「つまり、その黄巾党から逃げる為にこの街にいたのだな」
自分が目覚めて三日が経った。感情を表に出した雪蓮と冥琳に和みつつ、
そして今日は、街の統治を任されている劉備たちを除く主要メンバーで、天和たち……張三姉妹と病室で話していた。
「確認だけど、担ぎ上げていた黄巾党幹部は、張角たちを奪還するために戦を仕掛けてきたのよね?」
「そうなるね……あっ、まさか」
雪蓮の問いに対して、梨晏は全てを理解したと言いたげにニヤリと笑う。
「まさか……雪蓮と劉備が倒した……とか? 本当か?」
もしそうであるなら万事解決だ。
「本当よ慶。ソイツを討ち取ったから戦が終わったんじゃない」
であれば、天和たちを安全に保護をすることができる。今後の作戦はとても簡単だ。幹部が持ってきたという『太平要術』とやらは妹の
曹操に返却すれば喜んでくれるだろうが、直ちに焼却処分だ。また誤って誰かの手に渡れば同じような乱が勃発するかもしれないため、こんな危ない物を残しておく必要がない。『あら、大賢良師張角の
ちなみに太平要術は道家の荘子が仙人となった時の姿、南華老仙が張角に渡したものとして三国志演義で描かれる序盤の重要アイテムである。史実で存在したかは分からん。あってたまるかそんなテロ扇動アイテム。
それでなくても、これから大乱の時代の幕開けなのに。
ちなみに旅芸人の天和を、張角であると認識している者はいない。つまり彼女たちを
昼食を摂るために、作戦会議は終了となった。我が脚は城の外へと向かっているものの、その足取りは若干重い。現在の悩み事、それはこの街の噂にあった。
『江東の狂虎が従えるは
『漢代炎帝神農現る』
『大賢良師より杏林大師』
『医者の姿をした
何故、このような噂が出回っているのか。それは天和を助けた際、野次馬を追い払わなかったことが原因だった。
住人や兵士曰く、医者が謎の言葉を早口に叫び、虎の娘たちを怒鳴った後に死者が蘇ったと。
曰く、黄巾の者たちが医者に殴打され吹っ飛んだと。
曰く、神仙の術や妖術を扱い街を救済した怪しい人物だと。
実のところ、天和をどうしても助けたくて、咄嗟にテンパった治療指示を出しただけである。あと敵をホームランしていたのは星だ。自分ではない。
思いもよらない噂で、恥ずかしくて建業に帰りたい気分であった。先に戻って、斉国に蜻蛉返りをした雪蓮たちが羨ましくもあった。
自分は褒められたいがために医者になったのではない。目の前の人を助けるため、それだけであったため、手放しの賛美を受けたことは初めての経験だった。ただ単純に気恥ずかしい。
街を歩けば、住人はその場に立ち止まって自分が通り過ぎるまで頭を垂れ、中には跪く者もいて、まるで江戸時代の侍のようだ。
城外に出ればこの状態で、幾ら訂正しようにも直ることは無かった。
母さまでも、ここまでされること無いわよ。とその姿を見た雪蓮は言ったそうな。
「と言うわけで飲むわよ! 慶!」
「何が、と言うわけなんだ。そりゃ飲み会出来てなかったけど」
昼食を頂いてから、城に戻ると雪蓮に庭へと連行された。徳利と盃を用意して、庭の東屋へと促される。
「貴方が倒れたって聞いて、建業から蜻蛉返りしたのよ? 酒積んできたんだから、ほーら!」
盃を無理やり手渡されると、酒をなみなみと
「……乾杯」
「えぇ、乾杯」
交わされる盃、勢いでちょっとだけ零れる酒。アテとして用意されていた塩漬けの干し肉も、とても美味しかった。
「雪蓮、ありがとう。やっと一緒に飲めたなぁ」
酒を持ってきた張本人はグビグビと盃を空にして、また注いで、飲み干していく。
「注ぐよ」
「あら、ありがと……っとっと、んっ、美味し〜♪ ほら、ご返杯よ」
自分の盃もなみなみと注がれて行き、琥珀色の液体が満たす。
久々の酒だ。これから起こす三姉妹のための作戦までの余暇だと思えば気分が楽になる。
「黄酒も旨いなぁ」
「あ、そういえば天の国にも酒ってあるの?」
「勿論あったよ。日本酒とか、焼酎とか。種類を数えだしたらかなり多い」
学生時代には、ほぼ毎晩バーに通うぐらいだったし。店で先生に会うこともしばしば。そのまま課題の話で大盛りあがりなんてこともあった。
「飲んでみたいわ! ねぇ、造れないの?」
言うと思った。呉の女性たちの酒好きにも慣れてきた。
「かなり器具も大掛かりになるから難しいかも。もっと平和になってから、試してみようか?」
「平和になってからか…………そう、慶も覚悟を決めたのね」
「うん。元の世界に戻ることは考えないようにした」
夢で貂蝉と卑弥呼に会って分かったことは、もう元の時代に戻れないということだ。
自分はこの時代に根を下ろし、医者として生きていく。
「嬉しいって言うと、間違っているかもしれないけど……私は良かったって思うわ」
気を良くして、雪蓮は何度も何度も乾杯を繰り返す。自分も何度も何度も乾杯に応える。それでも今回はベロベロに酔っ払うことは無かった。
水が合う、という言葉がある。
その土地の水を飲み、その水で育った作物を食べる。今までこの時代の料理も酒も水も、当たること無くこの身体の糧となってきた。
雪蓮と酒のおかげで、やっとこの時代に受け入れられたような気がした。