うおっ乳デカいね♡ 違法建築だろ   作:珍鎮

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ベルちゃんデカいじゃん♡ 臥薪嘗胆

 

 

 

 

 

 ステップ1、まずはお礼からという事でケーキを奢るところからスタート。

 ステップ2、改めて自己紹介をしつつ、間を持たせるためのそれっぽい話題から会話を始める。

 そのまま最後のステップ3、今後も交流を続けるために恩人の基本的なパーソナルデータをそれとなく入手──へ進む前に、なんと問題が発生した。

 

「い、いったい、どういう知り合い……」

 

 バイト中の知り合いの女子高生ことメジロドーベルが、店員が作業をするカウンターから慄くほどの怪訝な視線を向けてきているのだ。シンプルにビビった。

 

「……? あの、秋川さん?」

「えっ。──あっ、あぁ、ごめんなさい」

「いえ……何か気になるものでも……?」

「そういうわけではないんですが、なんというか……外に比べて店内が暖かくて。ちょっとリラックスしすぎたのかボーっとしてました。はは、すみません」

 

 ベルちゃんからの愛の眼差しで喋る口が止まってしまっていた俺を不思議に思った新堀さんをなんとか誤魔化しつつ、脳内の半分ではこの場でどうするべきかの思考を働かせ始めた──というのがおおまかな現状である。オールウェイズ愛してくれる伴侶にも困ったものだね。

 

 この喫茶店で彼女を含めた三人のウマ娘がアルバイトに従事していることは世間でも周知の事実だが、こと年末年始においては有を始めとしたビッグイベントの連続投球であったため、一時的に出勤を見合わせていたのだ。

 また改めてバイトを再開するタイミングは各々店長と要相談という話だったらしいが、まさか他の二人に先んじて出てきているとは思わなかった。おかげで衝突事故ですよホント♡

 まぁ、こちらとしては恩人に対して純粋なお礼をしているだけなので特段やましいことがあるわけでもないのだ。

 

 ……ここは堂々としていよう。

 みんなで一緒にいろいろなものと戦っていこうと提案してきた矢先に見知らぬ女子をバイト先に連れ込んで談笑する俺の姿が、友人たちの中でも特に関係の深いメジロドーベルから見てどう見えているのかを考えると胃がキリキリと痛みの声を上げるが、とりあえず今は目の前のことからだ。

 

「あ、そういえば新堀さんって……下のお名前、なんていうんです?」

「えっ」

「すみません、あの時は意識が朦朧としてて。せっかく番号も頂いたのにその後も一週間近く返事もできず……申し訳ないです。というか、改めて自己紹介をさせてください!」

 

 カラ子の件や帰省後のなんやかんや、それにドーベルが与えてくれた休暇期間中の葛藤など、ここ最近は自分や周囲のことで手一杯になってしまっていて、目の前の恩人に改めて連絡するタイミングを逃してしまっていたのだ。

 せっかく良くしてくれた相手なのだから、今日のチーズケーキ一つ奢った程度で終わらせはせず、これからも少しずつ恩返ししていきたい。

 彼女のことは下心抜きに普通に人として好感を抱いているので、あわよくば友人関係に至れたら申し分ないのだが……あまりがっつかずに行こう。

 

「俺、下の名前は葉月っていいます。学年は二年で……一応ここでバイトしてるんで、今度この店に来てくださったときは店長には内緒でこっそりなんかサービスしますよ」

「そ、そんなことをしても大丈夫なのですか……?」

「もちろん。コーヒーのおかわりとか無料で──あっ、もとから無料だ。他になにかあったかな……」

「ふふっ……」

 

 いつのまにかマスクを外していた新堀さんの微笑に心を掴まれかけた。初対面の時は熱がヤバすぎて意識できなかったが、よく見なくてもかなり美人だなこの人。

 

「今度はこちらの番ですね。私はシンボリル──」

「……?」

 

 なんか一瞬詰まった。どうしたのだろうか。

 

「し、新堀……ルナ、です」

 

 額に汗をにじませながら神妙にそう告げてきた。ただの自己紹介にここまで緊張するような要素などあっただろうか。

 自分の名前に思うところがあるのか、もしくは偽名か何かなのか。

 どちらにせよ余計な詮索はナシでいこう。

 俺にも“秋川”を名乗るのに葛藤した時期があったのだ。人それぞれ事情はあるものなのだろう。

 

「ルナさん、ですか。可愛らしいお名前ですね。漢字は……瑠奈とか?」

「えぇと……いえ、月と書いてルナと読みます」

「奇遇。俺も名前の漢字に月が入るんですよ」

「ふふ、私の場合は特殊な当て字ですけれど。小学校で名前を書くときは子供心に不思議でした」

「確かに珍しいほうかもですね。日本だとどちらかと言えばウマ娘っぽい……?」

「ん゛んっ。……そ、そうですかね。そうかも……」

 

 ──なんか話題というか、会話のつなげ方がアレだな。互いに妙な間があるな。

 友達の友達みたいな距離感の相手とセッティングされた場合の大学生の飲み会とかこんな感じなんだろうか。不安になってきた。

 こちらからの好感度は文字通り命の恩人なのでかなり高めなのだが、向こうからすれば善意で助けたとはいえ一度会っただけのよく知らない男子なわけで……許可を貰って付き合ってもらってるとはいえ、不要な長話に付き合わせて退屈させるようでは本末転倒かもしれない。

 

「それにしても……」

 

 あっ、わざわざ向こうから話題の転換。俺のトークスキルが最低レベルであることが証明されちゃったね。素直に恥ずかしい思いです。

 

「十全健康なようで何よりです。あの時の秋川さん、とても外出できるような状態ではなかったように見えたので」

「新堀さんのおかげですよ。……まぁ、結果的にただの風邪だったんですけど。お恥ずかしい限りです」

「そんな、とても寒い季節ですから。実は私も昨年、熱で冬期休暇の大半を消化してしまったんです」

「ホントですか? じゃあ仲間ですね、風邪仲間」

「あはは。なんだか響きは良くないけれど……そうですね、仲間だ」

 

 そう言いながら柔和な態度で接してくれている新堀さんは、一見自然に笑ってくれているような雰囲気はあるが──真実は分からない。

 呆れられる前に、いい雰囲気のうちに今日は解散しておいたほうがいいかもしれない。

 

「いらっしゃいませ、お好きな席へ──い、いらっしゃいませ! カウンターが空いておりますのであちらへどうぞ……いらっしゃいませぇ……っ!」

 

 失礼にならない形での会話の切り上げ方を考えていたあたりで、少々店内が騒がしくなってきた。

 つい先ほどまでは客もまばらで落ち着いた雰囲気だったものの、なにやら露骨に来店する人数が増え始めているようだ。

 そんな店の様子の変化には新堀さんも気づいているようで、慌ただしくなってきたカウンターを一瞥した。

 

「新堀さん?」

「あ、いえ……急に忙しそうな──っと、いつのまにか外に行列が……」

 

 やたら店長の淹れる珈琲が美味いことを除けば標準的な喫茶店であるこの店が、十数人もの待ちを作る理由など一つしかない。

 

「ふむ……アルバイトをしているメジロドーベルの影響かな……」

 

 来店したときにドーベルを目にした際はあまり驚いていなかったあたり、有名なトレセン生徒である彼女がバイトをしている事実は知っていたのだろうが、ここまで露骨に客足に変化を齎すのは予想外だったのだろう。

 

「あー……誰かSNSで呟いたのかも」

「秋川さん、もしや……」

「ええ。年末年始はウマ娘の三人はお休みって告知はしてたんですが、いつから出勤するかは決まってなかったんです。だから俺たちが来た昼頃までは普通だったみたいだけど……今日はドーベルがいる、って情報がもう波及しちゃったみたいですね」

「それにしてもコレほどとは。いえ、昨年の有の三傑の一人ですから、当然と言えば当然かもしれませんが。出勤しただけで……まさに破竹之勢だ」

 

 顎に手を添え、興味深そうに店内を観察する新堀さんの目は、先ほどまでの穏やかなものとは打って変わり、なにやらギラついている。

 もし居心地が悪いと感じているのであれば解散は急務だ。

 ──なにより突然の増客で手が回らなくなりそうになっているバイト仲間を放っておくわけにもいかない。

 

「すみません、新堀さん。ゆっくりできると思って誘ったんですが……」

「いえ、お気になさらず。しかし……この状況で長居するのも難しいでしょうし、そろそろ会計して出ましょうか」

「あ、俺が払いますよ」

「ですが……」

「あの時のお礼ですから。今日は任せてください」

「……分かりました。ありがとうございます、秋川さん」

 

 と、そんなこんなで喫茶店の外に出たわけだが、生憎とこのままデートを続けるわけにもいかなくなってしまった。

 そもそも彼女の時間を貰っている立場なので、これ以上の拘束は単なる無礼だ。

 

「秋川さん、今日はありがとうございました」

「こちらこそ。急なお誘いだったのにありがとうございます。……そういえば、新堀さんって学年は……」

「えぇと……三年です」

「あっ、先輩だったんですね」

 

 調子に乗ってタメ口とか使わなくてよかった。

 ──いや、待て。

 それどころではない。

 三年、ということは受験生ではないか。

 

「その、なんかすいません。三年生にとって一番忙しい時期に……」

 

 現在は一月の中旬。

 就職が決まっているのであればその限りではないかもしれないが、もし大学受験を控えているならばどこを受けるにしてもこの時期は相当デリケートなはずだ。

 それこそ修了要件が特殊なトレセンの生徒でもない限り、この時期にこんな得体の知れない男とお茶をする時間など皆無に等しいだろう。

 

「──ははっ。それこそ気にしないで頂きたい。今日会った時に言ったでしょう、散歩していただけだ、と」

 

 小さく笑った新堀さんからは、一時の強がりでは出せないような本物の余裕を感じる。

 

「そ、そうですか?」

「ええ。実は少し前までいろいろあって焦心苦慮の只中だったのですが……おかげで良い気分転換になりましたよ。ここの珈琲とチーズケーキ、私の知り合いにも勧めようかな」

 

 ……高校三年生の終盤ってこういうものなんだろうか。

 一番近しい人物で当てはめるとすれば、あのタマモクロスや樫本先輩のような、いわゆる大人の余裕に近いものを感じる。

 そもそも人生において受験生というものを経験したのが中学三年の一度きりなので、高校生活最後の年を過ごす人間がどのような心境なのかは憶測でしか判断できないのだ。

 まぁ問題ないのであればそれに越したことはない。

 彼女との距離感は今後ゆっくりと掴んでいくとしよう。とりあえず今は店内でてんやわんやしているハニーを救助しに行かなければ。

 

「新堀さんこれ、俺のアカウントです」

「……はい、受け取れました。これで今後は気軽に連絡が取れますね」

 

 そんな男が勘違いするようなセリフと共にシンプルに美人な微笑みを放ち、見事に俺の心が射抜かれてしまった。タマちゃん先輩といい年上に弱いかもボク。現世に降臨せし女神様……麗しいでゲスよ。

 

「では、また」

「あっ、新堀さん」

「はい?」

「次から敬語はナシで大丈夫ですからね、()()

「っ! ……ふふっ。では今度と言わず、今からそうさせてもらおうかな」

 

 言いながら彼女は再びマスクで口元を隠し、こちらに手を振ってから踵を返した。

 

「また会おう。秋川君」

「はい、また。新堀先輩」

 

 やたら爽やかな雰囲気で路地から去っていく少女の背中を見送り、彼女が見えなくなった辺りで俺もその場を離れた。

 新しくできた繋がりについて熟考するのは後にして、今は困っている友人を助けることから始めなければ──というわけで自宅へ小走りで戻っていった。

 バイト先の制服を家で干しっぱなしにしているので、それを回収しないと応援に向かえないのだ。

 

(急ぐのはいいけど、今は誤魔化してるだけでそもそも両足が筋肉痛なのは忘れないようにね)

 

 そうでした。

 たしか外出も不可能なレベルの痛みを、ユナイトによって和らげることでようやく歩行という行動を可能にしている割とガチの極限状態にあるんだった。

 これで運動をしてしまうとデメリット以前に肉体が物理的に悲鳴を上げてしまうわけだが──ドーベルの為だ。

 理解したうえで、それでも痛みなんぞに構っていられるヒマはないのだ。急げ焦れ。わっせわっせ。

 

「ほっ♡ お゛っ♡」

 

 ちょっと流石にふくらはぎから太ももにかけて激痛が響き続けててウケる。涙でてきた。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 あれから数時間後。

 まるで祭りの如く賑やかだった店内も静まり返り、店長の消灯をもって本日の営業は完全に終了した。

 現在は制服から着替え終わったところで、いつも通りであればこのまま俺とドーベルの退勤を店長が外まで見送りに来てくれる流れになっている。

 

「ふひぃー……つ、疲れたぁ……」

 

 隣にいるバイト仲間は随分と疲弊しているようで歩くテンポが遅めだ。どうやら本日のサプライズ増客はかなり堪えたらしい。

 

「お疲れ様、二人とも」

 

 店の外へ出ると、入り口前に閉店時間用の看板を置いている店長が出迎えてくれた。

 

「今日は休みだったのにごめんね。ヘルプで来てくれて本当に助かったよ、秋川君。よかったらコレ」

「えっ、ウチのスティックコーヒー……いいんですか?」

「まかない、って言うとアレだけど、ほんのお礼だからぜひ貰って」

 

 そう言って手渡してくれた紙袋の中には、当店自慢のオリジナルスティックコーヒーが入っていた。こいつは普通のインスタントを常飲していると違いが分かるのだが、なんかやたらと香りが深いのでお土産の中でもかなり売れているこの店の人気商品だ。

 

「こんなに……ありがとうございます、店長」

「気にしないで。あ、こっちはドーベルさんの分ね」

「えぇっ! い、いえ、アタシ今日はずっとバタバタしちゃってて、特別なことは何も……」

「あんなにお客さんが来てくれたのはドーベルさんのおかげだよ。本来ウチはどこにでもあるようなカフェだからさ」

「そ、そんなこと……ん、えとっ、ありがとうございます! いただきます……っ!」

 

 いろいろな葛藤を飲み込んでドーベルは店長からのお土産を受け取った。彼女の影響で客足が増えたのは事実だが、その大半がドーベル目的の人ばかりだったのは本人的にも思うところがあるのだろう。

 ちなみに手がめっちゃ震えてた。そんなに寒いなら一緒に暖を取ろう。ボクのポッケで。

 

「あの……でもやっぱり、お店が混雑しちゃったのは申し訳ないです。去年よりもいっぱい並んじゃってたし……」

「はは、まぁそこはこっちで何とかするよ。ありがとね、ウチの店のことまで考えてくれて。……さっ、もう遅いし寒いし今日は帰ろう。二人とも風邪ひかないようにね」

 

 そう言って送り出してくれた店長の温かい笑顔にはやはり大人の余裕があって──ついでに言えば、彼が出した立て看板には何やらQRコードが印字された紙が貼ってあるあたり、ファンや有名人を一目見たい一般人たちによる混雑への対策も既に考えているのだろう。

 

 バイト先のある路地を抜け、そこそこ人通りの多い道に出た。

 ドーベルはニット帽と伊達メガネで軽い変装こそしているが、新堀さんのような重武装に比べればかなり分かりやすい。

 なので油断せず、気持ち急ぎめに二人で帰路に就く。

 

 ──ふと、互いに沈黙する瞬間が生まれた。

 

 二人並んで夜の歩道を進むだけの時間。

 刺すような冷たい空気で、頬がピリつく。

 街の通りが騒がしいことも相まって気まずい雰囲気にはなっていないが、会話が無いことによって一層自分の体が冬という季節を存分に味わってしまっていると感じた。

 

「……ね、ねぇ、ちょっといい?」

 

 全身で感じる寒さにばかり気が向いてしまって、彼女の呟きを聞き逃しそうになってしまった。聞こえたのは言葉尻の部分だけだ。

 俺の状態もあるが、何より相手の声がとても小さい。街の喧騒で容易くかき消されてしまいそうなほどで、ボリュームで言えば独り言と遜色ない。

 名前を呼ばれただけだったからまだよかったものの、もしいま大切な内容を話していたとしたら危なかった。この雰囲気で『聞こえなかったからもう一回』などと聞き返せる胆力は残念ながら持ち合わせていない。

 

「その……さ。なんていうか……」

 

 言い淀んではいるが、口に出す言葉は決まっているような雰囲気を感じる。

 おそらくポジティブな内容ではないのだろう。

 申し訳なさそうに俯く彼女を見ればそれは明らかだ。

 そして言おうとしているそれを実際に喋らせたとして、結果この冷えた空気感がさらに悪化してしまったその時、はたして自分は明るく振舞えるのか。

 自信はない。

 

 ──とはいえ、だ。

 たとえ自分にとって対処が難しい展開が予想されるとしても、無理に相手の言葉を遮るのは間違いなく悪手なのだ。

 事実アグネスデジタルとの件ではそれで一度後悔している。

 だからなんというか……そう、いっそ完全に流れに身を任せてみよう。

 深く考えすぎず()()でいこう。

 お互い高校生なのだしまぁ何とかなるだろう。

 

「…………ツッキー、ごめんっ」

「なんだよ急に」

 

 あえて足は止めず、歩きながら会話を続ける。立ち止まった状態の会話はなんか互いに身構えてしまうため。だいぶ肩に力が入っちゃってますね~落ち着いてマゾメス。一方で清廉な気品あるお嬢様。

 

「て……店内でジーっと見ちゃってたこと。ツッキーにはツッキーの付き合いがあるのに、なんか牽制するような目で見つめてしまって……あの連れの人も気分良くなかったと思うし……ごめんなさい」

 

 かなり自責の念に囚われているようだが気にしないでね。あの先輩その視線に気づかないばかりかアナタが作った行列にばかり気が向いていたので。

 

 さておき、ドーベルの言いたい事は理解できた。

 こちらからも伝えたい事はたくさんあるが、とにかく愛する女を謝罪させたまま俯かせていては旦那失格だ。

 わかりやすく、それでいて手っ取り早い手段を取らせてもらおう。

 

「ふむ……なるほどな。まぁ一緒にいた先輩は全然気にしてなかったみたいだが、俺は確かにちょっと慄いたかもしれん」

「ぅ……」

「というわけでベルちゃんには罰ゲーム」

「……へ?」

 

 俺の意味深な言葉に反応して顔をあげるドーベル。ついでに揺れる胸部。やっぱり爆長乳の才能あったのかな。溢れんばかりの。

 

「ば、罰ゲーム……?」

「そう。罰ゲーム」

「……わ、分かった。受けます……罰ゲーム……」

 

 わかりやすく表情が強張っているが別にエッチな要求するわけじゃないからね。なにその若干覚悟が決まってるような瞳。マゾメスを自ら認めて解放的なアクメを始めたのか? 俺もそれに応えねばな。

 

「先に言質くれ」

「……?」

「一度だけ何を要求されても必ず"はい"と答える、という言質をください」

「っ……! ……う、うん。なに言われても、そう言う……言います……っ」

 

 モジモジしてる。少し赤面もしてる。これマジでドエロい要求しても飲んでくれる可能性ある?

 ──こほん。

 誤謬極まる煩悩は一旦整頓。

 いまは王たる責務を果たさねば。

 

 じゃあちょっと走るよ。

 俺の脚で。

 ユナイト、解除していいか。

 

(ふぁいと)

 

 さらっと分離。

 というわけで正真正銘ただの秋川葉月に戻りました。ではいきましょう。

 

「メジロドーベルさん」

「は、はいっ」

「俺は今からトレセンの寮へ向かって走ります」

「……? う、うん」

「まもなく俺が走り出すので、ドーベルさんは二秒遅れてスタートしてください。ここまで大丈夫ですか?」

「えーと……それは分かったけど……」

「もし寮の門の前へ到着するまでに俺を捕まえられなかったら、ウマッターで匿名活動している"どぼめじろう"という作家の正体を周囲に拡散します」

「なるほど。…………えっ?」

 

 じゃあ始めよっか。追いかけっこ。

 

「スタート」

 

 そして駆け出した。

 

「ちょっ……──えっ。……えっ!? まっ、ツッキー!?」

 

 俺が軽く十数メートル進んだあたりで、ほんの少しの逡巡を挟んだ後、少女も弾かれたように走り出した。

 

「つつつツッキー!! まって待って! ちょっとまってぇ!!」

 

 やはり流石はウマ娘と言ったところで、スタートダッシュだけで一気に真後ろまで追いつかれてしまった。速すぎ! 都市伝説。

 手を伸ばしてもギリギリ届かない距離は保っているがこれも時間の問題なのだろう。やはり昨年の有を沸かせた伝説の加速は伊達ではない。

 だが勝てる勝てないの問題ではないのだ。こうして生み出したこの状況そのものに意味がある。

 

「お、怒ってるんだよね!? ごめんホントごめんなさい! でもあのっ、ちょっと一回話し合わない!?」

「喋りながら走るなんて余裕だな。そんな調子で俺のこと捕まえられんのか」

「そうじゃなくて、一回止まって話を──わッ!?」

 

 あまりにもドーベルが俺の走りに対して興味を示さないので、ほんの少しだけムキになって加速してみた。

 すると思った通り、レース(おいかけっこ)をするつもりが毛頭なかった後方のウマ娘と距離を作ることができた。このまま逃げ切ってしまおう。

 

「う、うそ、速っ……!」

 

 本気でやらねば追いつけない──ここにきてようやく悟ったのか、ドーベルの息遣いが荒いものから静かでテンポの良いものに切り替わった。

 次第にゆっくりと、確実に加速していく。

 強豪集う有の一戦で二着という脅威の成績を叩き出したあのメジロドーベルの呼吸、そして走りだ。

 

「ふうっ、ふぅ、はぁ……。──……ッ!」

 

 というわけですっかり追いつかれてしまいました。

 そろそろ肩を掴まれてゲームセットかもしれない。

 何より俺の筋肉痛の自己主張が激しすぎてまともな運動にならない。

 クソしょうもない事でも考えて気を紛らさないとやってられないぜ。闇堕ちしたエスプレッソ、デスプレッソ。

 

「ッハ、はぁっ……! 追いついたよツッキー! 止まって!」

「ケーキの王様、ケーキング」

「なに言ってんの!?」

「捕まえるように言っただろ。肩でも掴まない限りは止まらないぞ」

 

 すっかり隣まで追いついたドーベルだったが、物理的に止めようとしてこないのでそれをいいことに俺は加速して更に彼女を突き放してみた。んほぉぉ足が痛い。

 

 ──やはり、俯瞰して考えてみるとかなりヤバい事をしている。

 

 自分の体調のことは一旦置いとくとして、この追いかけっこ自体が正体バレのリスクを内包してしまっている。

 マフラーで口元が隠れているとはいえ、ウマ娘専用レーンを法定速度ギリギリで走っている都合上、その気になれば通行人も俺の顔を見ることはできる。

 速度的に咄嗟の撮影は厳しいにしても、都市伝説に近かったウマ男という存在が彼らの中で確固たるものになる流れは避けられないだろう。

 なにせそこそこ栄えている地域の大通りだ。道行く人々の数も決して少なくない。

 ドーベルに関してはニット帽と伊達メガネがあるものの、俺は目元が丸見えだし──いや、まぁ、いいか。なんか面倒くさくなってきた。

 

 そもそも有名なのはノーザンテーストであって秋川葉月ではない。

 トレセンの理事長を務めるやよいと違って、そもそも区分的には一般人である俺自身の顔写真は出回っていないのだ。

 仮に目元をチラッと目撃したとてそこから正体に紐づけることは困難だろう。以前と違って高校の制服を着ているわけでもないし、身元の特定は激ムズのはずだ。

 

 というわけで心配事についての思考は終了。

 あとは斜め後方にいるあの少女のことだけを考えよう。おまたせしました。連続イキのお時間です。

 

「つッ、つかまえ──」

 

 じりじりと迫り、いよいよ背後。

 

「っ捕まえたァッ!! はい減速、減速っ!」

 

 最後に優しく肩に手を置かれたため、観念してゆっくりと走行速度を落としていった。予想よりも早い決着だったが、そこそこ走れて満足だ。

 そうして減速しながら到着した場所は大通りを少し外れた場所にある公園付近で、体重を預けるようにベンチへ腰を下ろした俺に続いて、ドーベルも息を整えながら隣に座った。

 

「ふぅアー……疲れたな、だいぶ走ったわ」

「……急に走り出して。どういうつもりだったの?」

 

 どうやら前置きを挟む暇もないらしいので、ストレートに聞いてきたドーベルにはこれまたストレートに返すこととした。

 

「走ったらスッキリするかなと思ってさ」

「……え?」

 

 俺の行動の真意はノリに身を任せたただのアドリブだったわけだが、そのノリに至る過程には多少の考えもあったのだ。まぁ浅はかなものだが。

 

「ドーベル、なんかシリアスな心境に陥ってただろ。だからとりあえず一発走ってリフレッシュすれば気持ちも晴れるかなって」

「ご、強引すぎでしょ……!」

「それはまぁ、そうだな」

 

 これまで秋川家に身を置いてたくさんのウマ娘を見てきた中で、彼女たちには『そこそこ走った後は気持ちよさそうな顔をしている』という共通点があった。

 例外はない……というほどではないが、クールだったり内気だったり暴君だったりしても、大抵はそうだったのだ。

 というわけでドーベルにも走ってもらって、暗い気持ちを忘れてほしかったのだ。だいぶパワープレイだったことは素直に反省。

 

「ちなみにどぼめじろうの正体をバラすってのは焚きつけるためのウソです」

「アンタねぇ……」

「悪かった、ベルと一緒に走ってみたかったんだ。許してくれ」

 

 と、割とめちゃくちゃなことを言ってしまっているが、少なくとも最後の許してほしいという要求だけは必ず通ると分かっている。

 ()()は取ってあるので。

 

「……もうっ。……はい、許します」

「はは、よかった」

 

 許される側から許す立場に変われば気持ちも多少は持ち直すと思ったのだが、仕方なさそうに笑っているあたりコレは成功したとみてもいいのだろうか。

 

「……気、つかわせちゃってごめんね」

「そんなつもりないぞ。てか最近足が速くなってきたしなにかと理由をつけて走りたかっただけってのがある」

「ん……確かにめちゃくちゃ速かった。変身(ユナイト)、してないんだよね?」

「素の力だぞ、スゲーだろ」

「いやっ、マジすごいよ、ヒトに出せる速度じゃないもんっ。……てか下手に走ったら正体バレちゃうでしょ! やめろし!」

「すいません」

 

 というか相棒との邂逅があったからこそ得られた特別な身体能力を自慢するのってどうなんだ。コレ本当に俺の力か? まぁいいか。

 文字通り死にそうになりながら半年以上走り続けてようやく身についた走力なのだ。運命と継続した努力の結果なのだし素直に誇ってしまおう。それにその方が気持ちいい。快感第一主義。

 

「全力疾走は対怪異の時だけにしてなるべく控えるよ。でも走るための体作りはやっておきたいんだ」

「それって……」

「使命感に駆られて、とかそんなんじゃないぞ。なんつーか……単純にドーベルたちと一緒に走ってみたいんだ」

「──ッ!」

 

 言うと彼女の耳と尻尾が軽くはねた。ウマ娘って感情の起伏が分かりやすくて可愛いよね。ガチのホラーとかを観た場合の反応が気になりすぎる。オバケだぞ~! ビュ~ッ♡ どろどろ~♡

 

「朝とか軽く走り込みしたいんだが……なんかいいコースとかないか?」

「あっ、え、えーと……あるよ! あるある、いっぱいあるっ。なんならトレセン生でも使う生徒が少ない山道とかあるし、人目につきづらいから速度を出したいならそこなんかオススメだし……っ!」

 

 なんだか若干鼻息が荒くなりつつ、隣で猛烈にコース知識を披露してくれるドーベルは、もはや寒さなどどこへやらといった興奮具合だ。落ちつけ! 急いては事を仕損じる。

 

「……どうせなら一緒に走るとか、いいかも。……なんて」

 

 これはもしかしなくても早朝デートのお誘いなのだろうか。名家に名を連ねる令嬢メジロドーベル女史、最近の学説だと俺のことが好きらしい。太宰府天満宮ありがとう! 学問の神。

 

「いいなそれ。時間があるときに朝二人で走ろうぜ」

「ッ! う、うんっ」

 

 かなり露骨に嬉しそうな笑顔で思わず怯んでしまった。ついでに乳と艶やかな長髪が揺れた。黒髪大和撫子に長乳が合わさり奇跡のコラボレーション。あんま舐めてっと潰すよ?

 とりあえず一度冷静になろう。

 もはや筋肉痛を超越した痛みが足を襲っているこの現状で、仲良くお喋りを続けていたらいよいよ帰宅困難になってしまう。

 名残惜しいがそろそろ解散だ。

 

「さて……じゃあ帰るか」

「あ、そうだね。だいぶ話し込んじゃった」

「ていうか寮の門限は大丈夫なのか」

「えっ? ──あっ」

 

 立ち上がったあと腕時計を確認し、表情が固まるドーベル。

 というより青ざめている。

 どうやらこの公園に寄った後の雑談でそのままタイムリミットを超過してしまったようだ。コレは完全に俺の責任だろう。

 

「ん、ん~……とりあえずタイキとトレーナーには連絡を……でもなんて言ったらいいんだろ。泊まるならお屋敷だけど、こんな時間からアポなしで行くのも……むむぅ」

 

 想像以上にしがらみが多いドーベルは外泊するのも一苦労だ。

 しかしわざわざその苦労を強いてしまったのは外ならぬ俺であるため、後始末はこっちがやって然るべきだろう。本当に申し訳ございませんでした。

 

「ベル、ちょっといいか」

「うん?」

「すまん、トレーナーさんへの説明は俺にさせてもらえないか。これでベルが無断外泊する不良学生みたいな扱いをされたらマックイーンさんたちに顔向けできない」

「えっ……で、でも、あたしの担当トレーナーと話したことないよね? それにほら、今回は自分の事なのに時間を確認してなかったあたしが悪いんだし……」

「いや、付き合わせてたのは俺だよ。……説明、させてほしい」

「…………ん、わかった。そこまで言うなら、お願いします」

 

 俺の意思をくみ取ってくれたドーベルはさっそく担当トレーナーに電話をかけ、交代の旨を伝えたのち俺にスマホを手渡した。

 一拍、深呼吸。

 ついに訪れた、身内以外のトレセン関係の大人との対話。

 バチクソ緊張しているがここを乗り切れないようでは秋川の人間としてやよいを支えていくなど夢のまた夢だ。

 がんばるむんっ。むんむんっ。ムワッ。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 ──なんか誤解に近い認識をされてしまった、かもしれない。

 

『ありがとうございます! まさか秋川理事長の親族の方がウチの担当を見つけてくださっていたとは……』

「い、いえ……自分が彼女を付き合わせてしまったんです。それで門限を超過してしまい……申し訳ございません」

『とんでもない! 秋川家の方とご一緒してお話しできる機会なんてそうありませんし、ドーベルにも勉強になったと思います。しかし宿の提供までしていただいて申し訳ない……』

「そんな。自分はご迷惑をおかけした立場で──」

 

 と、そんな押し問答が少し続いたのち、結局は俺の提供する宿でのドーベルの外泊が決定し俺と彼のすれ違いトークは幕を閉じた。

 

「はい……はい、早朝には寮まで自分が……はい、申し訳ございませんでした。はい、ありがとうございます。失礼いたします……」

「……なんというか、丸く収まった感じ?」

「まぁ……そうとも言える、かもしれん」

 

 丸く収めて()()()()、と言った方が正しいだろう。

 

 メジロドーベルの担当トレーナーがあのバイト先に訪れたことはない。

 おそらくはドーベルに対するプライバシーの配慮が故の行動なのだろう。

 そして彼はイベントの設営期間中に一度俺の顔を見たことがあるだけで、秋川葉月という個人についてはほとんど知らないといっていい。

 

 とはいえ、相手は二十代で立派に自立した一人の社会人だ。

 自分の担当である生徒の人間関係については普通以上に理解しているだろうし、年末年始の彼女が塞ぎ込んだ時期に関係している()()がいることも察してはいるはず。

 それが俺と結びつくかどうかは分からないが──電話口の声音からして、気を遣われていたのは明らかだった。

 

 わざわざ担当を指導してくれた学園関係者の一人、という事にして場を収めてくれたのだろう。

 きっといろいろと察していただろうし、俺の話術だって二割も通用していなかったに違いない。

 

「……やっぱり大人にはまだ敵わないな」

「よく分かんないけど……戦ったわけじゃなくない?」

「……ん。…………言われてみればそうか」

 

 ゴチャゴチャと懊悩したがドーベルの一言で吹っ飛んだ。

 たしかに張り合うようなものではない。

 大人が大人だったからなんだという話だ。俺だってこれから大人になっていくのだ。いずれは王へと至るその道程など些末に過ぎないんだ。

 むずかしいことかんがえるのやめよう。かえろ。

 

「じゃあ帰ろうぜ」

「あ、うん」

「着替えあるか?」

「ジャージがあるから大丈夫だよ、ありがと」

 

 のほほんとカップルのような会話しながら自宅へ向かってまっすぐ帰っていく。

 足の裏から太ももにかけてデカい槍でも刺さってるかと錯覚するほど下半身全体がクソ痛ぇし指先も凍えるばかりだが、隣に好きな女子がいるので弱い部分は噯にも出さない。やせ我慢をしなければならないのだ、男の子なので。

 

「…………あれ。お屋敷じゃなくてツッキーの家に帰ることになってる……?」

 

 なにやら小さな呟きが聞こえたがあえて何も言わない。自然と二人で帰る流れにしたのは普通に意図した事であるため。

 気づいた上で無防備に男の自宅へ上がるあたりようやくあの家を第二の故郷として認識してくれたようだね。これぞ帰巣本能。ボクたちって交際していたんでしたっけ?

 

「そういや晩飯を決めてなかったな。リクエストありますか」

「うーん……あっ、じゃあ近所のスーパー寄っていいかな。あたしが出すよ」

「俺も食うわけだし食事代は俺が……」

「でも──」

 

 む。押し問答の予感。

 カップルならばもっとスムーズに進めなければ。

 

「いや、割り勘だな。どうすか」

「ん……確かにそれでいっか」

 

 というわけで互いに納得してからスーパーに立ち寄った。

 若い男女二人で買い物している客など俺たちくらいで、それこそ店内の人々からは恋人同士にしか見えていないことだろう。この状況あまりに気持ち良すぎます。

 

「ねね、ツッキーは何が食べたい?」

「んー……そうだな」

 

 腹が減りすぎて正直なんでもいいのだが彼女からの料理のリクエストで"なんでもいい"を口にする男にだけはなりたくないので具体性を持った何かを考えねばならない。

 駄菓子コーナーと真剣に睨めっこしてるそこの相棒さん、なんか食いたいもんありますか。

 

(手料理。ベルちゃんの)

 

 それほぼなんでもいいと同義じゃね? 具体性プリーズ。

 

(ベルちゃんが知りたがってるのはツッキーの食べたいものでしょ)

 

 ツッキー自身で考えろ甲斐性なし、ということらしい。申し訳ございませんでした。

 ここで意識すべきは俺自身の食べたいものではなく、ドーベルにとって負担が少ないもので且つそこそこ工程が多い料理なのだがパッとは出てこない。

 いやもう逆に俺の好物でいいか。これを機に俺色に染めあげてしまおう。

 

「……煮込みハンバーグ、食いたいな」

「ふむふむ。承り!」

「いいのか?」

「任して任して。泊めてもらうんだからお料理くらい……ていうか最近勉強してるのでむしろ得意です」

 

 花嫁修行かな。俺もよく料理するよ。主婦と主夫になろう。

 

「二人分……あぃやっ、三人分か。サンデーさんいるんだよね?」

「帰ってきてるよ。過度なスキンシップをし過ぎてマンハッタンさんからお触り禁止令が出たからな」

「そ、そうなんだ。本当にカフェのこと好きなんだね」

「ちなみにベルの隣にいるぞ」

「うぇっ!!」

 

 ウソです。むほほ。からかい甲斐があって自重しないと止まらん。

 

(あんまりやると私がベルちゃんの代わりに怒るまである)

 

 この度は誠に申し訳ございませんでした心よりお詫び申し上げます。

 どうやら柄にもなく浮かれてしまっているらしい。

 思えばこの街へ帰ってきてから彼女と二人きりで過ごす時間はほとんど無かったので、そのせいもあるのだろう。王たるもの謙虚に誠実に生きよ。

 

 というわけで帰りの荷物持ちは俺がやりつつ少し経って我が家、またの名を二人の愛の園に到着した。

 そのまま居間へ移動した、その直後。

 

「あ〜〜〜〜〜〜〜もうダメですねコレ」

「わっ! つ、ツッキー……?」

 

 あまりにも自己主張が強い筋肉痛レベル100に抗えなくなり、隣にいたドーベルのことも気にせず仰向けに倒れこんでしまった。ひたすら限界。

 

「もしかして足、筋肉痛なの……?」

「わかるのか」

「動きを見れば分かるよ。ごめん、帰ってくるまでに気づかなくて。──よしっ、お料理とかお湯張りは全部まかせて!」

 

 そう宣言したドーベルはガチで花嫁修行を積んでいるのではないかと疑ってしまうほど手際よくと帰宅後のタスクを消化していく。

 もうすっかりウチの使い方も把握しているようだ。俺のヴィーナス。この短時間でワイフとしての自覚を得たな。

 あまりにも動けない俺は相棒さまの慈悲による足の療養マッサージを受けながら心の中で感謝を述べることしかできず、気がつけばテーブルには空腹を刺激する香りのお手製煮込みハンバーグが並んでいた。

 

「はい、出来たよツッキー。体は起こせそう?」

「あ、あぁ。……マジですげぇな。めちゃくちゃ美味そう」

「えへへ、ありがと。サンデーさんの分はこっちね」

(わお)

 

 料理スキル高めな美少女が作ってくれた素晴らしい夕餉を前にした相棒も俺と同じく目を輝かせている。

 感謝もそこそこに食べ始め──脳が痺れた。

 

「え、うっま」

「ほんと? よ、よかった……」

「いやちょっとガチで美味い。これ俺にも作り方を教えてください」

「ネットのレシピとそんなに変わらないけど……ふふ、今度は一緒に作ろっか」

 

 ともすれば一周回って悔しいという感情まで湧いてくるほど舌が喜ぶ味だった。みっちりねっとり教えてもらいたいので次回もお家デートしようね。

 

(うま。うま)

 

 相棒もすげぇ勢いで食べ進めている。これお金取れるレベルですよね。今すぐ告白したほうがいいかな。

 

(私もベルちゃんすき。ずっとウチにいてもらお)

 

 それはちょっと頭が茹で上がりすぎ。俺がまともだったからよかったけど……。

 

(…………)

 

 脇腹をつっつかないで。ごめんなさい。後生だから。

 と、そんな感じでなんやかんやありつつ気がつけば食事も入浴も終えて布団の上であった。

 

「すまん、何から何まで」

「気にしないでよ。前の雨の日にツッキーの家に泊まらせてもらった時とか何もお返しできなかったし……なんでも言ってね」

 

 なんでも。じゃあ添い寝して早急に。それが社会だ。

 

「ほんとありがとうな」

「んーん。……あっ、あたしも歯磨きしてくるね」

「おう」

 

 そう言ってとててと洗面所へ向かうジャージのドーベルの後ろ姿を眺めながらふと思う。

 あの少女を嫁にもらう未来の旦那は世界で一番の幸せ者だな、と。ていうか上半身と同様に発育のよいジャージ越しのケツが性的過ぎね。フリフリ動く尻尾も扇情的でガチでキショい笑い出る。

 

「……深呼吸しよう。ムラムラしすぎて頭おかしくなってるわ」

 

 あえて口に出しすことで脳内を整理し、布団の上で仰向けになり深く呼吸を繰り返した。

 ユナイトの反動でもなければペンダントの効力でもない。

 ただひたすらに一介の男子高校生として、メジロドーベルという魅力的な同学年の女子に対して劣情を抱いてしまっている。

 

 男の子とは特別な事情がなくとも勝手にムラムラしてしまう生き物なのだ。

 相手が自分に気を許してくれていて距離感もバチ近とあればなおさら欲を煽られても仕方がない。

 ──心頭滅却すれば火もまた涼し。

 一旦思考を放棄し、上体を起こした姿勢から仰向けに倒れ込んだ。

 

「あ゛ー……」

 

 漏れ出るようなため息を挟み、静かに瞼を閉じる。

 性欲はもちろんだがシンプルに疲れた。

 このまま眠ってしまいたい欲に身を任せそうになり、焦って目を開けてまた閉じてを何度か繰り返す。

 

「……あれ、ツッキー……寝ちゃった?」 

 

 そのせいか余計に疲弊してしまい、ほんの数秒だけ完全に意識が落ちたその間にドーベルが戻ってきていたらしく、意図しない形で寝ているフリをすることとなってしまった。

 別にこのまま瞼を開けて起きても構わないのだが、気怠い肉体は再び覚醒することを良しとしてくれないようで、やはり俺がドーベルの言葉に反応することはなかった。

 

「もしもーし。……ん、ガチ寝かな」

 

 あえて寝たフリを続行してみたわけだが次第にフリではなく本当に眠くなってきた。

 もはや彼女の独り言を子守唄にして意識を手放してしまえそうなほど瞼が重くなっているので、既成事実的に寝たフリではなくしっかり寝ていたことになりそうだ。

 

「疲れてたんだもんね。無理もないか」

 

 そう小さく呟きながら、毛布を腰辺りまでかけてくれて──なぜか動きが一瞬止まった。

 

「…………寝てるん、だよね」

 

 はい。まもなく。

 

「……つんつん」

 

 えへへ。優しくほっぺ突っつかないで。逆上して貪ってしまうぞオイ。

 

「起きる気配なし……あっ、電気は消してあげなきゃ」

 

 彼女の気遣いで遂に視界が真っ暗になり睡眠の準備が整った。ねりをしますンゴ。ぽやしみ。

 

「あたしも寝なきゃ……」

 

 モゾモゾ。隣で衣擦れの音。どうやらホテル秋川の本日のご利用客の方もお休みになられるご様子。

 その安心からいよいよドーベルのことも意識から抜けていき、溶けるような微睡みに沈み始めた。

 今夜の全力疾走はかえって丁度いい運動になった。

 やさしい同学年の女子による温かい手作り料理でそれも癒され、満足感を期待させるような熟睡が目の前まで迫ってきている。

 女子とお泊まりしておいて何もしないなど同世代の男子からは根性なしと揶揄されそうな選択だが、今回ばかりはそれでもいいのだ。王は、帝は、将軍はがっつかない。石の上にも三年。

 

「……」

 

 モゾモゾ。もしかして隣の女の子はもう寝たのかな。寝相の音色が聞こえます。音のソノリティ。

 

「……ねてますか~……」

 

 これで起きてるって返事したらそれはそれでビビりそう。八方塞がりじゃねえか。

 

「ち……ちょっとだけ……」

 

 寝たふりを続行しようと意識を集中させようとした──その時。

 

「……手、あったかい」

 

 おそらく隣の布団から伸びてきたであろう少女の手が、こちらの空いた手をそっと握ってきたのだ。何事。

 

「ツッキー……ごめんね、ちょっとだけだから……」

 

 そうか細い声で呟きながら恐る恐る指を絡めていき、遂には俺たち二人の手が恋人同士のように繋がれてしまった。一心同体ということかよ。気を急くな奥方。

 あまりに急な事態の変化にねむねむだった意識なんぞ一瞬で覚醒し、ただ目を閉じているだけの起きてる人間になった俺はひたすらにだんまりを決め込んだ。

 

 逆の立場で考えてみれば分かることだ。

 仮に俺が隣で無防備に眠っているドーベルに手を伸ばしたとして、その状況で相手が実は起きていることが判明したら余裕で死ねる。切腹レベルの恥ずかしさと気まずさだ。

 これは気の迷いなのだ。

 自分が同じことをしない自信はない。

 男女関係なく発生する、多感な時期である高校生特有の異性へ触れたいというただの興味本位。

 おそらく深い意味はない。

 だから落ち着いて狸寝入りを決め込もう。素数でも円周率でも何でもいいから数えて落ち着くのだ。

 

「……ここにいる。……うん、ここに……」

 

 呟き、というよりは囁くような、自分自身にも語り掛けているような、そんな色が聞こえる。

 

「ごめん。あたし……たぶん、ツッキーに自分を預けすぎてたの。有の頃まで、ずっと。だから一回、逃げちゃった」

 

 ぎゅう、と改めて掌を握りしめる。

 毛布の中で熱が籠っていき、繋いだ互いの手の境界線が曖昧になっていく。

 指と指が、文字通り繋がっている。

 今この瞬間だけは自分と彼女は一つになっていた。

 

「トレーナーとか大人の人たちはツッキーのこと知らないからさ、みんなレースの結果で落ち込んでるとか、そんな風に思ってたみたい」

 

 視えない暗闇の向こうで物悲しげに微笑んでいると、そんな気がした。

 

「レースの結果に不満はなかった。全部出し切ったし、それはカフェもスズカも一緒だったから」

 

 ──うん。

 なんというか。

 ……ベルちゃん、独白モードに入ってない?

 これノベルゲーなら地の文で語るようなモノローグじゃない? 全部が声に出ちゃうの? おもしれー女♡

 

「でも、ツッキーがいなくなってあたしは……だから、ごめん」

 

 謝るような事ではないのだが、こうすることで彼女の心の整理がなされるのであれば甘んじて受け入れる他あるまい。包容力のある男子がモテるとは孔子の教えにも記載あり。

 

「守りたい人がたくさんいて、大切なものがたくさんあって、その為なら、あなたは」

 

 あれ、モゾモゾとだんだん近寄ってきてない? インモラルすぎる距離の詰め方に悄然とするばかり……♡

 ちなみに二人の布団は少し離れて敷いていたので、この肩付近で体温を感じる近さという事は、彼女はとっくに自分の布団から出ているという事になる。

 

「もうワガママは言わないから。一人で殻に籠ったりはしないから。だから──」

 

 そして気がつけば右肩になにやらふわふわマシュマロな感触を感じるまでに事態が急変していた。構わず、彼女は続ける。

 

「ツッキーも……()()()も、これからはその痛みを分けて。あたしたちにも背負わせて。……もし、それでもまたこの街からいなくなる……そうしないといけない時が来るなら」

 

 心の鼓動、命の振動を蕩けるような吐息と共にこちらへ共鳴させながら、少女は。

 

「その時は……あたしのことも、一緒に連れていって」

 

 懇願するように、祈りにも似た言葉と共に、改めて繋いだ手を握りしめるのであった。

 

 ──ここまで聞いたうえで考えると、やはりクリスマスの日に俺がした行動は軽率なものだったのかもしれない。

 周囲を傷つけ自らを傷つけこの少女の心にも確かな痕を残してしまった。

 反省してもし足りない過ちだ。それを忘れてはいけない。

 とはいえ、だ。

 延々と反省してしおらしい態度を取り続けるのも、それはそれで周囲も鬱陶しく感じる事だろう。

 山田を始めとした友人各位、ゴールドシップが言うところの“戦隊”とかいうよくわからん関係性になっている周囲の人々とは、既に助け合うといった形で話を進めているのが現状だ。

 

 だから彼女ともそうしようと思う。

 あの芦毛のおもしろ女曰く、戦うために集まったわけではなくとも、闘うときは一緒に──それが戦隊だ、ということなので。

 今一度ここにウマ娘戦隊秋川すきすきシスターズの結成を宣言しよう。業務成果にご期待ください。

 

「…………ん、」

 

 もう明日の早朝から態度を改めたほうがいいかもしれない。露骨な変化はなくともなるべく真摯に応対し、彼女が起きる五分前には朝食の準備を終えるくらいの気概でいこう。

 

「……ハァ、はぁ」

 

 しかしそうなると日を跨いだら朝からかなり多忙だ。誠意を見せるための準備はもちろんのこと、バイクで寮まで送迎したうえで新しい紳士用スーツを受け取り、一度帰宅してから駿川さんの待つショッピングモールへ昼前までに到着とスケジュールがパンパンだ。

 

「つ、ツッキーの……手……」

 

 おそらく午後はショッピングモールでの駿川さんとの買い出しを終えたらそのまま今度の食事会の打ち合わせがあるからタブレットも荷物に入れておいて、それから

 

「はわ……」

 

 ──あの、先ほどからこのマゾメスは何をしているの?

 

「ゴツゴツしてて……硬い……」

 

 ただ掌を握るだけに留まらず、絡みつくようにそれこそ抱き枕のごとく俺の腕をホールドしてしまっている。この世のものとは思えない柔らかさが右腕を通じて脳に直撃しているのだ。あたまおかしくなる。

 なんっ、え?

 ホントになに?

 

「す、すこしだけ……ちょっとだけ……っ」

 

 やたら手をニギニギしてるけどこれもうシリアスなセリフで誤魔化せる領域を超えていますよお嬢さん。オイオイ妻が何故旦那より先にお下劣なアクメを晒しているのだ!? 三顧の礼。

 

「木の根みたいにガッシリしてて、指も長くて……でも怖くない、優しく包み込んでくれそうな温かさがあって」

 

 ここで作家どぼめじろう先生成分を出してこなくていいんだよ、何だその分かりそうで分からない比喩表現。というか本当にすべて口に出るなお前。じゃあついでで恐縮だけどイッちゃおっか。

 

「はあ、はぁ」

 

 なんだこの腕に当たる柔らかい感覚は革命が起きてるよ。サイコー♡ 長乳レボリューション。

 どう聞いてもどんなに高尚な理由を用意したとしても言い逃れできないほどに()()()興奮している呼吸だ。

 この場にいるのが異性同士ということもあって、絶対に発生しないイベントだとは断言できなかったがまさか本当に起きるとは思わなんだ。比喩抜きに冷や汗をかいてしまっている。

 

 どうして、などとは考えない。

 あの初めてのデュアルの為にドーベルを家へ招いた際、彼女の態度からして少なくとも異性として意識できる相手の中に秋川葉月という存在も含まれている、といった事実はほぼ確定していたのだ。

 ウマ娘といえど一人の少女であることに変わりはなく、男女であれば恋愛感情を抜きにしてもそういった間違いは起こりうるのである。

 

「……ご、ごめんなさい、ほんとにあとちょっとだけ……」

 

 もう既にちょっとの領域は逸脱していると思う今日この頃。男性が苦手だとかストイックなアスリートだとかのたまいつつもその心の奥底にマゾメスの本性が宿っているのではないか? イライラさせやがって、おいさっさと下も脱げよ。こっちもちょっと蒸れてて申し訳ない。

 

「こんな、恋人みたいな繋ぎ方……ダメなんだけど……っ」

 

 少なくとも本能に抗えず性欲のオーバードライブに身を任せている自覚だけはあるようだが、それを止める理性に手を伸ばさないようではアイドル失格である。……あっ、ギュッギュしないで。おててほっかほかだね♡ 一緒にパンとか作りたいな♡ 太陽の手。

 

「……寝顔、かわいい。……公園にいたときはキリっとしててあんなにカッコよかったのに……ふふ、無防備なんだ……」

 

 いささか頭が茹で上がりすぎて目視している現実を曲解するレベルまで到達してしまっているようだが、こちらは冷静に対処フローを思案しなければならない。

 これは本当にまずい。

 何がまずいというと説明に小一時間ほど必要なのだが、彼女のメンタルと世間体を守るためには()()()()()()()()()()()()()()()()というこの状況そのものが特にまずい。

 

 仮に俺が起きて彼女を物理的に制止した場合、自責の念から更に距離が生まれかねない。

 できればこの暴走は一人で胸の内にしまい込んで、いずれ超克できる一夜の過ちとして処理していただきたい、のだが大丈夫かコレ本当にベルちゃん止まれる?

 

「……ぁ。……やばい、かも」

 

 あっ自分で言ってるあたりガチで危険信号が出てますねもうちょっとで変なスイッチ入りそうだねこれ。

 もしこのまま流されたらドーベルが勝手に一人で一線を越えてしまうかもしれない。

 俺を使ってしまうかもしれない。

 一夜の過ちとして内々で解決できる小イベントから、重大なルート変更への切り替えを強要しかねないデカ事件へ発展してしまう。おっぱいぐらいデカいね♡ タンクローリーくらい。

 

 ──まったく世話の焼けるハニーだ。

 

 しょうがない。

 勝手に一人で留まってくれることを期待していたのだが、どうやら今夜の彼女は本能には逆らえないようだ。

 ここはメジロ家の未来の彼氏候補リストに名を刻むであろうこの俺がなんとかしよう。

 

 そもそも俺だって数ヵ月ほど遡れば、爛れたルートへ突入しかねない暴走を幾度もしていたのだ。

 それも自力で止まれた回数は多くなく、大抵は相棒のヒントや親友からの電話だったりなどの外部要因でやっと我に戻れた、といったことばかりだった。

 

 今回ばかりは俺がメジロドーベルの“理性”になろう。

 そして彼女も自分をあまり責めないような結果へ導こう。

 誰しも間違いはあるだろう。

 それに待ったをかけられる存在がいつも近くにいて、互いを補完し合うことで大きな過ちをせずみんなで進んでいける──そんな関係性を築けているからこそ俺たちは戦隊なのだ。いまさらだけど秋川すきすきシスターズに俺と山田が入ってるのはダメじゃない?

 

「ツッキー……あたし……」

「……んんっ」

「っ──!!?」

 

 では始めよう。まずは寝言で反応し、こちらが寝ていることで油断していた相手を一瞬で正気に戻す。

 

「ぁ、あわっ」

 

 しかしこのままドーベルが自分の布団まで逃げて朝を迎えた場合、彼女の中で『実は起きていたのでは』という疑念が残ることになってしまう。

 俺が抵抗するためにわざとらしく咳払いをすればこの事態は収束するがそれでは露骨すぎてダメだ。少女の抱いた疑念が確信へと変わってしまうから。

 この少女は聡明なメジロ家に名を連ねるだけあって決して鈍感ではない。下手な工作は通用しないことだろう。

 

 なので別の認識を期待するのではなく意図的に認識()()()勢いが必要なのだ。

 では本気で取り掛からせてもらうぞメジロドーベル。儀式が終わったら嫁になってオラの子を産んでくれねぇだか?

 

「ごっごごめんなさ」

「んん゛……ぁんだ、ねむれねぇのか」

「ぇえっ、あ」

 

 うわごとのように滑舌わるく喋りながら寝返りをして彼女の方向へ向き直り、空いていた左腕をドーベルの背中へと回す。

 

「しゃーねえな……こっちこい」

「わわぁっわァ……!?」

 

 半ば強引に俺の胸元まで引き寄せ、改めて毛布をかぶり抱き寄せた手で後頭部を小さく撫でた。

 

「ひゃえぇ……っ、つつっつつっき」

「なんさいに、なっても……あまえんぼさんだな……やよいは……」

「あ、あたしっ、あの……────ぇ?」

 

 あえて別の女の名を出した。が、いやらしさは出ない。

 なぜなら秋川やよいは幼少期から同じ布団に入っていた唯一の家族であり、メジロドーベルはだいぶ前……それこそ急速に仲が縮まり始めたあの夏休みの時期から、俺と従妹であるやよいの関係性を既に説明している人物であるため。

 

「………………そ、そういえば、そっか」

 

 どうやら納得したご様子だ。間違えられる人物はやよいくらいしかいないが、逆にやよいであれば抱き寄せても不思議ではないという絶妙なチョイスが功を奏した。このまま眠ってしまえばこちらのものである。

 

「う、うぅ……ホントなにしてたんだろ、あたしぃ……」

 

 そして自らを俯瞰できる程度には頭が冷えたらしく俺も安堵できた。

 心臓が跳ねるほどの衝撃のあとに杞憂で済んだという安心感を与えれば我に返ってくれると踏んでの行動だったが正解だったようだ。

 しかしなんだかやよいには申し訳ないことをした気分。明日は駿川さんと合流したらサプライズでお土産を持って事務所に凸しよう。

 

「……なんか、忘れてるような……」

 

 そう須臾にして逡巡した後、ドーベルの方が大きく跳ね上がった。

 

「──っッっぅあぁぁぁやばいサンデーさんがいるってこと忘れてたァ……ッ!!?」

 

 正しく状況を理解した性欲暴走女子高生は俺の腕の中でワタワタし始め小声で何やら喋り始める。

 

「あわわわっちっち違うんですごめんなさいあのっ、ちがくて! いやっ、違わないかすいません、ととりあえず一度弁明の機会を頂きたく……っ!」

「ちょっ、え、なに。ガチでうるさいんだが。──なんで俺の布団にいんのお前」

「ひゃあっ!? こっこコレにはワケが……っ!」

 

 と、なんやかんやでバイトの帰り道と同様にパワープレイで一夜の過ちを防ぎつつ、多少は彼女のメンタルも守った形で深夜の小事件は幕を閉じたのであった。またのご利用をお待ちしております。

 

 

 

 

 翌朝。

 なんとか無事に起床できたのでテキパキと朝の諸々を終え、現在はトレセンの寮の前にバイクで到着したところだ。昨晩は楽しい会でしたね♡ 爆裂イキ♡

 ちなみに今朝からずっとドーベルの顔が赤い。あとバツが悪そう。困り笑顔かわいくて好き。

 

「え、えへへ……あの、サンデーさん、昨夜のことはどうかご内密に……」

 

 バイクから降りた後、スマホを介して相棒とひっそりやり取りする発情令嬢。ぜんぶ聞こえてますよ。

 

『それはベルちゃんの態度次第』

「もっもちろんタダでとは言わないから! マジほんとなんでもする! しますっ!」

『ではまたご飯を作りに来てください。あとは膝枕なども所望します』

「えっ、あ、そんなことでいいの……?」

『──! ならば尻尾や耳をモフったりなんかも』

 

 ちなみに度が過ぎる要求をするようならマンハッタンカフェにチクります。スケベ幽霊さん。

 

『……』

「あれ……サンデーさん?」

『夢の世界でレースとか、しよ。あっちなら着てる服くらいはベルちゃんでも視認できるようになるし』

「あ、うん! いっぱい走ろっ!」

 

 と、そんなこんなで丸く収まりそうになって俺も安心した。

 まぁサンデーとしても明らかに無理があるような知らないフリをするよりは、こうしてそれっぽい交換条件を提示した方がドーベル的にも安心できると踏んでの行動なのだろう。気が利くね奥さん。国宝級の賞とかあげたほうがいいんじゃないかな、偉人として。

 

「……ん?」

 

 二人のやり取りをほんわかと眺めていると、遠目になにやら中学生くらいの男子の集団がこちらへ走ってくる姿が確認できた。近くの中学の運動部だろうか。

 

「いちっにっ、さんっしっ」

 

 ウィンドブレーカーを着た少年たちは全員で声を出し、白い息を立ち昇らせながらランニングをしている。

 そしてその中の先頭の一人がこちらを目視で確認してから何かに気づき、こっそりと隣の男子に話しかけた。

 

「な、なあ、あそこのバイクに跨ってる人の奥……メジロドーベルじゃね?」

「そんなわけ──えっ、ま、マジじゃん」

 

 喋りながらも集団は構わずこちらへ向かってくる。トレセンがどうこう関係なくここら一帯が外周用のコースなのだろう。

 他の生徒たちも次々と遠目に見える生ドーベルにざわつき始めるが、おそらく主将であろう男子が改めて大きく声を張り上げ、集団は私語を慎み統一性を取り戻した。最初の二人を除いて。

 

「なっ、なぁ、応援してますぐらい言ってもいいんじゃないか」

「いやキャプテンにどやされるだろっ。他のやつらも声かけたいの我慢してるだろうし……いいって、ほらお前も声出せって」

 

 冷たく澄んだこの早すぎる時間帯では朝練をしているウマ娘も少なく、トレセン前で実際に有名な生徒を見かける機会は少ないのだろう。統制は取れたが迷惑はかけまいと誰も彼も必死にこちらから目をそらしている。まったく生真面目なスポーツ少年たちだ。

 

「……ベル」

「ん。どしたのツッキー。……わっ、男の子がいっぱい来てる……」

 

 そろそろ彼らが横を通過する。

 少年たちが声をかけられず密かに落ち込むことや、昨晩のことでドーベルが懊悩を続けるのも俺としては見過ごしたくない。

 どちらも多少は解決できるようなルートは果たしてあるだろうか。

 

 ──考えすぎるようなものでもないか。

 世界を良くしたいならちょっとしたことから始めればいいのだ。

 

「あの子たちの中にベルのファンもいるっぽいぞ」

「えっ、ほんと? そ、そうなんだ……」

 

 メジロドーベルはかの高名なメジロ家のウマ娘だが、それ以上に昨年の有にて最高峰のレースを披露した世間のヒーローだ。

 競技は違えど同じ運動部に所属する少年少女たちからすればもっと輝いて見えていたことだろう。

 そんな人物に認識してもらえた暁にはメンタルへのバフも計り知れないだろうし、自責の念が拭いきれない今のドーベルにも俺よりあれくらい真っすぐな人間たちからの応援の方がよっぽど効くに違いない。

 

 だから先ほどの言葉をわざわざ口に出したわけだ。

 しかし、きっとこれ以上は必要ない。俺の小手先の企みなんぞ大した意味をなさないことだろう。

 ドーベルは有名なアイドルだが一方アスリートでもあるのだ。

 同じスポーツ選手であるならば、彼らにとって何が重要であるかはすぐに理解できるはずだ。

 

「……うんっ、よしっ」

 

 相手が大勢の男子ということで特有の男性への苦手意識が顔を出しそうになるが、それをグッと飲み込んでドーベルは顔をあげた。ランニングしている中学生の集団はもう目の前だった。

 

「──おはようございまーすっ!」

 

 スポーツ選手にとって当たり前のように必要なものといえば、まぁ、挨拶だろう。

 

「「うおっお、おやざいまァすっ!!!」」

 

 有名人からの挨拶に少々慄きつつも、綺麗に集団ハモリで挨拶を返した中学生たちは小さく会釈して横を通り過ぎていった。

 

「寒いけどがんばってー!」

 

 ドーベルの追撃。

 

「「あっあざーっす!!!!」」

 

 そう大きな返事を返しながら風のように去っていく集団の中で、微かに見えた横顔は驚懼を含みつつも確かな喜びをたたえた笑顔であった。

 それは隣にいる少女も同様なようで、内に秘めた運動部魂が揺さぶられたのか体がウズウズし始めている。

 

「……うんっ。あたしもがんばろっ」

 

 ふんすっ、と気合いを入れ直したドーベルの表情にはもはや憂いは存在しなかった。

 ほんのちょっと勝気な晴れ晴れとした良い笑顔だ。まぁ乳はデカいのだが。うおすっげナイアガラの滝じゃん……。

 

「ツッキー送ってくれてありがと。じゃあ、またねっ!」

「ああ、またな」

 

 明るく手を振ってから軽やかに寮内へ戻っていくドーベルの背中を見送り、改めてバイクに跨り気合いと共にエンジンを点火する。

 ──あの塞ぎ込んでいた過去から一転し再び走る情熱を心に灯した友、そして憧れの人物からの応援を胸に今日も勝利へ向かって邁進する少年たちを目の当たりにし、彼ら彼女らの健やかなる成長を願わずにはいられない、そんな吉宗であった。

 

 

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