魔神の為に鐘は鳴る   作:ミミルの泉

4 / 4
後日

ふと目が覚める。

灯りがなく暗いものの、秒針の規則的な音と

 

「女の子を裸にひん剥くのは普通に犯罪なんだよとーまぁ……」

 

物騒極まりない寝言を涎と共に垂れ流す銀髪シスター。

 

女児向けのドールハウスに使われているような玩具のベッドの上で横たわっていたことまで確認し、オティヌスは深くため息をついた。

 

「やはり身体は戻ったか」

 

昨夜の記憶であるはずの等身大から見る視界と、何もかもが馬鹿デカく見える今の視界が現実として突きつけられる。

わかっていたことではあるが、期待を手酷く裏切られた気分だ。

 

時計の音。同居人の寝息。人形サイズに拵えたベッド。

身体が縮んでから繰り返してきた、変わらない日常。

それが昨日と今日の境目を曖昧にする。

 

すっと頭によぎる。

アレは夢だったのではないか。

 

ここしばらく寝覚めの悪い日々が続いたが、今日に限っては気分が良い。

そっと自分の唇に指を添える。

あんなに恥ずかしくて、しかしそれ以上に嬉しかったことなんて人生で初めてだった。

 

だが、夢とはそういうものだ。

自分が心から欲しているものを映し出す鏡。

まさに夢にまで見た光景を表現しただけの、空虚な妄想。

 

「そんな……」

 

うなされたように声を漏らしたが、視界の端に夢の欠片を見た。

赤の下地に黄土色のチェック柄の入った上着。

ベッドのすぐそばに下手くそに折り畳まれたそれは、間違いなく上条に選んでもらった服だった。

今の自分からは間抜けなほど大きく見えるが、それこそが昨日の夢のような出来事が現実だったことを証明してくれる。

 

「アイツめ」

 

目が覚めてもすぐにわかるよう近くに置いてくれてたのだろう。

相変わらず浴槽で寝ているのであろう上条の気遣いに心がくすぐられた。

 

そして、インデックスの寝言の意味を悟った。

服はそのままに身体が縮んだということは、始まりのときと同じだったということだ。

ホテルから家に連れて帰ってきたときにインデックスに目撃・誤解され、ミミックよろしく頭を齧られたといったところだろう。

 

現在進行形で素っ裸であるオティヌスは、いつもより二枚ほど多く被せられた布団代わりのハンカチを退けて、すぐ近くに置かれていた自分の服一式を着る。

 

無防備な意識不明のときに裸を見られたことを意味しているが、上条のことは信頼している上に、それはそれで時間の問題だと考えているので気にしなかった。

 

「さて……おい、ベランダから私を覗き見しているヤツ。殺してやるから出てこい」

 

オティヌスがそう投げかけると、誰もいなかったはずのベランダにまるでヴェールが剥がれたかのように姿が現れた。

 

「……誓って言うが、お前の裸を見ようとしていたわけじゃない」

「また貴様か、オッレルス。妻帯者の身でありながら他所の女の裸を窃視しにはるばる海を渡ってくるとは、見下げ果てた性根だ」

「全くの誤解だ! そんな邪な動機じゃないし、背中が見えた時点で目は背けた!」

「だろうな。そこのガラス戸は不用心なことに開いてるからさっさと入ってこい。完全にシュールな変質者だぞ貴様」

 

流すというよりは、意識するのも面倒くさい。

そんな感じですげなく促しながらも「靴は脱げよ」と釘を刺す。

オッレルスの探るような目線を受けながら、

 

「……で、何の用だ。前にも言ったが、『魔神』に戻るつもりも『元の世界』に帰るつもりもない」

「どの口が言っている。世界中にこんな姿を見せつけておきながら『魔神』に未練はありませんだなんて通用するとでも?」

 

寝ている銀髪の少女に気を遣っているのか、抑えた声と共にスマートフォンのスクリーンを見せつけてきた。

そこには、差し出されたフォークから何かを食べたのであろう少女が幸せそうに微笑んでいる写真があった。

 

「これほどの美貌の持ち主がこの世にもう一人居たとはな」

「お前と寸分違わぬように見えるが?」

 

眼帯を外してからとぼけることだな、と溜息混じりに言われる。

 

どこぞの誰かが身勝手にも昨日の一部始終を撮ってSNSにアップロードしていやがったらしい。

その容姿とシチュエーションがマッチし過ぎてしまったのか、その画像は投稿されたとたんに急速に拡散された。

いわゆるバズったというやつである。

 

一般人にとってはこんな絶世の美少女がいるもんなのかーと驚く程度のものだったのだろうが、世界のお偉いさん方にとっては核兵器級の爆弾だった。

なにせ史上最悪の犯罪者がかつての力を取り戻したかのような姿をこれ見よがしに見せびらかしているのだから。

もはや喧嘩を売ってるに等しい暴挙だった。

 

オティヌス本人も予期していなかったとは言え、一時的に、それも見た目だけだったとしても、可逆的な変化だったのは事実なのだ。

その確率がいくら皆無に近かろうが、『魔神』オティヌス復活の可能性を示唆してしまった。

 

今すぐにでも抹殺作戦が決行されん勢いのところ、オッレルスが間に入ってまずは様子見をするという穏便策に落ち着かせたのだ。

もっとも、直接交渉したわけではなく実行する姿を公表することで牽制しているだけなので、何の強制力もないが。

 

「おかげでもはや並の魔術師にすら劣る私が足を運ぶことになった。まぁ、着いた頃には収束していたようだが」

「ご苦労なことだ。貴様の『甘え』はつくづく理解に苦しむ」

「言っただろう。こうしている今も、私はお前を攻撃しているのだと。『魔神』オティヌスを最も弱体化できる関係性があるのなら、それを維持するのが最も効果的だ」

「ということは、少なくとも貴様は私が復活したと考えていなかった訳だ。そしてそれはこちらに到着した時点で確認できた。ならばなぜわざわざ私に接触した」

「確認できたからこそ、新たな疑惑が浮上したからだ。

オティヌス、お前は確かに戦争の神としての力は失ったのだろう。

だが、智慧の神としての力は依然としてそのままだ。

であれば、人を誑かすことで悪事を働くことも造作もないこと。

上条当麻の近くにいる彼女を利用される危険性がある」

 

目配せした先にいるのは銀髪シスターこと禁書目録(インデックス)

彼女の頭の中にある十万三千冊の魔導書は、全てを正しく使えば魔神に届く可能性を秘めている。

すでに魔神へと至れるほどの智慧の持ち主であるオティヌスにかかれば、再び魔神へ返り咲くことも可能だろう。

 

その指摘に対し特に反論しなかったオティヌスは、やはり冷たい表情で言葉を打ち返す。

 

「くどいぞ。実現可能性がそこにあったとしても、私は手を出すつもりはない」

「今はそう思っていられるだろうな。だが五年後、十年後、五十年後、百年後。今と同じ決意を保っていられるかは保証できないだろう?

お前が決意を翻したからこそ、世界は危機に直面し、そして保った。前例がある以上、警戒しないわけにはいかないな」

「……相変わらず、上っ面しか理解していないくせに、訳知り顔で核心を突く男だ」

 

誰もが疑うであろう事柄なのに、まるで世界の神秘を暴かれたかのような、大層な口ぶりで悪態をつく。

 

真意を図りかねるオッレルスだが、それもそのはず。

オティヌスは今回の騒動について言及した訳ではないからだ。

 

オッレルスが知る前から、ずっとずっと昔から、オティヌスは『魔神』だった。

そして、オッレルスが認識する世界の始まりよりもずっと前に、『魔神』の力を放棄した。

もうこれ以上の精度で世界を作り直すことはできないだろう。

そう確信して、偉大すぎる力を脱ぎ去ったというのに、あるときにその決心を覆してしまった。

 

この意志の一貫性の無さこそが、オティヌス自身が最も懸念するところだった。

 

実際、オティヌス自身も今の状態が許されていること自体が相当甘いなと思っているところだ。

 

確実な安心を得るためならば、身体の隅々まで分解して、各部位を世界中にばらまきながら厳正な管理を行い、出来うる限りの封印を施す。

それが『妥当』な落としどころだ。

それが『妥当』なくらいなことをしでかした自覚はある。

 

しかしそれは一人の少年によって阻まれた。

彼の尽力あってこそ、世界は今の処遇で許してくれたのだし、オティヌスも刑罰の従事を全うするつもりなのだ。

 

数えるのも馬鹿らしいほど人の善意を踏みにじってきたけれど。

彼の意志を、こんな自分をも繋ぎとめようとしてくれた心意気だけは、何よりも大切にしたい。

それだけは、幾星霜の時が流れようとも決して損なわないよう日々を刻み込むと決めている。

 

が、それをどの口で言うかと一蹴されるのは当然のこと。

背の高い椅子にふんぞり返っているお偉い方々はともかく、少なくとも目の前の男を納得させられる根拠を述べる。

 

「私がこの決意を固めているのは、上条当麻への義理だ。

なるほど確かに『理解者』を得て、『理解者』を伴って『元の世界』に帰れるのであれば、それは最上のことだろう。

だがそれは奴に私の痛みを、苦しみを、絶望をそっくりそのまま押し付けることになる。

何億もの世界に押し潰されながらも私という怪物に歩み寄り、私を『理解』してくれた。

『理解』してくれている奴にこそ、あんな地獄は二度と味わってほしくない。

他ならぬ私がアレを押し付けるような真似は絶対に許さない」

「……」

「そして私の『理解者』は『今の世界』に居るからこそ私の『理解者』足りえている。

元気に走り回る自由な犬が好きなくせに、首輪とリールを枷せた犬を愛でるようなものだ。

奴は『今の世界』にいるからこそ奴であり、それが何よりも尊いものなんだ。

私はもうキャンバスを見失うような真似はしない」

「そうか……」

 

瞑目する。

瞼の裏に映し出されるのは、歪められた世界にただ二人、明確な対峙を遂げたあの時。

 

絶対的悪人として立ちはだかり、邪悪な笑みを浮かべていた少女。

絶対的暴力を誇っているにも関わらず、何の希望も見通せない空虚な目を向ける少女。

 

あの時。いや、それ以前から。

もしかしたら、オッレルスが認識している『始まり』よりずっとずっと前から。

 

少女は『探し物』をしていた。

 

それが何か検討もつかなかったし、知ろうとすらしていなかったが。

船の墓場(サルガッソー)』で『妖精化』を食らわせてやったオティヌスは依然そのものだったが、オーデンセの街で助けたオティヌス、そして今の彼女の目には何か満足げな色が浮かんでいた。

 

『探し物』は見つかったようだ。

『探し物』を見失うことはないだろう。

 

かつて届きはしなかったものの、限りなく近い領域で魔神の力を奮っていたオッレルスだからこそ、オティヌスの苦悩を多少は『理解』できるつもりだ。

 

オティヌスもそれを『理解』しているからこそ、ソレを持ち出したのだろう。

彼女はソレを誰にも明かさなかったし、明かそうともしていなかった。

オティヌスの中に芽吹いた何かは、順調に育まれている。

 

「根拠としては弱いが、心証を加味して及第点といったところか」

「であれば、良きに図らっておけよ。貴様が指摘した通り、何がきっかけで心変わりするかもわからんぞ」

「そう脅さなくとも悪いようにはしないさ。お前や上条当麻の性質が変化するのは、私も望むところではない」

 

ずいぶんと損をさせられてきたと自覚しているが、これも性分だ。

オッレルスは胸をなでおろすとともに、手元のスマホに映したままの画像を見遣る。

 

「それはそれとして、オティヌス。今回の一件は随分とお前らしくないじゃないか。なぜこんな不用心な真似をした? この姿を晒せば世界が黙ってはいないことくらい百も承知だろう」

「貴様に話す義理などない」

「ただの世間話のつもりだよ。奇遇なことに、お互い何の脅威もない只人の身になったんだ。因縁の敵としてではなく、旧知の間柄として話し合っても良いんじゃないか」

「では尚更だな。貴様には微塵も関係のない話だ」

「私の予想だと、その代価に見合うモノがあったのか────」

「おい、勝手に話を進めるな成り損ない」

「────そもそも考慮するほどの余裕がなかったのか」

 

少女は口をへの字にして黙り込んだ。

いつもの訳知り顔のまま、オッレルスは続ける。

 

「互いの願いが形となったのだから逃すわけにはいかなかった、といったところか。私としては喜ばしいことだがね。かの冷酷無比な戦神が、まさか高所恐怖症だったとは」

「チッ、貴様いつから見ていやがった!?」

「絶叫マシンを楽しんでいたところから。着いた瞬間から笑わせてもらった」

 

よりにもよってこの男に見られるのは最悪も最悪だが、それをどうでもいいと感じるほどの激情が噴き出る。

 

「まさか貴様」

「いや、お前が危惧していることはしていない。敵だった頃なら話は別だが、そうでなければ人のプライベートに踏み込みはしない」

「今回も踏み込んでいないとでも?」

「文句を言える立場ではないだろう。破格の譲歩をしているつもりだ」

 

あの画像がアップロードされた昼頃からすっ飛んできたにしては、ずいぶんとお早い到着だ。

北欧から日本までは飛行機を用いても半日はかかるはずの距離をどうやって踏破したのやら。

まさにすっ飛んできた、と言ったところか。

 

オティヌスの怒りと疑いがこもった睨みを受けて、オッレルスは肩を竦める。

 

「何の他意のない会話のつもりだったんだがな。どうやらこの期に及んでも私たちは雑談すらままならないようだ」

「何をどう判断すれば溝を埋められると考えたんだ」

「かつてなら、こうして顔を突き合わせた時点で殺し合いが始まっていた。それが会話くらいはできるようになったんだ。多少は期待するさ」

「交戦できないならば、舌戦をするだけだ。それ以外の余地などない」

「そうか? 私の知るお前なら、そもそも口すら利かなかったと思うが」

 

それが何を意味するか、わざわざ言葉にするまでもない。

 

「さて、これで私の用事は済んだ。お前の方から何か確認したいことはあるか?」

「無い。さっさと消えろ」

「やれやれ」

 

オッレルスがベランダを跨いだとき、「いや、待て」と制止が入った。

振り返ると、少女が鼻を鳴らし、顔を逸らした。

 

「『あの助言』は役に立った。それだけは言っておく」

 

青年は少しだけ目を見張ったが、すぐにいつものポーカーフェイスに戻った。

片手を軽く挙げるだけにし、今度こそ夜の暗闇へと消えていった。

 

すると、背後から、

 

「オッレルスのヤツ、もう行ったのか?」

「……起きていたのか」

「盗み聞きするつもりじゃなかったんだけどな」

 

さっきの男みたいなことを言う。

バツが悪そうにしながら浴室から上条が顔を覗かせた。

 

昨日を含めれば、不意の気配を察知できなかったのはこれで二度目だ。

もしかしたら他の勢力による監視の目もあったのかもしれない。

 

以前であれば容易く看破出来ていたはずのそれ。

分析などしなくともわかるくらい明確な原因。

我ながら絆され過ぎていると呆れてしまう。

 

「いつから聞いていた」

「殆ど最初から」

「なら入ってくればよかっただろう」

「俺はオッレルスが規格外の怪物だってことと、お前ら二人にしかわからない柵があるってことしか知らない。二人だけの方が話しやすいんじゃないかと思って」

 

それに、と一つ区切り、

 

「俺からは聞きづらい話をしていた」

「……『元の世界』の話か?」

 

少年は静かに頷いた。

 

「お前から『元の世界』を奪った身で聞くのもおかしいけど、ずっと気になってたんだ」

「お前が奪ったんじゃない。私が譲ったんだ。あの決断に後悔はない」

「でも、ほぼ毎晩うなされていたぞ」

「!」

「自覚がないだけで、やっぱり苦しいんじゃないのか?

俺なんかよりもあの迷宮にずっと永く迷い続けてきたんだ。

ずっと探し求めていた出口だったのに俺が────」

「当麻、こっちに来い」

 

神様らしく傲慢に話を遮られた。

小さな小さな手で招かれた場所、少女の眼前に移った。

 

その碧い眼が向けられる。

湛える光は穏やかで、緩やかに細められている。

あまりにも永く、深い歴史が濃縮された知性。

それが、彼女の最大の強みであり、そして伊達や酔狂とは程遠い存在であることを思い知らせる。

 

「『元の世界』に未練が無いと言えば嘘になる。

うなされていた自覚も無いこともない。

お前なら『理解』できるだろう?

私の居場所はここじゃない。帰るべき場所があるはずだ。

そんな身が焦がれるほど激しい帰巣本能が、ふとした拍子に襲ってくる」

 

徐に自分の肩を抱きしめ、身を縮こませた。

極寒の地で迷子になってしまった哀れな旅人のようだった。

 

「思えば、後悔の尽きない人生だったよ。

全能感に酔いその先に何が待つかも知らずに『位相』を弄った時。

誰も彼も笑顔を振りまく気持ち悪い世界で本当の平和を考えた時。

『前の世界』で本当に世界を完璧に作り直せたか不安になった時。

その度に、どうしてあんなことをしてしまったのかと思い悩んだものだ。

なまじほとんどの問題を解決できる程度には頭の出来が良かったからな。

どうにかできるはずだと先に進むたびに後悔が増えていった」

 

だが、と。

上条に目を合わせると、暖かな光を見つけたように微笑んだ。

 

「お前を選んだことだけは、正しい判断だったと確信しているよ」

「どうしてそう言い切れるんだ? 夢に見るほど欲しかったモノじゃないか」

「そりゃあ、永劫なんて生ぬるいくらいの時間をかけて探したモノだからな、惜しむくらいはするさ。

けれど、惜しむことと後悔することは同じではない。

仮にあの瞬間に戻ってやり直せるとしても、即断でお前を選ぶ」

 

物申す気配を先取り、オティヌスは人差し指を突きつける。

 

「今更お前に言うまでもないが、私が欲しかったのは『理解者』だ。

ジオラマの世界を作った私と、その世界の住民。

『元の世界』に戻ったところで、結局その関係は変わらない以上、戻っても『理解者』なんているはずがないんだよ」

 

そして中指も指し向けた。

 

「新しい『理解者』が生まれることはもっと無い。

成り損ないはいたが、所詮は成り損ないで、それ以下になることはあってもそれ以上にはならん。

昨日も言ったがな。

あの地獄を潜り抜けてきてくれたのはお前だけだ。

お前と出会う前からどれだけ世界を作り変えてきたと思っている?」

 

とある物品を無いと断ずる。

それは悪魔の証明だ。

 

けれど、『魔神』オティヌスにはそれを可能にする力と性質を併せ持っていた。

 

だから繰り返したのだろう。

自分が納得できるまで。

 

きっと上条のときの倍────いや、数十倍は繰り返したに違いなかった。

 

「わかるか? 当麻。

私にとって、お前という存在がいかに儚くも尊いものか」

「……」

「支配した人形ではなく、完全に独立した個であり違う考えを持つ人間に、それでも『理解』してもらえる幸福。

スケールの小さい人間たちにとっては当たり前の日常でも、神にとってはかけがえのない体験なんだ」

 

慈愛と共にそう言い切ったオティヌスは、一輪の薔薇のように笑った。

 

世界全てを敵に回しても片手間に勝利できてしまえるほど栄華を極めた少女。

いまや、あらゆる力を失い、あらゆる生物よりも惰弱な身にまで堕ちた少女。

 

喪失したモノがあまりにも多いにも関わらず幸せそうに笑っているのは、失ったモノよりも大きなモノを見出したからに他ならない。

 

その姿に上条が求めていた答えが満ち溢れていた。

 

「そっか……。じゃあ、俺の思い過ごしだったんだな。取り返しのつかない傷をお前に付けてなかったんだ」

「大袈裟なヤツだ。悪い気はしないがな」

 

そこまで言って、

 

「ちょうど良い機会だ。私からも聞きたいことがある」

「なんだ?」

「恐らく不老不死である私と、定命の身であるお前。

近いか遠いかはさておき、いつかお前を見送る時が来る。

そうなれば、二度目の喪失を経験することになるだろう。

私はそれが怖い。

お前が死ぬことがではない。

その後の私がどうなっているか、想像できないことが怖い。

狂い果てて植物状態になるなら良いが、お前がいない世界に絶望して、性懲りも無く再び世界を作り直そうとするかもしれん。

たぶん、今ならまだ間に合うんだ。

色々なことを知らずにいる今なら、上条当麻と結ばれる道を諦められる。

でも、あと少しでもお前を知ってしまったら歯止めが効かなくなる。

……こんな私でも良いのか?」

 

尊大な態度とは裏腹に、オティヌスは怖がりな女の子であることを上条は知っている。

 

あらゆる事象を片手間で解決できてしまう『魔神』の力が怖い。

『魔神』の力が無くとも世界を相手に勝利できてしまう智慧が怖い。

そして、そんな絶大な能力を自制できない己が怖い。

 

オッレルスに言ったし、オティヌスもそう在ろうと心掛けているが、それでも怖いものは怖いのだ。

 

「……あんまり良い解決策じゃねぇんだけどさ」

 

上条は自分と少女を交互に指差し、

 

「一緒に死ねば良いんじゃね?」

「……は?」

「無理心中って意味じゃないぞ? 

俺が天寿を全うするまでにどうにかその状態を治す方法を見つけて、一緒に歳を食っていくようになればオティヌスが不安に思うようなことも無くなると思う」

「どうにかってお前、そんなのどうやって見つけるんだ。

『魔神』に昇華するならともかく、人間に堕落する方法など誰が研究している」

「さぁ? でもたぶん方法はあるよ。一瞬だけでも身体が戻ったんだったら、不老不死の神様からただの人間になることだってできるさ」

「お得意の楽観か?」

「お前は悩み過ぎなんだよ。魔術の神様なんだろ? やろうと思えばすぐ見つけられるさ」

 

ひどく他人事のように宣う上条。

実際、死後の話、それも私の気分が変わるかもしれないどうしよう、なんて話しなのだから、究極的に彼にはどうしようもない問題であるに違いなかった。

 

「まぁ、オティヌスが不老不死を捨てるかどうかはともかく、新しい目標を立てたら良いんじゃないか?

オリンピック選手になって金メダルを取るとか、バックパック一つで地球を一周するとか、世界一のパン屋さんになるとか」

「……お前はなぜ事あるごとに私をパン屋さんにしたがる」

「似合うと思って。可愛いじゃん」

「………………考えておいてやる」

 

上条の戯言は聞き流し、その真意に心を傾ける。

その時になってみないとわからないことを延々と悩んでいても仕方がないのは、乱暴ながらも正しいことだ。

かつては悪意を込めて言ったが、悩まない自分に不安を覚えないのは素直に感心するものだ。

 

もう、頭を抱えるような難しい問題も、夜も眠れないような膨大な敵もいないのだから。

 

「そうだな。当面はこの身体をどうにかすることを考えるか。

当麻がヨボヨボに枯れたジジイになってから治ったところで仕方ないし」

「え? 何で俺が関係すんだ?」

「さぁな。自分で考えろ」

「最近は珍しく素直だったオティちゃんはどこへ……」

 

相変わらずのクソボケ具合だ。

何十年の時が経ても治る気がしない。

 

「そうでもなきゃお前には一生届かないからな。女の心を一から十まで言わせるな、風情を解さないポンコツ野郎め」

「痛っ、痛い! 抓らないで!」

 

数多くの乙女が同じ目に遭っているのだ。

それをこの男は無自覚に振り回し続けているのだ。

オティヌスと言えどもさすがに同情する。

 

少女たちの無念を晴らしてやったところで手を離した。

 

「ありがとう、当麻。心の内を明かして良かった」

「ん。お役に立てて何よりですよ」

「私ばかり知られて不公平だな。お前からは何かないのか?」

「じゃあ、一個だけ」

 

なんてことはない調子で、当麻は言った。

 

「これからずっとよろしく」

「────」

「くだらないことで喧嘩したり、仲直りして笑い合ったり。

そんな毎日を過ごしていこう」

 

目一杯まで見開かれた碧眼に、少しずつ涙が溢れてくる。

永い時間をかけて固まってしまった氷が溶けているようだ。

それを隠そうともせず、オティヌスは何度も頷いた。

 

「言ってくれないのかと思ってた」

「ちゃんと返事してなくてごめん」

「まったくだ。本当に罪な男だよ、お前は」

 

何の年の功も感じさせない無垢な笑みを、少女は浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

確かなモノが欲しかった。

変わらないモノを支えにしたかった。

当たり前のようでいて、実はとても難しい願いであることはわかっていた。

 

それでも願った。

 

幾星霜の時を重ね、願いは叶う。

 

見えないモノで、触れないモノであっても。

確かに二人の間に結ばれていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。