「その、きょうと、って言うんは、どこの州にあるんや?」
「いや、州じゃなくて……」
仮に三国志の世界に来てしまったのなら、中国大陸だよな。日本ってどう説明すればいいんだ?
「日本は、分からないよね?」
「にほん?」
ですよね、分からなくて当然である。
「えぇっと、この国から海を渡って、東にある島国で……大和は……もっと後の時代か。邪馬台国……って言ったら分かる……?」
張遼は腕組をして考え込んでしまう。どうやら分からないみたいだ。他にあったっけ。
「やまたいこくってのは分からんけど、あの
「あぁ、多分それで合ってると思う」
徐福と言えば、秦の始皇帝の時代に不老不死の妙薬である水銀を探して旅をした人物だったか。日本に到達したのも後世の伝説なんて言われるが。もしや本当だったのか?
いかん、別のことに思考が囚われてしまう。ある意味現実逃避だ。それぐらいに分からないことが多すぎる。現状を考えることを放棄したいぐらいだ。
「じゃあ海を渡ってきたんか?」
「いや、病院にいたんだけど……」
「は?」
「俺にも訳が分からないんだ……」
むむむ、と張遼も悩み始めてしまう。
すると、部屋の外が騒がしくなってきた。
「何かあったんか、ちょっと待っててな」
張遼は部屋を出ていってしまう。そしてすぐに、血相を変えて戻ってきた。
「大変や! 兵が馬に頭蹴られてしもうたらしい!」
聞くと、騎兵の訓練を行っていた兵士が頭を蹴られ、昏倒しているらしい。
「俺が行く」
テーブルの上にあるバッグを掴み、部屋を出ようとすると止められてしまった。
「は?」
「俺は医者だ。早く患者の元に!」
「……分かった!」
張遼は、覚悟を決めた武人の目というのだろうか、鋭いものに変わった。
部屋を出てみると、それなりに広い屋敷のようだ。話を聞くところ、張遼も夜に建業に入ったらしくあまり大きく動くことができないという。
やっとの思いで辿り着いた広場には人だかりができていた。
「大丈夫ですか! 私は医者です。助けに来ました!」
そう言っても、人だかりは道を開けない。むしろ、諦観の様相をしているものがほとんどだ。
「お医者様か……?」
同じく訓練をしていた兵だろうか、声を掛けてきた。
「……ありゃあダメだ。頭がパックリ割れちまってる」
「ダメじゃない! 早く道を開けろッ!」
押しのけるように進む。仰向けになって寝かせられている患者は……
「な? 頭が割れちゃ、どうにもなんねぇ……」
先程の兵が声を掛けてくる。
「まだ助かる可能性がある……! 誰か、戸板でも何でもいい。彼を屋内に移動させたい! 手を貸してくれ!」
渋々ではあるが、数人が屋敷の戸板を外して持ってきた。そして兵を乗せる。
「どこか、安静にできる場所は?」
「おう、オメェら! 騒ぐんじゃねぇぞ! 客間だ。そこを使え!」
同じく、兵に訊いたその時、威勢の良い女性の声が響いた。
「そ、孫堅様……」
「え?」
声の方を向けば、妙齢の女性が立っていた。
「……お前、ソイツを助けられるのか?」
そして問うてくる。ここで問答をするのも時間の無駄だ。
「助けます。あと、用意してほしいものが」
「……何でも言え」
俺を値踏みするように、頭の先から足元までくまなく見て、孫堅と呼ばれた女性は頷いた。
「血を見ても動揺せず、大人しくできる方と、火箸をその客間へ」
「
『はっ』
「この男を手伝ってやれ」
『御意』
孫堅の背後から現れた二人の女性、公瑾と公覆、恐らく
「この白衣は貴様のものだろう。かなり汚れていたのでな、綺麗にしておいた」
公瑾と呼ばれた、綺麗な黒髪の女性が白衣を手渡してきた。
「ありがとうございます」
地震の際の治療中に血と埃で汚れていた白衣は、新品同様に綺麗になっていた。ありがたく受け取り、袖を通す。やはり、コレを着ないと始まらない。
戸板を持った兵たちは客間に移動し始めたため、自分たちも移動を始める。その客間というのも、自分が寝ていた部屋の隣だった。張遼が七輪と火箸を持ってきて、手術の準備が始まる。
兵士は寝台に寝かすほどの振動でも、痛みに悶絶することもなく意識を失っている。バッグには一通りの手術道具が入っていた。エーテルも入っているため、麻酔も行える。同じく入っていたアルコールで消毒を済ませ、患部を覗き込んだ。
(出血は酷いが、縫合すれば問題はない。あるとすれば、脳へのダメージか……)
「彼が倒れた時の様子を教えて下さい」
運んできた兵士に訊いた。二人は静かにして、俺をずっと見ている。視線だけで射殺すことができそうなほどに鋭い。普通に怖いです。
「最初は頭を押さえて呻いてたんだ。でも一刻も経たないうちに話せなくなって、ブッ倒れてしまって」
(急性硬膜外血腫か? マズいな)
「すぐに手術を行う必要があります。だれかハンマー、いや
「は……はい!」
兵士は勢いよく部屋から飛び出す。朝の時間帯で、朝食の準備もあったのだろう。熱湯と道具類はすぐに届けられ、俺はその道具たちを湯桶の中に放り込んだ。
「……何をしているんだ?」
俺の行為が謎に思えたのか、公瑾が声を掛けてきた。
「熱湯消毒です。詳しいことは後で説明します。周瑜さんと黄蓋さん以外は退室してください。あ、張遼も残って」
『っ!?』
まさか、三国志の時代に現代医療で手術を行うなんて思わなかった。
「皆さん、口元は当て布をしてください。これは、話しても唾が飛ばないようにするためです。とにかく清潔に保たないといけません……そして、これから何を見ても絶対に取り乱さないと約束してください! では始めます」
まずは麻酔を行う。
コットンにエーテル麻酔を浸し、鼻を軽く押さえる。少々時間がかかるが、問題ない。注意すべきは火箸の存在だ。エーテルは引火物であるため、扱いを誤れば大惨事。そのせいで現代では使われなくなったが、方法を学んでいて良かった。
(近藤くん、災害時に電気が使えなくなったら麻酔はできなくなる。しかしエーテル麻酔は電気がなくとも行うことができるんだ。しっかり学びなさい)
過去に教授から言われたことが、まさか三国志の世界で役に立つとは思わなかったが。
次に火箸で止血を行い、メスで頭蓋骨を露出させる。
「貴様、何を行うのだ?」
「これから、頭蓋骨と脳の間に溜まった血を抜きます。先程、一刻の内に話せなくなり、そのまま倒れたと言っていました。恐らく、蹴られた衝撃で頭の中で出血して脳を圧迫した結果、意識を失ってしまったんです。あと黄蓋さん、俺は近藤と言います」
「っ……あ、あぁ……分かった」
実際、硬膜よりも内部であれば、抗生剤もないため手術はかなり厳しいものになる。せめて硬膜外であって欲しい。これは一種の賭けでもあった。
「張遼、火箸を」
火箸で止血を行う。人の肉が焼けていく臭いが漂い始めるが、気にしないで続けていく。
「周瑜さん、鑿と鎚を取ってください。黄蓋さんはすみませんが燭台を灯して、俺の手元を照らしてください」
照らされた頭骨に鑿をあてがい、少し強めに鎚を振る。
鈍い音だけが客間に響き続けた。そして、血腫が見えた。
「な、なんと……」
黄蓋はショックを受けた顔になっている。いや、公覆だけではない。俺以外の全員が、顔を
鋏を使って骨をかじり取っていく。
ペキペキという嫌な音がしながら、頭蓋骨が少しずつ剥がれていく。
「っ!?」
驚いたのか、黄蓋の持っていた燭台が僅かに揺らぐ。
大量の木綿が消費されていく。木桶の中は血で染まった布で一杯だった。
「……大丈夫、これで彼は助かります!」
「ほ、ホンマか?」
張遼はおずおずと患部を覗き込んで、顔を顰めた。仕方ない。むしろ三人が冷静にしてくれたお陰で、スムーズに手術を行えた。
「後は一部の血管を
額も痕が残らないよう、丁寧に縫合し、無事に手術は終了。
そして一息つく間もなく、自分は拘束されたのだった。