【02運命の出会い】
南部長との台本チェックから二週間過ぎ、春休みも明けた四月上旬。寒いだの暖かいだの、どっちつかずだった空気はすっかり春らしい生温いものへと変わっていた。
ちなみにあの後『突然空から降ってきたボクっ娘美少女に、ベタ惚れされている件。』はあえなく却下され、演目は三年の田山先輩が書いて来た、代々受け継がれる演劇部伝統のシリーズ『御伽探偵ホームズ』の新作に決まったのだった。
部長いわく却下の理由は『お前は新歓で、この作中六回ラッキースケベ小悪魔巨乳ボクっ娘メインヒロインラブコメをやるつもりか⁉︎』とのこと。
……恐ろしく正論だった。
新歓───正式名称『久城高校演劇部 新入生歓迎公演』。
衝動とは恐ろしく視野を狭めるもので、俺は入学ホヤホヤの新入生に向けた劇の台本を書いている事を、そもそも忘れていたのだった。
新入生向けの演劇にする、というのは想像以上に重要だ。
演劇部はほとんどの新入生にとって馴染みがない部活であり、新入部員確保のためにも、演劇に触れるきっかけとなる新歓の劇は非常に重要である。
……つまり、間違っても、求められているのは、作中六回ラッキースケベ小悪魔巨乳ボクっ娘メインヒロインラブコメなどではなかったのだ。
記憶力にはそれなりに自信がある方だが、今回の件、どうしてこうも間違った方向突っ走ってしまったのか。
春になると、その陽気に当てられておかしな言動をする人間が増えると聞くし、その類だろうか。
布団の中でもぞもぞとアンニュイな気分に浸っていると、
チュチュチュチュチュン‼︎ ……と、さえずりというには些かやかまし過ぎる鳥の声に叩き起こされる。
「うるせぇ……」
なんとかベッドから這い出てベランダの方を見ると、柵の手すりのあたりで、野球ボール大の茶色い塊がちょこちょこ動き回っているのが見えた。
中学時代に夜な夜なネット小説を読み漁り自力で下げた視力ではぼんやりとしたシルエットしか見えないが、スズメで間違いないだろう。
俺は観念して布団から這い出る。
そのまま勉強机に座り、鏡を見ながらコンタクトを眼球に貼り付けると、視界がようやくクリアになる。
卓上のデジタル式の時計を見ると、ちょうど午前十時に切り替わるところだった。
ピピッとアラームが鳴り始めるが、一瞬でそれを止める。
「勝ったな」
……何にだよ。
俺は、コンタクトに違和感がないことを確かめると、身支度を済ませ家を出た。
本来なら眼鏡で済むところをわざわざコンタクトをつけるのは、未だに俺が物語の主人公に憧れているからだろう。
それにしても、どう言うわけか、アニメ漫画ラノベゲーム、すべての創作物においてメガネの男子高校生主人公というのは本当に少ない。
特にラノベはことさら少ない……気がする。
どうせほとんどの作家は夜な夜なラノベを読んだ影響でメガネなのだから、その分厚いメガネに誇りを持って、かっこいいメガネ主人公を増やしていってほしいものである。
……と、コンタクトをつけたばかりの俺が言ったところで、どの口が言ってんだ案件でしかないが。
自転車に跨り、田畑混じりの住宅街を走ることで十五分。最寄駅であるJR光井駅に着く。
そして、さらにそこから五分ほど電車に揺られ、隣駅のJR久城駅から歩くこと十五分。
ようやく俺は久城高校の校門前まで辿り着いた。
校門には『千葉県立久城高校 入学式』と書かれた看板が設置されていた。
そう。今日は久城高校の入学式である。
現在の時刻は十一時前。既に式は終わり、今頃体育館は撤収作業中だろう。
在校生である俺は本来休みなのだが、新歓の練習のためにこうしてやってきたのである。
なにせ、新歓の本番が、明日なのだ。ここで休むわけにはいくまい。
今日練習するべき内容を頭の中で整理しながら校門を抜けると、学校特有の広々とした敷地が視界に入る。
正面には校舎があり、敷地の右端のほうには、校舎に並行するように屋根付きの駐輪場が奥まで続いている。
校舎の左手にはグラウンドが見えるが、今日に限ってはどの部活も活動している様子はなく、やけに静まりかえっていた。
すると、視界の端に人影が映った。
反射的にそちらを見ると、校舎の二階。昇降口の真上に位置する図書室のベランダに、女子生徒が一人、遠くを眺めるようにして佇んでいた。
思わず食い入るようにして見入ってしまったのは、彼女が、雪のように真っ白な髪をしていたからだろう。
風に吹かれたショートボブが、きらきらと反射する様は、まるで一枚の絵の様で、pixivのランキングに掲載されていても何ら違和感のない、Twitterならで二万いいねは有に超えるような、そんな光景だった
誰だ……あいつ。
久城高校は髪色の校則がかなり緩く、学年が上がるにつれ茶髪率が増えていく様はもはや伝統と言っても過言ではないが、あそこまで極端な色に髪を染めた生徒を、俺は入学してから現在までに見たことがない。
だとすれば新入生、だろうか。
入学式が終わって一足早く学校の中を見学しているのだと考えれば辻褄は合うが、あのド派手な髪色で入学式に臨んだというのは考え難い。
それに、どうしてわざわざ図書室の、それも一番奥にあるベランダなんかに居るのかも謎だ。
とはいえ、こうして考察を続けていても、当然答えは出ない。
俺は、彼女の学年を確かめようと、彼女のブレザーの左襟に目を凝らそうとする。
久城高校の制服の左襟には、校章をつける穴が空いていて、一年は赤、二年は緑、三年は青と、学年ごとに異なった色をしており、、そこから学年を判別する事ができるのだ。
だが、その色を確かめるより先に、彼女と目があった。
その直後、俺の頭にズキン、と鋭い痛みが走った。
「ぐっ……!」
頭の中で痛みが乱反射して飛び交うかのような不快感に、俺は苦悶の声を漏らしながら、額に手を当てた。
だが幸い、その痛みはすぐに引き始めた。
その事に安堵しながら顔を上げる。
すると、ベランダに立った白髪の女子が、ふらりとよろけた。
あの方向は不味い……っ!
悪い予感は見事的中し、彼女はベランダの柵に正面から叩きつけられるように倒れ込み。 そして、そのまま、くるん、と。
さながら鉄棒で前回りをするかの如く、その身体は、宙に投げ出された。
俺は知っている。この現実に、奇跡も、魔法も起こらないことを。例え二階の高さでも、そのまま地面に叩きつけられれば、ただではすまない事を。
それを知っていたからだろうか。
俺は、気づけば彼女の元へと走り出していた。
動け、俺の脚。可能な限り速く……!
俺は、自分が超高速移動をするイメージしする。
トランザム……! クロックアップ……! レシプロバースト……‼︎
なんでもいい、とにかく間に合え……!
そんな願いが通じたのか、俺は彼女が地面に叩きつけられるよりも僅かに早く、その落下地点へと滑り込んだ。
そして、両手を前に出し、その体を受け止めた。
間に合った……。
そう安堵したのも束の間。
次の瞬間、俺の両腕を激痛が襲った。
「ぐおぉ……」
冷静になって考えてみれば当たり前だ。
二階から降ってくる人間の重みに、文化部男子の細腕が耐えられるわけがない。
少しでも負担を和らげようと、腕を引き寄せながら腰を落としていく。
空から女の子って展開は、願ってもないが……!どうせならもっとマシな落ち方があるだろうが!
やはり、空から降ってくるならパラシュートを付けるべきだと、改めて思った。
大体、この手の出逢いは多少なりとも受け止める側に猶予があるものだ。かのラピュタだって「親方、空から女の子が!」と叫ぶくらいの時間はあったし、他の作品だって、魔法だったり、超人的な身体能力だったり、とにかくヒロインを十分に受け止めるだけの手段があるもんだろうが。
だが、やはり現実は非常だ。
腕が痛いわ、腰は落ちきって便所座りの姿勢になってるわで、見るに耐えない有り様だ。
俺は、ようやく彼女を受け止めた勢いを殺し切ると、とにかく彼女の様子を確認しようと、腕の中の彼女に視線をやった。
──── そして俺は、彼女の瞳を前に、呼吸を忘れた。
息を呑むような美しさとは、まさしくこういう事を言うのだろう。
その整った顔立ちもさながら。何より、澄んだブルーの瞳に視線が吸い寄せらる。
太陽の光を帯びて爛々と輝くその目は、その色も相まってサファイアのようだった。
息を吸う。たったそれだけの当たり前の行為を思い出す頃には、俺の心臓の鼓動はかつてないほどの速さで律動を刻んでいた。
息を吸うと言う、生命活動を行う上で、最重要な行為。
本当の衝撃の前では、人間は、それすらも忘れてしまうということを、俺は始めて知った。
彼女がゆっくりと目を開け、再び視線がぶつかる。
彼女は、何度か瞬きをすると、その小ぶりで艶のある唇を動かして見せた。
「───君が、ボクの王子様……?」
少し気怠げで、けれどとても心地のいい、芯の通ったソプラノが俺の鼓膜を震わせる。
ほとんど囁くようにして紡がれた言葉だったが、その一音一音は俺の体に染み込むように伝わった。
だが、だからこそ俺は、彼女が何を言っているのか、まるでわからなかった。
「王子……様……?」
彼女の頬が、ほんのりと赤く染まった気がした。
直後、彼女は俺の腕の中からするりと抜け出す。
「お、おい!」
彼女はストンと、足を揃えて着地すると、迷いのない足取りで左側、駐輪場の方向へと駆け出した。
思考がまとまらないまま彼女を追って、校舎の角を曲がる。
しかし俺は、曲がった先で呆然と立ち尽くしてしまった。
そこには閑散とした駐輪場が視界に映るのみで、彼女の姿はすでになかったのだ。
おかしい。確かにさっき彼女はここを曲がったはずだ。
「消えた……?」
いや、そんなはずはない。
俺は、駐輪場の方に駆けていき、あたりを見回った。
だが、どれだけ探しても、彼女の姿を見つけることはできなかった。
俺は呆然としながら、持て余した視線で舞い散る桜を追う事しかできなかった。
一枚の花弁がフェンスを越えて、敷地から飛び出していったのが、やけに印象に残った。
◆
ぼんやりとした思考で、部室のある四階を目指し階段を登る。
まるで白昼夢でも見ていたような気分だ。だが、階段を登るたびにじわじわと痛む手足が、確かに彼女を受け止めたことを証明していた。
……明日は筋肉痛確定だな。
●彼女は自分のことを『ボク』と言った。ボクっ娘である
今しがたの出来事、端的に言えば、
───ボクっ娘美少女が降ってきた、ということだ。
それに加えて彼女は、「君がボクの王子様?」と、なにやら意味深な言葉を言い残し、突然姿を消した。
……あまりに突拍子もなさすぎて、何が何だかわからない。
けれども、一つだけハッキリしていることがあった。
それは、彼女が、女子でありながら「ボク」という一人称を使う、いわゆるボクっ娘である、と言う事だ。
それはつまり、俺にとっての転換期が訪れようとしているということだった。
俺、狭間鳥太郎は、約十七年の人生において、今までに三度、ボクっ娘美少女との出逢いを果たしている。
そしてそれは、今にして思えば、そのどれもが例外なく、俺の人生に多大なる影響を与えるものだった。
といっても、男の子だと思っていた幼馴染が実は女の子で……とか、そういう甘酸っぱいものでは決してないが。
一度目は小学二年生の時。テレビをつけてたまたまやっていた女児向けのアニメを見て、女の子でありながらボクという一人称を使う。そのギャップに萌え。そして推しという概念を本能的に理解した。ここから俺はオタクの道を歩み始めた。
二度目は中二年生の時……はあまり思い出したくないので割愛。結果だけ言えば、俺はこの時のことがきっかけで、物語の世界に強い憧れを持つようになった。
そして、三度目は高校一年の時。ふらりと見にいった演劇部の新歓での出来事。
俺は、あの瞬間の事を、おそらく一生忘れないだろう。
なにせ、彼女との出会いこそが、それまでただの捻くれたオタクだった俺が、一歩踏み出して 演劇部入部することになったきっかけなのだから。
入学当初俺は、高校生活に特に夢も希望も抱いておらず、当然部活になんぞ入るつもりはなかった。
中学で半ば強制的に入部させられていた美術部で、思春期特有の人間関係の面倒臭さに辟易していたからだろう。
勉強、部活、そして恋愛。何事にも精力的に取り組む、いわゆる『青春』に憧れがない訳ではなかったが、それでも妬み嫉みに惚れた腫れた。
青春がそうした厄介事を運んでくるのなら、俺はそんな面倒なものはいらないと思っていた。
だから、廊下の掲示板に張り出された『演劇部新歓 おとぎ探偵ホームズ 〜アリス失踪事件〜』というタイトルに惹かれて、公演に足を運んだ時点では、入部するつもりは毛頭なかった。
部室──視聴覚室の両開きの大扉をくぐり抜けた俺を出迎えたのは、普通の教室とはまるで違う、異質な光景だった。
遮光カーテンが閉めきられ真っ暗になった部屋を、僅かなオレンジの証明だけが照らし、所狭しと設置されていた長机は撤去され、残されたパイプ椅子はステージの前に客席として数列にわたって並べられていた。
俺が空いていた最前列に座ると、開演のブザーがすぐに鳴り出した。
そして、灯りのついた舞台の中央には、ぶかぶかのコートと探偵帽に身を包んだ、青髪の美少女が立っていた。
少女は探偵帽のつばを左右に揺すると、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
「なるほど。僕、この事件の犯人、わかっちゃった!」
その体躯に相応しい、鈴の鳴るようなかわいらしい声に、俺は探偵少女から目が離せなくなったのだ。
───手を伸ばせば届く距離に、『ボクっ娘美少女』が存在していた。
「演劇は二次元の妄想を三次元にもたらしてくれる」そのことに気づいた俺は、自分の妄想を現実のものとする事を決意し、その日のうちに入部届を提出したのだった。
とはいえ、大勢の人間を巻き込む、部活という活動において、個人の妄想のみを詰め込んだ台本が採用されるはずもなく。俺は自然と、観客を楽しませる事優先した無難な台本ばかりを書くようになった。
ひょっとして、二週間前のあの日、俺が急にベタなラブコメを書きたくなったのは、その反動だったのではないかと思う。
それに、理想と現実のギャップがあるのは、役者だって同じだ。
いくらステージの上でかわいらしいボクっ娘美少女ホームズだったとしても、舞台を降りてウィッグを外せばただの女子。
その上、あの人の場合、おまけに男嫌いときたもんだ。
どうしようもなく造りもので、敢えて言うのならば、『偽物』だった。
だからこそ俺は、白い髪に青い瞳を持ち、突然空から降ってきた彼女は、今度こそ『本物』なんじゃないかと、そう思わずにはいられなかった。
名前、学年も、クラスも分からずじまいだが、あれほど目立つ容姿ならば、すぐにでも有名になるだろう。きっとすぐに再開することができる。
俺はひとまず、ポケットからスマホを取り出し、『今ボクっ娘美少女が空から降ってきたんだが』と、友人にLINEを送ると、部室の両開きの扉を開けるのだった。