泥濘を平然と踏み抜き、山の如き巨体が姿を現す。
苔生した頑丈な甲殻の鎧を纏った牙獣種。
「──ガランゴルム」
──剛纏獣ガランゴルム。
王域三公の一角にして、無垢なる巨影。
本来ならば臆病で大人しい性格の筈の剛纏獣だが、その瞳は赤く染まり、目の前の物全てを破壊しようという衝動が見て取れた。
その身体に纏わりつくキュリア。
やはり傀異化しているらしい。直ぐにでも解放してやる事こそ、騎士の務めか。
「来るよ!」
カエデの声と共に、剛纏獣がその剛腕を振り上げる。
まずは回避。それから剛纏獣の出方を伺う──そう判断して動こうとした矢先、私の視界に信じられない光景が映った。
「──動き見る!」
──赤い影が宙を舞う。
振り下ろされた剛腕をギリギリまで引き付けたカエデは、その剛腕を足場に跳び上がった。
そしてそのまま、剛纏獣の肩に操虫棍を叩き付ける。一撃二撃。その固い外殻の同じ場所に、空中で的確な斬撃を入れる。
しかし、翼を持たない我々人間は空中では自由に動けない。自由落下の隙に、剛纏獣は逆肩を振り上げた。
避けられない──そう見えた次の瞬間、カエデは身を翻し操虫棍から放たれた印弾の反動で振り下ろされる剛腕を避ける。
「急所!!」
そうして空中に居るまま避けた剛腕を足場にもう一度飛び上がり、剛纏獣のうなじに刃を突き立てた。
「……なんだ?」
自分の腕よりも細い生き物に纏わりつかれ、二度も攻撃を交わされた上に急所を突かれた剛纏獣は只々悲鳴を上げる。
「この子良く動く!」
暴れ回る巨体と振り回される両腕を、汗一つ流さずにいなしながら斬撃を与え続けるカエデ。
時にはその身を翻し、翔蟲で軌道を変え、猟虫と共に空を舞う姿は飛竜のそれに近い。本当に彼女は人間なのか。
「着地ー!」
唖然としていた私に剛纏獣が背中を見せる程に暴れるまで獣を翻弄したカエデは、涼しげな顔で私達の前に降り立った。
「どうだった?」
「とりあえず行けそう! 困ったらツバキがなんとかしてくれるし!」
「あー、ハイハイ。自分の安全を人に任せるの辞めろ。とりあえずパターン変わるまではカエデ中心で行けそうなら、そのまま行くぞ」
そんな彼女の横で、ツバキとジニアは既に武器を構えていて振り向く剛纏獣に視線を向けている。
私とした事が人間離れした彼女の動きに見惚れて固まってしまっていた。騎士として失格かもしれない。
「なるほど、大体分かった。彼女のサポートをしていれば良いのだな」
「そういう事。とりあえずカエデが動けてそれが通ってる内はコレで安定するから」
短くそう言って、ツバキは視線をカエデに向ける。
彼女は振り向いた剛纏獣の視線を私達から逸らすように、跳躍して再び剛纏獣の背後を取った。
散々翻弄された剛纏獣は、それを身体で追っていく。そうなると、私達は完全にフリーだ。
「ジニア、カエデの事頼んだ!」
「オッケー!」
「行けるな? ライラック」
「誰に物を言っている……!」
呆気に取られたが、私も王国の騎士である。彼女一人に国の仕事を任せる訳にもいかない。
それに、汗一つ流していた様子はないが彼女は人間だ。
狩りの最初から最後まであの動きが出来るとも限らない。何処かで隙を晒してしまうかもしれない。そうなった時、
「仲間……か」
そうだ。仕事仲間。友人ではなく、仲間なのだから、そこまで考えるのは当然だろう。
私は何も間違えていない筈だ。
「脚を狙う!」
滑り込むようにして剛纏獣の右足に片手剣を叩き付ける。私の背後から、ツバキの太刀がそれに続いた。
剛纏獣の意識が私達二人に向けられた隙に、ジニアがカエデの着地の保護に回る。
良く動くカエデだが、空中戦も永遠と続けられる訳ではない。
確かにツバキが言っていた通りの実力だが、一人で簡単にモンスターを倒せるという訳ではないだろう。
であれば、剛纏獣の意識を何処かで分散させる必要がある筈だ。
ツバキと私は視線を合わせ、剛纏獣の右足に集中的に刃を叩き付ける。
流石に私達を無視する事までは出来なかったのか、カエデの空中での連撃の合間に剛纏獣は私達にもその剛腕を振るった。
それで、カエデが小休憩をする時間が稼げる。
彼女は空中で身を翻し、時には翔蟲を使い、剛纏獣の身体を足場にして跳んで、まるで森林を駆ける迅竜の様に全ての攻撃を交わしながら操虫棍を振るった。
見惚れる程の身体能力。
この世には
ツバキが言っていた言葉は何も間違えていないらしい。
私達は
「にしても暴れるな!?」
振り回された剛腕交わしながら、ツバキは表情を歪ませる。
その剛腕はツバキ本人に振るわれたものではない。カエデを狙って、大袈裟に振り下ろした腕がツバキの頭上を掠めただけだ。
剛纏獣に纏わりつくキュリア。
その毒性により正気を失った
悲鳴のような雄叫びを上げながら、剛纏獣が身体を持ち上げる。
蝕まれる命を繋ぎ止めようとする意思が、その声から伝わってくるようだ。しかし、争う事は出来ない。
「カエデ!! 着地ズラせ!!」
身体を持ち上げ、さらに両腕を振り上げる剛纏獣。
全体重を乗せた拳が地面に叩きつけられ、地面が文字通り揺れる。立っていられない衝撃に、私もツバキも膝を付いた。
なんという力だろうか。
これ程の力があるにも関わらず、キュリアの毒性には抗う事が出来ない。それとも、傀異化の影響なのか。
「やり過ぎ……だよ!!」
ツバキの指示で空中で待機していたカエデが、剛纏獣の背中へ刃を向ける。
剛纏獣はカエデに翻弄され、足元で死に体を晒していた私達に攻撃するのを忘れて彼女へ剛腕を向ける。
カエデが居なければ、今の一瞬で誰かは死んでいたかもしれない。いや、ツバキの指示が的確だったからか。
「ナイスカエデ、助かった。コイツ腕力やば過ぎだろ。こりゃ村長でも腕相撲勝てなさそうだな!」
軽口を吐きながら、ツバキは振り払われた剛腕をイナシて御返しに刃を叩き付けた。
その頭上で、カエデが再び空中戦を繰り広げる。操虫棍と猟虫は確実に剛纏獣の体力と集中力を削り取っていた。
仲間。
否、仲睦まじい友人同士だからこそ、この連携が成り立つのだろう。お互いを深く知っているからこそ、信じられるという事だ。
それが私にはない。
これが、友情という力か。
「……ライラック君、お願い!!」
「……何?」
ふと、頭上からそんな声が聞こえて私は視線を上げる。
同時に、カエデが私の背後に着地した。
何度目かの着地だが、これまではジニアの近くに降りて、剛纏獣が着地を狙って来ても彼が上手く立ち回っていたおかげで彼女は無傷である。
「ライラック!」
ジニアが声を上げた。
分かっている。剛纏獣はカエデを狙って動く筈だ。私が動かなければ、彼女が危険に晒される。
「こっちだ……!!」
私は大きく動いて剛纏獣の視線に入った。
大きな盾を持っている訳でもない私は、目の前の剛腕を正面から受け流す事は出来ない。しかし、私が隙を見せればカエデに意識を向けられる。
ならばと、私は真っ直ぐに剛纏獣の懐に潜り込んだ。その頭の下で、片手剣を大きく振り上げる。
喉元を切り割き、鮮血が地面に滴り落ちた。
剛纏獣は短く唸り声を上げ、私を潰そうと自分の頭を地面に叩き付ける。
その寸前に、私は地面を転がって剛纏獣の背後を取りながら足元を切り付けた。これで此方に意識が来るだろう。
「ライラック君……! ありがとう!!」
次の瞬間、振り返ろうとした剛纏獣の意識外からカエデが操虫棍をその頭蓋の横から叩き付けた。
大きな悲鳴と共に剛纏獣が地面に倒れ込む。
ツバキとジニアが何度か得物を叩き込み、離れたかと思えば剛纏獣は身体を振り回しながら立ち上がった。
そのまま、剛纏獣は地面にその剛腕を叩き付け、ふざけた腕力で岩盤を持ち上げる。
叩き付けられれば肉片も残らないだろうが、動きが鈍い分大きく動けば交わすのは容易だった。
しかし、剛纏獣は私達が攻撃を交わしている間に木々を薙ぎ倒しながらこの場を離脱していく。
勝てないと悟ったのか、体力を回復する為か。
どちらにせよ本気で逃げるモンスターを人間が追った所で追いつける訳がない。私達は一旦武器をしまって一息付く事にした。
「──とりあえず、第一ラウンドはなんとかなったな。ライラック、ナイスだった」
「さっきはありがとう、ライラック君。助かったよ」
「……私は当たり前の事をしただけだ」
いつの間にか彼女の周りを飛んでいるキュリアが三匹になっている事は気にせずに、私は片手剣に砥石を当てる。
仲間なら助け合うのは当然だ。
それが友人でないにせよ──しかし、危ういとも思った。
「一つ聞いて良いだろうか」
「え? 私? うん」
真っ直ぐにカエデの目を見て、私はこう口を開く。
「先程私の後ろに着地したのは、仕方がない事情があったからか?」
「えーと、それは……」
バツの悪そうな顔で、目を逸らすカエデ。どうやら、私の想像は間違っていないらしい。
彼女は
「確かに君は凄い狩人だ。高い身体能力と反射神経で剛纏獣を翻弄出来ていた。……しかし、それはツバキやジニア達、君の友人の長い付き合いによる理解があっての物だろう」
「そ、それは……私良く分からないけど。ツバキ達に守ってもらってるのは、分かってるよ?」
彼女の強さは本物だろう。ツバキが言っていた事は正しいし、彼のカエデを中心に戦うという判断も正しい。
しかし、彼女も──ツバキと同じだ。
「もしあの時、私が君の為に動かなかったらどうするつもりだった。ツバキやジニアとは違い、私と君は赤の他人なんだぞ」
ツバキもカエデも、他人を信用し過ぎている。
もし他人に裏切られた時、取り返しのつかない事になってしまう可能性を考慮出来ていない。それは、とても危うい考え方だ。
「私は君を見捨てて自分の安全を確保する事も出来た。勿論、私は騎士として仲間を見捨てる事はない。しかし、私がそう判断すると何故信じて疑わなかった? 私が君を見捨てていたら、君は死んでいたかもしれないのが分かっていないのか?」
「分かってるよ?」
俯いていたカエデだが、私の言葉を聞いて、何故か呆気に取られた表情で首を傾げる。
「でも、それが仲間……っていうか。友達じゃない? 同じ事、ライラック君にも言えるだろうし。友達なんだから、信じて当たり前だよ」
「は……」
今度は私が固まってしまった。彼女の言っている言葉の意味が途中で分からなくなる。
「……友達?」
「うん。友達。……あれ? 違う?」
「あのなー、カエデ。ライラックはそこのところちょっと気難しいのよ」
目を丸くするカエデの肩を叩くツバキ。彼は、少し頭を掻いてからこう口を開いた。
「諦めろライラック。俺もカエデもツバキも、バカだからそこの所緩いんだ。一緒に飯食ったらもう友達くらいの感覚で居るからな」
友達。
そんな言葉が、私の脳裏で何度も木霊する。
そうか私は──
「──私達は……友達、なのか」
──私は、自分に友達が出来るという事を考慮していなかった。