【昼やすみ】
●五分早く終わった
「じゃ、今日の授業は終わりです。チャイム鳴るまでは教室の中にいろよ〜」
そう言って国語教師は教室から出ていく。
ようやく四限が終わったのだ。それも、五分早く終わるというおまけ付きで。
久城高校は授業によっては、成績順に段階にクラス分けされるのだが、現在は、現代文の最上位のクラスだけあって落ち着いた人間が多いためか、如月への質問ラッシュもない。
これでようやく少しは落ち着くことができる。
いつにも増して疲れたように感じるのは、やはり、隣に彼女がいるからだろう。
「はあ〜、やっとお昼だ〜」
如月が大きく伸びをすると、背中を反ったぶんだけ張り出された胸の膨らみに目が吸い寄せられてしまう。
これで、夏になり、ワイシャツ姿になれば、一体どうなってしてまうのか。
衣替えが楽しみやら恐ろしいやらだった。
「狭間くん、お疲れ様」
「あ、ああ、お疲れ」
危ないところだった。おそらくあとコンマ一秒でもな長く如月の胸を凝視していたら、バレ、好感度の低下によってバッドエンドルート一直線だったことだろう。
例によって、セーブ&ロードが不可能な現実では行動一つとっても命取りなのである。
「どうしたんだい、ボクのことじっとみて」
如月が、伸びの姿勢を維持したまま言う。
「もしかして、ボクの胸みてた?」
はい。バッドエンドルート一直線確定。さーて、どうやって死のうかな〜〜。そういえば結局まだ遺書書いてないや。
「…………いや? 見てないぞ? マジで。一瞬たりとも」
「本当?」
「マジマジ。なんだったら神にでも誓うぞ?」
……すまん神よ。己の尊厳のためにあなたを盾にする愚かな俺を救いたまえ……。
「じゃあ、そうだな……。ボクの胸のサイズにも、全く興味、ないんだよね?」
「………………ない。全くない。」
……ないったらない。
「そっか……。他の男子には絶対に教えないけど、狭間くんにだったら教えてもよかったんだけどな……」
「ふ、ふーん。そうか。それは残念だったな」
すると、如月が、俺の耳元に顔を近づけてくる。
(今正直に答えてくれたら、教えてあげるんだけどな)
「………………見てました」
「ふふ、正直でよろしい」
そして如月は、再び俺の耳元に口元を当て、約束通りにそのサイズを告げてくれたのだった。
具体的なサイズは伏せておくが、そのサイズを表すアルファベットを指折数え終えた時には、実に、七本の指が折り畳まれていたとだけ言っておく。
如月の圧倒的な戦闘力に恐れ慄いていると、「キュルル」と、まるで小動物の鳴き声のような音が聞こえた。
あれはキュルキュル鳥の鳴き声さ。
そんなこともなく音の発信源の方を見ると、顔を赤くした如月がお腹のあたりを抑えていた。
どうやら、如月の腹の虫が発信源だったようだ。
「見られると、恥ずかしい……」
「……悪い」
「はあ、お腹すいちゃった。ねえ、長太郎くんお昼は……」
と、如月が言いかけたところで、割って入る声があった。
「如月さーん! お昼一緒に食べよー!」
声の主は吹奏楽部に所属する女子、たしか名前は佐藤……
「六花ちゃん、ウチらと食べようよー!」
今度はクラスのいわゆるギャルグループの藤……
「如月さーん、ウチたちと……」
続いて……いやまて、こいつに至っては確か隣のクラスの女子だぞ?
周りを見ると、如月の話を聞きつけてか、他のクラス、他の学年の生徒までが六花を一眼見ようと集まってきていて、場は混沌としていた。
「如月さーん、バスケ部のマネージャー興味ない?」
しかも、昼飯の話で揉めてる中、ちゃっかり部活の勧誘まで行う輩まで現れる。
当然、他の部活も便乗して勧誘を始めるわけでいよいよい事態は収集がつかなくなり始めていた。
……これは面倒なことになった。
転校生、しかもそれが美少女で白髪で碧眼ともなれば、大抵の人間は一眼みたいと思うだろう。
正直に言えば、出会い方さえ違えば、俺も野次馬の一人になっていただろう。
くそっ。こうなることをもっと早く見越していれば……。
なにより面倒なのは、ここで下手な断り方をしてしまえば、後々、如月と他の生徒との間に、面倒な禍根が残りかねないということだ。
『出る杭は打たれる』。くだらない。本当に嫌になる言葉だ。
全くもって、容姿というものは面倒だ。本人が望んでいないにも関わらず目立ったり評価されたり、嫉妬の対象になる。
そんな、本人にはどうしようもない原因で、面倒事に巻き込まれるなんてのは、やはりりクソッタレだ。
それに、ここまで、ただの如月の隣人として、息を潜めていたが、流石にこの状況にうんざりしてきた。
……何かできることはないか。そう考えていると、一つ妙案が浮かんだ。
昼食の誘いも、部活の勧誘も両方同時に、それもきっぱりと断るのではなく、有耶無耶にして諦めさせることができる方法が。
俺は、静かに息を吸う。さて、一芝居打つ事にしよう。
「如月さん!』
自分でいうのも何だが、よく通る声が教室に響いた。
きょとんとした顔の如月と目が合う。
俺はすかさず、周りにも聞こえるように、続きのセリフを話し始めた。
『提出してくれた入部届の件で! 演劇部から説明があるから! お昼持って部室来てもらっていいかな!』
すると、如月は言わんとすることを察してくれたようで、ランチボックスを取り出し、席を立った。
「そうだった。ごめん、すぐ行くよ」
これこそが俺の編み出した策だ。
●長太郎の作戦の説明。
転校初日ですでに入部届を出している、かつ、演劇部というイロモノ部活。
これだけ要素が揃えば、「これは他の部活には靡かなそうだ」と、大半の生徒は納得してくれるだろう。
昼に関しても、如月が教室で飯を食わないのなら、全く意味のない争いとなる。
俺たちは、この機を逃すまいと、そそくさと教室を後にし、現在は如月を連れて階段を登っていた。
「ありがとう狭間くん。助かっちゃった」
「あんなのは一人じゃどうしようもないからな。それに、俺も身動きとれなくて困ってたし」
「それにしても、やっぱり舞台じゃなくてもああやって自然にお芝居できるんだね。さすが演劇部って感じだ」
「まあな。部活に、なんでもないタイミングで即興で芝居振ってくる人が何人もいてな。気づいたらできるようになってた」
日常会話の最中に突如始まる即興コント。
いわゆる、演劇部あるあるというやつだ。
他には「教室では無口で大人しいが、部室では本性を表してはっちゃける」「『ロミオとジュリエットはやらないの?』と聞かれる」
「ところで、どこに向かってるのか、聞いていいかな?」
そう言う間に、四階にたどり着く。
「演劇部室。演劇部にとって、学校で一番落ち着くところだ」
演劇部あるあるその四、である。
「そっか、部室ってお昼でも使えるんだ」
「ああ。こればっかりは演劇部の特権だな」
俺は、三列ある長机のうち、真ん中の列、前から二つめの席に腰掛ける。
先ほどまでの騒がしい教室から一転して、背後にある一年生のフロアから、微かに騒めきが聞こえるのみで、しんと静まりかえっていた。
こうして、俺たちはようやく平穏を取り戻したのだった。
「窓が多くて明るいわりに、だだっ広いし静かだし。くつろぐにはなかなか贅沢なところろろ? 俺は昼休みになると、俺は大抵ここで飯食いながら、台本のネタ考えたりしてる。あと昼寝も」
おい、誰だ今ぼっち飯って言ったやつ。怒らないからでてきなさい。
ちなみに俺は、この呼びだしに応じて、怒られなかったことは一度もない。
まああれだ。昼休みってのは、読んで字の如く休むためにあるんだし、あんな騒がしい場所にいて休めるか、って話だ。
「うん。ほんとに落ち着くね。今日は一日質問攻めだったから疲れちゃったよ」
そう言って、如月は椅子に座った。
だだっ広い教室の中、俺の右隣に。
「……隣でいいのか?」
「……だめ、かな?」
思わず訝しんだ反応をすると、如月は上目遣いで訪ねてくる。
女子の上目遣いに、俺は一生勝てる気がしない。
「す、好きにしてくれ」
「狭間くんは昼休み、いつもここにいるの?」
「そうだな」
「そっか。じゃあボクもそうしよっと。……他の子たちとか、実は結構どうでもよかったりして」
部活紹介の件といい、如月はどうも、自分が一番と決めたもの以外はどうでもよくなってしまう性分らしかった。
ひょっとして、それが自分に向いているのではないかと思うと、どう受け取ればいいか、正直わからないところがあるが。
けれど、そんな如月のことが、少し、心配でもあった。
「……少し、らしくないことを言ってもいいか?」
「うん? どうしたんだい?」
「毎日きてくれるってのは、マジで嬉しいんだが……明日は教室で飯食ったほうがいいかもな」
如月はキョトンとした表情を浮かべた。
「そうかい? ボクは毎日ここでいいと思うんだけどなぁ……狭間くんと二人っきりになれるし」
「忘れ物の借用に、課題の写し。意外とメリットは多いぞ。隣のクラスのやつとも知り合っておけば、体操服だって借りられる」
「あはは、狭間くんって結構忘れ物の多いうっかり屋さん?」
だまらっしゃい。
「でも意外。狭間くん、クラスメイトとは最低限の付き合いしかしないのかと思ってた」
「まあ、な。人付き合いは面倒事も多いが、最低限物の貸し借りできるくらいの関係性だと、案外ややこしい事態には巻き込まれない。それに、トラブルを避けようと、徹底的に人付き合いを避けようとしても、むしろ、そこに目を付けられて絡まれたり、みたいなトラブルも起きかねない」
「特に如月は転校生で、容姿も整ってて、何より存在感もあるからな。気をつけるに越したことはないだろう。うちのクラス、あからさまにイジメっ子だとか、女王様気取りみたいなやつはいないが。それでも、あまりにも付き合いが悪いと変なやっかみを受けかねない」
「そっか。確かに狭間くんの言う通りかも。それじゃあ明日はクラスの子と一緒にお昼たべようかな」
「ああ、それがいいと思う」
「狭間くん、ひょっとしてボクのこと、すごく心配してくれてる……?」
「まぁ……そりゃあ、な」
如月の、雪にように白い肌にほんのりと朱が差す。
「それじゃあ、狭間くんはさ、ボクのこと、かわいいって思ってくれてる?」
その予想外すぎる返しに、思わずむせてしまう。
急に何を言い出すんだ。というか、俺はどう答えればいいというのだ。
「なんでまたそんな質問を……」
「今日みんな、ボクのことかわいいって言ってくれたけど……ボク、あんまりそういう自覚なくて。だから、狭間くんは、どう思ってるのかなって」
それはもう、かわいいに決まっている。
だが、女子に向かって堂々と「かわいい」と言えるほど俺は自惚れていない。
面と向かってかわいいなんて言って、引かれない男なぞよほどのイケメンだけだろう。
……とはいえ、ここでなあなあにするのもな。
昨日の、急に泣き出した件もそうだが、如月には、どことなくあ危なげというか儚げというか、とにかくそんな雰囲気があるのだ。
「……まあ、正直かわいいと思う。というか、誰が見たってそう思うだろ。お前を見てそう言わないやつは、よほど嫉妬してるか照れてるかのどっちかだろ」
「そういう一般論じゃなくて、純粋なキミの意見が聞きたいんだけどな」
「…勘弁してくれ……」
「ふふっ、いいよ。許してあげる。キミの気持ちは伝わったから」
如月はご機嫌な様子で持ってきたランチボックスを開ける。
どうも窮地は脱したらしい。
女子らしい、小ぶりな弁当箱の中身は、白飯にたこさんウインナー、唐揚げ、プチトマト、レタス、卵焼きつまっていて、いかにも「お弁当」といった様相だった。きっと栄養バランスも抜群だろう。
「いただきまーす」
如月は女子らしい小ぶりな一口でウインナーを齧る。
「うん、ちゃんとおいしい」
「それ、自分で作ったのか?」
「一人暮らしだからね。一応、節約かな。それに、ボク、結構料理好きみたいだし」
「なるほど、転校して一人暮らしか」
一人暮らし。その境遇には非常に魅力を感じる。
さらに、ほんの少しだけ欲を言えば、マンションの隣室に学校一の美少女が住んでいて、栄養の偏った食事ばかり摂る俺を見るに見かねてご飯を作ってきてくれる生活に憧れる。
「朝なんか時間ないだろうに、すごいもんだな」
「でも、ボクそんなに朝強くないから、簡単に作れるものだけにしてるよ? 唐揚げは冷凍だし、野菜は洗って入れるだけだし。この中で料理らしい料理なんて、卵焼きぐらいだね」
そう言われて、改めて卵焼きを見てみる。ふっくらしたそれは、見事なまでの黄金色で、文句のつけどころがない出来栄えだった。
「すごいな。うまそうだ」
「ふふ、おひとついかが?」
如月が嬉しそうに微笑んでいた。
「……いいのか?」
「うん、もちろん」
美少女から手作り弁当を分けて貰えるなんて、ひょっとして何かの罠だろうか。
だが、たとえ毒が入っていようとも、美少女の手作り弁当をご相伴に預からないという選択肢があるはずがなかった。
「じゃあ、一切れ……」
と、思ったが、生憎俺の昼食は惣菜パン。当然、箸などはもっていない。それに、相手がどうでもいい男子ならいざしらず、如月の前で手掴みというのも、些か行儀が悪すぎる。
俺はいく当てのない左手を宙に彷徨わせる結果となってしまった。
まよい箸ならぬ、まよいハンド。
……なんか物語シリーズのサブタイトルみたいだな。
そんなしょうもない事を考えていると、目の前に卵焼きを挟んだピンク色の箸が差し出された。
「はい、あーん」
あーん……あぁん? ん? もしかして俺は今、喧嘩売られているのか?
……いや、違うよな。相手に食物を食べさせる行為としての「あーん」だよな。
予想外の出来事に脳がフリーズし、「綺麗な箸の持ち方するんだなー」と、脈絡のないことを考えていると、如月の表情が段々と不安げな物へと変わっていった。
「やっぱり、いらなかった……?」
「いやいやいや! 食べる! 食べる食べる食べる!」
ものすごく必死な人になってしまった。
「よかった……はい、じゃあ改めて……あーん」
「あ、あーん……」
こうなってはなすすべもなく、俺の口内に黄色くてふわふわな物体が放り込まれる。
すると、途端に口の中に玉子のまろやかな風味が広がり、砂糖と醤油のシンプルながらコクのある味が舌に広がった。
卵焼きとしてはかなり甘めの部類のそれは、見た目に違わずやわらかな食感を保っていて、一種のスイーツのようだった。
しょっぱい派、甘い派に二分される事が常である卵焼きだが、
甘党である俺の好みは当然後者。好みの味だった。
「どうかな? ボク的には結構うまくできたかなーと思ったんだけど」
「うまい…甘くて、うまい」
いざ感想を口に出そうとしても、一才の語彙力が消滅してしまった。
もうこうなっては、そのうまさを表現するために、徐に裸になるしかないだろうか……! 料理漫画の演出的に考えて……!
手始めにネクタイをゆるめはじめたところで、如月がほっ、と息を吐いた。
「よかった……」
「こんだけ美味けりゃ、心配の必要もないと思うが、違うのか?」
「うん。ボク、人に手料理を食べてもらうのって初めてだったから、ドキドキしちゃった」
そう言って幸せそうに笑う如月を見ていると、ついドキリとしてしまう。
ああ、この感覚には慣れそうもない
まあ、慣れてしまうのもそれはそれで風情がないが。
すると如月が口元を手で覆った。見ると、手のひら越しに、彼女の頬が真っ赤に染まっているのが見えた。
「か……間接キス、しちゃったね」
「……ッ!!!」
前言撤回。どうやら俺は、早く彼女の言動に慣れる必要があるらしい。
そうでなくては、体が持たない。
今日こそは、忘れずに遺書、だな。