剛纏獣が吠える。
揺れていた木が吹き飛び、岩盤が砕け、大地が燃えた。
「何アレ!? 大きくなった!?」
カエデが目を丸くして、声を上げる。剛纏獣の両腕は一回り大きく膨れ上がっていた。
否、膨れ上がった訳ではない。岩盤を叩き割り、両腕から分泌した体肥液が抉れた土砂を絡め取っている。
右腕には体肥液と混ざり可燃性となった土くれ、左腕には大量に水分を含んだ苔。
左右で全く違う性質の
「気を付けろ、あの右腕は爆発する」
「何それ!?」
カエデは剛纏獣との戦闘経験がないのか、膨れ上がった剛腕に驚いている。あれだけの動きをしていて戦闘経験がない事にこちらが驚きだが。
「来るよ!!」
ジニアが叫んで、次の瞬間。怒りに任せて振り回された剛腕が岩壁を叩いた。
可燃性の土くれが爆炎を上げて、剛纏獣を遥かに超える質量を持った巨大な岩が轟音を立てて粉々になる。
地面が揺れて、足が竦んだ。砕けた岩の破片が降って来る。刹那、巨体が宙に浮いた。
「避けろ避けろ避けろ!!」
ツバキの声が耳元に響く。
跳躍し、私達の頭上から降って来る剛纏獣。泥濘を蹴って、私は身を眺めて地面を転がった。
撒き上がる泥土。視界を塞ぐそれを拭いながら、私は眼前の巨大を見上げる。
白く濁る吐息。赤く光る瞳。
身体中に噛み付いている噛生虫。
もし、ほんの少しでも回避が遅れていたら。私はその身体の底面の染みになっていた。
「ジニア!!」
ツバキが叫ぶ。周りを見渡すと、ジニアがふらつきながら立ち上がっていた。
負傷したのか、武器を構えられていない。
剛纏獣の視線が彼を刺す。私が動こうとするよりも先に、赤い閃光が巨体の視線の先に走った。
「こっち……!」
ジニアから視線を逸らすように、カエデが剛纏獣の目の前を通りながら走る。
剛纏獣はこれまで自らを翻弄し続けてきた彼女に苛立ちを隠せないのか、咆哮と共にその剛腕を振り上げた。
「カエデ、頼む……!」
言いながら、ツバキはジニアの元に駆け寄る。
見たところ大きな怪我はない。ジニアは一旦退避する事さえ出来れば問題ない筈だ。
ならば、私がするべき事はカエデの援護か。
ジニアに肩を貸しながら歩くツバキを尻目に、私は剣の柄を強く握る。
回り込むカエデ。ジニアから目を逸らし、カエデの援護をする為に好都合な位置へ走った。
「ライラック君!」
剛纏獣の剛腕が眼前に迫る。地面を転がり、それを交わしながら私はカエデと合流した。
「視界を潰されない事に注意した方が良い」
「分かった!」
短く言葉を交わして、左右に分かれる。
私は剛纏獣の左側へ。目の前の剛腕には水分を多く含んだ苔。
叩き付けられ、水飛沫が舞った。盾で払いのけ、次の行動に備える。
剛纏獣は右腕を振り回した。
カエデが身体を翻してそれを避け、操虫棍を地面に叩き付けて空へと舞う。
意識を分散させるように、私はその場で剣を振った。血飛沫が舞う。私に一瞬意識を奪われた剛纏獣の頭上で、カエデが刃を振り回した。
空気が震える。
剛纏獣の姿が歪んで見える程の、咆哮。
私達小さな生き物にはそれだけで攻撃となり得る行動だ。人の鼓膜が許容出来る振動ではない。
どうしようもなく、武器を落とさないようにだけして耳を塞ぐ。
空中に居たカエデはそれが出来なくて、バランスを崩して地面に転がった。
「させるか……!!」
次に狙われるのはカエデだろう。私は振動で響く重い頭を横に振って、泥濘を蹴った。
「私を見ろ……!!」
剛纏獣の眼前に立つ。その一瞬で良い。
カエデは表情を引き攣らせながらも、立ち上がって武器を構える。挟み込んだ。
「この……!!」
振り下ろされる拳を私が避けている間に、カエデが操虫棍を背後から剛纏獣の背中へと跳んで叩き付ける。
「私も怒ったよ!!」
連撃。
一瞬の隙で背後をとったカエデの、空中での斬撃が剛纏獣の血肉を削ぎ落とした。
剛纏獣は激痛に表情を歪ませながら、自慢の両腕でカエデを捕まえようとする。
しかし、
カエデの身軽な動きと、それを可能にする迅竜装備。
その装備の素材となった迅竜を想起させる見惚れる程の動きで、剛纏獣を翻弄する。
しかし、剛纏獣も頭に血が昇っているだけではない。
咆哮に、その巨体をそのまま使ったプレス。
腕に纏った装備を活かした攻撃は威力も範囲もこれまでの比ではなく、注意しなければならない。
それでも、狩場を支配するのは赤い残光。
まるで「慣れた」とでも言うように、剛纏獣の攻撃を紙一重で交わしながら己の獲物を叩き付けるカエデ。
「もう当たらない!!」
これが彼女の実力なのだ。
剛纏獣との最初の戦闘ですら彼女の動きには驚かされたが、彼女は剛纏獣との戦闘は初めてだという反応を見せている。
それであの動きが可能なら、本当に相手の動きを見切ってしまえば──彼女は並大抵の生物では捉えられない。
「悪い、助かった!」
背後からそんなツバキの声が聞こえた。
ジニアは一旦安全な後方で回復中だとすると、今は人数不足ではある。
カエデの動きがさらに良くなった事で流れは悪くないが、どう動くかはツバキ次第か。
「続けるか?」
「追いかけられるのは癪だし、ジニアは大丈夫そうだったから続ける」
そうとだけ告げて、ツバキは背中の得物に手を乗せながら地面を蹴った。
カエデに集中している剛纏獣に肉薄し、その刃を振り回す。
続けて私も片手剣を何度も叩き付けた。剛纏獣の悲鳴が水没林に木霊する。
それでも、剛纏獣の狙いは変わらない。
目の前で大きく跳ぶ小さな赤い閃光。
怒りに身を任せて振り下ろされたその拳を、彼女は紙一重で交わしながら刃を振るった。
地面に叩き付けられた右腕から可燃性の土くれが飛んで、火花が散る。その衝撃がカエデに届く前に、彼女は翔蟲に連れられて空中へ。
振り払われる腕も、牙も、彼女には擦りもしない。
さらに私とツバキの斬撃が、剛纏獣の体力を確実に削っていった。
どれだけの体格差があろうと、力の差があろうと。
それを詰めるだけの力が狩人にはある。
勝機が見えた、次の瞬間だった。
「噛生虫……?」
ふと、眼前に噛生虫の姿が映る。
当たり前だ。この剛纏獣は噛生虫の毒により命を蝕まれ、傀異化したモンスター。
だから、噛生虫が剛纏獣の近くにいるのは特に不思議に思うことでもない。
それなのに、どうして、これ程までに悪寒がするのか。
「ツバキ……」
ツバキの姿が脳裏に過ぎった。
違う。コレはあの時、ツバキと共に初めて狩場に出た時の光景だ。
雷狼竜との戦いで、無闇に距離を取った私を襲ったのは──
「ツバキ!! 噛生虫だ!!」
「集まってる……コイツもアレか!? しまったカエデ!!」
「え、何──」
──あの時私を襲った、雷狼竜から飛び出していく噛生虫達の塊。
剛纏獣から