「やーやー、珍しいなライラック。こんな所で釣りに興じてるなんて。どういう風の吹き回しだい?」
突然、私の人生は終わりを迎えた。
振り向くと、モジャモジャ頭にゴーグルのついた今一番見たくなかった竜人族の顔が視界に映る。
彼はその長い耳を頭ごと揺らしながら私達に向かって駆け寄ってきた。
来るな。
「バハリさん、ちーす。ライラックは俺が誘ったのよ。滅茶苦茶渋られたけど」
「だろうとは思ったけどね。しかし、さっき聞こえてきた愉快な声は二人の声かな? 片方は随分と聴き覚えのないハイテンションな声だったが」
「多分それはライラ──」
「私以外にも仲間が来ていて……!! 多分その者の声だと……!! はぁ……しかしバハリ殿、拠点で見掛けないかと思えばまた狩場とは」
ツバキの首を絞めながら、私は完璧なポーカーフェイスで口を開く。
「いやー、そもそも俺が人の声を聞き間違える訳なくない? アレは間違いなくライラックの怒鳴り声だった。その反応を見るにこの考えは確信に変わったね」
「く……話を逸らそうとしても無駄か」
この男の洞察力は国にとってあまりにも必要だが、今だけは憎い。
ツバキの首を絞める腕にさらに力が入った。
「しかし意外だな。あのライラックがあんなにも愉快な声をだして遊戯に取り組むなんてね。流石はツバキだ、上手くライラックを乗せたんだろう?」
「私は別に乗せられてはいない」
さらに強くツバキの首を絞める。
「この話はもう良いでしょう。……バハリ殿が狩場にいるという事は、何か気になる事があるからでは? 騎士として耳に挟んでおきたい」
「良い推測だ。流石ライラック。実は、二人の報告で気になった点を調査していたんだ。その結果、面白い事実が分か──」
「いやそろそろ俺を助けてくれない!? このままだと締め殺されるけど!!」
バハリ殿の言葉を遮り、私の首締めから逃れたツバキが死にそうな顔で私を睨んだ。
「すまない、存在を忘れていた」
「死ぬかと思ったけど!?」
「バハリ殿、話を続けて欲しい」
「この野郎!! いや、俺もその話は気になるけども」
表情を何度か歪ませてから、ツバキはバハリ殿に視線を向ける。
話が一度止まってしまったが、バハリ殿の口からでた言葉はそのまま流す事は出来ない言葉だった。
「そんじゃ、手短に話そうか。二人の報告にあった消えたジンオウガの死体と、地下洞窟の爪痕。気になって調査した結果……地下洞窟の爪痕は種族的にはジンオウガの物だという事が分かった」
「あんな寒い所にジンオウガが居たって事か?」
ツバキは目を丸くする。
雷狼竜は確かに温かい気候を好み、身体が冷える事に対しての耐性が弱いモンスターだ。
ツバキが驚くのも無理はない。
「爪跡があったという事は、そこで戦闘があったという事だ。つまり、私達が討伐したと思っていたジンオウガは実は死んでいなくて、寒冷地帯の地下洞窟でルナガロンと対峙した」
「ルナガロンが傀異化してないのに暴れ回ってたのはそのせいか。……と、なるとあの時ジンオウガにトドメを刺さなかった俺の不始末って事だな」
珍しく辛気臭い表情で俯くツバキ。しかし、それに関しては私にも非がある。
「いや、あのクエストは二人で受注したクエストだ。私もその判断の元動いた。貴様だけの責任ではない」
「ライラック……」
「そもそも、地下洞窟で暴れ回ったジンオウガが、そのジンオウガと決まった訳じゃないんだけどね。それにモンスターの力は未だ未知数だ。今何が起きてるのか、正しく理解するのは難しい」
そう言いながら、バハリは立ち上がってベースキャンプの出口へと向かって歩き出した。
「俺はもう少し手掛かりが欲しいから探索に戻るよ。二人は釣りを楽しんでねー」
「いや、私も行く」
颯爽と喋りたい事だけ喋って去っていこうとするバハリ殿の肩を掴んで、私はツバキに視線を送る。
そうする前に、ツバキも釣り道具を片付けていた。
「俺も。もしあのジンオウガが生きてるってんなら、流石に気になるしな」
「そんじゃ、一緒に調査に乗り出しちゃうか。その前に腹ごしらえだ! 食事は大事だよ。せっかくだからご馳走しよう」
そう言うと、バハリ殿は戻ってきて調理の支度をし始める。
この男は見掛けによらず料理が上手い。
頭が良いものだから栄養バランスも優れた料理を作るので、それを断る理由もなかった。
食事を終えた私達三人は、城塞高地の狩場へと足を踏み入れる。
特段変わった事はない。静か過ぎると思うくらいには、何の問題も見当たらなさそうな空気が漂っていた。
「飯美味かった〜。バハリさんの飯はやっぱ格別だな」
「食事は人の原動力だ。そこで手を抜く理由はないからね」
「……一応ここは狩場なので、集中してもらおうか」
呑気な二人の後ろを着いて歩く。
「……静かだな」
私はハンターではなく騎士だ。
狩り場に異常がなければ、足を踏み入れる事は少ない。
だからだろう。この異様に静かな空気が落ち着かなかった。
「ここが二人がジンオウガを討伐したポイントだったよね」
まず辿り着いたのは、ツバキと初めてクエストに赴き雷狼竜を討伐した場所。
腐肉どころか骨の一つも残っていない。
氷狼竜討伐の前に立ち寄った時も不審に思ったが、コレが意味する事はやはりあの時の雷狼竜が生きていたという事なのだろうか。
「ここにある問題は一つ。討伐した筈のジンオウガの痕跡が何一つ残ってないって事だ。死体ごとどこかに連れ去られたなら、何処かに引き摺った後でもなければおかしい」
「やっぱ、俺が倒したと思っていたジンオウガが生きてたって事か?」
「そう考えるのは妥当だろう。けれど、そう考えるにしても不自然な点が残る」
「不自然とは?」
私がそう聞くと、バハリ殿は辺りを見渡して目を細める。
「その、死んでなかったジンオウガの行方だ。少なくとも死にかけのジンオウガならそう遠くにはいけない筈。二人が討伐を見誤ったと言っても、その個体が弱っていたのは確実な筈だ。二人の目が節穴じゃないのも、二人がある程度万全な健康状態でクエストに臨んだのも、俺が保証する。しかし、死にかけの筈のジンオウガは居なくなっていた」
そこまで言って、彼はしゃがみ込んだ。
そこには何もない。何もない事こそが、その証拠だというように、彼はその四本指で土を撫でる。
「つまり、我々の想定しない事象でジンオウガは失われる寸前だった命を吹き返した。そう考える事も出来るんじゃないかな?」
「命を吹き返した?」
「さもなくば、限界を越える力を手に入れた。死を
そう言って立ち上がり、彼は城塞高地の奥へと進んだ。
その先は寒冷地域であり、ツバキと共に氷狼竜と退治した地下洞窟の近くである。
「やっぱ寒いな……」
「弱音を吐くな」
「へいへい」
「いやしかし、寒いのはそうなんだ。ジンオウガがこの辺りに向かう事はあまり考えずらいよねー」
辺りを見渡しながらそう言うと、バハリ殿は何かを見つけたのか目を細めて歩みを止めた。
そして、その見つけた何かに向けてゆっくりと歩く。
「鱗だ」
「鱗? ジンオウガのか?」
「いや、コイツはルナガロンの鱗。なるほど、自然に落ちた物じゃないな、コレは」
ツバキの質問に短く答えてから、彼は落ちていた氷狼竜の鱗を興味津々といった表情で持ち上げた。
「なー、ライラック。ルナガロンとはここでは戦ってないよな?」
「そうだな」
「となると、コイツは他の要因でここに落ちていた事になる。持ち帰って詳しく調べたら、何か分かるかもしれないね」
氷狼竜の鱗を丁寧に包んでポーチに入れると、彼は近くにある洞窟に向けて歩き出す。
ツバキと共に氷狼竜を追い、道中で痕跡を見つけた場所だ。
直ぐに氷狼竜と交戦状態になった為にしっかりと確認は出来なかったが、やはり洞窟の壁にある爪痕の痕跡は氷狼竜の物だとは考え辛い。
「これが雷狼竜の痕跡だというなら、納得が行く」
「でもこんな寒い所にジンオウガが来るか?」
「それこそが、この不可思議な事象で最も合点がいかない点だ。ジンオウガは寒がりだからね。態々こんな場所に、自分の縄張りだとでも言うように痕跡を残したりはしない。……つまり、ここで戦いがあったんだ」
爪痕の痕跡を手先でなぞりながら、彼はこう続ける。
「なんらかの事象で死の淵から這い上がったジンオウガは、何かを求め──あるいは追い掛けてこの洞窟までやってきた。ルナガロンが戦闘を行った痕跡が洞窟の外にあって、もしコレがジンオウガとの戦闘によるものなら……ジンオウガは餌にはならないだろうルナガロンを自ら追い掛けて洞窟に入った可能性すらある。縄張りを犯されたルナガロンが暴れ回ったのは何も不自然じゃない。問題は……この謎の中心にいるジンオウガの行方が全くもって分からなくなってしまった事。何かが起きてるのは間違いないが、何が起きてるのか分からない……これ程に恐ろしい事はないからね」
「国に不利益を起こす竜ならば、王国の騎士はその命を賭けて迎え撃つ。それだけだ」
「いずれにせよ、この件は持ち帰って考えるべき案件では──アレは?」
ふと、バハリ殿が洞窟の外に視線を向けた。
その先では、私が反応出来ない速度で太刀に手を伸ばして構えるツバキが立っている。
──いや、何かが居た。
「ツバキ、何がいる」
私も構える。しかし、モンスターの気配は感じない。
「……いや。何も居ない……事はないな。何か居たのは確かだけど」
彼は構を解いて、困ったような顔で目を細めた。
警戒はそのまま。ツバキは洞窟の出口に指を向ける。
赤い虫が一匹、飛んでいた。
「キュリアか」
興味深そうにバハリ殿がそれに近付く。
虫の正体はキュリアだ。
何故か一匹だけ。バハリ殿が近付こうとすると、それは洞窟の外に飛んで行ってしまった。
「……嫌な予感がするな。ライラック、バハリさん、ちょっと早めに帰ろうぜ」
「今は貴様の勘を信じよう」
「賢明な判断だね。さ、行こう」
三人で洞窟を出て、周りを警戒しながらベースキャンプに戻る。
しかし、やはり城塞高地は過ぎる程に静かだった。
この地で何が起きているのか、何がここに居るのか。
「さっきのは……」
「何を見付けたのだ」
「……いや、分からん。ただ、まだピリピリしてんだよな。嫌な感じっていうかさ」
「嫌な感じ、か」
私にはまだ分からない。