うおっ乳デカいね♡ 違法建築だろ   作:珍鎮

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ベルちゃんも期待してたでしょ? 同意したものとみなす

 

 

 女子を家に上げるばかりか、よく分からんオカルト展開のついでに腹部をさわさわ触られるという特大ビッグバンイベントが発生した翌日。

 

 マンハッタンカフェを学園の前まで送り届けた俺はその足で駅前のデパートに寄っていた。

 なんとなく真っ直ぐ帰る気にはなれず、ただただフードコートで時間を潰している。

 側から見れば物憂げな表情で考え事をしているように映るかもしれないが、俺の頭の中にあるのは昨晩から今朝にかけての、マンハッタンカフェと交わした会話の内容のみであった。

 

 昨晩やらかし中のやらかしをやらかしてゴミやらかし人間になった俺だが、肝心の襲われたマンハッタン本人が『私が悪いんです』と必要以上に謝り倒し、俺も彼女もお互い譲らないという悪循環が生まれた結果、元を辿れば怪異が全て悪いという事で俺の凶行は不問に付された。

 そして今朝。

 呪いは全て吸い出しきれておらず、これから三日に一度()()()()をし続けなければならないという事が明かされたのであった。

 その話が昨晩にされなかったのは、俺が土下座し続けて彼女の言葉に耳を貸さなかったのが原因だ。状況判断が足りなかった。

 

『漆黒に染まった石は二日程度で浄化されて白に戻るので……三日後、また同じ事を……』

 

 沈鬱な表情でそう語るマンハッタンを前にした俺の心境は、全てが解決した訳ではないと知って落胆するか、また合法的に女子と超至近距離で触れ合える事に喜ぶか──そのどれでもなかった。

 

『マンハッタンさん。もう、俺のことはいいから』

『えっ……?』

 

 ペンダントを装着して理性が消えかかっていたとはいえ、何も昨晩の事を丸ごと忘れたわけではない。

 確か俺がお腹を触られて悶絶していたとき、彼女は担当トレーナーの事やレースを走る事がとても大切だとかそんな事を言っていたのだ。

 それで思い出したのは、ここ数ヶ月の間に僅かながら親交を深める事になったウマ娘たちの事だった。

 

 サイレンススズカやメジロドーベルも現在は自分や友人のレースの為に全力を注いでいる。

 それが理由でバイト先には来なくなったし、俺との連絡もその一切を絶っている事から、多少なりとも気に入っていた環境であるあの喫茶店へ赴くという選択肢を完全に消去してまで、彼女たち中央のウマ娘がレースに対して心から真剣に向き合っていることは明白なのだ。

 

 そして、それはマンハッタンカフェにも言える事だろう。

 直近のレースで凄まじい走りを見せて一着を掻っ攫ったクソ強ウマ娘である彼女が、まさかレースを二の次にする事などあり得ない。

 両立しようとする筈だ。

 レースと俺の救済というタスクの二つを。

 しかし、両立はきっと不可能なのだ。

 使命感が先走ってとにかく目の前の事から手を出しているのは分かるが、トレーニングや中央の学生がやるであろう諸々を考慮すれば、三日に一度夜遅くまで時間をかけて呪いに対処し毎度のごとく暴走しかける男子を宥めている暇など存在し得ない事は俺でも分かる。

 

 だから口にして伝えた。

 きみのスケジュールを狂わせたくないと。

 俺のことはいいから、自分の時間は自分自身の為に使ってくれ、と。

 

『……今、誰よりも危険な目に遭っているのはあなたの方なのに……』

 

 マンハッタンの呟きを無視し、そのまま踵を返して学園を去ろうとした時だった。

 予想していなかったワケではないが、袖を掴まれて彼女に引き止められた。

 

『では……こうしませんか。私のスケジュールを加味して、三日に一度ではなく一週間に一度……というのは』

 

 そういう問題なのかしら。無知の知。

 

『吸い出した分だけ呪いは弱まっていると思いますので……次回までに大きな怪現象が襲ってくる確率は低いかと。ですが絶対とは言い切れないので、何かあったらすぐに連絡を下さい』

 

 うわ……一度関わっただけでこの支え様……聖女かな?

 

『……葉月さん。あなたは私の時間を自分が奪ってしまっているのでは、と考えていらっしゃるかもしれませんが……それは違います。

 あなたと会う時間そのものを大切にしたいウマ娘もいる──その事だけは、どうか覚えておいてくれませんか』

 

 それだけ告げて彼女は学園の寮へ戻っていった。

 別れ際の言葉にしては少しばかり意味深だった事もあり、今もこうしてフードコートでドーナツを齧りながら彼女が伝えたかったことの意味について逡巡しているのだが、やはりよく分からない。

 

 俺と会う時間が大切──そう考える存在などこの世にいるのだろうか。

 強いて言えば幼少期に仲が良かった従妹のやよいくらいかもだが、彼女にしても俺と会わなくなって久しく、メディアに映る明朗快活なその姿を見る限り全くぜんぜん問題なさそうだと思う。俺との時間が必要だとも考えられないし、幼い頃に毎回俺に引っ付いていた過去などきっと忘却の彼方だ。

 両親に至っては『帰ってきても来なくてもどちらでも構わない』といった雰囲気を感じる。友人も連絡こそ取り合っているが俺から誘わない限り用事もなく遊んだりはしない。

 

 ……いなくね? いるかな。

 

 

『──じゃ、もう行くから。また明日』

 

 

 また明日。

 また明日とは、また明日も会おうという意味だ。

 顔を合わせる度にそんなセリフを残していく存在がいた気がする。

 当たり前のように漫画を見せてきて、しつこく感想を聞いてきて、特に用事が無くとも俺がバイトに出勤するときはほぼ毎回店へ訪れる──そんな変わり者が。

 

「……そういえばメジロ、どのレースに出るんだっけか」

 

 駅前のデパートを後にし呟きながらスマホを取り出す。

 開いたアプリのトーク画面に表示された日付は、数週間ほど前から止まっていた。

 

 何ヶ月か前、あの喫茶店でのアルバイトを始めて間もない頃、出勤途中で大雨に降られた。

 緊急避難として付近のバス停に逃げ込み、その先で偶然出会った少女こそがメジロドーベルであった。

 顔を真っ赤にしながら爆速でスマホをタップしていたところに偶然居合わせた俺に驚いた彼女が慌てて手から落としたスマホを拾い、不可抗力的に画面を目視してしまったことから彼女との交流がスタートしたのだ。

 

 確か自分が投稿している漫画のリプ欄に湧いたアンチに対して返信していたんだったか。

 その『気に入らないなら読まなければいいでしょバーカバーカ』という正論ながらも書き方が稚拙な文章と共にアカウント名を俺に目撃された彼女は、他の誰かにバラしたら何かもうとんでもなくヤバい事をする──と意味不明な脅しでこっちに迫り、その流れで強制的に秘密を共有する仲になったのだった。

 今にして思えば無理やりすぎる出会い方だ。マンハッタンやサイレンスと違いコイツだけは初対面の印象があまりにも最悪だった。

 怪異、下劣なるウマ娘。天晴れ。

 

『コレを見せられる男子なんて()()()()()()()()()()()んだから! いいから感想を述べよッ!』

 

 だが、明確に『俺との時間』を必要としている誰かと言ったら彼女くらいしか思いつかないのもまた事実だ。

 俺の感想を求めている。

 俺の言葉を欲している。

 この上なく俺の存在を肯定する行いだ。俺はあいつの漫画の構成に少なからず携わっている。

 

「……俺と会う時間を大切にしたいウマ娘、か」

 

 緩慢な足取りで歩道を歩きながら、少女に告げられた言葉の意味を今一度考えた。

 

 サイレンスは違うだろう。

 多少仲を深めることは叶ったが、彼女も一介の中央トレセンの生徒であり、何より今まさに世間を賑わせている一線級のウマ娘だ。

 俺はあくまでよく行く喫茶店の店員で、泡ハンドソープ事件なども握手会へ行けなかった俺を哀れんでの行為であり、つまるところファンサービスの延長線上に当たる。

 足の怪我を応急処置したという、普通のファンではやらないようなイベントが挟まった事が理由で他のファンより多少は存在の認知を確かなものにしてくれているだけなのだろう。

 マンハッタンも態度自体は柔和だが、前提として俺との時間が必要だという思考に陥るような理由がそもそも存在しない。

 顔を合わせる機会そのものが必要なのではなく、一応自分の担当トレーナーが引きずっていた呪いを押し付ける結果となってしまったので、責任を取るために治す必要がある、というだけの話だ。

 

 確かにあの二人は優しい。

 俺に対しての態度は非常に柔らかで、距離感バグってるとしか思えない振る舞いも無いワケではない。

 しかしそれは彼女たちの精神が高潔すぎるが故に、他人との接し方が男女共に差異が無いために生じた事故であり、特別俺に対して優しいわけではないのだ。俺にしてくれた態度はきっと同級生や担当トレーナーにも見せている顔だろう。

 

 中学生の頃、優しく接してくれた女子に対して『あれコイツ俺のこと好きなんじゃね?』という勘違いを抱き、勇気を振り絞って告白したところそのままフラれて撃沈した事がある。その日の夕飯は喉を通らなかった。

 あれ以来ずっと心に決めていたのだ。

 女子の優しさに当てられて、痛い勘違いをするような思い込みは二度としないと。

 優しさと好意は直結しない。

 マンハッタンのあの言葉も、俺が傷つかないよう気を遣って放ってくれたものだ。

 

 そういう意味では俺との時間を必要としているウマ娘など最初からいなかったのかもしれない──が、事実としてそれに該当するかもしれないウマ娘がいる事に、今日やっと気がつく事ができた。

 ドーベル。

 メジロドーベル。

 今の今まで彼女の重要性を、大切さをまるで実感することが無かった自分を強く恥じる。

 初めて繋がりを持った中央のウマ娘だ。

 シフトが入っている日は必ず俺のもとを訪ねてくれるひたむきな少女だ。

 そんな希少な存在に対して、俺は思春期の男子特有のスカしたカッコつけムーブで接していたのだ。反吐が出る。

 冷静に考えて照れている場合ではなかったはずだ。

 友人として、そして一人の男として。ハピネス。

 

≪お久しぶりです、先生≫

 

 近くのベンチに座り、スマホにメッセージを打ち込んでいく。

 普段彼女を呼ぶときは先生かメジロだ。

 

≪ちょっと話したいことがあって。暇になったら連絡ほしい≫

 

 簡潔に伝えたい事だけ書いて送った。

 いきなり長文だと引かれるだろうから。

 

 目的は一つだった。

 メジロドーベルとの繋がりを取り戻したい。

 彼女がレースに忙しない身であるのは十二分に理解しているが、それでも遠慮を真正面から断ってきたマンハッタンの態度を目の当たりにして、心の中に欲が湧いて出てきてしまったのだ。

 ()()()()()()()()()()として忘れ去られる前に、どぼめじろうという立場を唯一共有している存在がいたのだと、彼女に思い出してもらいたい。

 

 理由は明確──性欲だ。

 サイレンススズカとマンハッタンカフェによるぶっ壊れた距離感の触れ合いが、心のリミッターをもぶっ壊してしまった。

 繋がりを持った女子と仲を深めたいという、本来男子高校生ならば誰もが持ちうる当たり前の感情に突き動かされた。

 

 

≪とう≫

 

 

 ──予想外の出来事に思わず心臓が跳ねた。

 喉が鳴った。

 返信が来たのだ。

 メッセージを送って十数秒後に既読が付き、まもなく向こうからの謎の暗号を受信した。

 

≪ミス≫

 

 誤タップだったらしい。

 俺もよくやる。

 

≪度牛田≫

 

 ……?

 

≪みす≫

 

 ゆっくり打ってね。

 あと誤入力をわざわざ送信する必要はないと思う。

 

≪どうしたの急に≫

≪レースの日程を聞いてなかったから。いつのやつに出るんだ?≫

≪え≫

 

 彼女が喫茶店へ来てくれるなら、俺も彼女のレースに顔を出すべきだ。

 ただ待っているだけじゃ繋がりは薄くなりいずれ途切れてしまう。やよいや樫本先輩と距離が離れたのも俺がただ相手からのアクションを待ち続けるだけの木偶の坊だったからだ。

 大切にしたい関係は自分自身で繋ぎ止めなければならない。

 ラブコメ漫画みたいに無条件で自分を巻き込んだイベントが発生する保証など何処にも無いのだ。

 

≪えっと、明日ですけど≫

≪マジか≫

≪えなに≫

≪?≫

≪観に来るの アタシのやつ≫

 

 ここで別に行かないとか言う奴がいると思うのか?

 

≪行くぞ≫

≪こまった≫

≪何でだよ≫

≪……来るなら控え室に来て≫

 

 意味が分からない。

 関係者じゃないから普通につまみ出されるじゃねえか。

 

≪見つからないようにね≫

≪はぁ≫

≪近くまで来たら連絡頂戴 アタシがそっち行くから≫

 

 ──とのことで、よく分からないまま約束が取り付けられ、明日のレース前に厄介ファンみたいなお忍び行動をしなければならないことが決定してしまった。

 ボクちんごときにやってのけることができるのかな? 不安だお。

 

「……がんばるか」

 

 しかし心の中のもう半分は喜びが占めていた。

 少なくとも無視であったり、突き放すような態度を取られなかったことが素直に嬉しい。

 中学の頃の勘違い告白フラれ事件は未だに尾を引きずっているものの、何とかその時の気持ちを抑え込んで連絡した甲斐があったというものだ。

 久しぶりのメジロ先生とのやりとりで俺の乾いた心にも潤いが戻ってくるようだよ。龍神雷神。

 俺史上最も緊張した……まいったね。

 

 怖がって受け身でい続けるのはもうやめた。

 関わりたい相手とは、自ら進んで交流しに行くべきだと気づいたのだ。

 たとえ『ごめんウチ別に秋川君のこと特別好きってわけじゃ……勘違いさせてゴメンね?』と中学時代に体験したあの魂を抉るセリフをぶつけられるとしても、実際にそれを言われるまでは積極的に動いていく所存だ。頑張ります。

 

 

 

 

 

 

 レース当日の昼。

 あと三十分後に始まるという事で、約束通り控え室付近の廊下までやってきた。

 ここから先は警備員が待機しているため、スパイ映画並みの激ヤバアクションで彼らを倒さなければ先へは進めない。

 とはいえお仕事している大人たちに突っかかる理由もないのだ。

 とりあえずメジロに連絡してみよう。

 

≪着いた≫

≪ぁはい!≫

 

 返信が早すぎる。もしかして俺のこと好き?

 

≪どこいるの≫

≪南側の売店がある方の廊下 警備員さんいるからもう進めぬ≫

≪いまいく≫

 

 簡素な返信から程なくして廊下の奥から声が聞こえてきた。

 警備員の横を通り過ぎ、物陰に隠れている俺のところへやってきたメジロは、今回が特別なレースの為なのか勝負服に身を包んでいる。

 か、肩が出ているよ……? 卑猥。

 

「ひ、久しぶり。……秋川」

「……おう」

 

 一ヵ月ぶりくらいだろうか。

 先日のメッセージを送るまで一回も連絡しなかったことが仇となって、彼女との話し方を忘れてしまっている。

 落ち着け。普通に話せばいいんだ。それでいて変にカッコつけた態度を取らず、素直に応援する姿勢を見せることが出来ればそれだけでいい。

 正直に好意を伝えよう。……いや告白をするわけではないが。

 

「えと、正直レースを観に来てくれるとは思わなかった……ありがと」

「友達の応援に行くのは当たり前だろ? 先生はバイト先に来てくれてるのに、こっちが応援しに行かないのもおかしな話だ」

「……そ、そう」

 

 そこまで話していて気付いたが、彼女どうやらタブレットを片手に持っている。

 新作の漫画が出来たのだろうか。もしかしたら俺の感想を欲しているかもしれない。

 

「それ……書けたのか、漫画」

「あ、うん、途中だけど。今のうちに投稿して、レースとライブが終わってから反応を見ようかなって……でも」

「でも?」

 

 メジロはタブレットを起動し、周囲をキョロキョロと確認しつつそれを俺に手渡してきた。

 

「やっぱりアンタの意見を貰ってからでもいいかなって……この一ヵ月、これだけを描き続けてたんだけど……何でか納得いかないの」

「じゃあ、読んでみてもいいか?」

「う、うん」

 

 誰にも見られていないことを改めて確認し、タブレットに視線を落とした。

 そこに描かれていたのはいつもの繊細な画風とは異なる、とても線がハッキリしたキャラクター達であった。

 肝心の主人公も何故か男子で、内容を鑑みるにいつもメジロドーベルが描いている作風ではなく──平たく言えば少女漫画ではなく、少年漫画に寄った作品に仕上がっている。

 こんな描き分けができるなんて天才か? 伸び代に驚愕。

 

「──ブフッ」

「……っ!」

 

 ヤバい、普通に笑ってしまった。はずかし。

 先生は基本的に恋愛模様を主として描きたいと語っているのだが、彼女の漫画の神髄はコミカルなキャラクター同士で織りなすギャグ描写なのだ。

 しっかり描いた長編よりも息抜きに作ったネタ漫画の方がウマッターで伸びている辺り、彼女の作品における強みが何であるのかは明白だ。

 

「……うわ、すげぇ良いところで終わってるな」

「続きは下書きすら終わってない状況……」

「いや、けどここまででもスゲぇ面白かったぞ。前後編で分けて投稿してもいいんじゃないか」

「……ううん、やめとく」

 

 完成させてから公開する、という矜持は譲れないらしい。

 

「全部読んだ後のアンタの感想が気になるから、まだ投稿しない」

「わかった。……にしても凄いな、メジロ」

「な、何が?」

「トレーニングの片手間でこれを描いてたんだよな? それにしてはクオリティ高すぎるなと思って」

 

 ここへ来るまでに彼女の噂は観客席からいくつか聞こえてきていた。

 周りが心配になるほど積極的にトレーニングに励み、一時的にとはいえ短距離走のタイムで有名なウマ娘のタイムを抜いたとも言われているほどだ。

 どれほど真面目に鍛えていたかは一目瞭然──だというのに空いた時間でこんなに高クオリティな漫画を描けるだなんて、正直信じられない。

 スーパーオーバースペックウーマン。人気漫画家兼アスリートとかいう地上最強生物の成り立ちを見た気がするよ。

 

「…………アンタに、読んでほしくて。絵も内容も男の子向けっぽくしてみた」

 

 俯きながらそう呟くメジロ。

 難聴系主人公ではないのでしかと耳に届いたぜ。

 あ~やっぱ俺の感想を必要としてましたねこれは俺の解釈だと。

 

 

『ドーベルどこだー? 出走前のミーティングを──』

 

 

「ッ!?」

 

 続きの言葉を紡ぐ前に、遠くから男性の声が聞こえてきた。

 内容と彼女が驚いた反応から察するに声の主はメジロの担当トレーナーだろう。

 

「あわわっ。こ、こっち!」

「ちょッ……!?」

 

 担当が呼んでいるのならすぐにでも向かうべきだ。

 にもかかわらず、事もあろうにメジロドーベルは俺を掴んで掃除用具入れのロッカーの中へと隠れてしまった。何事。

 

「なっ、何やってんだおま──むぐっ」

「少し黙ってて……!」

 

 彼女の手で口を塞がれ、訳も分からず沈黙を強制された俺は一旦指示通りに黙る。

 

『ドーベル……? 参ったな、まだ二十分あるが……他の生徒たちにも連絡して聞いてみるか』

 

 それから用具入れの真横で聞こえた男性の声は徐々に小さくなっていき、数分もしないうちに辺りは静寂に包まれた。

 隠れる必要が無いのに慌てて二人で狭い場所に身を隠す──ラブコメ漫画で見た事がある展開ではあるが、現実にするとこうも理不尽で心臓に悪いとは。

 

「おい、何で隠れたんだ。タブレットの画面消して、適当に言い訳すればよかっただけだろ」

「だ、だっ、だってぇ……!」

 

 想像以上に混乱していたらしい先生のことは一旦置いといて、冷静に現在の状況を俯瞰してみた。

 

 

 ──おっぱいが当たっている。

 

 いや、違う。少し待て。この状況の特異さにもっと目を向けるべきだろう。

 出走まであと二十分しかなく、担当とのミーティングも終えていない選手と、クソ狭い掃除用具入れのロッカーだなんて意味不明な場所に身を隠しているこの状況を目撃されたら、どんな言い訳も通用しないに決まっている。

 本来であれば観客はみな観客席で出走を心待ちにしている時間だ。

 ここで出場するウマ娘と、普通ではない場所で隠れている状況など、俺が推しに迫る厄介なファン……いやただの不審者だと明かしているようなものだ。

 見つかったら社会的に死ぬ。イグッ♡

 出なきゃ。早く出なきゃ。

 

『え、こっち通ったんですか? ありがとうございます、探してみます!』

 

 トレーナーが戻ってきちゃったよ……興が乗ってきたな。

 

「……どうすんだ、これ」

「す、隙をみて出るしかないでしょ……」

「……先生、ガチでこういう状況になると困るだけだって学べて良かったな。今後漫画で安易にこの展開を描いちゃダメだぞ。キャラクターが可哀想だから」

「うるさいうるさい……」

 

 互いに向かい合って密着するこの状況を作ったのはお前だぞ、胸を押し付けやがってお下劣サキュバスめ……厚顔無恥とはまさにこの事だな。

 適当なこと言いつつポーカーフェイスで我慢するにも限度あり。

 

 ──いやちょっと待ってこの女、胸がデカすぎないか……?

 棚からぼたもち。灯台下暗し。

 この大きさが目に入らず、遥か彼方の山脈ばかりに意識を割いていた俺こそ無知無知だったのでは?

 その大きさ天晴れ。

 サイレンスやマンハッタンと物理的に間近で接した後だからこそ、今この目の前にある膨らみがまるで一般的ではないことに気がついてしまった。

 もっと堪能したいよぉ~♡デカパイ押し付けよ。

 

「……ね、ねぇ秋川……」

「何だよ」

 

 身をよじるな! 蒸れる擦れる溢れ出る。

 

「漫画、どうだった……?」

「どうって……さっきも言ったろ。普通に結構おもしろかった」

「そっか。……あの。あのね」

 

 それまで横を向いて目を逸らしていた俺に、まるでこっちを見ろと言わんばかりに見上げながら圧をかけてくるメジロドーベル。

 観念し、彼女の方を向いた。

 マンハッタンの時もサイレンスの時も、顔は逸らせる状況だったからギリギリ命を繋げられたのに、こんなゼロ距離で見つめ合ったら眼球が溶けてしまう。

 助けてくれ!俺が俺でなくなる……!

 

「連絡くれて、ありがとう。……本当はずっと、こっちからも声をかけたかったんだけど……」

 

 オーラ! サッサと離れろ! よそ見しろバカ野郎! 可愛すぎるね♡

 

「一度会ったら歯止めが利かなくなると思ったから……しなかった」

「は、歯止め……?」

「だっ、だって! アンタと漫画の話をするの、とっても楽しいから……! 一緒にいたらレースの事が頭から抜けてっちゃう……」

 

 え、え、デレ?

 俺との時間が楽しいとかこの状況で言うか普通。

 心が歓喜に震えすぎて荒い息が止まらないよ。もしかして相性抜群!?

 その殊勝な態度でいったい何人を勘違いさせてきた? レクイエム。

 

「ぁっ、ちが、ここまで言うつもりじゃ……! ……いやっ、違うわけじゃないけどぉ……う、う~!」

 

 心底俺との時間が楽しかったんだね♡ かわいいよ。下品なメスめ!

 ……サイレンスといいコイツといい、何でウマ娘はこっちを期待させるような言い回しばかりしてくるんだ。

 多少特別な関係性にあることは分かってる。

 もしかすればそれは俺たち二人の間にしか存在しないものかもしれない。

 とはいえ、優しかったり好意的だったりしても、それがこちらを異性として好いているかには関係しない事も中学の経験から知っている。

 

 じゃあ、何なんだ。

 お前なんなんだよ。

 俺が告白してもいいのか?

 そんな雄を煽るような体と恰好で好意的な態度ばかり向けるとか舐めてるよね。

 生意気だぞ。いや、大生意気といったところか?

 準備は万端のようですね♡ このスケベ娘め。

 うおっ、で、デカ……。

 

「ありがと。あんな出会い方だったのに……今でもアタシとの秘密、ちゃんと守ってくれて」

「……礼を言われる程のことじゃない」

 

 というか。

 

「何だよその今生の別れをする前みたいなセリフ。こっちが恥ずかしくなるわ」

「……だって、勝ちたいから。……アタシの応援に来たんなら、ちゃんとアタシの心にバフかけてよ。これから凄く強い娘たちと戦うんだよ?」

「バフって……」

 

 メジロドーベルのやる気を増幅させるに足る方法。

 正直に言うと何も浮かばない。

 俺とは違い、中央の生徒でメジロ家のウマ娘でもある彼女の周囲には、数えきれないほどの仲間がいるから。

 理解者としては圧倒的な差で担当トレーナーに負け。

 思い出の数など天と地ほどの差がある友人のウマ娘たちに負け。

 応援する熱量もずっと彼女を鼓舞していたファンたちを前にすれば足元にも及ばない。

 

 脚質もタイムも得意な戦法も何も知らない。

 俺が知っているのは、彼女が作品作りに真摯な漫画家で、いつでもシチュエーションに悩んでいる生粋の妄想家だという事のみだ。

 そんな俺ができる事。

 確実にメジロドーベルにとってプラスになる事。 

 

 ──それは()()()()()()()()()()()だ。

 

「っ! あ、秋川……?」

 

 少女の頭の上に手を置いた。

 理解者面もありきたりな応援もダメで、確実にプラスになる事といえば、彼女の漫画のネタになる行動だ。

 心を揺さぶられた出来事を『これ漫画のネタにできそう』という形で咀嚼する彼女には、次の漫画において使えそうなシチュエーションを実践して提示し、それを描きたいという漫画制作へのモチベーションアップをしてもらう形で応援するしかない。

 コレが俺に可能な最大限のバフだ。どう受け取るかは彼女次第である。

 

「一着を取ったら、何でも一つ命令を聞いてやるよ」

「えぇっ……!?」

「今までは漫画を見せてもらってばかりだったからな、俺にできる事なら何でも」

「なっ、なななっなんでも」

「あぁ、何でもだ」

 

 その代わり、と呟きながら一度だけ少女の頭を撫でた。

 女子の髪を勝手に触るのはご法度だろうが、ここは俺との時間が楽しかったと語る彼女からの好感度を信じて突き進む。

 

 

「勝てよ、()()()()

 

 

 そうして、生まれて初めて女子を下の名前で呼んだ。

 今まで頑なに先生だのメジロだのと呼んでいたのは単に距離を掴みかねていただけだったからだが、それを逆手にとって少女漫画風にクサいセリフに変換してみた。

 ……まぁたぶん気味悪いと思う。

 とはいえ、名前を呼ぶことで本当に心底レースを応援していることは伝わるはずだ。

 

「……~っ! ……ッぅ、っ……!!!?!?!!!?」

 

 顔を真っ赤にして押し黙るその反応を前にして、あぁやりすぎた終わりだと後悔する。

 彼女にとって俺がどういう立ち位置にいるのかを明確にできなかったのが良くない。ここは普通に頑張れとかありきたりな応援の方が良かったかもしれない。死んだ。

 

「……………………べ、ベル」

 

 俯いていた彼女がゆっくりと顔を上げ、時折視線を右往左往させながら、小さくそう呟いた。

 

「ベルって……呼んで……」

「え?」

「そ、そしたら頑張れるかも……だから……っ」

 

 一旦言う通りにしてみよう。名前通り越してあだ名になるとは思わなかったが。

 

「ベル」

「っ!!」

「一着を取って、センターを飾ってくれ。ベル」

「~~~ッ……う、うんっ」

 

 自分で言えって言ったのに恥ずかしがるなよ。一生かけて守り抜きたい。

 たぶんこれ特別な中でも更に特別な相手にしか呼ばせない愛称だよな。

 分かっちゃうよ、お兄さんエスパーだから。ウマ娘エスパー♡

 あ~たのし~こんなシチュ滅多に体験できね~もん。九蓮宝燈。

 この頬を赤らめながら上目遣いするベルちゃん見れる角度めっちゃ好き。後でVHS化希望。

 

「──おわっ!?」

「きゃっ!」

 

 瞬間ロッカーの扉が突然開き、俺たちは床に倒れこんだ。

 顔を上げると、そこにはいつか見たマンハッタンカフェ似の白髪の少女が立っていた。

 

「いてて……き、君は確か……」

「出走まで、あと三分」

「えっ。……うおっ、マジだ」

 

 白い少女に言われて腕時計を確認すると、本来出走ウマ娘がここにいてはいけない時間を針が指し示していた。

 もう一度顔を上げると白い少女は姿を消していたが、それよりも優先すべきことがあると考え急いでドーベルを起き上がらせて、出走を促す。

 

「怪我は無いか、ベル」

「う、うん……♡」

「……ホントに大丈夫か?」

「えっ!? ……あ、あぁ、もちろん! 全然平気だからっ!」

 

 逃げるように出口へと小走りで向かっていくドーベル。

 途中こちらを振り返り、勝気な笑顔を向けてきた。

 やはり美人はどんな表情も似合うなぁ。私が育てました。

 

「ちゃんと見ててよねッ! アタシ、一番になってくるから!」

「おう」

「……そ、それと、後でアンタのあだ名も決める!」

「それは何?」

 

 あだ名って自然に定着していくものだと思うのだが──まぁドーベルの為になるのであれば文句は無い。

 

 そんなこんなでメジロドーベルは滑り込みセーフを果たし、目を疑うようなスピードでレースを一蹴。

 二着のウマ娘と七バ身差をつけた一着という圧倒的な走りで観客を沸かせ、翌日の新聞の一面を飾ったのであった。あの喫茶店に通うウマ娘どいつもこいつも強すぎ問題。

 

 


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