うおっ乳デカいね♡ 違法建築だろ 作:珍鎮
イベントの当日を迎えても、俺の心には霧がかかっていた。
午前中のプログラムを終えて自由時間に出店を見回りし、特に問題なしと判断した俺は適当に飯を買って人気のないベンチに腰を下ろして、静かに逡巡している。
──最近、自制が利かなくなっている気がする。
ペンダントや呪いという超常的なアイテムによって精神をグチャグチャにされる機会が多いとはいえ、この前のサイレンスとのやり取りといい何だか自分がおかしい。
普通は女子の手を一方的に握るだなんて非常識な行動は理性が待ったをかけるはずで、生命力が枯渇しているときも自制できたはずなのにあの三人にひたすら甘えてしまった。ママぁ! ママ。
駄目だろう。
たぶんだけど。
恋人でもない女子──それも複数人に弱い部分をさらけ出して、半強制的に自分を支えてもらっているこの状況は、間違いなく普通じゃない。
「たこ焼き、私も食べたい」
「……ん」
「ハフハフ……うま」
目下の問題はサイレンスとマンハッタンについてだ。
キスをされてしまった。
頬にだが、それでも異性からキスを受け取ってしまった。
そこまでされて何も感じないほど鈍感ではない。理解できなければそれは鈍感というよりただ人の心が無いだけだ。
──あいつら俺のこと好きなんじゃね? と。
延々その考えが脳内を泳ぎ回っている。
中学の頃に勘違いでフラれた経験がストップさせようとしてくるが、流石に頬にキスは異性の友人同士のスキンシップの範疇を超えていると思えてならない。男子の純情全部盗み取られる…っ、そういう危機に瀕している……っ!
それとも俺が“陰”の存在だから知らないだけで、真の陽キャたちであれば男女間でもアレくらいは普通なのだろうか。
分からない。
本当に何も分からない。
中央トレセン内でのみ存在するコミュニケーションの形だとか、よく考えたらあり得ない話ではない。……だなんて、普通なら除外するであろう可能性の話にまで手を伸ばしてしまう辺り、自分が相当動揺しているのが理解できる。ザッハトルテ。
「カレーも美味しい。もぐもぐ」
「……俺の分も残しとけよ」
「はい」
樫本先輩やドーベルとの一件で学んだことは、手放したくない縁は自分で手繰り寄せなければならないという事だ。
しかし、勘違いでこちらから歩み寄って拒絶されるのは怖い。
以前まではそれを“それでも”と跳ねのけることが出来ていたが、なまじ親密度が多少なりとも高いと判明した状況ではそうもいかないのだ。
「あそこの串焼き、おいしそう」
「お前どんだけ食うんだ……?」
「概念の再構築をしてから、お腹が空きやすくなってしまって。ユナイト時のパワーの使い方を工夫できるようになった分、三大欲求が増幅されてしまったみたい」
「三大欲求……だから最近よく寝てんのか」
「ぐう……」
「もう寝た……」
俺の肩を枕にお昼寝を始めたサンデーからカレーを取り上げて残りを食べつつ、再び思考に耽る。
どうすればいいのだろうか。
今すぐどちらかに告白して『急にがっつきすぎてキモい』と思われたら立ち直れないし、そもそも向こうの気の迷いという線も捨てきれない。二人とも担当トレーナーは年若く優れた才覚を持つ男性で、比較されたら勝目なんぞ万に一つもあり得ない。
困った。わずかにイク──
「……あれ、秋川?」
「ん。……山田」
悩める俺の前にフラっと現れたのは、イベントスタッフの名札を首から下げた山田だった。おはよう! えへへ。
こいつが短期バイトとしてイベントの設営に携わっているのは数日前に把握していた。声をかけられたのは今日が初めてだが。
「その名札……秋川もバイトかい」
「まぁな。お前も昼休憩?」
「うん、ライブの物販開始まで結構時間があるから──」
そのままサラッと俺の隣に座ろうとした瞬間、山田が遠くを見つめて固まった。何事。
「ぁ……」
「どうした?」
「い、いや、あそこにサイレンススズカが……」
人混みが多い通りに目を向けると、このイベント限定の衣装に身を包んだサイレンスがファンサを行っていた。
間もなく終わりそうだが、炎天下という事もあって随分と汗をかいている。水分補給が必要そうではあるものの現在の彼女は手ぶらだ。
「す、スタッフだし、駄目だよね」
なるほど、サイレンスに声をかけたいが立場上難しいと。
それは間違ってるぞ山田。今はお前の方が有利な立ち位置にいる。
「ほれ、さっき買ったスポーツドリンク」
「えっ……?」
「スタッフなら気兼ねなく渡せるだろ。そのまま関係者用の休憩室にでも案内すれば少しは話せる……と思う」
「秋川……ッ!!」
目を潤ませた山田は俺からペットボトルを受け取り、数回深呼吸を挟んでから一歩踏み出した。
うむ、勇気を会得したな。流石だ。
「ありがとう秋川、やはり君は親友だ」
「任せろ。今日ばかりは推し活じゃなくて、お前の青春の一ページを刻んでこい」
「う、うんっ!」
俺のドヤ顔を気にも留めずサイレンスの方へすっ飛んでいく山田。
決意さえ固まれば即行動できる……やはり面白いやつだ。
「──ぁっ。……ふふっ」
山田の接近に気づくと同時に、俺の存在も感知したらしいサイレンスはこちらに向かって小さく手を振った。ちょっと可愛すぎじゃないっすか。ファン多きウマ娘があれでは……もう何も言うまい。
とりあえず山田の邪魔にならない為に移動だ。サンデーを起こして俺はその場を後にした。
……
…………
「あ、バイクのお兄さん……っ!」
少し経ってからライブステージの裏に寄ると、何故かマンハッタンカフェの勝負服に身を包んだライスシャワーがいた。コメダ珈琲。
「ライスシャワーさん、その恰好は……?」
「えと、ライブの時にカフェさんと勝負服を交換するっていうのが急遽決まって……あっ、呼ばれたからもう行くね!」
そう言って壇上へ上がっていくおむライスを見送ると、次いで見慣れない衣装を着込んだマンハッタンがテントの中から顔を出した。
俺に気がつくとこちらへ駆け寄ってくる。そんなに恋しかった? いやしんぼさん。
「葉月さんっ」
「お疲れ。……それ、ライスシャワーさんの衣装か?」
「えぇ、くじ引きで催し物を決める会で、私と彼女が……」
あ、言われる前に言わないと。男として、そして未来の旦那として。ハピネス。
「似合ってるな。別衣装も新鮮でいい感じだ」
「……っ! ……ありがとう、ございます……」
あまりにも分かりやすく照れた。やはり俺のことが好きだと推定できる。
寄せ鍋。一生愛し抜いてあげるからね♡
にしても衝撃的な衣装だ。肩が全部露出しているではないか。何なら胸が少々──
「……あの、葉月さん。見過ぎです」
「えっ? ──あ゛っ」
指摘されて気がついた。
本当に自然とマンハッタンの胸部に視線を落としてしまっていた。あまりにも猥褻だったため。
死に物狂いで上げた好感度が地に落ちる瞬間である。いい加減にしろよ。俺を欲情させるのもよ。
「ふふ……冗談です。この衣装は今日限りですが……お望みでしたら、いつでも……」
「……ッ!?」
衝撃的な発言と淫靡な微笑みで男を惑わすマンハッタン。清楚なフリして根はスケベだね♡ 終わってんな。
「あ……出番みたいです。葉月さんも熱中症にはお気をつけて……では」
ねぇチューしようですって。俺の嫁を名乗るなら往来でベロチューくらいしてみせよ! フィットネスってこれでいいんですか?
「……はぁ」
改めて顔を合わせて実感した。
彼女たちの気持ちを断定することは出来ないが、少なくとも俺は彼女たちのことが普通に好きだ。カバディできる程度にはたくさん子作りしたい。ビルドキング。
ライブを見ることなく舞台裏を離れ、特に仕事も無いので駐車場まで戻った。
付近のコンビニにでも行って珈琲を一杯飲めば少しは落ち着くだろうか。
「あ、ツッキ~」
ヘルメットを手に持つと後ろから声をかけられた。
サングラスに帽子といった雑な変装をしたドーベルだ。制服だから変装してもあんまり意味ない。
「ようやく見つけた。……あれ、どこかに行くの?」
「人混みに疲れちまってな。ちょっとそこのコンビニまで」
「ふーん……?」
明らかにバイクの存在を気にしている。
そういえば再びバイクを手に入れたら後ろに乗せて、とか言ってたっけな。夜伽の時間ですよ~♡
「ベルも来るか」
「いいの?」
「あぁ。ていうかこのヘルメットも元はお前のために買ったやつだしな」
「そ、そっか……へぇ……」
そのまま流れでベルを後ろに乗せ、俺は一時的に会場から離脱するのであった。紛うことなきデートである。