うおっ乳デカいね♡ 違法建築だろ   作:珍鎮

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カフェオレって感じだね

 

 

 俺は心の底から焦っていた。

 

 二人分の弁当が入っているであろうレジ袋を手に意気揚々と家に入っていく従妹(やよい)を追いかけながら逡巡する。とりあえずさっさと入っていった彼女が見逃したマンハッタンのローファーは玄関付近の物置に隠せたが──このままではまずい。

 マンハッタンカフェは現在リビングで紙の地図を広げ、珈琲を片手にくつろぎつつ怪異の出現ポイントを地図にマークしてくれている。完全に油断した格好だ。それだけウチの中でリラックスしてくれているという事でもあるが今はマズいのだ。逃げろ! 社会性を全て吸い尽くされる懸念があるわ。

 

「お邪魔しますよ~っと」

「ちょっと待って、やよい……ッ!」

 

 やよいが家の中でマンハッタンを見つけた場合、彼女はどういう対応を取るのか──分からないからこそ怖い。

 少なくとも外泊許可を取ってまで他校の男子の家で休んでいる姿を見られたら誤解されるのは確実だろう。というか、抱えている事情はともかく実際に男子の自宅で寝泊まりすることに違いはないので、トレセンの責任者であるやよいがそれを見つけたら激しく咎める可能性が非常に高い。例えば──

 

『驚懼ッ!? まさか前途有望な我が学園の星である君が、よもや他校の男子と浅からぬ関係性にあり、剰え外泊許可の目的がいかがわしいモノだったとはッ! 大問題ッ!!』

 

 そう、不純異性交遊として断定されるに足る……足りすぎる状況だ。恋人なのは事実だが。

 俺はともかく、今やコマーシャルや映画に出ずっぱりな超有名俳優と肩を並べるレベルで多くの人々に認知され、日本中にファンを抱えている大人気ウマ娘であるマンハッタンカフェに同世代の男子との浮ついた関係が発覚してしまったら、もう誰にも噂の波及が止められなくなってしまう。

 やばい、マジでやばい──

 

「はぁー……葉月の家に上がるの久々だ。とりあえずテーブルの上にこれ置いちゃっていい?」

 

 ──あれっ?

 

「……葉月、どうかした?」

「えっ、あ、いや……何でもない」

 

 いない。

 リビングにマンハッタンカフェの姿が無い。

 机の上に広がっていた地図も無くなっており、居間はまるで誰も客人などいなかったような状態になっていた。

 これは一体どういうことだ。サンデー! であえであえ! サンデーはいずこに! 相棒! 嫁っ!

 

「うるさい。カフェなら地図を持って押し入れの中に隠れた」

 

 マジで……? 機転が利くとかそういう次元じゃなくねえか。

 

「カフェの直感はよく当たる。インターホンが鳴った時点でもう移動してた」

 

 そうなんだ。ますますマンハッタンちゃんの事が好きになってきた。おらもう我慢できねぇよお。

 

「あれ? 葉月コーヒー飲んでたの? マグカップが二つあるけど……」

 

 やよいが気がついたものは、机の上に残っていた俺とマンハッタンの分のコーヒーだった。

 どうやら急いで隠すのは地図だけで精いっぱいだったようで、彼女はコーヒーを零すリスクを考えてあえてマグカップをそのまま置いといたようだ。俺のリカバリー能力に賭けてくれたのだろう。旦那としての腕の見せ所だな? お前を抱くこの腕のな。

 ちなみにやよいの頭の上にいる猫こと先生は、ジッと押し入れの方向を見つめているので、彼女には気づかれているのかもしれない。今回はお静かにお願いしますね。

 

「ほら、カフェインって摂取しまくれば眠くなくなるんだろ? 昼寝しないで作業できるよう二つがぶ飲みしてた」

「えぇ……? 葉月って意外とアホなんだね。いっぱい飲んだってそこまで意味無いよ」

 

 平然と説明したらやよいが大袈裟に肩をすくめた。何とかなったらしい。

 理由は存在すればそれだけでいいのだ。わざわざ合理的なものにする必要はなく、たとえ相手を呆れさせることになろうと納得してもらえたらそれだけで役割は十分果たしている。

 

「……ん? なに、このパンパンのボストンバッグ」

「そ、それは……あの、アレだ。昨日まで修学旅行だったろ。そん時の荷物、面倒くさくてまだ片付けてないんだ」

「ふーん……?」

 

 マンハッタンが隠せなかったアイテムがもう一つ見つかってしまった。だが、あのお泊りセットは中身を見られなきゃ俺の私物ということで誤魔化せるものだ。理由も今ので十分だろう。

 

「ね、私が片付けてあげよっか」

「え゛っ」

「いつも自分で家事とかしてるんでしょ? たまにはこういうのも任せてよ、一応合鍵を預かる身だしさ」

「あっ、いや、気持ちはありがたいんだが後でいい! てか自分でやる! マジでいろいろ詰め込んであるから整理が大変だし……っ!」

「ふふっ、いとこなんだし遠慮しなくていいってば。夏のイベントの時のお礼もしたいの。……よいしょっと」

 

 説得が一筋縄ではいかず、やよいがボストンバッグに手を伸ばしてしまった。やばいやばいやばい。

 

「……あれ、チャックが開かない。んんっ……! え、何これ、固すぎ……」

「むっ……」

 

 これ以上は無理だと観念したその瞬間、ボストンバッグのチャック部分をサンデーが阻止してくれた。やよいの力技に全力で抗ってくれている。

 嫁っ! 大丈夫か!

 

「んんっ……この中には歯ブラシとタオルだけじゃなくて、下着とか勝負服も入ってる。見つかったら流石に言い訳できない」

 

 確かに女物の衣服がまとめて入っていたら庇い切れない。女装趣味があるという言い訳も苦しすぎるし、着替えも勝負服も擁護不可能だ。

 特にマンハッタンカフェの勝負服などという唯一無二のオーダーメイド服はどんな理由があっても──

 

 ん?

 ちょっと待て。

 …………なんでマンハッタンの荷物の中に勝負服なんか入ってんだ。あいつウチに泊まったらそのままどこかのレース場にでも直行する予定だったのだろうか。

 それとも撮影か、もしくは秀逸すぎるデザインに惚れて日常生活で使っている……?

 

 いやまぁ、彼女の勝負服のデザインが良いという点は俺も認めるところではある。

 なんと言ってもサンデーの普段着がほとんどそれと一緒なのだ。普通に日常生活で使いまくってる。

 サンデーの物の場合は、いかにも勝負服といった衣装らしい金色の線や目立つ金属の装飾が無く、ジャケットの丈の長さも全体のデザインも簡素になってはいるが結構似ている。

 ……あぁ、久しぶりにお揃いの服にしたかったのか。俺がやよいを愛しているように、マンハッタンがサンデーに向ける感情もデカいのだろう。腑に落ちたわ。

 

「ハヅキ。長考してないでフォローして」

 

 あ、はい。すいません。

 

「ぬぐぐぐ」

「やよい。それ以上無理やりやったら壊れるって。後で俺がやっとくからもういい」

「む、むぅ……まるで誰かに押さえつけられてるみたいに固かった……」

 

 ドキッとした。サンデーのことは見えてないハズだが、露骨に視線を彼女に向けるのは控えておこう。

 

 ……

 

 …………

 

 昼食後。いつにも増して油断しているやよいに膝枕を催促され、言われるがまま彼女を甘やかしていると着信音が部屋に響いた。おーい起きろやる事があるでしょ。呆けた顔も美人だが。

 

「お前のスマホじゃないか、やよい?」

「んぇ~、何だろ……あ、たづなさんか」

 

 彼女は面倒くさがりながら電話を手に取り、寝転がったまま応答する。

 

「んん゛っ──応答ッ! どうかしたか、たづなッ!」

 

 切り替えの早さには感心するが、膝枕されながらそれをこなすのは最早プロの技だ。ちょっとビビった。

 あんなに俺の後ろをひょこひょこ付いてきてた可愛い従妹がすっかり大人の技を身に着けて。お兄さん泣いてしまいそうですお……♡

 

「ふむ。……おぉっ、先方から連絡があったか。──なんとッ! それは一大事だ……いや、該当生徒への説明は私が直接行おう! 即刻ッ! すぐ戻るッ!」

 

 言って電話を切ったやよいはすぐさま飛び起き、スマホをポケットにしまって帽子をかぶった。ついでに香箱座りでくつろいでた先生も起きた。おはようございます。

 

「なにかあったのか? 結構重大そうだが……」

「んーん、別にマイナスな方じゃないから大丈夫。ちょっとしたイベントなんだけど……協力してもらう予定の数人の生徒には結構がんばってもらう事になるから、私から直接説明したいなって思って」

「そうか……」

 

 聞いた限りでは夏のイベントほど大掛かりなものではなさそうだが、なんにせよ彼女が多忙である事は理解した。

 それが悪いというわけではないが、このままやらせたらまた叔母さん──あの黒幕から電話が飛んでくるであろう事は想像に難くない。

 あの人に言われずとも、今度こそやよいの為に出来ることは何でもするつもりだ。もう一年前までの俺じゃない。

 

「じゃあまた──」

「あ、やよい。ちょっと待った」

「っ?」

 

 玄関へ向かっていく彼女を呼び止め、小物入れからスペアの鍵を取り出してやよいの手に握らせた。本来の目的を忘れるなんてうっかりさんめ♡ 

 

「これ、合鍵」

「ふぇっ。……ぁ、うん」

「俺がいない時でもウチは勝手に使ってくれていいから。……それから困ったらすぐに──いや、困ってなくても何かあったらいつでも連絡してくれ」

 

 あの夏のイベントの時でさえ遅すぎたくらいだったのだ。やよいが限界になって若干幼児退行しながら甘えてくるレベルまで疲弊していたら元も子もない。

 誠意と本気を伝えるために、先ほど雑に被った帽子を一度取り、改めて彼女の頭を撫でた。なでなでと一流の髪の感触を味わうぜ。

 

「ぁわ……っ」

「頼っていいんだからな。やよいの為ならどこへだって駆けつけるから」

「──う、うん……♡」

「わっ……なんだ急に抱き着いてきやがって。こいつめっ」

「きゃっ、葉月ってば……くすぐったいよぅ、やめっ、あははっ!」

 

 撫でたりくすぐったりで散々楽しんだあと、暴れるな! 俺に見送られながらやよいは満面の笑みで先生を頭の上に乗せてウチを後にしていった。久方ぶりにイチャついたがなかなか気持ち良か~♡ 向こう十年は俺の家で寝泊まりしろって言おうかな。

 とりあえず突如やってきたピンチは何とか乗り越え、狭い押し入れでウトウトしていたマンハッタンをようやく外へ出すことができたのだった。

 

 

 

 

「秋川理事長にあんな所があったなんて……知りませんでした」

 

 夕方頃、マンハッタンが『あの子を助けてくれたお礼を改めて』との事で夕食を作ってくれる流れになった。制服の上にエプロン姿が似合いすぎ女。新婚生活疑似体験も悪いものではない。なんなら今ここで付き合え! ゆっくり距離を縮めようね♡ 焦らなくていいよ。

 

「いや、アイツがあぁなるのは……いとこである俺の前でだけだよ。他の誰にも徹底してあの面を見せることは無いんだ。周囲に求められる理事長としての威厳を保つために、ずっと──だからマンハッタンさん。今日の事は……」

「もちろんです……誰にも口外することはありませんから、安心してください」

「カフェ、カフェ、私には」

「あなたは直接見てたでしょ。まったく」

 

 まぁ、マンハッタンなら大丈夫だろうという考えは最初からあったが、心配しすぎてつい余計な口止めの催促をしてしまった。彼女はたった一人で怪異の秘密を抱え込み、事実やつらに直接襲われたトレーナーや常に一緒にいたアグネスタキオン以外は誰も怪異について知らなかったのだ。ゴールドシップは例外として……とにかく、しつこく口止めをお願いしようとしたことは今一度反省しよう。

 

「……そういえば夕飯は何を作る予定なんだ?」

 

 台所で右往左往する彼女のフリフリと動く尻尾がえっちすぎて参る。伸び代に驚愕。

 

「煮込みハンバーグです……」

「マジで。……割と本当に嬉しいな」

「あの修学旅行の日、デジタルさんと一緒に山田さんから聞きました。面倒くさいから作らないけれど、葉月さんの一番の好物だ……と」

「あの野郎ペラペラと……」

 

 ちょっと山田にいろいろ教え過ぎていたかもしれない。自分の好物くらい自分で言いたかったが、今回ばかりは感謝しておこう。

 確かに煮込みハンバーグは好物だ。

 もっと言うと樫本先輩が作ってくれた煮込みハンバーグが大好きだった。

 俺だけではなく、やよいの好きな食べ物でもある。あいつは最後に真ん中にニンジンをぶっ刺してたが。

 

「あ……いちごオレも冷蔵庫に入れてあります」

「俺の好みが完全に把握されてるな……」

 

 いちごオレは宿題でも運動でも何か一つやるべき事をこなすと先輩が都度くれたのがハマった理由だ。

 というか、他校の男子の好みを把握してるってそれソイツと恋人じゃないと理由が説明できないだろ。やはりマンハッタンカフェは俺のことを愛しているらしい。儀式の途中でどさくさに紛れて告白するか。

 

「そういえば……葉月さん。理事長先生が仰っていたイベントですが……心当たりがあります」

「心当たり? 何か聞いてるのか」

「はい。理事長秘書の駿川さんから……イベントの主役の一人として協力してもらうかもしれないので、そのつもりでいてください……と」

 

 夏のイベントといい最近のトレセンは随分と盛り上がっているようだ。

 しかしマンハッタンが“スケジュールに余裕ができた”と言っていた事を鑑みると、大規模なものではないかもしれない。

 

「私と──それからスズカさんと、ドーベルさんもお話を頂いていたようです。詳細はまだ分かりませんが……いま界隈を盛り上げるならあなた達以上の適任はいません、と……」

 

 サンデーと一緒に皿の準備やテーブルの上を拭きつつ聞いていたが、思わず手が止まりそうになった。

 イベントの詳しい概要は置いといて、理事長であるやよいが自ら生徒に直接説明しようと考えるほどの、何らかの大切な行事であの三人が主役を張るとは意外──あぁ、いや。

 

 全然意外なんかじゃないのか。

 三人ともレースでは一線級で活躍し続けているウマ娘だ。知名度の凄さはショッピングモールでサイレンスを囲んだ大量のファンや、大勢のギャラリーが見に来るような撮影会に参加していたマンハッタンの事を考えれば至極当然の話だ。

 いま、こうして一般的な男子高校生でしかない俺の家で彼女が料理をしてくれている事自体が、もはや宝くじの一等にも等しい奇跡的なイレギュラーなのだろう。俺でなければだがな。

 

「……やっぱり凄いよ。あの二人も……マンハッタンさんも。こうして俺なんかが一緒にいられる機会があるなんて、もう一生分の幸運を使い切ったとしか思えないな」

 

 自然とそんな言葉がこぼれてしまった。冗談交じりの本音だった。

 誰もが羨望したくさんのファンがいて尚且つガチ恋するような連中も後を絶たない、まさに国民的な有名人である少女と知り合い以上の関係にあるこの状況──なのにもかかわらず俺の中では、後方彼氏面する滑稽な気持ちよさよりも、三人に対する畏敬の念が絶えず湧き出していた。世界一いや、宇宙一なのか……?

 

「…………葉月さん」

 

 マンハッタンは相変わらずキッチンで作業しており、背中越しに会話を続けている。

 だが、今呟いたその声音は何だか妙にしっとりとしていて。

 どうにも料理中の片手間に話す世間話の声のトーンでは無いように感じられてしまった。何だ何だ。

 

「実は葉月さんがバイクで学園にドーベルさんを送ったあの日……あなたが学園を後にしてから、改めて私たち三人で話し合ったんです」

 

 話し合うとは、怪異の事だろうか。

 現に三人だけで奴らと戦ったワケだし色々考えてくれたのだろう。

 

「あの……怪異の事ではありません。葉月さんのことです」

「──俺の?」

 

 ドーベル、サイレンス、マンハッタンの三人で話す内容で、俺が関わる事なんかバイト先とか怪異の事情くらいしか無いだろう。一体何を話したというのか。

 気になりながらテーブルの前に座ると、マンハッタンは火と換気扇を止めた。どうやら料理は完成したようだ。

 

 彼女が鍋の蓋を開けると部屋の中に香ばしい匂いが漂い、まもなくテーブルの上に料理が置かれていく。ついでに匂いと見た目で俺の腹の虫もうるさくなった。

 よくできた煮込みハンバーグだ。

 とても丁寧に作ってくれたのがよく分かる。

 

「……私たちには共通点がありました。それはレースが走れなくなってしまう程の……高い、とても高い壁が立ちはだかったこと」

 

 箸とコップを置いてくれたマンハッタンの表情はいつも通りだ。

 ただ、その視線は俺ではなく自分が作った料理に注がれていて、まるで慈しむような穏やかな雰囲気を感じる。ママ?

 

「周囲の期待、思い通りにいかない脚、誰にも話せない秘密……折れてしまっても、諦めてしまっても“しょうがない”と思えるような……行く手を阻む鎖が私たちを縛り付けていました」

 

 スズカさんも、ドーベルさんも、私にも──けれど。

 けれど。

 そう言って彼女は区切った。

 今度はその顔を上げて、まっすぐに俺の瞳を見つめた。

 

「そんな時……導いてくれたのは──手を差し伸べてくれたのが、貴方だった」

 

 俺ってそんな導くだとか大層なことしたっけか。

 

「ふふっ……ピンと来ていないお顔ですね」

「わ、悪い……」

「いえ。それほど貴方にとっては当たり前の事だったのでしょう……だからこそ惹かれたのかも……」

 

 聞き間違いじゃなければお前いま惹かれてるって言ったよな? いよいよ婚姻の準備は万全という事かよ。

 

「──幸運だったのは私たちの方です。葉月さんは私たちを凄いというけれど、そこに貴方がいてくれたから……貴方と出逢えたからこそ……私たちは強くなれた」

「……そんな事は」

「本当の事です。()()()()()()()私たちの運命を変えてくれた──だから、本当に凄いのは葉月さんの方なんです。感謝してもしきれません」

「……ぉ、おう」

 

 よう言えたな♡ アッパレ♡ 気絶しろ。

 やめて、やめて。そうやって真正面から感謝をぶつけられたらどう返せばいいのか分からなくなっちゃうから。男子なんて褒められたら『そんなことねーし!』って強がる生き物なんだよ。めちゃくちゃに純粋な感謝で褒め殺ししてくるのマジで勘弁してくれ。静粛になっ!

 

「ぁあのマンハッタンさん、もう食おうぜ。腹減っちゃって」

「……ふふっ。はい、いただきましょう」

「カフェの手料理~」

 

 空気を読んで静かにしていたサンデーも加わり、美味しさで進む箸と恥ずかしい雰囲気を隠すための焦りでどんどんかっ食らっていき、夕飯の時間はあっという間に過ぎていったのであった。

 

 

 

 

 夜も更けそろそろ日付が変わる頃。

 やるべき家事全般を終え、寝間着のジャージに着替えて布団を敷いていると、後ろからサンデーに袖を引かれた。かわいい。一生分抱きしめたい。

 

「どした」

「お客さん用の布団、いらない。いつも私が使ってる方でカフェと一緒に寝る」

「いや、窮屈だろ」

「カフェと寝る場合に限り窮屈な方が好き」

「……お前はともかくマンハッタンさんが困るんじゃ」

 

 構いませんよ、と言って洗面所からパジャマ姿のマンハッタンが戻ってきた。女の子らしくて愛おしくなってきちゃった。責任取れよ。

 

「幼い頃、私が寂しいときは……決まって寝るときに後ろから抱きついてくれてたんです。密着して眠るのには慣れたものですから……大丈夫ですよ」

 

 そう言って屈んだマンハッタンはボストンバッグを漁り、中から白のペンダントを取り出した。

 合図に気づいた俺も黒のペンダントを身に着け、布団の上に座る。

 

「……葉月さん。電気……消しますか?」

「い、いや、いいよ。明るくてよく見える方が都合いいから」

 

 言いながらテーブルの上のルービックキューブを手に取り、自分の目の前に用意した。同じく知恵の輪やジグソーパズルなんかも置いてある。

 儀式中に頭がおかしくなってしまうのはもちろんペンダントの効力で理性が外れやすくなってしまうからだが、以前と違って度重なるユナイトや戦いで培った精神力を持っている今なら、集中するための別の物があればそれに意識を向けることができるはずだ。

 

 セクハラはしない。絶対にだ。

 彼女が俺に純粋な感謝を向けてくれていると再認識した今日だからこそ、むしろ何があっても性欲に流されるわけにはいかない。ペンダントを言い訳にするのも今夜で終わりだ。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「ふぅ……はァっ……」

「もう少しです、葉月さん」

 

 解呪の儀式は思いのほか上手くいっている。精神力を鍛えれば理性は案外保てるものだったようで、儀式の終了直前になっても俺は冷静にパズルに専念していた。心臓はバクバクしているものの、ポーカーフェイスを貫ける程度には理性が残っている。グフフ。

 

 よく考えなくても今までがむしろおかしかったのだ。

 理由があるとはいえ自分のために時間を使ってくれている少女に対して、割と激しめなセクハラを働くなど言語道断。協力してくれる手前通報はされなくとも普通に嫌われるには十分すぎる理由だろう。

 それでも彼女たちが俺と縁を切らずにいてくれたのは、マンハッタンさんが口にしてくれた“導き”という実績と、なにより本人たちがとても心優しく器が広いスーパー寛大ウマ娘だったからに他ならない。

 

 ゆえに『儀式だからセクハラしてもバレないだろう』という考えは命取りなのだ。

 彼女たちとの縁を繋ぎ続けたいのであれば、俺は常に理性ある自分を保つための努力をし続けなければ。

 

「……はい、容量いっぱいです。お疲れさまでした……」

「…………。」

 

 ふと視線を横へ向ける。彼女がどんな表情をしているのかが気になった。うおっすっげ可愛い。

 マンハッタンは黒く濁ったペンダントを外そうとしている──が、これがどうして彼女は俺に視線を向けては外し、はたから見ても明らかにソワソワした様子だ。初めて何事もなく儀式が成功した後の反応とはとても思えない。

 

「……マンハッタンさん?」

「っ! は、はい。なんでしょうか……っ」

 

 露骨に上擦った声。斜め下に逃がす視線。モジモジと落ち着きがない様子。

 なんだこの反応は。

 

 はて。

 俺は何かやるべき事でも忘れているのだろうか。

 思い出してみよう、これまでの事を。以前までの儀式中にやった事と言えば……いや、セクハラしか無くないか。

 耳を甘噛みして、髪の匂いを嗅いで、しまいには押し倒してキスまでいこうとした事もあって、いずれにおいても押し倒したマンハッタンは無抵抗だった。交尾したいの?

 

 もちろん無抵抗なのは俺を傷つけない為なのだろうが、流石に自分の身の安全を考えるなら手首を抑えるなりもう少しやりようはあったんじゃないかと、今になって思う。

 儀式中の俺はウマ娘の腕力には勝てない一般人だ。押し倒すどころか組み伏せる事だって出来たはずだ。ユナイトすれば勝てるがサンデーが協力するわけもないし、精神の余裕とは裏腹にこの場でいつも優位的状況に立っているのは間違いなくマンハッタンの方だった。オマセさん。

 

「っ……? は、葉月さん、どうして手を握って……」

 

 ──今の俺はこれまでの理性崩壊とはまた違う状態にあるようだ。

 寧ろ素面の時よりも思考が冴えわたっているような気がする。安産型なのもやりすぎ注意。ケツ肉が育ってきたな? 身勝手な女め。

 いつもなら自分という存在を認められない低い自己肯定感が仮説を崩しにかかるところだが、理性が絶妙に外れかかっている今の俺は極めて合理的かつ自然な考えができると直感してしまった。

 そして諸々の前提条件と経験、予想も踏まえたうえで一つの仮説が生まれた。

 

 マンハッタンは今──この俺に襲われたいのではないのだろうか。この観察眼、真贋の判断、時代の寵児。

 

 分かっている。

 そんなはずないと叫ぶ心の中の俺の気持ちも理解できる。

 だが状況がそう物語っているのだ。知り合い初めの当時ならまだしも、今はこの仮説を後押しする材料があまりにも多すぎる。

 

 夏のイベントの際にしてくれた頬へのキス。

 好きな料理を調べて自宅に来てまで作ってくれるその献身。

 なにより好意を仄めかす──いや、好意を()()()()()()言動の数々。

 いつもの俺のために『マンハッタンカフェが自分の事を恋愛対象として好いている』とまでは言わないが、少なくとも『異性として見ている』という事は確実だ。それが分からないほど鈍感ではない。

 

 だが、少女の気持ちは分からない。ましてや相手はウマ娘だ。いくら考えたところで測ることはできない。

 そこで同じ感情を持つ者として、仮に俺が彼女の立場であった場合はどうなのかと考えてみた。

 

 ──期待、するのではないだろうか。変態。

 少なくとも俺なら、ペンダントを理由にマンハッタンが襲ってきてくれたら嬉しい。

 流されてもしょうがない理由がそこにはあって、後でどうとでも言い訳できる条件が揃ってしまっているのだ。あわよくば、と考えるのは自然なことだろう。

 もちろん合理的な判断ではないのだろうが、性欲に傾いた脳がまともな思考を逡巡できるわけなど無いことは、この俺が身をもって知っている。

 

 仮に。

 マンハッタンが今、俺との触れ合いで性的に興奮している状態にあるとすれば、たとえ恋慕の情を抱いていないとて発散の為にワンチャンあると思い込んでしまっても無理はない。困った事にお下劣だ。

 そこには彼女に異性として見られているという前提条件が必要だが、そんなものは火を見るよりも明らかだろう。どうあってもマンハッタンから見て俺は身近な“男”なのだ。

 

「……こっち来い」

「ふぇっ……あっ──」

 

 彼女の手を掴んで引き寄せる。性欲云々の前に、俺はこの仮説の是非をどうしても検証したくなってしまった。

 もしウマ娘が絶対に性的な事を考えず裏表のない天真爛漫な存在だとしたらこの仮説は成り立たないが、ウマ娘はそんな山田の理想みたいな存在ではないと俺は思っている。

 

 彼女たちも一人の少女だ。

 そしてマンハッタンカフェはこの数か月間、俺と距離感が縮まって然るべき段階をいくつも踏んできた少女だ。

 命懸けで守り、支え、隣を歩いた。

 いまここで仮説を検証する権利が俺にはあるのだ。ではやろう。やっていこう。

 

「マンハッタンさん。今の俺はどう見えてる?」

「え、えぇと……」

「いつもの俺? それともペンダントでおかしくなった俺か?」

「……それは……わか、りません……」

 

 この女はあくまでとぼける方向に舵を切ったらしい。これで仮説は立証された。やっぱり見立て通りのマゾメスだったな。

 マンハッタンカフェは俺に流されたがっている。ここで間違えてしまってもいいと、自分に言い聞かせてしまっている。

 ならばやる事は一つだ。ね、カフェちゃんキスしよ~よ。

 

「……ズルいな、マンハッタンさんは」

「ひゃっ、ぅ……♡」

 

 髪を撫でると小さく鳴いた。流石一線級ウマ娘、情熱的だね。レシプロエンジン。

 じゃあこのまま流してやろう。

 俺の流れで飲み込んでやろう。もう遅い、のろまめが。

 

 本人が望んでいるのなら、間違った方向にそのまま突き進んでやればいい。双方合意の極めて健全な判断だ。咎めるひとなど誰も──

 

 

「いいの?」

 

 

 ──いないはず、だったのだが。

 耳元で囁かれた言葉が俺の手を止めた。

 マンハッタンはすっかりトロンとした虚ろな目で恍惚とした状態にあり、彼女の声が届いていないみたいだが、今日まで選択と決断をこの少女に与えられ続けた俺はすんでのところで立ち止まれてしまった。

 

「ハヅキが誰と何をしても、基本的には何も言わないつもり。邪魔をする権利は私にはない」

 

 事実こいつはそうしてきた。

 サイレンスと出かけようが、ドーベルに協力しようが、マンハッタンに迫ろうが何をしても何も言わなかった。

 

「でも、ハヅキ自身が本当に後悔しそうなときは、一言だけ言わせて欲しい」

 

 以前もあった。

 彼女が俺の“決断”を引き留めて“選択肢”がある状態まで戻してくれたことがあった。

 夏のイベントの後の夜。

 相棒は同じように待ったをかけた。

 とても強力な怪異と戦い、もう誰も巻き込まないよう他人を突っぱねようとした俺を、マンハッタンたちからの感謝の心すら嘘だと決めつけて一人になろうとした俺を──彼女は見過ごさなかった。

 

「ハヅキ」

 

 俺の()()であり続けてくれた少女だ。

 

「戻れない場所へ踏み込む一歩が──そのペンダントっていう言い訳でいいの」

 

 まぁ、つまり。

 どういう事かというと。

 

「…………そうだな。ズルいのは俺だった」

 

 このまま負けてしまっても構わないが、お互いが素面の時で、なんにも特別な事情が無いときに告白して抱きしめた方が男らしい結果になる。

 そうすればこのままペンダントとマンハッタンの感情を言い訳にして歪な繋がりを生むよりも、よっぽど後悔しない未来に進めるだろう──と、そういう事なんだ。

 それが正解かどうかではない。

 理由は何であれ据え膳食わぬは男の恥とか、そういう考え方も勿論あるだろう。ここで何もしないほうが男らしくないと言うこともできる。

 

「いいの、ハヅキ」

「いいんだよ、サンデー」

 

 だから俺のサイドキックは合理的なんじゃない。

 ずっと近くで、ただ俺の傍に寄り添ってくれているだけなのだ。

 

 

 

 

「お恥ずかしいところを……うぅ……」

 

 翌朝。

 俺が用意した朝食の前で、マンハッタンカフェは耳まで真っ赤にして顔を覆い隠していた。おお可憐すぎるフェイス。謝れ。

 聞くところによれば、呪いを吸って黒く濁ったペンダントの方にも、僅かながら装着者に与える影響が存在するらしい。

 

 といってもかなり微量なもので、いつもなら吸い切った後すぐに外すから何も無かったところを、俺が引き留めてしまったがゆえに彼女も少々熱に浮かされてしまったらしい。

 よく考えれば誰よりもサンデーと一緒にいたマンハッタンが、俺に流されそうになっていたとはいえ彼女の声が聞こえなくなるほどの恍惚とした状態に陥ってしまうなんて普通ではなかったのだ。そこに気がつくべきだった。

 サンキュー相棒。助かったぜ。

 

「ん……ハヅキ、本当は惜しかったとか思ってる」

 

 は? うるせぇなアダルト向け幽霊モドキめが。人間様にドエロく歯向かうというのか。

 

「カフェもカフェ」

「……これから儀式をするときは必ずスズカさんかドーベルさんを呼びます……」

 

 タイマンだとお互い流されそうになるのが判明したからな。サンデーはそう何度も指摘しないだろうし常に第三者の介入が必要。

 

「ところでマンハッタンさん。着替えで勝負服は着なかったみたいだけど、今日はこの後レースとかがあるのか?」

「えっ──」

 

 言った瞬間箸を持っているマンハッタンの手が止まった。また俺何かやっちゃいました?

 

「……なっ、なんで勝負服のこと、知って……っ?」

「え。いや、サンデーが」

「待ってハヅキ。違うカフェ。違うの。あの、咄嗟に言ってしまったけど、あの時は言わないといけなかったというか」

 

 言い訳が効力を発揮するよりも早く、マンハッタンはお友だちのほっぺを割と強めに引っ張った。柔らかそう。

 

「……あなたって、本っ当にデリカシーが無い……っ!」

「ふへぇえぅっ、ごえんなはい……」

 

 何だかアグネスタキオンに怒ってるときの彼女が見れたようでレアな光景だ。このまま放っておこう。

 ……結局のところ、勝負服は何のために持ってきたのだろうか。使わないなら一回着て見せて♡

 

 


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