話が、違う……」
もがきながら声を振り絞ると、男は笑いながら首を振った。
「いいや、違わねぇ。もし赤い方が戦いを放棄するなら、青い方は殺しても構わないと言われている」
歪な笑いだ。たきなは最後の力を振り絞って銃を取ろうとしたが、腕が痺れて動かなかった。それに、目の前の男を一人殺したところで何も変わらない。すぐに別の男に殺されるだけだ。
わらわらと集まってきた男の一人が、たきなの体を仰向けにして制服を剥ぎ取った。
「3人殺された。お前一人殺しても割に合わねぇが、まあ楽しませてくれたらチャラにしてやるよ」
乱暴にスカートを脱がされ、どうにか抵抗しようと男を蹴り付けると、男がたきなの足を踏み付けながらナイフを取った。
「足癖が悪ぃな」
ヘラヘラとそう言って、容赦なく太ももに突き立てる。
たきなが絶叫したのと同じタイミングで、フロアの入口から悲鳴のような千束の声がした。
「たきな!」
「おう、戻ってきたのか」
男たちが銃を手にして千束の方を向き直る。脇腹を押さえながら顔を上げると、千束が見たこともない、余裕のない表情で立っていた。
怒り、悲しみ、戸惑い。自責と後悔。
千束はすべてが仕組まれたもので、千束に人を殺させるための芝居だと気が付いていた。だからたきなを見捨てて帰ろうとした。
しかし、千束がそうしたことで、たきなは銃で撃たれた。ナイフで抉られ、血塗れになって床に這いつくばっている。即死はしなかったが、放っておけば死に至る重傷だ。いくら怒っていたとは言え、たきながこんな目に遭うことは望んでいなかっただろう。
千束が床を蹴る。男たちが応戦しながら、再びたきなを人質にしようとした。たきなはまだ動く方の手で銃を撃ち、何秒か難を逃れた。
その短い時間で十分だった。恐らく吉松の見たかった、そしてたきなも想定していた、鬼神のような動き。不殺の枷を外し、相手を殺すために銃を手にした千束を止められる人間など、もはやこの世に存在しない。
どんどん築き上げられる死体の山を見て、たきなはもう大丈夫だと思った。途端に目の前が真っ暗になって、そのまま意識を手放した。
気を失っていたのは、ごく短い時間だったようだ。すさまじい痛みで目を覚ますと、千束がたきなの手当てをしていた。場所も廃工場のままで、すぐ隣に男の死体が転がっていた。
脇腹の手当てはすでに終わっているようで、千束が太ももにきつくテープを巻くと、再び痛みが走ってたきなは呻いた。
あまりの痛さに、頭がガンガンする。吐き気もひどい。ぐったりと横たわると、千束が近くに座って、たきなの頭を自分の太ももの上に乗せた。鍛え上げられているが、女性特有の柔らかさもある。
何も言わずに肩で息をしていると、千束が苦しげなため息をついて口を開いた。
「ごめん。私の判断ミスだ。こいつらがたきなを殺すことはないって、勘違いした」
「私もです。助けてくれてありがとうございました。千束が撃ってくれたから、私は助かりました」
「そんなこと言われても、私の気分は晴れない。たきなをたぶらかしたのは誰だ?」
千束の声に怒りが滲む。たきなが答えるより先に、フロアに男の声が響いた。
「私だよ、千束」
「ヨシさん!?」
奥から現れた人物を見て、千束が驚きに腰を浮かせる。しかし、たきなの頭が落ちそうになって、慌てて腰を下ろした。
ひどく動揺した声で千束が言った。
「どうしてヨシさんがここに? どういうこと?」
「私がたきな君に、千束の弾丸を入れ替えるよう依頼し、DAが君をここに寄越すよう仕向けた。そして、君は私の期待以上に殺した。満点だよ、たきな君」
そう言って、吉松を金が詰まっていると思われるバッグをドンと床に置いた。
千束が怯えたように眉をゆがめ、よくわからないと首を振った。
「どうして? なんでヨシさんが私に人殺しをさせたがるの?」
「それはとても長い話になる。帰ってミカに聞くといい」
「先生?」
「彼はすべてを知っている。千束、君はここで20人殺した。今さらもう、戻ることは許されない」
今日はもう、これ以上話すつもりはないと言うように、吉松は手を振って去って行った。あるいは、これ以上の長居はたきなの命に関わると配慮してくれたのだろうか。
いや、それはない。吉松はたきなのことも、千束に人を殺させるための道具の一つとしてしか見ていない。
千束の動揺が太ももから伝わってくる。何も言わずにじっとしていると、千束がうなだれたまま震える声を出した。
「たきなも知ってるの?」
「いえ、何も。私はリコリスとして、千束が人を殺せるようになった方が有益だと考えただけです」
「そっか」
それ以上、千束は何も言わなかった。もうこれ以上、たきなと話すことはないと言わんばかりに。
その後、たきなはDAの医療機関に運ばれて、手術の末、一命を取り留めた。
入院中に千束が誰と何を話し、どういう考えに至ったのかはわからない。ただ、たきながリコリコに戻った時、千束は店におらず、連絡もつかなくなっていた。
心臓のこと、アラン機関のこと、彼らが千束を世界一の殺し屋にしたがっていたこと。
そういった話がリコリコのメンバーに共有されてなお、たきなには千束の心情がわからなかった。
幼い頃にDAに拾われ、リコリスとして育てられた。悪人を殺すことは正義であり、千束の不殺の方針は間違っていたと今でもそう思っている。
ただ、千束は吉松を信頼していた。ミカを慕い、たきなのことも信用していた。
その全員に裏切られたと、千束はそう感じたのかもしれない。もうここに自分の居場所はないと思い、出て行く心境は理解できなくもない。
千束の心臓は定期的なメンテナンスが必要だ。それを怠ると、千束は死ぬ。
どうかそれまでに、気持ちに折り合いをつけて戻って来て欲しい。たきなもみんなも、そう願っている。
窓の外には夜が広がっている。
千束の行方は、誰も知らない。