魔神の為に鐘は鳴る 作:ミミルの泉
「おい人間。起きろ」
威圧的か、はたまた気位の高さを感じさせる声音。美しいアルトの声が上条の意識を微睡から掬い上げた。
はて。昨日の夜に目覚まし時計をセットしていただろうか。
せっかくの週末なのだから贅沢に睡眠を楽しもうとしていたはずだから、そんな無粋なことはしないはず。
昨日の就寝直前の自分の気持ちを正確に推察した上条。迷うことなく無視を敢行。
心地よい眠気に身を委ねながら、ふと思う。
目覚まし時計なら普通ベルとか電子音では? なんで女の子の声で起こしてくるんだ?
しかし青髪ピアスから聞いたことがある。世の中には女声のウィスパーボイスASMRと共に寝て、ASMRと共に起きる者がいると。美少女と共に生活を共にしているようでとても快適に過ごせるらしい。
気がするだけで別に一緒に暮らしてないのだから目が覚めたときに虚しくなりそうだな、と言ったところ、それを言ったら戦争じゃろが!! と壮絶な殴り合いが発生したのでよく覚えている。
携帯の目覚まし機能を使っている上条は、知らない内に青髪ピアスあたりに勝手にインストール&設定でもされたのだろうと、深く考えずに二度寝をしようとした。
「この私を無視するとは良い度胸だ。快適な目覚めをくれてやる」
ぐるぐるぐるぐる! と、身体に巻いていた毛布を勢いよく引っ剥がされた。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!」
某電脳歌姫もびっくりのローリング。
私は今日も転がります。もう良いかい?
身体のあちこちを浴槽にぶつけて──
快適というより文字通りの痛快な目覚めを果たした上条は浴槽から下手人を見上げると、
「おはよう。フェーズ2に移行する前に目が覚めたようで何よりだ」
浴槽に腰掛け、手に持ったシャワーヘッドと共に隻眼で見下ろす。電気の付いていない薄暗い風呂場でも輝いてみえる金髪と、宝石のような綺麗な碧眼の持ち主。
「オティヌス……」
ひょんなことから世界を滅ぼし、世界を敵に回した大悪人の魔神。
ひょんなことから上条と『理解』し合い、上条に救われた何の魔術も使えない元魔神の少女。
剥ぎ取った毛布をおもむろに身体に巻いたオティヌスの姿を寝ぼけ眼で見つめる上条。しかし段々と違和感に靄のかかった思考が晴らされていく。
「オティヌスお前! 身体が……!」
「あぁ。目が覚めたら元に戻っていた」
昨日まで15センチの生きた美少女フィギュアそのものだったはずのオティヌスが、ミミルの泉で見た最後の姿──魔神オティヌスそのものの姿になっていた。魔女帽子こそ付けていないが、身長は上条が抱きしめられるくらいには大きく、そして小さな少女のものだ。
「いや待てよ。なんか以前にもこんな夢を見たぞ……」
確か海辺で『魔神』たちが集まってわちゃわちゃ遊びをしていた気がする。説明だけだと本当に意味のわからない夢だ。
それより、オティヌスは一時的に元の身体を取り戻し、ささやかながらも楽しいひと時を過ごしてくれていた。それが上条にとってとても重要なことだった。
が、泡沫の夢から醒めると現実は変わらずにちんまりしたオティヌスがいた、というエピソードがあったのだ。非常に残念なことである。
そんな体験をしていた上条はその再来かと舞い上がった気分を落ち着かせようとした。
しかし当のオティヌスは冷ややかな無表情のまま、シャワーヘッドをチラつかせながら言葉を投げかける。
「夢ではない。コイツで可哀想な子犬のようにお前をずぶ濡れにしてやってもいいが、さっき痛い痛いと転げ回っていたのは誰だったかな」
「た、確かに……まだ肘とか痛ぇし、夢じゃないのか……?」
転げ回ったのは断じて自分の意思ではなかったが、そんなことはどうでもよかった。
信じられない気持ちで浴槽から身を起こし、実体があるのか確かめるためにオティヌスの華奢な肩を掴む。パッパッパっと肩から腕までを触ると、毛布越しではあるが、確かに人肌の感触と体温が伝わってきて、間違いなくそこに肉体があることを示していた。
「本当に戻ったんだな! 良かったなオティヌス。本当に良かった……!」
「……っ、わかった。わかったから気安く人の身体にベタベタ触るな!!」
ほぼ抱きしめるような勢いで喜びを露わにする上条を、顔に血の気が集まったオティヌスが引き剥がす。
こほんと咳払いをしたオティヌスが言う。
「私もついさっき起きて現状を認識したところだ。詳しい事情は知る由もないが、一つ確かな実感がある。この状態は長く持つまい」
上条を起こす前に多少の魔術的な考察をしたオティヌスだが、いかに人智を超えた智慧の持ち主の彼女でも理由を推察することはできなかった。
ミニマムオティヌスになった経緯は十中八九、他の『魔神』の介入によるものだろうと当てがついている。が、今回の場合は『魔神』たちに利があるとはとても思えない。
また、魔神オティヌスは九割九分死滅した。だが、逆に言えば一分『魔神』の性質を保っている。その状況そのものが前代未聞であった以上、そこから何が起きても不思議ではない。
尤も、身体が戻った今でも、見習い魔術師が最初に習う光を灯す魔術すら使えない身ではあるが。
他にも色々と考察したが、上条当麻という男は長い話を最後まで聞く気力と能力に欠けていることをオティヌスはよく知っているので、結論だけを述べる。
「不条理が元で起きた現象ならば、安定して長く続く訳もない。数日も保てば良い方だ」
『妖精化』を逆手に取って『魔神』として完成したものの、結局は齟齬が生じて自壊したように。
希望の灯を軽い気持ちでふっと消すような調子でオティヌスは言った。
それに上条は残念そうに顔を伏せたが、あっけらかんと笑い飛ばした。
「そうか……少しの間かもしれないけど、元に戻れてよかったじゃねぇか。せっかくだ。やりたいことを存分にやろうぜ。俺も付き合うからさ」
自殺してでも目を背けようとした幸せな世界を、一番近い場所で永劫に眺め続ける。
世紀の大悪人のオティヌスのために課せられた史上最悪の刑罰。
ほんの少し、されど致命的な違和感を抱えたこの世界を見続けなければならないオティヌスには、上条当麻が監視人として枷を嵌められている。
それは上条も承知の上でオティヌスを受け入れ生活を共にしている。
けれど、彼はそういう事情を度外視して彼女を励ます。
この世界でただ一人のオティヌスの『理解者』である上条は、だからこそオティヌスの心に寄り添える。
オティヌスの笑顔を守りたい。
純粋なその願いと共に発せられる提案に、隻眼の目尻が緩んだ。
あの地獄の逃避行、吹雪で真っ白になった世界を二人で歩いてた最中、上条が言った言葉を思い出す。
『全部終わったら、やりたいことを見つけろよ。パン屋さんでもお花屋さんでも何でも良い。お前が本当に一番にやりたいことをさ』
その問いにオティヌスは答えをはぐらかした。
自分が救われることに、上条が自分の罪を分かち合ってしまうことを恐れ、生き延びようとしていなかったから。するつもりもないのに、したいという思いを打ち明けても仕方なかった。
でも、今は言える。
あの時に言えなかったことを。
本当に、一番に、やりたかったことを。
「そうだな。少し外を歩きたい。この街で行ったことのない場所がいいな」
「よし。そうと決まれば今すぐ行こうぜ!」
よっこいせと浴槽から乗り出した上条が右手を差し出しながら言う。
「その毛布洗濯するから返してくれ。インデックスのも洗わないと」
インデックスが起きてるか確認しようとした上条だったが、オティヌスがさっと身を引いた。
「ダメだ。今は渡せない」
「え? なんで? 今の一瞬でお気に入りになっちゃったの?」
花柄の刺繍が施された毛布だから気に入る気持ちはわかるけど、肌身離さず持ち歩きたいレベルで気に入ったのか。
不可解なアクションに困惑する上条。それに対し、まるで変質者から距離を置こうとする女子高校生のように自分の身体を抱きながら上体を反らすオティヌスが、そっと言った。
「よく考えろ。以前の私の身体にはあって、今の私の身体には無いものがあるだろ」
「………………えぇ?」
「お前っ! 今まで私の何を見てきたんだ!」
「クイズ王じゃねぇんだからそんなナゾナゾ急に言われてもわからねぇよ!」
「ナゾナゾなんかなじゃない! そのまんまの意味だ! 自分で言うのも変だが、トレードマークみたいなものがあっただろ!」
オティヌスのトレードマーク。
想像を絶する力を制御するためだけの『槍』のことか、隻眼であることか、でっかいツバの魔女帽子を被っていることか。
「あぁ、あの帽子か」
「そうだ。それがコレだ」
そう言って毛布の下から差し出された手には、ミニマムオティヌスが着けていた魔女帽子。当然、身長15センチの頃に着けていたものなので、相応にチューニングされているので、とても小さい。着せ替え人形のパーツそのものだ。
それと、よくわからない糸切れ。いや、よく見たらその糸切れに見覚えがった。
そう、パリコレでもお目にかかれないであろうこの挑戦的なデザインは───!
「おまっ、その下裸なのかよ!?」
「わかったらさっさと服を持ってこい! 神に恥をかかせた罪は重いぞ!」
雷霆の如き怒鳴り声を背に風呂場を飛び出た。
冷静に考えれば小さな身体から大きくなったのだから服が着れなくなるのは当然だった。
だが魔神オティヌスからミニマムオティヌスになったときは服ごと縮小していたのだ。普通は身体が戻ったのならば服ごと戻ったと考えるだろう。
まさか戻るときだけ服は置いてけぼりにするとは思わない。決してその可能性に思い当たらなかった訳ではない。先入観とは恐ろしいものだ。
というか、眼帯はそのままなのか。
己の目を己で抉り、知恵の湖に捧げる。
『魔神』オティヌスになるために必ず通らなくてはならない、唯一の正解ルート。
それを象徴する眼帯は、オティヌスの身体の一部と認識されているということなのだろうか。
本当に不思議な現象である。
ともあれ、あとちょっとで「さっきやられた分をやり返してやるかー」くらいのノリで毛布を引っぺがそうとしたのをオティヌスに悟られなかったことは幸運と考えるべきだろう。
◆◇◆
「業腹だが、持たざる者に物を強請るほど私は恥知らずではない。許してやる」
「……」
「おい。何か言いたいことがあるなら聞くぞ」
さっと目を逸らす上条に詰め寄るオティヌス。顔を覗き込もうとするオティヌスからさらに逃げるようにする上条。
率直に言って、オティヌスの彼Tの破壊力が凄まじかった。
オティヌスから服を持ってこいと言われても、上条さんは健全な男子であるからにして、当然女性用の服など持ち合わせていなかった。
強いて言うならインデックスの部屋着があるが、インデックスの体形は小学生並で、オティヌスは高校生並。合うはずもなかった。
なので不可抗力的に自分が使っているパーカーとズボンを渡さざるを得なかったのだ。
Tシャツではないって? 上条さんは一向に構わんが。
控え目に言って絶世の美少女、しかも絵本から飛び出してきた妖精のような金髪碧眼美少女が、サイズが合っていなくて少しダボっとしたパーカーを着ている。それも自分の。
その事実に形容に尽くしがたい気持ちが込みあげてくる上条はいたって健全な男子高校生なのである。
なおズボンのウェストはベルトで調整し、股下の丈はだいぶ短かった──上条は泣いた──ので、ベリーショートソックスを履くことで足を長く見せるファッションであるとすることにしたらしい。
ちなみにパンツは穿いていない。衝撃のノーパンである。
元から着ていた服からしてオティヌスにはパンツを穿く文化がないようだ。
あの恰好で人前に出て恥ずかしくないのだろうか。
恥ずかしくないのだろう。
「今かなり不敬なことを考えなかったか??」
「気のせいです……」
「……まぁいい」
目を逸らす上条にひとまず負の感情がないことは確認したオティヌスは追及を取り止めた。
「外を散策する前に行くべき場所が決まった。適当な服を買いに行く」
「まぁ、それには賛成なんだが、お金はどうするんだ? 悪いが、今月の食費がすでにピンチだから安物しか買ってやれないぞ」
不思議なことにどんなにお金を口座に預けても貯金できるどころか減る一方なのである。まるで底に穴の空いた水槽に蛇口を垂れ流しているかのようだ。
恐らくあのシスターもその理屈と同じ構造の胃袋をしているに違いなかった。
つい昨日まで
そこに異存はないが、せっかくのめでたい日なのに懐が寒いのは申し訳なかった。
上条の申し出にオティヌスが得意げに鼻を鳴らした。
「うむ。それについてだが、以前からお前の極貧生活が目に余っていてな。あまりにも可哀相だから、慈悲深いこの私が手を回してやったぞ」
「はあ」
「携帯のホーム画面をスクロールしてみろ」
言われるがままに携帯の電源を点け、いつも使っているアプリ群が並んでいるページから隣のページに移動する。
するとそこには見たことのないアプリがインストールされていた。
目線をやるとオティヌスが優しく頷き返したので開いてみると、
「…………え」
画面のど真ん中にある欄に書かれてある金額が、自分の口座に入っている金額の二文字くらい横に長い桁を示していた。ちなみに参照元の金額はギリギリ五桁に乗るほどである。
通貨単位も日本円で表記されていて、どう見ても『あなたが現在所持している総額』を示していた。
「仮想通貨を使った賭博アプリだ。お前が寝ているときに暇つぶしで遊んでいたんだが、つい先日超がつくほど大勝してな。気づいたらその金だ」
「は? え? ちょっ、なんか色々聞きたいことがあんだけど!?」
「携帯のロックのことか? 私が傍にいるのに何回も解除コードを入力しているのだから嫌でも覚える」
「確かにそうだけど! えっ、軍資金はどこから調達したの!?」
「キャッシュレスというのは便利だな!」
「マイウォレットから払ったのかお前! なんか減ってる気がするけど気のせいかなーって思ってたんだけど本当に減ってたのかよ!」
「増えたから良かったじゃないか。褒めてもいいぞ?」
「偉大なるオティヌス様! 万歳!」
糊口をしのぐ上条にとってお金は絶対的な生命線である。それが増える分にはもろ手を挙げて喜ぶ他なかった。
上条の絶賛に口角を震わせながら「うむうむ」と何でもなさそうに頷くオティヌス。
朽ち果てたとはいえ、神であることに変わりない少女だ。純粋に崇敬される分には気分がいいに決まっていた。
ちなみに、身長15センチのオティヌスがどうやって携帯を操作したかというと、ゲームセンターにあるダンスゲームのように携帯を敷いて足でタップしていた。その光景は客観的にみるとシュールに違いないが、意外と未来を先取りした姿だったのかもしれない。
「ともかく。今日使う予定の数万円は私が貰うが、他はお前のものだ」
「いや、マジで嬉しいけどこんなに貰えねぇよ。せめて七割はお前が持たないと筋が通らない」
「お前の金で始めたときにそう決めていた。さっきも言ったが、お前を憐れんで増やしてやっただけで、私の金が欲しくてやってたことじゃない」
でも、と言い募ろうとする上条にオティヌスが裁定の言葉を告げる。
「それに、貰えるものは貰っておいた方がいいぞ。お前、これから先もあの無限ブラックホールを内蔵した頭齧り虫を養っていけると思っているのか」
そう言われ、未だにベッドで眠り続けている銀髪シスターに目線を送る。
あの間抜けに半開きになった口は、オティヌスが齎した莫大な富すら食い尽くすだろう。底を突くまでのデッドラインをちょびっとでも伸ばせるのは僥倖と言えた。
「もう木綿に醤油を染み込ませたものを吸いたくはないだろう」
「…………………有難く頂きます」
あれは食べ物じゃなかった。間違いなく。
人は衣食住を満たして初めて高位の欲求を得られるのだ。
基本的欲求に逆らえるほど上条の精神は仏様に近づけてはいない。
ともあれ、上条の懸念が晴れてひと段落だ。
「そろそろ行くか。人間、店の当てくらいはあるんだろうな」
「今お前が着てる服くらいのグレードで良いならモールに行けばすぐ見つかる」
「まぁ、安物でも構わん。一式揃えられればそれでいい」
五万円もするコートを安物とか言っちゃうオティヌスの金銭感覚を信用していない上条は少し不安になった。
それを他所に、インデックスに昼ご飯と、もしかしたら晩ご飯が必要になることを書置きして、ざっと多めの現金を添えた。
たぶん足りないだろうな。さらば三人の英世先生。
すると、奥の方からのらりくらりと猫のスフィンクスが歩いてきた。そして普段自分より遥かに小さいはずのオティヌスが、自分より遥かに大きくなっていることに気づくと、
「シャーッ!」
「野生の本能だけで生きている畜生風情が、戦を司っていた元魔神たるこの私に向かって威嚇しやがったな!? まさか貴様如きの猫畜生が私より上のヒエラルキーに所属していると思ってはいるまいな! 貴様がこの家の飼い猫でなければ蹴り殺してやったところだぞ! 命拾いしたな!」
「にゃー!」
普段追い掛け回され咥えられている恨みが爆発しているのか、スフィンクスに大人げなさすぎる態度で追い払うオティヌス。
「む、そう言えば靴も買う必要があるのか。つくづく身体以外は小さいままなのがムカつくな」
玄関先で彼女が愚痴を漏らすのを聞き後を追う。
こうして魔神とのお出かけイベントがスタートした。
◆◇◆
さっ、さっ、と道行く人が目を瞠り、すぐ逸らす。ざわざわと騒めく人々に囲まれる上条は肩身の狭い気持ちでいた。
その注目の的たるオティヌスはいつもの涼し気な顔で、肩をそびやかして得意げに歩く。
「どうした人間。亀のように首を縮こめて」
「お前こそ何とも思わないのか? めっちゃ皆に見られてるぞ」
「全く気にならんが」
唯我独尊極まれりな思考のオティヌスには、視線が恥ずかしいといった感覚とは縁のない話だったようだ。
学園都市の女性は大体美少女か美人なのでちょっとやそっとの美貌の持ち主が居ても、衆人は見慣れているので何とも反応しない。
が、そんな肥えた目を持つ学園都市の住人ですら思わず振り返ってしまうほどの容姿を持つオティヌスは、それはもう目立っていた。
着色料では決して再現できない、朝陽より美しく輝きそよ風にたなびく長い金髪。
自信と共に満ち溢れる碧い光を宿す目。
百人に聞けば千人が認めるほど綺麗な黄金比で象られた顔立ち。
モデルが見れば絶望して引退するほどのスタイルを惜し気もなく発揮するカジュアルなファッション。
唯一の欠点をあげつらうならばスニーカーのサイズが合っておらず歩くたびに踵が浮いてしまっていることだが、それすらも愛嬌に感じてしまう。
オティヌスの輪郭だけ光り輝いていると錯覚するほど纏う雰囲気が違った。
気持ちは痛いほどよくわかる。他ならぬ上条も衆人の一員なのだ。
呆然と見つめてくる上条にオティヌスが問う。
「私の顔に何か付いているのか?」
「いや、見惚れてただけだ。何も付いてないよ」
「……そうか」
釈然としない面持ちで歩みを再開した。相変わらず不躾な目線を浴びせられても毛ほどにも気にかけないオティヌスは、手持ち無沙汰な様子で言葉を投げかけた。
「いつ見ても思うが、どこを見渡しても鉄の四角い箱ばかりだなこの街は。申し訳程度に植物を植えれば自然を取り入れていると言い張るのはどうかと思うぞ」
「科学の街に来て言うセリフじゃないぞそれ。それに俺が住んでる学区がそういう気質があるってだけで、他の学区に行けば自然公園があるところもあれば、でかい遊園地もある」
「ほう」
「俺たちのいる学区の隣にある、アミューズメントを専攻して研究してる学区なんだ。学区そのものが巨大な遊園地って感じで見てて飽きないぞ」
「簡単に行けるのか?」
「あそこに見えるモノレールがあるだろ。あれで五分くらいだ」
オティヌスが上条と共にいることになってからは、必然的に上条の行動範囲がオティヌスの行動範囲になっている。
デンマークから帰ってきてからは居住区域である第七学区の外を出たことがないのだ。
小さい身体から見える世界と普通の身体で見える世界はまるで違う。知識では他の学区があるのは知っているが、それでも第七学区が学園都市のほぼ全てのように感じられたのだろう。
「買い物が終わったらそこに行ってみよう。どんなものか見てみたい」
「あいよ。きっと楽しめると思う」
脳内スケジュール帳に今後の予定を書き加えたところで、ふと目線を前に戻すと見覚えのある色の髪が前方から歩いて来ていた。
「げっ、青髪ピアス!?」
「誰だそれは」
「いつだったか忘れたけど師匠とかいうすっげー不名誉なあだ名付けてきたヤツだよ! 今この状態を見られるともっと面倒なことに……! いったん逃げよう!」
ただでさえ脳内嫁をフィギュアに出力して持ち歩いてて、理解不能な腹話術を使って中二病ど真ん中の設定をフィギュアに演じさせているヤバいヤツ認定されている。
そのフィギュアに命を吹き込んだと勘違いされかねないこの現状を見られると、絶対にマズイ。
その思いからオティヌスの手を引こうとすると、ガクンと前につんのめった。
石を引っ張っているのかと思うほど強い力で踏ん張ってきたのだ。
「おい。私と共にいると何の不都合がある」
「お前は気にしないんだろうが、俺が気にすることがあるんだよ! 主にマイナス方面にぶっちぎった風評被害を被る!」
「他人がどんな風にお前を評価しようと、私は決して見誤ることはない。それで十分だろう」
「お前が見誤らくても他のヤツらが見誤ってくるのが問題なんだ! ねぇ早く逃げよう? もしかしてオティちゃんは俺を社会的に抹殺しようとしてるの??」
「オティちゃん言うな。ふん。つまり何とかピアスとやらの誤解が解ければ良いんだな」
「それができれば苦労しないって! 今の時点でぐちゃぐちゃに絡まってる誤解を解ける訳ないんだって! ていうか修正不可能なレベルで悪評が広まってるんだって!!」
ぎゃーぎゃー喚く上条の要求をにべもなく一蹴したオティヌスの前に、ついに青髪ピアスが到着した。
「やあ、師匠! おはよ~さん。それと…………」
そこでオティヌスの姿を認めた青髪ピアスの言葉が途切れた。全身を一瞬でくまなく観察するという超高等テクニックを披露した青髪ピアスは、一拍間を開けて言った。
「師匠……これ、いつも持ち歩いてた嫁フィギュアじゃないか! それに着せてる服も師匠の服! まさか人体錬成まで出来るようになっていたなんて……ッ! キミはどこまで進めば気が済むんだ!」
ほら見たことか! と青髪ピアスに訂正を図ろうとする上条だったが、オティヌスがそれを止めた。
「私は嫁フィギュアではない。自分の意志を持ってこの人間の隣にいる。操られてなどいない」
そう言い放ち、ぽかんと呆けている上条の腕に自分の腕を組み、しっかりと指まで絡めて見せつけた。
わお! と観客から黄色い声が上がった。
「見ての通り取り込み中だ。下らん話は後にしろ」
「お、おぉ……大変失礼しました……」
おちょくりなど挟む余地無しの勢いに、思わず敬語で謝りながらそそくさと道を開け青髪ピアスが通り去っていった。
「フィギュアにしては出来すぎてるし人間にしても出来すぎてる……カミやんは一体何者なんだ……?」とブツブツ呟いているのがすれ違いざまに聞こえた。
上条は壊れたブリキ人形のように、グギギと首を回した。
ふんすと聞こえんばかりにやり遂げた顔をしたオティヌスがいた。
「どうだ」
「どうだじゃない! いや多分誤解は解けたと思うけどまた違う誤解が生まれただろ今の!」
「金髪碧眼の超絶美少女が望んで人間と共にいる。完璧じゃないか」
「共にいるのニュアンスがだいぶ違いますよね!? 完全に男女の仲って意味で伝わってたよね!?」
「この前も言ったが、他人の認識なんぞ気にするな。2.5次元に生きる男などとフラクタルもびっくりな人間ではないだろう、お前は」
そこまで言うと、オティヌスは少し眉尻を下げた。
「それとも、私が隣にいることが嫌なのか?」
「え、いや、そういうことではないです……。ただ気恥ずかしかっただけで……」
初めて見る、割と本気で傷ついた顔をした──本人は自覚していなさそうだが──少女を前に、鈍感にぶちん野郎と名高い少年も気後れしてしまう。
たじろぎながらも本音を伝えると、少女の顔がぱっと晴れた。
「そうか。なら良い」
「……それはそれで、手はこのままなのでしょうかね……?」
今もなおしっかりと繋がっている手、いわゆる恋人繋ぎの手を見ながら言うと、オティヌスは何てことなさそうに答えた。
「勢いで繋いでみたが、悪くない。あの逃避行の最中はろくな感覚が無かったし、小さくなった身体では繋ぎようもなかったからな。どんな感覚なのか気になっていたんだ」
「さいですか……」
指だけでなく腕も絡めているので必然的に互いの肩が触れ合うほど身体が近い。じんわりと伝わってくる人肌の温度と、細い手から直接流れてくる熱が妙にくすぐったかった。
「自分の意志で、か」
己が言った言葉を反芻する。その言葉に含まれるニュアンスに、ふとある男から言われた言葉が頭によぎったのだ。
『パートナーなら困らせるものじゃない。相手を尊重するべきだ』
生意気なご高説だが、小癪にも的を得た忠告だ。
共にありたいと願うのならば、自分の意志があるだけではいけない。相手の意志もあってこそ共にあるのだ。
ジグソーパズルのピースのように、ぴったりと合う人間関係はまずない。
でも、だからこそ、関係を長く続けたいのであれば、ある程度自分を変えないといけない。
相手と息を合わせ、思いを伝え、分かり合わないといけない。
さもなくば相手との反りが合わなくなり、積み上げたジェンガのようにたやすく瓦解してしまうだろう。
「人間。いや、上条当麻」
「はい」
「上条。これも長いな。当麻。うむ、これからお前を当麻と呼ぼう」
「……急にどうした?」
「人間と呼ぶのは個を識別していないようでよろしくない。相手の意志は尊重してやらないとな」
「さっきのやり取りで俺の意志は尊重されてましたか?」
「前向きに善処しよう」
「してなかったってことじゃねぇか!」
「そんなことより、さっき言っていた遊園地にはどんな遊具があるんだ?」
「そんなことって全然善処してねぇじゃん……まぁいいや。あそこは絶叫系が有名かな。山から滑り落ちたり、360°回転するジェットコースターがあって────」
調和の取れたやり取りに魔神の少女は顔を綻ばせる。少年は初めて見るその顔を盗み見る。
繋いだ二人の手は隙間なく結ばれていた。