うおっ乳デカいね♡ 違法建築だろ 作:珍鎮
ほっ♡ ほ?♡ ほッ♡??♡
「──たづなッ。ロビーで待っているぞ!」
「ありがとうございます理事長、車を停めたらすぐに参りますので。……では葉月君、少しの間よろしくお願い致しますね」
「承知しました」
いろいろありましたが食事会の当日を迎え、既に瀕死の状態へ陥っております♡ 秋川葉月です。
ライスシャワーから始まり様々なウマ娘と交流したこの一週間は天国であり地獄、幸いと災いが表裏一体の忙しない日々だった。
その間は主に性欲で構成されたフラストレーションが溜まり続け、追い討ちとして夢の世界が不具合を起こし夢の操作によるストレス発散が突如として禁止となった結果──俺はマグマのごとく煮え滾るムラムラを必死のポーカーフェイスでひた隠す妖怪と化していた。
一旦冷静になろう。
「秘書補佐、行こうか」
いまの時間帯は昼。
やよいに追従する形で建物があまりにもデカすぎる高級ホテルのフロントへ入り、早々に彼女を認識した初老の男性がソファから立ち上がりこちらへ近づいてきた。
「これはこれは秋川理事長。ご無沙汰しております」
「相坂社長ッ! フランスの視察以来ですかなッ」
どうやら事前に聞いていた『仲良くさせて頂いているお相手』の内の一人と早速お会いしたらしくそのまま雑談へと移行した。
たしか蹄鉄を扱っている大手企業の代表だったはずで、トレセン中等部に学園指定として支給される物はあの会社の製品だ。
「……っ」
フラついた──ダメだ。
まるで情報が頭の中に入ってこない。
全く集中できない。
いま目の前に存在している状況を事実として受け入れることはできても、そこに自分が関わるビジョンを想像することが叶わない。
トレセン学園理事長としての秋川やよいに付いていくという難しいミッションをこんな終わってるコンディションで遂行することなど果たして可能なのだろうか。
「おや、そういえばいつもご一緒の駿川さんは……」
「秘書は駐車次第参りますッ。ホテル周辺はなかなか混んでいましてな、先に降りた次第です」
「はは、確かに我々も渋滞には少し焦りましたよ」
──おちつけ。
今日ばかりは体調を理由にはできない。ここにいるのは普通の男子高校生ではなく、学園理事長秘書の補佐を務める秋川葉月なのだ。
駿川さんがいない場合は実質的に俺が秘書に相当する。
将来的には彼女に代わって秘書になるかもしれない人間として見られる可能性も少なくない立場である以上、やよいが相手をしている人物──というよりそのお付きの方には顔を知ってもらわなければならない。
やよいが一瞬だけ俺に目配せし、そのまま社長と談話を続ける姿勢を見せたことで、少々距離が空いた位置で待機している彼の秘書らしき男性のほうへ近づいた。
「お初にお目にかかります、秘書補佐の秋川葉月と申します。本日は──」
ただの男子高校生が付け焼刃で身に着けた財界のマナーなどカスみたいなものだろうが、スーパーキャリアウーマンである駿川さんによって顰蹙を買わない程度には鍛えてもらったので、あえて物怖じせず自ら進んで赴くスタイルで今日は戦わせてもらう予定だ。
初めて挨拶させてもらったシューズ専門店の社長秘書にあたる男性は非常に人が良く、俺自身のことも事前に駿川さんから聞いていたらしく、社長とやよいが雑談している間の時間で親切にも色々なことを教えてくれた。
そもそもあの社長はやよいが理事長に就任した最初期からよく会っていた人物らしく、所属する組織が違う割には距離感が近めであの頃は危うく気が緩みそうになったと彼女も語っていた。
親切は非常にありがたいが、俺も従妹にならって気を引き締めて接していこう。
と、心構えを意識し直したのも束の間。
「ぐぬぬ……ッ」
駿川さんと合流した直後、一旦やよいのことを彼女に任せた俺は手洗い場の鏡の前にいた。
長居するわけにはいかないが精神の整理も必要だ。
ムラムラも高鳴る心臓の鼓動も抑えることはできないが、なんとかそれを覆い隠すポーカーフェイスは保ち続けなければならない。
キリっと。
クールに参るぜ。
「すみません理事長、駿川さんもお待たせしました」
「大丈夫ですよ、緊張するなというのも難しいですよね。深呼吸をしてから会場に入りましょうか」
「は、はいっ」
「順応ッ! 葉月もそのうち慣れるぞ!」
二人のお心遣いが温かい……ヌクモリティ。
「あら、理事長?」
「むっ? ……あ、そうだな。葉月では呼び方が……秘書補佐、秘書補佐な」
どうやら相手によっては身内の呼び方もかなり気をつけなくてはならないようで、駿川さんはともかくまだ顔を知られていない俺を名前で呼ぶのは少々憚られるらしい。お兄ちゃんと呼んで♡ 呼べッ!
「ふふっ、初めの頃を思い出しますね」
「うむ。出先でたづなさんと呼んでしまったときは焦ったな」
そう言って小さく笑う二人を見て、安心と少しの後悔を感じた。
俺がそばにいない二年間、年齢にそぐわない大きすぎる責任を背負うことになった秋川やよいという少女を支え続けていたのは、他でもない秘書であるこの女性なのだ。
やはり彼女たちには彼女たちだけの、俺には見えない絆がある。
いまさら戻ってきた俺がそこに割って入ることはできないが──しかし俺にしか出来ないこともあるはずだ。
駿川たづなの代わりを目指すのではなく、また別の角度からやよいを支えるために頑張ろう。……よし、いい感じに頭も冷えてきた。これなら今日一日は冷静に過ごせそうだ。
「おぉっ、名簿にもあった通り我が学園の生徒諸君も複数出席しているなッ」
サイレンススズカちゃん発見!!!!!! ドレス姿かわいい~~~っ♡♡♡♡♡♡ 隆起。
◆
メジロパーマー、シンボリルドルフ、ダイイチルビーなどなど会食に出席しているウマ娘の大半が面識のない人物だったが、その中の一人にとてつもなく見覚えのある顔があった。
あの鮮やかな茶髪、スラっとしたシルエットにどこか憂いを帯びた凛々しい目元──間違いなくサイレンススズカだ。
いつものストレートロングではなく後ろ髪を上品にまとめた髪型だったため認識が一瞬遅れたが、やはりそこにいたのは気の置けない見知った友人である彼女だった。
ただ今回の俺は理事長秘書補佐。
いつの間にか代理が外れていたがとにかく秋川やよい側の人間としてここに立っている。知人がいたとて彼女のそばを離れるわけにはいかない。
「ややっ、お母様ッ!?」
「久しぶりね、やよい」
──ラスボスとエンカウントしてしまった今は、特に。
やよいの母親こと、前学園理事長の襲来。
まったく事前情報なし、予め入手していた参加者のリストにも名前なしと完全に油断していたところで不意を突かれ、やよいも俺も口から心臓が飛び出るほど驚いてしまったのが数秒前の出来事だ。
「…………僥倖ッ!
なんとか気持ちを切り替えて呼称も言い換えたやよいはあえて遠慮せず、豪胆な誘いを母親に提示した。
「ええ、是非。──では行きましょうか、あなたに紹介したい方もいるの」
それに逡巡を示す素振りすら見せず即答し、叔母は一瞬だけ駿川さんに目配せした後、自分の娘を連れて会場の中心へと消えていった。
「……葉月君、私たちは少し待機ですね」
「ですが……」
「今回は理事長を、ということなのでしょう。……いずれ葉月君の番も来るかもしれません」
落ち着き払った態度ではあるが、どこかいつもより緊張した声音でそう呟いた。
何を試すのか、何を見極めるのか、その何もかもが不明なまま試練は始まる。
お眼鏡にかなうよう振舞うべきなのか、新しい道を示すべきなのか、それも俺にはわからない。
とはいえ、叔母は厄介な相手ではあるが“敵”ではないのだ。
一年前に限界ギリギリの状態に陥っていた従妹を助けるチャンスをくれた恩人でもあり、再び秋川家の人間として関われるようになったのも彼女の配慮があっての事。
昔のことを綺麗さっぱり忘れることはできない。
しかし俺もやよいと同様に、あの人との関わり方を改めて考えていくべきではあるのだろう。
「あら、あれは……ハローさん? すみません葉月君、私も少し席を外しますね」
「あっはい」
そうして一人になり、なんとなく端へ移動して、会場全体を見渡してみた。
会食とは聞いていたがかなりの規模だ。
祝賀も兼ねており参加者は財界の大御所だけではない。ウマ娘のレースやイベントに関わる人物が集まっており、中には幼少期の記憶に残っている顔もそれなりにあった。
こういう世界に生きる方々は誰も彼も顔を覚えるのが得意なようで、腐っても鯛というか結局は秋川家である俺を知っている人物もいないわけではないらしく、意外にも複数人から声をかけられたりもした。
イベントに秘書補佐として参加していた昨年の活動が実を結んだ、と言っていいのかは分からないが、ともかく存在を認知されるのは悪いことではないので前向きに考えることとした。
うまくいってる、秋川の人間としてそれなりにやれてる。
そう考えれば凝り固まっていた肩の力も少しは抜けていくような気がして──
(左、ちょっと危ないかも)
そんな相棒の言葉も耳に入った。
それを聞いて左を向くと、少し飲みすぎているのか顔が紅潮している中年の男性がフラついていた。
ワインの入ったグラスを持っており、その近くには談話中の人が数人。
そこにいる人物は事前に調べた名簿にも名前があった人物たちだ。
ウマ娘の勝負服を手掛ける有名なデザイナー、URAの幹部。
それから政財界のみならずレース界にも影響力を持つ華麗なる一族、その令嬢でもあるダイイチルビー。
三人の話はそれなりに盛り上がっているが、もしあの少々羽目を外して酔ってしまった男性がワインを近くにこぼしでもしたら、その後の雰囲気は想像に難くない。
俺の目的は理事長を務めている従妹の少女を助けることだ。
ひいては彼女の学園であるトレセン、その生徒に該当するウマ娘も対象になる。
なにより一部の雰囲気の瓦解が伝播することで全体に嫌な空気が走り、母親との試練をがんばっているやよちゃんを邪魔してしまう事態は絶対に避けたい。
ので、面倒だがこのスーツはまたクリーニングへ出すこととしよう。
「あわっ……」
予想通り男性が少しだけフラついて、グラスから紫色の粒が数滴のみ溢れた。
たった数滴、されど数滴。
距離が近いこともあって、それは他人へと降り注ぐ。
ダイイチルビーが身に纏っている純白のドレスなどには、特に目につくシミになる程度にはこぼれたワイン──それを肩で受け止めた。
「……っ!」
距離が近かった男性と、ダイイチルビーの間に割って入る形で。
もちろんそこに挟まるという事は、そのどちらかに軽くぶつかってしまう程度には近づくということで。
今回は男性の持つワインの揺れを刺激しないためにも、申し訳ないが華麗なる一族のご令嬢に軽くぶつからせて頂くことにした。
「あっ」
「……」
俺はワインが服にかかったことを気づかないフリでわざとらしく声を上げ、当の肩が少し当たってしまったダイイチルビーは平静な表情であった。
「も、申し訳ありません。ご歓談中にぶつかってしまい……」
「いえ、こちらこそ申し訳ございません。不注意で後方の確認を疎かにしてしまっておりました」
ぶつかってしまった少女が冷静に対処してくれて助かった。
せっかくの会話中に肩がぶつかってしまうこと、それそのものは失礼極まりなく不遜な行動だがこぼしたワインを服にかけるよりかは比較的マシなものだろう。
当事者以外の周囲の目にはあまり止まらない。
多くの人数が集まり流れ続ける会場であれば、なくはないイベントだ。
まぁ、問題ではあるのだが。
きっと会話していたデザイナーや幹部、果ては少し離れた位置で待機しているであろう彼女のお付きの人も黙ってはいないはずだ。
自然な振りはしたがわざとぶつかったようにも見える。
その場の雰囲気を優先するであろう談話中の二人はともかく、一族の関係者には声をかけられるに違いない。
「あ、あの……」
と、その前にワインをこぼしてしまった張本人の相手からだ。
かけられた張本人である俺が即座に別の人物とのハプニングを起こしたことで有耶無耶にはなったが、流石にこの会食へ出席するだけありだんまりはせず声をかけてきた。
どうあれ責任を取るのが大人の世界なのだろうが、ここは子供の意地でこの場の空気を優先させていただこう。
「……あ、あぁ、なるほど。あの、お気になさらず。安物ですし……雰囲気的にも、その……」
かけられたことにいま気がついたフリ、バツの悪そうな顔、かなりの小声。
こぼした彼だけでなく肩をぶつけてしまった俺も人にとやかく言える立場ではなく、なによりお互いに悪い空気を伝播させたくない──となれば話は早い。
そのあと『気にしないでください』と『いやしかし』の無意味かつ必要ではある押し問答を続けたのち。
「でしたら三十分後に二階のエントランスでお待ちしておりますので……」
小声でやり取りを済ませ、俺は早急にその場を離れていった。
かの高名な華麗なる一族の令嬢に接触してしまったのはかなりマズいが、会場が冷える最悪の事態は避けられたはずだ。
あのおじさんも悪気があったわけではないし、そもそもこのスーツも自腹で買ったものではないので、三十分後の会話に関しては俺がもう少し態度を軽くして笑い話で終わらせられるよう努めよう。
「……ふぅ」
一旦会場になっている大広間から退出し、付近のソファベンチに腰を下ろした。
ちょっと流石に疲れてしまった。人生で最も神経をすり減らした数分間だった気がする。
きっとこの後華麗なる一族の関係者が来てダイイチルビーにぶつかった件に関して話を聞かれる……かと思いきや少し待っても何も起きず。
約束通りの時間に二階でおじさんと落ち合い、それとなく丸い形で話を終えて一人になった──その後のタイミングで彼女はやってきた。
「秋川様」
一族の関係者ではなく、先ほど失礼を働いてしまった張本人であるダイイチルビーが直々に参上なされたのだ。かなりド緊張♡
「お初にお目にかかります、ダイイチルビーと申します。……先ほどは大変失礼致しました。この度のお気遣い、心より御礼申し上げます」
そう言いながら深々と腰を曲げたその姿に思わず慄き、いつもの調子で反応しそうになった……が、なんとかギリギリをそれを飲み込んでもう一度ポーカーフェイスをかぶり直した。
どうやらダイイチルビーはワインから庇うために自分にぶつかったことを察しているようだし、下手に誤魔化しても失礼になるだけだろう。なんか、こう、フラットに行こう。……てか何で俺の苗字知ってたんだろ。
「お気になさらないでください。こちらこそご歓談中に失礼いたしました」
などと言いつつ視線は彼女の露出した肩に釘付けであった。ムラムラレベル100じゃなければもっとクールに対応できたというのに忸怩たる思いだよ。おイギュゥッ♡
「……ドレスも含めまして、様々な面で大変幸甚に存じます。ご迷惑でなければ今回の件についてお詫びをさせて頂きたく……」
──この場合の正解は何だろうか。
当然のことをしたまでで、お礼を頂くなんて滅相もないことです、とかだろうか。
しかし謙遜や遠慮のし過ぎはかえって失礼とも聞くし、なにより──んんッめっちゃムラムラする。
マジそれどころじゃねえんだがこのワンチャンにときめいちゃってる自分がいる。あそぼーよ! 保健体育ごっこ。
てかさっきも思ったがいささか疲れた。
事前に調べたがダイイチルビーは高等部一年だ。
後輩という部分は置いとくとしても、高校生同士でこんな社会人みたいなクソ固い会話なんぞしてられるか。
「……では、後日少しだけお時間を頂いてもよろしいでしょうか」
なんとか喉から世間体を破壊しない程度には普通の言葉が出てくれた。
マジで危なかった、あやうく男子高校生ツッキーが顔を出すところだった。
俺はいま秘書補佐としてここにいるのだ。あまりにも砕け過ぎたらやよいの評価を落とすことにも繋がる。
そう、仮に年相応の面を見せるとしても今この場で見せるべきではないのだ。時と場合を考えようね。
「承知致しました、ありがとう存じます。では、恐れ入りますがご連絡先の方を……」
「QRコードでいい?」
「えっ。……あ、はい」
やべミスったわ。まあいいかこのくらいなら。
……
…………
メジロパーマーという少女との面識はほぼ無いに等しい。
たった一度だけ顔を合わせた機会はあったものの会話という会話はなかったため、流石に他人と言って差し支えない相手だ。
あの山田から貰った仮面を被って怪異討伐のために街中を爆走した夜、ぶっ倒れたところをメジロマックイーンに拾われ、翌日病院で愛しのベルちゃんとマママックイーンが見舞いに訪れてくれた際──なぜかメジロのウマ娘がほぼ全員集結するという珍事件が発生した。
その時だ、彼女と初めて出会ったのは。
とは言っても結局その場はなんかスポーティーな感じのデカ乳ウマ娘ことメジロライアンが『いつも二人と仲良くしてくれてありがとう!』的なセリフを言い残して解散となったため、他の数人のウマ娘とは話もできず終了した、のだが。
「ひひ、私の名前知ってくれてたんだ、ありがとね。それで、えーと……ドーベルの彼氏さん?」
メジロパーマー本人は意外にも俺のことを覚えていたらしく、会場の隅で小休憩していたところで彼女の方から声をかけられた。
「訂正させて下さい」
「あっ、ごめんなさい。マックイーンか」
「いやどちらでもなくて……」
盛大な勘違いもとい正確な未来視ができている少女はさりげなく俺の隣を陣取り片手にドリンクを携えた。この様子だとちょっとした挨拶では済まないかもしれない。
「……ガチ?」
「はい」
「あの病院に行ったとき、二人ともキミの手を握ってたけど……」
「えぇと……申し訳ないです、あの時二人には大変な心配をおかけしてしまって」
「……ほ、ほぉん……」
なにやら少々意外そうな表情をなされているが返答を間違ったのだろうか。
思い返してみればあの時の二人、学校が終わり次第すぐに病院へ駆けつけた挙句恋人でもない相手の手を強く握った状態で会話をしていた──確かにアレは普通の友人間で発生するシチュエーションではないかもしれない。
「……うーむ」
顔を覗き込まれている。ちょっとウェーブがかった茶髪がセクシーだね♡ 品定めするような視線を注ぎやがって生意気な女だ。路傍に咲く花のように美しい。
「やっ、失礼しました。なんかジロジロ見ちゃってごめんなさい」
「あ、いえ、別に……」
メジロパーマーが訝しむのは尤もだ。
俺が緊急搬送された経緯が怪異という普通じゃない現象の代表みたいなやつらのせいなので、友人の命の危機という観点から考えればドーベルのあの態度はそこまで不思議ではないのだが、前後関係を知らないメジロパーマーからすれば不可解な光景には違いない。
それにあの時はマックイーンにも手を握られていたので、彼女からすれば正体不明の男が同輩を侍らせているように見えた可能性すらある。
……むしろただの友人ではなく、どちらか片方の恋人だったほうが理由としては自然かつ健全だったかもしれない。
「そうだ、そう言えばキミってトレセンの近くで朝練してるんだっけ」
「ええ、一応……」
あくまで俺個人としては趣味で走り込みをしているだけだが、そこにマックイーンがいるとなれば話は別だろう。
パーマーから見た秋川葉月とは、男子とは繋がりが薄いはずの女子校に通う同輩となぜか仲が深い謎の男だ。
そこに世間的には名家であるらしい秋川家の
コネや立場が物を言う社交界に身を置く者にとって、ウマ娘の名門一族の中でも随一の知名度を誇るメジロ家との繋がりは誰もが喉から手が出るほど欲しがる強力なアドバンテージだ。
だからこそ下心を持って近づく人間は後を絶たない。
それに関しては幼少期の秋川やよいにも言えることだったのでパーマーの危惧も理解はできるし、実際やよいに近づく不逞の輩が現れたら俺でもお兄ちゃんセコムが発動してしまうことだろう。
ゆえにあの二人を想うメジロパーマーに対して今の俺がするべき行動は──秋川葉月という人間の"証明"に他ならない。
「……メジロさんは、朝練とか学園の外に出るんですか」
「あ、私?」
先ほどからの彼女の態度を見るにダイイチルビーほど畏まった喋り方はしなくていい、というよりしない方が向こうも接しやすいだろうと想定した上での『メジロさん』という呼称だ。は〜いあなたの心に入りま〜すゆ〜っくり息をして。
「私はトレセンの中で済ませちゃうかなぁ、やっぱ公道より走りやすいしね。えーと……秋川君、は走るコースどんな感じ?」
「河川敷の辺りか、最近は使われてない方の山道ですかね」
「へー、珍しいとこ使ってんね。あの山なんて傾斜が多いし、下り坂とかあの子たちに置いてかれたりしない?」
「はは……最初の頃は気を抜くとそうなってましたかね。でも近頃は向こうにペースを合わせられるようになってきました」
「そうなんだ! ……え、マックイーンたちのペースに合わせて走ってんの? マジ……?」
またしても美少女を訝しんだ表情にさせてしまった。楽しすぎて絶頂するような会話がしたかったのに……猛省。
たしかにパーマーが引っかかるのは当然というか、ジョギングでもある程度の速度が出ているウマ娘と普通の人間では並走し難いのがこの世界の常識だ。
しかし何度かその
「……うん、ますます気になる」
「メジロさん?」
「ねっ、キミさえよければ私とも走ってみない? 退屈はさせないからさ!」
ズイッと顔を覗き込むように身を乗り出した彼女の意外な提案に思わずたじろいだ。
パーマーとの話し合いの場を作る手間が省けたと喜ぶべきか、彼女たちとの関係の潔白を走りながら説明するしかなくなったことを危惧するべきか──とにかく状況は進展した。
あとは得意のアドリブでなんとかしてみせよう。まだ薄い繋がりだが確かに縁はできたな? 下ごしらえが大切だでな♡ 料理のさしすせそ。
……
…………
「おおっ、生徒会長とも挨拶出来たか! 重畳ッ」
ようやっと母親に課せられた試練を突破して戻ってきた愛しの従妹は汗をかき露骨に疲弊を隠した無理な笑顔をしていた。
「これは理事長。ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません」
「はっは! ほぼ毎日学園でしているのだ、気にせずとも問題なし! ……失礼ッ、少し秘書補佐を借りるぞ!」
ちょうど知り合いの新堀先輩とめっちゃクリソツな中央トレセン学園の生徒会長を務める少女と知り合ったタイミングで現れたわけだが、流石にやよいが心配なので呼ばれた後荷物を預かるふりをして彼女の耳元に近づき囁いた。
「大丈夫か」
「う、うん、たぶん悪い結果ではなかったと思う。ただ……うぁ、死ぬほど疲れた……」
どうやら極度の緊張が長時間続いた影響でかなり精神が摩耗しているようだ。これは早急に甘やかさねばコトだな。
「大方挨拶は終わったし、めちゃ疲れたから私は帰ろうと思う……」
「最後までいなくても問題ないのか?」
「途中で退席させていただくことは挨拶のとき事前に伝えてたから。すぐにでも帰るつもりだけど……葉月はどうする?」
やよいが退席するならば当然俺も──と言いたいところだったが、実は事情が変わってしまった。
この緊張し続ける場所に留まりたい気持ちなど微塵もないが
やはり俺は秘書補佐であると同時にただの秋川葉月でもあるから。
「……いや電車で帰るよ、少し残ってやることがあるんだ。それにやよいも疲れてるだろうし詳しい話はまた後日に聞かせてくれ」
「そっか。りょーかいっ」
そうして一足先に退散したやよいと駿川さんを外まで見送り、踵を返した。
いつのまにか空には闇が広がっており、時刻も夕方に差し掛かっている。
一旦、深呼吸。
冬季特有の冷たい空気を肺の奥まで吸い込んで、身体の芯までクールダウンしてから再びホテルの中へ足を運んだ。
「すみませんシンボリルドルフ会長。いま戻りました」
「いえ、お気になさらず」
数十分前に面識が生まれ、そもそも話が途中で止まってしまっていた少女のもとへまずは向かった。
シンボリルドルフ──中央トレセン学園生徒会執行部会長。
俺の顔を見て『あっ、秋川君っ!』と声をかけられたのがきっかけでついさっき知り合ったのだが、まさか伝説級の戦績を持つウマ娘でありエリート校の生徒会長でもある彼女が俺を知っているとは意外だった。
秋川家というだけでリサーチ済みとはさすが生徒会長だ。声をかけた直後に焦った顔をしていたのは謎だが。
「……それで秋川
シンボリルドルフ会長がそう言いながら一瞥した先では複数人の大人と一人の少女が談笑をしていた。
──サイレンススズカと、その他。
彼女のそばにいる大人たちは、シンプルに言ってしまえばこの国における有数の権力者にあたる人間たちだ。
レースはおろか経済にまで直接的に影響を轟かせる傑物たちであり、中央トレセンや秋川一族のこれまでの繁栄に関しても決して無関係ではなくむしろ恩義まである。
とはいえ。
「……助けます。あの場からサイレンスを」
あそこで新作シューズのモデルだの博覧会への招待だのを雑談混じりに投げかけ続けている大人たちに対して、サイレンスは表情こそ明るいが若干気圧され気味だ。
「秋川さん。私が思うに……あれだけの戦績を持ち未だピークの予兆すらないサイレンススズカは今年も活躍の場を拡げていくでしょう。きっと
「……そうですね。目の前のあれも必要なことかもしれません。仮に今回は防げたとしても今後も同じような話が出てくるだろうし……僕に邪魔する権利はない」
シンボリ会長の意見は尤もであり、その予想も間違ってはいない。
かつてのトゥインクル・シリーズ──サイレンスたちが台頭する以前の、タマモクロスお姉ちゃん先輩ママや人妻風おもしろ女ことメジロラモーヌが活躍した時代における代表的なウマ娘こそが彼女なのだ。
世間に注目されたあとの諸々など嫌というほど理解していることだろう。
ここでサイレンスに仮初の助け舟を出したとて、俺も秋川の人間である以上ただリスクがあるだけで無駄な行為ではないか、という危惧は全くその通りだ。大人たちの誘い自体も彼女にとっては大きな益になるものばかりである。
「けど、いきます」
「……そうですか」
あらゆる事情を鑑みた上で、それでもやめるつもりはなかった。
すぐ目と鼻の先で“友達”が困っているのだ。
なら助けないと。
無論やよいに迷惑をかけるつもりはない。
やれる範囲で、サイレンススズカの友人であるただの秋川葉月を全うしようと思う。でもカッコつけたセリフ言おうとして途中で噛んだらダサすぎるわね。早口言葉で喋りの練習しておこう、かえるぴょこぽ……かえるぽこぴょ……みっぽこぽこ……ダメかも♡
「……では、スズカを助ける肝心の方法は?」
ね。どうしようねそれ。
「んん……そうだ、シンボリ会長は“ウマ男”ってご存知ですか?」
「──っ! ……っぇ、ええ。昨年から府中に現れた、常軌を逸した身体能力を有する謎の存在……ですよね」
俺に使える手札は限られている。
眼前のあれは街中でのナンパとは異なり、ただ格好つけて庇うだけでは何も解決しない。やよいの今後の為にも秋川家の人間として無礼を働くわけにはいかないが、だからといって見過ごしていい状況でもない。
まぁ、今は席を外しているサイレンスの担当トレーナーが戻ってくれば解決する話ではある──が、やはり待ってもいられないのだ。
「あの……秋川さん?」
「もしその噂の男がこの場に現れたとしたら、あそこの方々はどういう反応をするんでしょうか」
「……質問の意図は分かりかねますが……──仮に。もし彼がここに出現したのであれば、あの先生方も我が学園の生徒にちょっかいをかけている場合ではなくなるかと」
俺から言い出したことではあるが、そこまで注目を引けるものなのか、ウマ男。
というか今のセリフを鑑みるに生徒会長も大人たちに絡まれて困っているサイレンスの姿には思うところがあったのかもしれない。
「……その提案をした以上、秋川さんならそう見せかけることも可能なのかもしれませんね。ですが……個人的にはそうするべきではない、のではと私は考えます」
「それは──いや、まぁ確かにそうか……」
どうやら友人を助けることにばかり固執して視野が狭まっていたらしく、シンボリ会長の言葉で少し冷静になった。
この食事会自体を脅かすような混乱は避けるべきだ。それであの大人たちから解放されたとてサイレンスが喜ぶはずもないし、隣にいる会長本人も見逃しはしないだろう。
もう少しパワープレイを控えた助け方は──あるにはあるか。
それも発言に信憑性がある人であれば成功率は更に高まる。
この隣にいる少女であれば猶更だ。
「……シンボリ会長。これは正直、不躾な頼みになってしまうんですが──」
「構いませんよ」
こちらの言葉を遮った生徒会長様は不敵な笑みを浮かべていらっしゃった。会話の流れもあるだろうが、協力してもらう旨の発言はしていなかったのに、全く察しが良すぎる先輩だ。
「我が学園きってのエースを救うためであれば協力は惜しみませんとも。……それに、いくら御高名な先生方とはいえ多少は弁えて頂かなければ、と考えていたところですので。スズカにはスズカ自身のペースというものがある」
「……ありがとうございます、僕一人では難しい方法だったので。……では始める前に少し打ち合わせをしましょうか。メッセージアプリのIDを伺っても?」
「えぇ、いま──ハッ」
かなり心強い味方の出現に内心興奮しながらスマホのコード読み取りを起動した。
しかしシンボリルドルフ会長は手持ちのパーティーバッグを開けようとしていた手をピタっと止めてしまった。どうしたのだろうか。
「ん……え、えぇと……やはり画面を確認してから作戦を開始するのは、周囲の目にも怪しく映ってしまうのではないでしょうか?」
「そ、そうですかね」
「今でもグラスを持たず食事にも手を出していない。そのうえでコソコソと時間をかけて準備をしてからわざわざあの近くへ二人で移動するというのも、先生方の付き人が見ていた場合は……やはり怪しい」
なるほど、要するにもっと自然に作戦を遂行しなければ露骨な行動に見えてしまうわけか。今こうしてテーブルも近くになく何もない空間で二人して突っ立って会話しているのも、長引けば不自然だし既に結構危うい。
つまり、始めるなら今すぐ。
それも打ち合わせなしのアドリブで、なおかつある程度自然に──いや難易度かなり高いなこれ。
まぁ、やるしかないか。
どう見ても困った雰囲気をしているのに引こうとしない大人たちから愛しのスズカちゃんを救うためだ。
スーパーエリート校である中央トレセン学園で生徒会執行部会長を務め上げている傑物を信じて、ここはいつも通りお得意のぶっつけ本番勝負といこうではないか。
「私がスズカの付近まで近寄り、近くにいる別の方へ声をかけようとするので」
「ええ、その前に呼び止めます。では」
──作戦はいたってシンプルだ。
シンボリ会長と俺が、サイレンスたちの近くで
例えばウマ男──ノーザンテーストの件について。
それで大人たちの関心を引き、サイレンスとの話を“後日”へ回させてこの場での会話を一旦切らせるというものだ。
「えっ……あっ、シンボリ会長!」
「うん?」
俺は会長が離れた後にスマホを確認し、その画面を見て何かに驚いたようなリアクションを取ってから彼女に声をかけた。
「…………葉月、くん?」
その声でサイレンス本人は僅かに反応した。とはいえ大人にとっては彼女のただの友人など興味を持つに値しない一般人だ。作戦はこれからである。
「す、すみません、また呼び止めてしまって……」
「構わないさ。どうしたのかな」
「そ、それがですね。……いま、URAの職員から連絡が来まして。昨晩のウマ男の件についてなんですが……」
「──なにっ?」
おぉ、シンボリ会長かなりの演技派だ。声の大きさや予想外っぽい反応とかいい感じに自然。ぐふふ我がスタジオ専属の役者になっていただきたいね、えっちな撮影はないから安心してね。油断禁物。
「どうやら先日の監視カメラにそれらしき影が……」
「確認された場所は」
「複数あります。地上走行の映像は僅かですが、いずれの場所も共通点が」
サイレンスはともかく、彼女を囲ってた大人たちは先ほど少しだけ反応し、俺が話を広げたことで明らかに聞き耳を立てている。サイレンスに対する言葉数が減ったことがその証左だ。
とはいえあからさまな声量で怪しげな会話を続けるのはやはり不自然であり、この辺りがいい塩梅だろう。
そしてどうやらシンボリ会長も同じように考えていたらしく、目線で待ったをかけてきた。タイミングばっちりすぎて相思相愛だね♡ 比翼連理。
「ん……秋川君」
そう名前を呼ばれたのが合図だと悟った。
俺は慌ててスマホを胸ポケットにしまい込む。
「も、申し訳ございません、このような場で。つい……」
「いや、私も止めるのが遅れてすまない。……続きは場所を変えて話そうか」
彼女に諭されて一旦落ち着いて──その後のことだった。
「失礼」
いかにも紳士といった雰囲気な初老の男性がシンボリ会長に声をかけてきたのだ。
その男性はサイレンスに新作シューズのモデルにならないかとそれとなく投げかけ続けていた人物で、それに続くようにしてもう一人の中年男性もこちらへ参加し、最後の一人であった老齢の女性は会話が一旦終了した以上このままアタックを続けることは難しいと考えたのかサイレンス本人に一礼してどこかへ去っていった。
シンボリ会長へ声をかけた初老男性が知りたかったのは“ウマ男”なる存在が噂ではなく実在するものなのかという部分であり、もう一人はメディアに強い影響力を持つ立場というのもあってか実在性ではなく姿や行動など詳細をこちらから探ろうとしてきた。あくまで二人とも雑談程度の詮索だったが。
……まぁ、何を隠そうこの俺がウマ男本人なので事実はいい感じに曲解できるし、なにより監視カメラ越しの憶測でしかないという点を強調すれば割とどうにかなったのが一連の流れだ。
そして肝心のサイレンスはと言うと。
「ありがとうございます、会長。それに葉月くんも……ごめんなさい」
俺とシンボリ会長も含め、三人で一旦会場の外にあるロビーの柱付近まで避難していた。
「わたしがうまく断れなかったせいで……」
「スズカ。きみのせいではないよ」
どうやら俺たちの一連の動きが自分を助けるものだったことも察していたらしいサイレンスの肩に会長はポンと手を置いた。
「私もメディアに注目され始めた頃はよく狼狽していたものだ。こういうのは慣れもあるが……困ったときは遠慮なく周囲を頼るといい。私も、彼もいる。それに相手が誰であれ、嫌な時は嫌と言っていいんだよ」
「ルドルフ会長……」
そんな先輩からの実体験を伴った確かなアドバイスを受け、サイレンスの表情も次第に明るさを取り戻していった。やっぱり笑顔が一番! ピースもしてほらダブルピース!
「はいっ、本当にありがとうございます、会長」
「ふふ……気にすることはない」
あら~^。ウマ娘同士がいい感じの雰囲気になってると感じるこの胸の高鳴り、もしかすると俺もアグネスデジタルの立つ領域に少しだけ近づけたのかもしれない。眼福。
「葉月くんもありがとう。また助けられちゃった」
「いつでも何度でも助けるさ。……とはいえ、今回はほとんど会長のおかげだけどな」
「それでもこうして助けに来てくれたでしょう? それが嬉しいの。だからありがとう」
「……おう。どういたしまして」
サイレンスからの純粋なお礼もそこそこに、俺の視線は彼女の露出している両肩に釘付けであった。白く透き通った素肌がやらしい……えっちなのはだめ……。
「……いつでも、何度でも……か」
改めてサイレンスと向き直って会話をしていると、小さな声でシンボリ会長が呟いた。力のない声音、諦観にも似た、つい無意識にこぼしてしまった独り言だと、そう感じた。
事実、会長はハッとした表情の後「そろそろ私も失礼するよ」と言って一歩距離を置いた。
──しかし、立ち止まって。
なにかを逡巡して。
踵を返し、憂いと迷いを混ぜたような萎れた弱々しい微笑みを浮かべながら、もう一度その視線をサイレンススズカへと向けた。
「……スズカ」
「っ? はいっ」
会場から退席するシンボリ会長を外まで見送るべく追従していた彼女に向き直り、後方の離れた位置にいる俺を一瞥する。
一瞬言い淀んで、しかし会長はその言葉を飲み込むことができなかったらしい。
「──すまない。やはり……少しだけ、キミが羨ましい」
そう言い残してシンボリルドルフはその場を後にした。
彼女の発言をうまく咀嚼できなかったらしいサイレンスは小さな困惑を浮かべるのみで、かく言う俺もその真意を汲み取ることはできなかった。
このままいけば食事会はまもなく終了し、サイレンスは担当トレーナーと共に付近の宿泊施設へ向かい、俺も電車で帰路へ着くことになる。
結果オーライ、最終的には何の問題もなく大人の社交場を乗り切ることができた、と考えることもできる。
だが、哀愁を漂わせながら遠ざかっていくシンボリルドルフの背中を眺めて、これで終わりでいいのだと考えることは──どうやら俺にはできなかった。
【お疲れ様です、新堀先輩。いま大丈夫ですか?】
ほぼ直感で、最近連絡先を交換したばかりの一つ年上の先輩へメッセージを送った。
「っ!?」
するとタクシーに乗ろうとしていたルドルフ会長の肩が跳ねた。スマホの画面を見て驚くことなどそうそう無いハズで、なおかつ俺が送信したタイミングとリアクションが合いすぎている。
そのまま会長は動揺しつつタクシーに乗り込んで会場を後にしたが、俺のメッセージアプリは途切れることなく彼女からの返事を受信した。
【問題ないよ。どうしたのかな秋川君】
さすがに文面では落ち着いている。ドーベルやマックイーンのように文字に困惑が反映されることはないようだ。
【すみません、急な連絡で】
【構わないさ】
【ありがとうございます。実は少しお願いがありまして】
【それは私にできることかい?】
【むしろ先輩にしかお願いできないことでして】
【逝ってみたまえ】
言ってみたまえ、ね。やっぱりちょっと動揺してるらしい。かわいい。
【その、勉強を教えていただきたくて。近いうちに会えませんか?】
【もっ】
……も?
【もちろんだとも。帰ったらスケジュールを再確認するから、また連絡させていただくよ】
──と、そんな感じでメッセージ上でのやり取りは終了し、俺は連絡先一覧にある新堀先輩の後ろに【(シンボリルドルフ)】と補足をつけ足した。
どうやらシンボリルドルフは、俺が以前知り合って世話になった新堀ルナ先輩と同一人物であったらしい。
まぁ流石に顔がそっくりすぎたので何かあるとは思っていたが、まさか本人だったとは驚きだ。
ウマ娘たちにとって害か益か分からない存在であるウマ男を、トレセン生徒会長として見逃すことができず、しかし公に調査するのも立場上憚られる──ゆえにメガネとニット帽、そして咄嗟に新堀ルナという偽名が出てきたわけか。
ノーザンテーストと以前呟いていたが、あれもシンボリルドルフ以外には教えていない名前だ。
ウマ男とノーザンテーストをイコールで考えられる存在は現状彼女だけなのだし、あの時その名前を口に出していた時点で気がつくべきだったかもしれない。
だが
問題はあのしょぼくれた表情と、サイレンスに対する羨ましいという言葉の真意についてである。
シンボリルドルフも一世を風靡した有名ウマ娘である以上、サイレンスと同じような場面は幾度となく体験してきたことだろう。
そのうえで、今夜のサイレンスを羨ましい、と。
ルドルフ会長にとって彼女のなにが羨ましかったのか。
──なんとなく察しはついている。
が、実際に言葉にして表すのは些か憚られるものだ。
今回のサイレンスと同じような状況が、ルドルフ会長にも以前あったのかもしれない。
そこで本人を助けようとする存在がいたかどうか。
サイレンスには俺と会長が。
しかしその時のルドルフ会長は──たった一人で乗り越えたのかもしれない。
そう考えるとあの発言にも納得できる。
トレセン学園の生徒会長であり、時代を象徴する最強ウマ娘でもあり、様々な責任や期待を背負い周囲から羨望を向けられる存在であっても、やはりシンボリルドルフはまだ年若い高校生なのだ。
だから、つい口から出てしまった。
そして、どうやら俺はそれを見逃すことができなかったらしい。
大きすぎる責任による重圧が本来の自己を押さえつけ、耐えきれなくなったそれが露発しそうになる──そんな光景を俺は以前にも見たことがあるのだ。
やよいの時のような間違いは二度としたくない。
それでも道端で見知らぬ他人である自分を助けてくれた恩人に、あんな悲しそうな表情はしてほしくないのだ。
まだ具体的な方法はなにも思いついてないが、それでも今後彼女の為に出来ることがあるのであれば、積極的にとりかかっていこうという心構えは完了した。
「…………やっぱり、葉月くんは変わらないわね」
と、心の中で勝手に一人で決意を固めていたところ、隣からサイレンスのしっとりとした声が耳に張り付いてきた。
「えっ?」
改めて彼女の方を見ると、サイレンスは仕方なさそうに笑っていた。
どうやら思考の海に沈むあまりボーっと呆けていたらしい俺を観察していて何を思ったのか、彼女はコホンと咳ばらいを一つ挟み、両手を後ろに組みながら微笑みかけてくれた。
「ね、葉月くん。このあと時間ある?」
わずかに憂いを帯びたその質問に、俺は頷くことしかできなかった。