私は2部のワムウです。
柱の男の1人で、風を操る誇り高い戦士。シーザーが己の全てを懸けて生み出した解毒リングの入った血のシャボン玉を敢えて割らず、シーザーの戦士としての覚悟を尊重した姿は敵キャラながらカッコいいと思いました。
そしてジョセフとの決着で敵同士ながら奇妙な友情が芽生え、ジョセフを自分以上の戦士と認めた器のデカさは、まさに「漢」って感じで凄く好きです。
次点は5部のプロシュート兄貴です。
9月半ばの水曜日。時刻は午前6時。
條士はスマートフォンの目覚ましアラームが鳴る前に目が覚まし、ベットから上体を起こす。頭が少しボーッとするもベッドから出て窓のカーテンを開ける。窓からは眩しい程の朝日と澄んだ青空が広がっていた。
すると、凪沙の楽しげな話し声が、壁越しに所々途切れながら洩れ聞こえて来る。
條士は小さく欠伸をながら部屋を出ると、洗面所で寝癖でボサボサに跳ねた癖っ毛を直し、顔を洗う。そして歯を磨き終えリビングに戻った條士は、テーブルに置かれた朝食がいつもの2人分ではなく、3人分である事に気がつく。
「ああ……そう言えば、今日だったか」
ある事に気が付いた條士はテレビの電源を付けると、朝のニュース番組が映し出される。テレビをBGMに、條士はキッチンでコーヒーを淹れる準備を始める。一応インスタントもあるが、朝食はコーヒーメーカーで淹れたコーヒーを飲むのが日課になっているのだ。
條士が自分用のマグカップに出来立てのコーヒーを注ごうとしたその時、リビングのドアが開く。
「あ、先輩」
「お早う、姫柊」
ドアから現れたのは凪沙では無く、條士たちが住む部屋の隣人で、條士の監視役である雪菜だった。
「お早うございます。先輩」
「ああ。今日だったな、服の採寸。終わったのか?」
「はい。凪沙ちゃんももう直ぐ来ると思います」
雪菜がそう言った直後に凪沙がリビングに現れる。
「おはよー、條士くん!」
「お早う、凪沙」
快活な挨拶をする凪沙に條士も挨拶を返す。こうして、朝から賑やかな雰囲気で、今日が始まる。
◾️◾️◾️◾️
朝食を食べ終え、モノレールに乗って登校する條士は、校門を潜ったところで雪菜たちと別れた。雪菜と凪沙は少し離れた中等部の校舎へと向かい、條士は正面にある高等部の建物を目指す。
絃神島は太平洋のド真ん中に浮かぶ常夏の島だ。9月も半ばを過ぎたと言うのに秋の気配は微塵もなく、真夏の陽射しが容赦なく朝の校庭に降り注ぐ。
條士が昇降口に行くと、丁度そこには先客が居た。條士のクラスの靴箱の前で、女子生徒が靴を履き替えている。
華やかな髪型に、垢抜けた化粧。センス良く制服を着崩した、目立つ容姿の同級生、浅葱だった。
「おはよ、條士」
男友達のような気安い口調で、彼女が声をかけてくる。端整な口元に浮かぶニヤニヤ笑いが、人懐こくて妙に印象的だ。揃えて置かれた彼女のローファーの隣には、大きなスポーツバッグが投げ出されている。
「ああ。お早う、浅葱。その荷物は?」
條士は自分の分の上履きを取り出しながら訊いた。
藍羽浅葱は、そんな條士を見上げてニヤリと笑う。
「丁度良いところに来て貰っちゃって、悪いわね。意外に重くて面倒だったのよ」
「まだ運んでやるなんて一言も言ってねえが」
「やー、ホント助かるわ。ロッカーの前に置いといてくれたらいいからさ」
「やれやれ……」
條士の反論を無視して、浅葱が一方的に指示を出す。條士は呆れながらバッグを持ち上げた。閉まり切らないファスナーの隙間から見えたのは、使い古しのラケットが数本と白い羽根──バドミントン用のシャトルコックだ。
「バドミントンのラケットか? 球技大会で使うやつか?」
「そうそう。うちの姉ちゃんに頼んで借りて来たのさ。学校の備品だけじゃ数が足りないっしょ」
「ほぉ」
條士は感心した様に呟いた。
「気が利くんだな」
「そりゃそうよ。あたしの渾名は『気配りの出来る美人女子高生・浅葱さん』よ」
「気配りの出来る美人女子高生は、自分でそんな事言わねえと思うが」
「うっさいなー。まあ、ホントのとこは、お倫に昨日頼まれただけなんだけどさ」
教室に向かう階段を上りながら、浅葱が悪びれない態度で告白する。
「んで、條士はなんに出る事にしたわけ?」
「築島には余った種目で良いって頼んではいる」
條士はやる気のない口調でそう答えた。球技大会の出場種目は、学級委員の築島倫がクラス全員の希望を聞いた後、独断で割り振ることになっている。割り当てられた種目に文句があれば、自分で勝手に交渉して他の誰かに替わって貰え、と言う合理的なスタンスだ。
すると何故か落胆した様に浅葱が息を吐く。
「いい加減ねえ。あんた昔からこう言うイベントには興味0よね。運動神経はずば抜けてるのに」
「ほっとけ」
いつもと同じように軽口を叩き合いながら階段を上り、條士と浅葱は教室へと入る。
その直後、ざわっ、と空気がどよめいた。
教室内にいたのは、クラス全体の7割程。その全員が、一斉に振り返って條士たちを見る。
「なんだ?」
「あたしに訊かないでよ。あんたと一緒に今来たばかりなんだから」
クラスメイトたちの視線に晒されて、古城と浅葱は軽くうろたえた。
教室の中に漂っているのは、納得と信頼が入り混じったような奇妙な一体感。冷やかされていると言う感じではない。むしろ変に期待されている様な感覚がある。
謎めいた彼らの反応に、條士たちが困惑しながら立ち尽くしていると、教卓の近くに居た基樹が声を掛けて来る。
「よお、ジョジョ。相方と一緒に道具持って登場とは、流石に気合い入ってるな」
そんな気心の知れた友人を、條士と浅葱は不機嫌そうに睨む。
「相方だと?」
「……何言ってんの、あんた? 年上の彼女に振られて錯乱した?」
「錯乱してねえし、振られてもねえよ、縁起でもねえ! あれだ、あれ!」
上擦った声でそう言って、矢瀬は背後の黒板の方を指さした。そこに立っていたのは築島倫だった。黒板には、如何にも彼女らしい几帳面な文字で、クラスメイトたちの全員分の名前が書かれている。
「球技大会の参加種目、丁度今、発表したところなの」
「ああ……」
條士と浅葱は、気の抜けたような声を出し、互いに顔を見合わせた。何故それで自分たちが注目されるのかさっぱり解らない。どうにも腑に落ちない気分のまま、條士は黒板に書き記された白いチョークの軌跡を眺める。
「バドミントンの男女
條士は意外な場所にある自分たちの名前に気づく。
勿論、條士にはバドミントンの経験は無いし、出場を希望した覚えもない。男女
「……なんであたしが條士と組まなきゃならないのよ?」
警戒したような表情で浅葱が訊く。しかし倫は平然と微笑みながら答える。
「今年からそう言う規定になったの。シングルスが廃止で、代わりに男女混合ダブルスの選手ペアを増やす様に。あ、現役のバド部の子は出場禁止ね」
「だから、なんであたしと條士のペア!?」
「浅葱、前から好きだって言ってたじゃない」
「は、はい!?あ、あ、あたしがいつそんな事……!?」
「バドミントンの話よ」
いつもの冷静な声で倫が言う。浅葱は言葉を詰まらせながら反論する。
「……偶に姉貴の練習につき合わされてただけで、別に上手くもなんともないわよ」
「ルールが解ってれば十分だから」
落ち着いた口調でそう言って、倫は浅葱を沈黙させた。
「空城くんも希望の種目は無いって言ってたし、文句ないよね。本当はバスケに出てもらおうと思ってたんだけど、ごめん。知らなかったから」
「なんの話だ?」
気まずそうに目を伏せる倫を見て、條士は怪訝顔で訊き返した。倫は、なぜか憐れむように條士を見つめて首を振る。
「無理しないで。矢瀬くんから聞かせてもらったわ。中学時代の空城くんの事?」
「あ?」
「バスケ部の助っ人で練習試合に出て1人でトリプルスコアを叩き出して、相手チームに"俺に勝てるのは俺だけだ"って言って、その後チームから孤立したって」
「……ん?」
あまりにもぶっ飛んだ倫の発言に、條士は珍しく思考停止する。確かに條士は中学時代、弱小だったバスケ部の助っ人として練習試合に1度だけ出た経験がある。当時から同年代よりも身長が高く、運動神経も良かった事でその試合には勝利した。しかし、流石にトリプルスコアをした覚えは無い上に、そんな台詞を言った覚えも無い。
「待て、何だその話は」
「でも大丈夫よ。心配しないで。例え空城くんが厨二病でもうちのクラスでは爪弾きにしないから」
「待て、何でそうなる。あと、台詞に関しては漫画だろ。いつから俺は10年に1人の天才5人の青担当になった」
條士は思わずツッコミを入れるが、無言のクラスメイトたちから返ってきたのは、同情混じりの生暖かい視線だけだった。クラスメイトの様子を見て、浅葱が半眼になって大きく溜息を吐く。
「大体の事情は分かった。全部あんたの策略な訳ね、基樹」
「ナイスアシストだろ?」
幼なじみの少女に睨まれながら、矢瀬は得意げに親指を立ててみせた。條士が浅葱とペアを組まされる事になった元凶は、どうやら基樹の様だ。なんのつもりなのかは知らないが、どうせロクでも無い事を企んでいるに違いない。
「あんたはまたそう言う余計な真似を……!で、お倫もグルな訳ね」
浅葱が拗ねたような表情で、澄まし顔の学級委員を問い詰める。
倫はどこか悪戯っぽく微笑みながら、普段と同じようにクールに告げた。
「コートの使用申請はしておいたから。今日の放課後から自主練習、よろしくね」
◾️◾️◾️◾️
「浅葱。まだ教室に残ってたのか?」
その日の授業が終わって迎えた放課後。
ちょっと目を離した隙に視界から消えてい條士に死角からいきなり名前を呼ばれて、浅葱は硬直した。危うく洩れかけた悲鳴を呑みこみ、平静を装って振り返る。
そんな浅葱の苦労も知らず、條士はいつも通りの落ち着いた顔で立っていた。
ダブルスのペアに選ばれた事も、たかが球技大会のチーム分けだろ、と言う感じで全く特別な意識が無いらしい。
緊張感と無縁のその表情に、思わず殺意が芽生えそうになるが、浅葱は奥歯を鳴らしただけでどうにか自制する。流石に逆恨みだと言う事くらい、一応自覚しているのだ。
露骨に不機嫌な浅葱の態度に、條士は首を傾げる。
「球技大会の練習するなら早くやろうぜ」
「あー……う、うん。着替えてくるから、先に体育館に行ってて」
引き攣った笑顔で浅葱がそう言うと、條士は素直に頷いた。
「分かった。また後でな。ラケット借りるぞ」
「あー、はいはい」
手を振って立ち去る條士を見送り、浅葱は長い溜息を吐く。
すると横合いから唐突に声がした。
「ふーん」
大人びた冷静な声の主は倫だった。長身を青い体操服に包んだ倫は、立ち去る條士と、座ったままの浅葱を、何処か愉しげな表情で見比べている。
「何よ?」
「空城くん、あっさり行っちゃったね。球技大会の練習なんて面倒な事、嫌がるかと思ってたけど」
「なんだかんだで勝負事とか好きなのよ。ホント、ガキなんだから」
浅葱は大げさに肩をすくめて言った。しかし倫は、真面目な顔で小さく首を傾げ、
「そうかな。空城くんが乗り気なのは、浅葱と一緒だから、だったりして」
「あのねえ」
浅葱が拗ねた様に唇を曲げて倫を睨む。
「まったく、あんたと言い基樹のバカと言い、あたしと條士で遊ぶのやめてくれない? 球技大会なんかにかこつけて余計な事ばっかり……」
「迷惑だったかな?」
笑いを含んだ声で倫が訊いた。浅葱は不機嫌そうに嘆息する。
「大迷惑よ。そもそもなんなのよ、この服は」
そう言って膝の上に抱いたナイロン生地のバッグを指さしてみせる。バッグの中に詰め込まれているのは、球技大会の練習で使うスポーツタオルや運動着等の一式だ。
「何って……ユニフォームでしょ。バドミントン用の。浅葱の為に用意してきたんだけど、サイズ合わなかった? まさか、いろいろ育ち過ぎて着られなかったって事は無いよね?」
「着れたわよ」
心配そうに訊き返す倫に、浅葱は思わず正直に告白してしまう。
「だ、だからって、たかが学校行事で、なんでこんな気合い入れた恰好しなきゃなんないのさ」
ヒラヒラの短いスコートに、丈の短いノースリーブのポロシャツ──異様に肌の露出の多いそのユニフォームに、浅葱は本気で難色を示す。公式の大会に出場る選手ならともかく、球技大会ごときの練習でこれを着るのは流石に恥ずかしい。
それにも関わらず、倫は悪戯っぽく微笑んだ。
「だって浅葱、脚が綺麗じゃない」
「──は、はい?」
普段あまり冗談を言わない友人の意外な言葉に、浅葱は反応出来ずに固まってしまう。けれど倫は冷静な口調のまま続ける。
「……って、矢瀬くんが言ってたよ。例の中等部の転校生にも引けを取らないって」
「どうしてそこであの姫柊って子の話が出てくるわけ?」
浅葱が声を低くして訊いた。平静を装ったつもりだったが、不意を衝かれたせいで不機嫌な響きが混じってしまう。
中等部の転校生、姫柊雪菜。嫉妬する気も起きないくらいのデタラメな美少女で、おまけに何故か転校前から條士と妙に仲が良い。一部の生徒たちの間では、條士の彼女だと認識されているらしい。あまり認めたくない事実だが、浅葱が最近ペースを乱しているのは、間違いなく彼女の存在が原因だ。
「理由は、私よりも浅葱の方が良く分かってると思うけど……」
倫は表情を動かさないまま、中等部の校舎の方角にちらりと視線を送る。
「可愛いよね、あの子。空城くんの居候先の子のクラスメイトなんだっけ?」
「そ、そうみたいね」
動揺を隠しきれない浅葱を見つめて、倫が優しく微笑んだ。
「ユニフォーム、せっかく用意したんだけど、無理にとは言わないわ。午前中の授業で使った汗臭い体操服で、空城くんと一緒に過ごしたいならそうすれば?」
「あ、汗臭くないわよ。ちゃんとデオドラント使ってるし……」
浅葱が弱々しい声で反論する。倫は何も答えずに、ひらひらと手を振って歩き出した。
「それじゃあ、私も卓球場に行くから。浅葱、頑張ってね」
卓球組の生徒たちを連れて彼女が出て行くと、教室の中には浅葱だけが残された。
机の上に広げたユニフォームを見下ろして、浅葱は苛々と息を吐く。
「もう……なんであたしがこんな事で悩まなきゃいけないのよ!條士のバカ!」
◾️◾️◾️◾️
「何か浅葱に悪い事でもしてしまったか?」
と言うのが條士の素直な感想だった。
矢瀬と倫の謀略で無理やり條士とペアを組まされて、彼女が腹を立てるのは理解出来る。だが実際のところ、浅葱は真剣に怒っているという感じでも無いのだった。
午前中は腐れていた彼女も、昼休み前には機嫌を直して、矢瀬たちとも普通に会話を交わしていた。元々クラスの連中が條士と浅葱の仲の良さを揶揄うのは中学時代からの日常茶飯事だ。浅葱が今更そんな事を気にするとも思えない。
不可解なのは彼女の、條士に対する態度の方だった。
話し掛けても妙によそよそしかったり、そのくせチラチラと條士の事を見ていたり、とにかく全体的にぎこちない。だからといって機嫌が悪い訳でも無いらしい。
ここ最近の浅葱はそんな感じで、らしくない不審な挙動を見せることが多かった様に見えた。
「あれ、空城くん、1人なの? 藍羽さんは?」
体育館に辿り着いた條士を見つけて、クラスメイトの内田が話し掛けてきた。小柄で線が細く、制服を着ていても偶に女子に間違えられるという美少年だ。
内田の隣に寄り添う様に立っているのは棚原夕歩。長身で気の強い彼女だが、内田の前では別人のように可愛らしく従順な姿を見せる。典型的な恋する乙女である。
2人は、体育館の床に立てられた支柱に、バドミントン用のネットを張っている途中だった。ただそれだけのはずなのに、なぜか彼らの周囲には、余人が入り込めない様な親密な空気が立ち込めている。2人きりの世界とでも言えば良いのか、とにかく近寄りたくない雰囲気だ。
そんな濃厚なカップル臭を漂わせているのは、彼らだけではなく、館内にいた他のペアたちも同様だった。サーブの練習をしながら互いに肩を寄せ合ったり、ふとした瞬間に見つめ合ったりと、本人たちにいちゃついているという意識はないのだろうが、独り身の條士としては見ていて居心地が悪い。
これは浅葱が怒るのも当然だと條士は勝手に納得する。
「浅葱は着替えに手間取ってるらしい。先に練習始めててくれ。俺は軽くストレッチしてくる」
「じゃあ、そうさせてもらうよ。悪いね」
「ああ」
朗らかに返事をする内田に手を振って、條士は体育館の外に出た。
時刻は午後4時を過ぎていた。空には淡く夕焼けが広がり始めているが、西陽が強く、蒸し暑い。
條士は浅葱が来るまで、日陰でストレッチを行う。
すると──
「先輩?」
頭上から、誰かの声が聞こえた。
聞き覚えのあるその声に、條士は上を見上げると、雪菜と目が合ってしまう。丁度非常階段を降りて来たところだったらしい。
「こんなところで何をやってるんです?」
制服のスカートを押さえたまま、雪菜が訊いた。
「バドミントンの練習前の準備運動。相方が来るのを待ってる」
「バドミントン……ですか?」
雪菜がきょとんと目を瞬いて訊いた。そして不意に声を硬くする。
「相方というのは、もしかして女子ですか?」
「そうだ。余ってる種目が男女混同のダブルスだけだったからな。それがどうした?」
條士はそんな雪菜に返答する。
「そうですか……」
雪菜は何処か不機嫌そうな表情で條士を見つめてくる。
條士は話題を変えた。
「姫柊はこんな所で何をやってたんだ? 此処は高等部の敷地なんだが」
「……そうでした。すみません、先輩、チアリーディング部の部室をご存じないですか?」
「チア部の部室?高等部のか?」
「はい。凪沙ちゃんに呼ばれてたんですけど、道に迷ってしまって」
雪菜の口から出てきた言葉を、條士は怪訝に思った。彩海学園のチアリーディング部は、中等部と高等部でそれぞれ個別に活動をしており、部室も離れている。
「場所は分かるが、どうして高等部のチア部に凪沙が居るんだ?」
「衣装合わせです。スコートというのを貸して貰えるそうなので……」
表情を曇らせながらそう言って、雪菜は弱々しく息を吐く。やはりチアガール役には気乗りしないのだろう。それでも言われたとおり真面目に衣装合わせに向かうところが雪菜らしい。
「分かった。案内する。あの辺りは入り組んでいるから、口で説明するより連れて行った方が早い」
「ありがとうございます。でも、先輩、練習は良いんですか?」
気遣う様な表情を浮かべる雪菜に、條士は頷く。
「往復で5分も掛からないが、念の為に浅葱にはメールで伝えておく」
「藍羽先輩……なんですか? 先輩のダブルスの相方と言うのは……?」
何故か不意に立ち止まった雪菜が、重々しい声で訊いてくる。
條士は素直に頷く。
「ああ、そうだ。一応言っておくが、俺も浅葱もペアを組むのを希望した訳じゃあないからな」
早口でそう言い訳した。雪菜は、無感動な瞳で條士を見つめて溜息を吐く。
「私は別に気にしてませんけど」
言葉の割に不機嫌そうな雪菜の声を聞きながら、條士は浅葱にメールを送り、雪菜をチア部まで案内する。
◾️◾️◾️◾️
雪菜をチア部の部室まで送り届けた帰り道。條士は体操服のポケットから小銭用の小さな財布を取り出し、自販機コーナーに立ち寄っていた。
「"カシスオレンジ風ソーダ"?所謂ノンアルコールか?何で高校の自販機に売られてるんだ?」
自販機から異質を放つ飲み物に興味を抱き、條士は思わずボタンを押した。取り口から取り出し、缶のプルタブを開けて一口飲んでみる。文字通り、カクテルのカシスオレンジの味をしたソーダだった。何とも言えない味に眉を顰めながら、ベンチに座る。
浅葱もそろそろ着替えを終えて、体育館に着いている頃合いだった。
あのカップルだらけの桃色空間に戻るのは正直面倒臭いが、あんな所に浅葱を1人で放置していたら、それはそれで後々面倒な事になる。一気に飲み干した條士は立ち上がり、裏手から体育館の入り口へと回ろうとした。
その直後、條士が座っていたベンチが、突然膨らみきった風船の様に弾け飛んだ。
「何ッ!?」
砕け散った木々の破片が頬を掠めそうになり、條士は顔を逸らして回避する。
爆散したベンチの残骸が、スローモーションで地面に向かって落ちていく。これまで培ってきた戦闘経験により五感が研ぎ澄まされているせいである。
條士は咄嗟にその場から距離を取る。
すると、先程まで居た條士の足元に向かって、銀色の閃光が飛来する。
躱した閃光の正体は、金属製で鋭い鏃と羽根を備えた洋弓の矢で、地面に突き刺さっている。
発射時に音を立てない弓矢は、視界の悪い市街地の戦闘では時として銃以上の脅威となる。
渡り廊下。非常階段。校舎。屋上。記念樹の陰。ざっと周囲を見回しただけでも、射手が潜伏可能な場所は数え切れない。誰に何処から狙われているのか把握し切れない。
地面に突き刺さっていた矢が、突然するすると解けて形を変えた。留め具を失ったカーテンの様に、金属の薄板と化してふわりと広がり、そして再び変形していく。
膨張し、鋭角に折り曲げられた金属板が、複雑な獣の姿へと変わる。
その姿は、見えない巨大な手が生み出す鋼鉄製の折り紙を連想させた。
「ライオン?……式神の類か」
仮初めの命を吹きこまれた金属板が、獣のように大地を踏みしめて咆吼した。本物の猛獣のような野性的な動き。間違いなく呪術によって生み出された怪物だった。
分析をする條士に、鋼鉄の獣が跳躍した。
「『ウーバー・ワールド!!』」
『ドラァッ!!』
條士は『ウーバー・ワールド』で迎撃する。『ウーバー・ワールド』の拳を叩き込まれた鋼鉄の獣は後方へ吹き飛んだ。
そして條士の直ぐ背後に、もう1体の獣が現れる。ベンチの残骸を蹴散らす様にして出現したのは、やはり金属板で造られた狼だ。おそらく最初に撃ち込まれた矢が変形して生まれたモノなのだろう。
「やれやれ。一体何なんだ?」
條なは溜息を吐きながら、狼を睨み付ける。
呪術で生み出された紛い物とは言え、この怪物たちの敏捷さは本物の猛獣と変わらない。全身が刃物で構成されている分、寧ろ危険度は猛獣以上かもしれない。
そう考えているうちに、狼が跳躍した。
條士は『ウーバー・ワールド』で攻撃しようとしたその時──
「先輩!伏せて!」
突然ら聞き慣れた少女の声が響いた。
咄嗟に防御体勢を取る條士の頭上を、轟然と風を巻いて何かが駆け抜ける。
それは銀色の槍だった。航空機の様に滑らかな姿に成形された、全金属製の長槍である。
疾風の様に飛来したその槍が、條士を襲う鋼鉄製の狼を貫いて粉砕する。
「姫柊!」
槍を投げて條士の危機を救ったのは、ついさっき部室棟の前で別れた筈の雪菜だった。まるで美しい獣の様に疾走してきた彼女が、そのままの勢いで宙を舞い、條士の目の前に着地する。
「〝雪霞狼〟!」
雪菜は地面に刺さっていた槍を抜くと、そのまま流れるような動きで、銀色の槍に呪力を込めると、それだけで狼は簡単に砕け散った。もはや戦闘とも呼べない、単なる害獣駆除を見ているような光景だ。
全身が鋼鉄の獣の歯牙にもかけない圧倒的な戦闘力。これが獅子王機関の剣巫と呼ばれる、雪菜本来の姿である。
「無事ですか、先輩?」
槍を構えて、油断なく周囲を見回しながら雪菜が訊いた。彼女が着ているのはいつもの中等部の制服では無く、白地に青のラインが入ったチアリーダーの衣装だった。
緊張感を壊すその可憐な服装に、條士は呆然と溜息を吐く。見えない敵の攻撃も、どうやら中断された様だった。雪菜を巻き込むつもりがないのか、あるいは彼女には勝てないと判断したのか。どちらにしても雪菜に救われたのは間違いない。
「すまない、助かった。けど姫柊、どうして此処に?」
條士は『ウーバー・ワールド』を解除して、雪菜に訊いた。
雪菜は槍の柄を握ったまま、ぎくり、と背中を硬直させる。
「すみません。先輩を監視していた私の式神が、攻撃的な呪力の存在を知らせて来たので、気になって来てみたのですが……」
「……ああ。いつも見られてる感覚があったと思ったが、お前の仕業か」
聞き咎めた條士から目を逸らし、雪菜が肩を震わせた。
俯く彼女の横顔を、條士が無言のままじっと見つめると、雪菜はわざとらしく咳払いしながら顔を上げた。疚しいところはない、と開き直ったように胸を張る。
「──任務ですから!」
「開き直るんじゃあない」
「あうっ!」
條士はツッコミを入れながら雪菜の頭にチョップを放つ。
「うぅ〜……そ、そんな事よりも先輩、誰かに狙われる心当たりは?」
「無いな」
雪菜が頭を抑えながら訊いてきたので、條士は首を振る。
「向こうの狙いは俺か?」
「そうですね……でも、この術式は先輩を狙っていたと言うよりも……」
独り言のように呟きながら、雪菜は、自分が破壊した鋼鉄製の獣の断片を拾い上げる。厚みのない安っぽい金属の薄片。
「……アルミ箔? こいつがさっきの式神の正体か?」
「そうですね。本来は、遠方にいる相手に書状などを送り届ける為のもので、こんなに攻撃的な術では無い筈なんですけど」
雪菜は訝るように呟きながら、拾った金属片を折り曲げた。三角形を2つ連結したような形を作り、それをふわりと空中に浮かせる。どうやら蝶のつもりだったらしい。
幼稚園児の落書きに似た蝶モドキは、暫くの間ヒラヒラと風に乗って飛び回っていたが、やがて力尽きた様に地上に落ちた。それを見て雪菜が薄く溜息を吐いた。
「術者には逃げられてしまったみたいです。呪力を追跡出来るかと思ったんですけど」
「そうか……さて、壊れたベンチを直しておくか」
破壊されたベンチを眺めて條士は無責任に肩をすくめ、雪菜も落胆した様に溜息を吐いた。そんな雪菜の表情が不意に青ざめる。
彼女が見つめていたのは体育館裏にある自転車置き場。下校中とおぼしき2人組の女子生徒が、フェンス越しに條士たちの方を指さして、何か話している。
「姫柊?」
「すみません、先輩。〝雪霞狼〟を見られました。直ぐに捕まえて記憶消去の処置を──」
「待つんだ、姫柊」
槍を握って飛び出そうとした雪菜を、古城が引き留めた。
「そんな事はしなくて良い。心配要らない」
「どうしてそんな事が言い切れるんです!?」
雪菜が余裕のない表情で振り返る。想定外のトラブルにたやすく浮き足立つのは、真面目な優等生である雪菜の最大の弱点だ。勢いこむ彼女を宥めながら、條士が冷静に指摘する。
「そりゃあ、その服でそんなものを振り回してたら、痛いコスプレ趣味の女子だと思われるだけだからよお」
「う……ぐ……」
自分の恰好を見下ろした雪菜が、反論出来ずに沈黙する。
チアリーダーのユニフォームに、未来的なフォルムの銀色の槍。こんな装備の中学生を見て、特務機関所属の攻魔師だと思う人間はそうそう居ない。コスプレ趣味などと言う誤解を受けた事に不満な表情を浮かべつつも、雪菜は目撃者の追跡を諦めた。
悄然とする雪菜の姿を、條士は呆れながら見つめる。
「姫柊、その服はもしかして──」
「衣装合わせの途中で抜けてきたんです。あんまりじろじろ見ないでください」
プリーツスカートの裾を押さえた雪菜が、上目遣いに條士を睨む。スカート丈が短いせいで、ちょっとした動きでも中身が見えてしまうのだ。
「いや、俺は悪くないじゃあないか」
「それでも先輩は見ては駄目です。目つきが厭らしいです」
「失礼だな」
酷く理不尽な事を言われた気がして、條士は眉を吊り上げる。とは言え、そんな恥ずかしい服装のまま條士を助けに来てくれたのだから、此処は彼女に感謝するべきなのだろう。
「まあ。とにかく助かった」
「いえ。任務ですから」
雪菜が普段と同じ素っ気ない口調で言う。予想通りの彼女の返答に條士は小さく呟く。
「……後、似合ってるぞ。その服」
「えぅ!?………どうも」
その瞬間、雪菜の頰が爆発したように赤く染まった。彼女は、落ち着きのない挙動で自分の服装をもう1度確認し、羞じらう様な怒っている様な不思議な表情を浮かべ、消え入りそうな声で言う。一応喜んではいるらしい。少し子犬っぽい彼女の反応を條士は眺める。
女の子がいつもと違う服を着ていたら必ず褒めるように、というのは、常日頃からの凪沙の口癖だ。條士としては、その言い付けに忠実に従っただけだが、雪菜のこんな表情が見られるのなら、偶には良いのかもしれない。
「さっきの式神……手紙を届ける術だって言ったな」
雪菜が狼狽えている間に、條士は地面に目を留めた。飛び散ったベンチの残骸に紛れて何かが落ちている。気を取り直した様な表情で雪菜が頷く。
「はい。その筈ですけど」
「それならこれは、俺宛って事で良いのか」
そう言って條士が拾い上げたのは、1通の真新しい封書だった。金色の箔押しが施された豪華な封筒を、銀色の封蠟が閉じている。
そこに刻まれた印璽に気づいて、雪菜が表情を強張らせた。
「この刻印……まさか……」
「どうした?」
動揺している雪菜を見つめて、條士が困惑の声を出す。
「この手紙、何か心当たりでもあるのか?」
「はい……ですけど、そんなはずは……」
雪菜はそう言って強く唇を嚙んだ。封蠟に施された刻印は、蛇と剣を模した紋章だった。格調高くはあるが、何処となく不気味さを感じるデザインである。
「……取り敢えず、これについては後で調べるか」
條士は封書をジャージのポケットに入れる。
「──條士?」
その時、誰かが不意に彼の名を呼んだ。
條士たちの声を聞きつけた浅葱が、建物の陰からのんびりと顔を出す。
「こんな所で何騒いでんのよ。あんたがいつまでも練習に来ないから、捜しに来てやったのよ。まったくあたしをあんなカップル時空に置き去りにするとは良い度胸じゃない」
「浅葱?」
條士が啞然とした表情を浮かべたのは、彼女が予想外の服を着ていたせいだった。
ノースリーブのポロシャツと、恐ろしく短い純白のスコート。バドミントンのユニフォームだから別におかしくはない──のだが、公式戦の試合ならともかく、たかが球技大会の練習で着るには、露出度が高すぎるのではないかと思う。
「待たせて悪い。直ぐ行く。姫柊も後でな」
「わ、分かりました。また後で、先輩」
條士がそう言うと、雪菜は少し慌ててその場から立ち去った。そんな雪菜を、浅葱は見ながら訊いた。
「あの子、何か変な槍っぽいの持ってたけど……コスプレが趣味なの?」
「ああ……いや。チア部から無理矢理待たされたらしい」
「ふぅん……」
雪菜をフォローする條士に、浅葱は不機嫌そうな表情をする。
「それより、浅葱。お前、そんな格好してるって事は、今回のダブルス相当気合い入ってるのか?」
「は、はあ!?ち、違うしっ!つーか、見るな変態!!」
「何でだよ」
服装を指摘されて、浅葱は顔を真っ赤にして怒鳴る。そんな浅葱に、條士は呆れながら溜息を吐いた。