真・恋姫†夢想 〜日付のない墓標〜   作:世良緋那太

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『K2』を22時から読んでたんですよ。

気がついたら朝の6時になってました。超ビビった。


緑礬〈1〉

 機械というのは、なんと便利なものだろうか。

 

 

 屋敷が完成するのはまだ時間がかかる。今は城にある医局で無機質な板(スマートフォン)から音楽を流しながら、今後必要になる物資のリストアップを行なっていた。

 

 

「世界じゅうを僕らの、涙で埋め尽して~、やりきれないこんな思いが~今日の雨を降らせても~」

 

 斉国から戻り、炎蓮さんから休暇を言い渡されて二日目、暇を持て余していたのである。

 

「新しいこの朝が、いつものように始まる~」

 

 休日も仕事に関することを、と言うと聞こえはいいが、単純にやることが無い。現代の社畜のような思考状態である。

 

 

 旅に出たい気分に……と思ったが、思えば遠くに来てしまったものだから、その考えも立ち消えになる。

 

 酒を飲む気にもならない。朝から飲んだくれては冥琳からも飽きられること間違いなし。雪蓮が二人になったと嘆くことだろう。

 

 

 ずっと頑張ってくれていたボールペンも、色が掠れてきた。

 

「そんなふうに……あ、インク切れか?」

 

 替え芯があって良かった。もし替え芯が無くて再利用……よく漫画でボールペンを分解して肺や喉に刺して気道確保をする、胸腔ドレーンの代わり、と考えたがアレは無理だ。

 

(胸腔ドレーンも作らないとな……)

 

 そこまで考えて、なんでメモ機能を使わずに貴重な紙とインクを使ってしまっているのか、と頭を抱えた。もったいない。

 

 

 朝風呂でリフレッシュしようと思ったが、大浴場が使えるのは三日後である。

 

 気分を変えるために街に出ようと、机上の資料を片付けようとしたその時だった。

 

 

 

「慶くん、ちょっと良いかしら?」

 

 粋怜が医局を訪ねてきたのである。

 

「どしたの粋怜……雷火さんに祭さんまで」

 

 呉の宿将が勢揃いだ。雷火さんがいるから、酒の用事ではなさそうである。どこか怪我をしたような様子もない。

 

「遠乗りするのでな、お主も誘ったほうが良いじゃろうと雷火がな」

 

「雷火さんまで遠乗りとは珍しいですね。行き先はどこなんです?」

 

「温泉じゃ」

 

「おぉ!!」

 

 このお誘いには乗らねばなるまい。疲れ切ってバキバキに凝った身体を労るのだ。

 

「慶も、風呂に入れんと嘆いておったじゃろう?」

 

「さすが雷火先生! ありがとうございます!」

 

「こんな時だけ先生と呼ぶのはやめんか。許可は取ってある。早く準備せい」

 

「はいただいま!」

 

 風呂に入れないなら温泉に、なんで思いつかなかったのだろう。着替えや諸々の道具を持って、早々に出発したのだった。

 

 

 

 

「このまま行けば、夕暮れまでには温泉街に着きそうね」

 

 出発したのが朝。途中の街で昼食を摂り、馬を走らせる。旭も気持ち良さそうに走るのだが……。

 

「慶ももう少し、馬術を上達させねばのぉ」

 

「は、早い……」

 

 一番ゆっくりな雷火さんに付いていくだけでも精一杯である。粋怜と祭さんはめちゃくちゃ早い。少しぐらい、ペースを合わせてくれても良いと思う。

 

「ある意味、慶くんの訓練も兼ねてるからね~」

 

「内股が痛む……」

 

 斉国から戻ってくる時は、疲れもあって行軍速度を落としていた。その何倍ものスピードで走るのだから、とてもじゃないが疲労の溜まりが早い。

 

「早く着けば、その分温泉を楽しむ時間も増えるんだから……ほら、急ぐわよ!」

 

 

 急いだ分、温泉宿に着くのは早かった。山間(やまあい)の小さい宿場町と言うべきか、静養に向きそうな所だった。まだ街の入り口だと言うのに、湯煙りに乗って硫黄の臭いがする。

 

 旭たちを宿の厩舎に繋いで宿に入る。和風の宿のように玄関部が広く、綺麗な女将が出迎えてくれた。

 

 

「なかなか良い所ですね」

 

「大殿から教えて頂いた宿じゃからの。慶よ、私も言えたことではないがしっかり休め。大殿が心配なさっておったぞ」

 

 雷火さんが休め、と言うのも珍しい。雷火さんこそ仕事の鬼であって、休めと言われても趣味で論語の註釈を書くような人だ。

 

 

「手術で血や死人を見ているとは言え、戦場(いくさば)で死にゆく者は見慣れておらんだろう。身体も休めねばならぬが、まずは心を休めるようにと、大殿は言っておった」

 

 報告でも進言してはいたが、炎蓮さんは周りをよく見ていたのだろう。自分が隠していた心の負担まで見抜いて、この温泉まで連れて行くようにと言ったのだろうか。まして、自分の恥にならないように配慮までしてくれて。

 これが上に立つ者、孫文台の懐の深さと、多くの者が彼女の下に集う理由なのだろう。

 

 

「すみません……」

 

「なぜ謝る。帰ったら、礼を言っておくのじゃぞ」

 

「……分かりました」

 

 粋怜も祭さんと一緒に宿へと入る。景色の良い部屋に通されたが、自分の部屋だろうか?

 

「えーと、俺の部屋は……?」

 

 自分の一言で宿の主人が凍った。

 

 

 

「誠に申し訳ありません! 大殿様にご紹介して頂いたのにこの失態、全ては私の責任! 私一人のお手打ちにて勘弁してくださいませ……っ!」

 

「い、いや、手打ちだなんてそんな……こちらも人数が増えたことを伝えてなかったようですし、お気になさらず……何か仕切りになるものがあれば大丈夫ですから」

 

「すぐに、すぐにご用意致します! 劉仁様のお心遣い、地獄に仏とはこのこと……!」

 

「そんな大げさな……」

 

 

 お約束。

 

 

 自分の部屋が無かった。見目麗しい宿将たち(内、蟒蛇(うわばみ)が二人)と相部屋である。

 

 しかも宿は満室御礼で、仕方なく旭と厩舎で寝ますと言うと、宿屋の主人は顔を真っ青にしていた。

 

 

 また、男が増えたことを聞いていなかった宿屋の主は、呉軍の将に失礼なことをしたと、お手打ちも覚悟で平謝りをしてきたのである。通信技術も無い時代に、追加で一名増えますと土壇場で伝えることは土台無理な話である。こちらにも否があるのだ。

 

 しかも、そこまで誠心誠意謝っているのだ。自分的にも仕切りさえ用意してくれれば問題ない。更にお詫びとして夕食をもっと豪華にしてもらえると言うので、ありがたく受けることにした。

 

 あと、気になって主人に訊いてみたのだが、西方から新宗教として仏教が流入しているらしい。なるほどこの時代だったのか、地獄に仏なんて言うわけだ。

 

 

 

 

 そして、待ちに待った温泉である。

 

 

 お詫びで一番風呂を頂けることになり、貸切状態の露天風呂。湯に浸かり、出てくる声は万国共通。漂う硫黄の香りも日本と変わらない。

 

 違う所といえば、カランや鏡が無かったりするところか。建業に戻ったら、大衆浴場とかを作る案を出してもいいかな。健康にも良いし。

 

「あ゛~、最高過ぎる……」

 

 想像していたよりも広い露天風呂の奥の方で、じっくりと温もる。夕暮れ時、山の端はオレンジ色から薄紫色へ。そこからは釣瓶落としで二十分も経たないうちに真っ暗になった。

 

 熱すぎない水温で、長時間入ることが出来そうだ。湯気も多く、周囲があまり見えないからちょっと危険かもしれない。

 

 最近は見なくなったが、こうした露天風呂で日本酒を飲めたらな、なんて思ってしまう。でも、夕食時には大量に飲まされるんだろうなと思うと、少しだけ胃が痛んだ。

 

 

『かは~気持ち良いのぉ』

 

『ちょっと、オッサンみたいな声出さないでよ』

 

『良い湯じゃな……身に染みるようじゃ』

 

 

 遠くから宿将たちの声が聞こえる。彼女たちも温泉を楽しんでいるようだ。

 

「思ったより広いわね~」

 

「泳ぐでないぞ、はしたないからの」

 

「分かってるわよ。湯気で奥が見えないから、ちょっと見てくるだけ」

 

 

 粋怜の声と共に、ザパザパと歩く音が聞こえる。

 

 ……はて、なんで俺の所まで波打って来てるんだ?

 

 いやまさか。粋怜がここに? 待て、ちゃんと脱衣所で……あれ、見たっけ? 見たよな?

 

 嫌な予感と共に心臓が早鐘を打ち始める。早く逃げろと意識が訴えている。

 でも逃げるってどこに?

 

 

 右?

 

 

 それとも左?

 

 

 ダメだ。どっちも相手の視界に入るから無理。ならば……南無三!

 

 

(いや、潜ってどうする!)

 

 ならば下、と潜ったが……ここからどうするんだ。息も長くは続かない。

 

「……」

 

 粋怜の足が薄く見えた。早くそこからどいてくれ! (きびす)を返して戻ってくれ!

 

 

「……フフッ」

 

 

 笑った? 笑ったよな今。そして自分の隣に腰を下ろしたではないか。そして俺の頭を軽く押さえてきた。

 

「すいれ……ゴボッ!?」

 

 慌てて立ち上がろうとしたら、強く抑えられてしまう。

 

 

「慶くん、静かに。今騒いだら、雷火先生に殺されるわよ?」

 

「……はい」

 

 粋怜の身体を見ないよう、背を向けて呼吸をする。

 

「脱衣所だけ分かれていて、中は混浴みたいね、この温泉」

 

 先に言ってくれよ。どうするよこの状況。てかそんな構造アリかよ。

 

「す、粋怜さんや……取り敢えず俺は出ますんで……」

 

 小声でボソボソと話さないと、雷火さんや祭さんにバレる。覗き魔の烙印を捺されて、そうなれば……自分の居場所なんて……。

 

 

 

 

 

『慶が女湯に入って来たぁ!? 私と冥琳の時は入ってこなかったのに!? ちょっと、どういう了見よ慶! 私に魅力が無いって言うの!?』

 

 

『ほう、慶が女湯に……構わんではないか、町人に迷惑を掛けたわけではあるまい?』

 

 

『慶が女湯に入ってきた? 良いじゃねぇか! 孫呉に血を入れろと言ったのはオレだ。ようやくその気になったか慶!』

 

 

 

 

 

「……あれ、意外と大丈夫っぽい?」

 

 何でだろう。想像の皆は斬り掛かって来そうに無い。雪蓮だけ意外な理由で怒ってた。あくまで想像だけど。

 

「顔を赤くしたと思ったら青くしちゃって。仮にも女が隣にいるのに背を向けて……えいっ♪」

 

 色々と考え事をしていたら、ふにょん、と柔らかいものが背中に押し付けられ……は?

 

「ちょ!? 粋れむぐぐっゴボッ!?」

 

「静かにね~?」

 

 

 

 

「お医者様! お医者様はおられませんかぁ!」

 

 助かった、この窮地を脱するための声。粋怜も力を弱めたため、急いで距離を取ることに成功する。

 

「……粋怜、ちょっと行ってくる」

 

「仕方ないわね……私も祭と雷火先生を連れて後から向かうわ」

 

「頼む」

 

 颯爽と立ち上がり、猛スピードで浴場を後にする。まさか自分がいるとは思わなかった祭と雷火さんが驚愕の声を上げていたが、そんなことはどうでも良かった。

 

 お叱りなら後で受けよう。優先すべきは、この声の主だ。

 

 

「何かありましたか!」

 

 声が聞こえた宿の玄関に向かうと、女将と旅人がいた。

 

「あぁ、劉仁様……」

 

 女将が安堵したような声を出す。

 

「見たところ、急患はいないようですが?」

 

「いえ、先程この旅人の方が立ちくらみで倒れて……」

 

 

 女将がチラッと旅人の方を見ると、バツが悪そうな顔をして旅人が話し始めた。

 

「さっき、立ちくらみがあったんですが……すぐに治まりましたので大丈夫です」

 

「何かあってはいけない。一応診てみましょう。立ちくらみがあった時の状況は?」

 

「綺麗な一番星が見えたもので、上を向いたら首が痛く感じてフラッと……」

 

「普段されているお仕事は?」

 

「近くの街で文官を……」

 

「手が痺れませんでしたか?」

 

「す、少しだけ……」

 

 

「杏林、何があったの?」

 

 粋怜たちも風呂から出て、玄関までやってきた。

 

「あぁ、徳謀。大丈夫だ。原因は分かったよ」

 

「そうなの?」

 

「上を向いて立ちくらみがあったのは、椎骨動脈が圧迫されたことによるスタンダール症候群だ」

 

「ついこつ?」

 

「す、すただ……?」

 

 聞き慣れない言葉で、祭も雷火さんも困惑状態だ。

 

「だからただの立ちくらみで、俺は大丈夫」

 

「大丈夫ではありません。仮に血栓でも出来て、そのまま湯に浸かれば血流が増大してまた倒れることになる。貴方が行くべきは温泉ではない! 病院だ!」

 

 

 

【スタンダール症候群(シンドローム)

 

 フランスの作家、スタンダールが一八一七年に初めてイタリアに旅行した時にフィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂のフレスコ画を見上げていた際、突然眩暈(めまい)と動揺に襲われ、しばらく呆然としてしまったことから名付けられたもの。

 

 首を長時間後ろに反らしていると起きる。

 首の両脇から小脳、脳幹、後頭葉などに血液を送る椎骨動脈が圧迫され、血流が一時的に少なくなる。それにより眩暈が起きると言われている。

 酷い場合は血栓による卒中も起きる。

 

 別名:美容院脳卒中症候群

 

 

 

 

 病院だ、とは言ったもののこの温泉街には診療所のようなものが無く、結局は宿の玄関で軽く治療を行うことになるのだった。

 

「こういった病気は机仕事をしている者に多い。幸い、立ちくらみがあってからそれほど時間が経っていない。しばらく横になってから明日、温泉に入れば良い。あとは、肩甲骨をほぐすと普段から予防ができる」

 

「あ、ありがとうございました……」

 

「劉仁様、ありがとうございます……」

 

 宿のお客たちは、何が起きたのかと集まってくる。そして自分が建業の医者だと分かると、各々が身体の不調を訴え始め、ついには温泉街全体の病人の治療を行うことになってしまったのであった。

 

 

 

「慶よ、わしらは先に部屋に戻っておるぞ」

 

「あ、雷火さん……すみません。せっかくの休養に」

 

「よい、それがお主の役目じゃろうて……夕食の時間には切り上げるのじゃぞ」

 

 

 そう。本来は休養としてこの温泉に来ていた。それを仕事の時間に変えては休養の意味が無くなる。でも、この行動によって、街の人が炎蓮さんへの信頼を更に増幅させるのであれば、別に苦ではない。

 

 

 残りの治療は明日。改めて回診することにしたのだった。


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