08 スポーツテスト
翌日の二時限目、俺は憂鬱な気分で、グラウンドに突っ立っていた。
今日は年に一度、この時期になると必ず訪れる忌まわしき行事、スポーツテストである。
現在俺と朝直は、ソフトボール投げの順番待ち中だった。
「で? 以降どうだ、如月とは? クラスじゃあくまで部員同士って体だが、それにしちゃ、随分仲が良さそうだよな」
暇になったのか、浅倉が話しかけてくる。
「まあ、仲はいんだろうな」
「んだそれ、他人事みてぇに」
実のところ、俺は時折、如月との距離感がわからなくなる。
未だかつて、ここまで近い距離感で接してくる女子はいなかった。
それに、いくら運命的な出会いをしたところで、どうせ結局勝手に理想を抱いて、勝手にドン引きして、失望していくのだろうと思っていたからだ。
けれど、如月は未だ、そんな素振りを見せない。だからこそ、時々わからなくなる。距離も、そして如月の考えていることも。
「なあ朝倉、お前から見て如月ってどう見える?」
気づけば俺は、朝倉に問いかけていた。
俺は出会いからして如月に近いところにいすぎている。
だから、蚊帳の外からの意見が欲しいと思った。
「そうだなぁ」
朝倉が、顎をしゃくって考える。
「マジモンの白髪碧眼で、その存在自体がフィクションみてぇな癖に王子様を夢見てて、それに演劇部なんて変わった部活にもすぐに溶け込めるポテンシャル。総評として、変人、だな」
「おい、もっとマシなこと言えないのか」
「メルヘン中二病の癖に痛々しいどころか、むしろミステリアスさが増してプラスに働く奴が変人じゃないとでも?」
「否定できない……」
「往々にして、親は子供の名付けに願いを込めるが。それで言うな、如月六花に込められた願いは『アニメのキャラクターのようにすくすく育ちますように』、だろうな」
(マジモンの白髪美少女、色白で、めちゃめちゃ髪色似合ってる。だが、クラスメイトには多少無理してるところが、あるありゃこっち側の人間だな、多分。ところで、狭間の向けて行った「王子様?」ってセリフ。やっぱり夢みがちな電波であることには変わらない。百点。相当な変わり者にはなんかあるんだろうな。)
●フィクションの存在っぽいんだよな
「そうだ、お前に話そうとしてたことがあったんだ」
「あ? ……如月のことか?」
「そりゃそうだろ。……この前如月に、ベランダから落ちた時の話を聞いたんだよ。そしたら、あいつも、あの時頭痛がした、って言ってた」
「あの時って、お前まさか」
あの時は、頭痛が起きたことは些細な事として受け止めていたため、朝倉には話していない。
だが、それでも何かを察したらしい。
「ああ、俺も、全く同じタイミングで頭痛を感じてた」
「……如月が、お前に話合わせたんだろ」
「……頭痛のことは、如月には一言も言ってない。お前もに言わなかったように」
「じゃ、単なる偶然だな」
ちょうど、朝倉の番が来た。
「あくまで偶然。それしか、ねぇだろっ!」
朝倉はボールをカゴから取り出すと、鬱憤を晴らすようにボールをぶん投げた。
そのボールは、今まで投げた誰よりも、遠くまで飛んでいき、その勢いを重力に潰されるかのようにして、ぽてんと落ちた。
「随分飛んだな」
「お前の番だぞ」
俺は、ボールを持つと、売り言葉に買い言葉で、力任せに投球した。
「奇跡も……魔法もあるんだよっっ!」
ボールは、今まで投げた誰よりも高く飛び、遠くまで……飛ぶことなく目の前に落ちてきた。
完全にコントロールを誤った。あれだけ高く飛んだなら、そりゃ飛距離も伸びんわな……。
「お前の負けだ」
「くそ……」
十点満点中、二点という、非常にしょっぱい点数を、スポーツテストの評価シートに記録していると、室内での種目を終えた女子の集団が、異様なほどに盛り上がった女子の集団がグラウンドに出てきた。
話している内容はここからでは聞き取れないが、集団の中心に、白色の頭が見えた。
話題の原因は六花なのだろう。
すると、集団がこちらにやってくる。どうやら、真っ先に六花がソフトボール投げを行うらしい。
本来なら、俺たちもさっさと室内へ行かなければならないが、折角なのでお手並み拝見といこう。
……盛り上がりの原因も気になるしな。
「俺は如月が投げるとこ見てから行くけど……っていねぇし」
スポーツテストは一応、ペアで進めることになっているので、俺がいないとどうしようもないはずだが。
まあ、あいつなら適当ななんとかするだろう。
このままここにいては、女子の群れに埋もれてしまうのので、離れたところへ移動するため、腰を上げた。
女子陣とのすれ違いざま、六花と目が合う。
いつも通りの表情のはずだったが、ふと、何か、違和感を覚えた。
グラウンドの端にあるベンチに座ると、
ちょうど、六花が投球するところだった。
「よし……いくよ……?」
投げられたボールは見事な放物線を描き、
朝倉よりも遥か遠くへ飛び
白線で書かれた最も大きい数字である、50mのラインを大きく越え、白線の手前に落下した。即ち、測定不能。おそらく、60メートル近いだろう。
俺は、以前テレビのスポーツバラエティ番組で、髭を蓄えた筋骨隆々のハンマー投げ金メダリストが、高校の時は65メートルくらいでしたといい、他の選手達から驚愕されていた光景を思い出していた。
そのたった5メートル手前ということだ。
「はあ……⁉︎」
俺は、女子の群れから歓声が沸き起こる中、一人目を向いて驚いていた。
そして、女子達の妙な盛り上がりの原因も推測できた。立花はおそらく、他の競技でも同じように、出鱈目なほどに突出した記録を出してきたのではないか。
俺は、自分のテストそっちのけで、六花が次のテスト、五十メートル走に参加するのを待った。
体育係の、「位置について、よーい」の声に合わせ、如月が重心を落とす。
如月が一瞬、眉を顰めたような、そんな気がした。
数泊置いて、スタートを意味するフラッグが上がると、立花は弾丸のような速度で飛び出した。
圧倒的に早い。同じタイミングで走り出した陸上部の女子を明らかに引き離している。
そして、六花はその速度を維持したままコースの中程を過ぎ、違和感は杞憂だったのかと思った、その時だった。
「あっ」
女子の中の誰かが、声を漏らした。 六花が、前のめりに倒れ出した。
ヤバい……!
そう思った瞬間、ズキン、と頭に痛みが生じた。
あの時と同じ頭痛だ。噂をすれば、と言う奴なのだろうか。
それに、状況も似ている。
(出会いのときは長太郎の願望を叶えるため、六花にも頭痛が沖田が、こんかいは六花の肉体の反動が発端のため、六花に頭痛は発生しなかった)
目を開いた時、世界の流れが遅くなった。
驚く女子達の表情を、一人一人見ていけるんじゃないかと思えるほどにの遅さだった。
そして、何かに堪えるような、立花のくしゃくしゃになった顔を見ると、俺はやはり、駆け出していた。
「六花っっ……!」
ゆっくりとした世界の中、俺は地面を蹴り、六花の元へと掛ける。
だが、ゆっくりだからこそ、一歩。あと一歩分、俺の腕は六花には届かないことを悟ってしまった。
くそっ……! 駄目か……!
俺は、なりふり構わず、頭から飛び込んだ。
俺はなすすべもなく、小石で満たされた地面に顔面から滑り込む。
グラウンドにヘッドスライディングとか……マジでクソだ、現実。
どうなった?
うつ伏せになった背中に、強い衝撃が走った、
「「ぐえっ」」
い、痛ぇ……それに、なんだかやけに体が重い。
どうやら、間に合ったらしい。
そう思った矢先だった。
「う……うう……」
背中のあたりから、聞き違えようがない、六花のうめき声が聞こえてくる。
「六花!」
格好つかない形とはいえ、六花の転倒という最悪の事態を免れた安堵感と、六花の状態を確認しなければという焦燥に駆られ、体をガバっと起き上がらせる。
「いたたたた!いったーーー! 」
半泣きで、今までに見たことのない余裕のない言動をする六花に驚き、駆け寄る。
「お、おい、大丈夫か⁉︎」
「ぜ、全身が激痛……動けない。ボクもうだめかも……! ちゃんと手足ついてる……⁉︎」
痛そうではあるが…そのコミカルな様子に気が抜けた。
「ああ、手足はついてる。でも、まずは保健室だ」
「うん……」
俺は、六花の腕を取ると、肩に手をかけさせる。
「いたたたた……!」
そして、悲鳴をあげる六花。
……やりずらいことこの上ないな。
ワタワタと慌てる野次馬の中から、鈴木が出てくる。
「狭間くん! 私も手伝います」
「いや、俺とお前じゃ体格差がありすぎる。二人で運ぼうとするのは、かえって危険だ」
鈴木は一瞬だけ俯くと、すぐに顔を上げた。
「では、如月さん搬入のための、保健室の裏口の開放と、養護教諭の中島先生への事情の説明、それだけでもさせてください!」
鈴木は真っ直ぐに俺をみて言う。今度こそ、その申し出を断る理由はどこにもなかった。
「ああ、頼んだ。あと、他のやつらに、授業に戻るよういってくれるか?」
「はい!」
鈴木は、普段のおどおどとした挙動が嘘のように、堂々とした姿で、他の生徒へと事情を速やかに伝えると、保健室へと駆けていった。
一度、周囲を見渡して人目がないのを確認する。
「六花、ちょっと失礼するぞ」
「長太郎くん?」
俺は、軽くしゃがむと、六花を横から抱き上げ、いわゆるお姫様だっこの形を作った。
「わわっ! お、重いから、早く、早く降ろして……!」
あの時は逃げられてしまったが、今度は絶対に落とさないし逃がさない。
そんな覚悟で、俺は足を踏み出した。
「バッカお前、こういう時くらい、格好つけさせてくれ」
目を丸くする六花。
「……ありがとう長太郎くん。」
服が、ぎゅっと握られた。
小さく六花がつぶやいた。
「おうよ」
途中で合流した鈴木にも授業に戻るように伝える、なんとか六花を保健室へと運び込むことができた。
「……また筋肉痛かぁ」
思わず独り言を呟いてしまうと、聞こえてしまっていたのか一言、
「……バカはどっちさ」
そう、ぼそりと言われた。
◆
「あーこれは結構酷いことになってるかもね」
養護教諭の中村が、ベッドに寝そべった六花の足首を触りながら淡々と言う。
「いたい……」
やはりと言うべきか、どうやら痛すぎて足が動けないらしい。
「大丈夫なんですか、如月は」
「簡単に言えば、肩を痛めてるのと、両足が重度の筋肉痛ってところだね」
過ぎて手足が動かせないらしく、ベッドに寝かされるがままになっていた。
六花の話を聞けば、あの場で見たハンドボール投げと、50m走意外にも、反復横跳び、立ち幅跳びで、出鱈目な記録を出していたらしい。
ちなみに、俺も一応怪我人扱いである。
ヘッドスライディングの際、思い切り鼻を打ったらしく、六花を保健室に運び終え、安堵したのも束の間、鼻から一筋の赤い滝が流れてきたと言うわけだ。
とどのつまり、鼻血である。
鼻血ってお前、全然かっこよくねぇな。
「如月さん、あなた普段運動は?」
「あんまりしてないと思います……いてて!」
「それでそんなすごい記録だしたら、体も痛めるわけよ。でも、脱臼とか、肉離れとかはなさそうでよかったわ」
その言葉を聞いて、俺もようやく、胸を撫で下ろすことができた。
「それにしても、如月さん。今までにもこういうことなかった?」
「……ないと思います」
六花は一瞬思考を巡らせたあと、それを否定した。
「なるほどねぇ……」
「これってもしかしてあれですか? 火事場の馬鹿力的な」
人間は普段、脳がリミッターをかけることで、無意識に力をセーブしているが、自分の身に危険が迫った時などの緊急時、稀にそのリミッターが解除される時があるという。そしてその際、もれなくナントカという脳内物質が分泌されることにより、一時的にだが傷みを感じなくなるそうだ。
そして、その説明は、そっくりそのまま、ここまでの六花の行動に当てはまっていた。
「ええ、話を聞く限り、そうかも。たまに運動部の子が、部活の試合とかで、今の如月さんみたいな状態なるのは見たことあるの」
「如月の筋肉痛、どのくらいで治りますかね?」
「まあ若いし、安静にして、ちゃんとアイシング続けてたら、一週間あれば余裕で完治するかな」
そして、あっけらかんと六花に向けて言う。
「3日間くらいは、痛くて動けないかもしれないけど」
悪魔か。
「3日も……ボク死んじゃうかも……」
「若いんだから大丈夫よ」
とぼやきながら、中島が冷凍庫から氷嚢を取り出した。
「はい、アイシングするよ〜」
冷え切ったそれを躊躇いなく六花の首筋に当てられる。
「ひゃっ!」
「これやるとやらないとじゃ、かなーり変わるから、今は我慢ね」
「はい……」
しばらくそんな六花を眺めていると、裏口ががらりと開き、女子生徒二人組がやってきた。一人は、もう一人の方を組んだ状態で片足立ちしているところを見ると、捻挫かなにかしたのだろう。
「私、あの子達のこと見てくるから。じゃああとはお願いね」
そう言って、中島は俺に氷嚢を渡すと、ベッドカーテンを閉めて、さっさと行ってしまった。
……やることは分かってる。要は、痛めた部分を冷やし続ければいいわけだ。
ベッドに横たわる六花に再び目を向ける。
体操服のグリーンのハーフパンツから伸びる、程よく肉付いた、色白で健康的な太ももに目が吸い寄せられた。
それに、力を抜いているが故なのか、足は内股になり、両手はだらんと頭のあたりに上がり、それはもう、完全に、「抱き枕カバー」のポーズだった。
いかんいかん。今からやることは医療行為だ。
「それじゃあ、はじめるぞ」
「うん……きて……」
六花は潤んだ瞳をこちらに向け、囁くように言う。その表情はなんだか、やけに艶かしく感じた。
……あれ? 今からするのってアイシングだよな。ベッドで愛を育む方の愛寝具じゃないよな。
いや、なんだよ愛寝具って。
バカなこといってる場合じゃない。よーし、患部を見敵必殺(サーチアンドデストロイ)しちゃうぞー。ってバカ、そりゃヘルシングだ。
六花の足に、氷嚢をあてがうと、足首からゆっくり確実に冷やしていく。
ふくらはぎ、次にふともも。
「……じゃ、つぎは反対の足だな」
そう言うと、六花が恥ずかしそうに言った。
「その……足の、付け根も痛めちゃったみたいで……そっちもやってくれないかな」
足の……付け根?
となると、ズボンの上から冷やす他ないかと考えていると、
「脱がせば、いいんじゃないかな」
そんなことを言われてしまう、
確かにその方が効果的だが、いやしかし女子の衣服を脱がしたことは一度もないぞ。上手く脱がせられるのか、いやまて、そう言う問題じゅあないだろう。だが、これは医療行為で、最も効果的な方法をとるべきなのではないか。
そして俺は六花のズボンへと手を掛け───
◆
───ることはせず、普通にズボンの上から冷やした。
氷が溶けてぬるくなった氷嚢を、手慰みにもみしだく。
ひとしきりアイシングが済ませた俺は、六花が横になっているベッドの端に腰掛け、用事だとかで出ていってしまった中村を待っていた。
あれだけのことがあって流石の六花も疲れたのか、さっきから無言で天井を見つめたり、目を閉じたりを繰り返している。
また、俺も怪我人に無理して喋らせる趣味もないので、
しんと静まり返った部屋の中、壁掛け時計の秒針だけが響いていた。
「長太郎くん」
六花の一声が沈黙を破った。
「どうした?」
「ボクのこと、助けてくれて、ありがとう」
そのかしこまった言葉に、少しだけ驚いた。
「気にすんな。まああれだ、体が勝手に動いた、的なやつだよ」
六花は、ようやく調子を取り戻してきたのか、ふふ、と可愛らしく笑った。
「やっぱり間違いない。キミはボクの王子様だ」
王子様。俺にはまったく縁のない言葉だ。
はじめて会った時、彼女が空から降ってきたあの時も、『やっと会えた。ボクの王子様』そんな言葉を言っていた。
「お、でたな。まあでも最近は俺も、あるんじゃ無いかって思えるようになってきた」
「そっか。嬉しいな」
「───ボクを……救ってくれる?」
「俺なんかにできる事なら、なんだってしてやるよ」
六花の視線は、天井に向いているようで、どこか遠くを見ているように見えた。
聞き返すなり、六花はいつもの明るい表情に戻る。いや、戻したというべきだろうか。
「ううん!なんでもない……いたたた!!」
「ちょっ! おい大丈夫か!」
結局その後、すぐに中島が帰ってきたことで、それ以上のことは聞けずじまいのまま、俺は六花を保健室に残し、教室へと戻ることになった。
「救ってくれる……ね」