うん。そうだよ」
過去に接点があった訳ではない。だとすれば尚更だ。
「なあ、どこで、俺の名前を知ったんだ……?」
「ひみつ」
「ひみつって」
「じゃあ、なんでだと思う?」
単刀直入に尋ねると、彼女は俺の後ろ、掲示板の方向を指差した。
彼女の指の先には、『おとぎ探偵ホームズ 〜走れメロス事件〜』と銘打たれた、新入生歓迎公演の告知ポスターが貼り出されていた。
ポスターのセンターにはワトソンとメロスが。そして、その後ろには、セリヌンティウスと共に、ゲンナリした顔で磔にされた白髪の探偵、即ち俺の演じるホームズが描かれており、キャスト欄には当然、『ホームズ 狭間長太郎』と名前が掲載されている。
「そうか、ここを見りゃ、俺が狭間長太郎だって丸わかりだな。変なこと聞いて悪かった」
「ううん、ボクの方こそごめん。初めて話すのに、いきなり名前呼んじゃって……驚かせちゃったね」
「ああいや、別にいい。名前が一人歩きするなんて、演劇部じゃよくあることだ」
彼女の言う通り、いきなり名前を呼ばれては、さすがに驚いたが。
なんのことはない。少し考えればわかることだったのだ。
ほっと胸を撫で下ろしたところで、新歓が今にも始まろうとしていることを思い出す。
正直、このままいつまでだって彼女と話していたいところではあるのだが、ここですっぽかして、約一ヶ月間の成果を台無しにするわけにはいかない。
「悪い! 俺はこのあとすぐ劇に出なくちゃならん。だから話はまた後で──」
と、言いかけたところで、彼女の瞳が、潤んでいるのに気がついた。
「うぅ……」
「お、おい……?」
「……ご、ごめん、ボク……うぅ……いきなり迷惑だったよね……グスン、嫌だった……よね……ヒック……」
彼女はあっという間に大粒の涙を流し、その丹精な顔はみるみるうちに、幼児のようにぐずぐずになっていった。
終いには、ずずっと、鼻を啜る音まで聞こえてくる始末。
おい……おいおいおいおい……!
なんだなんだなんだ! 一体何だ! 何が彼女が泣き出すきっかけになったんだ……⁉︎
そりゃあ、確かに会話を中断するような形にはなったが、それだけでこうまで取り乱すことはないだろ……⁉︎
「うわああああああん!」
本格的に泣き出してしまった彼女を前に、俺は頭を抱えたくなっていた。
……流石にこの状況の彼女をほっぽって部室何、行くわけにはいかないだろ。
「お、おい……! 聞く! 話なら後でいくらでも聞いてやるから! 一旦落ち着いてくれ……! 驚きはしたが、別に迷惑だなんて思ってないし、嫌でもなんでもない。むしろ、君見たいな美少女に構ってもらえて内心大喜びしているし、このままずっと話してたいくらいだ。だから、な? とりあえず、今だけ、一旦だけ落ち着かないか……?」
なんとか彼女をなだめようと、思いついた言葉を次から次へと反射的に繋げていく。
そして、美少女だのなんだのは、明らかに今言うべき事ではない。
俺は本当に、ほぼ初対面の相手に何を言っているんだ……。
だが、そんな奮闘にも、どうやら効果があったらしく、彼女の鳴き声がぴたりと止んだ。
「ほんと……? ボクのこと、嫌いになってない……?」
うるうると、瞳に涙を溜めながら、彼女が訪ねてくる。
「……ああ。当たり前だ。話なら劇が終わった後でいくらでもしてやる」
「本当……?」
「ああ……。だから、とりあえず劇の会場まで、一緒に行くか?」
「いいの……?」
「ああ。というか、俺は君が、てっきり劇を見にくるもんかと持ってたが」
「……うん。ボクも絶対みるそのつもりだったんだけど、一刻も早くキミと話したくて……。だから、こうしてキミに会えてよかった」
彼女は、心底安心した様子で微笑む。
その様子は、泣き腫らして赤みがかった瞳も相まって、まるで、ようやく親を見つけた迷子の子供のようだった。
それから俺は、彼女を客席にまで連れて行くと、大急ぎで舞台袖へと駆け込んだ。
開始時間、一分前のことだった。
──それにしても、綺麗な顔をした美少女が、幼女のように泣く様というのは、なんだかこう──、自分の中の開いてはいけないタイプの扉を叩かれているような感覚があった。
……そんな碌でもない扉は、固く閉ざしておくに限る。
◇
●もう少し、劇について描写
探偵事務所に戻ったワトソンが、事件の顛末を語り終えると、それを合図に暗転し、舞台は幕を閉じた。
客席からの拍手が響き渡る中、無事に新歓を終えることができたという安堵感で、ドドッと疲労が押し寄せてくる。
もっとも、今回に限っては、疲労の原因はそれだけではないのだが……。
部員全員が舞台上に横並びになっての終わりの挨拶と、体験入部の説明が終わると、俺はまっすぐに彼女の方へと向かう。
「悪い、待たせた」
「ううん。こっちこそ、気にかけてもらっちゃってありがとう」
「ま、あとでまた話すって、約束したしな。つっても……」
後ろを振り返ると、部長を筆頭に、部員たちの「その美少女は誰なんだ、一体どう言う関係だ」とでも言いたげな好奇の視線が突き刺さる。
……ここではとても落ち着いて話せないだろう。
「歩きながら話すか。昇降口まで送るよ」
そう言って部室を出たはいいものの、何から話せばいいものか……。
あのギャン泣き騒ぎによって、正体不明の美少女から、大分愛嬌のある美少女へと、印象が変わったとはいえ、相手が白髪碧眼の美少女であることには変わらないので、妙な緊張をしてしまう。
ひとまずは、一番手近な話題から、降ってみることにした。
「その、なんだ。劇はどうだった?」
すると、先ほどまで泣きじゃくっていたのが嘘のように、彼女はぱあっと、花が咲いたような笑顔を浮かべた。
「すっごく面白かったよ……! 明るくて楽しくて、でもちゃんとミステリの要素もあって、夢中で見入っちゃった。なんか、不安とかも、全部吹っ飛んじゃったな」
「そうか。そいつはよかった」
こうして彼女が楽しんでくれている姿を見ると、俺の台本が採用されてなくてよかった、と流石に思ってしまう。
台本を書いてくれた田口先輩には、一度礼を言っておこう。
それにしても、彼女の言う、不安とは、一体何のことなのだろうか。彼女が、ああして急に泣き出した理由と関係があるのだろうか。
大いに気になるところではあるが、興味本意で聞く事ではないだろう。
ともあれ、こうして彼女を元気付けられたことは、素直に嬉しい。
「いてて……」
「ん? どうした?」
彼女が不意に、太もものあたりをさすっていた。
「ちょっと足、筋肉痛で……」
「そりゃ、災難だな」
普段、運動かなにかしているのだろうか……?
そんなことを考えていると、彼女が、何かを思い出したように、頬を赤く染める。
「その……さっきのこと……忘れてくれないかな?」
「さっきのこと……?」
「その、狭間くんが、劇の方に行こうとした時に……」
「ああ、いきなり泣き始めた──」
と、ここまで言って、俺は失言を悟った。
なぜなら、彼女がぷくーっと、まるでフグのように頬を膨らませていたからだ。
「もう、口に出さなくたっていいじゃないか……」
……彼女の言動は──やはりアニメの影響なのだろうか? あざとすぎる気がするが、それでもどれも様になっていて、突っ込む余地がない。
有体に行って、可愛すぎだ。これを可愛いと思わない男は、母体にあらゆる感情を置き忘れてきたか、そもそも女を恋愛対象として見ていないかのどちらかだろう。
「悪い……。忘れればいいんだな」
と言っても、あれだけインパクトのある出来事、記憶喪失にでもならない限り、忘れることはないだろうが。
「なら、いいよ、許してあげる」
「できれば代わりに、どうして俺の名前を知っていたのか、教えてもらいたいところなんだが、やっぱり、秘密なのか?」
すると、如月はポスターを指さした。
「あれ、あそこに名前書いてあったんだ」
ようやく頬の膨らみが収まると、彼女はにこりと笑った。やはり、かわいい。
「なあ、今更なんだが、名前、聞いてもいいか?」
一方的にこちらの名前を呼ばれたので、尋ねるタイミングを逃してしまっていたが、いつまでも、彼女彼女と呼ぶのではどうにもしっくりこない。
それに、二年生でありながら部活紹介に出席し、新品の制服を身につけているという特殊な状況から、彼女の名前の検討も、おおよそ付いている。その答え合わせも、そろそろしていい頃合いだろう。
「そっか。まだ名乗ってなかったね。自分のことばっかりでごめん。ボクは──ボクの名前は、『風賀美六花』。これからよろしくね、狭間長太郎くん」
返ってきたのは、予想していた通りの名前だった。
『風賀美六花』。二年D組の転校生で、席は最前列の、最も廊下側の席。そして、俺の右隣の席。
────『隣の席のボクっ娘美少女転校生』……だと…………⁉︎
その事実がじわじわと高揚感となって湧き上がってくる。
勝手に自分の口角が上がっていくのがわかった。
「どうしたの? ひょっとして、同じクラスとか……?」
よほど顔に出ていたのか、問いかけられてしまった。
「ああ……。それに、妙なことに、席も隣同士だったりする」
「……そうなんだ! ……ふふ、ふふふ……ボクのこと助けてくれた狭間くんが同じクラスで、しかも隣の席だなんて、夢見たいだなあ。やっぱりこれって、運命なんだよ」
「運命──か。奇遇だな。俺も、同じようなことを考えてた」
こうして、自分だけじゃなく、風賀美からも言われると、改めて、とてつもない偶然の前にいるのだと実感させられる。
──まあ、そこまでハッキリ運命と言う辺り、朝倉の言う、彼女が中二病で電波という考察は、やはり間違っていなかったのかもしれない。
なにより、「ヒミツ」なんて、露骨に意味深な態度をとるあたり、如実にそうだろう。
「そっか、なんか、うれしいな」
へへ、と風賀美が笑う。
会話も一段落すると、俺は、疑問に思っていたことを、風賀美に問いかける事にした。
「なあ、なんで二年なのに、部活紹介の時、態々一年の列に並んでたんだ?」
もし彼女があの時、一年の列から外れた場所にいれば、その時点で、彼女が転校生だと気づいたはずだ。
「うーん、まあ、他にちょうどいい場所もなかったからかな。さすがに、先生たちと並んで、壁際に立ってたら、目立ちすぎちゃうし」
「なるほど、それもそうか……」
「もちろん、それだけじゃないけどね。あの位置がね、キミの事が一番よく見える位置だったんだ」
「俺が……?」
「うん──だってボクは今日、キミのことだけを見に、学校に来たんだから」
……そうだ。そもそも今日、風賀美は授業を欠席していた。
そして、部活紹介においても、見学していたのは演劇部の紹介の時のみ。
「──本当は一刻でも早くキミに会うために、今日の朝から登校したかったんだけど、目が覚めた時にはもうお昼過ぎでね……。でも、部活紹介があるって聞いてたから、もしかしたら君に会えるかもと思って来てみたんだ。そしたら演劇部が公演やるって聞いて、ホント運が良かったなー」
あっけらかんと、風賀美が言う。
……それはつまり、逆にいえば、風賀美は、「もしかしたら自分を助けてくれた人物に、狭間長太郎に会えるかも知れない」という、可能性だけで、僅かな時間のために、部活紹介の三分間のために、わざわざ登校してきたということだ。
「なんで、そうまでして」
「うん……。だって狭間くんは──ボクの王子様かもしれないから」
ああ。やっぱり彼女は意味深だ。
王子様。
彼女と出会った時、言い残した言葉。
なるほど、助けた俺に運命を感じ、王子様として捉える。
やはり彼女はとびっきりのこじらせ美少女のようだった。
「王子様か。期待はしないほうがいいぞ」
「そうかな? ボクは──そうは思わない」
まっすぐな瞳が重い。
彼女は一体、俺にどんな振る舞いを求めているのだろう。
もしも俺に少女漫画に出てくるような男を演じてほしいと言うのなら、それは無理な話だ。
──なにせ、俺にはヒロインをお姫様抱っこできるほどの筋力がないからな。
考えているうちに、昇降口についてしまう。
「今日はもう、帰るね。キミと話せて本当によかった」
「ああ」
「それと、大事なことを言い忘れてた。……もう入部届、出したんだ」
「入部届って……」
「うん。部員同士、これから、よろしくね」
もう少し考えたらどうだ、なんて言葉は言う気にはならなかった。
「……そう、か……じゃあ、これならよろしくな」
彼女は俺の手を両手で握ると、とびっきりの笑みを浮かべたのだった。
彼女の去り際。
俺は風賀美に「俺が演劇部に所属している事は、どうやってし知ったのか」と尋ねた。
そう。彼女が俺の名前を知っていたのは、公演のポスターから特定したからだった。
だが、それもやっぱり、狭間長太郎が演劇部に所属しているという事実を知らなければ、その発想に至ることはない。
そして、そんな問いに彼女はこう返した。
「あの後、どうしてもキミのことが知りたくて、学校中を探し回ったんだ。そうしたら演劇部の部室に、キミがいた」
なるほど。自分の足で俺を探して回る。特定の方法として、もっともシンプルな答えだった。
◇
風賀美を見送った俺は、部室へと戻った。
今日はやけに長か感じる日だ……。
そして当然、その分疲れた。
まあ、今は、新たな部員の入部と、空から降って来たボクっ娘美少女が隣の席の転校生だったことを喜ぼうじゃないか。
それにしてもまさか、空から降ってきたボクっ娘美少女が、隣の席の転校生だったとは。
奇跡的なまでの偶然。やはり、彼女の言うように、運命と言う他ないだろう。
──だが、そんな出会いをしてしまったからこそ、後が不安でもある。
今でこそ彼女は、俺を王子様と呼び、好意的に接してくれているが、
俺に王子様のフリができるのは、精々ぱっと見の第一印象だけ。あとは好感度は下がっていく一方だろう。
……きっと、嫌われる心の準備をしておいた方がいいだろうな。
悲しいことこの上ないが、案外、多少嫌われていた方がいいのかもしれない。
彼女からの好意は、俺が受け止めるには、大きく、目立ちすぎる。
部室に入るなり、部長が獲物を見つけたとばかりに寄ってくる。
「おい、あのとんでもないオーラを放ってた女子、お前の知り合いか?」
「え、ええ。一応」
「一応?」
「昨日なんですよ、彼女と知り合ったの──部活の前に、空から降ってきたんですよ。といっても、ベランダですけど」
部長は顔を引き攣らせる。
「私の聞き間違いじゃなきゃ、彼女、ボクっ娘だったよな……?」
「はい」
「……お前以前、『空から降って来たボクっ娘美少女と運命的な出会いでもしない限り、現実で彼女を作る気は全くないですよ』って言ったよな」
「はい……」
「出会っちゃったのか」
「出会っちゃいましたね」
部長が頭を抱える。
そして、俺の両肩に優しく手を置くと、これまた優しく微笑んだ。
「あんまり高望みはするもんじゃないぞ。パッと見それなりなだけで、中身は変態なんだから」
……そんなどこかで聞いたようなことを。
「……そう言う色恋沙汰で面倒ごとを起こすよ。お前みたいな恋愛アンチほど、うっかりその気になった時、問題を起こすんだから」
酷い言い草だ。
「……その心配は杞憂ですよ。流石に冗談ですから。あの条件は、「」これなら絶対ないだろ」って要素を適当に並べただけのものなのでまさ本当にいるとは思わないじゃないですか。
「……ま、まあそうだよな」
部長が小声で「セーフ」と呟いたのを、俺は聞き逃さなかった。
「とはいえ、本当に出会っちゃったからには、この前の条件は撤回して、別の条件を設けることにしますよ」
「……今度はどんな非現実的な条件になるんだ? 今度は宇宙人か?」
「いえ、今回はいたってシンプルにいきますよ。『三次元の女子から告白でもされない限り彼女はつくらない』」
部長が何か言いたげな視線をぶつけてくる。
「なんか文句ありますか? 知っちゃいましたが、どうも俺はやはりこの次元とは相性が悪いらしいんでね。この条件なら達成されることもないでしょう」
「条件が悲しいにも程があるだろ…………それに、その条件も、案外すぐに撤回されそうな予感がするけどな」
一瞬何を言っているか分からなかったが、それはつまり、俺が告白される可能性があると言うことだ。
そこから導かれる可能性は一つ。
「部長、やっぱり俺のこと……」
「違うわアホタレ。……ったく、サボった分さっさと片付けに参加しろ。美咲を手伝ってやれ」
「ういっす……。あとなんか手伝う事あるか? ……ああ、その辺の小道具片付けちゃうな」
「は、狭間くん……!」
「んあ? どうした?」
「い、いえ、なんでもないです。ところで、狭間くん、部活紹介の時の、白髪の方に会えたみたいですね」
「ああ。 あいつが風賀美六花だった」
「ああ。お陰様……かどうから分かんねえけど」
「どんな方、でしたか?」
「ああー、なんで言えばいいか。あいつは──」
そうして俺は結局、なし崩し鈴木にも彼女は、風賀美六花との出会いを話すことになったのだった。
◇
【転校生のいる朝】四月九日
「で、昨日、例の白髪女には会えたのか?」
翌日。朝直は登校してくるなり問いかけてきた。
なんだかんだ言って、やはりこいつも興味深々だったらしい。
「ああ、会えたし、なんなら既に入部してくれた」
「へえ。そりゃ随分と王子様にお熱なんだな。となると、俺の見立ては概ね当たってたわけだ」
「そうだな。大半は当たってた。さすがだよ」
本当に、朝倉の予想の大半は当たっていた。
だが、それでもそんな朝倉の予想を裏切る要素が、いくつもあった。
彼女の白髪はウィッグではなく、地毛で、碧眼もカラコンではなく、生まれ持ったもので、そしてなにより、朝倉は、彼女が一年生ではなく、転校生であり、朝倉が今座っている、俺の右隣の席の本来の主こそが彼女であることを知らない。
HR開始五分前のチャイムが鳴と、担任の体育教師が教室に入ってくる。
「ホームルームの前で悪いが、お前ら話聞けー」
いつもより五分も早い呼びかけに、クラスが若干どよめく。
そして当然、なぜいつもより五分も早く声がかかったのか。俺はその理由を知っている。
「えー、実はだな、今日からうちのクラスに転校生が入る」
その担任の言葉に、クラスのどよめきは一気に大きくなり、気づけば、ザワザワとハッキリしたものになっていた。
「よーし、入ってきていいぞー」
担任が扉を開けて手招きをすると、風賀美が、真っ白な髪を靡かせながら、現れた。
すると、さっきまであれほど騒がしかった教室が、まるで時でも止まったかのように静まりかえる。
唯一、大凡の事情を知っている朝倉だけは、彼女が転校生だったことを知って呆気に取られたのか、「はっ?」と、言う声が後方から声が聞こえてきた。
見なくてもわかる。奴は今頃、「なぜさっき、転校生であることを黙っていた」と、俺を呪い殺さんばかりの恨めしげな視線で見ているのだろう。
風賀美は、黒板の前に立つと、黒板に名前を書き始めた。
カツ、カツ、とチョークの音だけが教室に響く。
きっと、誰もが、あの初めて出会った日の俺のように、その髪色に、瞳に、魅入っているのだろう。
風賀美は、名前を書き終えると、こちらに向き直った。
「風賀美六花っていいます。 これからよろしくお願いします」
六花の挨拶を皮切りに、「え、めっちゃかわいくない……?」「やばくない?」というような会話があちこちから聞こえ始める。
次の瞬間には教室はまるで爆発でも起きたかのような騒々しさが充満していた。
……隣のクラスはさぞ驚いただろう。すまん、鈴木。
そして、そんな状態は、収集が付かなくなったのを見かねてた担任が「質問はあとにしろー」と強引にホームルームを再開させるまで続いた。
「えーと、風賀美の席は……狭間の隣だな。座っていいぞ」
「はい」
いよいよ風賀美が、右隣の席にやってきた。
周りにあまり目立たないよう、「よう」と軽く手をあげる。
目が合うと、風賀美は小声で挨拶を返してくれた。
「もっはろー……!」
もっはろー……⁉︎
なんだその聞き覚えのないラノベヒロインじみた挨拶は……。
具体的には、千葉県在住の某青春ラブコメのピンク髪ヒロインじみた挨拶は……。
と、油断したその時だった。
「(それじゃあ、クラスでもよろしくね)」
──そう、こそりと耳元で囁かれる。
至って普通の言葉ではあるが、美少女からの囁きというだけで、その破壊力は桁外れで。
全身に駆け抜けたゾワリとした感覚に脱力しきってしまった俺は、力なく机に額を打ちつけてしまうのだった。
◇
ホームルームが終わると、俺と風賀美の席は、風賀美に質問をしようと、あるいはお近づきになろうとする生徒達に包囲されていた。
こういっちゃなんだが、アニメではよく見た光景だな……。
現実じゃ、転校生なんて、大したイベントでもないと思っていたが、それでも風賀美クラスになると、こんなベタなイベントも発生するのか。
とはいえ、ここに俺がいては、彼ら彼女らにとって邪魔以外の何者でもないだろう。ここは大人しく退散することとしよう。
廊下から窓越しに、質問責めに合っている風賀美を眺めながら、すごいことになってるなー、と思っていると、見るからに不貞腐れた表情の朝倉が肩を叩いて来た。
「おい」
「……なんだ、まあ、お前が何を言いたいのか、概ね理解しているつもりではあるが」
「そうか。なら話は早い。……転校生とか聞いてないぞ」
「いや、俺だって昨日の放課後に初めて知ったんだぜ?」
「ならHRの前に教えることだってできたよな……?」
「まあー、その、あれだ。ぶっちゃけお前に一泡吹かせてやろうと思って黙ってた」
「おい」
「まあまあ、そう睨むなって。HR前に伝えたとて、どうせ数分後には知る事になってただろ。誤差だよ誤差。……まあ、どうせならお前に一泡吹かせてやろうとう思ったってのはあるけどな」
「だろうと思ったぜ……。ま、今回だけは美少女転校生に免じて許してやる。次やったら許さんけど」
「……ん? お前今、風賀美が美少女って認めたか?」
昨日、風賀美の考察をしていた時、俺にとって好みの顔だから美少女に見えたのであって、他人から見たらブスかもしれない、なんて無礼な事を宣っていたこいつが……?
「──そりゃ、あそこまで整ってたらな。俺から見ても、雑誌の表紙飾れるレベルの顔面に見えるよ。あのレベルでブスだなんて言ってたら、そいつは美醜の感覚が完全に狂ってると思うぜ。もしもそんな奴がいたら、俺は医者に脳を見てもらうように勧める
美少女転校生一つで医者を割と真面目に勧めようとするな。こええよ。
「……それに、染めたにしちゃ、髪色が自然すぎないか?」
「ああ。大分至近距離で見たが、少なくとも俺には地毛にしか見えなかった」
「……じゃあ、ひょっとして、瞳のほうも……」
「ああ。多分、天然物だ」
そう言うと、朝倉が頭を抱える。
「……ありえん。……なんだ、先祖が北欧人かなんかで、唐突に先祖帰りでもしたのか……?」
「さあな。まあでも中二病で電波系ってのはたぶんあってると思うぞ。さっきも『もっはろー』って、謎のオリジナル挨拶されたし」
「『俺ガイル』かよ」
「俺が折角ぼかして伝えたのに、そうはっきり言う奴があるか」
「お前のぼかし事情など知らん。……にしても、もっはろーねえ。当然痛い子っちゃ痛い子なんだが……あそこまで突出した美少女だと、電波というよりは不思議ちゃんというかなんというか、もはや加点要素になってくるな」
朝倉が何かを諦めたように「はあ」と、ため息をついた。
「わかった。次飯行く時は奢ってやる」
俺と朝倉は、稀に昼飯の奢りを賭け、考察合戦をすることがある。
朝倉が頻繁に考察をするのに当てられて、時たま俺も張り合う様に、別の考察を唱えるのだ。
そして、そうした場合は必ず、的外れな考察をしたほうが、相手に久城高校から徒歩五分のにあるラーメン屋、『にくちゃ〜しゅ〜』の脂こってり豚骨ラーメンの奢るのだが──今回に限っては、俺は朝倉に一方的に考察をさせただけであって、賭けに興じたつもりはなかった。
「一体どういう風の吹き回しだ?」
「悔しいが、あんなとんでもない奴と、とんでもない出会い方をした時点で、お前の勝ちだ。そして俺の負けだ。一杯でも十杯でも奢ってやる」
「それは願ってもないが……。勝ったって、俺は知ら間に、何に勝ったっていうんだよ……」
「そうだな……。強いて言葉にするなら、”宿命”だな」
「宿命?」
「そう。激ヤバなオタクにも関わらず、現実じゃ絶対にあり得ないような、美少女との出くわしをしたからな。お前は宿命にかったんだよ」
「そうか。ありがとう。そしてそれはそれとして、俺は激ヤバなオタクではない。俺は好きなキャラでもグッズを大量に集めて祭壇をつくったりはしないし、〇〇は俺の嫁、なんて言ったりはしない」
「……その理由を言ってみろ」
「自分の顔が大きくプリントされた大量のグッズや、自分を模したフィギュアを持っていると知られたら、彼女たちに引かれてしまうだろ。誰だって好きな相手に嫌われるのは嫌だろ? なにかおかしなこと言ってるか?」
「ああおかしい。なぜならお前の言う”彼女たち”は二次元の存在だからだ」
「ああ。二次元の世界で”生きている”存在だよな」
「……他のやつが聞いたら、絶対お前のやばさ、伝わるんだけどな……。」
「ともあれ、ありがたく飯は奢ってもらうよ。それと十杯は死ぬ。一杯で十分だ」
店名に『にくちゃ〜しゅ〜』なんて名前つける店だ。
そんなの不健康たっぷり早死にマシマシ一直線だっつの。
朝倉が呆れたように言う。
「……にしても、席も隣で、部活も一緒って、一日中べったりだな」
一日中べったりって……。
「おい、妙な言い方すんな。多分、すぐドン引きして風賀美の方から離れてくんだろ?」
「だな。精々その前に他の男子に嫉妬で殺されないようにな」
と、あながち洒落にならないセリフを吐きながら、「自販機行ってくるわ」と去っていった。
そんなことを考えていた矢先、背後から「もっはろー」と声をかけられる。
振り向くと、予想通り風賀美が立っていた。
「よう。……よくあの質問包囲網から抜け出してこれたな」
すると風賀美は「あはは」と困ったように笑ってみせた。
「いやあ、ホント、困っちゃったよ。ボクは狭間くんお話したいだけなのにさ。なんでか皆集まって来ちゃって」
「まあそりゃそうだろ、風賀美みたいな転校生、周りがほっとくはずがない」
「えー……じゃあさっきみたいになった時のために、抜け出す方法たくさん考えとかなきゃいけないね」
「お手洗いはもう使っちゃったからなー」と顎に華奢な手を当てながら呟く風賀美。
もしかしなくてもこいつ、お手洗いに行くなんて嘘をついて抜け出してきたな……?
ひょっとすると、案外抜け目ない性格なのかもしれない。
「なら、こうやって教室の前で喋ってちゃ、まずいんじゃないのか?」
「うん。それもそうだ。じゃあ歩きながら話そ?」
「それ、ひょっとしなくても俺、女子トイレに向かって歩くことにならないか?」
「はは、それもそうだね」
「今の時間だとそうだな……。適当に旧校舎の方にでも行くか。もし誰かに何か言われたら、同じ部活のよしみで、学校を案内してたとでも言えばいいしな」
それを考えると、部活が同じというのは、案外色んな利点があるのかもしれない。
「いいねそれ。よし、乗った!」
そんなわけで、三階の渡り廊下を経由して、理科室や音楽室をはじめとする、特別教室の立ち並ぶ、薄暗い旧校舎をだらだらと歩く。
「そういえば、あのもっはろーって挨拶、元ネタはなんだ?」
「元ネタ……? もっはろーはボクのオリジナル挨拶だよ? モーニングとハロー。合わせてもっはろー。いいでしょー?」
ふふん、と得意げな顔で、両手を腰に当てて胸を張る風賀美。
……ん? 分厚いブレザー越しだったから、今まで気づかなかったが、ひょっとして結構……。
「狭間くん?」
「うおっ!」
風賀美が不意にこちらを覗き込んでくる。顔が整っているだけにインパクトがあって心臓に悪い……。
「えっと……すまん、何の話だっけ……」
「もっはろーの話。もう……ちゃんとボクの話聞いてよ……じゃないとボク……また泣いちゃうよ?」
風賀美がいたずらっぽく笑う。
「……す、すみませんでした。ちゃんと話聞きます……。」
自然と敬語がでた。
「へへ、よかった〜……」
気づけば、風賀美の目から涙は引っ込んでいて、心底ホッとしたような表情を浮かべていた。
……まったく、転入してきてからまだ十分そこらしか経っていないのに、こいつはどれだけ俺の感情を揺さぶってくるんだ……。
末恐ろしい……。
「そういえば、狭間くんは廊下でなにしてたの?」
「ああ。朝倉──一番後ろの席にメガネと話してた」
「へえー、朝倉、朝倉……。狭間くんの友達っていうなら、一応覚えとこうかな……」
いや、もう少しクラスの他の奴らのことも覚えてやろうとしろよ……。
と思ったが、俺も大概なので何も言わないことにする。
言ったら最後、それこそ特大ブーメランというやつだ。
「でも、朝倉くんはいいなぁ……」
あんな捻くれメガネのどこがいいんだか。
「なんでだ?」
「だって、狭間くんと今までいっぱい色んなことを話してきたんでしょ?」
「……そんな大それたもんじゃないよ。さっきだって、ラーメン食いに行く話しかしてないしな」
流石に本人を前に、風賀美の素性を散々考察した上で、賭けまでしてた、なんて言えるはずもなかった。
「ボクは狭間くんと、そういう、なんでもない話がしたいんだ」
●
「……いいぜ。そんなんでもいいならいくらでも話そう。今期のアニメ、何観てるか、とかな」
「ほんとう……? でも、ボクアニメ見ないから……そうだ! 狭間くんがオススメしてよ!」
アニメを見ない……だと……?
「ま、まあいいぜ。どんなやつがみたい?」
「王子様が出てくるやつ!」
おおっと……完全に範疇外のオーダーきたな……。
「よし、風賀美が見て楽しめそうなアニメ、何本か見繕っといてやる」
「本当⁉︎」
「ああ」
さて、と。多分田口先輩ならその手のアニメにも詳しいだろ。あとで聞いておこう。
「あと、さ。もう一つお願いしても、いいかな?」
「ん? なんだ?」
「さっきの話。ボクも、一緒にラーメン行きたい……!」
「あー……じゃあ次行く時、風賀美も一緒に行くって朝倉に」
「ボクは……狭間くんと二人で行きたいんだけど……だめ、かな?」
二人で……だと……⁉︎
「よし行こう。いつでもいいぞ。部活帰りでもいいし、次学校が半日で終わる日でもいい」
不安げにこちらを見つめる風賀美を前に、俺は当然、イエスと言う他なかった。
朝倉? 先約? あんなメガネのオタク、白髪碧眼美少女に比べたらその辺に落ちてる石ころみたいなもんだ。しったこっちゃないね。
「やった! ありがと、狭間くん!」
可愛らしく小さくガッツポーズをする風賀美を見て、俺の判断は間違っていなかったことを確信する。
「あー……ただ、いつも行ってる店、ニンニクとか油とか結構きついから、別の店にするか? 匂いとか気になるだろ?」
そう言うと、風賀美は「なーんだ、そんなことか」と拍子抜けしたかのように言うと、両手を後ろに組んで、数歩遠かった。
「狭間くん、知ってる?」
そして、風賀美はその場でくるりと回ってみせた。
それに合わさり、スカートがふわりと膨らんだ。
「───女の子は、いつだっていい匂いなんだよ?」
花のような香りが、俺の鼻腔をくすぐった。
その香りはシャンプーか、柔軟剤か、それこそ風賀美自身の何かフェロモン的な香りなのか。
俺には判別することができなかった。
その言葉は、あまりにめちゃくちゃで、理屈もなくて、正直に言えば、痛々しい台詞だと思ったが。
そんなわけがあるか、と言わせない魅力を感じた。
俺は、教室に戻るなり、朝倉に言った。
「朝倉、ラーメンは当分先だ」
「あ? ……まぁ別にいいけど」