魔窟〈1〉
突然、炎蓮さんが自分の部屋となっていた医局に入ってきた。
「一慶、準備をしろ。都に行くぞ」
本当に突然だった。杏仁豆腐を作るために行なっていた仁の処理も今朝方に始めたところだったが、こればかりは仕方ない。
水に浸していた仁をザルに移しながら、炎蓮さんを席に促した。
「都って……長安ですか?」
どっちだったかな、洛陽?
「いや、洛陽だ。大将軍の
それもおかしな話だろう。大都市の医者が治療して終了が普通の流れじゃないだろうか。それをわざわざ地方から招集して治療に当たらせるわけだ。
「派遣を命じたのは
「董卓ですか!?」
「なんだ、やはり知っておったか」
董卓と言えば三国志きっての悪役。専横の限りを尽くし、残虐さと冷酷さを持ち合わせた暴君だ。でもこの世界なら……なんだろう、高笑いする悪役令嬢キャラみたいな感じなのだろうか。意地の悪い、縦巻きロールの金髪を想像してしまう。
ノコギリみたいな刀とか、鎖分銅や爆弾を多用するのだろうか。会いたくない。
いやまて、董卓ということは
「まぁ、それなりに……病状は分かりますか?」
「秘匿事項と言いながらも、遣いが言うには意識はあるらしいが、腹痛と嘔吐で突然倒れたそうだ。面倒な事よ。治療に失敗すれば斬首は免れん」
「ざ、斬首……」
「流石に怖気づくか?」
「いえ、行きます。何とかして治しましょう」
腹痛。都の医者達は薬を投与していて効果がないと匙を投げた。効いていないのであれば、開腹手術を行う必要があるか、それでなければ重度の感染症。コレラなんて起きてしまえば、都は瞬く間に廃都となるだろう。
あるもの全て持っていく必要がある。ただ、都に行くことに対して、一つだけ問題があった。
「炎蓮さん、すみません……馬に乗れません」
炎蓮さんの表情は呆れに変わっていた。
「緊張感が消えたわ……全く……」
「帰ったら騎乗の訓練だな」
「天の国では、馬に乗らへんのか?」
「もっと便利な乗り物があったからなぁ。馬に乗る人はほとんどいないよ」
都に行くのは炎蓮さん、雷火さん、冥琳、霞と自分の五人。そして精鋭の近衛兵士の皆さん。
他の将はお留守番だ。雪蓮も行きたがっていたが、炎蓮さんの拳骨を食らって大人しくしていた。かなり良い音がしたから心配したけど、大丈夫だろう。冥琳も心配していなかったし。
情けないことだが、自分は霞の馬に乗せてもらっている。いい香りがしてたまりません。漢方薬を含めた大荷物は荷車に載せているから、そっちに移ったほうが良いのかもしれない。
「炎蓮様、慶はどうされますか」
「禁中では杏林として行動してもらうが、治療が終われば天の御遣いと喧伝すればいいだろう。婆よ、慶の都で立ち振る舞い、道中で叩き込んでおけ」
「御意」
「もう、慶が治療すると分かっているような口振りですな、炎蓮様」
「都の医者が治せないなら、慶しかおらんだろうからな」
道中は勉強タイムになった。
「しっかしあの肉屋、そのまま退けば良いものを……あぁ、肉屋と呼ぶのも禁句じゃ」
「でしょうね」
と言っても、ある程度の礼儀作法を教えられただけ。
「あとは、多く喋りすぎないことじゃ。言葉を交わせば交わすほど、付け入る隙を与えるようなもの。気を付けるのじゃぞ」
「分かりました」
霞のいい香りを前面に受けながら、一路洛陽へ。
霞は無言で、少し曇った顔をしているように見えたのだった。