術後の経過は順調そのものだった。
特に大きな問題もなく建業へと戻ったのが、あの火事から九日後の事。
既に早馬を出して報告を行なっていたため、城の重鎮達に怒られることもなかった。そして今は報告を兼ねて炎蓮さんの部屋に来ていた。
「まさか雷火まで火事に巻き込まれるとはな。本当に助かった。
「いえ、無事に救出が出来て良かったです。あと一歩遅れていたら、自分も含めてここには居なかったでしょう」
炎蓮さんは、こうして二人だけの時は一慶と呼んでくれる。本来の親から貰った名前を忘れないようにという配慮からだった。
雷火さんは特に酷い火傷を負うこともなく、梁が落ちてきたことによる打撲も癒えている。小柄な体格だったこともあって、有害な煙を吸わなくて良かったのが救いだった。唯一のダメージは、綺麗な銀髪が若干焦げてしまったことぐらいだろうか。
だが、若干とはいえ髪は女の命である。そういったメンタルケアも含めて、雷火さんの髪を整えたのも自分だった。
「婆も髪のツヤが戻ったと喜んでおったわ。で、わざわざ部屋で報告とは何事だ?」
「少し相談がありまして」
「申してみよ」
「ふむ、硝子職人と炭職人の紹介か。その神の住む山の話は聞いたことがあるな。そこにお前の望むものがあるのだな?」
薬品類の保管として、ガラスは必須だった。特に、これからの『神の住む山』攻略には間違いなく必要になる。
「そうです。冥琳や穏の眼鏡を見て、建業にも硝子職人がいると思いまして」
「分かった、紹介しよう。そうと決まれば城下に出るか!」
「え、炎蓮さんも?」
勢い良く立ち上がった炎蓮さんに驚いてしまう。
「当たり前だ。紹介するのはオレだ。一慶が何をするのかも気になるのでな。なに、護衛のことは気にするな」
「あっ、炎蓮さん! はぁ、もう行ってしまった……」
炎蓮さんは部屋から出ていってしまい、その背中を追いかけるしか無かった。
いつものように活気に溢れた城下。街の人達は炎蓮さんの姿を見つけて集まってきた。
「孫堅様、ぜひ娘を抱いてください!」
「そりゃ良いが……オレが抱いたら将来、虎みたいな女になっちまうかもしれねぇぞ?」
その言葉に笑ってしまう町人と自分。
「……そんなに笑えるかァ?」
『すみませんでした』
ドスの利いた声で言われ、即座に謝る。それを見て街の人も笑った。
和気藹々とした空気で、みんな口々に感謝を伝えたりするが、お世辞を言っているような雰囲気は無い。誰もが炎蓮さんを慕い、この威厳を持った建業の主に畏敬の念を抱いているようだった。
「慶先生も、この前は診て頂いてありがとうございました。息子もすっかり元気になりました!」
「それは良かった。まだ完治してはいませんから、無理させないように。また往診に伺います」
自分に声を掛けてくれる人も多くなった。自分の存在意義というものを自覚させてくれる。このような形で認めてもらえるのは嬉しいことだった。
「うらぁっ、早く散れ散れ! いいから働きやがれ!」
感謝を伝えられて、少々気恥ずかしくなったのだろうか。炎蓮さんは言葉こそ乱暴だが、優しさがこもった声で仕事に戻らせた。
「昔は、この建業も荒れ放題でな。任侠崩れのバカ共や盗賊で溢れていたんだ。刺史の
「今の建業があるのは、炎蓮さんのおかげということですね」
「それは違うな。オレは掃除をしたまで。街を再興したのは民の力だ」
そうやって言ってのけることが出来るのが、炎蓮さんの良いところだ。そして、それをサポート出来る内政手腕は相当のものだろう。
「ところで、民にも真名を許しているのか?」
よく聞こえているものだ。あれだけ囲まれて話をしていたのに。
「例え城の医者であっても、見慣れない治療には不安も付きまといます。真名を伝えることで、その不安を払拭できるなら良いと思いまして」
「だから、慶先生か……雪蓮と同じことをしよって」
そう言って炎蓮さんが顎をしゃくって、とある店を示す。
雪蓮が酒屋で試飲をしていた。いや、あれは試飲の量ではない。
「このお酒、美味しいわ~♪」
「雪蓮ちゃん、お酒だけじゃ足りないでしょ? はい、おつまみ!」
「ありがと、おばちゃん。それ幾ら?」
雪蓮と呼ばれながら、その当人は真っ赤な顔で瓢箪を掲げて、酒屋と乾物屋の奥方たちと楽しそうにしている。そして悠々と街を散歩を開始した。
「あのバカ……」
「まぁまぁ。今日はお休みですから……」
「ちょっと待ってろ。良いことを思いついた」
その後、跡継ぎとして相応しいのか試すと言って、炎蓮さんは背後から雪蓮に近づき、特大の拳骨を頭に見舞う。
「うるぉああぁぁァッ!」
「んぎゃああぁぁっ!?」
次期当主が断末魔の声を上げて、地面にノビてしまった。
「炎蓮さん!? お、おい雪蓮、大丈夫か!」
「未熟者が……行くぞ慶! ったく、昼間から飲んでねぇで、ちったあ修練しろってんだ!」
「えぇぇ……」
雪蓮を放置して、目的地に向かって歩き始める炎蓮さん。
「オレは街中だろうと戦場だろうと、刺客に襲われることが日常茶飯事だ。しかし、それは貴様も同じことだ。肝に銘じておけ。ここでは、気を抜いた者から死んでいく」
「……分かりました」
工房の場所も分からないため、自分は炎蓮さんに付いていくしか道は無い。雪蓮、お達者で……。
少々時間は掛かったが、目的の硝子職人がいる工房に到着した。
「邪魔するぞ」
「これは孫堅様!」
その職人も、炎蓮さんが店先に居たことで、作業の手を止めて直立不動になる。
「あぁ、息災で何より。仕事を頼みたくてな」
「ありがとうございます。汚い所ですがどうぞ中へ!」
職人はとても若かった。自分と同年齢か、もしくはそれよりも若そうな青年である。
砂を溶かすための炉の熱で、工房はとても暑い。
「周瑜と陸遜も、ここで世話になったんだ。歳は若いが腕は確かだぞ」
工房の入口には、透明なガラスで作られた瓢箪の形をした容器なども並んでいた。他にも動物を象った根付けなどの細かい小物もある。確かに腕は確かなようだ。
「早速で悪いが仕事の話だ。あとは劉仁と話してくれ」
「承知しました!」
工房の主は炎蓮さんに一礼すると、自分の元に来た。
「劉仁です。お忙しいところ申し訳ありません」
「……あぁ、あのお医者様の! 泰山府君の侍医であると、青州でのお噂は聞いております!」
職人と聞くと、無口だったり頑固なイメージがあったが、この主人からは全くそのような雰囲気がなく、むしろフレンドリーな空気感がある。
「建業でもその噂流れてるんですね……」
通信技術も無い時代に、何故こんなにも噂の伝達速度は早いのか。
「他にも南の温泉街でもご活躍なさったとか! それで、何を作れば良いんでしょう?」
「あぁ、そうだ……これなんですが」
事前に準備しておいた図を主人に見せる。
「これは……また難しい形をしてますね。この口の部分はどうなってるんですか?」
「そこはこっちの容器と繋ぎ合わせるようにしたいんです。接続部はこちらで用意できますので」
「なるほど」
ふむふむ、と頷きながら図面をじっくりと見る主人。
「作れそうですか?」
主人はニヤリと笑った。
「任せてください。こういった複雑なものを、一度で良いから作ってみたかったんです。とりあえず二日ほどお待ち頂ければ。試作品をすぐに城まで持っていきますから!」
「気になるとは言ったが、オレにはさっぱり分からんな……この容器が役に立つのか?」
図を見ても、首を傾げるばかりの炎蓮さんも、ちょっと可愛かった。
「炎蓮さん、ありがとうございます。これで準備完了です」
「また珍妙な形の容器だな。これで大丈夫なのか」
工房で完成したのは抱えるくらいの大きさを持つフラスコと、蒸溜器具だ。今回使うのはフラスコだけであるため、蒸留器などは医局に保管している。
硝子工房を訪ねたあと、炭や革の職人も紹介してもらい、完全な準備が出来たのは城下に出てから五日後のことだった。
洛陽からの使者も来てはいない。まだ時間的にも余裕があると見て、再度温泉街に向かうこととなった。
「大丈夫です。三日で戻りますので」
「分かった。大丈夫だとは思うが、粋怜と祭も連れて行け」
「ありがとうございます」
旭に跨がり、自分たちは温泉街へ。
今度は湯治目的ではなく、神の山攻略である。
もし山頂に目的のものが無ければ、今回のフラスコなどは作った意味は勿論消え失せる。
しかし目的のものがあれば、今後の手術でかなり有利になるのだ。
期待と不安が入り交じるが、行ってみないことには分からない。
「さて、出発しようか旭」
次回、神の住む山攻略編。って言っても一話で終わります。
そうしたらいよいよ……洛陽です。
孫権殿の登場は、もうしばしお待ちを。
ゴールデンウィークも始まりましたね。祝日は出張ですので、その翌週から特別編を書いていきます。
今のところは雪蓮、炎蓮、星の3ルートが優勢のようです。投票、お待ちしております。